第五話 真亜莉、魔法が使えました
真亜莉がこの世界に来る前の一週間何をしていたかと言うと、荷物の整理だった。
持っていくものの選別は思ったよりも難航した。何故なら持っていきたいものが多かったからだ。
マジックボックス有り気で考えていた大荷物だが、本当に使えるかは疑問だった。そのためなるべく知識は頭の中へ、使えそうなものや異世界にはないだろうものを詰め込んだ。
勿論これはラノベからの知識であり、悠莉たちがいる世界が実際にどのような文明の世界かはわからない。しかし日本ほど食文化は進んではいないだろうとは思っていた。
食べ物は偉大だ。一度贅沢を覚えてしまうと元に戻すことは困難だ。食事ということに関しては特に顕著だろう。
『知識は力なり』
真亜莉が掲げている信条だ。いくら膂力や権力があっても、それを使えるだけの知識がなければ結局は何も出来ないのではないか。逆に膂力や権力に知識で対抗する事が出来るのではないか、と真亜莉は考えたのだ。
父親が死んでから双子の弟妹を守る為にいろいろなことを知った。知っていく過程で知らないばかりに騙された事実もあったことを知った。
その為に真亜莉はそんな心情を持って精一杯生きて来たのだ。
準備をするのにも時間がかかってしまったが、それ以上に今まで書きためていたものを探す事のほうが時間がかかってしまった。それは先程ヴィアーナに渡したようなメモが膨大な量あったからだ。なぜそんなものを持っていたかというと、先に述べた通り知識は力なりの心情である。
ネットで検索していくと様々なんレシピが存在した。それを調べてはせっせとメモしていたのだ。ラノベに嵌って以来知識チートを使いたくて調べていたわけではない、はずだ。なんとなくとしかいいようがないが、パソコンを持っていない真亜莉はアナログ的にメモ用紙に書き記していたのだ。
料理関連ならばいつか使うだろうことを考えていただけだが、農業関連や武器についてもメモがあるのは厨二だったと諦めている。
自宅の物置には真亜莉の若かりし頃の黒歴史が埋もれていた。勿論持ってこない物は燃やしてきた。
因みにコンソメを持っていたのは偶然だ。食事事情がわからないため、お湯で溶くだけでも美味しいコンソメ粒子を持ってきただけだ。
そんな事情をかいつまんでヴィアーナとマヌアーサに伝えた。人間事情にそこまで詳しくないのか、マヌアーサは「そうなのか。それよりもシチュー……」とお腹を空かせているが、ヴィアーナは心底頭が痛い、と言わんばかりに米神を揉んでいた。
「うん。事情はわかったわ」
盛大な、それはもう盛大な溜息を吐かれてしまった。解せぬ。
「何はともあれまずはご飯ね」
「はい」
本日はマヌアーサのリクエストであるクリームシチューである。とはいえ、ここは人里離れた森の奥の奥、食材が欲しいと言って徒歩一分のコンビニがあるわけではない。ベシャメルソースは作り置きがヴィアーナのマジックバック――マジックボックスのような魔術が掛かっている鞄――に入っているそうだ。
まずは保存してある野菜を切る。ルテト、キャベル、オニィ、ベルジを切って洗い水をしっかりと切っておく。ちなみにヴィアーナは日本の野菜の名前の後にもどきを付けながら、名前を教えてくれた。見た目はちょっと違う。
お肉は勿論魔物の肉である。素早くマヌアーサは兎――一角兎を仕留めて戻ってきた。地球でも兎を食べる国は存在する。鶏肉に似ているらしいのでクリームシチューにも合うのだそうだ。
ヴィアーナが手早く捌いてくれたのだが、真亜莉はそっと見ない振りをした。いずれは慣れるにしても普段は切り分けられたパックの肉しか見てこなかった真亜莉にとって、異世界二日目で捌かれる兎(魔物)はグロテスクすぎた。頑張って慣れよう。
これまたマジックバックから取り出したバターで、一口大に切った兎肉を炒め軽く塩と胡椒を振って下味をつける。火が通ったら一度取り出しておく。次にみじん切りにしたオニィをくたくたになるまで炒めたらルテト以外の野菜と肉、水を入れてここでコンソメの登場である。ある程度煮えたらルテトを入れてルテトに火が通れば、ベシャメルソースを入れて塩で味を調えて一煮立ち。完成である。
料理は大好きだ。真亜莉は双子が生まれてから手伝いを含めずっと料理をしていた。誰かに食べて貰うことも、誰かが自分の料理を食べて笑顔になることも、そしてみんな楽しく食事をすることも大好きなのだ。だからこそ料理関係のレシピや知識は膨大な量に上る。
「お、いつもと違う匂いがするぞ」
「今日はコンソメが入ってるから、こっちのほうが故郷の味に近いと思うわ」
「美味しそう」
少し硬めのパンを用意してもらい、実食!!
「いただきます」
それぞれが一言お祈りをしてから木でできたスプーンを手に取り、真亜莉はシチューを口に入れた。
「美味しい!」
家で作っていた時はルーを使っていたため、使わないクリームシチューは実は初めてである。こんなに簡単ならルーを使わずに作ればよかったと思うほど、美味しかった。
「アーナ。今日も美味しい食事感謝するぞ」
「ム―たん」
今にも二人の世界に入り込みそうな二人は見なかったことにする。今は腹を満たすことでいっぱいなのだ。
(悠莉と十莉にも食べさせてあげたいな)
少しだけ感傷的になったが、一度首を振って意識を切り替えてから冷める前にシチューに齧り付いた。
▽
お腹が満たされて食後のお茶を頂きながら、再び話し合いをすることにした。ちなみに食器は魔術でちょちょちょいと片付けられてしまった。便利過ぎる。
「真亜莉ちゃんありがとうね。コンソメが入っているだけで全然味が違ったわ」
「いえ、そんな」
「謙遜はしなくていいわ。食べ物って言うのはそれだけ人を引き付け、時に怪しい魔力を持つものよ」
「…………はい」
礼を言われるだけかと思いきや、話は少し真亜莉の思ったものとは違う方向へと進んでいた。しかしそれは真亜莉も解っていたことだ。食事は偉大だ。そして偉大だからこそ重要なのである。
「情報は力になる、間違ってはいないわ」
「はい」
「貴女はもう少し危機感を持った方がいいわね」
「え」
「見知らぬ他人の家に招かれてほいほいと情報を提示しては駄目。何時誰が敵になるかわからない。そう思っていても足りないくらいだわ」
「えっと、」
真亜莉自身危機感がないわけではない、と自分では思っている。今日マヌアーサが狼の姿で出会ったときの恐怖心を忘れたわけではないし、一応二人が信用できるだろうと自分で判断した結果だ。しかしヴィアーナが言っているのはヴィアーナ自身でさえも簡単に信用してはいけないと言っているのだ。
それだけこの世界の人の命は軽いという事なのだろう。
「十莉くんは常に警戒していたわ。自分を利用しようとしていないか。嘘を吐いていないか。優しさをそのまま受け取れないのは悲しいことだけれど、善い顔して近付いて来る悪人は沢山いるわ」
十莉はその恵まれた容姿のせいで嫌な目にも沢山合ってきたため人一倍警戒心は強い。また、きっと悠莉を守らなければいけないという気持ちも強かったのだろう。威嚇している十莉を思い浮かべてほっこりしそうな想像を無理矢理かき消した。
真亜莉は決して驕っていたわけではない。二人の弟妹たちを守らなければいけないという責任感で生きて来たのだ。自己犠牲をするつもりはないし、しているつもりもない。しかし気が緩んでいたのは確かだ。大人ぶっていてもまだ日本では未成年だという事実に気が付いてしまった。
「――――っ!」
「もう少し危機感を持たなければいけないわね?」
「は、い」
幼い十莉に教えられた気分だ。本当に不甲斐無い姉だと真亜莉は項垂れた。
こちらの危機とは正しく、命の危機に直結する。今一度それを認識した。
「でもね、うまく使えばそれこそとても有効な手段よ。だから一緒に考えましょう」
「っ!よろしく、お願いします」
本当に自分は運が良かったのだ。この世界で初めて会った人がヴィアーナたちでよかったと気持ちを改めた。落ち込む事は何時でも出来る。
「まずはそうね。マジックボックス。貴女それはどうしたの?」
「え?」
ラノベに書いてあったので試しに創造してみたら出来た、とヴィアーナに正直に話すと何故か溜息をつかれた。よく溜息を吐かれる気がするが何故だろう。
「貴女それも魔法だって気が付いている?」
「え?」
魔法は大きな魔力容量の魔心官を持っていなければ使えない。そしてもう一つ必要なものがある。
イメージと魔力、そして自らの強い『意志』を魔力に乗せることだ。
魔法に詠唱は必要ない。何故ならイメージしながら魔力に意志を乗せるからだ。言葉で言い表すのは難しいのだが、魔法が使える者は僅かなイメージの元後は魔力が勝手に発動してくれる、と表現する。
例えば目的・経過・出来事・結果とわけた時に、魔術ならば想像・魔力操作・詠唱・魔術発動となり、魔方陣は想像・魔力操作・魔方陣構築・魔術発動となる。
しかし魔法ならば想像・魔力操作+意志・魔法発動になるわけだ。一つの工程を省くということがどれだけ有利に働くかは然も有りなん。
「それ、で……使えちゃったのね」
「使えちゃい、ました」
「…………」
「…………」
ヴィアーナが何も言わないので、真亜莉も黙り込むしかない。真亜莉には未だに魔術と魔法の違いがわからないからだ。
「あ、の」
「何かしら?」
まだ考え込んでいるヴィアーナの邪魔をするのは心苦しいが、これだけは聞かなければならない。
「まず私詠唱を一つも知らないのですが」
「…………貴女、」
「はい」
「身体強化していたわよね?」
「はい」
徐々にヴィアーナの顔が恐ろしくなってきたので真亜莉の顔も強張ってくる。ヴィアーナの後ろに般若が見え隠れするのだ。がくぶる。
「身体強化をする時に詠唱は?」
「してません」
「そうよね」
「は、い」
自分はそれほどおかしいことをしてしまったのか。
「あの、」
「あ、ああ。ごめんね。怒っているわけではないのよ」
「え?」
ヴィアーナは真亜莉の様子に漸く気が付き、苦笑しながら口を開いた。
「魔法を使える者は少ないって言ったわね。だから、そんな簡単に魔法を使ってぴんぴんしていることも、それほど自由自在に操っていることも稀有な存在であるということを念頭に置いておいて欲しいの」
「はぁ」
つまり、魔法を使うと必然的に目立つことになる。それは魔法を行使できる人間が少ないことに起因するのだが、ようは利用されかねないということだ。
益々真亜莉の出生に謎が生まれてしまった。
「あとはそうね。何を持ち込んだの?」
魔法の話は一旦置いておき、恐る恐る――たぶん、もう聞きたくないのかもしれない――ヴィアーナは真亜莉に尋ねた。
「あまりにもオーバーテクノロジーは世界の発展の妨げになるかもしれないと思いまして、人が生きていく上で需要がありそうなものを持ってきました」
「う、うん」
「多分調味料は貴重だろうと思って、」
「う、うん?」
「まずは岩塩の分布の仕方と採掘方法とか、」
「………………」
「甜菜からの甜菜糖の作り方や楓の木からのメープルシロップの採取方法」
「………………」
「後はイースト菌の作り方や、麹菌とか薩摩芋とかこの世界になさそうな物を持ってきちゃいました」
「も、もうないなしら?」
「あと、」
「まだ有るの!?」
ヴィアーナは何故か涙目である。マヌアーサに至っては「てくのるじぃ?」「てんさいとう?」「めーぷるしろぷ」など聞き慣れない言葉を疑問符を浮かべながら繰り返していた。
「やっぱりどこの世界でもお金は必要だと思いまして、向こうの全財産金に変えてきたんですが、換金できますか?」
「……………………」
ヴィアーナはとうとう額に手を当てて天を仰いでしまった。言葉はない。
真亜莉の手の中に出現したのはキラキラとエフェクトが発生していそうなほど光耀く金のメダル。純度99,99パーセントを誇るまごうことなき、金である。真亜莉の手の中にあるのは五百円玉サイズが一枚だけであるが、それが何枚あるかなど聞きたくもない。ヴィアーナは耳も塞いでしまいたい心境だったのだろう、此方をちらりとも見てはいなかった。
「アーナさん?」
「あ、うん。それは一度仕舞おうか」
「はい」
ヴィアーナは叫びだしたかった。真亜莉が持ち込んだ情報だけでも使い方によっては国を相手取れるのだと。そんな純金など持ち込まなくても、金の稼ぎ方はいくらでもあるのだと。真亜莉の思うオーバーテクノロジーとはどういうものか膝詰めで問い質したいと。
勿論真亜莉には欠片も伝わっていなかった。