九話、嫌疑と悲哀
――八月十日、午後五時五十分。
今だ西日の射さない教室に、一人佇む。校舎には部活の生徒が何人かいるらしく、遠くで運動部の掛け声が聞こえてくる。
真夏の照りつけは大分収まり、吹き抜ける風が肌を冷ます。
学校まで来る間に汗をかいたから、気化熱でまた風邪をひいてしまいそうだ。
「ユキ、あげる」
「ぶ」
ガラララ、と立て付けの悪い戸の音のすぐ顔面に何かが当たって落ちた。
小さなラッピングされたケーキ。透明な包装紙から、茶色い中身が覗く。
「作ったの? これ」
「うん。味見したら美味しかったからあげる。誕生日プレゼントにしちゃ小さいけど、小さいユキには似合うしょ」
「わー、ありがと。そういや、プリンだけど冷蔵庫にも入ってなかったよ。母さんが食べたんだと思う」
「ありゃー、感想聞きたかったのに……で、今日は何で呼び出したの? 夏休みなのに、態々学校にさあ」
言う時が来た。
時計を見ればまだ六時にはなっていない。少し早いが始めてしまおう。ごくりと生唾を飲み込んで麻衣を見据えた。自然と頬が固くなる。
麻衣も、僕の緊張を察してか緩んだ表情を改めた。
「麻衣は誰が好きなの?」
麻衣は目を丸くさせ、突然笑い出した。
「はぁ? 告白したんだよ? ユ、ユキが好きに決まってるじゃんか」
「本当? 本当に僕が好きなの?」
「こういう事面と向かって言うのって恥ずかしいんだから……好きだってば」
「嘘。本当に心を寄せてるのは僕じゃないでしょ」
僕の真意を探る問い掛けに麻衣は遂にボロを出した。痛い所をつつけば反応する、なんてよく言ったモノだ。
「あのさ、何を言いたいの? 急に不安になったとか? 付き合って時間も経ってないじゃん」
「僕が風邪ひいた日、どうやって家に来たのか知ってるよ。リツと来たんでしょ?」
麻衣の瞳が揺らいだ。眉間にシワを寄せている。一体僕にどんな感情を抱いているのだろうか。
考えなくとも表情で分かってしまう。
「それが何? 個人情報保護法、プライバシーの侵害とでも言いたい訳? それはリツさんに言ってよ。私は教えてもらっただけだから」
「リツさん? いつの間に下の名で呼ぶ関係になったのさ。僕が知らない間に何を話したの?」
「嫉妬深い奴は嫌われるよ」
「ああ、知ってる。嫌われてるよ。でも取られたくないんだよ。リツはずっと、僕の友人だから」
――大嫌いだ。
それがリツの偽りない本心でも僕は構わない。僕がずっと好きでいたらリツも変わってくれる筈だ。
僕らの邪魔すると言うのなら、いくら友人であった麻衣であろうも許さない。
教室の窓ガラスに反射した僕の顔は汚い嫉妬の感情が入り乱れていて、酷く不気味だった。
「ねえ、麻衣は僕を利用してリツと繋がろうとしてるんでしょ?」
ぱちん。
頬に鋭い痛みが走る。それの発生源が麻衣の右の手だと理解するのに数秒かかった。
頬を押さえ麻衣を見やる。
目尻に涙を溜め、親の仇でも見るかの様にキツい視線を僕に向ける麻衣は小さく息を吐いた。
「最低」
最後に僕を一睨みすると、麻衣はすぐに教室を後にした。
ああ、この後はリツも乱入して二人の仲が今後良きモノにならない様にする作戦があったのに。
しかし、今麻衣に完璧に嫌われたから、麻衣は僕を使ってリツと繋がる事は出来ない。
「あは。あはははははははは!! ざまぁみろ!! リツは渡さない!! 僕とリツの間に割って入ろうだなんて、一億年早いんだよ!!!!!!」
口角から漏れ出す白泡なんて、最高にハイな僕にはどうでも良い。クルクル回って、叫んで、叩いて、狂って、歓喜を全身で表現する。
途中経過は違うが結果オーライだ。
リツに嫌いと告白された時とは違い、麻衣に嫌われて変に充足感を得た。
窓際を離れ、教卓に手を付きながら、もう一人の来客者を絶対に来る、という確信だけで待つ。
嫌われているのにね。バカらしいけど、これが僕に出来る償いのひとつだから永遠に待つ。
どれ程時間が経ったのか分からない。
暫くして、教室の戸が開く音が聞こえてきた。
反射的に顔を緩めてしまう。仕方がない。相手がリツなのだから。
「……一体何の用だ」
時刻はとっくに七時を過ぎている。リツは真面目なのに遅れるなんて珍しいね。なんて、言わずに微笑む。
「会って欲しい人がいたんだけど帰っちゃったよ」
「それだけか? それだけの為にボクを呼び出したのか?」
「あ、えっと、じゃあ聞きたいんだけどさ。リツは麻衣の事をどう思う?」
「……天真爛漫かつ溌剌とした性格で嫌いではない。大体、聞いてどうするんだ」
軽いカマを掛けたつもりだった。
しかし、心の奥底では本当に二人は無関係であって欲しいと望んでいた。
こうもまあ、簡単に釣れるとは思わなかったよ。
「…………やっぱり、麻衣の事知ってたんだね」
「質問に答えないのか? ボクはどうするつもりだと聞いてるだろ」
「知りたかっただけ。事実を確認したかっただけ、じゃダメかな?」
「事実? 曖昧に話されるとむず痒くなるんだ。早く本題に入ってくれ」
苛立ち気味にリツは机に腰掛けた。大分時が進んだのか、オレンジ色の光な教室に差し込む。
言うべきか、今更ながら臆病風が心に吹き荒れ次の言葉を言い淀む。
伝えれば全ては終わるだろう。けれど、何もかもがなくなるかもしれない。
そのリスクを背負って僕は、言う。
「麻衣の事、好き?」
例え、リツが人として好意を示したとしても、僕の座を奪うのには変わらない。
好きか嫌い。答えがどちらに転んでも、僕は二人の関係を邪魔するのみだ。
けれど、返ってきた答えはそのどちらでもなかった。
「え?」
左肩部に感じる緩やかな鈍痛。数秒遅れてべちん、と背部から音がした。
リツの右手が僕を黒板に押し付ける。片手だから振り払える力量の範囲内だけど、僅か十センチの距離に身動き取れなくなる。
「な、んで?」
何で、僕は押し付けられてるの?
何で、リツは泣きそうな顔で僕を睨むの?
何で、こんな状況に陥っているの?
リツの頬に手を伸ばそうとすると、手を振り払われた。視線が止めろと訴えている。
「何で? 山田くんは本当に屑だ。ボクの気持ちを何一つ理解しようとしない」
「理解したいよ。僕は誰よりも、リツの気持ちを知りたい」
無理だね、とリツは僕を嘲笑う。
瞬間、素早い動きでリツは僕を押し倒した。
「――っあ!!」
衝撃音が廊下中に響いて木霊する。
受け身が良かったのか、ダメージはなく視界が逆転しただけで済んだ。
リツは無様に寝転がる僕を見てクスリと笑った。
「嘘つき! 君は嘘つきだ! あの約束だって裏切ったクセに、今更知りたいなんて都合が良すぎるんだよ!」
「あの、約束……?」
「忘れているんだろ、どうせ。ボクとの思い出なんて、全部、全部、消したんだろ!?」
あはははは、と高らかに笑うリツはもの悲しくて、立てずにいた。
「いっその事、ボクの中から、山田くんを消してやろうか」
すっと真顔に戻ったリツは仰臥位になる僕の腹の上に座り込んで、首に手を当てた。
ひんやりと冷たく生気の欠けた指先に、徐々に力が籠る。
「死にさらせ、山田くん」
夕焼けに照らされたリツの顔は、憎悪と悲哀にみち溢れていた。




