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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
99/518

099 迷宮

099


 久し振りにたっぷりと眠ったおかげか、翌朝ランタンは寝ぼけ眼に大あくびを吐き出して、ちょっとだけ気が抜けていた。探索者たるもの迷宮での目覚めはいつだってしゃっきりとしていなければならないのに。

 何せ一緒に眠ったリリオンの身体は冷ややかな迷宮の中にあって篝火かという程に暖かく、竜の肉をたっぷり食らった体付きはなかなかどうして柔らかいのである。それは夢見心地の抱き心地で、更に言えばランタンが抱きしめなくても勝手にしがみついてくる。たまに尻を撫でてくることと、匂いを嗅いでくること以外は、文句の付けようのない安眠枕であった。眠ってしまえば、少女はそれなりに大人しい。

 そのためか目を覚ましたのはランタンが最後であった。

 他の寝床はすっかりもぬけの空どころか片付けられて、そんな中でリリオンがぼんやりとしたランタンの顔を愛おしそうに眺めている。頬を突いたり、髪の毛を触ったり、耳を唇に近づけて寝息を聞いたりしている。ランタンが目を覚ますと、ぱっと瞳を輝かせた。

「おはよ、ランタン」

「うん、おはよう。ねむい」

「朝ご飯できてるよ、昨日の残りだけど」

「ねむい、けど食べるよ。服持ってきて」

 ランタンは毛布から顔だけ出してぬくぬくと服が運ばれくるのを待った。そして毛布の中で着替えを済ますと、ようやく這い出て顔を洗い口を濯いだ。

 寝癖の跳ねる髪を濡れた手でがしがしと梳かす。リリオンはもうすっかりと身支度を調えていて、目脂もなければ寝癖もない。今日は髪を毛先の近くで一纏めにして、大人しい雰囲気の髪型だった。

「おはよう、ランタン。よく眠れたようだね」

「おはようございます。ええ、おかげさまで。レティシアさんは随分と飲まれていたようですけど大丈夫ですか?」

「あの程度は軽い軽い」

「……蟒蛇(うわばみ)ですね」

「ははは、私に流れているのは蛇竜の血ではないよ」

 レティシアは相変わらず綺麗な顔をしている。いや、濃い色の肌のせいでもともと引き締まって凜々しく見えるが、ほんの僅かに険しさが混じっているかもしれない。

 ランタンはレティシアを始めに他の皆々に挨拶を済ませると、リリオンを伴って火を囲む輪の中に加わった。朝食は昨晩の残りを余さずシチューの中にぶち込んで温め直した、迷宮雑炊とでも呼ぶべき探索者らしい豪快な料理だった。

「おー、朝から重たいものを」

 他のみんなはもう既に食事を始めていて、炙ったパンは食べ放題、シチューも早い者勝ちの取り放題を良いことにベリレが胃もたれしそうな程に食いまくっている。出遅れたリリオンがそれに負けじとシチューを山盛りにして、ランタンは適当によそったシチューの中にパンを千切っては浸し、小動物のようにもそもそと口を動かした。

「ランタンも昨日はだいぶ食べていたからね。胃の調子がよくないのか」

「いや、ねむいだけです。たぶん」

「たぶんね。じゃあこれをあげよう。念のため」

 シュアが火に手を翳して、飛竜の最も薄い鱗を炙っていた。

 鱗はランタンの掌程の大きさで、薄い緑色をしていて年輪のような模様が入っている。竜の鱗は健胃薬になるらしい。火を入れてやるとさっと浅黄色に変色して半透明になり、もっともっと炙ってやると年輪の線が黄色く焦げた。

「わたしも食べたい」

「充分食欲あるのに、これ以上食べれるようになってどうするの?」

 シュアから渡された鱗を、ランタンはそう言いながらもパキッと割ってリリオンと半分こにした。

 味はほとんどなく、ぱりぱりとした軽い歯ごたえや、殻のまま食べられる海老蟹のような独特の香ばしさがある。効き目が早いのか、それとも思い込みによるものか。鱗を食べ終えるとランタンはたっぷり朝食を取って竜骨までしゃぶった。

「さて、腹ごしらえも済んだな」

 エドガーが唇を親指でぴっと拭い、探索者たちを見回した。

「これまでに出現した竜種に何か感じたことはあるか?」

 ランタンは骨を強く噛んで罅を入れると、味の染みこんだ骨髄を啜った。リリオンがそれを真似して骨を噛むと、力を入れすぎて砕けてしまい、口の中に散らばった破片に何やら妙な声を上げている。ランタンはじゅるると髄液を空にして、骨から口を離すとつつと引いた唾液を舌先で断ち切った。随までしゃぶった骨を火の中に放り込む。

「……まあ普通です。最初からずっと変わらず。もっと大きくて強くて、おっかないものだと思っていたので。少し拍子抜けって感じかな。あ、でも気を抜いているわけじゃないですよ」

「わたしは強かったと思う。火を吐くし、空飛ぶし、口大きいし」

「あー、僕それ不参加だったから」

 ランタンが少し考えてからけれど正直に答えて、それから骨片を飲み込んだリリオンが続けて答えた。

 だが強かったと語るリリオンも、その言葉の割には気楽さが混じっているような感じだった。もっともリリオンの場合は比較をする対象が殆ど存在しないからかもしれないが。

 竜種と言えば、語るまでもない魔物の王様である。

 悪さをする子供を叱る時も、調子に乗る探索者を諫める時も、物語の中の強敵でも、語られる伝説の中にも、書き記された史実の中でも、竜種と言えばそれはそれは説明するまでもない恐るべき魔物なのである。どれ程の探索者を、人類を屠ってきたか数えることすらできない。

 探索者の中には、むやみやたらとその名を口には出さない者もいる。

「まあ、それは俺よりも年配の探索者だな」

「それはまた昔の話なんですね」

「……畏れが足りなくなっただけで、竜種の脅威が減じたわけではないがな」

 とは言え、そんな恐ろしい魔物をランタンもリリオンも対等以上に渡り合い、その肉を食らうばかりか、平気な顔で骨を囓ったりする始末である。畏れもへったくれもあったものではない。

「でも、正直、大型の蜥蜴とかとそんなに区別はないかも。あいつらだって火を吐いたりするし。羽根があるのは珍しいけど、壁とか這い回る奴は平気で出てきますし」

 最終目標は言わずもがなであるのだが、それでも姿形の似通った爬虫類系魔物、その通常出現個体の中にもこれまでに出会った竜種よりも強い個体は普通に出現したものである。鱗の硬さならばあの時の鰐の方が、吐き出した炎熱の脅威ならばあの蛇の方が、巨大さで言えばあの亀の方が、と朧気な記憶を思い出す。

 もっともその当時よりも、身長はさておきランタンは成長しているからこその評価であるし、竜種が攻守共に高水準で纏まっていることに疑いようはない。初めに出現した地竜だって、普通の迷宮ならば中層下層に出現しておかしくない程の強さであった。

「あ、でもエドガー様がいるからそう思うのかもしれないですね」

「見え透いた世辞を」

「本心ですよ、もう。それに皆いるし。ね、リリオン」

「うん」

 ランタンがリリオンを見上げて、それから一緒に皆々を見回した。ベリレは普通に恥ずかしがって、リリララは目を伏せた。レティシアは僅かに唇を噛んだ。

「助けられているのは私たちの方だ。迷惑を掛けてすまない」

 それは酷く低い声だった。彼女の被る美しい仮面との対比と相まって、そこに滲むありありとした後悔がいっそう色濃く浮き出るようだった。ランタンとリリオンを連れてきたことに対する。

「レティシアさん、それは言いっこなしです。結ばれた契約は、どちらかに一方的に有利なものではありません。僕もリリオンも納得してのことです。あなたは宝剣を取り戻し、僕らはあなたからの庇護を得る」

「庇護?」

 リリララが、意外そうに呟く。契約はランタンとリリオン、そしてレティシアとエドガーの間にだけ結ばれたものであって、他の人間はそれを知らなかった。リリオンに巨人の血が流れているというようなことも。

「ええ、――僕があまりにも魅力的なので、変態の貴族に狙われているのです」

「はあ? なんだそりゃ」

「こっちは切実なんです。嫌でしょう、変態の貴族なんて」

「……まあ、それもそうか」

「レティシアさんになら狙っていただいても構いませんが」

 レティシアはランタンの冗談に小さく笑って、リリオンは拗ねたように唇を尖らせた。ランタンの二の腕をぴんと指で弾く。甘えるように。

「それでおじいちゃん、今までの竜種がどうかしたの?」

「ああ、これまでに出現した竜種は尽くが幼生であったり、弱個体と呼ばれるものであったと思う。それが何を指すのか」

 エドガーは一度言葉を切った。

「それはつまり、迷宮が魔物を出現させる際に使用された魔精の量が少ないからだと思われる。たまたま、偶然にそうであったのかもしれないが、こうも続けば不自然だ」

「――あ」

 ランタンにはその状況に思い当たる節があった。それを見てエドガーが頷き、感心するように笑った。

「さすがは探索中毒。それなりに珍しい現象であるが、心当たりがあるようだな」

「最終目標の、強化?」

「おそらくな。最終目標が顕現するため、そして今なお、力を蓄えるように魔精を貪っているのだろう。最下層近辺では足りず、迷宮の隅々にまで舌を伸ばして。それが魔物の弱体化の理由だと推測できる。最初に出現した地竜なんかは、逃げだそうとしていたのかもしれんな」

「じゃあ、これから先に出てくるのは弱い魔物ばっかりなのかしら?」

「先に進むごとに弱化が色濃くなれば、ほぼ確定と言ってよいだろう」

「先……」

 ランタンは小さく呟き、何か思い出そうとするように、目を瞑って顎を持ち上げた。

 迷宮の先をランタンは知っている、と思う。魔精酔いにより鋭敏化した感覚は、その知覚範囲を遙か彼方まで伸ばした。だが当たり前に、遠ければ遠い程感覚は曖昧になり、酩酊状態も相まってランタンは何かに触れたような、あるいは聞いたような、と霞がかかったような記憶しか思い出せない。

 だがそれでも、鼓膜に残る音の残滓が。

「そう言えば、この道の先に、金属音を聞いたような気がします」

「金属音?」

「ええ、昨日。朧気ですが」

「へえ、すげえじゃん。あたしの耳にはまだ聞こえないぜ」

「地竜か?」

「いえ、もっと小さい小刻みな音でした。鉄靴のような、軍隊程多くない、少数。それこそ探索者みたいな――」

「それは本当かっ!」

 ランタンが記憶を探るように途切れ途切れに呟くと、レティシアがランタンの手を取って声を荒げた。乱暴に握られた手首と、そこから持ち上げられた肘が捻れる。ランタンが痛みに目を細めるが、けれどレティシアはそんなことには気が付かなかった。

 見開かれた緑瞳に自分が映る。だがレティシアはランタンを見てはいなかった。

「おそらく」

「レティっ!」

 ランタンの呟きに、先を急かそうとするようにレティシアが力を込めるとリリララが怒鳴った。その声にまるで裏切られたようにレティシアがリリララを見たが、赤錆の瞳はきつく尖りレティシアを咎める。そしてゆっくりと、言い含めるように。

「……お嬢。腕を放せ」

「リリララ、お前だって。どうしてそんな落ち着いていられる」

「そのままだと、そいつの腕が折れるぞ」

 リリララの声は低く落着いていて、そこには得も言われぬ迫力があった。リリオンが反射的に伸ばした腕を、硬く強張らせ、レティシアに一瞬の冷静を取り戻させるような。

「これぐらいでは折れませんよ。ちょっとだけ痛いけど」

「っ――すまない。だが、もしかしたら兄が」

 縋るような声は、この探索を始める前に聞いたものとよく似ていた。

 けれどあの時にあったものは哀しみに濡れていて、今は不思議と希望のようなものを感じさせる。ランタンが聞いた鉄靴の音が、まるで兄の生還を告げる足音であるとでも言うように。

 しかしエドガーはそんなレティシアの希望をばっさりと斬って捨てた。

「レティシア、いい加減にしろ。ヴィクトルは死んだ。あいつが戻ることはない」

「エドガー様っ、ですが、もしかしたら、転移があっただけかもしれないっ」

 転移。それは迷宮に潜り未帰還となった者が迷宮で果てたのではなく、何らかの罠にかかったか、魔物の魔道によってか、どこか知らぬ場所に転移させられただけで、生きているかもしれない、と言う残された者への慰めである。

 未帰還と言う呼び方の通り、死体の上がらぬ探索失敗には、こういった希望が残された者たちの中に消えがたく湧く。

 そしてレティシアも、きっと心のどこかでその思いを捨て切れていなかったのだろう。

 ずっとずっと胸の中に抱えていて、不意に湧いた希望に縋りつきたくなったようだった。

「ない。この先に現れたものはヴィクトルではない。よしんば彷徨う者(ワンダー)と成り果てていたとしても、それはすでにお前の知るヴィクトルではない」

 未帰還となった者は、決して帰ることはない。

 だが時折、魔物となって探索者の前に現れることもある。不死系魔物と成り果てて肉体を残せば動死体(ゾンビー)屍喰鬼(グール)として、肉体を失っても魔精を媒体として亡霊(ゴースト)死霊(リッチ)として。

 それは決して希望などではない。その対極にあるものだ。

 そしてそう言った魔物の中に彷徨う者(ワンダー)と呼ばれる魔物もいる。

 生前の姿そのままに、人語を解し、しかし決して相容れない者。魔物に備わる人類への敵意により、百億の呪詛を吐き、二度目の死を与えるまで止まることはない。

 日々迷宮に果てる探索者は多く、けれど彷徨う者は滅多に出現はしない。ほとんど噂話でしかない。けれどレティシアの、そしてエドガーの反応を見るに、それは噂話ではないのだろう。

「けれど!」

「けれど、なんだ」

 ただひたすらに涼やかな言葉に、レティシアはついに黙るしかなかった。

「おじいちゃん、そんな言い方ってないわ。可哀想よ」

 見かねたリリオンがそっと袖を引くようにエドガーへ声を掛けたが、その優しさはむしろレティシアの表情を強張らせるだけだった。エドガーは深く優しげにリリオンを見た。眦にある深い皺が、一層深く刻まれ、声は優しい。

「……リリオン、探索の目的は常にその迷宮の攻略に向けられなければならない。死者に捕らわれてはいけない。迷宮を攻略し、いや、しくじったとしても、生きて帰るのはいつだってそういう探索者だ」

 そしてレティシアにその視線を向けた。

「宝剣は最終目標に飲まれた。ならばこれの奪還は、迷宮の攻略と同意だ。だが、レティシアお前の――」

「――申し訳ありませんでした。少し、頭を冷やします」

「ああ、お前はもうすでに決めたはずだろう。ここまで来て、どうした?」

「失礼します」

 立ち上がって離れていくレティシアの背を誰もが見つめて、リリララが腰を浮かせた。

「放っておけ」

「いや、すいません。あれは可愛い妹分なもので、慰めて、……そろそろ叱ってやらんと。あたしの言えた義理でもないですが。これも先延ばしにしてきたツケですね」

 リリララはそう言って唇の端を引き攣らせるように歪ませ、レティシアの背中を追いかけていった。

「……厳しくありませんか? レティシアさんに」

「もう一年も経つのだ。いつまでも感傷に浸っていてはあいつの為にもならんよ」

「まだ、一年ですよ」

「……ふむ、一年は短いか」

 ふと思い出したような茫洋な口調でエドガーが呟く。この場にいる誰もが生まれる前から探索者をしている老人と、ランタンたちとでは時間は平等に流れてはいないのかもしれない。

「ご自分が若い時はどうでした?」

「ふん、今も昔も命など木っ端のようなものだ」

 ランタンが問い掛けると、返ってきた答えは冷たかった。けれどそれもランタンとしては反発するようなものではなかった。探索者の命など、嘘偽りなく木っ端も同然である。死は可能な限り避けるべき、忌避するべき現象であると同時に、常に顔を合わせる隣人のように慣れ親しんだものでもある。

「まあ確かに人の死に慣れすぎているのかもしれんな。昔の知り合いは大抵が死んでるしな。死に水をとれた奴など数える程しかおらんぞ」

「……噂には聞きますよ。一年経って探索班の顔ぶれが二人残ってたら上等だって。まあ探索者やってたらそうですよね」

「ああ、そうか。そもそもあれは探索者ではなかったな」

「もう、冷たい言い方して」

 ランタンは軽く肩を竦めた。

「ベリレは、ヴィクトルさんが帰ってこなくて哀しかった?」

「……当たり前だろ」

「今でも?」

「ああ、でも、訃報を聞いた時より哀しくない、と思う。けど思い出せばやっぱり哀しいな。まだ教えてもらいたいことは沢山あったし、一緒に迷宮だって行きたかった。俺が今回の探索に付いてきたのは」

 ベリレはちらりとエドガーに視線を向けた。

「そりゃあエドガー様がレティシア様に同行すると知ったからだけど、でもやっぱり、敵討ちみたいな気持ちもあったから。レティシア様もきっと同じ気持ちがあると思うけど」

「ふうん、その割りにベリレはけろっとしてるように見えるね」

「うん、そうかも」

 ベリレはあっさりとそれを認めた。自分でもその事を不思議がるような感じだった。頭をがりがりと掻いて、自分の心を整理しながら言葉を続けた。

「俺は、うーん、……自分で思ってたよりも色んな事を考えていたみたいだ。ヴィクトル様の死は哀しいけど、そればっかりじゃなくて自分のこと、エドガー様みたいになりたくて焦ってる気持ちとか、リリララに負けたくないとか、それに畏れ多くもレティシア様を支えたいとも思ったよ。あの方は、俺なんかより、兄妹だから当たり前なんだけどヴィクトル様のことを好いていらっしゃったから。俺には色々な気持ちがあったから、哀しむことばっかりに集中できなかったのかも」

 エドガーから視線がランタンに移った。彫りの深い大人びた顔立ちの中で、その目だけが年相応に生意気な感じになった。唇をへの字に曲げて、ランタンのことを睨み付ける。

「……それにお前が構ってくれたからな。そういう所は、ちょっとヴィクトル様に似てるかもしれない。俺がつまんなくなってると、ヴィクトル様はよく組み手に誘ってくれたから。身体を動かすと気が晴れるよ」

 ベリレはへの字に曲げた唇を、堪えきれず笑みの方向へ曲げ直す。そしてリリオンのことを見た。

「でもそうするとリリララが少し拗ねるんだ。俺がヴィクトル様に構ってもらえるのが面白くなくて。あいつヴィクトル様にべったりだったし」

 そしてからかい半分に、悪態を吐かれる、と。

「わたしは拗ねてないわ。失礼しちゃうっ」

「えー、そうなの? 拗ねてないんだ。残念」

「……もう、いじわるっ」

 リリオンはむすっと頬を膨らませた。そして三人を見渡す。

「男の人っていじわるだわ。レティシアさんだって辛いのを必死でこらえてるはずなのに」

「問題はそこだな。溜め込むのはあれの悪い癖だ。吐き出してしまえば楽なものを」

「……もしかして発破を掛けたんですか。失敗でしたけど」

「言うな。はあ、女のことはこの歳になってもわからん。年頃の哀しんでる貴族の小娘なんて特にな」

「……そんなの優しくしてあげればいいじゃない」

 リリオンはぽつりと呟いた。どうして、といじけたような視線をランタンに向けた。

「ねえ、リリオン。はい」

 ランタンはリリオンに向かって両手を広げる。そうするとリリオンは迷う素振りを一瞬だけ見せて、それから大人しくランタンの胸に抱きついた。

「リリオンはさ、こんな風に甘えてきてくれるけど。たぶんレティシアさんはそうしてくれないんだよ」

「哀しいのに」

「うん、それがあの人の強さなんだと思う」

「でもそれは無理をしているわ」

「僕もそう思うよ。でもね、優しさを押し付けるのもね……、余計に傷つけそう。あの人は特に、そんな感じがする」

「そう、かしら。わたしは――」

 ああこの子の身体は温かいなあ、とランタンは少女の背中をあやすように撫でて、髪を擽る。リリオンは、わたしは、の後を口にせず何か考えているようだった。

 そんなことをしていると、レティシアとリリララが戻ってきて赤錆の瞳が冷たい一瞥をランタンに浴びせた。

 慰めも、叱咤も、あまり上手くいかなかったのかもしれない。ランタンが一瞥に、労うような視線を返すとリリララは目を閉じた。この人もあんまりこういうの好きじゃないよな、とランタンが思うと、それを見透かしたようにリリララは目を開けて、ほんのちょっとだけ頷く。

「レティシア、落ち着いたか?」

「はい、恥ずかしい姿をお見せしました」

 レティシアは先の興奮を欠片も見せぬ程に冷静さを取り繕っていた。

「で、お前は何をしてんだよ」

「いや、少し。ああ、そうだ――レティシアさんにもしてあげましょうか?」

「――ふふ、遠慮しておくよ」

「じゃあリリララさんは」

「聞くなよ。ほら」

 リリララは舌打ち一つを吐き出して、まずリリオンに手を伸ばし立ち上がらせ、それからランタンも立ち上がらせた。勢いよく、そのまま抱きしめられそうな程。けれどリリララはランタンの身体に触れることなく、ただ至近でほんの一瞬見つめると、ふいと身体を離した。そしてリリオンの方へ突き飛ばすように、とんと胸を叩いた。

 思わず、その手をランタンは取った。

「あー、……あったけえ」

「さっきまでこの子で暖まってましたから」

 お風呂みたいに、ぽかぽかしている。

 押し返されたランタンを胸に受け止めたリリオンは、その長い手を伸ばしてランタンとリリララの繋がれた手を撫で回した。

「そうだよなあ、暖かいのは落ち着くよな」

 リリララはランタンの手を振り解くように放すと、どれどれ、と確かめるようにリリオンの身体に触った。手を握り、腕を擦って、腹を(つつ)き、尻を撫でた。きゃ、とリリオンが声を上げるがそれを無視した。

「肉付きが足らないな。でもいいよなあ、ガキどもの身体は暖かくて」

 ぽんとリリオンの尻を引っぱたき、今度はベリレの脇腹を抓ったりしている。ベリレは嫌がってリリララを振り解いて、けれど兎の少女は意に介さないようだった。そんなリリララの背中を見送ってリリオンはぽつりと呟いた。

「リリララさんもよね。どうしたらいいのかしら?」

「ねえ、ほんと。あーあ、一度お風呂入ってすっきりしたいな」

「……わたしに入る?」

「意味わかんないこと言ってないでよ」

 うん、とリリオンは頷く。

 それからしばらくして、迷宮を進み始めた。

 やがてランタンの記憶に正しく、リリララの耳が進行する金属音を捉え、その一軍を目視するとレティシアが志願して先頭に立った。迷惑を掛けた罰である、と言うようなことを自分で言って、ランタンたちを下がらせた。

 レティシアは先頭に一人立ち、全身に纏う紫電に髪を逆立てる。彼女こそが竜種になったかのように、低く唸るように喉を震わせて、鯉口を切った。刀身を半ばまで露出させた。

 鍔元に嵌められた緑の宝石が姿を現し、それは背を向けて見ることの適わぬレティシアの瞳のようで、魔精を練り込まれて荒れ狂う雷光をその内に宿していた。今にも宝石が爆ぜて、雷が吹き荒れるのではないかと思わせる。激しい光を湛えて、溢れて、力の箍が外れたようだった。

 離れるランタンたちさえも雷の余波に総毛立って、急激に迷宮の気温が下がったような気がした。

 魔精の枯渇。宝石が、レティシアの意思により無尽蔵に魔精を吸収している。そして宝石の許容量を超え、ついに溢れ出た雷が刀身を伝い、鞘に滴る。鞘の内側を満たし、鯉口から滴のように雷がぽたりと落ちた。

 重たい音がした。

 レティシアの足元に、落雷があった。ほんの涙の一滴程の雷が、鋼鉄を黒々と焼け焦がしていた。

 迷宮に現れたのは騎士団でも、ヴィクトルでもなく、二足立身の竜種である。

 文化を持たず、人語を解さず、それでいて鎧で身を固め、手に刀槍を携え武装していた。爬虫類系亜人の姿によく似ていたが、人ではない。人の形を持った魔物であって、それは彼女の兄ではなかった。

「―――」

 咆哮のように聞こえたのは雷鳴である。

 極光の稲光に視界が真白く灼かれて視力を取り戻したその時には、抜き打ちに放たれた真一文字の雷が人為りし竜種の軍勢を一刀の元に炭化両断するに留まらず、左右の壁を深々と溶断して耳鳴りにも似た静寂をもたらした。

 レティシアは振り返り、溜め息にもならないか細い息を吐き出すと気弱げに微笑む。

 その手に握った剣が重たげだった。


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