第37話 悲しくて幸せで、素晴らしい。ってな~んだ?
時は少し遡る。王宮主催パーティが終わったその後。
とある貴族の邸宅
「本日はこちらをご用意致しました」
「ええ、拝見させていただくわ」
テーブルの上にはいつもの様に煌びやかな宝石が彩る装飾物が並べられていた。いつもであればそれらの中から気に入った物を選び出す行為は大変楽しい事だったはずである。
貴族の婦人は最近それらを見ても心躍るものが無くなっていることに気付く。
「ふぅ、ラスティさん、今日は気分が乗らないわ。下げてくださる?」
「左様でございますか」
テーブルの上を片付けながら商人であるラスティは独り言ちた。
この方もか。最近貴族のご婦人方は何を持ってきても興味が薄い。何かに心奪われているかのようだ。このままでは貴族御用人として立ち行かなくなる。何なのだ?貴族達の心はどこに関心を向けているのだ?
「あの、つかぬ事を伺いますが、奥様は何か他に関心事でもございますのですか?」
「え?ええ、まぁ」
「失礼でなければそれをお聞かせ願いませんでしょうか?」
「申し訳ないけど貴方に言っても何もできないと思いますわ」
「何もできないかどうかはお聞かせ願いませんと解らないかと存じます」
商人は下手に上目遣いで何とかその理由を聞きたいと願った。
「そう……ですわね。ラスティさんそれでは『演劇』という言葉をご存じかしら?」
「エンゲキ、ですか?――申し訳ございません。存じ上げません」
「でしょうね。私も初めて王宮で観させていただきましたのよ。物語が動いているのよ」
「は?」
ラスティはこのご婦人が何を言っているのかまるで解らなかった。
代々商人として商いを続けてきた家の現在の当主であるラスティの商会は王都でも一、二を争う大店と自負している。王都の事であれば細かい事でも何でも把握しておかねばならない立場であるのに、貴族達の関心事を聞いても何の事か解らないという事実に愕然とした。
私は商人としてもうだめなんだろうか……。いや、しかしこの前の商会の会合でも『エンゲキ』という言葉すら出ていなかったではないか。そもそも『エンゲキ』とは一体なんなのだ?物語が動くとはなんだ?書物の中身が動くというのか?王宮で何があったというのだ? ――わからん。
「奥様、具体的にはどのような物なのでしょうか?」
「そうですわね、私が観たのは悲しい物語でしたわ。今思い出しても涙が滲み出てきますのよ」
訳の分からない説明をされ益々解らなくなったラスティはこれ以上の質問も出来ずにすごすごと貴族邸を後にした。
こうなったら何が何でもその『エンゲキ』を解明しなければっ。
ラスティはその後、貴族邸を訪ねる度に質問を繰り返した。
あるご婦人は「ええ、大変幸せな最後でしたわ」
あるご令嬢は「令嬢が夫婦になったり、ロミリオになったりしたのですわ」
あるご高齢のご婦人は「歌が素晴らしかったのです」
はぁ……。聞けば聞くほど解らなくなる。曰く、物語が動き、悲しい物語で、幸せな最後で、令嬢が夫婦になり?ロミリオ?になり、歌が素晴らしい?
――『エンゲキ』とは一体何なのだあああああ!!
ラスティの頭の中は『エンゲキ』のことでいっぱいになり仕事も手につかない状況に陥った。
もうこれは宰相様をお訪ねするしかない。
そう心に決め、宰相に謁見を求め本日やっと王宮へ来ることがかなった。
宰相様の執務室の前に案内されたがすぐには入れず待たされた。
「呼ばれるまでその椅子で待つように」
時間を決められてたはずだが、先の者の時間が押しているようだ。
暫くして漸くドアが開き、中から少しだけ見知った商人が出てきた。
商人との挨拶もそこそこに宰相様の部屋へ入る。
「本日はお忙しい中お時間を頂きありがとうございます。宰相様」
「久ぶりだな、ラスティ。今日はどのような用件で来た?」
「はい、実は『エンゲキ』なるものの事を伺いに参りました」
「ふむ、お前もか」
「え?他にも同様の用件の商人が居りましたので?」
「今、私に謁見を求める者達は大体そのことを訊ねてくる」
「そ、そうなのですか」
「簡単に説明する。演劇とは、物語を人が見振り手振りを交え物語の人物に成り代わり言葉を発することだ」
「はぁ……」
これで何度目の説明か。今まで存在しなかった事を言葉だけで説明しても理解が及ばないことはすでに解っている。解ってはいるが、ではどうすればいいのだ。すぐに見せるという訳にもいかぬ。こっちが溜息を吐きたい位だ。
「ではラスティ、物語を読んだことはあるか?」
「はい、商人の端くれ、読み書きはできますので何度かは。史実書や各国要覧というお題目でした」
「ふむ、それだと人物が言葉を紡ぐという表現は無いだろう?」
宰相は頭を抱える、頭の中で。商人にそんな姿は見せられないので。
そもそも物語自体そんなに無いのだ。紙が高いので娯楽の本がそもそも少ない。理解が及ばないのも無理もない。
「では、物語を読めば『エンゲキ』なるものが何だか解るということでしょうか?」
「いや、観てみないことには解らんだろうな」
ラスティはガックリ項垂れた。結局解らないままか。
「では、どなたが『エンゲキ』なる物を考えつかれたので?」
「あるご令嬢とだけ言っておこう」
「今後その『エンゲキ』を観る事はかなうのでしょうか?」
「いや、今の所その予定はない」
「貴族様宅へ伺うとその『エンゲキ』をもう一度見たいと、誰もが口を揃えおっしゃいますので、商人としてはその願いに報いたいと思うのですが……」
「ラスティ、そもそも演劇は売る物ではない。商人が絡むのも難しいと思うぞ?何せ演劇を行ったのが貴族令嬢達だ」
「はぁ、しかし……。では宰相様、その『エンゲキ』を考え付かれたご令嬢様にお目にかかることはできますでしょうか?」
ふむ。どうしたものか。貴族達からも事あるごとにもう一度観たいと懇願される。しかしあれは王宮主導でやった物ではなく、ラヴィアン殿の采配だ。しかも貴族だけならまだしも、一般市民である商人に貴族が演じる演劇を観せるというのも、貴族としての威厳を考えれば無理がある。
「王都では無理だな」
「?王都以外でしたら可能なので?」
「いや、現在はローズに所属しているので会う事は出来ないという意味だ。会う会わないは本人次第だと思うが、現時点で私が仲介することはできかねる」
目の前にはガックリ項垂れる商人。
ラヴィアンに命令することは出来るが、宰相はなるべくそれはしたくなかった。もし、心証を損なえばあの様々な知識を隠すだろう。パーティすらも出たがらない令嬢だ、王太子妃にも興味が無いと思われる。パーティでの行動を見ていればその片鱗すら無かった。無理やり王太子妃になってもらうという手もあるが、今の自由な行動があってこその様々な開発だ。王太子妃、のちの王妃となれば、ほとんど自由が無くなる。国としてはどちらが良い選択なのか……。
いや、国のことに思いを馳せたが、今は演劇のことだった。
「宰相様、何とかならないものでしょうか?」
「今は何ともならんな。しかし、本人に確認する位のことはしてみよう。貴族達からも願いが出ていることでもあるしな。しかし、期待はするな」
「はいっ、よろしくお願い申し上げます!」
数々の商人から同じような嘆願を毎日聞いている。貴族達からもだ。どうしたものか……。
宰相の悩みは尽きない。
王執務室
「失礼します。陛下」
宰相が王執務室を訪ねるとそこには王妃もいた。
「これは王妃様、失礼致しました。私の用件はまた後程報告に参ります」
「いや、エドヴァルト構わない、申せ」
「はい、失礼します。早速ですが、このところ商人の嘆願が多く、その内容のほとんどが演劇に関することなのです。加えて、御貴族様方からの要望も多数受けており、ご相談に参りました」
「まぁ!エド、私も同じことの相談なのよ。最近のお茶会で話す事と言ったら演劇の事ばかり。もう一度観たいと頼まれてしまって。その相談に来たのだわ」
「ふむ、しかしなぁ……。今まで例の無い事でどのようにすればいいのかすぐには思い付かんな」
「では陛下、ラヴィアン殿と話してみるというのは如何でしょう?」
「最終的にはそうなるか。あの令嬢なら策を思い付くかもしれんな。宰相、私のこれからの予定は?」
「本日は重要な要件もございませんので」
「では、急だがラヴィアン嬢を呼んでくれるか?」
「かしこまりました」
さて、ラヴィアンはこの件にどう答えを出すのか。