四話、謝罪と贖罪
「リツ、ごめんね」
「何で謝るの。ユキは謝る事してないだろ」
小学六年生の夏休み最後の日。
僕らは絵日記に書く思い出作りにと、学校の裏山に散策したのだった。
しかし、山の怖さを知らずに短パンで来た僕の足を漆が襲い、赤く腫れ上がってしまった。
それに自身のハンカチを巻き付けながら、リツは眉間にシワを寄せる。
「それに、痛い思いをしてるのはユキなんだから、ボクに謝らなくて良い」
「で、でも、裏山に行こうって誘ったのも、この道通ろうって言ったのも僕だよ?」
「それに黙ってついてきたのはボクなんだから、同罪だ」
今思えば、リツは小学生のクセに大人びた喋り方だった。
それに比べ僕はバカで、いつもリツに迷惑掛けていた。この時もそうだった。
「で、でも。でも」
「何? ユキが悪いって言いたいの? ボクはここでユキを責めるよりも、ユキの足をどうにかするのが得策だと思うんだけど」
「あ、そ、そうだね。ごめんね」
「だから、謝らなくて良いってば。ほら」
「え?」
泣いて踞る僕の目の前に、リツはしゃがみこんで背中を向けた。
その動作を疑問符をあげて見つめれば、リツは不快な表情をする。
「早く乗りなって言ってるの。そんな足で下山出来ないだろ?」
「い、いや。でも、僕。重いし、リツの腰が痛くなるよ」
「あーもー、ウダウダ五月蝿い。早く乗れば良いんだって」
「うっ、わあっ!」
無理矢理担がれて咄嗟にリツの首に腕を回した。
僕よりも身体が未発達なリツにとっては重い筈なのに、僕を気遣ってか何も言わずに背負ってくれる。
ミンミン、蝉が五月蝿い炎天下の中、リツは文句一つも溢さない。
疲れるでしょ? 降ろして良いよ、なんて言葉は意地っ張りなリツには通用せず、最後までおぶられた。
当然、両親には怒られ、何度もリツに謝った。後日、菓子折りを持って頭を下げたのも今となっては良い思い出だ。
結局絵日記にリツと遊んだ事を書いたら、これなら毎日遊んでいただろう。とリツに呆れられた。
そんなリツも僕と毎日遊んだ事を書いたのだから、先生は僕らを大親友だと思っただろう。
僕はね、今も思ってるんだけど。
――七月二十二日。
青と黒のチェックのハンカチを握り締めたら、懐かしい過去が脳裏を過った。
あの時、僕の足に巻いたリツのハンカチ。まだ、僕が持っていたんだ。
返すべきか。返すとなると話の種になる。そう言えばあんな事あったねー。迷惑掛けたねー、ってさ。
いやしかし、もう十年近く前の事を嫌いな相手に掘り出されたらどう思う?
想像して、軽く身震いする。
いやいや、もう嫌われてるのだから嫌われるのは怖くないけど。けどね。
ハンカチ片手に、突き放したり拾い上げたり戻したり繰り返していると気が付けば時計は登校時刻を過ぎていて、取り合えずポケットにハンカチを押し込んで家を出た。
きっかけがあれば、渡せば良いのだから、別に変な事ではないのだと己に言い訳立てながら。
「あ、リツ」
こないだリツに会った時よりも、遅い時間だから会えないだろうと思ったが、本を読みながら電柱の端で佇むリツにあった。
僕の声に、リツは本を仕舞うと眉間にシワを寄せた。
「何だ、山田くんか」
「誰か待ってたの?」
「ああ。他校のバカな友人をな。このボクを待たせるなんて、信じられない」
「そっか。じゃあね」
「は? 待て」
腕を引かれ、リツに顔を向けた。
「ボクを待たせる奴をこれ以上待っていられるか。仕方がないから、山田くんと一緒に通学してやる」
「え? 良いの? そのお友達さん、リツがいなくて困らないの?」
「良い。そろそろアイツもボクがいない事がどれだけ重大か、思い知れば良いんだよ」
ドSな発言なのだか、まるで恋人を思い浮かべる少年の様な朗らかな笑顔を浮かべる。
僕が知らない間に、リツをそうさせる程仲の良い友人が出来たのか。
僕がしゃしゃり出る場じゃないのに、モヤモヤ黒い感情が生まれた。
リツを取られてしまった様な感覚を覚えても、僕は既にリツから見限られた人なのに。なのに、何故か腹が立つ。
自分勝手な奴だ。
「そう、仲が良いんだ。その子と」
「さあな。このボクの頭脳を持ってしてもアイツの脳内は、解釈不能だ。嘘つきで臆病者で腹が立つ」
「二人は友達じゃないの? 何で悪口言うのさ」
「山田くんは、ボクとアイツが友達だと思うのか?」
そもそも、僕はアイツが誰かも分かっていないのだが、こくりと頷いた。
「ボクも同意見だ。友人などと称したボクがバカだった。アイツは友人なんかじゃない。アイツは――」
リツは語尾を濁し僕を見た。
瞳で何かを訴えられている気がするが、それがナニか迄は伝わらない。
「忘れろ。何でもない」
「ああ、うん。ごめんね」
小さく謝罪すると、隣から大きく息を吐く音が聞こえた。
呆れるよ、とリツは呟いてから僕を睨んだ。
最近、何故かリツの睨顔ばかり見ている気がするのだけど。
「だから、何故山田くんは自分が悪くもないのに謝るんだ。謝る事自体がボクにとっては悪事だ」
「え、や。でも、僕の態度がリツを怒らせる結果になったんだしさ」
「謝るなら、山田くんの何が悪かったのか丁寧に説明してからにしろ」
「リツを怒らせる程、僕が弱虫でごめんね」
「違う、山田くんが謝るべき事はそれでない。僕はそんな謝罪を求めてなんかいないんだよ」
歩速度を速めたと思ったら、リツは急に振り返った。逆光のせいか普段よりも輝いて見える。
「じゃあ、僕は何を――」
「そんな事自分で考えろ。ボクは山田くんのそういう所が大嫌いだ」
僕の疑問をぺしゃりとはねのけ、リツはその場を去った。
リツの残した言葉が脳内で木霊する。
――大嫌いだ。
これで、面と向かって嫌悪を伝えられたのは二度目になる。だからといって、慣れたり平気になる事はない。
二度も言う程、僕が嫌いなのだと思い知って、悲しくなる。苦しくなる。死にたくなる。
平常よりも遅く出たのだ。早くこの場を動かなきゃ遅刻するのは確定しているのに、僕の足は動こうとしなかった。
ああ、結局リツに返せなかったな。
ポケットの中に押し込めたハンカチを握り締めて俯けば、茹だる様に熱いアスファルトが僕の涙を吸い込んでくれた。