088 迷宮
088
手足の締め付けを緩めると、流量を制限されていた血液が勢いよく流れ込んで末端がじんと痺れる。
リリララはその擽ったい痺れに呻き声を漏らして、舌打ちは音にならない。
外気に晒された太股の付け根と脇の下にある動脈が熱を放ち、そして冷やされた血液が身体を循環して内へ内へと潜っていく。全身が泥になったように重たく、皮膚表面は冷たいのに身体の芯が熱を持っていて内臓が煮えるようだった。
大規模な魔道の行使に伴う魔精流失の虚脱感は戦闘において致命的な隙だった。
魔精は肉体を強化し、探索者を超人たらしめる。その魔精が失われるということは、迷宮という弱肉強食の世界に素っ裸で放り出されるのも同然だった。
地形を変容させたリリララの肉体は年相応の無力な少女と同様である。だが赤錆の目だけが油断無く戦闘を見つめる。視線の先、長尺棍が地竜の鱗を拉ぐ打撃音に顔を歪めた。うるせえなあ、と思いながら息を整える。
己の無力さを受け入れて、それでも余裕であるのは仲間の信頼をしているからだった。
大探索者エドガーは言わずもがな。
レティシアの剣の冴えをリリララは身を以て知っていて、魔道に関しては出来のいい妹分のようなものである。レティシアは長兄ヴィクトルを失って一年もめそめそとして、その精神的な影響で大火力の魔道剣はその使用が未だに不安定ではあったが、それでもようやく持ち直してきていた。
そして何だかんだとからかってはいるが、ベリレの技量の凄まじさに気が付かぬのはベリレ当人ばかりである。
リリララは脳天を砕かれてなお戦意を失わぬ地竜と格闘する年下の大柄な少年を見つめた。
竜種の中でこの地竜の脅威はそれほど高くはない。息吹に類する遠距離範囲攻撃の手段は有していないようで、物理攻撃はさすがに直撃を受ければ一溜まりもないが俊敏さに欠けていた。
百キロ超の筋肉を積載して余裕のあるベリレの巨躯は、鍛錬ではどうにもならない天性の素質そのものだ。
闇雲な地竜の一撃を受け止めるのは技術もさることながら、それを正面から受け止める度胸と筋肉量による所が大きい。磁力の爪が棍を掴まえ、ベリレはお構いなしに棍を翻して地竜の腕をあらぬ方向にへし折った。それは首への打撃ついでに行われた結果である。一匹目が断末魔をあげて絶命した。
ベリレは英雄とばかり己を比べて、それは馬鹿みたいな自信家にしかできないことだというのに、ベリレは馬鹿みたいではなく、本当に馬鹿なので己の高みを知らない。
「はっ」
リリララは深呼吸の代わりに吐き捨てるように笑った。乾燥した喉に唾液が張り付く。
エドガーはネイリング家の食客として騎士団を教導する立場にあるが、それでも名実ともに師弟関係と呼べるのはベリレだけだった。騎士団員ばかりではなくエドガーに師事を請う者は多く居たが、英雄が傍に置いたのはまだ子熊であったベリレただ一人である。
十メートル級の地竜を魚のごとく釣り上げるような真似をできる者はネイリング騎士団の中にもそうそういない。それができただろうとすぐに思い出せるのは、ベリレと同等の体躯を誇ったヴィクトルぐらいのものだろうか。
ベリレが純粋に、嫉妬することなくその武威を認め、エドガーよりも親近感のある憧れであった男。それは頂との距離を測りかねるベリレにとって現実味のある目標であり、それを失ったことでベリレはただでさえ認識できぬ己の位置を更に見失うことになった。
「どこいっちまったんだよ」
ヴィクトルに向けて吐き捨てた悪態は、しかしリリララはそこに込められる悪態とはとても思えぬ寂しさに気がつけない。リリララの主人であったヴィクトルは、家中の誰も彼もがそうであったように己の帰還を確信して迷宮に向かって未だに帰らない。
ヴィクトルは英雄になりうる素質を有していた。
大きく、強く、優しく、人望があっていつも人の輪の中心にいた。
ネイリング家は絶えず外の血を招き入れていたが、それでも歴史に澱みつつある。絶対的な家督の継承者であったヴィクトルを失ったことで、次兄と三男の仲が拗れ、家中には影が差した。
次兄はヴィクトルが家督を相続すると信じて疑わず、ヴィクトルが当主となった暁に直情型の兄を補佐をするために勉学に打ち込んだ。
三男はベリレよりも一つ幼く、宝剣を探しに行こうとして現当主に止められている。ヴィクトルに憧れて鍛練を重ねて、才能の程はさすがの血統であるが、今はまだ竜系迷宮を攻略できる程の実力には至らず、また幼さゆえに次兄を軟弱だと見なしている。
そして次兄と三男、その二人の間には、もう宝剣は見つからないのではないか、と言うような雰囲気があった。ネイリング家の歴史の中にあって輝く男であるヴィクトルに、宝剣は流転することをついに終わらせて連れ添ったのではないかと。
また騎士団の隊長格どもは、あるいはその部下たちもヴィクトルの敵討ちとばかりに竜系迷宮を攻略しているが、その実狙いはレティシアである者たちも多く居た。宝剣を見つけ出すということは、宝剣に認められたと言うことに等しい。それはネイリング家においては絶対的な家督相続権だった。
レティシアの魅力は、誰もが振り返る凜々しく美しい容姿や鍛え上げても失うことなく、防具の下に慎ましく隠された豊満な肉体ばかりではない。
レティシアは娶れば誰も彼もが頭を下げる歴史ある有力貴族へと自己を変身させる力そのものだった。探索者から騎士へと転身を果たした男たちの向上心は、太陽の如く明るいヴィクトルを失って暗い欲望へと変容しつつある。
レティシアは、宝剣を見つけ出すことが目的であったが、あるいはそう言った淀みに耐えきれなくなったのかもしれない。
レティシアがリリララに緑の視線を寄越した。
リリララは赤錆の目でそれに応えると、視線にある隠しきれぬ疲労にレティシアが気が付き、労いにぽんと手を置かれる。ヴィクトルによく似ている。耳の付け根を指先で掻くようにして頭を撫でる。男であるヴィクトルの指は太く硬く、レティシアの繊細な指先とは比べるべくもなく無骨であったが、それでもよく似ていると思う。
降り注ぐ気遣いの視線にリリララは気が抜けて、耳がぺたんと倒れた。この状態がもう素になってしまった。リリララは溜め息のような苦笑を漏らす。緑の視線が再び戦場へと戻されて、リリララもまた視線を動かす。
ベリレはよく戦っている。大きな身体を目一杯に動かして、長尺棍と棘鎖を振り回す様子はさすがに目を引く。
だがそれ以上に目を引くのは、地竜の影に飲み込まれてしまうような小躯のランタンであった。
戦闘を見るのはこれで二度目。
一度目は塔の上から、地竜はその時の相手である岩蜥蜴とよく似ているが、ランタンの戦い振りはその時以上に、なんというか。
「馬鹿だろ、あいつ」
呟きにレティシアの手が震えた。
地竜に向かっていく小躯の背中。小兵のように死角へ死角へと回り込むのではなく、事もあろうに突進してくる地竜と正面戦闘をかまそうとしている。恐れを知らぬ流麗な沈墜に、引き擦るように構えた戦鎚が白い火花を散らした。地竜は丸呑みを疑わず、それはいっそ馬鹿みたいに大口を開いて獲物が飛び込んでくるのを待ち構えているようである。
それを嘲笑うように、ランタンは鶴嘴の鋭さを利用して地面に触れる下顎の隙間に戦鎚を滑り込ませた。手首を捻り、突如跳ね上がったそこには火花と呼ぶには大規模すぎる爆炎があった。
爆発に押し出された一撃は、下顎を砕き、強制的に閉ざされた牙は地竜の口腔を穴だらけにした。後転しそうな程の衝撃は、しかし地竜は磁力の楔に四肢を固定されて鼻先が背に触れる程に反り返るばかりである。
「あんにゃろう……」
攻撃の手段は多いはずだ。なのに何故それを選んだのか。
地竜相手に徒手格闘を挑むのは、探索者としては最低級の小さい、細い、軽いの矮躯である。性格と同じぐらい足癖が悪りぃな、とリリララは呆れた。
飛び込むような踏み込みは、嫌がらせのように地竜の前腕を踏み付ける。それは不安定に滑る足場を磁力で固定するためであり、同時に己の小躯を必殺の間合いに置くためでもある。
振り上げた戦鎚の重みに耐えかねるように、細い身体が捻れる。軸足の柔らかな足首と膝。地面に残した蹴り足が爪先で震脚をして、跳ね返った衝撃に腰が回る。降下前に念入りに柔軟体操をしていたことを思い出す。一八〇度の開脚は、地面が平行であるからのことでランタンの身体はそれ以上に柔らかい。
小躯を捩る螺旋は、ベリレの鎖に似ている。
先端近くで増幅される螺旋は蹴り足を馬鹿みたいな速度で加速させて、跳ね上がったと思った次の瞬間には地竜の喉に深々と突き刺さっていた。喉元の鱗は細かく、薄い。だがだからといってそれは脆いわけではないのに、鱗は硝子のように砕け、爪先は分厚い肉を押し潰して、あるいは気道まで達しているのかもしれない。
固く閉ざされた地竜の口から苦痛が零れる。そして地竜が痙攣し、苦痛が炎となって口から吹き出した。
喉に突き刺さった爪先から吹き荒れた紅蓮が気管を逆流して口から溢れたのだ。それは地竜の頸椎を炭化させた力の余波であり、力は口から溢れるに留まらず爪先を喉から押し出した。
ランタンの身体は蹴撃から逆回しに旋転して軸足の磁力を捻切った。
おそろしく乱暴な戦い方だった。
岩蜥蜴の時は犬人族の、たしかジャックだったか、が居たせいでランタンは猫を被っていたのだろう。年長者を前にして畏まる礼儀の正しさも、今ランタンの隣に並ぶのは年下のベリレである。
視線の先では旋転したそのままに戦鎚を薙いだランタンがいた。仲間ごと噛み付こうとした地竜の鼻っ柱をすっ飛ばして、また別の地竜がランタンに襲いかかりベリレの棍がそれを受ける。そして止まった所にランタンが戦鎚を叩き込んで高笑いをしていた。ベリレが何か吠えていて、それは地竜にではなくランタンにだった。地団駄は震脚で、跳ね返った体重を使って腕を振り抜き、解き放たれた棘鎖が辺り構わず薙ぎ払ってランタンは平然としている。
馬鹿が二人。
「リリララ」
エドガーの呼びかけにリリララは釘付けだった己に気が付き、はっとして振り返った。エドガーは苦笑を口元に滲ませていて、リリララは急に恥ずかしくなって視線を己の指先に向けた。煮えるような熱は失われて、失われた魔精は幾分回復している。
魔精を入れ替える。それも淀みであるのかもしれない。肉の内に保有した魔精を魔道として放出して、迷宮に漂う魔精と交換する。そうするとその迷宮内での魔精の回復が早くなる。それは魔道使いの中で信仰されているまじないのようなものだったし、実際に回復が早まっているような気がしなくもない。
「魔道の通りは上々です。あわよくば土手っ腹にぶち込んでやろうかと思いましたけど、ちょっと発動が速かったです。後ろ二匹がほぼ無傷なのは失敗でした。すいません」
「いや、ごくろう。あの二人にはあれで充分のようだ」
「次はもっと上手くやりますよ」
あるいはこの瞬間に、地竜を腹下から串刺しにしてやってもいい。
地竜が長い尾を振り回して、ベリレの鎖がそれに絡みつき捕らえていた。地竜は磁力と強靱な四肢の粘りで、そしてベリレは尻尾に棘を食い込ませ、途方もない膂力でそれに対抗している。腰を落として互いに引き合い、鎖が軋みをあげて、しかし先に音を上げたのは地竜の尻尾だった。ごき、と尻尾の付け根が脱臼する音がここまで聞こえる。
「ベリレは、調子が良さそうですね」
「あれぐらいはしてもらわなければ困る」
腕組みをするエドガーはそう言ったが、満更でもなさそうだった。
「しかしランタンは思っていたよりもやんちゃ坊主だな。単独でやっていただけあって、危険域の見極めが上手いが、ギリギリを選ぶのは癖かね。くく、――ランタンはあれだな、猫だ」
「は?」
「猫、ですか?」
戦闘を観察していたエドガーが突拍子もないことを言って、レティシアとリリララは二人して老人を胡乱げに見つめる。
「狭い所が好きなんだろうな。あの体格だから、いかに敵の懐に入り込むかを突き詰めた結果か。ちょいと危ういが、内に入れば暴れたい放題だろうよ」
値踏みするような視線。
「戦鎚は本命と囮を兼ねるのか。対人戦闘からの発展系かな」
「どういうことですか?」
「人はどうしたって武器に意識を取られるだろ。あんな物騒なもんを目の前で振り回されたら特にな。当たればそれでよし。外れても脅威を示せればそれだけで徒手格闘を入れやすくなる。魔物相手だと、武器を武器として認識させる所からはじめんといかんのが面倒だが、ふむ。しかしあの爆発は厄介だな」
ベリレがランタンに幼稚な敵愾心を抱くのは、エドガーがランタンを評価するからだった。
評価は好ましいものでも悪いものでもない。ただどの程度のものかと気に掛ける。その興味を持っていると言うことがベリレは気に入らないのだ。それほどまでにエドガーはランタンを気に掛けている。
そして。
興味はやはり期待なのではないか、と思う。
それは宝剣を見つけることだけではないとリリララには半ば確信があった。
今回の宝剣捜索は、ネイリング家の望みであるのだが、ほとんどレティシアの私事のようなものだ。
食客の身分であるがエドガーは当主の娘の頼み事でも、それを断れない立場ではないし、エドガーはヴィクトルを可愛がってはいたがその未帰還を知っても平然としていた。哀しいことだが探索とはそう言うものである、と。
この都市に来てからエドガーは英雄らしからぬことに探索者ギルドで古い顔なじみのお偉方と何かこそこそとやっている。だがその、こそこそ、の中身をリリララは知らない。リリララの自慢の耳を持ってしても、エドガーの技量を知っているからこそ踏み込む気にすらなれなかった。
碌でもない隠し事かもしれないし、そうではないかもしれない。だが対象がランタンならばリリララにとってはどうでもいいことだ。たぶん。
「確かに爆発は強力ですが……見ている方は少しはらはらしますね。あっ」
「エドガー様、あれはギリギリで駄目な方じゃないですか?」
「……かもしれん。戦鎚どころか己の命自体が囮か? 若いのに命を粗末にしてるな、まったく死にたがりめ」
さすがのエドガーも呆れるような戦いっぷりにレティシアの左の二指は、馬鹿二人を援護できるように揃えられている。その心配げな横顔にリリララは少しの安堵を覚える。
沈み込んでいたレティシアはランタンとリリオンに出会って少しだけ元気になった。
未だに哀しみの沼から抜けきれず、自らを取り巻く欲望に藻掻き抗い、それでいて無関係の少年少女を巻き込むことに苦悩していたが、その苦悩はネイリング家とは無関係の所にあって、二人のことを心配する時ばかりはレティシアは複雑な感情から解放されていた。
ただの優しいお嬢様の顔をリリララはこの都市でよく見るようになった。
ランタンが地竜の背を走った。
脱臼の痛みに叫ぶ頭を踏んづけて、尻尾の方へと向かっていく。既に赤々とした力を湛える戦鎚が、爆発に押し出されるように振り降ろされて地竜の腰椎を鱗も骨盤もお構いなしに粉砕する。膨大な熱量は血を蒸発させ、尾の付け根近くまでを黒々と炭化させて、尾がボロリと崩れた。
急に尾が切り離されてベリレが慌てている。手首を捩って尾を手放し、棍に鎖を巻き付けて回収しながら、のしのしとランタンに突進する。鎖という距離の利を潰してまでも、ベリレは競い合うようにしてランタンの背を追った。
がおがおとランタンに向かって何か吠えている。大人びた顔立ちに少年っぽい溌剌とした感情の滾りがあって、それはレティシアと同じく開放なのだと思う。
ベリレはエドガーに手ずからの師事を得ているだけあってその技量は並外れているが、精神はやはり子供だ。思春期らしい自意識の過剰さは、エドガーからの評価を気にするあまりにその戦い振りに窮屈さを感じさせることがある。
がおう、と吠える声がここまで聞こえた。
鷹揚とも呼べる振り下ろし。ぐるんと肩を回した一撃は伸び伸びとしていて、半身を焼かれて死にきれぬ地竜に慈悲のような死をもたらした。そしてランタンに指差して目がぎらぎらさせていて、ランタンはつんとして澄まし顔だ。
言い争いと言うよりはベリレが一方的に突っかかっていて、地竜相手に何とも余裕のあることだった。
エドガー様、エドガー様、エドガー様、と甘ったれのベリレが今はランタンばかりを気に掛けて、エドガーの眼前であることなど全く忘れているかのようだ。エドガーの興味を己に取り戻すための気合いが、今はただランタンへの負けん気ばかりになっている。
きっとがおがおと吠えているその内容は、どっちが多くの地竜を討伐するか勝負だ、なんて事をほざいているのだろう。ランタンがその勝負を受けたのかは知らないが、二人揃って残り二匹となった地竜へと駆けていった。
「なにやってんだか」
断末魔に笑う、黒髪の横顔。
気が付けば目が燃えるような橙色だ。夕焼けのように穏やかでありながら、ぞっとする程に眩しい。形の良い唇が三日月を作り、赤い舌がそれを舐めた。性別の曖昧な華奢な身体付きに、ぶち切れた獣の様な身のこなし。
華がある、とエドガーは塔の上でランタンの戦いを見て呟いた。
エドガーは興味から、レティシアは心配から、ベリレは競争心から、そしてこの少女は。
リリララを守る背中に三つ編みが二本垂れていて、それはずっと微動だにしない。リリオンはランタンに見惚れて阿呆面を晒していて、しかしついでのように構えた方盾は戦闘の余波に吹き飛んでくる鱗や金属片の一切を防いでいる。
「おい」
「……」
「おい、リリオン」
「――え、わ、なに?」
リリララが声を掛けるとリリオンは上の空で振り返って、その口元にはだらしない笑みの名残に緩んでいた。唇の端から溢れそうになっている涎を舌で舐め取って、ごっくんと豪快にそれを飲み込んだ。
「わたしちゃんと守ってるよ」
「それを疑っちゃいねえよ」
リリララは立ち上がってリリオンの背中に触れる。薄いがしっかりと筋肉を背負った背中は、腰の近くに触れているのに跳ねるような心臓の鼓動が聞こえる。ぽっと身体が熱っぽく、リリララを見下ろす淡褐色の視線が黄金のようにきらきらしていた。
「ランタンって、いつもあんな感じなのか?」
「ランタン? うん、ランタンはいつも格好良いよ」
笑顔の眩しさにリリララは打ち上げられた水生生物のように顔を顰める。
「……あの馬鹿は、ランタンはいつもあんな無茶な戦い方をしてんのか?」
「うん」
げんなりして聞き直して、リリララは返答に更にげんなりした。
「でも、いつもはわたしもいっしょに戦ってるから、本当はよく分からないわ。無茶はいつもするけど」
きらきらの視線がふと陰って、唇がへの字に結ばれる。視線を向けた先はランタンではなくベリレであって、それは紛うことない嫉妬だった。
ベリレは嫉妬なんかにはこれっぽちも気が付きもせずに、鎖を巻き付けた長尺棍を振り回していた。一匹を牽制し、もう一匹の横腹に一撃を加えて、その逆側でランタンもまた戦鎚を振るって押し返した。やられた地竜はたまったものではなくその場から逃げだそうとして、しかし気が付けばベリレの鎖に足を絡め取られている。備わった磁力が仇となり、ベリレが棍を振り回すと足を取られて横転した。
だが止めを刺したのはランタンだった。横取りされたベリレが顔を真っ赤にして怒っていて、両者の討伐数は二匹ずつで残ったのは最後の一匹である。
そこはわたしの場所なのに、とむくれる気配にリリララは思わず背に添えた手をあやすように動かしてしまう。危うい程の素直さは、思わず手を貸してしまいたくなるような可愛げであった。
「エドガー様。あー、取り敢えずは回復したんで、もうお守りは不要です」
「ああ、そうか」
リリララは手足を締め付け直して、その拘束具合を確かめるように大きく伸び上がった。八割方は回復している。
「それで、こいつ戦闘に参加させてもいいですか? 最後一匹ですし、身体も動かしたいでしょうし」
苦笑は、どちらに向けられたものか。
「それもそうか。リリオン」
「はいっ」
振り返った顔には期待があって、そのきらきらにさすがのエドガーもたじたじになっている。
「リリオンは、あれに混ざりたいか」
「はいっ!」
聞くのが野暮と言う程に、リリオンの背中はうずうずとしている。落ち着かせようとリリララは背中を撫でて、ああこれは欲望だな、と思う。
あの馬鹿が甘やかすから。
その欲望の熱はレティシアに向けられるような昏さはなく、からっとして素直であるのはランタンがひたすらに甘やかした結実だった。
「よっしゃ、馬鹿二人にばっかり好き勝手させちゃ女が廃るってもんだ。ねえお嬢?」
「レティシアさんも行く?」
「私は」
「お嬢と私は援護だ。あんなむさ苦しい所にお嬢を行かすわけにはいかねえよ」
「――そう言うわけではないが、どうせなら女三人力を合わせて頑張ってみようか。連係攻撃だ」
「れんけい!」
「あの馬鹿二人はこっちの事なんて眼中にねえみたいだからな。目にもの見せてやろうぜ」
最後の一匹がなかなか厄介のようだった。ぱっと見た姿形は岩蜥蜴とさして違いのない地竜であるが、その身体能力は暴力的で、動き出したらそれを止めるのは困難だ。
独特の緩急。
不随意の加速とでも言うべきか、磁力は地竜の制御の外にあって、意図の存在しない緩急はそのタイミングを読み辛い。四肢に備わった磁力は地竜の動きを阻害する楔であったが、ゆえにそれが外れた瞬間の加速は尋常ではない。停止状態から一瞬にして最高速度となって振り回される爪の一撃はもちろん、体長の半分を占める長大な尻尾はさながら極大の糸鋸のようであった。
仲間の死骸を微塵に粉砕して止まらぬそれは、さすがの二人も防御、回避を余儀なくされている。特にランタンは血霞に汚れることが嫌なのか、ベリレを盾にする始末である。そんなことに露も気付かぬベリレは遠心力に伸びた尾の先を棍で迎え撃ち、弾けた衝撃が迷宮を揺らした。
まるっきり背中を向けていたリリオンがその音に振り返り、平然とするランタンの姿に安堵した。
「あたしとお嬢で地竜の動きを封じるから。リリオンは止めを頼むぞ」
「しかし二人を出し抜くには一撃で極めたい所だが――」
鱗、皮、脂肪、肉、骨。竜種のそれらは強固である。ランタンのような爆発や、ベリレの棍のような重さをリリオンは持たない。
「ふむ、首を落とすなら、あの皮膚の弛みを狙って切り上げればいけんこともなさそうだが、二人が少し邪魔だな。心臓を狙うなら前肢の付け根から刺突を入れるといい。が――」
エドガーは口を挟んだかと思うと、ランタンより巻き上げた打剣の一本を目にも止まらぬ速度で投げ打った。それは地竜の鱗の一つを削り落とし、黒い身体にあって薄桃色の皮膚を露出させている。
「目印だ。あそこから真横に突き入れろ」
肋骨の隙間。心臓の高さ。それは感嘆すべき技量であるのだが。
「もうエドガー様、馬鹿二人がこっちに気付いたじゃないですか」
「う、すまん……」
ランタンとベリレが背後からの強襲に振り返って、その更に奥にはその隙を見逃さずに突っ込んでくる地竜の赤い口腔があった。凶悪な真っ白い牙は、滴り落ちる唾液と殺意に濡れていて、地の底から響くような獰猛な叫びがレティシアの雷撃によって掻き消される。
レティシアは地竜の喉奥に雷撃を放り込み、リリララに苦笑を、そしてリリオンに目配せをする。
「行くっ」
瞬間、大剣を引き摺るように構えてリリオンが疾風のように駆ける。
少女は飼い主の元へと向かう犬のようで、棚引く銀の三つ編みは喜色を隠しきれぬ尻尾だったし、そもそもとして喜びを隠そうとなど微塵も考えていない。
リリオンは満面の笑みであり、それに気が付いたランタンは目をまん丸にして驚いている。
エドガーのせいで少し予定はずれたが、まあいい。
「かませっ! リリオン!」
リリララが口元に笑みを浮かべると、地面が蔦草のように地竜の四肢を拘束して、リリオンが大剣を引き絞る。
「ランタンっ!!」
わんわん、と鳴いたのかとそう思った。
しばらくは月3回更新になります。
ストックが全然できてないので。
書籍化作業のせいです。
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