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魔族‐4

 馬車を船に乗り換え、一行は海の上にいた。


 フィーネはデッキに立ち、広大な海を眺めていた。空と同じ色をした青い海。海面は穏やかに波打ち、魚が跳ねている。そして、海から吹き込んでくる風が、彼女のもとに懐かしい香りを運んでくる。その香りを深く吸い込み、心地よい潮風を全身に浴びると、フィーネは自分の中に海の魔力が浸透していくのを感じた。


 フィーネはセイレーン種の亜人。セイレーンとは海に暮らす亜人で、魚の尾と鳥の翼を持った美しい姿をしている。セイレーンである彼女にとって、海は故郷であり魔力の源でもある。


 長らく海から離れていたフィーネは、懐かしい海の魔力を存分に味わっていた。


「フィーネさん。そんなに海ばかり見て、何か珍しい生き物でもいるんですか?」


 ひょっこりと横に現れたリンデンは、フィーネに倣い目の前に広がる海を眺めた。


「いいえ。懐かしくて」


「懐かしい? あ、そう言えば、海辺の村の出だって言ってましたね」


「はい。この香り、すごく懐かしいです」


 三つ編みでゆったりと束ねられた長い髪を風に揺らし、フィーネは海を眺める。傍らに立つ女性に一度視線を向けたリンデンはふっと笑みを浮かべ、すぐに海へと視線を戻した。そして、鼻から大きく空気を吸い込み、フィーネの言う懐かしい香りをその身に取り込んだ。


「俺、王都から出たことがないんです。だから、海って初めてで。なんか独特の匂いがしますね」


「潮の香りは、お嫌いですか?」


 リンデンは大袈裟に首を横に振る。


「ぜんぜんっ! 最初は不思議な匂いだなって思ったけど、慣れれば結構落ち着く匂いですよね」


「落ち着く匂いですか……。なんか、嬉しい表現ですね」


 自分の身近なものか好印象だったことに、フィーネは素直に喜んだ。自分自身のことではないのに、自分のことのように感じ頬が緩む。なんの意識もない自然な笑みは、リンデンにあった僅かな緊張をほぐす。


「笑顔、可愛いですね」


「――えっ!?」


 リンデンからの思いがけない言葉に、不意打ちを食らったかのようにフィーネの心臓が跳ねる。驚き、真ん丸に見開いた目で横に立つ騎士を見上げると、当の本人も自分が口に出した言葉に驚いたのか、あわあわと戸惑っていた。


「あっ、あぁ……ごめんなさい。急に変なこと……言ってしまって」


「あっ……いいえ」


 釣られるようにフィーネもどもってしう。

 二人は顔を互いに見ることもできず、俯いてしまった。照れくさいような、気恥ずかしいような、何ともいえない空気が二人の間に流れる。フィーネは今まで感じたことのない胸の鼓動の早さに戸惑い、なかなか顔をあげることができないでいた。


「…………あっ。俺、……中に戻りますね」


 そして、この空気に耐えきれなくなったのか、目を合わせることなくリンデンは一足先に船内へと戻っていった。


「……はい」


 ようやく顔をあげたフィーネは、すでに船内へ入るドアを開け、中へと消えていくリンデンの背を見送った。鳴り止むことなく強くなっていく鼓動を感じながら、頬に手をあててみる。指先に感じる熱がいつもより熱く感じられる。

 フィーネの手は頬から、胸へと落ちていく。ドクンドクンと高鳴る鼓動は、懐かしい波の音をフィーネの耳から遠ざけていくのだった。




 その夜、食事も終り部屋に戻ろうとしていたフィーネをミディが呼び止めた。


「フィーネ。どうかしたの? 食事の時、様子がおかしかったけど」


「ミディ様。いえ、……何もありませんけど。体調も良いです」


 そう返すと、ミディはにっこりと微笑む。


「分かっているよ。セイレーンである君が、海の真上で体調を崩すなんてあり得ないからね。体調は陸地にいる時よりも良いはずだよね」


 ミディは全て理解しながら、フィーネの口からそれを聞きたいようだ。


 夕食時、リンデンに対し昼間の感情を出すまいと、必死に平静を装い時間を過ごしていた。しかし、ミディにはあっさりバレてしまったようだ。フィーネ自身も、ミディには隠し事などできないことは理解している。だが、廊下では誰の目があるか分からない。フィーネは部屋にミディを招き入れた。


「……私、こんな感情……初めてで」


 フィーネは苦しげに胸を押さえる。しかし、頬がほんのりと赤く染まった表情は、どこか嬉しそうで切なそうに映る。


「傍に来られると顔が熱くなって、まともに顔も見ることができなくなってしまいます。だけど、離れてしまうと寂しく感じてしまう……。お話したいのに言葉が出てこないんです……」


 フィーネは自分の気持ちに戸惑っていた。何十年も生きてきて、ここまで強く心を不安定にさせる感情を味わったことがなかったのだ。


「フィーネはその気持ちが何なのか、もう分かっているよね。だったら、それを大切にしていけば良いよ」


 備え付けの椅子に腰を下ろしたミディは、微笑みを絶やすことなく言う。


「ミディ様。でも、初めて言葉を交わすような人に、こんな気持ちを抱くものなのでしょうか……」


 真っ赤になるフィーネの顔を覗き、ミディはクスクスと笑う。


「僕たちは人間よりも魔力が強い分、魔力に対する干渉や依存も強い。それは個々の相性も同じなんだよ。互いの魔力の波長が合わなければ、些細なことでも相手を嫌悪してしまう。だけど、逆に波長が合えば、ほんの僅かな触れ合いでも相手に惹かれてしまう。人間が言葉や態度で伝えなければ伝えられないような気持ちでも、僕たちのような者には必要なかったりする」


「…………」


 この気持ちがどういうものなのかは、ぼんやりとだが認識できていた。それを第三者であるミディに指摘されたことで、はっきりとした自覚として受け止めることができるようになった。


「これから時間はたっぷりある。この任務が終わってから、ゆっくりとその気持ちを伝えていけばいいよ」


「これから……。はいっ、これからですよね」


 フィーネの顔からは切なさが薄れ、これからに対する希望の色が表れていた。


 一度は消えかかっていた人間に対する関心。それがリンデンと出逢ったことで、再び戻ってきた。


 その心は初めて人間の世界を目にした時と変わらない高揚感があった。


 それは、人間の伴侶を捜すという、この地に来た本来の目的を遂行できるからではない。こんなにも心を揺さぶりながらも、温かく感じてしまう気持ちに出会えた喜びからだった。



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