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告白…5

 ◇ ◇ ◇


 約束の日。いつもの待ち合わせの場所である、城下中央広場の噴水。噴水の頂に設置されている白磁の天使像は、いつものように柔らかな笑みを湛え天を仰いでいる。しかし、その輝く笑みの下にいるフィーネは、表情に僅かな影を落とし待ち人が来るのを待っていた。

 彼に早く逢いたいという気持ちと、来てほしくないという気持ちが心の内側でせめぎあい、どこか憂鬱で普段にはない緊張が身体と心をを蝕んでいた。


「フィーネさん。お待たせしました」


 でも不思議なものだ。彼の声を耳が捉え、彼の姿を目にしてしまうと、心が弾み自然と笑みが溢れてしまう。


「こんにちは、リンデンさん」


「すみません、お待たせしちゃって」


 昼の鐘はまだ鳴る前だというのに、リンデンは申し訳なさそうに謝ってくる。息を切らせた様子と微かに香る肉を焼いた油の匂いから、料理に夢中になり時間を見誤り慌てて来たのだろう。それを想像すると、彼の姿が微笑ましく、とても愛おしく想えてしまう。


「じゃ、そろそろ行きましょうか。中央からは少し離れているんで、多少歩くことになりますけど大丈夫ですか?」


「はい。大丈夫ですよ」


 挨拶の後、軽く言葉を交わしたフィーネからは、心の内にあった重い感情が消え楽しい気持ちに満ちていた。フィーネは内にあった負の感情をその場に置いていくように噴水から離れ、楽しい気持ちのみをつれてリンデンの横を歩いていた。


 案内され向かった場所は、城下の外れにある下層の住民が暮らす住宅街だった。中央からはかなり離れていることもあり、耳に届く喧騒もだいぶ趣が異なる。住宅にも大きな違いがあり、貧相ではないがどれも似たような素朴な建物が密集して軒を連ねている。狭い敷地に多くを建てているせいか道も狭く、どことなく空も遠く感じられる。

 ここに、いつも足を運んでいる城下の中央街のような華やかな彩りは一切ない。しかし、細く粗悪な石畳の道を行く人たちは、身なりは貧相ではあるがのんびりとし、とても和やかに談笑している。この住宅街に流れている空気は、中央街よりもずっと穏やかで心地よく感じられた。


 リンデンの穏やかな人柄は、ここでの生活が育んだものかもしれない。街や人の姿を眺めながらフィーネは思い、初めて訪れた場所を興味深そうに歩いていた。



「さっ、着きましたよ」


 路地をいくつか入った場所でリンデンは足を止め、そこにある民家のドアに手をかけた。嬉しそうにフィーネの方に向き直すと、「どうぞ」とドアを開け招き入れた。


「おじゃまします」


 こちらの世界に来てもう随分と経つが、フィーネが人間の家庭を訪問するのは初めてのことだった。


 人間の生態や生活、家庭など基本的なことは、あちらにいる時から興味があり十分すぎるほどに調べていた。しかし、ガルデニアの王と魔王の交わした契約に基づき、戦場に赴いたフィーネは人間の負の部分を見せつけられ絶望した。人間に対し嫌悪に近い感情を覚え、人間に対する大きな関心は無関心に変わっていった。

 長く関心も好奇心も失っていたフィーネだったが、リンデンと出逢ったことにより忘れていたその思いが甦ってきていた。そして、彼一人だけでなく、他の人間に対する関心も甦り興味を抱くようになっていた。ゆえに、そこがリンデンの実家だということもあるが、それ以外にも人間の家庭を観察することができるという違った好奇心も同時にあった。リンデン自身や周辺の雰囲気などから、彼の家族も穏やかで笑顔を絶やさない人たちなのだろうと、フィーネは想像しながら家の中へと入っていった。


 しかし、フィーネを迎えたのは人の気配が全くない寂しい静寂だった。


 小さな造りの住宅ということもあり、ドアの向こうもそれほど広い空間ではない。外との空間を隔てるドアの向こうは、すぐに小さな台所と食卓が見え、あとは簡素な棚と別の部屋に通じるドアが二つあるだけ。様子を窺ってみるが、そのドアから人が顔を覗かせる様子はない。一応、二階建てで階段もあるが、そちらも同様に人がおりてくる気配も、上階を歩く足音などもない。


 想像と違った雰囲気に、フィーネは戸惑い入り口に立ち尽くしてしまう。だが、当のリンデンはこの静寂が当たり前のことのように、家人の不在理由など告げることなく部屋に上がっていく。それどころか、この状況が嬉しくて堪らないといった感じで、部屋の奥にあるテーブルまで足取り軽く向かい、椅子を引いてフィーネを呼ぶ。ボンヤリとしていたフィーネはハッと我に返り、少し上擦った声で返事をし、戸惑いを表情に出さないように彼のもとに向かった。


「食事、すぐ用意しますからね」


 フィーネが座ったことを確認すると、リンデンは壁にかかっていたエプロンを取り揚々と台所に入っていく。かまどに置かれた寸胴鍋の蓋を取ると、部屋中に温かく優しい匂いが広がってきた。


「今日はシチューを作ってみたんです」


 フィーネに話しかけながら寸胴鍋の中身を軽く掻き回し、少量だけ小皿にとり味の最終調整をしていく。どうやら納得する出来になったのだろう。味見を終え満足そうに頷いたリンデンは、くるりと軽い身のこなしでかまどから離れ、皿などを用意し始めた。

 準備を手伝おうと声をかけるが、お客様だからと即答で拒否されてしまい、申し訳なく感じながら椅子に座り直すフィーネ。しかし、彼女の手伝いは必要なかった。リンデンは慣れた様子で、手際よくテーブルに料理が並べられていくのだった。



 フィーネの前には、白く優しい色をしたチキンのシチューと副菜である緑鮮やかなサラダ。そして、芳ばしい香りを漂わす焼きたてのパンが並んでいる。


「すごく美味しそうですね」


 鼻腔をくすぐる香りに、コクンと喉が鳴る。


「ありがとうございます。でも、手料理をご馳走しますって意気込んでおきながら、結局自分で作ったのはシチューだけなんですけどね」


 エプロンを外したリンデンは照れくさそうに言い、向かいの席に腰をおろした。


「せっかくだから、パン作りにも挑戦してみようかと思ったんですけど、さすがに料理初心者の俺には無理でした。だから、パンは買った物なんですけど、これ美味しいんですよ。近所のパン屋なんですけど、子どもの頃から大好きなパンなんです」


 席につくなり、色々と話しかけてくるリンデン。いつもと違う状況による緊張や、料理の出来に対する不安などがあるのだろう。普段にも増して饒舌に話しかけてくる。その勢いに一瞬驚いたものの、フィーネも似たような心境だったり、彼のことを知りたい好奇心もあり、リンデンの話を興味深く耳を傾けていた。

 図らずも二人の思考が合ってしまったせいで、温かな料理はなかなか手がつけられない状況になってしまった。


「――……あっ。ごめんなさい。俺、喋ってばかりで……。料理が冷めちゃいますね」


 自分の一方的なお喋りで、食事が始まっていないことにリンデンがようやく気づく。自分の失態にあわあわとしながら、しどろもどろに食事を勧めるのだった。


「お食事しながら、たくさんお話をしましょうね」


 リンデンの慌てた様子に笑顔を見せ言い、二人はやっと食事を始めた。


「あ……、美味しい」


 木のスプーンに掬ったシチューを一口食べた瞬間、ふっと素直な感想が口を衝いて出た。


「本当ですか? ありがとうございます」


 ほんの一言のありふれた感想に、リンデンは表情を輝かせる。フィーネはシチューの味に惹かれるように、続けざまに二口、三口と食べ進める。それを眺めながら、リンデンも嬉しそうにシチューを口に運んでいく。


「本当に美味しいです。優しくて、なんだか懐かしい感じのする味です」


 鶏と野菜の味が溶け込んだシチューは、口に入れた途端に優しく柔らかに広がっていく。その味と香りは普段食べているシチューとさして変わらないのだが、なぜか何とも言えない懐かしい気持ちにさせるのだった。


「懐かしい、ですか? なんか、嬉しいです。実はこのシチュー、母のレシピで作ったんですよ」


「お母様のレシピですか」


「はい。母が残してくれたノートを頼りに作ってみたんです。俺、子どもの頃、このシチューが大好きだったんです。だから、好きな人に食べてもらうんだったら、絶対にこれだなって考えていたんです」


 自分の母の味を誉めてもらえたことが、よほど嬉しかったのだろう。リンデンは照れくさそうにしながらも、滲み出る嬉しさを全く隠そうともしない。どこか子どものような無邪気さを見せる姿を微笑ましく眺めながら、フィーネは彼の発した言葉の一部が気にかかっていた。それはこの家の雰囲気を現す言葉のようで、触れてはいけないもののようにも感じられた。しかし、リンデンに関する様々なことが近いこの場所で、彼のことをもっと知りたいという欲求は抑えきれなくなってしまう。



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