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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
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 元々、ランタンは目的もなく行動をするような質ではない。

 迷宮にいる時以外を空いた時間と呼ぶのならば、けれどランタンがそこで行うのはいつだって次の探索のための準備であった。食事も睡眠も、あるいは大好きな風呂でさえも迷宮探索の気力を蓄えるための一つの要素でしかないのかもしれない。

 思い出してランタンは笑う。死と隣り合わせでありながらも、随分と味気ない日々を過ごしていた。

 最近はリリオンのための時間である。探索の準備でさえ、リリオンと一緒だと色を帯びる。

 そのためかランタンは傍らから少女が失われて目的を見失った。探索のための準備はもう済んでいるし、自分が行わなくてもレティシアたちがどうにかしてくれる。そう言った考えもまたランタンを暇にさせた。

 ランタンは一人でぶらぶらとして、時間も、繋ぐ相手のいない左の手も持て余していた。

 左手で戦鎚を扱う練習でもしようかな、と思う。それとも右で戦鎚、左で狩猟刀を、いや、あるいは打剣術の練習をしてもいい。それならば一度下街に戻るか。でも面倒だし身の内にある魔精を認識できるように努めようか。

 それならばそこの木陰に座って、ぼんやりしていればそれっぽく見える。

 木陰には簡易的な長椅子が座る者無く置かれていて、その隣の屋台では果実水を売っていた。でもきっと温いだろうな、とランタンは思う。まあいいか。

「すいませーん、薄めずにください」

 果実水は果実を潰して煮詰めた原液を水割りにしたものだ。大鍋にすでに水割りにした果実水を置いた屋台もあるが、ここは原液と割水がわけられている。客の目の前で薄めることで、変な混ぜものをしていませんよ、と証明しているのだ。それに売れ残ったとしてもそれならば捨てるのは水だけで済み、余った原液は更に煮詰められて次回に持ち越される。火が通っているのでたぶん不衛生ではないと思う。

 四半銅貨一枚。水割りにしようとしまいと値段は変わらず、原液は小さなひしゃくの半分ほどを掬っただけ。粘性を帯びた濃い液体は林檎と檸檬の混合果汁で、とろりとした飴色がコップの底を極薄く広がる。ランタンは長椅子に座って水筒の水を注いだ。

「マドラー貸してください」

 これも四半銅貨一枚。良い商売だな、と思う反面、よくこれで食っていけるな、とも思う。探索用品の支払いに銅貨が使われることはまずない。四半銅貨などは買い物よりも孤児への施しに使うことの方が多い。

 ランタンは果実水をちびちびやりながら、木陰に透ける青空を眺めていた。果実水の屋台にはランタン以外の客はなく、通りを挟んで向で商売をしている揚げ鶏の屋台はそれなりに繁盛していた。

 こんな陽気に、とランタンはそちらに目を向ける。

 屋台の大鍋の中には油が満たされて、弱火で熱されている。油の中には大蒜がぷかぷかと浮かび、半身に割った丸鶏が逆立ちをして脚を鍋の縁に立てかけてぐりるぐるりと二回り分沈められていた。

 大蒜の匂いと、油の熱がここまで漂ってくるようだった。

 揚げ鶏屋台の店主は猫人族の男だ。きびきびとして働いていて、年の頃は三十から五十ぐらい。亜人族の(つら)に年齢を探るのは難しい。

 果実水を一口。

 傾いている。

 店主の重心が右寄りなのは、左の脚に古傷があるからだろうか。おそらく膝。斬られたとか叩き折られたとかそう言うのではなく、元が左重心でその負荷に耐えられずに軟骨がすり減った結果だろう。痛みは鈍痛で断続的。右足重心になったのはそれほど昔ではなく、筋肉の付き方は左半身が発達しているが、肩胸腕は包丁を振るう右の方が鍛えられている。

 その結果として何となくバランスが取れているような、やはり軸芯が歪んでいるような。その内、腰を痛めそうだ。

 そして呼び込みの声がやや掠れるのは、まあ煙草のためだろうが、これは目に見える歯の汚れから推測した結果である。

 魔精の活性化による感覚の鋭敏化。その行き着く先は人魔問わず心の内も見透かす心眼心聴であるらしい。内にある魔精が活性化することにより、外気に混ざる魔精と共振して知覚範囲が広がる。そして外気を媒介して触れる他者、その内なる魔精に干渉すると、ついには。

 与太だな、と思う。

 ランタンが果実水で口を潤す。活性化しているのかなあ、と自信がない。取り敢えず猫人族に狙いを定めては見たものの、彼の人物像の認識が事実であるのかそれともただの妄想か区別は付かない。心の内など透かし見ることなど到底無理で、目に見えたものに屁理屈を付けただけの妄想であるように思う。

 悪趣味だけど、他の人でも試してみようか。

 ランタンは無指向に意識を広げる。木漏れ日の光が温かい。遠くから運ばれてくる風が涼しい。果実水の店主が欠伸をして、揚げ鶏の店主が汗を拭った。道行く人がこちらを見ている。誰かが立ち止まって迷っている、揚げ鶏を買おうかな、どうしようかな、と。

 迷っているのは熊人族の騎士見習いベリレである。

 鎧も長尺棍も装備しておらず、だぼっとした簡素な服に身を包み、肘や腰、膝の辺りを紐で絞ってある。腰に下げた長剣が短剣に見える。ランタンに向けた背中が大きく、けれど猫背に丸められている。だぼっとした服が肩の肉に引っ張られて今にも破れそうだった。

 ベリレの姿はたいそう目立っていた。背中が大きい、と言うのはつまるところの、身体が大きいと同意だ。道行く人よりも頭が一つ二つ高く、堂々たる巨躯はほれぼれするほど立派だった。

 なるほどこれはエドガーが置いてきたのも頷ける。隠行が苦手だとかそう言った話ではなく、そもそもとしてそのように身体が作られていない。

 正々堂々とした身体である。

 しかしそんな男が猫背になっているのだから違和感しかない。

 何をしているんだろう、とランタンは己の状況を棚に上げて、じっと背中を見た。

 心眼。ではなく透視。でもなく結局は状況からの推測である。

 財布、だろうか。

 ベリレは財布を覗き込んでいる。そしてその財布は軽そうだ、とランタンは背中を透かして思う。あの巨躯ならば揚げ鶏を幾つ買おうかと悩んでいるようにも見えるが、その実、一つ買おうかどうか、と言ったところだろう。

 寂しげな気配が背中にあった。妙に哀れである。あの身体ではさぞ燃費も悪かろう。熊人族の男、いやこれは少年か、透かした背中の内にある魂は若い。

 もしかしたら、とランタンは果実水を飲みきって立ち上がった。

 近付くがベリレは気が付かない。

 やはり財布の中を覗き込み、――覗き込んだままだ。どうぞお好きにしてください、と言わんばかりの無防備さであり、ランタンがこのような隙を見せれば六人の掏摸と十二人の痴漢とその他諸々の変態が一個小隊ほどやってくる。リリオンも好き放題にしがみついてくる。

 ベリレに近付く者はランタン以外にいない。

 何とも羨ましい身体付きだ。ランタンは迷った挙げ句に、最も柔らかそうな脇腹に人中の二指を突き入れた。

「うわあ――っ!!」

 堅く、脂肪はほとんどない。突き指しそうだった。

 全身筋肉の巨躯が獣じみた反転をみせて、胸板に財布を押しつけて守り、右手が腰の長剣に伸びて空を掴んだ。まだランタンと認識していない忍び寄った影から視線を逸らさずに、ランタンによって掏り盗られた長剣を虚しく探している。

 それは虎を前にした小熊の顔。ランタンを認識してぎりりと奥歯を噛んだ激情は、ただの隙である。一足で間合いを詰めて、放り投げるような無造作な刺突により長剣は鞘に戻された。ランタンはベリレの右手を取ってやり、そっと柄に握らせてやった。

「お腹空いてるのかもしれないけど、ちょっと不用心だよ」

 指太い。ごつごつしていて、掌が厚い。甲の半ば程から短い焦げ茶色の毛に覆われていて、前腕に繋がっている。毛皮を持つ亜人族は全身が覆われている者と、そうでない者がいる。後者の多くは延髄や背骨沿い、そして前腕や臑に発現することが多い。非対称に生えている者は、みっともないと剃ってしまうことが多いのだとか。

「こんにちは」

「――なんだよ!」

「隙だらけだったので思わず」

 ベリレがランタンを苦々しく見下ろす。思わず、で他者を害する者は、多いとは言わないが少なくもない。もっと日が落ちていたり、裏通りだったり、あるいは下街だったりするとベリレの内臓は抉り取られていたかもしれないが。

「どこから、――ぐ、……いや、なんでもない」

 ベリレは財布を後ろ手に隠して、落ち着きなく剣の柄を触っている。ランタンはベリレに笑いかけて、視線を揚げ鶏屋台へと向けた。猫人族の店主が不安げな視線をこちらに向けている。右の手には鶏を骨ごと真っ二つにする大振り肉切り包丁を()げている。

 移動式の屋台とは言え、出店場所には取り決めがあって、客入りが悪いからと言って好き勝手に場所を変えられるわけではない。店先で揉め事が勃発すれば、客引きいらずに野次馬が集まることもあるだろうが、衛士隊もやってくる。そうしたらもう商売をするどころではなく、あるのは四半銅貨の一枚の得にもならない事情聴取だけである。

 猫人族の店主はそれなりに荒事もこなしそうな雰囲気があったが、ベリレの巨躯にはさすがに尻込みをしている。ちょっかいをかけたのはランタンだったが、その目は速く逃げろと警告を発しているようにも思えた。身体が大きいのも良し悪しなのかもしれない、けれど羨ましい。

 なんて事はない。なぜなら決して小さいわけではないから。羨ましがることなどはない。

「良い匂いだね」

 油の鍋からは香ばしい大蒜の香りが漂っている。ベリレはむっつりと何も言わず、ただゴクリと唾を飲んだ。

「おいしそうだね」

「うん」

 指差してそう言うとベリレは結局素直に頷いて、それからかっと頬を赤くした。ランタンは声にこそ出さなかったが、耳元まで裂けるのではないかと言うほどに唇を三日月にする。にやりといやらしく目元が緩み、それに見つめられたベリレは何やら怒鳴っているが、ランタンはどこ吹く風である。

「お腹減ってるんだ」

「別に」

「ふうん、奢ってあげようかと思ったけど、いらないんだ」

「いる。いっ、いらないっ」

 ランタンは喉の奥で笑いを押し止めるが、もうほとんど呼吸困難になりそうだった。三日月だった唇が、そんなものを取り繕う余裕がなくて、ゆるっと半開きにして生々しく呼吸を荒げている。ランタンは大きく肩を震わせて、眦に溜まった涙を拭った。

「あー、おっかしいんだ」

 ランタンはどうにか息を整える。そして踵を返して逃げ出そうとするベリレの初動を防いだ。動線に一歩足を踏み入れてしまえば、ベリレはそれだけで身動きが取れない。ああたぶん、これが感覚の鋭敏化か、と思う。

 ベリレからははっきりと羞恥や困惑や怒りが感じられた。けれどそこには敵意がなくて、ただ純粋な感情はやはり子供の物である。

「あれ食べようか。おいしそうだし」

「……食べない」

「どうして?」

 ランタンは意地悪く小首を傾げる。ベリレと目が合って逸らされた。鼻筋を通って唇に、白い前歯を一つ一つなぞって、その中の赤い舌に絡め取られる。ベリレは中の貨幣を砕かんばかりに財布を握りしめた。

「別に、腹は減っていない」

 ぐるぐるとベリレが唸った。腹で。

 ベリレは開き直っており。恥ずかしがるでもなく慌てるでもなく。堂々と腕組みをして、その二の腕を引き千切らんばかりに抓っている。もう二度と鳴るなよ、と己の身体に言い聞かせるようだった。

 ランタンも笑わない。聞かなかった振りをして、もう一度やり直す。

「どうして?」

 と。自分の脇腹を抓りながら。

「お前に、奢ってもらう理由がない」

「理由はあるよ。これから一緒に探索するんだから、奢ったり奢られたりなんて普通でしょ?」

 ランタンにそんな経験は一つもないが、そう言う物であるらしい。そして一つ。

「それに年長者が下の子に奢るのだって普通のことだよ」

「は?」

 何を言っているんだ、とベリレの顔がむかつくが、ランタンはやれやれと溜め息を吐く。

「エドガー様付き従騎士ベリレ。お歳はお幾つ?」

「今年で十四になる」

 ランタンはベリレの尻を蹴っ飛ばした。

「いってえ、何をするんだ!」

「僕はもうすでに十五歳だよ。文句あるか」

 聞き耳を立てていた猫人族の店主が足の上に包丁を落として騒いでいる。きっとベリレが歳の割に大柄なので驚いているのだろう。きっとそうに違いない。

「はあっ、嘘吐くなよ。どう見てもお前の方が子供だろう!」

「子供って言うのはどうしてこう捻くれているんだろう。全く嘆かわしいことだね。まったく身体がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ大きくてもやっぱり子供だね。お兄さんが揚げ鶏を買ってあげよう」

「ひ、一つ二つしか違わないのに歳上面するな!」

「あ、認めるんだ。それなのにそんな言葉遣いなんだ。まったくエドガーさまはどんな教育をしているのだろう」

「ぐ、……ありがたく、ちょうだいします」

 ランタンは高笑いである。道行く人がぎょっとしてランタンを振り返って、ランタンは慌ててベリレの影に入った。どうにも陽気にやられたようである。別にほぼ同い年なのにこの体格差があることが腹立たしくて、意地悪をしているわけではない。

 猫人族の店主は何故だか極端な左重心に変わり果てていて、ランタンは揚げ鶏を二つ買った。

 揚げ鶏は下味を付けた鶏の半身を大蒜油でしっかり火を通した豪快な料理である。値段も屋台のわりに豪快だが、量があり複数人で一つを回し食いするので高価すぎるというわけでもない。鶏足に持ち紙を二重巻にして、ランタンは迷惑料も込めて半銀貨を渡した。すると揚げ大蒜がオマケに。いらないなあ、と思ったのでそれはベリレの口の中に放り込む。

「あっつあっ!」

 はふはふ、とベリレは慌てていて、それでも一つの揚げ鶏を受け取とると、ありがとう、と言ったような言わないような。全ては大蒜により曖昧になっていた。

 鶏皮は脂が抜けてぱりぱりとして香ばしい。しっかりと火が通った肉は旨味が閉じ込められていて、表面はしっかりと噛み応えがあったが、内側に食べ進むにつれて柔らかくなっていく。下味の香辛料は少なめで、仄かに野性味を感じさせる臭気があった。

「けど、おいしいな」

「なにが、けど、なん、ですか。とても旨、おいしいです」

「そんなに片言だったっけ?」

「う」

 ベリレは話さなくてもいいように一心不乱に肉に食らいついた。まさしく熊のごとき食べっぷりで、見ていて清々しい気持ちにさせられた。軟骨や細い骨などは気にせずに噛み砕き、太い骨は骨髄を啜るようにして未練がましく舐っている。

 果実水屋台の長椅子に座る。これだけで四半銅貨二枚を要求されたので、結局二つ頼んだ。買えば席料は無料である。

 ランタンはまだ二口、三口、口を付けただけだったがベリレはすっかり食べ終えてしまった。余程に空腹だったのだろう。もっとゆっくり食べれば、ランタンと会話をしなくても済むというのに。

 ベリレは豪快な仕草で唇と頬を纏めて袖口で拭った。果実水を一気飲みして、満足感と物足りなさのある顔をしている。丸い耳が萎れたように前傾だ。

「もういらないから、あげる」

「いいのか。ですか」

「あーもう、気持ち悪い。普通で良いよ。ほとんど同い年だし」

 何でもない、気持ち悪い、にちょっとだけ傷ついていて、面倒くさい男だな、と思う。鬱陶しいので無理矢理に揚げ鶏を握らせてやった。先ほどよりも少しばかり一口を小さくベリレは食べ始める。ランタンは果実水を一気飲みして、コップを屋台に返却した。

 立ち上がるとベリレも立ち上がり、歩き出すと付いてくる。一歩が大きくて、ベリレはすぐにランタンに並んだ。そして窮屈そうに歩調を合わせる。

 きっとエドガーの後ろもこんな感じについて歩くのだろう。ベリレはもうそれが無意識的に行ってしまうほどに染みついているのかもしれない。ランタンは頬に浮かぶ苦笑を隠して、ベリレを見上げた。

「今日は一人なんだ」

「お前もだろ、いつも引っ付いてるのはどうしたんだよ」

 意地悪な質問だったかな、と思っていたらそっくりそのまま返されてしまった。ランタンとは違い意識してのことではないだろう。それだけにランタンは驚いて、声を出して笑った。

「実は誘拐されまして、兎と竜のお姉さん方に」

「――それは、災難だったな」

 ベリレは大きく一口齧りついた、二口、三口で鶏の半身を食べ尽くしてしまうような一口だ。じゅっと溢れ出す肉汁に頬や唇を汚して幸せそうに目を細めた。リリオンと同じだな、とランタンは思う。けれど頬を拭ってやる気にはならない。ベリレはぺっと骨を吐き出した。

「リリララさんとは仲よさそうなのに」

「ふん、別に仲が良いわけじゃない。あいつが俺のことをからかってくるだけで。だからあんまり好きじゃない」

 好きじゃない、と来たか。ランタンは一瞬だけバツの悪そうな顔をした。きっとリリララの悪意ない暴言に、ベリレは律儀に傷ついたりするのだろう。ランタンは矛先を逸らす。

「ふうん、そうなんだ。じゃあレティシアさんは?」

「レティシア様は美人だ」

 ベリレの答えは簡潔で、そして至極真面目だった。

「まあ、――ほんとそうだよね。じっと見られると少しドキドキしちゃうし」

「……少しだと?」

 小さい呟きにある感情は、混沌としすぎて読み切れない。レティシアを変な目で見るんじゃない、と言われているような気もするし、少ししかドキドキしないとは何事だ、と言われているような気もする。斜め上から見下ろしてくるベリレの視線がランタンの頬を抓る。

 レティシアは美人である。

 濡れたような黒曜石の肌は匂い立つほどに艶めかしいが、緑瞳の涼しげな凜々しい面立ちは、そういった色気を軽蔑するかのような潔癖さがあった。けれど背反する性質はむしろそれらを際立たせるようだった。レティシアの頑なまでの清廉さは、己の色香に気が付くがゆえの羞恥と苦悩であるのかもしれず、けれどそれによってレティシアの色気は増すばかりだった。

 そして、それがまた。

「兄君、――ヴィクトル様を亡くされてもレティシア様は、それでも気丈に振る舞っておられる。ご自身が一番傷ついておられるだろうにリリララなんぞも気遣って」

「へえ、リリララさん()レティシアさん()

 ランタンは逆だと思っていた。リリララがレティシアを引っ張って元気づけようとしているようにランタンの目には映る。だがベリレは逆だと言う。リリララに思うところがあるからこそ、そう見えているのだろうか。それとも。

「ああ、リリララは元々ヴィクトル様付きの侍女だから。余計にレティシア様は気にされるんだろう」

 リリララのあの立ち振る舞いは、悲しみを隠すためか。ベリレはそれを素直に受け取っているようで、何やらぶつくさと言っていた。ランタンはベリレの脇腹を一発殴りつける。そして睨み付けてくるベリレの視線を冷たく返した。

「ぐ、……なんだよ。ともかくとしてレティシア様は美人で、素晴らしい御方だ。俺にも優しくしてくれるし」

 結局はそこに収束するのが、哀しい男の性だった。ベリレは脇腹をさすりながら、ふとどこか遠くを見上げた。

「いずれ誰ぞに剣を捧ぐ日が来るのならば、その時はレティシア様のような御方に捧げられたらと思うよ」

 敬慕。

「レティシアさんに、じゃないんだ」

「――ばっ、お前、そんな恐れ多いっ。全く何を言っているんだ」

 なんとなしにランタンが訊くとベリレは一瞬で何を想像したのか、顔を赤く、そして青くして大いに慌てた。落ち着こうとすると揚げ鶏を囓る。

 ぐあう、と獣のような唸り声を上げて、ばきばきと骨を噛み砕いている。リリオンもよく骨まで料理を食べているな、と思い出す。僕もそうしようかなあ、とランタンはベリレを見上げる。

 二メートルの巨躯。身体の厚みはランタン二人と半分。肩幅は三人分。体重は百三十前後はありそうだ。難しい顔をして揚げ鶏を食べている。こうしてぼんやり見てみれば、精悍な大人びた顔立ちをしている。眉間に寄った皺が深く、そうすると眉尻が上に向いて迫力があった。

「じゃあ、おじいさまは、……まあいいや」

「なんでだっ、エドガー様はな。素晴らしい方なんだぞ。それを第一お前はそんな御方をおじいさまだなんて」

 眉間の皺がぱっと消えて、その顔は少年そのものの溌剌(はつらつ)さがあった。いかにエドガーが素晴らしいかを語るとベリレの言葉は止まらない。

 いつぞやの討伐作戦がどうだとか、最終目標との死闘が何だとかそれはベリレが生まれる前の話だったが、まるで見てきたように話す。そして実際に目にした物の話となるともうこれは少しばかりぞっとした。あの戦闘の、あの瞬間の踏み込みが、あの一撃の角度が、振り抜きから斬り返しまでに掛かった須臾(しゅゆ)の時間が、とベリレは事細かに覚えていた。もしかしたら(でっ)ち上げているのかもしれないが、それにしたって整合性がとれている。

「……かっこういいねえ」

「だろうっ。エドガー様は格好良いんだ。俺もいつかはあんな風に、なれる、だろうか……」

 揺り戻しで声が萎む。一挙手一投足を事細かに記憶する狂信に近い憧憬は、その頂の高さを測りかねている。ただ届かないと言うことだけを確信して、そしてそれを認めたくない己がいる。本当に届かないかどうかなんてわからないのに。

 ランタンは慰めるようにベリレの肩、には届かないので腕を叩いた。

「そう言えば魔精の活性化ってできる?」

「できる。……エドガー様の手ずから教えて頂いた。きちんと、ちゃんと、お前と違って」

「はいはい、羨ましいことで。あれって何かコツとかってあるの?」

「ない、が感覚さえ掴めばあとは楽だった」

「その魔精の感覚が分かんないんだけど」

「知らん」

 ベリレは骨ばかりになった揚げ鶏を捨てた。

 活性化している時はこの感覚なのだろうと思い当たるのだが、そうでない時はよく分からない。不活性時でも魔精は体内にあり、肉体に影響を及ぼしているというのに。

「なあ俺たちはどこに向かってるんだ」

「商工ギルド」

「はあ? もう探索の用意は済んでるぞ」

「僕には用事があるの。あ、これ買っていこう。飴菓子」

 宝石のように綺麗な飴菓子を包んでもらった。ベリレは飴を舐めながら歩くのかと思っているようだが、これは土産である。脂っぽい指をした手を伸ばしてきたので、ランタンは強めに引っぱたいた。ベリレは不満そうな顔をして、ズボンで指を拭いていた。ズボンに指の跡が付いている。

「最後に、リリオンのことどう思ってる?」

「ああ? 何だ急に」

「これから迷宮に行くわけでしょ? だから確認」

「別に、どうも思ってない。お前にベタベタしてるのが目に付くぐらいで」

「ふうん」

「何だよ」

 ランタンはじろりとベリレを見上げた。やや半眼のその目付きには妙に重たげな感情が滲んでいる。

「ならなんで睨むの? リリオンのこと」

「……別に睨んでなどいない」

 ランタンはじっとベリレを見て、ベリレは目を逸らした。ランタンは唇を歪め、次の言葉を。

「僕のことは睨んでたよね」

「……睨んだ。それは認める」

 思いの外、素直だった。

 ベリレは本当にリリオンを睨んでいた自覚がないようで、それはつまりリリララの言葉が正しいことを意味するのかもしれない。ベリレが眉間に皺を寄せるのは感情を隠すためのものである。レティシアにしろ、リリララにしろ割と極端な反応を見せたベリレは、リリオンに対しても極端に緊張し、それ故に眉間の皺はより深くなっている。

 と言うことだろうか。

「リリオンのことも睨んでるよ」

「……知らん。俺は睨んでなど――!」

 てめえが否定しようとリリオンは怖がってるんだよ、と内心思ったかもしれない。

 言葉の途中でベリレは大きくランタンから距離を取って、目をまん丸に見開いてランタンを凝視している。ベリレの顎に汗の粒が浮いて、一粒の雨となった。

 魔精による感覚の鋭敏化。その行き着く先は他者の心象への干渉であり、触れると言うことは同時に触れられていると言うことに他ならない。言葉にせずとも意思が伝わり、あるいはそれは戦場にあって敵意や殺意と呼ばれるものであるのかもしれない。

「あの子のことを怖がらせるのは()めてね」

 ベリレはただ頷くことしか出来ず、商工ギルドに入っていったランタンの背中を遅れて追った。


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