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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
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 リリオンが窓をじっと見ている。窓に反射する己の顔を見て身だしなみを整えているのかと、ランタンは何だか感慨深くなったが、屈んだ少女の肩越しにそっとその表情を盗み見ると、少女の難しそうな顰めっ面の奥に張り紙が透けていた。

 水晶洞(クリスタルケイブ)の窓には一枚の張り紙がある。風雨を避けるために窓の内側から、外向きに貼り付けられている紙は以前に訪れた時も張ってあったようにランタンは朧気ながら記憶している。ふとリリオンが振り返る。

「ねえ、これはなんて読むの?」

 聞かれてランタンはどきりとする。だが同時に大丈夫だという勇気も湧いて生くる。エーリカの教本はだいぶ読み進み、今では商用語以外の語彙もそれなりに増えた。もし語彙がわからなくても、前後の文脈から穴埋めをすればどうとでもなる。

 筈だ、とランタンは思いきって張り紙に視線を向けた。

「あ」

 ほとんど読める。読めるが、視線を滑らすほどに頬が引きつる。

「ねえ」

「某単独探索者御用達の魔道具店。水晶洞。某単独探索者好みの水精結晶も各種取り揃え。某単独探索者と同じお水を飲んで、一緒に探索をしている気分になろう」

 ならねえよ、とランタンは窓をぶち破りたい気分になった。もしかして以前に水精結晶が少なかったのはこの張り紙のせいではあるまいか。

「単独探索者なんて、ランタンみたいね」

「……そうだね。僕はもう一人じゃないし。一体誰のことを指しているんだろうね。ちょっと聞いてみようかな」

 ランタンはリリオンの手を引いて水晶洞の扉を押し開いた。獣を解き放つようにしてリリオンを先に入れ、背後でしっかりと扉が閉まったのを確認する。店内に他の客はいない。魔道光源の燦めきに満たされている。

「あ、いらっしゃー……い」

 ランタンはもじゃもじゃ頭の店主を一瞥すらせずに窓に近付く。カーテンを開き。窓に貼り付けてある紙をそっと剥がした。振り返ると店主は唇を()の形に開き、地獄から助けを求めるように手を伸ばしている。

「こんにちは。ちょっとお尋ねしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

 ランタンはもちろん救いの手を差し伸べたりはしない。ただ苦しむ罪人にさらなる罰を与える鬼の笑みを口元に浮かべて、天使のような甘い囁きを添えて張り紙をカウンターに置くのである。店主の視線がランタンの表情から、萎れるように張り紙へと沈んでいく。

 自らの罪を確認するがいい。

「これ、なんですか?」

「あああえええっと、その、ね」

 沈黙の帳が落ちる。リリオンは二人を見比べて、けれど我慢比べのようになにも喋らないので飽きてしまったのか、ちょんとランタンの外套を引っ張った。

「わたし、見てきていい?」

「うん、行っておいで。落としたりしないように気を付けてね」

「もうっ、そんなことしないわっ」

 リリオンは魔道光源の群れに向かって足取り軽く跳ねて行くのである。リリオンの背に揺れる、ざっくりと編んだ二本の三つ編みにランタンは頬を緩めた。その柔らかな雰囲気に店主は一縷の望みを掛けた。

「ごめんっ」

「いや、これが何かを聞いているのですが」

 天使の容貌だが鬼である。

 けれど鬼にも慈悲があるのでランタンは椅子を借りると、ちょこんと腰掛け、両肘を付き、絡めた指は死者に祈りを捧げるようである。慈悲とは死者に向けられるものであるのか、と店主の表情が引きつる。夥しい魔道光源を背に迎え、その光の中を跳び回るリリオンは妖精のごとく、それを従えるランタンは幼形の神であるのかもしれない。

「これって呼び込み広告ですか」

 店主が痙攣するように頷いた。

「つい、出来心で」

「ふうん、効果の程は?」

「……あまり」

 水晶洞はいつも静かだ。

 だからこそランタンはこの店を贔屓にしているのである。呼び込み広告の一つを張りたくなるのもわからない話ではない。しかしこの文字だけの広告に目を向けるものがどれほどいるかは疑問である。リリオンのように何事にも興味津々な子供は視線を向けるかもしれないが、この店には子供の小遣いで賄えるような商品は置いていない。

「こんな中途半端するぐらいなら名前書いちゃえばいいのに」

 ランタンは張り紙に視線を落とす。

 某単独探索者。それを指す人物をランタンは一人しか思い浮かばない。文字が日に焼けているのが何か少し面白い。開き直って名前を記した方が潔く、ランタンも色んな意味で文句を付けやすい。

 大人を嫌みったらしく責めるのは、なんとなしに居心地の悪い物である。

「ええっ、いいのかいっ?」

「んー、どうしよっかな。でも効果はあんまりないと思いますけど」

「そんなことはないよっ」

 おどおどを一転させて店主は鼻腔を膨らませて興奮気味に拳を握った。広い額で汗が光り、勢い余ってもじゃもじゃ頭がゆさりと揺れた。ランタンは店主を冷ややかに見つめる。

「僕、結構嫌われたり恨みをかってるから、変なのに目を付けられちゃうかもですよ」

「……何かやったの?」

「降りかかる火の粉を払う程度ですよ。いやになっちゃいますね」

「ああ、……確かに、最近は特に物騒だものねえ」

 店主は拳を解いて物憂げなため息を漏らした。

「ま、何もしてなくても嫌われちゃうこともありますけど」

 ランタンはぼんやりと熊人族の騎士見習いを思い出す。探索している間に仲良くなれるだろうか。それともその前に一度話をしてみるべきだろうか。そんな思案はほんの少し前の自分には縁遠いもので、ランタンは不思議な感覚になった。

 歩み寄るのか。この僕が、と苦笑が。

「ランタンくんの活躍だと、嫉妬もあるだろうしね。大変だねえ」

「さあ、どうなんでしょう。――まあいいや、お店が本当に困ってるなら、どれほどの効果があるかわからないけど、名前書いちゃってもいいですよ。実績がないから恥ずかしいけど……」

 熊人族の騎士見習いから竜殺しの英雄を連想して、ランタンは目を伏せてそっぽを向いた。そんなランタンに店主は驚きを持って髪を掻き回す。空気を入れ換えるようなそれにより、もじゃもじゃ頭がいっそう大きくなった。店主はランタンとは別種の恥を表情に滲ませ、眼鏡を外してレンズを服の裾で拭った。

「ありがとう、でも止めておくよ。閉店の予定はないし、道楽でやっているような店だけど、ランタンくん以外にも贔屓にしてくれるお客さんはいるからね」

 言葉と共に眼鏡を掛け直して、店主はがたりと椅子を引いて立ち上がった。

「今日もいつもの水精結晶で良いかい? 前はあんまり仕入れられなかったから、頼み込んで余計に回してもらったよ。これだけあればしばらくは困らないんじゃないかなあ」

 意識的な明るい声に引かれて、背後でリリオンが振り返った気配がある。どたどたと足音を鳴らして駆け寄って、ランタンの背中に飛びついた。頭上から回り込んで顔を覗き込むようにランタンに覆い被さって、三つ編みに纏めきれない髪が銀糸の雨のようにランタンに降り注ぐ。

 ランタンは空模様を確かめるようにリリオンを見上げる。

「なにか良い物はあった?」

「うん、どれもステキだったわ」

 晴れ。

「壊したりは」

「してないよっ、もう。お話は終わったの? 某単独探索者ってだれのこと?」

「……創作の人物だって。ひどい詐欺だよね」

 ランタンはくすくすと喉を鳴らし、そっと銀雨を払い視界を開いた。そして中途半端に振り返っている店主に向かって無慈悲に微笑む。

「黙っていてほしかったら、在庫全てください」

「え、は?」

「全部。一つ残らず。ハローヴァさんの水精結晶を買って行きます」

 水晶洞へ来た目的はこれである。レティシアは飲料用の水精結晶を用意してくれるだろうが、ランタンにはこだわりがあり、こだわりは他人に任せられないものだ。ランタンは固まる店主を解凍するために、カウンターを指で鳴らした。

「ちょっと大迷宮に行くことになりまして」

 ランタンは店主に向かって肩を竦める。そして呟きは店主にしか聞こえない。

「在庫を残しても、もう買いに来れないかもしれませんしね」

 そっと撫でた張り紙をリリオンが覗き込み、一塊となった二人を店主は複雑な表情で見つめる。




 大量の水精結晶がリリオンの背嚢の中でじゃらじゃらと音を立てている。軽くなったポーチを銀行で再び重たくして、ランタンはリリオンの手を引いて職人街を行く。歩いていると連なる店々から何となくの視線を感じた。

 ランタンを見ているのではなく、誰か何かを探しているような気も(そぞ)ろな感じの視線である。

 天気も良いせいか、何だか浮ついている。何処かの店から研ぎを失敗したのか甲高い金属音が、そして悲鳴のような声が遅れて聞こえ、間髪入れずに怒声が響く。若い職人が開き直りもいいことに言い訳をしていて。ランタンは、ああなるほど、と思う。

「だって竜殺しが通るかもしれないじゃないですか」

 だが竜殺しは簡単な研ぎを失敗するような店を利用しないだろう。

 ランタンはリリオンの手を引いて歩く。

「いい天気だね」

「うん、ちょっと暑くなってきたね」

「そうかなあ。リリオンは暑いの好き?」

「んー、ベターってする暑いのはきらい」

「そっか」

 ベタベタしてくるくせに、と思うがランタンは満更でもない顔をする己に気が付かない。

 迷宮から帰れば、きっと暑くなっているだろうなと思う。短い雨期は湿度が高いが、それ以外はカラッとしている。雨期を迷宮内で過ごせたら楽だろう。もっとも迷宮内が高温多湿であることもままあるのではあるが。

 戦闘服は攻略後に買い換えるとして、夏の服はどうしようかと思う。ランタンは直射日光が肌に触れることがあまり好きではないが、リリオンは透けるような白い肌とは裏腹に日向ぼっこが好きなようである。窓のない部屋に引きこもりがちなランタンの手を引いて、外に連れ出すのはリリオンの役割だった。

 リリオンは眩しそうに空を見上げて、背嚢と剣盾の重さも相まってそのまま後頭部から転びそうだ。そうなるとランタンはぴっと腕を引くのである。そしてそのままグラン武具工房へと足を踏み入れた。

 見習い職人が入り口に背を向けている。紛う事なき職場放棄である。そわそわと肩を揺らし、座った椅子がぎしぎしと軋んでいる。カウンターの下では貧乏揺すりもしているのかもしれない。ランタンはその隙だらけの後頭部に声を掛ける。

「また怒られても知らないよ」

「うおっ、あ、いらっ、ああ、何だよ脅かしやがって」

「よし言いつけてやろう」

「……いらっしゃいませ」

 迎える側の礼を渋々滲ませていて、ランタンは偉そうに頷く。やればできるじゃないか。

「じゃあ勘弁してあげよう」

「すげえむかつく」

「仕事さぼってるのがいけないんでしょ? グランさんはいる?」

「……いるけど、お前にゃ会わねえよ」

 意趣返しのつもりなのか、見習いは吐き捨てるようにランタンへ言った、その余話を受けてリリオンがランタンの外套を掴まえて、職人見習いは気まずそうだ。リリオンは男ばかりの職場に咲く花のようなものだ。ちらちら視線を送れども、話しかけるどころかそれを摘もうなどとはこれっぽっちも思わない。思ったらランタンが被っている猫を脱ぎ捨てるだろうと感づいている。

 ランタンが目を細めると、僅かばかりに気圧されたのか見習いは肩を振るわせた。けれどやはり男の子、どうにかぐっと堪えて荒々しく鼻息を鳴らしてランタンを睨み返した。

 すると花が肉食花へと変ずる。リリオンの目がきっと細められた。

「どうして、そんな意地悪するの?」

「――っ意地悪じゃねえしっ、今すっげー人が来て親方と話してんだよっ! だから――」

「ああ、おじいさまが」

「おじいちゃん来てるの?」

 見習いの顔がぽかんと歪んだ。

「エドガー様が来てるんでしょ? じゃあちょっと挨拶しなきゃ」

「え、なに? お前ら英雄と知り合い、っていうかおじいって。はあ?」

 情報の過負荷に思考能力が限界を迎えて見習いはあうあうと口から溢れる言葉は既に音でしかない。そして沈黙。ランタンは再起動の隙を突いて、見習の前を横切り、するりと気配を薄めて、リリオンにも忍び足を強要する。そそくさと店の奥へと足を進め、話し声はいつもの応接室から聞こえてきた。その近くには見習いではない、いい歳をした職人がうろうろとしていて、ばったりと出くわしたランタンに驚き、ランタンは平然と微笑む。

 堂々としている方が勝ちなのである。

「サボってると怒られちゃいますよ」

 ランタンは職人に見せつけるように扉をノックし、たっぷりと返事を待って隙間から顔を覗かせる。驚いた顔の老人が二人、向かい合って座っていた。扉の隙間からランタンの顔が、その上にぬっとリリオンの顔も覗くと二人揃って苦笑を零した。

「よう、どうしたんだよ」

「ちょっと寄ったのでご挨拶を。先日はどうもおじいさま。帰ったあとも大変でした。魔精薬は大変美味しゅうございました」

「ああ、ならいい。元気そうで何よりだ。若いってのはいいなあ」

「ええまったく。二人ともそんなとこ()らんで入ってこい。――おらあっ、サボってんなよ!」

 グランの怒鳴り声と入れ替わりになるように、ランタンたちは扉の隙間から部屋に入り込んだ。後ろ手で扉を閉めるその僅かな隙間に滑り込むようにして、職人たちの謝罪と返事と走り去る音がごちゃごちゃっと入り込んできた。

 グランは腕組みをして嘆息する。

「ったくもう、あんの阿呆ども。いやお恥ずかしいところを」

 ぶつくさと文句を垂れるグランの横にランタンは腰を下ろし、その隣にリリオンは自分の尻を収める隙間を見つけられず、置いてけぼりにされたように立ち竦んでいる。エドガーが己の隣をぽんぽんと叩いて少女を誘った。

(じじい)の隣で我慢してくれ」

「うん、我慢する」

「ばっ――!」

「おじゃまします、おじいちゃん」

 リリオンは膝を揃えてちょこんと座り、ランタンはあまりの物言いに大慌てだった。

「本当に申し訳ないです!」

 こんな事ならランタンはリリオンを先に座らせて、恥を我慢してその膝の上に座った方がマシだったと思う。けれど覆水盆に返らず、エドガーは頬を緩めて満更でもなさそうだ。もうランタンはやけくそになるしかなく、一つ息を吐いて冷静を装い、リリオンに負けじとグランに向かって少女めいて微笑んだ。老職人の顔は表情筋の一筋すら動かない。

「そう言うのはお前の本性を知らん奴にやれ」

「……ええ、そうします」

 髭さえも動かない。全く以て笑い損で、そもそもが意味不明であることに思い至り、ランタンは拗ねたように顔を背ける。グランはその姿にこそ髭を(そよ)がせた。ぽんと向けられた後頭部を撫でるようにひと叩き。

「で、何の用だよ。挨拶のためだけに来たわけじゃないんだろ」

「……はい、戦鎚(これ)とか方盾(それ)とかの整備のお願いを。おじいさまもですか?」

「ああ、紹介ありがとうな。おかげで万全の状態で挑める」

「おお、そうだ。ありがとうよ坊主。いやこの手で竜骨刀を手入れできるとは思わなかった。黒竜の芯骨から削りだしたとはいえ、やはりこれは凄まじいものですな。――けれどそれも残り四刀とは、まったく随分と斬りましたなあ」

「刃の減りを惜しんでは命が幾つあっても足りはせん」

「く、まったくその通りだ」

 竜骨刀の深い白刃を思い出したのかグランは上機嫌である。

 老人たちは顔を合わせることはなかったが、同時期の王都を過ごしたことがあるらしく過去の思い出話に花を咲かせている。何とか言う探索者の与太話がどうだとか、どこの酒場の料理が美味かっただとか、固有名詞が朧気な会話は若者二人には複雑怪奇であった。

 けれど生まれるよりもずっと前の話は面白可笑しく、興味津々なリリオンの先を急かすような相槌に老人二人はメロメロで気分を良くし、ランタンはランタンで大人しくして会話の花となるものだから、二人は昼間っから花見酒を始める始末である。

 物言わぬ花が、桜の唇をそっと解く。

「もう、まだ仕事中でしょう?」

「俺は多少の酒が入った方がいい仕事ができるんだよ」

 そう嘯くグランにエドガーが尤もらしく頷いている。ダメ老人どもめ、とランタンはその戯れ言の真偽を確かめようとして酒に手を伸ばすリリオンの手を叩いた。めっと叱るとリリオンは唇を尖らせて納得しかねるような目付きになり、ランタンは元凶である老人二人に対して攻めるような冷淡な視線を向ける。

 だが老職人と老探索者は屁とも思っていないようである。嬢ちゃんにはまだ早えよ、などと杯を空にして手酌で再び満たす暴挙に至る。もう知らない、とランタンはグランから顔を背けた。

「……そう言えばベリレさんは居られないのですね」

「ああ、ベリレなら置いてきた。あの図体じゃ目立って適わんからな。まったくいつまで経っても隠行が下手で困る」

 その口調は酒精のせいか柔らかい。不出来な弟子への愚痴ではなく。不器用な子を愛でるような。なるほどリリララが文句を言って、レティシアが苦笑する理由がよくわかる。酒のせいばかりでこの甘さは出ないだろう。

「昔っから俺の側を離れたがらんでなあ。困ったもんだよ。そう言えばグランどのはお子は?」

「恥ずかしながら嫁き遅れが一人。仕事にかまけるのもまあいいんですがね、今は金策に奔走しているようでどうにも色気がなくていかん。どうやら生きている内に孫の顔は拝めんようで」

 グランは蓬髪をくしゃりと掻いて。とろんとした視線をランタンに寄越した。

「お前のおかげで商工ギルドは結構忙しいらしい。なあ、あいついらんか?」

「……だいぶ酔われているようですね。程々でお止めになった方がいいですよ」

 ランタンは返事を避けて(いとま)することにした。もうちょっとお話聞きたい、とリリオンがぐずって、老人二人の脂が下がる。リリオンには爺転がしの才能があるようだ。また今度はリリオンに金銭交渉をさせようとランタンは画策する。

「じゃあ僕は行くから、リリオンはお話ししてる?」

「やあだ。ランタンと行く」

 リリオンは素早く立ち上がって、飛びかかるようにしてランタンの隣に収まった。老人たちはにやにやと笑っていて、ランタンは少しも面白くない。失礼します、の素っ気ない一言で背を向けた。

「装備は工房の方へ持って行け。代替品は適当な奴掴まえて適当にな。ああ、あとちょい待て」

 扉を抜けようとするランタンをグランは呼び止めて、別の扉からのしのしと部屋の外へ抜けたかと思うとすぐに戻ってきた。その手には水精結晶がある。

 それはお守り代わりに購入したとても飲めたものではない純水精結晶である。親指ほどの大きさの八角柱は、細かな細工の施された金属に辺を絡められて、何となく鳥かごを思わせた。

「ほら望みの通り首から下げられるようにしてやったよ。ああ、疲れた。細かい装飾は目が痛くなって適わんな」

 どこに出しても恥ずかしくないお守りとなった結晶をランタンは受け取った。掌に水の塊を受け取ったような優しい冷たさがあった。リリオンがランタンの手の中を覗き込んで、わっと声を上げる。

「そのまま」

 ランタンは真っ直ぐ向かい合うリリオンの顔を抱きしめるように腕を回して、少女の細首に銀の鎖を結んでやった。

「おやグラン殿はそのような装飾品は作らないのかと思っていたが」

「若い時分は技術がなかっただけですよ」

「くっはっは、なるほどよくわかる。だが、今度はこの歳になると技術(わざ)があっても身体がなあ」

「儘ならんもんですな」

 なんと先の暗い話を笑っているのだろう。

 ランタンは何もかもを照らすような少女の笑みに抱きしめられながら老人の会話を背後に聞いた。

「ランタン。わたしすごくうれしいっ。んーランタン、ランタン」

 耳の中を満たす甘い声。ランタンは老人二人にからかわれるまで、ずっとその音を聞いていた。




 水精結晶が陽光に反射して煌めく。

 鎖骨の高さで揺れる結晶をリリオンはよく見ようとしようとしているが、鎖の長さが足りないので俯くようにして歩いている。ランタンは付けてやった手前、外せばいいのに、とは思うが口には出せない。ランタンはただリリオンの手を引いて、少女が転んだりぶつかったりしないように気を付けるだけである。

「あ」

 そんなランタンが急に立ち止まると、当然のようにリリオンはランタンにぶつかって、ぎゃあ、と可愛げの欠片もない声を上げる。その声に反応して、往来の視線が集まった。道の先では二人の女が振り返る。

 レティシアとリリララである。レティシアは叫び声に心配げな、リリララはただレティシアの視線を追う無関心な視線を。けれど視線の先がランタンであるとわかると、明らかな呆れを含んだ。

 道端で起こる騒ぎに首を突っ込んでも得をすることはそれほどないし、変な因縁を付けられてはたまったものではない。そもそも何処かの路地では常に悶着が起こっているのだから、リリララの反応は概ね正しい。心配などはするだけ無駄だというものだ。

 だがそれが顔見知りともなると話は別で、レティシアはそれを当然の行動として、リリララはあからさまに面倒くさい雰囲気を出しながら令嬢の背を追いかけた。

「どうしたんだ? 大丈夫か?」

「お嬢、……大丈夫に決まってるでしょう。おい、ちゃんと前見て歩けよ。そいつだからいいけど、阿呆に絡まれたらつまんねえぞ」

「あう、うん。ごめんなさい」

 リリオンは言われて思い出したように結晶を手放すと、ぶつかったランタンの身体を撫で回している。

 レティシアが若干の気まずさを表情に浮かび上がらせていた。それは恥ずかしがっているのかもしれず、世間知らずの探索令嬢は、もしかしたらあっちこっちを見回してリリララに迷惑を掛けたのかもしれない。

「こんにちは。お二人でお出かけですか?」

「ああ、リリララに――」

「うちのお姫様は下々の生活を見る機会はそうないからな。適当に冷やかしてんだよ、貧乏人どもを」

「リリララっ!」

 レティシアが恥ずかしがってリリララの腕を引っ張り、表情に浮いた羞恥を隠すようにランタンから視線を逸らした。けれどそれこそが恥ずかしいことである時が付くと、レティシアはわざとらしい咳払い一つで表情を切り替える。貴族然とした澄ましたものへと変えた。

「ランタンたちは、どうしたんだ?」

「まあ、散歩のようなものです。探索の準備なんかもしていましたけど」

「ほら見て! これランタンからもらったのよっ、いいでしょ!」

 リリオンが鎖を引き千切らんとばかりに、結晶を二人に見せつけている。

「へえ水精結晶か。こうして見ると綺麗なもんだな」

「ほう、この細工すごいな。ああ、結晶を透かすとよく見えるようになっているのか。神獣交合図、あ、いや、これは」

 レティシアがそっと結晶を手にとってその中を覗き込んでいる。鎖が短いのでそれは結晶の細工ではなく、リリオンの慎ましやかな胸元を齧り付きになって覗き込んでいるようである。珍しくリリオンが恥ずかしがって視線を彷徨わせて、ランタンは面白いのでそれを見ていた。リリオンは困ったようにレティシアの頭頂を眺めるしかない。

 そんなレティシアが結晶の彫金、戯れる幼神と幼獣の姿を認めるとはっと面を上げた。

「ああ、うん。これはいいものだ、な……なんだ皆。そんな目で、おい」

 リリオンは黙って鎖骨の辺りを手で押さえている。辱めを受けたと言わんばかりの仕草に、何のことかわからないレティシアは慌てふためいている。リリララは口元を隠して笑うのを堪えていた。

「ああ」

 笑い声を溜め息に誤魔化して、リリララは頬ににやつく笑みを消せない。

「なあ、お前ら暇なんだろ。ランタン、ちょっとこいつ借りていいか?」

 急にそんなことを言った。挑発的な笑みにランタンは驚き、リリララはさっとリリオンの腕を取ってランタンから引き離す。リリオンは抵抗したが、リリララは思いの外力強く、それを許さなかった。

「え、や。ランタン」

「いいじゃねえか、たまには。ちょっと女同士で親交を深めようぜ。ねえお嬢も良いでしょう?」

「ああ、別に私は構わないが」

「やだ、ランタンといっしょがいい」

 なんと可愛いことを言ってくれるのだろう、と思うと同時にランタンは考える。あるいはこれはいい機会であるように思う。ランタンがリリオンを連れ歩くのは色々な心配があったからでで、レティシアの権力はランタンの代わりとなった。

 ランタンは助けを求めて伸ばされたリリオンの手をそっと握った。少女は安心したように力を抜き、リリララが逆の腕をぐいっと引っ張りリリオンの顔の位置を下げた。

「なによっ」

 リリララがその耳にこしょこしょと何事かを囁いている。リリオンは視線をランタンにちらちら向けて、蚊帳の外のレティシアが少し寂しそうだった。少女は曲げた口元をゆるゆると緩めて、そっとランタンの腕を手放した。

「ランタン、わたし……」

 小さく微笑む。

「お小遣いはある?」

「こっちで持つから。気にしなくていい」

「じゃあ、ちゃんとお礼は言うんだよ」

 リリオンはこくりと頷いた。リリララに何を吹き込まれたのかは知らないが、ランタンが言わなくても、自ら行動を選んだのだと思うと何やら感慨深い。

「ではご迷惑をお掛けするかと思いますが、よろしくお願いしますね」

「夕頃までには帰してやんよ。家の場所も知ってるしな」

「ランタン、心配しなくていいぞ」

 レティシアが急にランタンの頭を一撫でして。少年は目をぱちりと。

 もしかして。

「じゃあランタン、わたし行ってくるね」

「うん、楽しんでおいで」

 送り出して遠ざかっていく背中を見送る。少女は何度も寂しげに振り返るものの、きちんと自分の脚で遠ざかっていく。

「さて、……どうしようかな」

 もしかしたら、寂しそうな顔をしていたのは自分なのかもしれない。


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