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カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
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009

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 せっかくおろしたてのぱりっとした探索服に身を包んでいるというのにも拘らず、リリオンの表情は晴れない。

 肩で大きく息を吸い込むと、少し震えた様子で絞り出すようにそれを全て吐き出した。握りしめられた手から緊張が冷たさとともにランタンへと伝わってくる。万力で締め付けられるように手が傷んだが、握りつぶされる程ではないので、リリオンを安心させるためにランタンはそのままにした。

 探索者ギルドの建物を前にして足を止めて、それを見上げるリリオンの表情はいっそ泣き出しそうでもある。ランタンが手を引っ張っても足の裏に根っこが生えたように微動だにしない。

「ほら、しっかりする。登録なんてすぐ済むんだから」

「で、でも、もしダメだったら」

「そんな話聞いたことないよ」

 ランタンは呆れた表情を作って、尻込みするリリオンの手をさらにぐいと引っ張った。

 金さえ払えば犯罪者だって探索者になれる、などと探索者ギルドに対する陰口が叩かれるほどギルド証の発行は簡単なものだ。常識もなければ、文字も読めないランタンが探索者に成れたのだからリリオンが成れない理由は思い当たらなかった。

 リリオンは引っ張られた手を力強く引き寄せて、そのままランタンに縋り付いた。ランタンの耳元にそっと唇を寄せて、哀れな声で呟いた。

「だって私、……巨人族だし……」

「巨人族は探索者になれないの?」

「……わからない」

 視線をすぐ横に動かせばリリオンの表情を伺うことができる。だがランタンはそのままどこにも視線を向けず、柔らかくリリオンの髪に指を通して、頭蓋の丸みをなぞった。

「僕も聞いたことがないよ、そんな規則(ルール)。他のどの亜人だって探索者には成れるんだから、だからきっと大丈夫だよ」

 探索者ギルドはそういった身分、階級、人種、民族、文化、性別等々に囚われはしない、とランタンは考えていた。この組織に属することになって一年近く、探索者ギルドはその幻想的(ファンタジック)な名称とは裏腹に、とても事務的(ビジネスライク)な組織という印象をランタンに与えた。そこに属する個人を見れば例外も存在するが、組織全体をまとめて見ると感情(センチメント)を挟むことのない、一定の規則によって動いている機械のようなものだった。

「なるんでしょ? 探索者に」

「……うん」

 ランタンは頭を撫でていた手をそのまま頬にまで滑らせて、頬を撫で上げた。涙は流していない。頬は乾いていて、瞳は少し潤んでいるだけだった。リリオンはその手に持ち上げられるように顔を上げて、ランタンと顔を見合わせると力強く一つ頷いてみせた。

「よし、行くよ」

 ランタンはリリオンの手を引いて探索者ギルドの扉の前に立つと、従者のようにその扉を押し開けて、リリオンを先に通した。

「わぁ……!」

 玄関広間(エントランスホール)に入るとリリオンは天井を見上げて声を漏らした。空間を贅沢に使った吹き抜けが広がる。空を見上げるように高い位置にある天井には芸術的に意匠された星を象った極大の魔道光源が浮いている。それはごくゆっくりと自転しながら、熱のない白金の光で辺り一面を満遍なく照らしている。

「入り口で止まるんじゃないよ、邪魔だから」

 後ろから入ってくる探索者に叱られる前に先んじてランタンが叱り、ため息を一つ吐いてリリオンを引っ張っていく。だがそれもこの辺りまでだ。ランタンは繋いだ手を明確な拒絶の意志とともに離して、隣に、とリリオンを並ばせた。

 リリオンは不安そうな顔をしてランタンの袖を摘んだが、ランタンはその手を(はた)いた。

「ここからはもっと堂々と。……ほら顔上げて、背筋伸ばして」

 ランタンが人差し指で挑発するようにリリオンの顎を持ち上げて、背中を叩いて背筋を伸ばし、真剣な目つきでリリオンの顔を凝視するとリリオンの下がった口角はようやく水平な位置まで戻ってきた。不安な表情はなくなったが、かわりに顔の真ん中に疑問符が張り付いているようだった。

「登録はあっちだよ」

 ランタンはリリオンを横に連れて、ギルド証発行受付に向かった。広間を抜けて廊下を進んでいくと様々な人種性別の探索者志望者が受付を目指している。年齢は中年以上の者も見受けられるが、探索者は肉体労働なのでやはり二〇歳前後から三〇歳辺りまでの年齢が多く、リリオンは最年少の部類になるだろう。

 探索者になるのは簡単だ。家柄も、学も、あるいは健康な肉体さえ要らない。必要な物はギルド証発行に必要な金銭だけだ。探索者としての体裁を整えるにはその他にも諸々の経費がかかるが、とりあえず探索者になるには幾ばくかの銀貨さえあればそれで事足りる。

 そういった理由もあってギルド証発行受付には一般社会に馴染むことの出来なかった落伍者たちが再起や、一攫千金を狙って集まってくる。それらは腕に覚えありの破落戸(ごろつき)同然の輩も多く含まれており、彼らはそういった輩の例に漏れず頼まれもしないのに己の腕っ節を見せびらかそうとするのだ。

 例えば肩を怒らせて闊歩し、例えば(いか)つい表情を貼り付けて周囲を睨みつけて、例えば揃いの服で集団を作り辺りを恫喝し、例えば気の弱そうな者にちょっかいを掛けて粋がり。

「……だからね、面倒事を避けるにはある程度、堂々としてたほうがいいんだよ。やり過ぎれば目をつけられるけど」

 ランタンは観葉植物の脇に失神した男を座らせて、リリオンに向き直った。リリオンは、とても自然な形で受付に並び疲れた様子を醸し出す、()()()()()因縁を吹っ掛けて失神させられた男をなんとも言えない目つきで眺めて、困ったようにランタンと見比べた。

「さ、こっから先は一人だから、頑張ってね」

「……ランタン」

 リリオンを受付に並ばせようとするがリリオンは怖がって、癖になってしまったのかランタンの裾を掴もうとした。だがランタンが冷たい瞳を向けると、掴む寸前でグッと堪えた。

「何も怖いことはないよ。わからないことがあっても訊けば教えてくれるし、それさえ渡せばあとは向こうの指示に従えばいいだけだから」

「うん」

 リリオンはランタンが渡した銀貨の詰まった小袋をお守りのように握りしめて、ようやく受付の列に並んだ。ランタンはそれを見届けると壁際に背中を預けて、リリオンがきちんと並んでいられるかを眺めて、不安そうに何度も振り返るリリオンにちゃんと前を向いて並ぶように音のない声で叱った。きょろきょろしていて横入りされてしまっては、せっかく送り出したのに駆け寄りたくなってしまう。

 結局ランタンは不安がるリリオンと同じぐらいに落ち着きなく、組んだ腕の上で(せわ)しなく指を動かしていて、それはリリオンが扉の向こう側へ吸い込まれるまで収まることはなかった。

「はぁ……」

 まさに肩の荷が下りたとでも言いたげにランタンは大きく息を吐いて、組んでいた腕を解き、ぐるりと肩を回した。受付に並んでいるわけでもないのに疲労したその様子に、辺りの人々から胡散臭そうな邪魔そうな視線を向けられるが気にはならない。中にはカモを見つけたとでも言いたげな剣呑な視線も含まれていたが、一瞥もせずにそれを無視した。

 先ほど絡まれた時はリリオンへの見栄もあって少しだけ乱暴なことをしてしまったが、ギルド内で揉め事を起こしても得をすることはない。もし揉め事を起こすとしても自分からは動いてはいけない。あくまでも後手に回って正当防衛を行う口実を得ることが大切だった。リリオンが戻ってきたら、こういったこともしっかりと教えなければならない。

 ギルド証はものの十五分もしない内に発行されて、リリオンが拍子抜けしたような顔つきで戻ってきた。ランタンも一年前は同じ表情をしていた。金を渡して、名前を聞かれ、書類に署名をして、腕輪型のギルド証を手首に嵌められ、魔道によって腕輪に個人情報を刻めばそれでお終いだ。

 諸々の説明は新人説明会という形で毎月二回ほど行われているが、それを受けるためには別料金を支払って許可を貰わなければならない。新人説明会への出席は強制ではなく任意で選ぶことができるが、出席する新人はだいたい全体の七割ぐらいだ。探索者ギルドで受けることの出来るサービスは様々あり、それを使用するだけでも説明がなければ何のことかわからないことは多く、そもそも無知というのは不安なものだ。その状態を解除するためには別料金も惜しくないという訳である。

 出席しない残りの三割はというと金銭的に貧窮していて別料金が払えなかったり、独自に下調べを済ませてあり説明を不要と考える者であったり、根拠のない自信家であったり、実戦経験のある探索者の後ろ盾を持つものである。

「ちゃんと出来たみたいだね」

 ランタンはリリオンの手首に嵌められたギルド証に視線を落として、するりと腕輪を嵌めた方の手を取った。まだ新品のピカピカの銀色の腕輪だが、何度も迷宮に潜ればすぐにランタンの物と同じようにくすんで鈍色(にびいろ)に変色するだろう。その頃には新人(ルーキー)探索者の冠も取れる頃だろうが、今はまさに探索者としての出発点に立ったばかりだ。

 ランタンは柔らかく握手をして、今日からよろしく、と両手でリリオンの手を包んだ。掌の中でまるで殻を破ったばかりの雛鳥のようにリリオンの指が奮え、ぎゅうと握り返してくる。リリオンの顔にようやく、自分が何者になったのかという確信が浮かび上がってきていた。

 だがこんな所で劇的な立ち振る舞いをしていては見世物以外の何ものでもない。今にも感情を爆発させて抱きつきそうなっているリリオンの意を()かして、ランタンはあっけなくその手を放した。

「もうっ、けち」

 公衆の面前で雛鳥に口移しで餌を与えられるほどランタンは優しくも、豪胆でもなかった。意識的につれない表情を顔に貼り付けて、顎でしゃくってリリオンを先導するのが精一杯だ。

「ここが迷宮探索受付だよ」

 そう言ってランタンが連れてきたのはギルドの施設でも最も広大な面積を占める迷宮探索受付だった。玄関広間から真っすぐ進んだ先にあるこの部屋は一種の混沌とも呼べた。舞台広間にも似た円形の空間には、魔道に依って静謐を保たれているにも拘らず、探索者たちのざわめきに満ちている。

 ギルド証発行受付に溢れていた雛鳥たちとは明らかに雰囲気の違う本物の探索者たちである。ランタンにとっては見慣れた景色だが、リリオンには刺激が強すぎたようだ。様々な人種の中から特別むさ苦しい野郎どもを選別して収監してある監獄に今から自分も投獄される、とでも言うようなおぞましい表情をしているリリオンを見て、ランタンもなんだか懐かしい気持ちになった。

「ぼうっとしない」

 多少の刺激では戻ってこないだろう、とランタンは強めにリリオンの尻を引っ叩いた。尻で弾けた破裂音は床材に吸収されて、ひゃっ、と漏らした悲鳴だけがランタンの鼓膜を揺さぶった。

 まだ少し強張った表情のまま尻をさするリリオンに、ランタンは素知らぬ顔で指を差した。円形の広間の中央に、円形の巨大な地図が鎮座していて、多くの探索者がそれを取り囲んでいる。ランタンはそこに隙間を見つけると、リリオンと一緒に体をねじ込んだ。

 それは縮尺された迷宮特区の地図であり、その地図の中で迷宮特区はジグソーパズルのように八〇〇ピース近くに分割されていて、端から順に番号が振られていて、またピースの一つ一つには様々な記号が貼り付けられている。

「明日行くのはあそこ」

 ランタンが指差したピースには二六二の番号が記してあり、中央よりやや左寄りに一つの黒点が浮かび上がっている。それはまさに地上に空いた迷宮の入り口を表していた。その黒点は本当に深い穴が空いたような黒色である。

 リリオンはその黒点を身を乗り出すように覗きこんでいた。ただ地図上に穿たれたその小さな穴に、まるで今すぐに身を踊らせるように。ランタンは前のめりになったリリオンの背中を引っ張った。

 新人丸出しのリリオンのその振る舞いは辺りの探索者たちの眼に付いていた。視線は、無邪気な子供を見るような優しいものから、目の前に集る羽虫を見るような邪険にしたものまで様々だ。そしてリリオンを見て、その隣にいるランタンに気がつくとそのほとんどが、おや、と興味深げに目を開いた。

 割と名前の売れている世にも珍しい単独探索者が、見知らぬ新人探索者を連れているのだからそれも当然のことだ。ここに来るまでもチラチラと視線は感じていたが、今では視線の矢衾に全身を貫かれている気分だった。どうせいつかは広まることだとは思っていたが好奇の視線は羽虫よりも鬱陶しい。

「行くよ」

 仲間内でどの迷宮を攻略するかを相談する探索者たちとは違い、今はただリリオンにここがどのような場所かを見せただけだ。もうここに用はない。

 ランタンは地図上から視線を上げて、それを取り囲む探索者たちを一瞬でぐるりと見渡し、リリオンの返事も聞かずにその場から離れた。慌てて自分を追うリリオンの気配と、更にその後ろから視線が蛇のように付いて来た。

「ねぇ、ランタン……」

「なに?」

 玄関広間まで戻ってようやくランタンはリリオンを振り返った。

「私たち、何か、見られてた……?」

「まぁ、そうだね」

 リリオンは不安そうな顔をしていた。ランタンの袖を摘もうとして咄嗟に引っ込めて、視線が交わる寸前に不意に逸らし、困惑しているようにも泣き出しそうにも見えた。ランタンは引っ込む寸前のリリオンの手を捕まえて、ゆっくりとした足取りで柱の影に連れ込んだ。

「リリオンの所為じゃないから」

 意を決したように口を開こうとした、リリオンに先んじてランタンが告げた。

 リリオンは自分の中に流れている巨人族の血をひどく気にしている様子で、身に降りかかる面倒事の多くをその血による負債だと思っている節があったが、少なくとも今は関係がなかった。

「あいつらが見てたのは僕だよ」

「ラン、タンのこと? なんで?」

 リリオンはランタンが気を使って、自分の所為だ、と言ったと思っているようだ。眉を八の字にして瞳をしょぼしょぼと瞬かせて唇を噛んでいた。

「なんでって、――そりゃあ僕があまりに可愛いからでしょ」

「ふぇ……!?」

 ランタンの台詞に、リリオンは小さくなっていた瞳をはっと見開き、笑い声にも聞こえるような奇妙な呻きを漏らした。目の前のランタンが急に別の生き物に変身したかのような、まじまじとした視線をリリオンは注いだが、ランタンは平気な顔で答えた。

「何か?」

 声はうそ臭いほどに平坦だが、薄っすらと赤くなったランタンの耳を目ざとく見つけたリリオンはその耳を、火の着いた燐寸(マッチ)に触れるようにちょんと触った。

「ふふっ」

 探索予約受付にいた戦大緑鬼(ウォートロル)だって可愛く見えるような探索者たちの群れを思い出したのか、ランタンの渾身の冗談に気がついたのか、それともその耳の熱さが可笑しいのか、リリオンは小さく声を漏らして笑ってみせた。

 耳を赤くした甲斐もあったというものだ。せっかくの門出だというのに不安な顔していては縁起が悪い。ランタンは照れたのを隠すように足早に扉を開けて、口元に笑みがくっついたままのリリオンを建物を出るようにと促した。

 外に出るとリリオンはもう我慢する必要ないとでも言うように、抱きつくようにランタンと手を繋いだ。探索者ギルドを出たからといって探索者の視線がなくなるわけではないが、指を絡められた手を引き剥がすのは困難だ。

 それならばとランタンは、また市場での食べ歩きをしたがったリリオンを小料理屋へと引きずり込んだ。そこは通りの中にある一つの店で、この世界の飲食店としては非常に珍しく酒を出さない店だった。値段帯は少し割高なところもあるが、客層は落ち着いているし、料理の味も悪くない。昼飯時だというのに席は七割程度しか埋まっていないのもいい。

ランタンたちはすんなりと衝立に区切られた奥のテーブルを得ることが出来た。

「好きなもの頼んでいいよ」

 メニューはずらりと壁に貼り付けてあるが、ランタンには読むことが出来ない。なんとかのスープであるとか、豚肉のどうやら、などという曖昧な注文を口にすることは躊躇われた。

「オススメのスープと肉料理をお願いします」

 ランタンはいつも通りに多少に気恥ずかしさとともに注文を店員に告げた。そしてリリオンがあれやこれやと、ほんの僅かの遠慮の視線をランタンに寄越しながら、注文を重ねていく。積み重なっていく値段は別に気にはならないが、思わず視線に呆れが混じってしまう。まるで大型の肉食獣のようにリリオンはよく食べる。

 ランタンが野菜のサワースープと仔牛肉のローストを食べる間にリリオンは油のたっぷり乗った分厚いポークソテーをオカズに皮をパリッと揚げた鶏の詰め物を食らっていた。リリオンは唇を油で濡らしており、手羽を素手で引きちぎり齧り付いている。骨ごと食べるような勢いだ。

「リリオン……あぁ、そのままでいいから聞いて」

「んっ……なぁに?」

 リリオンは油のついた指を舐めて、その指をテーブルクロスで拭いた。野蛮な行動だがマナー違反ではない。飲食店に行けば誰もがしていて、誰もが咎めることのない行為だった。ランタンはちらりとリリオンの指から目を逸らした。

「ギルドでの事だよ」

「ランタンが、可愛いっていう話?」

 リリオンが唇の油をぺろりと舌で舐めとって、意地悪に笑ってみせた。

「それはもう忘れていいよ……」

 ランタンはありありと後悔を表情に表して、うんざりした声を漏らした。慣れないことをするんじゃなかった、と後悔してももう遅い。ランタンは腹立たしいリリオンのにやけ顔を冷たく見つめた。

「……とは言え、僕が見られてたのは本当」

 やはり単独探索者はどうしても目立つし、探索者ギルドという集団の中に在ってランタンの存在は浮いていた。探索班(チーム)を組むとまではいかなくとも探索者同士の横の繋がりは往々にしてあるものだ。例えば迷宮の攻略情報であったり、儲け話やら、死亡情報、探索班間の金銭を含む戦力の貸し借りなど、探索者同士では様々な繋がりがあるものだがランタンはそれに加わったことがなかった。

 探索者になったばかりのランタンは左右を見渡す余裕もなくひたすらに迷宮に潜り続けていたし、探索者たちはその不可解な新人探索者の扱いを戸惑っているようだった。そうこうしている内にランタンは孤独にも慣れ、探索者たちは踏み込む隙を見失ってしまった。それでも時折関り合いを持とうと接触してくる探索者もいたが、ランタンは人見知りで、そういった接触を有無を言わさず拒否することの出来る無遠慮さも日々の生活の中で会得してしまっていた。

「別に僕が重要な情報を握ってるって事はないんだけどね。色々と人の事情を知りたがる人は多いから」

 ランタンのことを知りたくてリリオンに近づいてくる人間が出るかもしれない。それは探索者ばかりではなく、この世のすべての情報を金銭に依って取引する情報屋や、あるいはランタンに恨みを持つ者という可能性もある。杞憂かもしれないが、気をつけるにこしたことはない。

「なにかやったの……?」

「問題が起こった時に、暴力で片を付けることも多いしね。それに単独(ソロ)は迷宮のお宝を独り占めにする強欲な奴だっていう見方もある」

「何それ、ひどいわ!」

 リリオンは憤ったが、ランタンは納得もしていた。

 探索者は本来、迷宮に潜った際に様々な物を持って帰る。それは魔精結晶であったり、迷宮内部にしか存在しない鉱石であったり、魔物の素材であったりだ。だがランタンが迷宮に潜り持ち帰るのは主に魔精結晶のみである。魔精結晶は換金率が高いし、それほど(かさ)のあるものではないので、積載量の乏しいランタンにとっては、それ以外の物を最初から諦めている。その結果、一つの迷宮を攻略するまでにランタンが持ち出せる財の量は、他の探索者と比べて大きく劣る。

 ランタンは自分の探索法が、迷宮の最も美味しい部分だけを掠め取りその他を廃棄するような傲慢な振る舞いに見えることを自覚していた。例えばある魔物から魔性結晶を剥ぎとってその見事な牙や爪を放置するときに、もったいないな、と自分でも思う。だが、だからと言って迷宮から持ち出せる一から十までを背負ったら、それが墓石になることは目に見えている。

「私は、どうしたらいいの?」

「どうしたらいい?」

 リリオンの疑問をランタンは腑抜けたような声で鸚鵡返しにして、口の中で飴でも舐めるようにさらに繰り返した。

「どうしたらいいって、すきにしたらいいよ」

 僕から離れるのなら今のうちだよ、と続けようとしたが止めた。リリオンは唇を付き出して不満気な顔を作っている。ランタンはその表情を探るように見つめて、小さく呻いてから口を開いた。

「僕はそんな世間話をしたことがないから、どうしたらいいかなんて、わからないよ」

 悪い男に囲まれることはあっても、暴力をちらつかせて情報を得ようとする現場に出くわしたことはない。いや、もしかしたらあったのかもしれないが、そんな雰囲気になる前に片を付けてしまっている。

 だがリリオンにそんな解決方法を推奨する気にはならない。

 リリオンはきゅっと唇を結んで、重たげな視線をじっとランタンに注いでいる。ランタンはその視線の擬似重力に押し潰されて、気怠げな感じでテーブルの上に肘をついて、拳の上に頬を載せた。頬が拳によって柔らかく潰されて、皮肉げに唇が歪む。

「それとも僕が、ああしろ、って言えばそれをするの?」

 ランタンは悪戯っぽい視線で、手持ち無沙汰に湖面に小石でも投げ込むかのような気軽さで言った。

「するわ」

 小石は一輪の波紋を広げただけで、水面は恐ろしく静かだった。

 リリオンはまっすぐにランタンの視線を受け止めて、真面目な視線を返した。自分の口にした言葉が一分の隙もない完全理論であるかのように、もうそれ以上言うことがないとテーブルの上に残った鳥を解体し始めた。リリオンはスコップで土でも掘るようにフォークを扱い、腹の中から香味野菜と米が掘り起こされて皿の上にぶちまけられた。

「……」

 ランタンは暫く肘をついたそのままの形で固まっていた。するわ、と間髪入れずに返って来たリリオンの言葉が頭の中で反響している。何故だか耳が熱い。くだらない冗談を吐き出した時よりもずっと。

 リリオンは探索者になったのだから、食事以外でも、ある程度の自主性を発揮できるようになった方がいいと思った。そのきっかけ程度にはなるかと、突発的で不慣れで杜撰な遣り口だったが、考えての言動だったのだがそういった打算は全て吹き飛んでしまった。

 迷宮内で何か問題が起こった際には、ねぇどうしたらいい、などと悠長に他人に助言を求めている暇はない。助けを求める視線を送った瞬間に、致命的な状況は更に悪化への速度を早めるだろう。

 そんなことはランタンも承知しているのに。

 赤く染まった耳の奥で心臓の鼓動が聞こえる。それは差し出されたリリオンの心臓の鼓動のように思えた。べったりと一人分の重たさがランタンの背中に張り付いたような気がする。その精神的な重たさは、何故か不快なものではなく、妙な心地よさがあった。

「ランタンも食べたい?」

 それを見ていたわけではないがランタンの視線は皿の上を捉えていたようでリリオンが小首を傾げた。ランタンはその皿の上の惨状をしっかりと把握して、じとりとリリオンを見つめた。皿の上にはまるで内側から鳥が爆発したような有様だ。

「いらない……けど、――リリオンは僕が言えばそれをするんだよね?」

「する」

「わかった、じゃあ」

 ランタンは一呼吸置いて立ち上がると、椅子を引きずってリリオンの隣に座り直した。

 フォークを握る手は拳で、空の手はテーブルの下でぶらついている。皿の上の惨状は目に見える通り、椅子の周りや膝の上には食べこぼし、テーブルクロスにべたりと指の形の油汚れが付着している。

「まずはフォークの持ち方からだ」

 ランタンはリリオンが癇癪を起こすまで最低限の食事作法(テーブルマナー)を叩き込んだ。


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[良い点] ~「まずはフォークの持ち方からだ」 この落ちは素晴らしい。
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