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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
96/518

096 迷宮


96


 ひゅるう、と飛竜の喉が鳴ったように思えた。

 ランタンは呆然とした表情で、ドゥイと同じように爪先立ちになって目を凝らす。

 飛竜は翼を閉じて、まるで緑色の卵に包まれたような形で落下している。

 戦闘の幕を引いたエドガーは棘鎖の上に難なく着地をすると流麗な動作で血脂を振り払い、もっともあの恐るべき斬撃は刀身に血肉を付着させることはないのだが、するりと納刀して階段を下るように鎖を渡った。

「さすがに凄まじいな」

「青い、太陽を斬った……」

 姉弟が呆然と呟いた。

 エドガーが最後に斬った火球は、ドゥイの言う通りにまさしく太陽のようだった。迷宮に昇った青い太陽は白々とした熱を発して不吉極まりなく、周囲に発生させた熱波は周囲の大気と迷宮を炙って天井は今なお赤黒い熱を保有している。

 眩しさに目を細めた次の瞬間には、それが嘘であったように消えているのだから驚きも無理からぬことである。

 だがランタンはあの高速の五連撃よりも、最後、飛竜の首を打った一撃が未だに信じられない。火球に目が眩んだが為の見間違いかもしれない、とランタンは瞬きを繰り返し背後を振り返る。ドゥイの脇腹を叩き、つい思わずシュアの尻を引っぱたいて急かす。

「おわっ、な、なんだ?」

「向こう行きましょう。リリララさんが、ちょっと辛そうだ」

「ああ、そうだな」

 ドゥイは思い出したように息を整え、ランタンとシュアは荷車に飛び乗った。荷車を牽くに最も力がいるのは初動である。停止状態から車輪を回すのは、なかなかの難事だ。ランタンがドゥイの唸りに冷静さを取り戻し、それを手伝おうと思う間もなく荷車は動き出した。

「お見事。へえ、これは楽だな」

「つ、疲れたら、頼ってくれ。い、いつでも」

「頼もしいですね。ありがとうございます」

 滑らかな動き出しから淀みない加速を経て、荷車はリリララへ迫る。

「あ、おい、ドゥイ。速度が――」

 シュアがはっとして声を上げると、ドゥイもはっとして、ランタンは思わず笑った。

 ランタンが褒めたのに気を良くしたのか、それとも戦闘の興奮冷めやらぬ現場へと一目散に向かいたがったのか、荷車はリリララ近辺で停止するには少しばかり速度が乗りすぎていた。

「僕が拾い上げますから、速度は落とさなくていいですよ」

 ランタンは言うが速いか荷車から飛び降りて、リリララへと駆け寄る。

「お疲れさまです」

「――ああ、おう」

 リリララはかなり消耗しているようだった。貧血を起こしたように顔は真っ青で、返ってきた返事が虚ろである。

「荷車に乗せてもらいますので、肩を」

 ランタンが優しく言うと、リリララは言葉を理解しているのかいないのか、俯くように頷いた。ランタンはリリララの腕を己の首に回し、背中を支えて、兎の少女の膝窩に腕を滑り込ませて抱き上げた。

 リリララは恐ろしく軽かった。いつかリリオンを抱き上げた時を思い出す。それは氷のように体温が低いからかもしれない。だが身長差を考慮してもそれ以上に軽いように思える。

曰く神経を使う細かな魔道を連発したせいなのだろう。リリララは冷や汗を掻いており、さらさらと濡れた体温が抱え上げたランタンにまで伝播するようだった。

 ランタンは荷車に飛び乗ろうかと思ったが、可能な限りリリララを揺らさぬように、通り過ぎ様の荷車に大股の一歩で乗り込んだ。

「ここに寝かせてやってくれ」

 荷車にはシュアが既に毛布で寝床を用意しており、ランタンはリリララをそこに寝かしつける。

「あー、悪い。ちょっと数を打ち過ぎた」

 リリララはぐったりとして、骨が失せたように小さくなった。シュアがリリララの汗を拭いてやり、手足の拘束を緩めてやるとほっと一息、疲労を吐き出す。

 リリララは毛布に包まり、ぼんやりとした眼差しを隠すようにシュアが額から目元を掌で覆う。掌の熱にリリララの口元が僅かに緩んで、ふうふう、と小さく穏やかな呼吸が胸を上下させた。

「体温が下がってるな。また無茶をして」

「いやあ、エドガー様が張り切るからつられちまった」

「凄かったですもんね、おじいさま」

「ああ、ちゃんと見てたか?」

 リリララは目元からシュアの手を外して、赤錆色の瞳でランタンの顔を見つめた。薄ぼんやりとしながらも観察するような、確認するような視線である。ランタンはその視線に妙に緊張してしまい、唇が怖々と曖昧な笑みの形を作った。

「ふうん」

 リリララはそう呟いただけで、再びシュアの掌に自らの眼差しを隠してしまった。

「見てましたよ。リリララさんのことも、もちろん」

 派手さはない。だが壁の上部では足場を、そして地上では地に落ちた飛竜の行動を阻害する遮蔽物を的確に構築した魔道の撃ち分けは、姿を変えた戦場を見ればその凄さが一目瞭然だった。戦場に突き出す無数の棘は、その先端に飛竜の血肉で青い花を咲かせている。

 戦場ではベリレが飛竜の死体を脇に退け、リリオンとレティシアが棘を刈り取っていた。荷車の通行の邪魔になるようなものはほとんど片付けられて、道には噎せ返るような死臭と車輪を空転させかねない血溜まり、そして遥か頭上には火球の熱気がぐずぐずと未だに渦巻いている。

 ドゥイが次第に荷車の速度を、今度は確実に落としていき、ランタンは早々に飛び降りてリリオンに駆け寄った。

 いつの間にあんなことができるようになったのだろう。

 ランタンは大剣を左右に振り回し棘を断ち裂くリリオンの姿に驚いていた。鋼鉄の棘は最も太い部分でもランタンの二の腕ほどもあるかと言う程度で、飛竜と相打ちになって歪み拉げてはいた。だがそれでもリリオンは鋼鉄を斬っていた。

 盾は地面に降ろしている。大剣の柄を両手でしっかりと握り込み、凜然とした脇構え。鋼鉄を斬ろうというのに躊躇いのない腕の振りと、対象へ垂直を保つ刀身。直撃の瞬間に一瞬の火花と、体重を乗せて圧して斬るリリオンの前傾。

 大剣は鋼鉄を両断して止まらず、慌てて急停止したランタンの横面に走り込み、ランタンはそれを人差し指と中指の二指の間に挟み止めた。

「わっ、ランタンっ!? ごめんなさいっ!」

 金属摩擦で大剣はかなりの熱を保有していて、リリオンは驚き慌てて剣を引こうとしたが刀身はぴくりとも動かなかった。

 力強いな。

 慌てるリリオンを余所にランタンは冷静にそう思い。既に危険はないのだから力を抜けばいいものを意地になって体重を後ろに掛けていた。鋼鉄を斬った技術を持っているとは到底思えない、力任せな行動だった。

「リリオン、引いて駄目な時は押すといいぞ」

 最後の一匹、首を打ち据えた飛竜に腰掛けるエドガーが笑うように少女に声を掛けて、当初の目的を既に失っているリリオンはそのアドバイスを何の疑いもなく受け入れる。

 この子は、引くよりも押すことの方が得意だ。

 ランタンは圧力に合わせて腕を引いて、リリオンの鳩尾に顔を埋めて少女を抱きとめた。心臓の音が聞こえる。

「お疲れさま。がんばってたね。僕、楽させてもらっちゃったよ」

 汗の匂いがする。お腹空いたな、と思う。

 ランタンはリリオンの腰を抱き寄せたままひょっこりと、少女の脇下から顔を覗かせた。

「おじいさま、いい椅子ですね」

 エドガーは走り詰めで少し疲れているようだった。幾ら大英雄と言えども御年七十に掛かろうかという老身であることには変わりないのだ。エドガーは飛竜の肩口辺りに腰を下ろして、寝かしつけるように緑の鱗を撫でていた。

 ランタンをちらと一瞥し、口元が僅かに緩む。口角に年齢よりは若々しく皺が刻まれ、どこかに逸らされてしまった眼差しの色が優しい。その表情にランタンは目を伏せた。

 畏れ。

 だが、これは――

「お前の枕に敵わんさ」

「ええ、知ってます」

 ――超えたくなる。

 エドガーの言葉にランタンは当然のように頷き、枕はランタンの尻を触った。

「……あっちの椅子の方がよかったかな」

 リリオンの手が尻を撫で上げ、腰をさすって、背骨を伝った。

「ランタンっ、おじいちゃん凄いのよっ」

「言われなくたって見てたよ」

「そうじゃなくてっ、あの竜種(ドラゴン)まだ生きてるのよっ! すごいねっ、わたしもできるかしら?」

「さあ、どうかな。でも両刃じゃちょっと無理じゃないかな」

 ああやっぱり、あれは見間違いでなかったのだ。

 手首の返し。あの細くしなやかな竜骨刀による重い峰打ち。鱗を徹し、頸椎を打ち、全身全霊をかけて死を追い払おうとした飛竜の意識をあっさりと飛ばした。

「リリオンが竜種を食いたがってたからな。こいつは食えるし、まだ幼竜だから肉も柔い。ちょっとした御馳走だな」

「でも、なんで生け捕りなんかに」

 エドガーは立ち上がり、二人を手招いた。リリオンはあれだけ地に落ちた飛竜を斬ったというのにおっかながっていて、ランタンは物珍しさも相まってリリオンの手を引いて躊躇いなく飛竜へ近付く。

 幼竜と言えども大きい。青息吐息に震える喉などはランタンどころかリリオンを鵜のように一飲みにして蓄えられそうだった。

「これで何キロぐらいなんだろう?」

「飛ぶために見た目よりは軽いぞ、五百か四百ぐらいだな」

 四本角は見た目の(こわ)さよりも随分と柔らかそうだ。骨質ではなく、皮膚の延長なのだろう。幼竜であるからこそ角質化がまだ甘いという雰囲気で、高級な薬屋にはこういった角が干し柿のように吊されていたりする。

 ランタンは飛竜の背に触った。

 鱗は背側と腹側で雰囲気が違った。背中側の鱗は一枚が大きく分厚く、異形の花弁のように重なり合っていたが、腹側の鱗は小さく細かく敷き詰めるように密集していた。飛翔するために鱗は軽量で、しかし硬度があるので鱗鎧の材質として最も高価なものの一つだ。

 自分ならどう攻めるだろうか。戦鎚で叩くにしても背中は硬そうだし、鶴嘴で鱗を剥がすならば角度を付けて引っ掛けてやらなければならない。鱗の硬度は、さすがは竜種。リリオンの首下から滑り込んだ切り上げは正解だな、とランタンは飛竜の顔を覗き込む。

「あ、鼻焦げてる」

「ね、自分の火で焦げちゃうなんて間抜けね。うふふ、お鼻つやつや」

 炭化ではない。飛竜の鼻先はどれほどの熱に炙られたのか硝子化している。

「最後のやつの余波だな。魔道の暴走というか――」

「おじいさまへの恐れですか」

「くくく、もしそうならお前より可愛げがあるな。食うのが惜しくなる」

 エドガーがそんなことを言うのでランタンはありったけの可愛げを込めて、しなを作って微笑んで見せた。だが効果があるのはリリオンばかりだった。ちらちらと盗み見をしていたベリレなんかは顔を青くする始末であるので、ランタンはそちらへ向けて片目を閉じた。

「あ、視線逸らしやがった」

「わたしは逸らさないよ、ほら。ああん、もう、なんで逸らすのっ」

 ふい、と逸らした先でレティシアが苦笑していた。ランタンが何となく会釈をすると、口元を隠して肩を振るわせる。レティシアは息を落ち着けるように肩の震えを次第にゆっくりと大きくして、こちらに近付いてくるその手には切り取った棘が握られていた。

「充分可愛いじゃないですか、エドガー様」

「半分以上はリリオンのおかげだろうが、……まあよいか。ベリレと、ドゥイも頼めるか? シュア、用意を」

 エドガーが手招きするとドゥイは初陣であるかのように飛び上がり、ベリレに並んだ。何ともむさ苦しい絵面である。

「何故生かしたまま捕らえたかと聞いたな。それは血抜きのためだ。心臓を動かしたままの方が都合がいい」

 レティシアが飛竜の足首に棘を打ち込んで足枷のように連結して股を開かせる。ベリレは棘の中心に鎖を巻き、そこから更に伸びた先端を尾の付け根に巻き付ける。そしてドゥイがベリレの補助をして、二人して顔を真っ赤にして長尺棍を持ち上げた。ぎりぎり、と鎖が軋みをあげて飛竜が吊り上げられる。

「ベリレ、ドゥイ。あと五秒耐えろ」

「リリララ、まだ――」

 荷車から崩れるように降りたリリララが地面に座り込み、そこから流れたリリララの意志が長尺棍に絡みつきそれを支えた。ベリレとドゥイは恐る恐る長尺棍から手を離し、シュアが慌てた様子で駆け寄っていく。ランタンも思わず駆け寄ろうかとすると、血の気の失せた青白い顔でリリララが睨み付けてきたのでその場に留まった。

「ランタンが疲れているようだから、取って置きのいいものを飲ませてやろうと思ってな。リリオンの可愛げに感謝することだ」

 レティシアがシュアから渡された小さなグラスと、馬鹿みたいに度数の高い蒸留酒の瓶を揺らした。

 竜種は吊られていても、頭部は地面につき、首が蛇のように折れ曲がっている。

 エドガーは竜骨刀を抜き、無造作に飛竜の首を斬った。動脈が断ち割られて飛竜が痙攣し、傷口から青い血が勢いよく流れ出す。命が流失していく。

 エドガーはレティシアからグラスを受け取ると、その半ばまで血を満たす。血はグラスの縁から外側に伝っている。そこにレティシアが蒸留酒を注いだ。

「わあ、綺麗」

 飛竜の血はさらさらとしていた。グラスから溢れるほどの蒸留酒で割った竜血は青い冷光を発するかのようで目に美しく、リリオンの歓声にランタンは苦虫を噛み潰すような顔つきになった。

「竜血は最上の滋養強壮薬だ。疲労なんて一撃で吹き飛ぶぞ。地上(うえ)じゃそうそう飲めるものではないからな」

「……お心遣い痛み入ります。ありがたく頂戴いたします」

「わたしも飲みたいなあ」

 呟きにランタンは、これはリリオンのための毒味だ、と覚悟を決めた。ほんの小さなグラスが異様に重たいのは、あるいは竜血の重さであるのかもしれない。

 ランタンは唇から迎え入れるようにグラスに口付けをし、一息でグラスの中身を空にした。

「――ランタン?」

 ランタンはリリオンの顔を見上げて、僅か青く染まった唇をちらと舐める。




 炎を飲んだようだった。

 吊した飛竜の下に加脂して防水性を持たせたクロスを構えてリリオンとレティシアが放血して溢れ出た血をそこに溜めた。重量比で二割、約八十キロほどの血液はクロスを破らんばかりに満ち足りて、脂に染みて膨らんだ丸みからぽつりぽつりと血が滴っている。その血をシュアが小鍋にたっぷり掬い取り、乱暴に攪拌して凝固を防ぎ表面に泡の膜を張った。青い泡の粒は、昆虫の奇妙な卵のように見えなくもない。酸化を防ぐ役割があるのだそうだ。

 余った血液は荷車よりも後ろに流し捨てて、血に染まったクロスを飛竜の下に敷いた。

 まず邪魔な翼手を切り落とし腹を割く。血の青さとは裏腹に飛竜の腹の中は赤々としている。血潮の残熱が残っていてむわっと鉄臭く、水の魔道使いが欲しくなるな、とエドガーがぼやいた。

 飛竜の解体をしているのはリリオンで、エドガーは口を出すだけだった。

 リリオンは腕まくりをして、狩猟刀を構えている。さすがは嵐熊の爪からグランが造り上げた狩猟刀。その刃は飛竜の肉を魚のように捌く。

 まず肛門周りの肉を切り取って腸を外し、すると葡萄の房のように諸々内臓が一斉に落ち、リリオンはそれらを傷つけないように気をつけながら横隔膜を切り取る。五臓六腑、その他諸々の全てが丸ごと外れる。

 リリオンは臓腑の全てをクロスに下ろして広げ、部位ごとに分けていく。心臓、肝臓、腎臓あたりはなかなかにおどろおどろしい色味をしていたが、それらは血液と同じくシュアが回収していった。

 他にも飛竜にはよくわからない臓器がちらほらと見られる。浮力を得るために比重の軽い気体を溜め込む、それは既に萎んでいたが、浮袋や、種火を作るためか、あるいは火の魔道を補助するためか、可燃液を溜める器官があった。可燃液は常温で気化するようで、この液体は何かしらに使えるかもしれないので密閉瓶に注ぎ、空になった袋はやはりシュアが回収する。

 解体の邪魔になると切り落とした頭部もシュアは嬉々として持ち去っていった。

「何に使うんですか?」

「ふふふ、まあちょっとな」

 はぐらかすシュアにランタンは首の据わらぬ頭をゆらゆらと揺らした。

 荷車でくたばっているリリララを除いた女たちは誰もが腕まくりをしていて、手を飛竜の青い血に濡らして忙しなく働いていた。

 リリララと同じように魔道を連発していたはずのレティシアは少しの疲労があるだけでリリオンと一緒に飛竜を解体している。黒い肌は青い血に濡れていっそう艶めかしい。血に汚れないように恐る恐る額に浮いた汗を拭う様は、持ち前の気品をむしろ自ら汚すようで官能的ですらあると思う。

 ベリレやドゥイは死屍累々となっている飛竜の死体から魔精結晶や爪や鱗皮、それに可燃液を回収していて、ランタンはというとリリオンの周りをうろちょろとしていた。

 血酒が胃の腑で熱を発しているようだった。喉を滑り落ちたきつい塩味(しおみ)と鉄の臭気。酒精では誤魔化しきれない命と死の香りが、喉奥から這い上がってくるような気がしてランタンは多少ふらふらとしている。

 むずがる子供のように落ち着きがなかった。

 当初は手伝おうかと思ったのだが、レティシアに狩猟刀を奪われてしまって手持ち無沙汰なのである。

 ランタンはリリオンの三つ編みを指先にくるくると巻き付けながら少女の手際のよさに頬を緩めていた。

「綺麗なお肉ね」

「ああ、これは当たり個体だな。胃も腸も空っぽだったぞ」

 リリオンとレティシアが何やら物騒な会話をしている。

 魔物は迷宮に湧き出る。だがその魔物には二つの区別があると考えられている。

 人知れぬどこか魔境から召喚される魔物と、迷宮によって生成される魔物の二種だ。前者である場合は以前の生活で食したものを腹に収めていたり、雌であれば子を成している場合もある。

 この飛竜はどうやら新規生成されたものらしく、そういった魔物は召喚魔物に比べて肉に雑味がないという。それを上品と取るか、物足りないと取るかは食した個々人の味覚によるが、概ね生成魔物の味を好む者の方が多く、同種の魔物肉であるのならその方が高額で取引される。

「筋がすごいわ」

「弓の材料になるぞ。引ける者は極々少数だが、リリオンならできるかもな」

「でも探索者はあまり使わないんでしょう?」

「まあな、だがうちの騎士団に入るなら必修だぞ。野外での戦闘も多いからな」

 吊して内臓を抜いた飛竜はそれだけで随分と軽くなったようだ。足首と尾の周りに切れ目を入れて、足首から内股へと刃を進める。そしてリリオンとレティシアが息を合わせて飛竜の皮をひん剥いた。皮下脂肪は薄く、脂肪交雑(さし)の少ない真っ赤な赤身肉がそこには吊されている。これで体重は三分の一、あるいはもっと軽くなっただろうか。内臓を外して剥き身にすると、あの獰猛な姿が思い出せないほどに痩せて見える。

「すごい」

 一枚の見事な竜皮である。ランタンが感嘆の声を上げていると、それもシュアが横から掻っ攫っていく。鱗皮は随分と重たそうでシュアは受け取ったものの難儀しているようだった。

「どうするんですか?」

「脂肪を外す」

「食用ですか?」

「いいや、竜の脂は食用にはあまり向かないよ。不味くはないが取り過ぎると腹を下すからね。濾してやれば上質な機械油になったり、刀剣類の錆止めなんかにも使えるけど今回は外すこと自体が目的だ。使わない脂があっても荷物だし、時間が立つと剥がし辛い」

「僕も手伝いましょうか?」

「ドゥイとベリレが手隙になったようだから、あいつらにやらせるよ。ランタンは今は刃物を持たないように」

「どうして?」

「自覚がないのなら尚更な。リリオンも、レティシア様もお願いされても渡したら駄目ですよ」

 シュアはリリオンから皮を受け取りながら、二人に釘を刺した。どうしてそのようなことを言うのかまったく理解できないランタンは、くるくると指に巻き付けたリリオンの髪を意地悪そうに引っ張って、こちらを向いた少女を上目遣いに見つめた。

「僕、暇なんだけど」

「ダメよ、ランタン。後で美味しいお料理を作るからね」

「……いけず。レティシアさんも、狩猟刀取るし。もう、どうしてそういうことすんですか?」

「すぐ返すよ。だから大人しくな」

 作業の手を止めてランタンにかまい始めようとする二人をエドガーが手を叩いて叱責する。

「ほら、休んでいるんじゃない。手を動かせ。ランタンも邪魔をするな。こっちに来い」

「いやです」

 ランタンは手刀を成しているエドガーの右手を見つめて首を振った。うろちょろとする子供を黙らせるには、失神させるのが一番簡単で確実な手口である。特に無駄に場数を踏んだ探索者の子供には。

 だが子供は無駄に場数を踏んでいるので、無駄に目敏くもあるのだ。

 あの手の形は延髄へ振り下ろすためのものではなく、喉元に打ち込むためのものだ。ランタンも数度やられた経験がある。躱し、反撃して手首や肘をねじ切ったが。一度躱し損ねて反吐を吐いた。喉に苦みを思い出し、だがそれは血酒の風味にすぐに忘れてしまった。

 エドガーは隠しもせずに舌打ちをして、右手をゆらゆらと揺らして危険がないことを伝えるが、ランタンはリリオンの髪を揺らすことに夢中だった。

「酔っているのに、それでもどうにも緊張が解けんようだな。まったく面倒な奴だ」

「酔ってないですよ、探索者ですもの。味があんまり好きじゃないだけで弱くはないですよ」

「いや、酔ってるよ。魔精酔いだ。魔精との親和性が高いようだが、これはこれで問題だな」

「なるほど……確かに活性化の状態に似てるかも。ほら心臓触って」

 ランタンがリリオンに言うと、少女は手を持ち上げる。

「あ、その手で僕に触らないで」

 リリオンが血に染まった手を悔しげに見つめた。

「――わたし、手に血が」

 青い血は酸化と魔精の喪失が同時に進んでいて、それはやや紫がかっているようだった。放血当初はさらさらとしていた血も今では粘性を帯び始めていて、リリオンの掌には少女の手相がくっきりと浮かび上がっている。

「もう、しかたないなあ」

 哀しげなリリオンに、ランタンはべったりと身体を預けた。平べったい胸を少女の身体に押しつけると、鼓動が混ざり合うようだった。

「ね」

「――うん、どきどきしてる。心臓、はやいね」

「蚤の心臓だからね」

 ランタンはぱっとリリオンの身体から離れて、けれど薬指に巻き付いた三つ編みはそのままで少女の髪を弄ぶ。

「悪い奴だ。酔わせるんじゃなかったな。レティシアも気をつけろよ」

「――ご自分の昔を思い出しますか、エドガー様」

「俺がやったら頬を張られているさ」

 リリオンは背骨と肋骨の間に狩猟刀を叩きつけた。どうやら三枚に下ろすようだ。

 骨に触れる肉は獣臭が濃く香るが、肋肉はそんなものが苦にならないほどに肉の味が濃く美味な部位である。

 ごそっと外した肋骨は、肋間に刃を通して一本一本に分けていく。

「焼いて食べたい」

「うん、じゃああとで塩と香辛料で漬けておかないと。ランタン、髪くすぐったいわ」

「スープも作ってよ」

 エドガーに注意を払っていたかと思うと、ランタンはすぐに意識を別に移す。

「蚤の心臓か。どの口がそんなことを」

「この口ですよ。おじいさまがベリレのこともほったらかしてじろじろ見てくるから、気になって夜も寝られなかったですよ」

 空気の流れ。ランタンはリリオンの髪を指から解いた。

 血液は魔精の溶媒であるが、迷宮の大気もまたその一つである。鞘に収めていたようなエドガーの静謐な意念が、大気に溶ける魔精を伝ってランタンの肌を撫でる。そして大気が魔精の溶媒であるのなら、魔精は意思の溶媒である。魔精の制御を極めれば口を利かずとも他者を圧倒し、敵の身の内から漏れる気配から心を読み取る。

 それはあくまでも優しく撫でるような。

 ランタンは未来予知と思えるような身のこなしで、どのような踏み切りをしたのか誰も捉えられないエドガーから距離を取った。ランタンを掴まえようとするエドガーの手を辛うじて躱して、リリオンの影からレティシアの影へと身を躍らせる。

 ランタンはスカートめくりをするようにレティシアの腰布を巻き上げて、エドガーの視界を遮った。布の手触りは抜群で、めくられてレティシアは驚き慌てていたが、彼女もまた手が青くべったりと汚れているのでそれを押さえつけることができないでいる。

「っ、ランタンっ!」

「レティシアさんも、なんだかいじいじしてるし」

「――っ」

「もっと、頼ってくれてもいいのに」

 ランタンはレティシアにだけ聞こえるように不満気に呟き、途中シュアを経由して、ベリレとドゥイにちょっかいを掛けて、荷車に飛び乗った。猫のような身のこなしで、着地には足音が伴わない。

「お加減はいかがですか?」

 魔精に酔い、奔放に振る舞うランタンを誰も捉えることができず、エドガーも追撃を諦め、あるいは呆れたようだった。穏やかな眼差しだけが追いかけてくるばかりだ。

 荷車の上にぺたりと座り込み、ランタンはリリララの顔を覗き込む。

 リリララはまだ血の気の失せた顔色をしていたが、赤錆の目はいつものような険を取り戻していた。頬の引き攣るような皮肉気な笑みを口元に湛えて、ランタンに顔を寄せるように人差し指で招く。ランタンはそんなリリララに従順に従った。

「大丈夫だよ。お前よりはよっぽどな」

 ランタンは意識を断たんと突き込まれた指を容易く避けた。

「くそっ、極まってんな」

「でしょう?」

 リリララは舌打ちを一つ吐き出して、仕方なしにランタンの膝を撫でる。

「ここで大人しくしてろ。いいな」

 ランタンは手を重ねて大人しくなった。

「手、小さいな」

「あまり変わらないでしょう?」

 手が冷たい。

「お前の手が熱いんだよ」

 無言のランタンに、リリララがぽつりと呟いた。


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