恋歌…4
「ここでフィーネさんを見かけたからです」
「……!? ここで、私を? でも、私たちは城ではフードを被っているので、顔までは……」
今は夜ということもあり、普段目深に被っているフードを外して何にも遮られることなくリンデンの姿を見つめている。しかし、日中は余程のことがない限り、魔導棟以外の場所でフードを外すことはない。それは人間とは異なる老い方を隠すためで、魔導団の団員は城内ではフードで顔を隠すことが義務付けられていた。その決まり事を、真面目なフィーネが破るはずもなく、いつ顔を見られたのか不思議でならなかった。
「そうですよね、魔導団の方々は顔を見せませんからね。だから最初は誰かなんて分かりませんでしたよ。それどころか、同じ人なのかさえ分からなかったですから。でも、一度だけ偶然吹いた風でフードの下にあるフィーネさんの顔が見えたことがあったんです」
「えっ? そんなことが?」
いつのことだろうと、記憶を必死に巡らすが、フィーネにとっては些細な出来事過ぎて記憶の片隅にも残っていない。
「すごく驚いたのを覚えています。自分よりもずっと年下で、あんな可愛い人が国を救った魔導団に所属しているのが信じられなくて。本当に、すごく驚きました。そして、その一瞬の光景が頭から離れなくなったんです。また彼女に会ってみたい……、そんなちょっと邪な気持ちで、ここに来るようになったんです。それで、いつか声をかけようと考えながら」
リンデンは照れくさそうに笑っている。
「でも、そんな時にあの任務を言い渡されて……。勇気を出して、あの子に声をかければ良かったなって、後悔しました。それなのに、同行する魔導団の方にフィーネさんがいて、心臓が止まるかと思いましたよ」
「……リンデンさん」
これまでにないほど、フィーネの胸は鼓動が強く打ちつけていた。互いの名を知る前から、二人は同じ想いを抱いてここに足を運んでいた。そして、なかなか前に進むことのできない自分をもどかしく思い、悔やんでもいた。そんな些細な共通点がとても嬉しく思えた。そして、その嬉しさを口に出し伝えようとする。
「リンデンさん。私……も……」
しかし、その想いは何かに抑え込まれるように小さくなっていく。再び視線が伏せられ、彼女の深い心境を現すように、垂れ下がった両腕の先にある細い指先が絡まりあっている。不安を見せるフィーネの手に、リンデンがそっと手を伸ばしてくる。そして、大きな手で優しく包み込むと、柔らかな笑みを浮かべ告げた。
「フィーネさん。俺は貴女の歌声を聴く前から、フィーネさんのことが気になっていたんです」
その告白は、穏やかさの中にも力強さもある断言だった。
「俺の態度でフィーネさんが不安になられたのは分かっています。それでも、もう自分を追い込むようなことはしないでください」
言葉と連動するように、覆われていた大きな手に力がこもる。強い温かさに心を絆されるが、フィーネは未だに燻り続ける影を胸に留めておけず吐き出してしまう。
「……でも、私は魔物です。リンデンさんとは生きる世界が違います。……それに、リンデンさんの目には、私のもう一つの姿は恐ろしく映ったのでしょう」
瞬間、リンデンの手が小さく跳ねた。
「はい。恐ろしかったです」
そして、はっきりとした返答。その迷いのない答えに、フィーネの身体は小刻みに震えだしてしまう。
「たしかに、フィーネさんの姿は恐ろしかったです。なんせ、魔物なんて見るの二度目でしたから」
視線を落としていくフィーネに向け、リンデンは語り続ける。
「でも、恐ろしく思いながらも、あの翡翠色の尾や羽がとても綺麗だとも思いました」
「えっ?」
思いがけない発言に、つい顔を上げてしまう。不安に苛まれた瞳にリンデンの笑顔が映り、胸が強く鼓動を打ちつけた。
「だけど、そんなことを思っている以上に、俺は自分が情けなくなりました。フィーネさんの涙の向こうにある哀しい表情に気づけなかったことが……」
「……本当に、そう思われたのですか?」
リンデンの告げる言葉に、温もりが広がっていく。しかし、それでも心を覆う不安から完全に逃れることができないフィーネは問いかける。すると、リンデンは明るくはっきりとした声で答えた。
「はい。自分は取り返しのつかないことをしてしまったんだと……、声をかけられなかったあの日の後悔以上の後悔と懺悔でいっぱいになりました。そして、心にはフィーネさんの哀しい顔と、綺麗な翡翠色だけが残っていました。自分勝手なことだとは分かっています。けど、フィーネさんのもう一つの姿も、俺の胸に焼き付いて離れなくなってしまいました」
「……リンデンさん」
「フィーネさんは俺が歌で操られ、貴女に惹かれている思っているかもしれません。でも、はっきりと言わせてください。それは違います。俺がフィーネさんを好きだと想う気持ちも、貴女のもう一つの姿を恐ろしく思いながらも惹かれたのも、こうやって貴女の前に立っているのも、全て俺自身の意志です」
強い言葉にうたれ、フィーネは無言のままに聞き続ける。
「それに、例え歌に操られていても、それはそれで良いと思います。だって、俺はずっと前からフィーネさんのことが好きだったんですから。フィーネさんへの想いが歌の魔力で、もっと大きくなっただけです」
フィーネの両目から涙が溢れる。彼の言葉からは、異形の自分さえ受け入れるという想いが伝わってくる。そして、自分を好いてくれているという想いが伝わってくる。胸の奥を蝕んでいた大きな不安を、自分の意思とは関係なく綺麗に拭いとってくれる。
彼の言葉は、偽りのない彼自身の言葉だと確信した。
「ねえ、フィーネさん。先日の返事を今貰っても良いですか?」
先日の返事……。決まりきっていた返事から逃げていたフィーネは、もう迷うことはなかった。
「はい。私もリンデンさんのことが好きです。これからもすっと一緒にいさせてください」
にっこりと笑みを浮かべたフィーネの頬に涙がつたう。だが、その涙は哀しい涙ではなかった。愛しい男性の愛に触れた喜びの涙だった。
リンデンの指先が優しく涙を拭い、そのまま頬を包み込む。伝わる温もりに心安らぎ、フィーネは瞼を閉じる。
「フィーネさん」
リンデンの声に呼び戻され瞼を開けたフィーネは、彼の瞳に秘められた想いを感じとり、再び目を閉じた。そして、唇に触れた想いを受け止めた。
柔らかく重ねられた唇が離れ、嬉しさと恥ずかしさに頬を染めた二人が見つめあう。頬を離れていくリンデンの手が、そっとフィーネの手に重ねられ、優しく包み込んでくる。
「フィーネさん、俺のために歌ってくれますか?」
「はいっ!」
リンデンのささやかな懇願に心からの返事をし、フィーネは夜の空気を胸に取り込む。そして、夜の静寂に広がる清らかな歌を紡いだ。
満天の星空の下、彼女の歌声はどこまでも届き、耳にした者の心を温かく穏やかにしていった。
【終わり】




