恋歌…3
◇ ◇ ◇
変化もないまま数日が過ぎた。
相変わらずフィーネの気持ちは沈んだままで、表情にも覇気がなく暗い。ミディの助言を胸に留め、普段通りの生活を送ろうとするが、それも長くは続かない。
「…………はぁ」
気がつけば、無意識に小さなため息がこぼれてしまう。しかし、これでも仕事には支障をきたさない程度までは回復していた。
「フィーネ、あれからどうだい?」
一日の業務が終わり、魔導書などを書棚に仕舞っていると、どこからかやって来たミディが声をかけてきた。
「はい。いつも通り過ごせています」
笑顔を作り答えるが、やはりぎこちない。その姿に、ミディまでもがぎこちない笑みを返してしまう。
「ねえ、フィーネ。今日の仕事はもう終わった?」
「はい。これを片付けたら終わりです」
「だったら、この後時間あるかな? ちょっと、僕に付き合ってほしいんだけどね」
「えっ? ……はい」
戸惑いながら返事をするなり、ミディはフィーネが抱えていた書物の半分を取り、ささっと書棚に収めていく。突然の誘いにフィーネは困惑が隠せず、つい手が止まってしまう。もしかしたら、リンデンに関することで最終決断が下されたのでは……、と不吉な予感に身体が硬直してしまう。だが、ミディはそんなものを微塵も感じさせない様子で、「さっ、早く片付けて」と、急かしてくるのだった。
片付けが終わり連れてこられたのは、なぜか城の中庭だった。
「夜風が気持ち良いね」
「……そうですね」
中庭の隅にある長椅子に腰を下ろしたミディが、金色の髪を風に靡かせ心地良さそうに目を細める。隣に座るフィーネも、頬に夜風が触れるのを感じながら中庭の風景を眺めていた。
毎日のように足を運び、僅かな休憩時間を過ごしていた中庭。それは、ここに来ればリンデンに会えるかもしれないという、淡い期待に胸を踊らせていたからだ。しかし、あの日以来、会いたい気持ちはあっても顔を会わせることがとても怖く、意識的にこの場所を避けていた。そんな場所に連れ来られ、フィーネの心中は穏やかではなかった。
たった数週間しか経っていないのに、この中庭が懐かしく感じてしまう。そして、こんな時間にも関わらず、ついリンデンの姿がないかと、少しは慣れた場所にある向かいの長椅子に視線がいってしまう。
フィーネが誰もいない長椅子を見つめる横で、ミディも無言でどこかを眺めていた。そして、その沈黙にフィーネが疑問を抱く。ここに来てしばらく経つが、ミディは何も言ってこない。自分から誘っておいての沈黙に、さすがに不審を抱く。フィーネは遠くに向けていた意識を、隣に座るミディに向けた。だが、それと同時にミディはすっと立ち上がり、
「きちんと彼の顔を見て話しをするんだよ」
と、訳の分からないことを言い、どこかに言ってしまった。自分で誘っておいて、用件も言わずに立ち去る姿に、呆気にとられてしまう。遠ざかり暗闇に溶け込んでいく金色の髪を茫然と眺めていたフィーネだが、ハッと我に返り後を追おうと立ち上がった。その時、フィーネの耳に自分ではない誰かが発した足音が届いた。
「フィーネさん」
そして、続けて聞こえた自分の名を呼ぶ声。フィーネはその声に耳を疑い、同時に心臓が跳ね上がった。高鳴る胸を抑え、そろりと声の方を向き、そこに居る男性の姿を両目で捉えた。
「…………リンデンさん」
彼の名を口に出したことで、ずっと逢いたいと願っていた想いが溢れ、鼓動がいっそう高まる。しかし、恐れの感情がそれらを覆い、咄嗟に顔を逸らさせてしまう。
向かい合っていながら、互いに視線を合わせることもできず、言葉も交わされない。静寂に包まれた夜の中庭に、草木を揺らす風の音だけが聞こえてくる。
今を逃せば、こんな機会は二度と訪れないだろう。だから、何かを話さなければ、どうにかして今を繋ぎ止めなければ、きっと今以上に後悔してしまう。頭の中でそう考えているのに、あの日の恐怖に引き釣った顔や自分を否定する言葉が思い出されてしまい、言葉が全く出てこない。
「……あの、フィーネさん。……お久し振りです」
重い沈黙を破ったのは、意外にもリンデンの方からだった。
「……あ、お久し……振りです」
彼の声に鼓動が速まる。しかし、顔を向けることもできず、言葉を詰まらせながらの短いおうむ返しの挨拶しか返せない。そして、再び沈黙が訪れてしまう。
『きちんと彼の顔を見て話しをするんだよ』
ミディに言われた言葉を脳裏をよぎるが、それを実行することができない。軽く手を伸ばせば届くほど近く、彼の息づかいや温もりも感じる。それなのに、彼までの距離がとても遠いように感じられる。
……いや、『遠い』のではない。フィーネ自身が『遠ざけている』のだ。
「フィーネさん、先日はすみませんでした」
彼女の心境が無意識に足下に現れそうになった時、リンデンの口から謝罪の言葉が告げられた。唐突な出来事に、フィーネの肩がビクッと跳ねた。
「俺、あんなに失礼な態度をとってしまって……」
様々な感情が渦巻き、戸惑い困惑していたフィーネだが、彼の謝罪に違和感を覚えた。あまりにはっきりとした声色に疑問が湧き、その疑問に突き動かされるように地面に向けられていた顔が上を向く。そして、目の前に立つ男性の姿を捉える。
「――――っ」
フィーネの瞳が捉えたのは、真剣な面持のリンデン。魔族に対し一切の恐れも見せない姿に、フィーネは直感した。
――彼は私の歌に操られている。
逢えた喜びが、一気に絶望へと変わっていく。顔面は蒼白になり、ゆったりとした魔導士のローブの下では身体がガクガクと震え始めていた。そんな極限状態であるフィーネの心境を察していないのか、リンデンはそのまま話を続けていく。
「こめんなさい。俺、あんな風に恐れてしまって……。フィーネさんがどんな気持ちで自分の姿を見せたのかも考えずに」
リンデンは申し訳なさそうに言葉を続ける。だが、自分が望む言葉が積み重ねられていくほど、フィーネは懺悔の気持ちで胸が締め付けられていく。
「ミディ様から全てお聞きしました。フィーネさんたち魔族のことも、どうして人間の世界で暮らしているかも」
「……いつ、そんなことを聞かれたのですか?」
「つい数日前です。実を言えば、魔導棟に赴くのは怖かったです。でも、それでも本当のことが知りたくて」
いくら歌の魔力に操られているからと言っても、まさか彼自身がミディを訪ねに赴いているとは思わず、彼の意思に反した行動をさせてしまう自分の願望の深さに酷く驚いてしまう。
「ミディ様に聞かれたのなら、ご存じですよね。私のことも、私の持つ力のことも……。リンデンさんがそのような行動をとられたのは、私の歌を聴いてしまったからなんです」
そして、彼女自身からも真実を告げる。
「ええ、俺はフィーネさんの歌を聴いて、心を奪われました。でも、それだと矛盾が出てしまいますよね。だって、島の診療所で歌を聴いたのは俺だけじゃないですから。もし、フィーネさんの歌に魔力が込められたものだったら、俺だけではなく隣にいたシーダーや、船員たちもフィーネさんに心を奪われていなければおかしいですよね」
「……そうですけど」
そう言われれば、そうだとも言える。しかし、フィーネが歌に込めた想いはリンデンへの想いだけ。他の人間が同時に歌を聴いたとしても、魔力の影響が出るとは考えにくい。
不穏な思考に苛まれ、再び視線が落ちてしまう。すると、リンデンが「フィーネさん」と優しく呼びかけてくる。
「それと、これはいつか言おうと思っていたんですけど、俺がフィーネさんに会ったのは、あの任務が初めてじゃないんです。と言っても、一方的に見かけたって言った方が正しいのかな?」
「……え? それは、どういうことですか?」
「以前、俺がこの中庭によく来てるって言いましたよね。休憩だとた言ってましたけど、実は違うんです」
ここまで言っておきながら、リンデンは視線を逸らし言い渋ってしまう。しばらく視線を泳がせていたリンデンだったが、意を決したように姿勢をただし、視線をぶらすことなくフィーネに向けた。




