第九話 マーリル、グラタンに落胆しました
いくつかヴィアーナと約束を交わしやってきたイオシュア商会。ここの雑用として入り仕事をしつつ、色々な街を回るという行商についていくことになった。
期間は一ヶ月で王都をまわりここスクラムに帰ってくる予定だ。一応王都で国王と会った上で話は変わってくる可能性もなくはないが、謁見した後一度帰ってくる手はずになっている。
住むところは変わらずヴィアーナたちのログハウスで世話になる予定だ。
真亜莉は特別にマヌアーサに許可印――背中の右肩甲骨辺りに刺青のような花の印――を貰い、領主館から魔の森に入れば幻術に掛かること無く湖の畔にあるログハウスに着くことが出来る。
本来は幻術が掛かっていて湖に行くのも、罷り間違って湖に辿り着いたとして――出るのにも許可がいるらしい。大盤振る舞いである。徒歩一時間は変えられないものの、そのくらいは鍛練と考えれば軽いジョギング距離である。
閑話休題。
雑用と言ってもやることは多岐に渡るが、一番は旅の準備である。商人たちは金になる商品が第一なので、旅の準備は最低限に済ませる者が多い。自分達の旅の荷物が入るなら金になる商品を積む。これは商人に共通していることだ。総じてドケチである。(偏見)
しかし命が無ければ金を数えられな……稼げない。その為必要最低限というのは見極めがとても重要らしい。それが雑用の最初の仕事だった。
(マジックボックス使えたら楽なのに)
様々な制限を掛けられた真亜莉、もといマーリルは内心唇を尖らせた。マジックボックスも禁止されたからである。
マジックボックスとは魔力量に依存する不可視の収納魔法である。容量は千差万別であり、完全に個人の魔力量に依存するため『魔法』というくくりになったそうだ。この辺が魔法と魔術の境界線を曖昧にしているのだが、やはりマジックボックスも魔法に分類されるだけあり、使える者は少なくはないものの決して多いとは言えないようだ。
そのため大容量のマジックボックス持ちは大変重宝されて、引っ張りだこである、良く言えば。
つまり便利屋扱いの歩く収納扱いで、余りいい扱いを受けるものは少ない。そのため隠している者が大半だと言われた。
ヴィアーナ曰く、特にマーリルのマジックボックスはまずいらしいので、隠すことになったのだ。
とりあえずは初日ということもあり、一ヶ所に集められた持っていく荷物をマーリルは隙間なく馬車に積んでいった。一番苦労したのは水樽である。人間食べ物だけでは三日と持たない。水さえあれば十日は生きられると言う。
(あ)
何かを思い出しマーリルは持ち上げていた水樽を一度戻した。
「スタンガートさん」
「なんだ、もう終わったのか?」
「いえ、違います。一つ言ってなかったことがありまして、」
「何だよはやく言えよ。こっちは忙しいんだぞ」
商人は『時は金なり』を地で行く。ドケチなのである。
「水の魔術が使えまして、水樽5樽持っていく予定ですがそのままでいいですか?」
「お、まじか!それはいいこと聞いた。因みに申告するってことはそれなりに使えるってことだな?」
「はい。5樽分はいけます」
余裕で、とは心の中で付け加えた。
「それは大したもんだ!んじゃあ樽は一つにしてくれ。野郎共!坊主が水魔術使えるってよ!断念したあれ持ってこい!隣の領主に売り付けてやる!」
はじめはマーリルに、後の言葉は他の商人に怒鳴り声を上げた。まるで賊のようである。
(確認しなくていいのかな?)
マーリルが声に出すことはなかった。
そうして初日は始まり特に可もなく不可もなく淡々と流れ作業の如く仕事をしていたのだが、昼食時に事件は発生した。
「坊主飯だぞ」
朝早くから仕事――子供の手伝いレベルだが――をしていて腹はペコペコである。あったのだが、
「い、いただきます……」
マーリルの目の前にあるのは失敗したグラタンらしきものだ。いやいや見た目ではない。この世界でベシャメルソースは一般的だ。ベシャメルソースが成功していればグラタンは完成していると言っても過言ではない。一口パクリ。
「…………」
いやまずくはない。ただ、旨くも無いだけであって。
やはり調味料が貴重なだけあり塩も胡椒も少なめだ。素材の味をいかして、と言えば聞こえはいいが塩で調整されてないからミルクの味が強過ぎて他の素材の味がしない。しかも中に入っている具は下味の付けられていない一角兎の肉(想定)と、たぶん使い方のわからなかったのだろうファルファッレ(蝶型の一口パスタ)が芯の残る状態で入っている。何故マカロニではないのだろう。しかもベシャメルソースを入れた状態で火を入れたオニィはシャキシャキ感満載である。
「お、意外にいけるな」
なんて商会の次期会頭(仮)は宣った。キレてもいいだろうか。食材に対して冒涜である。
「スタンガートさん、これこの固いの何すか?」
「おお、ジャフルーン公国で最近出始めたぱすたってやつだよ。なんでも渡り人が考案したらしくてな。このぐらたんってやつのレシピと一緒に買ったんだよ」
「なるほど。近年出始めたべしゃめるそうすを使った料理なんすね」
キレてもいいだろうか。(二回目)
絶対中途半端なレシピを安く(強調)買ってきたに違いない。
(使い方がまちがっているんだよぉぉおお!)
渡り人だと言ってはいけないのでここは我慢するしかない。それにご飯を残す事もご法度だ。我慢。
そうして地獄(当社比)の昼食は幕を閉じたのである。
▽
どうにも我慢がきかなかったマーリルはその後ぱすたなるものをスタンガートに聞いて、余っているのなら売って欲しいと伝えた。勿論ここで調理することは出来ない。明日は早朝出発と言うこともあり早く帰り明日は早く来る事になっているため、ログハウスに帰ってから作らせてもらうつもりだ。
「なんだ坊主、そんな旨かったのか?んじゃあやるよ」
「ありがとうございます。お先に失礼します」
口元を引き攣らせないように気を付けながら笑顔を心掛けて挨拶をした。スタンガートはマーリルのその様子に不思議そうにしていた。気付かれなくてよかったのかどうかは甚だ疑問である。いっそ気が付いてくれ。
既にいくつか真亜莉の持ち込んだものを現金に換えて貰っているので、マーリルはそれなりの財産を保有している。それをポケットの中で手の中に硬貨を出現させてから、「お使いです」という顔をしながらそれなりの量の食材をゲットした。勿論買うたびに人の少ない場所に移動してはせっせとマジックボックスに収納している。
「た、ただいま」
「あら、おかえり!はやかったわね」
ただいまなど久しぶりに口にしたマーリルは気恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。それに笑顔で答えてくれるヴィアーナがいたから直の事。それを誤魔化す様に今日合った憤りについてヴィアーナに愚痴ったのだが、それは帰宅した小学生が今日学校であった出来事を嬉々として母親に語る姿に酷似している事には、幸いにマーリルは気が付かなかった。
ヴィアーナからゴーサインが出たのでマーリルは欝憤を晴らすべく料理を始めた。
ファルファッレは本来ソースに絡めてパスタとして食べることが多いので、どうせならグラタンではなくラザニアを作ることにした。トマトもどきを発見したのも大きい。
一角兎の肉を包丁で叩きひき肉にしておく。身体強化で腕が付かれないのはとても助かった。
ひき肉を鍋で炒めてみじん切りにしたオニィを加える。オニィが透き通ってきたらざく切りにしたトマトもどき――トマルを入れて混ぜる。
すりおろしたリンゴ(これは名前が一緒の同じものだった。どうやら過去に渡り人が作ったらしい)と、コンソメ、ワイン、塩、胡椒を入れて煮詰める。
ミルク、ファルファッレを入れて沸騰するまで更に煮詰める。蓋をして具材に火が通るまで余熱調理したら、チーズをいれて完成である。
「んー美味しい!ラザニアだったかしら?」
「はい。正しくはラザニア風ですけどね」
「むむ!これは旨いな。我はシチューの次にこれが好きだぞ」
手放しで誉められたマーリルは恥ずかしくも嬉しい気持ちでいっぱいだった。
(自分の作ったご飯を食べて貰うの、久し振りだな)
父親が亡くなってから、双子の弟妹たちは施設に入れられてしまった。そのためご飯はいつも一人きり。自分のために手の込んだご飯を作る気になれず、ここ4年ほどは適当に済ませることが多かった。
誰かの為に作る料理は楽しく、またみんなで囲う食卓は何とも優しい雰囲気に包まれていた。
「自分が渡り人だというのは言ったら駄目だけど、地元に渡り人がいて教えて貰ったっていってこのファルファッレの使い方教えて上げたら?勿論無償じゃ駄目よ」
「ああ、成る程」
「明日の朝食に持っていって売り付けてやればいいのだ」
「ふふふ。確かに。安く買っても使い方が間違っていれば損したことに変わり有りませんからね。スタンガートさん悔しがりそうです」
そんなスタンガートの顔を思い浮かべてマーリルは漸く溜飲を下げた。
楽しくて、嬉しい。マーリルはそんな気持ちを隠す事無く表情に表れていた。
――――出来るならもう一度二人とご飯が食べたいな。
マーリルの小さな願いは声になることはなく、心の中に静かに溶け込んでいった。