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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
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 エーリカの頬は繁忙によって削ぎ落とされた。

 ランタンが大がかりな芝居を打ったあの日から、商工ギルドを訪れる探索者の数は右肩上がりに増えていった。それは専業運び屋を求めた探索者であったし、運び屋という職を求めた元探索者でもあったし、一部にはランタンとの間を取り持ってくれと言う輩もいると聞いている。

 だが商工ギルドはその全てを受け入れたわけではないし、最後の輩には問答無用にお引き取りを願ったことは言うまでもない。

 探索者の需要に対して運び屋の数は足りず、元探索者の中には即戦力となる者もいることにはいたが、大多数はやはり教育が必要であって需要を満たすには至らなかった。

 エーリカは有能だった。

 満たされぬ需要に対しての不満を上手く操作して更なる期待へと転化させて、効率化した教育によって元々下地のある元探索者は次々と運び屋への転身を果たして逐次、探索者の元へと派遣された。

 エーリカは有能だったが、相も変わらず商人ギルドと職人ギルドは渋かった。

 運び屋派遣業は大きな収益をもたらし探索者との縁を生み出したが、運び屋を育てる教育費用を始めとした諸経費は積み重なって次第にエーリカの首を絞めていき、彼女を支えるパティ・ケイスは休日返上で迷宮に潜っていた。

 商工ギルドの職員も頑張らなかったわけではないが、二大ギルドから派遣された者たちは相も変わらず水面下での牽制こそを本業とし、純粋な商工ギルド職員の数は少なく、商工ギルドの仕事は運び屋派遣業ばかりではなかった。他部門の利益が教育費として湯水のごとく使われることには反感もあって、エーリカは責任感が強かった。

 金策。

 エーリカは痩せて綺麗になった。

 豊かな金の髪をざっくりと後ろで纏めて、露わになった顎のラインはかつての丸みを失い、やや怜悧に切れ上がった。疲労の滲む目元を白粉で隠し、大人の微笑はそんな苦労を少年に悟らせまいとする気丈さである。白い首がほっそりとして、丸襟の装いからは陽気のためか大胆にも鎖骨が露わになっていた。エーリカは肩に軽くは織物をしているが、妙齢の色気は隠しきれない。

「お邪魔ではなかったですか?」

「いいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございますランタンさま。おかげさまでどうにか一息は付けました」

 次回の探索で必要物資の購入は、ランタンの口利きにより商工ギルドに一任されることになった。食料と魔道薬を含む薬品と何だか本格的な医療用品。睡眠食事に諸々のための野営道具とさらには特別製の荷車まで。レティシアの個人資産から一括で支払われた金額は、なかなかどうしてランタンも驚くような金額であるらしい。

「お忙しい所、無理なお願いをしちゃったみたいで。少し痩せられましたね」

「ええ、でもちょうど良かったのよ。昔に戻ったみたいに身体が軽いもの」

 そう言えばケイスがエーリカは昔痩せていたと言っていたな、とランタンは微笑みながらベリレの膝上から土産を手に取った。

 なんとなしにベリレから渡させようかと思っていたが、この騎士見習いはエーリカを見てからまるで石像である。ランタンが脇腹を突いても微動だにせず、痩せたことでむしろ身体のメリハリの露わになったエーリカの、柔らかそうな胸を見ているような見ていないような間抜けな面を晒している。

 童貞野郎が、とランタンの脳内で兎が叫んでいる。

「これお土産です」

「あら、ハックルベリーの果物飴。ありがとうございます、ランタンさま。あとでギルドの皆で頂きますね」

 干した果物を水飴で薄く糖衣したその果物飴は、小さくてころころした宝石のようで女探索者にも人気がある。

 だが夏季となると糖衣がドロドロに溶けて台無しになってしまうので、迷宮から帰ってきた頃にはもう食べられないだろう。

 エーリカは受け取った菓子包みをソファの脇にそっと置いた。

「ええっと、ランタンさま。そちらの方はベリレさまでよろしいでしょうか?」

「合っていますけど、よくご存じで」

「ランタンさまの、――お友達かしら?」

「次の探索で一緒に行く知らない人です」

 ただそっと羽織りに触れた。視線を遮るわけでもないその仕草にベリレがびくんと震えて、地続きのソファに座るランタンこそが飛び跳ねた。

「もう、やめてよ」

 ランタンは半眼になってベリレを睨む。べた足の状態から尻で震脚を踏みやがった、と巨躯の内に潜む練武の片鱗をなぜこんな所で実感せねばならないのか。ランタンは唇を曲げながら尻の位置を直し、意趣返しにソファを揺らしたわけでもないのに何故だかベリレが立ち上がる。

「エドガー様の従騎士ベリレと申します。この度は迷宮探索に必要な物資の調達に尽力して頂きまして――」

「もう言ったよ、お礼」

「こちらに土産が――」

「渡しました」

「――ええっと」

「座れ」

 ベリレが諦めて腰を下ろそうとしたところに、エーリカが手を伸ばして従騎士の手をそっと取った。騎士見習い兼探索者であるベリレの意識の外より行われたそれに、騎士見習いはもう何が何やらわからない。中腰の尻を突き出した中途半端な体勢は、けれどエーリカと顔を合わせるにはちょうどよい。

 微笑み。

 お母さんみたい、とランタンは思う。

「ベリレさま。ランタンさまはこう見えてかなり無茶をなさるようなので、よろしくお願いしますね。迷宮探索の成功を心よりお祈りしております」

 エーリカが座る。前屈みになった一瞬、エーリカは無防備で、これはおそらく意図的なものではないのだろうと思う。忙しさによって削ぎ落とされたのは頬肉ばかりではなく、女性的な意識もそうであるのかもしれない。例えば探索者業に性差はあまりないが、それ以外の職種ではやはり男性優位が目に付いた。

 けれどこれはちょっと。

 ベリレは離れていく手を名残惜しげに見つめて、それを引き剥がしたのはやはりエーリカの白い胸元である。妙齢の、皮膚の緩みこそが生む柔らかさにランタンこそが恥ずかしげに目を伏せて、ベリレの膝窩(しっか)に横払いの手刀を当てて膝をかくんとぶち折った。ベリレは尻餅を付くようにどうと座って放心している。

 童貞野郎が、と脳内で叫んだのは紛れもない己である。

「無茶なんかしませんよ、もう何を言っているんですか。エーリカさん」

 エーリカの微笑みは、嘘を見通して問い質さない慈愛であった。

 まあいいけど、と呟いたのはランタンで、言葉を続けたのはエーリカである。

「それで今日はどのようなご用件でいらしてくださったのでしょうか? 探索の日取りもありますし追加のご注文はなかなか難しいのですが」

「んー、注文というか。お願いがあるんです。一ヶ月ぐらい迷宮行っちゃうので急ぎじゃないんですけど、ちょっと引っ越ししたいなって」

 急なランタンの提示にも、エーリカは動じない。それどころか。

「引っ越しですか、そうですね。ランタンさまのお住みになっている下街は、あまり治安が良くありませんものね。もう少し上街側なら探索者の多く住んでいる所もありますが、そこはそこで揉め事も多いようですし。上街内にてお探しと言うことで――」

 予想以上に情報はダダ漏れだった。エーリカが知っているのは大ギルドが公然の秘密として所有している諜報組織のためであるのか、それとも既に炉端の噂ほどの情報へと落ちているのか。秘匿しているとは言わずとも、複数の帰路を使い分けたりもしているのだが。

 帰ったら知らない人が居るかもしれない、と思うと面倒くさい。けれどそれが得難い出会いを生むこともあると思うと感慨深い。あるいはだからこそランタンはこれほどに余裕であるかもしれない。

「そうですね。ほとんど寝て起きるだけだから大げさな家や部屋でなくてもいいんですけど、んっと、武器庫なんていうと大げさですけど、それなりの収納がほしいんです。今はちょっと出かける時でもリリオンは盾を背負わないとだから」

 愛用の装備を探索者はなかなか手放さない。それらは血肉の一部も同然であり、ランタンも腰の戦鎚は常に側に置いてある。だが大型の装備は現実的な問題として邪魔であり、リリオンは平気そうな顔をしているが負担であることは間違いない。

「あとは、やっぱり治安と防犯でしょうか。家を空けることも多いですし」

「……下街住みの奴が何を」

 どうにか再起動を果たしたベリレが口を挟んでくるが無視である。

「それと――」

「お風呂ですか?」

 先んじて言われてランタンが吃驚していると、エーリカは目を細める。

「うふふ、迷宮にお風呂を持って行こうなんて、そんなことを考えられるのはきっとランタンさまだけです」

 あんな適当な、そして僅かに本気の発言をどうやらレティシアは叶えようと努力はしてくれたらしい。けれども湯船という要素はなかなかそれ以外の使い道が無く、荷車と合体させるにしても邪魔である。迷宮内で風呂に入るにしても、それは毎日のことではないのだから。

「まあ別に水の汲み上げも必要ないですし、熱源も自前でどうにでも出来るので、湯船は別注するにしろ、水捌けの良い部屋さえあれば」

 エーリカはランタンの要望を書き留めて、深く頷いている。

「では、お帰りになられるまでに幾つか探しておきます。予算はどれほどに」

「あ、そっか。ん――、さすがに買う気はないから賃貸がいいんですけど」

「どうかされましたか?」

「エーリカさん、実は僕それなりにお金持ちなんですよ」

「はい、存じ上げております」

「融資、いりませんか? どうせ腐らせておくだけの貯金だから、その不動産を担保に。利息は無しでもいいですし、賃料と相殺でも、足りない分の補填としても――」

 白いおっぱいが目の前にある。まるで放り出されたように。

 少女のものとはまるで違う。

 甘い匂い。

「ランタンさま、詳しくお願いします」

 テーブルに手を突いて身を乗り出すエーリカに、ランタンはベリレを笑えなくなった。




 商工ギルドに融資をした。担保となる不動産は未だに確定していないし、利息は賃料と相殺することとなったが、まだ借りていない今はただ積み重なっていくだけのものである。場合によっては家なり部屋なりを借りる際に、家具を入れたりそれこそ水回りを改装する時の資金とする方向で話を纏めた。

 疲れた。

「ベリレ」

「なんだよ」

「目線がいやらしかった。あんなんだからリリララさんにからかわれるんだよ」

「別に俺は」

「おっぱい見てた。そんなんだと女の人には嫌われちゃうよ?」

「うぐっ、見ていないっ! 適当なことを言うなっ!」

「……まあ、いいけど。自覚の有る無しは自分がよく知ってるだろうし」

 ランタンは大きく溜め息を吐き出して、背伸びをした。指の先端は、しかしベリレの頭頂に届かないかもしれない。頭上の丸い耳の分だな、とランタンは思うことにする。

「って言うか、女の人に会うのに大蒜食べてからってどうなの? 手だって脂塗れだし」

「何がだ、いい匂いじゃないか大蒜。手だって別に普通だ」

「脂っぽい手で僕に触るな」

 素っ気なく言うと一丁前に傷ついている。でかい図体をしょんぼりさせて、あんな人に会うなんて知らなかったんだからしょうがないだろう、などと言うようなことをぐちぐち溢していた。一目惚れなんて高尚な物ではなく、若さゆえの青い憧れだろうがなんにせよ不潔である。

「って言うか何で着いてきたの? おじいさまの所行けばいいじゃん」

「だってエドガー様が」

「道すがら連れ立っていると目立つっていう話でしょ? 先に行ったり後から乗り込んだりすればいいのに」

「――お前天才だな」

「触るんじゃないよ。あーもう、ほんっと気遣いが出来ないんだから」

 ばちんと肩を叩いてきたベリレをランタンは憎々しげに睨み上げて、その不機嫌な子猫のような横顔に声が掛けられる。

「ランタンさん?」

 振り返ればミシャがいた。目を丸くして驚いているのは、ランタンの隣にいるのが愛らしい長身の少女ではなく、むさ苦しい巨躯の熊人族であるからかもしれないし、ランタンも驚いて目をまん丸にして見返してきたからかもしれない。

 ミシャはいつものつなぎ姿ではなかった。肌の露出の少ない薄染めの長袖は、胸下に切り返しがあって女性らしいラインを浮かび上がらせている。少年のような活発さのある大きめのシルエットのズボンは七分丈で、細い足首に絡みつくような革編みの草履を履いていた。

 おかっぱ頭はいつも通りで、右手には食べかけの肉串が。

「わあ、ミシャだ。今日は仕事はお休み?」

「お休みっすよ。そんなに驚くなくても」

「見慣れてない格好(かっこ)だからびっくりしちゃった。いつもは格好いい感じだけど、今日は可愛いね」

 ミシャは薄い唇を噛んだ。ありがとう、と照れていて、ランタンはもっと珍しいものを見たなと思う。胸を膨らませて呼吸を一つ。ミシャは持ち上げた顔をベリレへ向けた。

「それで、そちらは?」

「気にしなくていいよ。知らない人だから」

「おい、お前なあっ」

「うるさいなあ、もう。ミシャ、こちら次の探索をご一緒してくださるエドガー様の従騎士かつ、ええっと何とか種探索者のベリレ様でございます。これで満足? で、こっちは探索で降下引き上げをしてくれるミシャだよ」

「あら、そうなんっすか。初めましてミシャと申します。安全無事に迷宮へ送らせて頂きますので、よろしくお願いします」

 ベリレがぺこりと頭を下げたミシャの胸元に視線を向けたので、ランタンは思いっきり尻を蹴り上げた。おうぐ、と妙な呻き声にミシャは不思議そうにちらと顔を上げて、ベリレはランタンを睨んでくるので睨み返すどころか軽蔑の視線を向けておく。

 エーリカのように胸元がゆるい服ではなく、首までをぴったりと覆っているのにこの男は。

「う」

 次やったら目を潰す、という思考が魔精に乗って伝わったかはさておいて、ランタンは腕を組んで仁王立ちになった。ちゃんと挨拶を返さないと今度は前に付いてるのを蹴り潰すぞ、と思う。足首を回して、関節を鳴らす。爪先には尻を蹴った時の堅い感触が残っていた。鉄のような尻だ。腹立たしい。

「ベリレと申します。よろしくお願いします」

「よし、じゃあおじいさまの所行きな。場所はわかるでしょ?」

「え、あ、な」

「気を使えないと、女の子に嫌われるよ」

 行け、とランタンはベリレを追い払い、ミシャは困惑していた。何度も振り返る大きな背中をランタンは一瞥して、すっかり表情を改めてミシャに微笑みかけた。

「いいんっすか。お友達でしょう」

「友達じゃないよ」

 友達一人もいないし、と口の中で転がす。

「大っきい人でしたね。リリオンちゃんが変身したのかと思っちゃったっすよ」

「やめてよ、そんな気持ちの悪い。リリオンはネイリング家のお嬢様方に連れて行かれちゃったの」

「ああ、それで」

 歩き出したのはどちらともなく、ミシャは肉串を一塊ランタンに食べさせて、残りを自分で。もぐもぐと口を動かしながら歩く様子は身長はそう変わらないのに姉と弟に見える。

 夕の気配の滲む陽光に伸びた影が、大人になりつつある少女の身体と子供のままの少年の身体の対比を拡大して地面に映った。手を繋ぐように影が重なる。

「ランタンさんと二人って久し振りっすね」

「んー、そうだね。こうして仕事以外で会うなんて、それこそ」

「お客さんになる前だけっすよ。それも会うというか、出会ったというか」

 そっかあ、とランタンは思わず苦笑を漏らし、それに釣られてミシャも笑った。あの当時こんなふうに笑えるとは、そんなことを想像すらしなかった。

「だからリリオンちゃんを連れてきた時はビックリしちゃった」

「僕もそうだよ。だってあの時点で、出会って……一日だし、そういえば」

「それは本当に、――ランタンさんも変わられたっすね」

 ミシャは口調こそ軽かったが、その目にはありありと驚きを湛えていた。ランタンとリリオンの距離の近さに、ミシャはもしかしたらリリオンはランタンの秘蔵っ子のようなものだと思っていたのかもしれない。ランタンの懐に入るのが、物凄く手間であることをミシャはその身を以て体感している。

「それまでの出会いに恵まれてたからね」

 それにしてはぐずぐずと理屈をこねていたような気もするが、とランタンは内心自分に呆れる。

 例えばミシャやグランと出会っていなければランタンは野垂れ死んでいた。あるいは生きていたとしてももっと酷い境遇に置かれていたのではないかと思う。今は嫌悪感と共にぶちのめす破落戸どもの一人かもしれないし、探索者とは別の意味で身体を使ってお金を稼いでいたかもしれない。

「ミシャの休日って何だか珍しいね」

「まあ完全休養は珍しいっすけど、ランタンさんが迷宮(した)にいる時はそれなりに休んでるんっすよ」

「……それもそうか」

 会う時はいつだって仕事中だからその印象が強いのだろう。

「ランタンさんも、こんな風なお休みは珍しいっすよね。いつも探索、探索ばっかりだから」

「まあ、そうかも」

「今日は何をされていたんです?」

「挨拶回り兼引っ越しの準備、かな」

「お引っ越しされるんですか?」

「まあ帰ってきたら、そのつもり。まだ探索中に物件を探してもらうぐらいだけど、商工ギルドにお願いしてきた」

「へえ、リリオンちゃんがいると下街は物騒っすからね」

「あの子がいなくても変わらず物騒だよ」

「ふふ、私の目の前で襲撃者の頭をかち割った人の言葉とは思えないっすよ」

「しかたないでしょ。あれが普通だと思ってたんだから」

 やるならば徹底的に。一人を見せしめに十の敵を散らしたのが悪手であると悟ったのはいつだろうか。十の敵が二十になってお礼参りに来た時はさすがに参ってしまった。

「ま、上街なら手加減するけど」

「私、ひっさびさに絡まれたっすよ」

 蝿を追い払うような手首の撓り。顎先に当たったのは中指の爪の先でしかなく、けれど若い二人の男女にやっかんだ酔っ払いのならず者はぐるんと白目を剥いて崩れ落ちて、ランタンたちは既に歩き出している。背後で人一人が倒れる音が転がる。

「通り魔に間違われなきゃいいっすけど。ランタンさん、なんだかんだで有名なのに良く絡まれるっすよね」

「探索者ぐらいしか、僕が何したかわかんないよ。絡まれるのは可愛い女の子を連れてるからしょうがないね」

 気が付けば夕焼けの赤色が濃く、目抜き通りの突き当たりまで来てしまった。終点は教会で、ランタンは困った顔で、どうしようか、とミシャを見る。荘厳な教会にランタンは祈るべき神もいないので何となしに怖じ気づいて立ち入ったことはなかったが、訪れる人の中に探索者は多くいる。探索の無事を祈る者も、祝福を賜ろうとする者も、仲間の魂の平穏を願う者も。

「お祈り、していこうかな」

 呟いたランタンの手をミシャが取った。

「珍しく弱気っすね。ランタンさん」

 ミシャの手は冷たくてすべすべしている。片手は指を絡めるように、もう一つはそれをそっと甲側から包み込んだ。祈りの形。

「そうなのかな? 大迷宮も、竜種も初めてだし、そうなのかも」

 思えば、ミシャは昔こんな風に手を握ってくれた。

 薄汚れた己の姿と、機械油に黒く汚れてもすべやかな白い指。つなぎ姿の少女を、大して背も変わらないというのに見上げていたのではなかったか。ランタンは過去の己の姿を思い出し、それは何故だか他人の視点のように少年少女が眼前に浮かんだ。少年は情けない顔をしていて、蹴っ飛ばしてやりたくなった。

「大丈夫っすよ、ランタンさんは」

 ほら行こう、と手を引かれた。

「もう、何を根拠に……」

 そんなことを言いながらも逆らえずにランタンは歩き出す。腕を引かれるのは何だか癪なので、ミシャの隣に並んで少女の横顔をちらりと睨んだ。薄い唇に笑みがある。横目に見つめ返されてランタンは不意に黙り込んだ。

「根拠は今までの実績かな。私との約束ちゃんと守ってくれてるからね」

 初めての迷宮。ランタンを一人で送り出す時、交わした言葉。

「――ちゃんと帰ってくるよ」

「そうしたら僕を子供扱いしないで」

「……そんなこと言ったっけ?」

 ランタンが空惚けるとミシャはランタンの腕を引き寄せて、こつんと肩を当てる。

「言ったよ。だからこんなふうに話してるんじゃないっすか」

「それは抵抗だろうに」

「ふふふ、もう癖になっちゃったっす。ランタンくんのせいだ」

 ミシャは肩を寄せて、ちょっとだけ爪先立ちになった。耳元に口を寄せる。

「今までちゃんと約束を守ってくれた証っすよ」

 ミシャはぱっとランタンから離れて向き合った。教会に背を向けて、まるで通せんぼするように腕を広げる。

「大丈夫だよ、ランタンくん。約束破ったら子供扱い。ちゃんと私が迎えに行ってあげるから。ね」

 にっとお姉さんの笑みを浮かべるミシャに、ランタンは拗ねた子供のような顔で応える。

「ちゃんと帰ってくるよ。だから僕を子供扱いしないで」

 ふん、とランタンは教会に背を向けて、ミシャが後ろからそっとランタンの腕を取った。

 名も知らぬ神への祈りは、ミシャとの約束の足元にも及ばない。

 ランタンは心の底からそう思う。




 太陽が地平へ沈み、星が出始めた。地平の底にはまだ名残惜しそうに夕陽の赤が燻って夜空が紫に見える。しかし昼中の陽気はどこにもなく、吹いた風にミシャの体温すらが温かい。

「ん」

 背後に不穏な気配を感じ取り、ランタンは咄嗟にミシャを抱え上げると少女が声を上げる暇もなく背後へ跳躍。振り返ると奇襲を空振りしたリリララが憎々しげに蹴り足を下ろしていて、レティシアが感嘆を、何故か居るベリレがむっつりと眉間に皺を寄せた。

 しかしリリオンがいない。気配は横。闇夜に姿を溶かして、足音を小生意気にも殺している。奇襲は本命を隠すための牽制であり、ちょっと別れていた間に妙な小技を覚えたリリオンは腕を突き出してランタンに飛びかかる。

 せっかくの消音も、これほどはっきり喜色を滲ませては無意味である。

 ランタンは肩腕にミシャを抱きかかえながら突き出された腕を左手で絡め払い、少女の懐に好き放題に入り込む。鎧袖一触に吹き飛ばすことも、どの臓腑を刈り取るのも容易であるが、ランタンは少女の勢いを意のままに操り一気に抱き寄せて背中に手を回した。

「……わたしが抱きしめるはずだったのに」

 少女は不満を口に、しかし満更でもなくミシャごと腕を回してランタンにしがみつく。

「何ともまあ熱烈なことだね。ミシャ、平気?」

「あ、ははは。リリオンちゃん、ちょっと痛いっす」

 リリオンとランタンの間に挟まれたミシャは驚きに目を回していたが何が起こったのかを悟ると苦笑を漏らす。ミシャの頬がランタンの胸に少し押し潰されていて、逆の頬はリリオンの胸に。

「わあ、ごめんなさい! ミシャさん」

 リリオンは飛び退くように離れて、大丈夫っすよ、と微笑んだミシャは何故だかランタンの胸に体重を預けっぱなしだった。その不自然さにランタンが戸惑って、けれどその重みを許してしまう。

「ほんっと節操ねーな、てめえは」

 リリララを先頭に三人が近付いてきて、赤錆の目がミシャを見下ろしてそう言った。それからそっとミシャは身体を起こしてリリララに向き合った。

「レティシア様にベリレ様とご一緒ということは、リリララ様でしょうか? 私、引き上げ屋のミシャと申します。よろしくお願いしますね」

「お、おう。……よろしく」

 ミシャの微笑みに、何故だかリリララはぎくりとしている。そこにある妙な気配にベリレが尊敬するような視線でミシャを見つめた。ランタンはこそりとミシャの顔を覗き込むも怖い顔をしているわけではない。

「リリオン、楽しかった?」

「うん。二人とも優しくて、色んなお店に行ったのよ。食べ物屋さんとか服屋さんとか。お風呂屋さんにも! でもやっぱりランタンも一緒がいいな。今度ランタンも連れて行ってあげるね」

「探索後にね。二人ともありがとうございました。……で、ベリレはなんでいるの? おじいさまに会いに行ったんじゃ」

「途中でリリララに捕まった……、あいつ――」

「ふうん、まあいいけど」

 ベリレに適当な視線を投げかけて、この子を睨んじゃいないだろうな、と意念を伝えようとしていると急にリリオンがランタンの手を取った。

 抱きつくでもなく、手を繋いで横に並ぶでもなく、向かい合って両手を取って淡褐色の瞳が見下ろしてきた。長い睫毛。鼻筋が一度震え。唇が尖り、視線が逸れる。

「どうしたのリリオン?」

 リリオンは伏し目がちにちらりとランタンを見るだけで応えない。

「さびしくなっちゃった?」

 意地悪な質問にリリオンは素直に頷いて、ランタンは苦笑のような淡い笑みを口元に。

 レティシアが背後からリリオンの肩を優しく叩き、穏やかな視線をランタンに向ける。

「ほら、リリオン。ランタンに渡す物があるんだろう?」

 優しい声にリリオンは頬を赤くして、レティシアが勇気づけるように少女の背を撫でた。リリオンは名残惜しそうに片手だけ離して外套の内側から何かを取り出した。

「あのね、ランタンは、わたしにいっぱい色んなものをくれるでしょう? だからね、お返ししたくて。……でもランタンはアクセサリーとかは肌が痛くなっちゃうからね。だから、これ――」

 はい、と渡されたのは綺麗な白絹のハンカチだった。四折りにされて、掌に置かされそれには少女の体温があった。

「あ、――ありがとう、大事にするよ」

 ランタンは気取って言ったけれど、頬の緩みが押さえきれない。

 そんなランタンにリリオンは頬を赤くして喜んで、ミシャさえも含んだ残り四人がにやにやと二人を見つめた。レティシアとリリララが良くやったと言わんばかりにリリオンの肩を叩き、ミシャはからかうようにランタンを突いて、ランタンは恥ずかしさの余りベリレの尻を蹴っ飛ばした。

「痛てぇ! 何でだよ!」

「おや、二人仲良くなったのだな」

「いいえ、なっていません」

 尻を押さえるベリレは穏やかなレティシアの言葉に頷こうとして、ランタンは否定する。リリララがひいひいと大笑いしていた。

「ああ、今度あたしも蹴ってみよう」

「絶対するなよっ」

「うるせえな。世の中には金払って女に蹴ってもらいたがるような奴がいるんだぞ。喜べよ。それともなにか男に蹴られるのが趣味か?」

「俺は、女が、好きだ!」

「……往来で何宣言してるのさ」

「ランタンの言うとおりだな。さすがに引くぜ」

「まったく、二人ともあんまり苛めるんじゃない。ベリレも、さすがにそう言うことはもう少し声を小さくな」

「――……はい」

「ランタンはけられたい人?」

「僕は蹴られたくない人です。だからやめてね。もう、二人のせいでリリオンが変なこと覚えちゃう。どうしてくれるんですか?」

「てめえ」

「おまえな」

 ぱん、とミシャが手を叩く。

「はーい、皆様。こんな所で騒がないで下さい。お酒も入っていないのに」

 月を背負ってミシャが笑った。

「よかったら、このままお食事に行きませんか? 景気付けに、近くに美味しいお店がありますよ」

 行く、とお腹を鳴らしたのはリリオンで、少女は右手にランタンを左手にミシャを掴まえて三人を振り返った。

 はやくはやく、と急かされて五人は夜の道を歩いていく。

「あ、そうだ。ハンカチ以外にも土産があんだよ。ねえお嬢」

「……いや、あれは」

「リリオンの小遣いじゃ足がでちまうから、あたしとお嬢とリリオンの三人からのプレゼントだ」

「そんな、お気を使わなくても。ありがとうございます。――で、これは何ですか?」

「下着。絹だぞ」

「……ベリレー、こっち来て」

「いやだ」

「いいから来て」

「だってお前絶対――わあっ! レティシア様、何を」

「ちょっと脇腹をな。これで勘弁してやってくれランタン」

「まあしょうがないですね」

 ランタンは言って、ミシャと同時にリリオンの脇腹に触れた。

 ひゃん、とリリオンが飛び跳ねてランタンとミシャは自業自得に引き摺られる。


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