告白…6
「あの。……今日、お母様はお出掛けになってらっしゃるのですか?」
「……母ですか」
たった一つの質問で、リンデンの雰囲気は一変した。表情を僅かに固まらせ、あれほど楽しそうに言葉を吐き出していた口もピタリと動きを止めてしまう。
「あ……、ごめんなさい。わたし……」
やはり聞いてはいけないことだった。とてつもない後悔がフィーネを襲うが、それはもう後の祭り。和やかな食卓が様相を変えてしまう。
変わっていく空気を察し、リンデンは取り繕うように口を開く。
「あぁ……、ごめんなさい。変に暗くなっちゃって。別にたいしたことじゃないんです。ただ、俺の両親、二人とも亡くなっているだけなんです」
「亡くなって……、もしかして」
リンデンの親世代が若くして亡くなる原因。思い当たる事情は一つしか浮かばなかった。それは――先の戦争による死。
そして、その想像が当たっていたのか、リンデンはぎこちなく笑いながら頷いた。
「といっても、戦争が原因で亡くなったのは父だけなんですよ」
明るい声で言っているが、彼の表情に普段の明るさはない。リンデンがフィーネに気を遣い明るく振る舞っているのは明白だった。
「父は細工師だったんですけど、戦争中期に騎士だけでなく兵も足りなくなった時期があって徴兵されたんです。……で、その際に受けた傷が原因で身体を弱くしてしまって、そのままです」
「もしかして、前線地に行かれていたのですか?」
「はい。でも仕方のないことですよね。時代が時代でしたし。俺も今は一応騎士なので、戦争においての一般兵の役目なんかは分かっているつもりです。でも、子どもの頃は、それが理解できてなくて王や国に対して文句を言ったりすることもありました」
リンデンの話を聞き、フィーネは言葉が出せなくなっていた。
魔王とガルデニアの王が交わした契約でこの地に来ていたフィーネ。彼女はその契約のもと、先の戦争に魔導団の回復部隊として前線に赴いていた。そして、その悲惨な現実を目の当たりにしてきていた。
戦争時、民から召集された兵の役割は、基本的に敵戦力を低下させるための無数の剣。そして、敵の進攻を防ぐための人間の盾。前線に立ちながらも装備などは騎士などと違い軽装で、負傷や死亡率も高い。しかし、主戦力は彼らの後ろに陣ずる騎士や魔導士たち。もちろん、負傷した際の治療の優先順位も騎士や魔導士が上で、民がいる限り補充の利く一般兵は後回しになることが多かった。負傷者の絶対的な数の違いもあり、全てに手が回らないという状況もそれに拍車をかけていた。
それは戦場に広がる悲惨な光景であった。いくら治療を施しても、傷つき倒れる人は後を絶たない。そんな血と死の臭いに満ちた戦場に立つフィーネは、人間の残虐性に絶望していた。
そして今、その大きな絶望を思い出すと同時に、フィーネは自分の行いを悔やむ気持ちが溢れてきていた。その後悔が両目から涙となって流れ出てくる。
「えっ、フィーネさん? なんで……」
俯き、声なく泣き始めたフィーネの姿に、リンデンはオロオロとしてしまう。
「……ごめんなさい」
「い、いえっ。そんな、泣かれるような話しでも……」
自分の家族の話に感化された涙だと思ったリンデンは、狼狽しながらも慰めるように肩をさすり、ハンカチを差し出した。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。私、……私の力がもっと強ければ、皆さんを助けられたかもしれないのに……」
「フィーネさん?」
彼女の口から吐き出される謝罪の言葉。その意味が分からなかったリンデンだが、繰り返される「ごめんなさい」という言葉に、それが自責の念から出ているものだとようやく気づく。
フィーネが魔導団の回復部隊に所属していることは知っているが、彼女が魔族であることは知らない。ゆえに、先の戦争にフィーネが赴いているという考えには至るはずもなく、なぜ彼女がこんなにも責任を感じているのか理解できずに困惑する。
「ねえ、フィーネさん。そんなに泣かないでください」
差し出されたハンカチを受け取りはしたが、フィーネの手は両目から溢れる涙には向かわない。ハンカチを握りしめ微かに震えるか弱い手にリンデンの大きな手が添えられる。
「フィーネさんは優しい女性ですね。見ず知らずの人間のために、こんなに泣いてくださるなんて」
リンデンはフィーネの手からハンカチを取り、頬を流れる涙を優しく拭った。
「確かに父は戦争で治すことのできない傷を負いました。でも、だからって哀しいことばかりではないんですよ
そう言うと、リンデンは静かに席を立ち、部屋の棚に立て掛けてある小さな額縁を手に取った。
「これ、見てください」
肩を揺らし泣いていたフィーネがゆっくり顔をあげ、差し出された額面に濡れた眼差しを向ける。額縁に納められていたのは、一枚の古い絵だった。リンデンよりも少し歳上といった感じの男女と、二人の間に立つ少年の姿が描かれた肖像。
「これ、両親と俺の絵なんですよ」
「ご家族の方?」
掠れた声が呟くと、リンデンは明るい声で「はい」と答えた。
「……皆さん、笑ってらっしゃる」
椅子に座る父親は片足がなく、戦争の痛々しい傷痕の残る姿をしている。母親も痩せており、どことなく病弱そうな印象に映る。そして、身なりからも裕福さは垣間見れない。それなのに、描かれている家族の肖像は明るい笑顔に包まれ、苦しみや哀しみなんかを感じさせないものだった。
「辛くて苦しいことがあっても、それを覆い尽くすほどの笑顔がある家庭。それが、俺の家族の姿です」
「……笑顔がある家庭」
顔をあげ、視線を家族の肖像から目の前に座る男性へと向ける。そこには笑顔を向けてくるリンデンの姿がある。その優しい笑顔にフィーネの胸がドクンと高鳴り、じんわりと熱くなる。
「そうです。戦争は辛い出来事でしたけど、それがあって一層家族の絆が強くなったような気がします。うちの父、職人気質でちょっと頑固な所もあったんです。それも和らぎましたね。それに、こんなこともよく言うようになってました。『こんな怪我をしても生きて帰れたんだ。これからは家族も大切にするが、人生も楽しまないとな』って」
「家族も大切にして、自分の人生も楽しむ……」
苦しみを乗り越え、未来を見つめる前向きな言葉。様々なことを胸に抱えるフィーネに、その言葉は深く滲みた。
「そういえば、これもよく言ってましたね。『治療してくれた魔導士さんたちには感謝しかないよ』って」
「――……っ!」
フィーネの胸が強く締め付けられた。
当時のガルデニアでは魔法を扱う者は裕福層の象徴であり、庶民からは嫌われた存在だった。現にフィーネも、負傷した兵から魔法での治療を拒否されたことが何度となくあった。それが命に関わるような重症であってもだ。フィーネは戦争の悲惨さもだが、自分を拒絶する言葉にも酷く心を痛めていた。それが人間への関心を遠ざけることに拍車をかけていた。
しかし、今日リンデンの話を聞き、多くのことを思い出した。自分を拒絶する言葉と同じくらい、自分に対し感謝を述べてくれる言葉があったことを……。
フィーネの両目から再び涙がこぼれ落ちる。一度は泣き止んだフィーネが再び泣き出したことに、リンデンはおおいに戸惑ってしまう。それこそ泣くような話題でもなかったので、どうしたら良いのか分からず楽しい話題を探そうと必死に視線を泳がせている。
フィーネの泣き声が小さく響くなか、何か思いついたのかリンデンは唐突にフィーネの手にある肖像画を指差した。
「フィーネさん、この肖像画なんですけど、俺の従姉妹が描いてくれたんですよ。小さな頃から一緒に住んでて、この絵も彼女が十代の頃に描いてくれたんです。で、今では立派に売れない画家をしてるんです。二階の部屋にたくさん絵があるんですけど、今は旅に出て留守にしているので、お見せできなくて残念です。勝手に入ったら痛い目見せるって脅されてて。あっ、今、この家にはその従姉妹が一人で住んでるんです。だから、従姉妹が長く家を空ける時は、今日みたいに俺が帰ってきて掃除をしたりしているんです」
思いつくままに語っているがゆえか、リンデンの話は元の話から軌道が逸れて内容も取り留めがない。その上、妙に早口にもなっていた。
それでも涙が止まらないフィーネに、リンデンは必死に話題を探し、話しかけてくる。早口でしどろもどろな語り口だが、相手を労ろうとする優しい想いは十分すぎるほどに伝わっていた。フィーネの頬を濡らしていた涙はしだいに止まり、リンデンの話題の節々に笑顔を覗かせるようにもなっていった。
「リンデンさん、ありがとうございます。そして、ごめんなさい。変に取り乱してしまって」
「いいえ、気になさらないでください」
明るさの戻った声と表情に、リンデンもようやく安堵を見せる。
「そうだ。パン屋で焼き菓子も買ってたんです。これもかなり美味しいんですよ。今、お茶と一緒に用意しますね」
それから二人は哀しいことを胸にしまい、テーブルに並んだお茶とお菓子を囲み楽しい時間を過ごしていった。