第六話 真亜莉、領主様と会いました
部屋を用意してくれたヴィアーナとマヌアーサに、真亜莉は感謝をして眠りについた。危機管理がなっていないとお叱りを受けたので、部屋に鍵が掛かっていることをきちんと確認して胸元のネックレスも確認してから、目を瞑った。
悠莉は今何をしているのだろうか。
十莉は悪態をついていないだろうか。
二人は、幸せだろうか―――――――――
あんなに小さかった二人は、今や真亜莉と歳も人生経験もさほど変わりはない。寧ろ幼い頃に異世界トリップなんぞして、こんな危険な世界にたった二人で放り出されたのだ。二人のほうが真亜莉よりも余程しっかりしているだろう。そんな元気な姿が簡単に想像できてしまいくすり、と小さく笑ってしまった。
思ったよりも疲弊していたのか、真亜莉は暫くして意識を手放した。
「おはようございます」
「おはよう」
翌朝、体力が回復していることを確認してパチリと目が覚めた。カーテンの向こうはまだ日が登りきっておらず、早朝だと教えてくれた。人の話し声が聞こえるので二人はもう起きているのだろう。簡単に身支度を済ませて真亜莉は部屋を出た。
昨日シチューを頂いたリビングにはヴィアーナがおり、早速挨拶を交わすと一度驚いた顔をしてから笑顔で挨拶を返してくれた。
「はやいのね。疲れは残っていない?」
どうやら心配させていたようだ。
「はい。体力には自信がありますので」
「それは良かった。はいどうぞ」
「ありがとうございます?」
渡されたものを反射的に受け取ってしまった真亜莉は、既に自らの手の中に納められているものを見て首を傾げた。
「近くにね温泉が沸いてるの。お風呂、入りたいでしょう?」
「っ!はい!」
やはり日本人には風呂である。
「家から裏手に回って少しいくと湯気が見えるから直ぐにわかるわ。先に入っておいで」
「ありがとうございます!いってきます」
ヴィアーナの言葉に感謝しながら真亜莉は足早に部屋を出ていった。
「ありがとうございました。とても気持ち良かったです」
「それは良かったわ」
真亜莉は軽く体を洗ってから調度良さそうな温度の温泉に身を沈ませた。
ヴィアーナから渡されたのは手拭いと手作りらしい石鹸と、服だ。タオルではなく手拭い。ペラペラだった。
石鹸はハーブが入っているのか良い匂いがして、顔も頭も全て洗った。
すっきりして家に戻ると良い匂いがしているので、朝食の準備をしているらしい。そしてこの匂いは。
「お米あるんですね」
「ええ。品種改良は進んでないから日本米ほど甘みはないけど、渡り人はやっぱり好むわね」
「ではお礼にどうぞ」
「うん?」
和食にテンションが上がり、真亜莉は一つの壺をヴィアーナに手渡した。
「味噌です」
真亜莉は既にマジックボックスを使い慣れていた。明確に出したいものを思い浮かべると、きちんと手の中に出現するのだ。今回出したのは掌サイズの壺だ。赤白ブレンドの味噌が入っている。米には味噌汁だろう。それとオマケに、
「種麹です」
此方の世界の状態がわからないので一応種麹を持ち込んだ。保存方法がきちんとしていれば半永久的に死滅する事無く、また増やしていくことも出来る。日本人が大好きな味噌・醤油・日本酒・みりんなどが出来る。生憎と日本酒やみりんは素人が手出し出来るものではなかったが、味噌や醤油ならばある程度は可能だろうと思われた。
作り方は細かくノートに書き記してきている。
「はぁ。ありがとね」
良かれと思って渡したのだが、ヴィアーナには盛大な溜息を吐かれてしまった。「ここでしかそんな迂闊なことはしません」と心の中で謝罪してから、真亜莉は笑顔で誤魔化した。
「いただきます」
「召し上がれ」
朝食はシンプルに米と魚の塩焼きとベルジの漬け物だった。プラスしてルテトの味噌汁を作ってくれた。とても美味である。
「食べながらでいいから聞いてね」
「はい」
そう言えばマヌアーサはどこに言ったのだろう、と不思議に思っていた真亜莉はヴィアーナに話し掛けられてその疑問を彼方に追いやった。
「真亜莉ちゃんが持ち込んだものはどれをとっても一財産になるわ」
「んへ?」
調度良く口に含んでいた味噌汁をごくりと飲み込むと、変な声が出た。
「元々渡り人がもたらす知識はこの世界の人にとって、とても貴重なのよ」
「はい」
「今までは着の身着のまま来た人だけだったから、そんな知識を持っていた人は少なかったのだけど、」
「………………」
「貴女は意図的に情報を集め、知識を蓄えた」
真亜莉はヴィアーナの言いたい事を察して真剣に聞き入る。どうやら本気で知識チートと呼ばれそうだ。
「貴女の持っているものはとても危険よ」
それは自覚してね、と最後は笑顔を見せてくれたヴィアーナだった。双子に会う前に危険に身を晒したいわけではない。真亜莉は真剣に頷いておいた。
「それでね、」
「アーナ帰ったぞ!」
真亜莉が朝食を食べ終わった頃合いを見計らってヴィアーナは再び口を開いたのだが、それを遮ってどがん、と大きな音を立てて扉が開いた。先程から見掛けなかったマヌアーサだ。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
「失礼します」
対して驚きもしないヴィアーナを見て、マヌアーサのこの行動は日常茶飯事なのだと知る。真亜莉は未だ口を開けてぽかんと間抜け面だ。マヌアーサの後ろに男が立っていたことも気が付かなかった。
「ジョイルくんもいらっしゃい。久しぶりね」
「アーナさん。ご無沙汰してます」
にこやかに挨拶を交わす二人は旧知の仲らしい。男は表情を変えないながらも柔らかな雰囲気を感じる。
「ちょうどよかったわ。今貴方のことを言おうと思っていたの。ジョイルくん紹介するわね。真亜莉ちゃん、渡り人よ」
「っ!渡り人……」
「まずは自己紹介してから話をしましょう。真亜莉ちゃん、こっちはジョイルくん。ジョイル=スクランズ。此処等一帯の領地を治めている領主様よ」
「へ……領主……?」
「呼び人か!」
真亜莉の目の前にいる、自分と同じく目を丸くしている30代位に見える男は貴族だったようだ。
ジョイル=スクランズ侯爵。御歳35歳。若くして領地を引き継いだ遣り手の領主らしい。先代は亡くなったのではなく、ジョイルが引き継げる体制が整い次第引退したそうだ。今は奥さんとイチャイチャ田舎で平穏と暮らしているという。
「詳しく話しをしてくれ」
キラキラのブロンドヘアも台無しな威圧感を醸し出しながら、ジョイルは真亜莉を俾睨した。
「ジョイルくん。そんなに真亜莉ちゃんを睨まないの!」
「あ、え、あ。す、すまない」
どうやら睨んでいる自覚はなかったようだ。元々目つきが悪いのかヴィアーナに指摘されて狼狽えていた。真亜莉は全く気にしてなかったのだが。
「はじめから話しましょう」
「はい……すいません」
貴族がそんな簡単に頭を下げてもいいのだろうか。真亜莉のほうが不安になってしまった。
一先ず全員でテーブルを囲み、話をする事にした。
『渡り人』には二種類の人間がいる。
自分の意思に関係なく落ちてきてしまった『落ち人』と、此方の世界の人が呼んでしまった『呼び人』だ。見分け方は簡単だ。
落ち人はこの世界の言葉がわからない。
「それも不思議なのよね」
「そうなると私、呼び人ってことになっちゃいますよね」
真亜莉の謎が深まるばかりである。
真亜莉たちは昨日収拾の付かなかった話を、領主であるジョイルを交えて意見の交換をする事にした。
渡り人はこの世界で『人』として認められている。自分の意思で来たわけではない上に、この世界の文明に大いに貢献してきた過去の渡り人のお陰で、他の人に利用されないように国から保護する対象として見られている。勿論この世界にも数多の国があり、その国によって変わっては来るが概ね同じような考えの国が多い。注意すべき国も存在はするが。
そのため国に報告の義務があり、そこから保護されるか自由に過ごすかは本人の自由とされている。望めば個々の能力により仕事を斡旋して貰うことも出来るという。
しかし真亜莉は完全に例外だった。渡り人であることに変わりはないが、『自らの意志』で界渡りをしてきた例がそもそもないのだ。落ち人でも呼び人でも無い。しかし言葉は通じる上に、魔心官持ちだという。
「…………」
そこまで聞いていたジョイルは絶句していた。
「しかも、マジックボックス持っているし」
「魔法の身体強化も使えるな」
「この世界にない調味料のレシピも持って来ちゃったのよ」
「黄金も持っていたぞ」
「……か、勘弁してくれ…………」
次々とヴィアーナとマヌアーサは暴露していく。それに比例してジョイルの顔色はどんどんと悪くなっていった。
真亜莉の持ち込んだものは自分が思っているよりもずっとヤバいものだったらしい。真亜莉は申し訳ない気持ちになったが、持ち込んでしまったものは仕方ないと本人は諦めていた。ヴィアーナが溜息を吐いていた理由がわかったのだ。
「え、と、すいません」
「いや」
大丈夫だ、なんて間違っても言えなさそうなジョイルは一度頭の中で考えを整理しているようだ。
「一度整理しましょうか」
「はい」
ジョイルは個人としてというよりも、国にどのように報告するべきか悩んでいるのだろう。その点で言えば真亜莉はあまり関心がない。拘束されるような事態にならなければ特に何も言うつもりはないのだ。
「まず、真亜莉ちゃんは1年前に行方不明になった妹の悠莉ちゃんと弟の十莉くんから手紙が届いた」
「はい」
「その二人はこの世界に呼び人として落ちてきてしまった」
「はい……うん?」
「こちらでは10年、あちらでは1年しか経っておらず居ても経ってもいられず此方の世界にやってきてしまった」
「は、はい……」
「魔素がないはずのあちらの世界で魔法を使って界渡りをしてきたことと、魔心官を持つこと、それに真亜莉ちゃんも言葉が話せること、」
「え」
「そもそも二人はどうやって手紙を送ったのかしら……」
「あ」
こうして整理していくと謎が深まるばかりなのだが、それよりも一つ聞き捨てならない言葉があった。
「あの、」
「何かしら?」
「悠莉たちが『呼び人』って?」
「ああ、言ってなかったわね。あの子たち言葉、通じていたのよ」
「え!!」
(ええええぇぇえぇえええええ!!!)
先に行ってほしかったと真亜莉が思うのはいけないことだろうか。
詳しく話を聞くと悠莉と十莉は言葉が始めから通じたらしい。しかも二人は魔心官を持っていない。これは渡り人の呼び人で間違いないということだった。
「でも二人とも心当たりはないと言っていたのよ」
「そう、ですよね」
呼び人とは此方の世界の人に呼ばれた人の事だ。小さな二人を、二人だけを呼ぶ人物に真亜莉も心当たりはない。しかも呼び人は自分たちも行きたいと望んだ時に初めておきる現象だというのだ。
(二人が私を置いてどこかに行きたいなんて……そんなこと、あるわけない)
真亜莉が別の意味で顔色を悪くしている処に、漸くジョイルは頭の中の整理が付いたようだ。
「いくつか質問してもいいだろうか」
「……は、い」
真亜莉の返事が遅れたのは考え込んでいたからだ。しかし今考えても仕方ないと目の前の人物に向き直った。
「君は……マーリは、魔心官を持っているんだったね」
「はい」
「この世界の生まれなのかい?」
「いえ、それはないと思います。ちゃんと生まれた時の写真もあったし、両親もいました」
「しゃしん?」
「はい。精巧な絵、と言えばいいんでしょうか。生まれた時の絵が残っているんです」
そう言って選別してきたアルバムをマジックボックスから取り出した。
「―――――っ」
行き成り目の前に現れた事に驚愕していたが、マジックボックスの存在を思い出したようですんなりとジョイルはアルバムを受け取った。真亜莉もこのままでは話が進まないのでそこには触れずに、自分の生まれた時ページを捲ることにした。
「これが私の母です」
真っ白な白銀の髪の毛と緑宝石の瞳を持つ、美麗な若い美女が同じ色合いの赤子を抱いて笑っていた。日本人ではないので年齢は解りにくいが本当に若かったはずだ。
「真亜莉ちゃんにはあまり似ていないのね」
「そうですね……私は父にもあまり似ていないんですよ」
「……もしかしてなんだけど」
「はい」
「真亜莉ちゃんのお母様がこちらの生まれなんじゃないかしら」
「え……あ!」
「なんか心当たりありそうね?」
「すっかり忘れていたんですけど、母の私物が残っていましてその本があったから来れたようなものなんですよ」
「そう言えばそんなこと言っていたわね」
「どういうことだ!」
他に吃驚する事が多すぎてすっかり魔導書(仮)の存在を忘れていた。
真亜莉は母から聞いたことのある国の名前を出した。
「母はどうやら『ストロバリヤ』という国の生まれらしいです」
「はぁ!?」
「え」
「む」
またもや爆弾を投げつけてしまったらしい。
真亜莉は吃驚箱になったような心境で苦笑した。