魔族‐3
◇ ◇ ◇
エラルノから今回の命を受けた数日後。ザカートの送った使者が、予定通りリコリスを攫い、計画は実行に移された。
リコリス誘拐の翌日、フィーネはミディと共にガルデニア城の謁見の間にいた。偽りの主とはいえ、王の前に立つということで、いつもは目深に被っているフードを外していたフィーネたち魔導団。フィーネはいつも以上に広い視野で見る城の煌びやかさに、目を眩ませていた。
「ミディ様。なんか凄い部屋ですね」
「フィーネはここに来るのは初めてだったね。まあ、仕方ないよ。ここはこの国の王の権威をもっとも現し見せつける場所だからね。ある程度は着飾らなくては自分の力を示せないんだよ」
「そうなんですか」
本来の主である魔王の居城のシックで落ち着いた雰囲気とは全く異なる空間に、フィーネはただ驚くだけだった。
「あっ、キルシェ様たちがいらっしゃったみたいだ」
重厚な扉を開け入ってきた三人の騎士。二人の部下を連れ、先頭を歩くのが女騎士キルシェ。魔王ザカートの妃として選ばれた女性。リコリスのことがあるせいか、顔には険がありきつそうな印象を受けるが、強い意志を持ち、凛とした立ち姿はとても美しい。
姿を見るなり、ミディはすぐさまキルシェの傍に駆け寄っていく。少し遅れ、フィーネも彼の後を追った。
「初めまして、キルシェ様ですよね。僕は蒼竜魔導団 第一部隊のミディです」
ミディは深く頭を下げると、続けてフィーネを紹介する。
「彼女は同じ隊のフィーネです」
「初めまして、キルシェ様。フィーネと申します。宜しくお願い致します」
フィーネは自分の本来の主であるザカートの妃となるキルシェに、ミディ同様深く頭を下げ挨拶をする。そして、顔を上げると、続けてキルシェの背後に控える二人の騎士に目を向けた。
「――――えっ……」
彼女は自分の瞳に映った人間の姿に、思わず目を奪われた。
いつも平穏で変化の見せない胸の鼓動が、高鳴っている。この場所にこの人間がいることが信じられず、とても不思議な感覚になりフィーネの身体を包む。その感覚は、挨拶を返してくれるキルシェの声を、はるか遠くにしてしまう。
そこにいたのは、フィーネに人間の世界に対し僅かな後悔を持たせた、中庭の騎士だった。
茫然と見つめ続けるフィーネに、中庭の騎士が気づく。一瞬、視線が合うが、なぜかそれをフィーネは咄嗟に逸らしてしまった。少し間をおき僅かに視線を戻すと、彼の視線はすでに自分ではなく、前に立つキルシェに向けられていた。
彼がキルシェに向ける視線。その眼差しに、キルシェ同様に強い意志が込められている。今回の任務を考えれば、真剣になるのは分かる。しかし、なぜかフィーネの胸は、チクリとした小さな痛みを感じてしまうのだった。
「は、はじめまして。リンデンです。よろしくおねがいします」
キルシェに促され、挨拶をする中庭の騎士。リンデンと名乗った彼は、今回の任務によほど恐怖と緊張を感じているのだろう。その挨拶は酷くたどたどしいものだった。だが、そのたどたどしさが、なぜか周囲の緊張を解いていった。まずミディが笑みをこぼし、それにフィーネが続く。そして、強張った表情だったキルシェたちにも笑みが浮かぶ。
ガルデニアの人間からしてみれば、今回のリコリス誘拐は大事件だ。今のように、気を緩ませ笑顔を見せるような姿を出せば、不謹慎などと言われ叱責されるだろう。現に、部屋にいる古株の騎士たちは険しい表情で睨んでいる。
リンデンの挨拶は緊張などが見えたが、ごく普通の挨拶だ。だが、それでも彼の言葉は、この険しい緊張感を和らげた。これは彼の持つ人間性の現れなのかもしれない。フィーネはそんな中庭の騎士リンデンを前にし、今まで持っていた人間に対する印象とは異なったものを感じ、戸惑っていた。
しかし、それがなんなのかは、まだ彼女には理解できていなかった。
しばらくして傭兵レザンも到着し、改めてアルベロ王から今回の命がさがる。それから一行は、魔王城のあるグリシーナ島に向かうため馬車に乗り込み、港町へと揺られていった。
道中の馬車の中で、なぜかリンデンは積極的にフィーネに話しかけていた。馬車はとても簡素な造りで、とても狭い。フィーネの隣に座っていたリンデンは、極力動きを少なくして、うっかり触れてしまわないように話しかけてくる。
リンデンとの会話の内容は、日常会話の延長といった感じて、とても他愛ないものばかりだった。どこ出身? 得意な魔法は? 普段、どんなことをしているの? などなど……。彼の好奇心を満たすような内容ばかりだった。そんな彼の好奇心に、フィーネは嫌がる素振りを見せず素直に答える。そして、自分自身もリンデンのことを知りたく、同等の質問を返すのだった。
しかし、ふとフィーネは考える。自分は本当に彼のことを知ってみたく尋ねている。しかし、彼は自分のことをどう思い尋ねてきているのだろう……と。
今回のリコリス救出隊のなかで最年少なのは、外見だけみればフィーネだ。しかし、亜人種であるミディとフィーネは、ガルデニアが戦争を起こす前から生きている。実年齢で言えば、ここにいる騎士たちよりもずっと年上になる。
そんな事実など、リンデンは全く知らない。おそらく一番若く、しかも女性であるフィーネが、この任務に対し不安にならないように気遣っているのだろう。
そこに優しさはあるが、自分に対する関心は薄いのではないか……。そんな風にフィーネは考えてしまうのだった。
それでも、彼の優しさは十分すぎるほど伝わる。しかし、その優しさのなかにも、時おり見え隠れする恐れの姿。
相手を不安にさせまいと、常に笑顔を見せてはいるが、ふいに表情には恐れと不安が混じる。それは、リンデンだけではない。この場にいるキルシェとシーダーも同様だった。ただ、傭兵のレザンだけは、恐れよりも不快感の色が濃くみえた。
不安を隠す騎士たちの姿を目にし、フィーネは小さなため息をつく。
彼ら人間が不安に思うのは無理もないことだ。これから向かうのは魔王城。人間ではない強大な魔力をほこる亜人種たちのいる場所なのだから。
かつてフィーネが、未知の世界である人間の世界に来た時とは状況が違う。あの日、フィーネは好奇心と興奮で一歩を踏み出した。しかし、今の彼ら騎士たちは、未知の世界に対する不安と恐怖を前にしているのだ。魔王城に赴き、無事にリコリスを救出できるか、自分が生きたまま祖国に帰ることができるか、先の見えない恐怖。魔族と呼ばれる存在に対する恐怖。それらに蝕まれている。
フィーネは、その恐怖心が辛かった。魔族に向けられる恐怖。それは、亜人種である自分にそのまま向けられているようなものだったからだ。
人間と亜人種の間にある大きな隔たり。それを思いがけない形で痛感してしまったフィーネは、締め付けられるような苦しみを胸に感じていた。