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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
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 時間が這うようにゆっくりと流れている。澱んだ空気が肌に馴染むほどに。

「ランタン、ランタン」

「んー、なに?」

 ランタンはベッドの上で骨抜きになったかのようにだらけている。寝起きというわけでもなかったが、心なしか表情が眠たげで幼い。それは寝衣のせいもあるのかもしれない。

 身に付けている寝衣は締め付けのない襟元や袖口のゆったりとした貫頭衣で、リリオンと揃いのようにも見える。だがそれはリリオンがお揃いを望んだものではなく、ランタンが迷宮から帰る道すがらに発作的に購入したものだった。

 剥き出しになった二の腕と、妙に柔らかそうな生足にリリオンの視線が吸い寄せられていた。いつもはズボンに覆われていて、風呂の時ぐらいにしか晒されることのない太股は日の光を知らないような青白さを放っている。特に皮膚の薄い膝窩(しっか)には薄緑の血管がぼんやりと透けていた。まるで茨に絡み取られるように。

「ねえ、大丈夫?」

 リリオンは滑らせるように視線を移し、心配そうにランタンの顔を覗き込む。そして放心したように脱力しているかと思うと、ふとむずがって身体を動かすランタンを撫でる。そこには落ち着かせようとする意図もあったが、気が付けば撫でる手は下へ下へと(くだ)っていく。

「さっきからそればっかりだね」

 されるがままにそんなことを言うのだから、そればっかり、になるのも仕方はない。

 横様になっているランタンの身体をリリオンは撫でる。薄布の下に華奢な肉体があって、リリオンは寂しげに結んだ唇を震わせる。言おうか言うまいかの逡巡を一間置き、リリオンは舌で唇を割った。

「ねえ、ランタン。ご飯食べよう?」

 迷宮から帰っては失われた体重を取り戻すかのような食欲を見せるランタンは、けれど帰還して口にしたのは水ばかりである。食事の用意を済ませリリオンが食事をする様を見届けるだけで、ランタンはなにも手を付けなかった。

 食べないの、と聞いても、お腹空いてないから、の一言で済まされてしまう。その時はそれで納得をしたが、流石にこれでは良くないと思う。腹ばかりではなく、今は柔らかい太股も痩せてしまうのではないかと思う。

「ねえ」

「うん」

 リリオンの提案に少年は頷くが、ただ頷いただけで食事を取ろうとする気配はない。リリオンは肋骨を奏でるように撫でて、そこから指が滑り落ち、触れた脇腹から悲鳴を聞いたような気がした。ランタンはやはり空腹なわけではないのだ。

 心配だけれど、腑抜けているランタンはちょっと愛しい。

「じゃあ、お水飲むのよ。ね?」

 水筒を口元に持っていくと、ランタンは唇を開き、重たげに顎を持ち上げ、唇の先で啄んだ。ほんの浅く傾けて水を流し込むが、唇の端から少し零れる。リリオンはそれを拭い取ってあげるのだ。頬から唇に指を滑らせると、そことの手触りの違いに今更ながらに気が付いた。

 頬はすべすべで、唇はしっとりしている。水の指を刺すような冷たさの奥には、熱っぽい体温があった。

「ランタンの身体、ぽかぽかしてるわ」

 リリオンは濡れた指をベッドで拭い、そっと少年の太股に触った。そしてランタンの顔を覗き込んで、やっぱり少年は何も言わないので、その掌を遠慮がちに動かした。そしてまた顔を覗く。もうちょっといいのかな、と大胆に手を動かすと、ついにぺちんと叩かれた。

「やめなさい」

「うん」

 少女は頷いたが、そこは少年と同様に口だけである。ランタンは嫌がると言うよりは擽ったがって俯せになり、リリオンは尻を隠す裾を本当に怒られるぎりぎりまで捲り上げたりもするのであった。リリオンの肌も白かったが、少年の肌もまた別種の白さを持っている。

 リリオンは何だかもやもやした。

 目の前に美味しそうなものがあった時、空腹であるけど食べない、と言う選択肢はないと少女は思う。

「えい」

 噛み付くみたいに太股を鷲掴みにすると肉が揺れた。痩せていたがほんのりと脂肪があって、けれどむしろ柔らかいのはその下に隠された筋肉である。リリオンは思わず自分の太股と少年の太股を揉み比べる。皮膚と脂肪層と筋肉と骨。構成するものは同じはずなのに、何か違う。

 ランタンの筋肉は指を押しつけるとどこまでも沈むようで、それでいて抵抗がないわけでもない。リリオンは密度というものを感覚的にしか理解していなかったが、何だか自らの肉体がスカスカなもののように感じた。

 えへへ、とリリオンはその肉の柔らかさを弄ぶ。

「くすぐったいよ」

 手から逃げるようにランタンは今度は仰向けになって、さっと捲れた裾を直した。その仕草がむしろ誘っているように感じ、リリオンは性懲りもなく手を伸ばす。膝立ちになってのそのそとランタンの(すね)を跨ぎ、片手をベッドに突いて身体を支え、もう一方が少年の内股を。

「ふえ」

 ベッドの上に度重なる寝返りによってシーツが襞を作っていた。それは白い波頭のようで、ランタンは静かに忍び寄る波のように少女の足を浚った。

 ランタンの臑に接地する膝を押され、ベッドに突いた手はシーツの襞を払うに引き摺られて滑らされた。リリオンはあっという間に体勢を乱されて、それを矯正しようと慌てて腹筋に力を入れる。だが内股に伸ばした手がいつの間にか掴まれていて、少年に引き寄せられると丸めた腹筋が抵抗虚しく伸ばされる。力が三方向に散らされて、そうなるともう体勢を立て直すどころではない。

「大人しくしろ、もう」

 悪さをする腕を封じられ、未練がましく絡みつきたがる脚は少年の太股に捕らえられて満更でもない。リリオンは全く身動きが取れなくなったが、しかし不満の一切はあろうはずがない。

「へへへへ」

 リリオンはだらしなく笑う。

 リリオンを抱き枕としたランタンはぼんやりと眠たそうで、少女の鳩尾辺りに顔を埋めながら額を擦りつけるように頭を揺らしている。だぼっとした襟元から覗く首筋がほんのりと桃色だ。

 それはただ火照っているようにも見えるし、あるいは人の手形のようにも見える。

「ランタン、首さわってもいい?」

「……」

「さわるだけだから」

 片腕だけ解放されて、リリオンは少年の(うなじ)を撫でる。

 熱い、のだと思う。リリオンはしばらくそこを撫でてやり、気が付けば胸元に手を伸ばしていて再び腕を封じられた。

「もうしないから、ね」

 その言葉は信じてもらえない。

 ちょっと鎖骨に触っただけじゃない、とリリオンは開き直る。




 エドガーに活を入れられたその時から何だか落ち着かない。

 魔精の活性化、とエドガーは言っていたような気がする。こんなことならやる前に説明してほしかった。落ちつかなさのせいで、色々説明をしてくれたような気もするがあまり覚えてはいない。聞いたところで、どうだという気もする。

 ランタンは今まさに身の内でのたうつこの感覚に既視感を覚えていた。

 それは戦闘の昂揚に似ている。殺戮によって戦鎚を振るうその時に、魔物の苦悶がはっきりと目に見える時がある。絶体絶命に追い詰められた時、魔物の愉悦をはっきりと感じられる時がある。そういうものだ、と勝手に納得していたが、これこそが魔精による肉体活性なのだろう。

 精神が研ぎ澄まされるのはただ肉体の作用ではなく、同時に魔精も反応しているのだと今更ながらに理解した。いやあるいは、まさに身に染みたと言うべきだろうか。なるほど探索者が肉体活性薬を服用するのも頷ける。

 鋭敏化された感覚は行き過ぎてこそ魔精酔いを引き起こすが、落ち着きつつあってちょうど良い具合になると何だか鳥になった気分だった。エドガーに振り回された時もそうであった。全体を俯瞰するような、鋭敏化された感覚は、目が良くなったとか耳が良くなったとかそういった類いのものではなく、知覚器官そのものが肉体を飛び出して広がっているようだった。

 その感覚は万能感と呼び変えてもいいのかもしれない。

 リリオンの肌は出会った頃と比べると見違えるようであり、研ぎ澄まされた感覚で見つめると白く張りのある肌には銀の粉を吹いたような燦めきがあるような気がした。銀には殺菌や消臭効果があるらしい。けれどそれは嘘なんじゃないかとランタンは思う。

 美しい肌の少女は、少し汗臭い。

 鳩尾に顔を押しつけているのは視覚情報を少なくするためであったが、その弊害がそれである。こんなことならばベッドに顔面を押しつ付けていた方がマシかもしれないが、そうするとこの少女を野放しにすることなる。ランタンはべたべたと触ってくる指先に己の心臓に触れられているような気分になって落ち着かない。

 横隔膜が上下する。リリオンの呼吸は妙に荒く、背に回した手にも細い身体が膨らんだり萎んだりするのが伝わってきた。汗を吸った寝衣がぺたりと肌に張り付いていて、少女の湿った体温が生々しい。

 ともあれやはり汗臭いのである。そろそろ起きるか、と思う。匂いは現実感のない鳥のような俯瞰感覚をあっさりと地に落とした。ふわふわする感覚もなくなり、ベッドに横たわったランタンはいっそ迷宮で魔物の足音を探るかのようである。

 足音が聞こえる。

 太りすぎた大鼠がどたどたと足を鳴らしているのではない。それは直立二足。人である。それも二人。足音が奏でられる間隔から歩幅を、歩幅から身長を、響きから重量やそこに混ざる硬質な音に武装しているだろうと当たりをつけた。やはり、まだ完全に感覚が落ち着いているわけではないのだろう。便利のような、情報が多すぎるような。

 外階段を上ってくる足音ははっきりと大きく、けれど女の気遣いがあって、しかし足音を消そうともしない無遠慮さや無警戒さは、同時に敵意の無さである。念のため程度だが身体は起こしておいた方がよいだろう。

「ああ、もう」

 元々決めていたとは言え、いざ起きるとなると倦怠感が肩にのし掛かる。ランタンはそれをベッドに置いてけぼりにして身体を起こし、急な動きにリリオンが驚いて縋るようにその腰に巻き付いた。少女の前髪の隙間からは淡褐色(ヘーゼル)の瞳が心配と期待を一緒に湛えている。

 感覚が優れようとも、見ようとしないものは見ないのかもしれない。ずいぶんと心配をさせていたようで、ランタンは安心させるように柔らかな眼差しで少女を見下ろした。前髪をそっと払う。

「ご飯食べる?」

「うん、何かお土産があれば、それを食べるよ」

「どういうこと?」

 リリオンが尋ねたのと同時に弾けるように扉が開いた。雪崩れ込んできた陽光に目を細めると逆光の中には腰に手を当てて仁王立ちになっている女の影があった。特徴的な頭部の影は兎人族特有の耳のためであろう。

 ずけずけと入り込んできたのはリリララだ。足音は二人分あったはずだがリリララ一人である。ランタンは兎女にもわかるようにはっきりと眉を持ち上げた。

「邪魔するぜ」

「入る前にお願いしたいですね」

「ノックしてもいいけどよ、たぶんうるさくて頭がんがんするぜ。せめてもの気遣いだよ」

「ふうん、それはどうも。で、今日はお一人ではないんでしょう?」

「……まあな、いきなり踏み入ってお嬢に変なもん見せるわけにはいかねえし」

 リリララは部屋の中を見回し、免疫ねえからな、と腰に巻き付くリリオンに視線を落ち着けた。あるいはそれはリリオンの腕によって捲り上げられた裾から覗くランタンの脚を見たのかもしれない。ランタンは何気ない指使いでリリオンの拘束を解く。スカートを織り込む女のように尻を浮かせて裾を直し、膝を揃えてベッドに腰掛けた。

 いかにも気弱げで大人しい風に擬態をするランタンにリリララは唇を歪めた。

「お嬢、入って構いませんよ」

 呼び込まれてようやくレティシアは物珍しげに視線を揺らしながら部屋に入ってきた。

 探索貴族のご令嬢にとっては迷宮よりも余程に珍しいのだろうか、つるりとした灰色の石壁やひんやりした床に撫でるような視線を向けて、ようやくランタンを向いたかと思うと、その目には戸惑いが浮かび、助けを求めるようにリリララを見た。

 リリララはどうしようもないとでも言いたげに肩を竦めるだけで、ランタンは何だか侮辱されたような気分になった。レティシアはもう一度ランタンを見て、口元に感情を曖昧にする中途半端な笑みを浮かべた。

 視線は一片の雪のようである。

 上から下へとひらひら落ちて、膝を閉ざしても隙間のある太股の合わせ辺りで風に煽られたようにうろうろしていた。その視線を遮るようにリリオンがランタンを後ろから抱きかかえ、太股と裾の隙間が作る三角の影を手で押さえる。ランタンの頭上からレティシアを視線で咎め、ご令嬢ははっとして視線を逸らすのであった。

 ランタンは妙な無頓着さでただリリオンの腕を子猫がじゃれる程度の力で叩いたり引っ掻いたりしている。

「それで、――どうやってここを知りましたか」

「はん、何とも暢気だな。ちょっと金はかかるが情報屋に頼めばすぐだったぜ」

「……そうですか」

 ランタンは思いの外素っ気ないものであった。慌てたところで知られてしまったものはしょうがない。

 この部屋に自分の匂いが染みついた居心地のいい部屋ではあるが、終の棲家として見初めたわけではなく、もともと一時的な借宿のつもりであった。廃墟はランタンにとっては一時的に風雨を凌ぐためのものであって、その風雨の一部として他人の視線があるだけだ。隙間風や雨漏りがあるのならばまた別を探せばよい。

 けれどそれも特に焦ることではない。もともと盗まれて困るようなものはないのである。しいて言えば使い慣れた枕であったり、隣の部屋の湯船であったり、ベッドの下に隠された言語学習用の教本であったりもするが、それらはランタン以外には無価値と言ってよく、盗まれる心配もない。

 寝込みを襲われる心配は寝床を知られていようと、知られていなかろうと常に付き纏うものである。多少、危険度が上がったことを意識するだけで充分だ。

「まあいいか」

 ランタンは欠伸を零した。

 下街で廃墟は選びたい放題であるし、あるいは商工ギルドのエーリカを頼って上街で家を借りてもよかった。商工ギルド自体も幾つか不動産を所有しているらしいし、その母体である商人ギルドや職人ギルドも不動産を所有している。特に商人ギルドともなれば都市の売家(うりいえ)借家(しゃくや)の半分以上を取り扱っている始末である。

 エーリカであれば信頼できるし、そもそもランタンが家を借りなかった最大の問題であった文盲のことも既に知られている。支払いに関しても借りるにしろ買うにしろ余程の豪邸でなければ問題はないのである。

「で、ご用件は?」

「ちょっと様子見てこいって。椅子借りるぞ、お嬢座って」

「ああ、エドガー様が」

 リリララが一人掛けのソファを、ランタンが許可を出す前から引きずり出してレティシアに座らせた。そして本人はランタンに近付くと焦茶色の目を、内斜視の右目で覗き込んだ。赤錆色の目に遠慮はない。

「魔精の活性は治まったか? ふわふわしてねーよな、今は倦怠感の方が強いか?」

「まあ、そうですね」

「うん、エドガー様がやり過ぎたっつってたからな。食欲なくても飯食えよ。体力消耗しているだろうし。あ、そうだ。これお嬢からの差し入れ。その辺で適当に買った果物詰め合わせ。食欲無くてもこれぐらいは食えんだろ」

 リリララは詰め合わせでも何でもない、屋台から引っ掴んできたような丸出しの柑橘類三種各一個を手品のようにどこからか取り出すとテーブルの上にバランス良く縦に重ねた。

「あとこれ魔精薬。寝る前に飲んどきな」

 頂上に小瓶に入った魔精精製薬を置いた。淡い青の液体が、中で不安げに揺れている。ランタンは礼を言うとそれをすぐにテーブルの上に降ろした。

「まあ、あんまり無理すんなよ。お前も、無理させんなよ」

 リリララはランタンの頭上に視線を滑らせて、リリオンの頷きがランタンの髪を押さえつける。少女は頷くばかりではなく何か話しかけようとしているようだったが、もごもごと顎が動くだけで声にはならない。少女の弱気にランタンは思わず苦笑を零した。

「そういえばリリララさんは魔道使いなんですよね。凄腕の」

 ランタンは眼前で仁王立ちになるリリララを避けレティシアへと問い掛ける。するとレティシアは頷き、その視線はリリララの尻へと向けられて苦笑を宿す。リリララの尻にはぽんぽんのような兎の尻尾が咲いており、おそらくそれが何らかの反応を見せたのだと思う、

「なんであたしに直で聞かねえんだよ」

「人伝に聞くのが流儀とかと思いまして」

「ちっ」

 慣れた様子の舌打ち一つ。

 赤錆の目がランタンを睨み付けて、少年は平然としている。魔精活性の残滓。失われつつある感覚の鋭敏化が、リリララに苛立ちがないことをはっきりと伝えていた。

 リリララはレティシアに一声掛けて、やはり許可を得る前に侍女とは思えない堂々たる動作で肘掛けに腰を下ろす。レティシアは慣れたものなのか苦笑を漏らすでもなく平然としたもので、リリララの太股を膝掛けにしている。

「そんであたしが魔道使いなら何だってんだよ。あたしの技が見たいのか?」

 ちょっと高いぜ、とリリララは指輪をしている指を拳にした。

「それは大丈夫です。どうせ迷宮でお目に掛かるでしょうし。無料で」

「ああ、そうかよ。お嬢、やっぱこいつ連れてくの止めたほうがいいっすよ。ムカツク」

「ふふ、リリララそう言うな。ランタンもすまないな」

「――お嬢痛いっす」

 レティシアはリリララの太股に肘を刺している。リリララは文字通りにお手上げになって、その和やかな雰囲気を察したリリオンが、ここしかないとでも言うように意を決して口を開いた。

 ランタンは咄嗟に二人に目配せをして、少女を勇気づけるように手を重ねる。それでも言葉は最後、喉につっかえてランタンは苦笑を禁じ得ない。いざ勢いに乗ってしまえば暴走特急と化すのだが、それまでがなかなか難しく、その繊細さはやはり年ごろの少女なのだと思う。

「僕が言おうか?」

「大丈夫、言うわ。リリララさん」

()んだよ?」

 左の口角が歪む笑みは、威圧感や皮肉気な気配を孕みやすかったが、このときばかりは何とも頼もしげな姉御然とした雰囲気があった。リリララはリリオンを見つめてたっぷりと言葉を待って、レティシアはランタンにこっそりと微笑む。

 なるほど全ては打ち合わせ済みなのだろう。

「わたしに」

「あたしに?」

「魔道の使い方を教えてください」

 ようやく言ったリリオンに三人が三者三様な満足げな笑みを浮かべて、少女への返答は、嫌だね、のそっけない一言であった。

 レティシアの笑みが仮面のように固まり、リリララの笑みは左の口角が目尻まで裂けるように意地悪で、ランタンは後頭部で少女の胸が空気をいっぱい吸い込んで膨らむのを感じる。

 咄嗟に耳を塞いだ。

「なんでそういうこと言うの!」

 甲高い声は耳を塞いだ手を貫通し鼓膜を突き刺す。

 リリオンは興奮してランタンの裾をぐいと握るものだから、少年の白々とした太股が付け根の近くまで露わになった。レティシアの仮面の笑みに罅が入り視線が吸い寄せられて、リリララは一拍置いたあとにわざとらしい舌舐めずりを。軽く蹴り上げられたリリララの爪先がランタンの膝を割ろうとして失敗する。舌打ち一つ。

 ランタンがゆっくりとした動作で耳を露わにすると、耳の先がぽっと色づいている。

 ランタンは無言で少女の腕を解き立ち上がり、これ見よがしに裾を払い、ぺたぺたと足音を鳴らして絡みつく視線を引き千切るように乱暴に歩く。床に脱ぎ捨てられているズボンを手に取り、脚を抜いたままに裏返っているそれを引っ繰り返す。

 三人へ一瞥の一つをくれてやり少女が、ああ、と変な声を出すのも無視してズボンを履いた。

 そして三人から距離を取るようにしてベッドの端に腰を掛ける。

「見せたがりなのかと思っていたぜ、なんだ、つまんねえ」

 ランタンはにやにや笑うリリララを睨み付け、鋭くリリオンに視線を滑らせる。嫌だね、の理由を聞くように目線で促すと、少女はランタンの機嫌を取り戻そうとするように何度も従順に頷いた。そして背中を叩かれたように立ち上がり、一足で距離を詰めるとリリララの肩を掴んだ。

「おわっ、なんだよ」

「なんでダメなんですか?」

「顔近えよ、ばっ。お嬢も背中押さないで!」

「ねえねえ、なんでなんで」

 鼻息が掛かるような距離にまで顔が近付き、リリララはいよいよ劣勢になった。赤錆の視線が彷徨うもランタンはもちろん満面の笑みを浮かべるばかりで何もしない。リリララはもう無用の意地悪をする気分でもなくなったのか、ぐったりとして己の負けを認めるしかなかった。

 長い耳ごと短い髪を掻き回して、今なお掴みかかろうとする直前のような前傾姿勢のリリオンに畏怖と呆れの混じった視線を投げかけた。まるで虎と兎である。

 はあはあと荒い息をと調えると聞き分けのない子供へ言い聞かせるようにリリララは口を開く。

「……いいか、エドガー様がこっちの魔精を活性化させて、お前にしなかったのには理由がある。いくつかあるが、もっとも致命的なのは体内の魔精保有量だ。肉体活性は魔精を内々で回すから、理論的に言えば魔精の消耗はない。疲れたりするのは肉体や精神で、いわゆる魔精欠乏症にはならない。もっともそれは理想論でしないけどな。ほら見てみな。ランタンだってあのざまだ、エドガーさまだって極まってるけど消耗がないわけじゃないらしいし」

 リリララは捲し立てて、それは煙に巻くような雰囲気もなくはなかったが正論である。リリオンは少しばかり理解が追いついていなく、ぱちぱちと不安げな瞬きを繰り返していたが、最後にランタンを指差されると納得がいったとばかりに頷いた。

「内々で魔精を回す活性化ですらあれだから、抜ける魔道ともなるともっと酷い」

 ランタンはこそりと自らに問う。爆発を使う時、虚脱感はあるだろうか。よくわからない。今までは魔精を意識することがなかったからだろうか。

迷宮(した)なら魔精も濃いからいくらかマシだけどよ。地上(うえ)で試すとなると、――次回の迷宮探索は留守番だな。それでもいいなら教えてやらんでもないが、どうする?」

 細い視線を向けられるとリリオンの顔が緊張を孕む。白い喉が唾を飲んだ。

「リリララ」

「わかってますよ。冗談だよ、貴重な戦力を置いてけぼりにはしねえよ」

「そう言うわけだリリオン。魔道は強力だが、それは時に自分に牙を剥く。男と比べると女の方が魔道が発現しやすいし、本当に必要ならば自然と目覚めるさ。焦る必要はないよ」

 レティシアの緑瞳がランタンに向いた。足首から先、裾から半分だけ覗く小さい足から身体の線をなぞるように視線が上がっていく。

「探索の日取りが決まった」

「そうですか」

 ランタンはようやくベッドの端からリリオンの隣へと身体を滑らせる。

「うん、一週間後を予定している。迷宮へ持ち込むもので望みがあるのなら言ってくれ。湯船以外で」

 とは言えランタンが口出しをしなくても余程準備は万端だろう。湯船を封じられるとなるとランタンにはそれほど望みがあるわけではなく、リリオンに視線を向けても少女はふるふると首を横に振るばかりである。

 ランタンが、どうしようか、と小首を傾げて、あ、と口を開いたかと思うと迷いを匂わせながら唇を結ぶ。

「遠慮なく言ってくれ。望みは可能な限り叶える」

「……では、ええっと、その。迷宮へ行く顔ぶれなんですが」

「変わりはないぞ。私とエドガー様、リリララにベリレ、それに君たち二人」

「運び屋さんは?」

「ああ運び屋は二人だな、一人はたしか――」

「ええ、存じております。あの、その方なのですけれど」

「どうした? 何か粗相があったか?」

「いえ、その――」

 もう少し身綺麗にと言いますかええっとそのあの、とランタンはぼそぼそと呟く。

 それは正論であったかもしれないが、やはりどうしても指摘し辛いものである。ランタンは己を潔癖であるとは言わないが人よりも綺麗好きであると自認してはいたが、迷宮内でのレティシアやエドガーの反応を見るにやや過剰であることをあらためて認識させられた。

「ああ、わかった。言っておく」

「そのはっきりとは言わないでください。たぶん僕が同じこと言われたら嫌な気分になるし」

「……うん、わかった。迷宮内で長く過ごすわけだしな。他には、何か無いか」

 思いがけずあっさり頷かれたことにランタンは驚きもして、もうないです、と言ってもよかったが思わず他の望みを探してしまう。部屋に望みが転がっているわけでもなかろうにランタンは視線を彷徨わせ、結局隣のリリオンを見て。

「あ、そうだ。ベリレさんに僕は別にいいんだけど、この子のこと睨むの止めさせられませんか。怖がってるし」

「……こわくないわ」

 そう言っても目を伏せている。

 熊と見まがうような熊人族の巨躯を思い出しているのだろう。あるいはもしかしたら初めての最終目標であった嵐熊と重ねているのかもしれない。

「あんなやつ怖がらなくったっていいんだよ。あれはまずランタンに嫉妬してんのよ。エドガー様がお前のことを褒めるのを拗ねてやがんのさ。あんなデケえ図体しているくせに。エドガー様が甘やかしてるせいだな」

「ふふ、まあエドガー様はお子がおられないからな」

「いやあでも、だからあいつはいつまでも英雄さま離れができないんですよ」

 明け透けなリリララの言にレティシアもその実同意見なのだろうか、堪えきれないような笑い声を零して唇に拳を当てている。鬼神の幻影と重なるエドガーの意外な甘さにランタンもつられて頬を緩めた。ベリレから感じる幼さはその辺りのせいなのだろうか。

 そして朗らかな三人とは裏腹に、リリオンだけは俯きがちで伏せた睫毛が頬に影を落としている。

「じゃあ、わたしは、なんで……?」

「それはリリオンが綺麗だからだろうな。あれは照れ隠しさ。リリララ以外の女の子と話をしているところはあまり見ないし」

「ちっ、あいつ一辺シメてやる」

 ベリレと遠慮なく言葉を交わしているリリララは低い声で冗談めかして吐き捨てる。

「むしろリリオンと仲良くしたいのに、どうして良いか判らないだけなんだ。あまり気にしなくて良いし、できることなら優しくしてやってくれ」

「優しくしたらつけあがるから()っときゃいいんだよ。あんな童貞野郎」

「うん、わかりました。……ねえ、ランタン?」

 活性化した魔精による感覚の鋭敏化は一切失われ、むしろ揺り戻しに鈍化しているのかもしれなかった。けれど何か嫌な予感がした。ランタンはリリオンと視線を合わせない。

「ねえ、ど――」

 ランタンは咄嗟にリリオンの口を塞ぎ、疑問を喉の奥へと押し返した。


むしゃくしゃして書いた。

前半ぐらいまでは話半分で、どうか。

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