歌声…3
松葉杖をつき歩くシーダーを補助しながらフィーネたちは休息室へと向かった。身体に負担が掛からないようゆっくりと彼を座らせ、お茶を用意していく。向かい合って座り一息ついたところで、フィーネは用件を尋ねた。
「シーダーさん、お話って何でしょうか?」
ゴクリとお茶を飲んだシーダーは、いつもの明るさを残しながらも真剣な面持ちで口を開いた。
「ねえ、フィーネちゃん。最近、リンデンの様子が変なの気付いてる?」
「……はい。ずっと気落ちされているみたいで」
思いがけず振られたリンデンの話題に、視線を落としてしまう。
「やっぱり分かるよね。……実は、あいつキルシェ様のことずっと憧れたんだよね……。だから、今回のことかかなり応えているみたいなんだ」
「憧れ……ですか」
リンデンのことだと言いつつも、シーダー自身も視線を落とし、寂しさを滲ませた笑みを浮かべている。
「キルシェ様の騎士としての姿勢や剣の腕に憧れている騎士は意外に多いんだ。そのなかでもリンデンはずば抜けていた。キルシェ様に追い付こうと、いつも必死だった」
「そうなんですか……」
リンデンのキルシェに対する想いは、考えているよりも大きいもののようだ。それは日頃の様子を見ていても分かる。リンデンは毎日、窓の外を眺めている。見える景色は何の面白味もない町並みだが、見えない先には海があり、数日前までいたグリシーナ島がある。そして、そのもっと先には、もうこちらの世界にはない魔族の地がある。
「その……キルシェ様が……」
シーダーが声を詰まらせる。彼らは未だにキルシェを失った消失感に囚われている。いや、彼らの胸にあるのは消失感だけではないだろう。
誰よりも国に対して忠誠心を持っていたキルシェ。そんな彼女が魔王のもとに向かったのだ。ミディが詳細を細かく語らず、リコリス姫との交換を条件に妃になったのだと教えられていれば、ただ魔族を憎むだけで済んでいたかもしれない。しかし、事実は違う。キルシェは魔王ザカートに惹かれ、自らの意思で魔族の地に残ることを選んだのだ。人間にとって魔族は敵のような存在。言ってみれば、人間を裏切ったともとれる行動なのだ。それを知らされた騎士たちにあるのは、裏切りに対する大きな絶望だろう。
消失と絶望に囚われた二人は、必要以上に明るく振る舞い誰かに甘えることで気を紛らわせたり、ぽっかりと空いた心の隙間を埋めることもできずに虚ろに心を彷徨わせたりしているのだ。
「ところでさ、フィーネちゃんがここに残ったのって、……リンデンがいたから?」
先程までとは一変し明るい声で尋ねてくる。それは何とも直球な質問だった。
「――えっ!? あっ、そのっ……」
その問いに対するフィーネの反応は、非常に分かりやすいものだった。影の落ちていた顔はパッと赤く染まり、落ち着いていた態度が面白いように慌てふためいたものになる。だが、そんな分かりやすすぎる反応に、シーダーはニンマリと嬉しそうにしている。
「やっぱりね。よかった〜」
「……えっ? 良かった? どういうことてすか?」
「フィーネちゃんがリンデンを気にかけてるみたいで、よかったなぁ〜って」
フィーネの頭には疑問符ばかりが浮かんでいた。シーダーが何を言わんとしているのか分からず、軽く眉間に皺を寄せている。そんな姿を眺め、シーダーはただクスクスと面白そうに笑うだけだ。
「俺たちさ、明日にはここを出て王都に戻るでしょ。それでね、フィーネちゃんにはこれからもリンデンを支えていってもらいたいなー、なんて思っているんだ」
「えっ!? 私がですか? でも、どうして……」
思いがけない要望に声が上擦ってしまう。しかし、すぐに疑問が表に出てくる。すると、シーダーから明るい笑顔が薄れ、不安が顔を覗かせる。
「今のアイツって、キルシェ様っていう憧れであり目標だった人がいなくなって、抜け殻みたいになっているんだよね。……このままだと、怪我が治っても騎士団に戻って来ないような気がするんだ」
「シーダーさん……」
シーダーは喪失感を抱きながらも、友人のことを一番に気にかけているようだった。おそらく彼の異様な明るさは、自分を誤魔化すためではなくリンデンを元気づけるためのものなのかもしれない。
フィーネはシーダーの優しさに触れながら、リンデンのことを思う。現在のリンデンの状態はまだ完全とは言えず、王都に戻っても定期的な回復魔法の施術が必要だと考えていた。できることなら、その役目を自分が担いたいとも考えていた。しかし、リンデンの中にあるキルシェの存在の大きさを知ってしまうと、肉体の治療を行えても、とても精神面で自分が支えられるとは思えなくなっていた。
「でも……私なんかがリンデンさんを支えることができるでしょうか」
シーダーの優しさに導かれるように、胸の奥にある不安を呟いてしまう。だが、不安を打ち消すように、シーダーは明るい笑みを向けてくる。
「……うん。リンデンが立ち直れるかは、アイツ次第だからどうなるかは分からない。でも、俺は大丈夫だと思う。フィーネちゃんがアイツを気にかけているように、リンデンもフィーネちゃんのことを気にかけているみたいだったから。君が傍にいることで、良い方に進めると思うんだ」
「そう……なれたら良いんですけど」
フィーネは自信なさそうに言う。シーダーは背を押すように明るく言葉をかける。
「大丈夫! フィーネちゃんなら。俺だって、そんな風に思わなかったら頼むことなんてしないよ」
シーダーの言葉は妙に確信めいたものだった。