第11話 危険な か ほ り
次の日パン係は朝早くから手順通りにパンを焼いていた。
小麦はいつもと同じ量だったのに膨れたおかげでいつもよりも倍近く焼く羽目になったが、いい香りとまた食べられる喜びで笑顔で焼き切った。
そこかしこにパンの香りが充満し、本日のローズガーデンの朝はいい香りに包まれいていた。
それぞれの部屋ではこの香りの正体を侍女に聞く令嬢達がいた。
それと同時に軽い眩暈も誘発していた。
管理室のルナディも例外ではなく、すぅ~っと息を吸い込んでいるところへドアが叩かれた。
「おはようございます。ルナディ管理官。王宮より先触れが来ました。宰相様がいらっしゃるとのことです」
「そうですか、いつ頃いらっしゃると?」
「朝早々にと」
「わかりました」
暫く待つとドアがノックされ宰相が管理官室へ訪れた。
「お久しぶりですルナディ管理官」
「おはようございます。エドヴァルト宰相様」
椅子へ腰かけるやいなや
「ところで先程からこの香りが気になるのですが」
「ええ、私も気になっております」
補佐のユリアがお茶を出しつつ
「宰相様、朝食はこちらでお召し上がりになります?」
「うーむ、この香りは朝食の何かでしょうか?」
「「わかりません」」
二人同時の返事に少々気おされ、香りの正体も知りたかった宰相は
「ではお言葉に甘えて」
「かしこまりました。ルナディ様もこちらでご一緒に召し上がられます?」
「そうですね、用意をお願いします、ユリアさん」
ユリアが配膳口へ顔を出すとパンの香りが充満していた。
「すぅ~、サンディさん、おはようございます。すぅ~、本日の朝食なんですが、宰相様がいらしてましてルナディ管理官とご一緒に召し上がるそうです。すぅ~」
ユリアも話しながら我慢しきれず何度も香りを楽しんでいた。しかし吸い過ぎてめまいを起こしたようで、足元がグラついた。
「…………」
「だ、大丈夫ですか? ――かしこまりました。ではご用意いたしますね」
今朝はパンを美味しく食べたかったのでこの前の野菜の無水煮込みを作っていた。
少しだけ昨日のバターとジャムも残っているのでこれも添えてみますか。
ラヴィアンに許可を貰う時間もなく良かれと思い二人分だけバターとジャムを添えた。
管理官室に運ばれた朝食に、二人は見たことがない食材があるのを見つける。
「ユリアさん、この白っぽい色の物と赤い物は?」
「はい、なんでもそのパンに好きなように付けてお召し上がりくださいとのことです。その白っぽい物はバターで赤いのが果物で作られたジャムという物だそうです」
「わかりました」
ユリアが引き払った後、管理官室の奥の部屋の小さなテーブルに向かいあう二人。
「どうやら香りの正体はこのパンのようですね」
「そうみたいですわね」
それぞれが早速パンを手に取る。
宰相が我慢ならんとばかりにパンを頬張ると、
「こっこれは……」
びっくりした顔で咀嚼をはじめ、次にバターとジャムを付けて2度びっくりし、更に野菜の煮込みらしきものを口に含んだ瞬間から上品に食べていられずどんどん口に運ぶ。
ルナディはパンの柔らかさにちょっと固まりバターを付けて更に固まり、ジャムを付けた段階で目を瞑り顔を上に向けゆっくりゆっくりその味と香りを楽しんだ。
いつもなら報告がてらゆっくり食事を流し込んでいた二人だったのだが、何も語らずただ食事を進めた為すぐに食べ終えてしまった。
早々に食べ終えた宰相がルナディを伺い、
「管理官、ローズはいつからこんなに食事が美味しくなったんです?」
「この野菜の煮込みは以前にも一度出ましたが、このパンは今日が初めてですわ」
「うーむ、王宮より美味しいですね」
「左様ですか」
「――もう少し頂きたいのですが」
「奇遇ですね、わたくしもですわ」
パン二つでは足らなかったようだ。
一方ダイニングフロアでは
「またですか? というか料理長このままだとお昼の分も無くなります……」
「そ、そうよね、私達の分まで無くなりそうね」
朝食の配膳が終わってから引っ切り無しの各部屋の侍女来襲にてんてこ舞いの給仕スタッフ達
「すみません、パンのお替りをお願いします」 「こちらにも! 量を大目に!」
「ちょっと私の方が先に来たのよ! パンを早く!」 「ちょっと押さないでっ」
サンディはこの騒ぎにどうしたものかと……。つまり明日からのパンのことである。ラヴィアンに作って貰ったパン種は今日の分しかない。明日からまた元の固いパンに戻ると思ったら……。 そもそも今日の昼すらも、――ラヴィアン様に酵母の残りがあるか聞こうか、いやしかし材料にはあのバターが含まれている、モウの乳も入れていた、明日の用意は絶対に無理だ。今日の注文には絶対にモウの乳を追加しよう。でも明日からどうしようか……。
ルナディも例にもれず喧騒のフロアへ訪れた。 ブルータスお前もか
(す、凄いわね。もう残ってないかしら?聞いてみるだけ聞いてみましょう)
「サンディさん、サンディさん」
「はい、ルナディ様、おはようございます」
「え~とですね、宰相様がお替りを所望しているんですが……」
「え…と、ご覧の通りでございましてほとんど残っておりませんです」
(私達の分以外はですけど)
「そ、そうなの……、残念だわ…、パン一つも無いのかしら?」
「といいますと?」
「えぇ、宰相様が是非陛下にもとおっしゃられてて」
「!!! へっ陛下にですか!? いっいや~、それは、う~ん、えーと」
「どうしました?」
「ルナディ様、ちょっとこちらへ」
部屋の隅に呼びながらサンディが難しい顔をしている。
「ルナディ様もお召し上がりになったあのパンにバターなんですが、――実はモウの乳を使ったものなのです。王宮ではモウの乳などお召し上がりになりますか?」
ルナディはびっくりして
「モ、モウの乳! そっそのような物王宮に出されるわけありませんわっ」
「そうですよね……。ですのでこれはお出しできかねます。 あ!宰相様には内密にお願いいたしますっ」
「ですが……、モウの乳…、だ、大丈夫なのかしら?もう食べてしまったわよ?」
「それは大丈夫かと思われます。昨日先に食べた者達も体調はくずしませんでしたので。それに、殺菌?という手順を踏めば大丈夫だと言ってましたので」
「そ、そうなの? 誰に言われたの? ――そもそもなぜこのように急に美味しいパンを作れるようになったのかしら? あのバター?やジャムとやらにしても。いつも王宮で食事をなさっている宰相様でさえ目を白黒させながら召し上がるほどの美味なるものを」
サンディは内心焦った。
(しまったー、どうしよう、ラヴィアン様の名は内密にと言われてるし……、さて困った)
「と、とりあえずそのことを宰相様にご説明願います。
あっ、でもモウの乳という説明が無いと納得されませんよね?
どうかっルナディ様!上手くご説明お願いしますっ。
陛下に食されその後不敬罪を問われましても困りますので……」
「わかりました、説明してみます。――では私達が食すぶんには本人納得の上ですから、問題ないということですわね? サンディさん、パンだけでも残って無いのかしら」
なんとか話を逸らすことに成功したが、追加のパンは諦めてくれないようだ。
「え、えぇ、お二人分だけでしたらございます……(涙目)」
(私の分は諦めよう、うぅ)
そして、二人分のパンをサンディから受け取り足早に管理官室へ戻っていった。
サンディの恨みがましい視線がルナディの後姿に突き刺さっていたのは言うまでもない。
ラヴィアンは作った本人ということもあり、パンも多めバターとジャムもしっかり確保され、美味しく朝食を楽しんでいた。
(うっまー! 転生後初のパンらしいパンだよ~~~ ちょっと涙目)
管理官室へ戻ったルナディは宰相にパンを渡し、しかし食べる前に説明に入る。
「あの、宰相様、これは陛下にはお出しできかねますわ」
「その理由は?」
「宰相様、大変言いにくいのですが……、黙っていようかとも思ったのですが」
「まわりくどいですね」
「失礼いたしました。そのですね、このパンもこのバターとやらも、……モウの乳が使われているとのことでして」
「モ、モウの乳?――つまり、獣の乳が使われている、と?」
「はぃ……。」
しばし沈黙の二人
「うーむ、しかし、うーむ、この香り、うーむ、この柔らかさ……。なるほど、それならむやみに陛下へはお出しできませんね。私達も体調をくずすかもしれないと…」
「いぇ、それは何やら手順を踏めば体にはなんの影響も出ないということですわ」
「そ、そうか」
と話しながらも我慢しきれず手に持ったパンにバターを塗り口に運んでしまう二人
「しかし……美味いな……。 陛下が硬いパンを食しているのに申し訳ない気持ちになる」
「ですが……、材料がモウの乳などと明かされた時には」
「ふむ。どうだろう? 本日我々は実験台ということにして、何も問題が起こらなかったら陛下に進言してみようと思う。何、このように美味なのだ、陛下も新しい事については聡明であるし」
「はぁ、宰相様がそのようにおっしゃられるのであれば」
「時にこれを作った者はここの厨房にいるのですね?」
「ええ、それですがどうも誰かに手ほどきを受けたようですわ」
「誰なんです?」
「それはまだ聞いておりません」
「まぁ、それは陛下からの許可が下りてからでいいでしょう」
「それで…、宰相様、本日お運びのご用件は?」
「あぁ、すっかり失念していました。ははは。 ごほん 来月末に恒例の国王主催のパーティーが開かれるのは知っていると思いますが、そのパーティーに今回はローズガーデンのご令嬢方も招待されるとのこと。 招待状を持ってきましたので令嬢方にそのようにご説明ねがいます」
「あぁ、いよいよ皇太子様のご婚約の準備でございますね?」
「まぁ、そのような事も含まれていようかと思われるが、陛下があることにご興味を持たれましてね」
「えーと 陛下のご側室……でございますか?」
「いや! それは断じて無い。王妃さまが許さないでしょう」
「では、どのような事でしょうか?」
「ちょっとした事ですので気にしないでもらいたい。それに色々な事をペラペラと話してしまうというのは宰相としていかがなものかと」
「はっ、左様でございますね。不躾にお尋ねしてしまい申し訳ありませんでした」
「ということで、こちらを宜しくお願いします」
といいながらこの世界では贅沢である紙の束を預けた
パンの香りと同時に王宮のいらん香りも漂ってきた
さてラヴィアンさん さすがにもう欠席は難しいのか