097 迷宮
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飛竜を解体し、下拵えを済ませて再開した行軍はその先頭にランタンを置いた。
リリララは魔精薬を服用したがどうにも調子が戻らず、本人は大丈夫だと言い張ったがシュアがそれを許可せず荷車に寝かされている。絶対的な索敵役の代わりを努めることとなったランタンだが、しかし本来その索敵能力はさほど高いものではない。
だが魔精の活性化により、身の内の魔精と、身の外の魔精の区別がほとんどなくなっている。猫の髭のように敏感なランタンの神経は、肉体から抜け出して迷宮に充ち満ちる魔精の海を我が物として自由気ままに泳ぎ、その尽くを知覚していた。
そして我が物である海を勝手に泳ぐ不届きな竜種を見つけると、行け、と脳が命令するよりも速く、ランタンは爆発するような速度で飛び出して後続を置き去りにした。
すでにエドガーは呆れていて、リリオンとベリレは必死にそれを追いかけ、レティシアが世話が焼けると言わんばかりにそれに続いた。
そしてドゥイはいつもよりもやや速い行軍速度に食らいつくのに精一杯で、いっそ休憩とも呼べる戦闘も、その交戦時間は僅かであった。
ランタンは血に酔っている。
竜血酒を一息に飲み干して、腹の中に燃え上がった大炎をランタンはすっかり己の一部だと認識している。炎は炎のままに血管を流れて、睡眠不足に青白い頬はいつかの赤みを取り戻す。ランタンは機嫌が良さそうな笑みを口元に浮かべて鼻歌なんぞを歌いながら鎧袖一触に竜種を蹂躙する。
戦鎚の先に起こる爆炎は遠慮が一つもない。血の滾りがそのまま威力に直結したような鮮烈な紅蓮は、あの飛竜が命を賭して放とうとした青い火球を倍にして足らぬ程の熱量を有していた。焦がされた迷宮壁がどろりと赤熱して滴り、竜種は強固な肉体を完全燃焼させられて灰も残らない。
魔物が死ぬと肉体の一部が魔精結晶へと変じる。心臓の鼓動が止まり、血の循環が失われ、ただその停止する血液の中で魔精だけは動きを止めない。それは肉体の最も強固な部分へと集まって凝縮し、溢れ、大気へと放出され探索者の肉体へと取り込まれる。
そしてランタンの遠慮無用の爆発により、強固な部分もそうでない部分も問答無用に消失させられて、行き場を失った魔精はそのほとんどがランタンの肉体に吸収された。
魔精の活性化したランタンは暴食とも呼べる魔精の摂取を経て、どれほどに暴れようとも疲れを知ることがないようだった。
今日の分の行軍予定を終了して野営地を決めると、女たちは食事の準備を始めて、男たちは昂りの収まらぬランタンの相手をすることになった。寸止めの約束は、当たり前のように失われている。
ドゥイは顎先を、指の、ほんの爪の先っぽで横払いにされて既に立ち上がることすら適わない。ベリレはランタンの頭をかち割って勝利に気を緩めた瞬間、肝臓、鳩尾、肋骨の上から肺、崩れ落ち様に人中、眉間と致死量の連撃を喰らい、それでなお足を踏み締めた。
肺の空気を抜かれて、痙攣する内臓の痛みを噛み殺し、ベリレは恐るべき気迫でもってランタンの肩を掴む。薄い肉を押し分けて関節の隙間に親指をねじ込み、ランタンの小躯を振り回し、叩き付けようとして失われた肉体の重みに戸惑った。
「僕の勝ちっ」
ベリレの背中。ランタンは熊の少年の首に足を回し、肩車の体勢になる。そして腕で目を塞ぎ、耳に唇を押し付けるようにして、身体を寄せると首を絞めた。脳へ流入するはずの血が塞き止められて、ベリレは最後の力でランタンの顔を後ろ手に掴む。ぐらりと膝を突いた。
これでなお失神しない。ああきっとこれすらも魔精の影響だ、とランタンは理解する。例えば魔精が魔道によって様々に変質するように、熊の少年の肉の内でもそれが行われて、ベリレの戦意や負けん気によって魔精は意識をつなぎ止める何かへ変質したのだ。
ランタンは指を入れられて充血する右目を擦り、真っ青な顔で荒い息をするベリレの頭を撫でた。普段は高いところにある頭を見下ろす心地よさにランタンはうっとりする。濃い茶色の髪が汗に濡れている。呼吸に連動するように熊の耳が小刻みに痙攣して、肺に息が満たされぬのに、まだもう一度、と再戦を望んだ。
いい子だな。
「またあとでね。おっかない人が来ちゃったから」
「ベリレ、呼吸を戻しておけ。……まったくおっかないのはお前だろう」
「竜殺しの英雄さまに、怖いものがありますか」
「恐れをなくしては、この歳まで五体満足ではいられぬよ」
「なるほど、だから僕のことじろじろ見てたんですか」
ランタンが純粋な納得をもって頷くと、エドガーは茶目っ気を滲ませて視線を逸らして自らの首を揉んだ。ランタンが反射的にどこを見るでもないエドガーの視線を追う。
気が付ついた瞬間にはエドガーが目の前にいる。首を揉んでいたはずの右手が拳に固まり、頭上に振りかぶっていた。鉄槌。
「ぐっ!」
交差させた腕にどうにか受け止めて、ランタンはエドガーの膝を蹴りつける。だがそれは臑に受けられて、そのまま逆に蹴り飛ばされる始末である。ランタンは壁に着地をして、迫り来る掌打を跳び越えて躱した。さして力を入れたようには見えないのに壁が放射状に陥没して、蜘蛛の巣のごとき罅が入った。
身体を内側から壊す技。
「喰らったら死にそうだ」
「余計な魔精が消し飛ぶだけだ。命に害はない」
「そんな勿体ない、折角気分がいいのに」
「ふん、酔っ払いが」
鉄槌を受けた痛みよりも、ベリレに指を入れられた肩が痛い。ランタンはぐるぐると腕を回して、仕切り直しとばかりに大きく呼吸を繰り返す。半端に吐き出した瞬間に踏み込む。こんな事でエドガーの虚を突けるとは思えないがやらないよりはマシだ。
「えい――」
蹴り足は躱される。水月狙いは半身になって空かされ、空かされた掌打に身体を引き寄せて肘を畳む。細く尖った肘打ちを容易に掌に受け止められて、ランタンは背中から老躯に突っ込んだ。
「――やっ!」
踏み締めた両足の下で鋼鉄が砕ける。舌打ち。震脚に跳ね返ってくるはずの体重が地面に抜けて、体重の乗らない背撃はただエドガーに身体を預けるだけになってしまった。肩肘手首を固めて腕を鉤型に。腰を回す。
肝臓打ち。
「ぶっ」
エドガーの脇腹を掠めただけ、ランタンは顔面に拳を受けて吹き飛んだ。咄嗟に顎を引いて額で受けようとしたが間に合わなかった。鼻の付け根の衝撃は、その内部に血の味を感じさせて、ランタンはそれが垂れる気配に鼻を啜った。ぺっと吐き出した唾液が赤く、舌先に鉄の味を感じる。
「くそう」
それでもランタンの口元に笑みがある。突撃。
格上相手に正面戦闘。ランタンは手足を目一杯に動かして、エドガーに挑んだ。狙いは急所に絞らずどこかに直撃できれば御の字だ。満遍なく無作為に徒手格闘を振り回し、今度は胸一杯に酸素を溜め込みそれを完全燃焼させる勢いで、ひたすらに攻める。
若さにものを言わせて、無茶をする。
「あれほど暴れたのに、まだ足らんのかっ!」
「おじいさまが変なものを飲ませるからっ」
猛攻にエドガーの呼吸が一つ荒れた。突き放すような中段蹴りを胸に受け止めて、だが既に吐き出す分の呼気すら胸の中にはない。諸手の掌打。だがそれよりもエドガーの頭突きの方が早かった。ランタンは叩き潰されるようにその場に倒れる。
追撃の踏み付け。ランタンは腕で地面を突き押して、猫のように跳躍した。
「死んだ振りは悪手だぞ。そういう魔物もいるからな、遠距離で狙い撃ちにして終いだ」
「僕は魔物ではありませんよ」
ランタンはかち割られた額を指差して赤く流れる血を指先に掬い取った。頭部の出血は怪我の大きさに比べて派手だ。大した怪我ではない。興奮により血液は粘性を帯びて、指がベタベタとする。
「ああ、安心したよ。レティシアは親不孝な家出娘だが、何かあってはあれの父に申し訳が立たんからな」
酩酊は人の理性を剥離させる。今のランタンはまるで心を剥き出しにしたようで、笑いながら戦いに身を躍らせるランタンの姿は無邪気の一言に尽きた。あるべくしてあるように四肢に戦意が満たされていて、それの振り回す力は善悪の区別がなかった。赤子と同様だった。
ランタンも呼吸を荒く、肩で息をして、そして疑問を吐き出す。
それは今までランタンが胸に抱くも、大人びた思慮深さや、あるいはあと一歩、他人に踏み込めない臆病さとも呼べる繊細な性格から吐き出せずにいたものだった。
エドガーはそんなランタンを眩しそうに見つめた。
「……レティシアさんのためだけ?」
「お前以外の全員のためさ。リリオンも含めてな。お前は得体が知れなさすぎる」
「得体、……ああ、なるほど。それは確かに――」
体勢を低く、エドガーの足元に飛び込む。軸足への蟹挟み。掌打をぶち当て膝をかっくんと折り曲げ、ええっとここからどうしようか、と迷いながらアキレス腱を固める。当然のように振り解かれた。エドガーの脛当ての上を指が滑り、回し蹴りの要領ですっ飛ばされる。直接壁に叩き付けられなかったのは、これがあくまでもランタンの体力を、赤子を泣き疲れさせるように消耗させるためである。
身体が縦に回転する。真横に吹き飛んでいるはずなのに何だか落下しているような気がするのは、感覚器の肥大に寄る悪影響だろう。わかりすぎる、というのも考え物だ。地に足が付いても天井を感じ、地を離れるとついに天地の区別が曖昧に混ざる。
ランタンは頭上に手を伸ばした。地面に触れる。指先を滑り止めに、だが遠心力が強すぎる。
倒立、後転、着地をして三歩後退。
「遅いっ!」
追撃の上段蹴り。
顎を引き、咄嗟に掌を差し込む。だが薄い掌は緩衝剤の役目をまったく果たさず、ランタンは自らの手の甲に額をしこたまに打ち付けると、額の傷から再び出血が起こったのを感じた。首に繋がれた紐を引かれたように真後ろにすっ飛んで、ランタンはそのまま安全圏まで後退する。
いい匂いだ。
そこは飯場である。
戦闘音楽を遠くに聞きながら夕飯を作っていたリリオン、レティシア、シュアの三人がランタンの急な乱入に目を丸くしている。そしてランタンの顔が血に汚れていることに気が付くと、リリオンは手に持っている包丁を取り落としそうになった。
「わあっ、ランタン怪我してるよっ!?」
「探索中だもん怪我ぐらいするよ」
とは言ってもここまで、なんだかんだと安全を第一に探索をしてきた。
竜種相手に大きな出血をするような怪我はなく身体の不調は、例えば歩き続けることにより断続的に掛かり続ける負荷や、あるいは竜種の強固な肉体へ対抗するために攻撃を打ち込む瞬間に掛かる巨大な負荷による、肉体の内部に蓄積するものがほとんどだった。
表面に見えるものはこれが初めてに近い。やはりエドガーは強い。一発ぐらいいいのを入れてやりたいな、とランタンは思う。リリオンの心配を余所に。
リリオンは落としそうになった包丁をしっかりと握り、エドガーを睨んだ。そしてレティシアやシュアが、なんだなんだ、とランタンの頭部を覗き込む。生え際のあたりが裂けて、とろりと赤い血が垂れていた。ランタンは掌で乱暴にそれを拭い、顔の右側に血化粧が塗りつけられた。
「大した怪我じゃないな、唾付けておけば充分だろう」
「ふむ、はしゃぐのもいいが程々にな」
「……何作ってるんですか?」
「ふふふ、秘密だ」
レティシアは小麦粉を練っていたのだろう手が白く染まっていた。その手がにゅっと伸びてランタンの額を触ろうとしてシュアに窘められる。レティシアが何を作っているのかは不明だが、ランタンも己の血が混じった料理を食べたいとは思わなかった。
ふと、腹の虫が哀れっぽく鳴いた。魔物と違って魔精だけでは空腹が満たされないのだ。
「お腹空いた。リリオン、期待してるからね。レティシアさんも、シュアさんも」
「ああん、ランタンっ……」
ランタンは額の怪我に舌を這わせようとするリリオンから逃げ出しつつ、待ち構えているエドガーへと走った。
歩幅の一つ一つを調節して、体重の全てを乗せきって踏み切り。エドガーの眼前に跳躍し膝を突き上げ、それが躱されるとみるや腰を回す。
胴回しの浴びせ蹴り。滑空する右足を受け止められて、追従する左足がエドガーの横面を狙う。ああ、惜しい。鼻先を掠めただけだ。大きく弧を描いた左足に身体を預けて、止められた右足が再び動き出す。エドガーの前腕を滑り落ちて肘窩を踏み台にして、背後を取った。
背中合わせ。気配が膨らむ。
反転は同時。エドガーの拳が耳の傍を通り抜ける。実戦なら耳を千切られていたかもしれない。肩を内に入れて肘打ちを胸に。胸甲の表面を滑り、ランタンは一回転し左の肘で顎を狙った。エドガーが大きく仰け反り、老躯は後転して跳ね上がりの爪先が喉に迫りくる。
潜れ。
身体が自由に動く。ベリレのように幼い頃からの修練を積んだわけではない。リリオンのように類い希なる種族としての頑強さがあるわけではない。小さく、痩せた身体は、荒事には不向きであり、その性根は暴力には不慣れだ。だが動く。たかだか一年かそこら、迷宮に潜り続けて身に付くものか。
才能といってしまえばそれまで。
だが、これは。
エドガーの爪先を潜って躱し、後ろへ距離を取るエドガーへ迫る。飛竜が火を吹いたように、空を飛んだように、当たり前に。着地と同時に拳を突き入れた。
「――……、ふう、今のはやばかったな」
「これを受けますか。少し腹立たしいです」
「さすがに躱せはせんがな。実戦なら爆発一発に俺の胴は消し飛ぶさ」
「……その前に首を落とされているような気がします」
ランタンはエドガーの肘に受けられてじんじん痺れる拳を解き、ぷらぷらと手を振った。受けた相手がエドガーではなかったら中手骨の何れかが折れていたかもしれない。閉じて開いて、それが苦でないことにエドガーに感謝をする。
「僕も自分の得体が知れないのですけど、どのあたりまでお調べになれましたか」
「……奴隷商に持ち込まれたところからだ」
ランタンが尋ねるとエドガーはやや声を潜めた。
「それ以前が四方八方に手を尽くしてもまったく追えない。探索者ギルドの助力を得てもだ。普通はありえん。その奴隷商も、すでにこの世に存在しない。どうやら木っ端微塵になったらしい」
「……へえ、不思議なこともあるものですね。でも残念だな。僕もそのあたりまでしか知らないから、まあよくある事ですよね」
「親の顔を知らんことは少なからずあるが、十余年の生を知らんというのは滅多なことではないぞ。何を気楽にしておるのだ」
「だってどうにもなりませんもの。人生諦めが肝心ですよ。生きること以外に関しては」
「さもありなん。だが、嫌な達観だな。まだそんな歳じゃなかろう」
エドガーは思わずといったように笑いを零した。
「でも過去が追えないだけで、僕がそんなに要注意に見えますか?」
「一見普通の奴の方が危ないんだ、特に子供はな。それに」
「それに?」
「……お前は噂を知っているか? 下街でこの一年程で広まった噂だ」
「ええっと、闇市で売ってる軍放出品の刀剣類の中に魔剣が潜んでるとか、そういう類いのですか?」
「違う、そんなものは俺が生まれる前からある」
「屋台売りの大鼠の肉は実は人肉だって言う」
「それは真実だな、まあよほどないが。空惚けているのか本当に知らんのか。カボチャ頭と言うものを聞いたことはないか?」
「……? 魔物のあれですか。植物系と見せかけて、死霊系に属してる――」
「黄昏時に下街の薄闇に現れては、出会った人間を死に誘う。鬼のように強く、残酷で、手が付けられない。出会ったら逃れる術はないらしい。そう言った怪異の話だ」
「……知らないですけど。でも逃げられないなら、どこからそんな噂が出たんでしょうね」
ランタンは冗談ではなく思い当たる節ではなかった。この探索が無事に終わったら、リリオンが一人で外に出歩けるようになるかと思ったが、まだもう少し気をつけなければならない。
「お前はどうだ? よく絡まれては暴れていると聞いてるぞ」
「でも、僕は結構逃がしてますよ。ちゃんと殺さないとよくないとはわかっていますけど、あんまり暴力って好きじゃないし」
真面目にそんなことを言い放つランタンにエドガーは両手を腰に当てて俯き、低い声と一緒に肩を揺らしている。額に浮き出た汗を拭い、そのまま髪を掻き上げて顔を上げた。
殺しきれない笑みが口元にあり、エドガーはベリレを振り返った。
「刀を。それとこいつに戦鎚を持ってこい」
「何を……?」
「いいだろう。ちょっと斬りたくなったんだ」
「……何を、仰っているのかわかりませんが」
理解できていないのはランタンばかりで、ベリレはいそいそと武器の用意を始めた。壁際に立てかけられている竜骨刀の一振りをエドガーに恭しく差し出して、戦鎚はいかにも投げやりに、ほらよ、と言ったような感じだった。それでも乱暴なことはしないあたりよく教育が行き届いている。
「ありがとうね」
「……ああ、うん」
ランタンが礼を言うとベリレは頷き、じっとランタンが見つめ続けると、もごもごと口を開く。
「エドガー様は別にお前を殺そうとしてる訳じゃないから、安心して斬られてくれ」
「何を言ってんのか全然わかんない。師弟揃って」
とは言え何か気に障ることして殺されるわけではないようだった。例えばエドガーが気に掛けているレティシアの腰巻きを捲り上げた事に対する罰を与えられたりと言うような。
やばい、後で謝っておこう。ランタンは不意に己の行動を思い出し、一筋垂れた冷や汗はそれ以前のものと混ざって区別が付かない。人生諦めが肝心だ。後悔は先に立たない、もう、変なもの飲ませるからとエドガーを睨む。人はそれを責任転嫁という。ランタンは肉付きのよく、引き締まった足を思い出して赤くなった。
ランタンは戦鎚の重さを確認するようにぐるぐると手首を回す。少しだけ、軽く感じる。
「男同士、拳を交えてわかり合える事も多い。ベリレと仲良くしてくれてありがとうな。あれも最近は楽しそうだ」
「はあ」
「拳を交えてわかり合えるのならば、斬ればもっと深くを知る事ができる。ほらよく言うだろう。腹を割った話し合いと」
エドガーは自分の言った冗談に呵々と笑い、竜骨刀をすらりと抜き放った。
「爆発の使用を許可する。遠慮はいらんぞ」
「……僕、なめられていますか」
身体を動かし続けて小さくなった腹の中の炎が、俄に騒ぎ出した。魔精にランタンの意思が注ぎ込まれて、ゆっくりと吐き出した呼気が熱く、割れた唇の隙間から覗く舌がまさしく炎のようだった。
「まさか、ただ事実を言ったまでだよ。お前が俺を殺せるのならば、それこそこの先の探索に不安がなくなる。……しかし生意気な奴だな。俺に竜骨刀を向けられれば、誰もが感動に身を震わせるというのに」
「向けられた相手は絶望しかないでしょう」
隙のない美しい立ち姿。これを前にどうやって生を繋げと言うのか。
「それでもさ。これはそういうものだ」
圧倒的な剣気。すでに斬られているような気さえする。もう失った命だ、と生に後悔がなくなるのかもしれない。
ランタンは白く滑らかな鋒を向けられて、思わず笑った。今まで出会ったどのような魔物よりも怖い。それゆえにランタンは牙を剥くような笑みを浮かべる。
焦茶色の瞳に炎が燈る。それは夕焼けの色に似ている。太陽の色に似ている。
気が付けば誰も彼もが二人を見ていた。ベリレとドゥイが背筋を伸ばして立身不動の体勢に、荷車からはリリララが重たげな身体を乗り出すようにして、レティシアが白く染めた手もそのままに、シュアが遠くを見るように目を凝らして。
リリオンが、ただじっと。
「来い、ちび助」
エドガーが右肩に刀を担ぎ、ランタンは爆発加速に身を任せる。ランタンの輪郭が風景にとけ、研ぎ澄まされた感覚が一秒を引き伸ばす。一刀の間合い。百万に分割された時間の中でエドガーの右腕がなお霞んで捉えきれない。
放たれた紅蓮閃光は、光の速度。それは目潰しの役割も兼ねて、聴覚を奪う爆音はあまりにも遅すぎる。戦鎚に巻き起こった爆発は最短を駆けてエドガーに迫る。
「ちっ――」
戦鎚の引き連れる灼熱の爆炎は、竜骨刀に撫で切りにされてランタンの首筋に一筋の血が垂れた。
「――遠慮するなと言ったろうに」
一瞬の攻防は紅蓮の中にありそれを目視できた者はない。炸裂するはずの爆音は両断されて霧散し、瞳の赤もすっかり消え失せ、爆発の名残は竜骨刀に纏わり付く陽炎だけだった。
エドガーは呟き、熱の燻る刀を一振りして鞘に収める。ランタンはにへらと笑って首筋を押さえた。
薄皮一枚。痛みはなく、血が熱を持っているようだった。
「遠慮なんかしてませんが、何かわかりました?」
「ああ、多少はな。お前にはどこかに嘘がある。それはきっと無自覚なものだ。自分自身を勘違いしているのかもしれんが、これ以上深くを知ろうと思えば首を刎ねんといかん。だが、敬老精神溢れる生意気な奴だってことはわかった。もう甘やかしてはやらん。客扱いはお終いだ」
「甘やかしで頭割られてますけど」
エドガーはランタンの頭を掌で包み込むように、ぽん、と叩いた。
「お付き合い頂いてありがとうございました」
「うむ、課題は魔精の制御だな、やはり。爆発も漫然と使うのではなく、魔精の流れを意識するように。身の内外問わずにな。爆発は魔道だ。その自覚を持って使用するように」
「はい」
ランタンはエドガーに頭を下げて、心配げな顔つきでこちらを窺うリリオンに振り返った。活性化の残滓が少女のほっとした息遣いをランタンに伝えた。
大きく戦鎚を振り回して無事を伝えると、リリオンも包丁を振り回してこたえる。あんまりにも危なっかしい手つきにランタンは苦笑を漏らした。
「着替えるからこっち見ないでねー!」
ランタンは大きな声で叫び、汗に濡れた服を脱ぎながら荷車に歩み寄る。戦鎚を車輪に立てかけて、脱いだ服で汗を拭って荷台の縁に放った。
リリララがじっとランタンのことを見ていた。
「あたしは、見ててもいいのか?」
半裸のランタンにリリララは呆れたように呟き、その身体に手を伸ばした。
「頭と首。血が出てるぞ」
「知ってますよ。でも一番痛いのは肩なんですよね。ほら、内出血が酷い」
ランタンはリリララが荷車から落ちそうな気がして、伸ばされた手を掴んだ。身体を動かし続けて火照っているのだが、手を通して伝わるリリララの体温は随分と戻ったように思える。顔色もあまり悪くはないし、調子を取り戻しつつあった。
繋いだ手をリリララが引き寄せて、ランタンの首筋に顔を寄せた。
「エドガー様を相手に手を抜いたんだって?」
「……そんなつもりはなかったですけど、おじいさま曰くそうらしいですね」
「ふうん、そうか」
リリララは視線を合わせず、ランタンの目の前には警戒を示すぴんと立ち上がる少女の兎耳があった。褪せたような色の柔らかい短い毛に覆われた耳は、その内側に赤い毛細血管を複雑に張り巡らせていた。癖なのだろうか、辺りを探るようにぴくぴくと動いている。
「お前、汗臭いな」
「え、嫌だな――」
ランタンは反射的にリリララが顔を近付ける首筋を押さえようとしたが、両手は兎の少女に繋がれていて、思いがけず強い力で動きを制された。そして首筋に舌が這った。
エドガーに斬られて滲んだ血の筋を。唇が冷たく、舌が熱い。
「あーっ!! ずるいっ!」
遠くからリリオンの叫び声が聞こえてランタンは目を白黒させた。




