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カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
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008

008


 金銭的な交渉をどうにか終えて工房を後にすると街はもう日が落ちていた。橙色の光を灯す街灯が通りの脇に等間隔で並んで、道行く人々の影を地面に淡く焦がしている。

 財布の中身は随分と軽くはなったが、だがあの方盾を購入する、と決めた瞬間に予想した軽さよりは幾分も余裕のあるものになった。

 結局のところあの方盾はグラン工房にとっては不良在庫のようなものであったし、それを即金で買い取ったランタンは工房にとって上客でもあった。リリオンが探索者として期待の新人(ルーキー)であることを存分に見せつけたのもまた、その商談を有利に運ぶことに役立った。稼ぎのいい探索者は金の卵を生む鵞鳥(ガチョウ)に似ている。囲い込むことができればこれほどの幸運はない。方盾は明日の夕方までにはリヒトが責任をもって仕上げるとの事だった。

 そんな事もあってランタンからグランへと渡された金貨の枚数は想定よりもだいぶ枚数が少なかった。だが、それを見たリリオンは混乱(パニック)を引き起こした。それまでの買い物はリリオンが遠慮しないようにと支払いを見せてこなかったのも問題だった。盾の支払いに使われた大金貨は、額面が大きすぎるので普通の生活を営んでいるとよっぽどの事がなければ使用する機会はないものだ。

 とは言え探索者をするにはこんなことで混乱してもらっては困る。

 リリオンに買い与えた盾は駆け出しの探索者が使用するには確かに申し分の無いものだが、せいぜい中位(ミドルクラス)の探索者が使用する程度のものだし、飲んでお終いの魔道薬などでもより高額のものも存在する。節制は美徳であるとランタンも思っていたし、無駄遣いは改めるべきだが、必要な物に必要な金額を支払うこととは別の話だ。

 別の世界で生まれ育ったランタンも常識の有る方ではなかったが、リリオンもまた似たようなものだった。

 この少女はどのような生活を送ってきたのだろう、とふと思った。小半(クォーター)巨人族ジャイアントの少女。グランが言っていたような北の果てに在るという巨人族の国からやってきたのか、それともまた別の国で育ったのか。両親のどちらが(ハーフ)巨人族なのか。二人によって育てられたのか、あるいは片方に引き取られたのか、養子に出されたのか。なぜ旅に出たのか。

 疑問は多くあったが、ランタンはそれを尋ねなかった。半生を根掘り葉掘り聞くにはまだ出会ってからの時間が足りていなかったし、聞いてもあまり愉快な事にはならないだろうという予感はあった。

 ランタンとリリオンは夜市を歩いていた。昼の明るい喧騒とはまた別の猥雑な賑わいがそこにはある。

 ランタンはその喧騒から抜け出し落ち着いた雰囲気の飲食店(レストラン)にでも入ろうかと誘ったが、リリオンがその店構えに物怖じした。方盾を買うことはどうにか納得させたが、リリオンはランタンに金銭を使わせることに敏感になっていた。高級店ではなかったが、古くから存在し良く手入れされた店構えはそれなりの雰囲気がある。

 空腹も疲労も多少はあったが、嫌がる少女を無理やり引きずり込む程ではないし、夜市の屋台飯も悪いものではない。支払いが銅貨ならば、リリオンの気兼ねも少なくてすむようだ。それでも健啖家の少女にしては遠慮がちだった。

 リリオンは 果実水(ジュース)を片手に鳥のもも肉に齧り付いている。焦げた皮がパリパリと音を立ててその下から脂と肉汁が溢れ、唇から顎に向かって汁が顔を汚した。

「服汚れるよ」

 ランタンはリリオンの横顔に手を伸ばし乱暴な手つきでそれを拭い、汚れた親指をちろりと舐めた。塩の効いた油の味だ。リリオンはまるで自分の頬を舐められたかのように羞恥している。世話を焼かれるのは恥ずかしいのに、頬をリスのようにして食事をする様を見られるのは平気なのか、とランタンは思った。

 リリオンは、ありがとう、とでも言っているのだろうが、口に肉が詰まったままなのでモハモハと言葉にならない声で喘いでいる。ランタンはそれを聞き流しながら、刻んだ干し肉と香味野菜が入った粥をスプーンに掬って少し冷ましてから口に運んだ。出汁がよく効いていて旨い。

「ねぇランタン……」

「ぅふ?」

 口の中で粥が熱を放っている。ランタンは鯉のように口を半開きにしてリリオンを見上げた。大振りのもも肉はもうほとんどが骨に変わっていた。リリオンは口の中で軟骨を飴のように舐めている。

「ランタンは、どうしてわたしに優しくしてくれるの?」

「やさしい? 僕が?」

 ランタンが聞き返すと、リリオンは頷いた。そしてランタンは眉根を寄せて唸った。

 自分がリリオンにしたことはなんだろう、とそう思い返した。保護して、洗って、衣服を用意して、飯を食わせた。確かに見ず知らずの人間にするようなことではなく、同情にしては金額が高く付いている。だがそれを、甘い、とは思うが、優しさかは分からない。

「わたし、ランタンの運び屋(ポーター)になりたいって、そう思ったとき……こんな風に色々用意してもらえるなんて、考えもしなかった」

 リリオンは重たげな背嚢を揺らした。

「今までみたいに、あの格好のままで迷宮に潜ることに疑問なんてなかったわ」

 あの格好に愛着があったとか、満足をしていた、と言う話ではない。リリオンにとってはあの境遇が普通のことだったのだ。リリオンは変化に戸惑っているようだった。

「あんな格好でついてこられても、足手まといになるだけだよ」

 それがリリオンの求めている返答ではないことはランタンも判っていたが、適当な答えは見つからなかった。ランタンは器に口をつけて粥を犬食いすると、ゆっくりと熱っぽい息を吐きだした。

 正答ではないが、誤答でもない。リリオンを装備で固めたそれは、理由の一つだった。

 ランタンは単独探索者だったが、二人以上で迷宮に潜るのなら、そこから這い出るのもまた二人で行うべきだと考えていた。ランタンが探索中の迷宮は攻略においてある程度の余裕を取ってはいるが、低難易度のものではない。

 リリオンの身体能力だけを評価するのならば迷宮探索にも足りうるだろうが、不測の事態というものは往々にして存在する。ランタンも気を付けるつもりではあったが、装備によって生存率が上がるのならばそれに越したことはない。

「探索には明後日行くよ」

「ほんとう!?」

 ランタンが告げるとリリオンは手を叩いて喜んだ。

 明後日というのは引き上げ屋(サベージャー)との契約だった。それをずらすには違約金を払わなければならなかったし、タイミングが合わなければ迷宮への挑戦(アタック)がズルズルと先延ばしになってしまう。明日の内に探索者ギルドへ行ってリリオンを登録し、仕上がった武具の具合を確かめなければならない。

「あっ――」

「どうしたの?」

 引き上げ屋に、迷宮へ降ろす人間が一人増えたことも告げなくてはならない。追加料金は幾らになるだろうか。ランタンにはそれを支払った経験がなかったが、ポーチに有る残高にはまだ余裕がある。

 ランタンはちらりと時計を確認して、恐らくはまだ引き上げ屋が営業していることを確かめた。引き上げ屋は迷宮特区の外周沿いに店を構えていて、目抜き通りからは距離がある。急いだほうがいいかもしれない。

「引き上げ屋?」

「うん、通りから外れるから、まだ食べたいものがあったら買っておいで」

 リリオンはすっかり骨だけになったもも肉の残骸に目を落とし、ランタンから与えられた銅貨を握り締めて頷いた。ランタンは空になった粥の器をリリオンに捨ててくるように頼んで、視界外にまで行かせるような真似はしないが、リリオンを一人で買い物に行かせた。

 通りの屋台を左右にキョロキョロしている様子はいかにもなお上りさんだ。ランタンはリリオンがちゃんと出来るかどうかも見ていたが、それ以上に掏摸(スリ)や何かに目をつけられないかを気をつけていた。下街ならば掏摸を見つけたら物理的にぶっ飛ばしてお終いだが、上街のこんな人目のある場所でそんなことをしたら衛兵がすっ飛んでくる。

 とは言えリリオンから盗めるものなどたかが知れている。背嚢の中に収められた探索用の装備は掏り取るには大きすぎたし、彼女の全財産は掌の中に握りしめられた数枚の銅貨しかない。その銅貨もたった今、クレープと引き換えられた。

「おまたせ、ランタン。ちゃんと買えたわ! ほら!」

 小走りに戻ってきたリリオンは両手に一つずつ持ったクレープをランタンに見せ付けた。円形の薄焼きパンの中に小間切れにした豚肉とじゃが芋、そしてチーズを乗せて三角錐状に丸めてある。胡椒の刺激的な香りが、つんと鼻を擽った。

「はい、一つはランタンの分よ」

 そう言ってリリオンはランタンにクレープを一つ押し付けた。うまそうだな、と思った心の内を見透かされたようで、ランタンは思わず受け取ってしまった。暖かくてパンの生地自体はしっとりとしている。

「ありがとう、リリオン」

「どういたしまして」

 ランタンから渡した小遣いで買ったクレープということも有り、リリオンは冗談めかして気取って言った。それからクスクスと笑って、クレープに齧りついた。溶けたチーズが糸を引いた。

 ランタンもクレープを齧りながらリリオンの手を引いて通りから抜けだした。リリオンもだいぶ人混みには慣れたようだったが、食べる、と、雑踏を歩く、の二つのことはまだ同時進行は出来ないようだった。

 ランタンが一歩前に、リリオンは後ろを歩いた。リリオンはクレープに集中していて歩調が遅く、首に繋いだ引き紐(リード)のように手を引くと小走りになってランタンの横に並ぶ。

 何度かそんなことを繰り返しながら人混みを抜けるとランタンは一息吐いた。道行く人の数が減っていくと、通りの脇の街灯の間隔が広くなり、道の幅が狭くなった。薄暗闇の中を進んでいく。

 なんとなく手を離すタイミングを逸してしまった。道幅は狭くなったが、それ以上に人気がなくなり人にぶつかるような事はないし、暗闇も足元が見えないほどではない。通り道が入り組んでいて道に迷うこともなく、ただ真っ直ぐに迷宮特区の外壁を目指せばいいだけだ。

 もうリリオンの手を引く理由はない。だがまた離す理由もない。

 ランタンがリリオンの顔を見上げると、リリオンは無邪気に笑いかけた。

「これ食べる?」

 リリオンはすっかりクレープを食べ終えており、ランタンは半分ほどを残していた。クレープは美味しいのだが、たっぷり油の乗った豚やホロホロしているジャガイモはランタンの胃に重たい。

「いいの?」

「いいよ、もうお腹いっぱいだし。はい」

「わぁ、ありがと」

 リリオンはまだ熱の残るクレープを嬉しそうに受け取ると、それに齧りついた。クレープの生地は中身の油と水分を吸ってずいぶんと萎れ、包みが崩れそうになっていたがリリオンは器用に首を傾けて齧ることによって、崩壊を防ぎ止めた。

 両手を使えばもっと簡単にすむ話なのだが、リリオンは手を繋いだままにしていたので、ランタンも敢えてそれを(ほど)かなかった。

 程なく迷宮特区の外周壁の威容が顕になった。

 見上げると押し潰されそうな圧迫感を有する白亜の壁。迷宮特区の外周壁は恐ろしく分厚く、背が高く、継ぎ目なくぐるりと正円を描いて、その内に迷宮を内包している。

 外周壁に開けられた穴は四つ。東西南北に一つずつ備えられた巨大な門で、その内の東西は緊急時にのみ開放されるらしく、ここ何十年も閉ざされたままだ。通行できる門は南北の二点しか存在しない。上街と下街に一つずつだ。

 そして外周壁と向かい合うように左右にずらりと引き上げ屋が軒を列ねている。

「これ全部、引き上げ屋?」

 リリオンが左右を見渡して、軒先にぶら下がった看板を指差した。ランタンも数えたことはないがおそらくは百軒近くはあるだろう。特区の中には数多くの迷宮が内包されて、またそれに挑む探索者の数を思えばまだ少ないほどだ。事実、外周壁の向かいに店を構えている引き上げ屋は一等地に店を構えることが出来た幸運な店であって、この近隣にはまだ多くの引き上げ屋がひしめき合っている。

 ランタンはリリオンの手を引きながら外壁に沿って歩きはじめた。

 多くの引き上げ屋はまだ営業をしており扉の覗き窓からは灯りが溢れていたが、ちらほらと営業を終了している店もあり光の筋が歯抜けになっていた。ランタンが懇意にしている引き上げ屋はどうだろうか。営業の開始時刻は決まっているが、終業の時間はまちまちだ。さすがに日の出ている内に閉まるということはないが、客の入りが悪い日は驚くほど早くに営業を終了していることもある。

「あぁよかった、やってるやってる」

「あそこ?」

「そうだよ」

 ランタンの視線の先をリリオンが指差した。その指の先には蜘蛛の輪郭を繰り抜いた看板がぶら下がっていて、その下にある扉からは灯りが漏れていて営業していることを告げている。

 引き上げ屋の店舗は営業詰所とその脇に起重機(クレーン)をしまう倉庫が並ぶと言う形態をとっている。引き上げ屋にとって起重機は最重要の仕事道具であり、これを失うことは店じまいと同意だ。なので倉庫は大きく立派で、その脇の詰所は必要最低限の大きさしかなくこぢんまりとしている。

 ランタンはようやくリリオンの手を離して、詰所の扉を開いた。

「いらっしゃい」

 受付台(カウンター)には女店主である蜘蛛人族が座っていた。名前をアーニェと言う。

 濃い光沢のある緑の髪を片目を覆うように物憂げに垂らして、六本三対となっている腕の一番下の腕を机の上に組んでいかにも暇そうに顎を乗せていた。眉間に縦二列で並んだ小さな六つの眼と、眉の下で二個一対の大きな瞳がそろりとランタンに向いた。

「こんばんは、ランタンくん。こんな時間に珍しいわね――」

「どうも」

 小さく頭を下げたランタンの、その奥にアーニェの瞳が向いた。アーニェに見つめられたリリオンはおどおどとランタンに(なら)って頭を下げた。

「――あら、本当に珍しい」

 それを見たアーニェが組んでいた腕から顎を浮かせて、体を起こし、全ての腕を広げてわざとらしく驚きを表してみせた。アーニェは柔らかく瞳を細めて一つ笑った。

「こんばんは、お嬢さん。それで今日はどんな御用かしら?」

「明後日の探索に、一人追加で」

 ランタンはリリオンを指さして手招きをした。相変わらずランタンの背に隠れるようにしているリリオンをアーニェの前に導いた。

「あぅ、よろしく、おねがいします!」

 リリオンはアーニェの視線から逃げるように、腰を直角に折り曲げて頭を下げると、三つ編みが勢い良く跳ね上がって鞭のように弧を描いた。

「お客様なんだから、そんなに畏まらなくても構わないわよ。お嬢さん、……お名前は?」

「リリオンです」

「リリオンちゃんって言うの、可愛い名前ね。私はアーニェよ、これからもよろしくね」

 アーニェは椅子から立ち上がると、臍のあたりで落ち着かなげに指を()ねているリリオンの手を優しく掴んで、真ん中の右手で柔らかく握手をした。頬の肉がうっすらと持ち上がり唇に優雅な微笑を浮かべている。

 数多ある引き上げ屋の中で外周壁沿いに店を構える女の笑みだ。母性的でもあり、どこか魔性も香る。皺のない目元から滑るように視線がランタンを捉えた。

「ランタンくんの予約は明後日の一四〇〇時ね。場所は二六二番、担当はミシャ。間違いはないわね」

 アーニェは束になった予約者表(リスト)をざっと捲り、一瞬で次へと送られる書類の一枚一枚を八つの瞳が次々と捉えてゆき、書類の中から手品のようにランタンの予約者表を見つけ出した。

「はい、間違いないです」

 アーニェは書類に何事か書き加えながらも、顔をそちらに向けることはない。蜘蛛人族の八つの瞳は伊達ではなく、その視野は例えランタンの顔を見つめながらでも書類仕事をなんなくこなす。完全な背面以外は殆どを視野内に収めているだろう。

「リリオンちゃんのギルド証はある?」

「あっ、あの」

「……この子のギルド証はまだありません。明後日までには登録をすませておきます」

 口を開こうとしたリリオンを軽く制してランタンが口を挟んだ。特区の迷宮に潜るには探索者ギルドの許可証が必要になる。これを保持せずに迷宮に潜ったことが見つかれば法的に罰せられ、また引き上げ屋を使用して迷宮へ潜る場合は確認を怠った引き上げ屋にも同様に罰が下される。

「ランタンくんなら、まぁ大丈夫よね」

「ありがとうございます」

「いーえ、はいじゃあ確認をお願い」

 ランタンは何が書いてあるのかわからない書類にざっと目を通して、リリオンもそれを確認するように促した。ランタンとは違いリリオンは文字を読めるようで真剣な顔で、時折頷き、鼻息をふんふん言わせている。

 その脇でランタンは一人分の追加金をアーニェに支払った。

「ふふ、ありがと。そういえばミシャはまだいるけど会っていく?」

「うーん、仕事中なら悪いですし、いいですよ」

「あら、つれないのね。顔合わせも大切な仕事よ、遠慮することはないわ」

 アーニェは、すぐに戻るわ、と席を立つと詰所の奥へと引っ込んでいった。

 受付に取り残されるとどうにも居心地が悪い。信用されているというのは悪い気はしないが、大切な書類も今日の売上を収めた金庫もすぐそこにあることを知っていると、それに何かをするわけではないが肩身が狭かった。

 リリオンはずっと書類を読んでいて、ランタンはなんとなしに少女の三つ編みの房を揉んだ。書類を読むのを邪魔するわけではない。気づかれないようにそっと掌の上に乗せると、人差し指と親指でそれを挟んで弄んだ。

 リリオンの髪は随分とふっくらと健康的になっていたが、やはり毛先には荒れが目立った。束になった毛先には幾つもの枝毛が散見して、気が付いたからにはどんどんと気になってくる。リリオンへの投資に理容代を加えてもいいかもしれない。

 そんなことを考えて時間を潰していると、アーニェが出て行った扉ががちゃりと開いて小柄な人影が飛び込んできた。その奥からゆっくりとアーニェも続いた。

 小柄な人影はランタンよりも少し背が低く、顎を上げるとそのラインで切り揃えられた御河童(おかっぱ)髪が小さく揺れた。前髪を眉の上でまっすぐに切り揃えた髪型や丸系の黒目がちなつぶらな瞳は子供っぽいが、一文字に斬られたような薄い唇にはどこか酷薄な印象がちらつく。

「おまたせしたっす。こんばんは、ランタンさん」

「こんばんは、ミシャ」

 入ってきた勢いそのままに頭を下げたミシャが、その顔を持ち上げる。アーニェに急かされたのだろうか、ミシャの肩がゆっくりと大きく上下していて、荒い呼吸をどうにか抑えつけようとしている。ミシャは倉庫で起重機の点検整備でもしていたのか、身に着けている暗黄(オリーブ)色のつなぎに黒い油汚れが転々としていて、右の頬にも、汚れた手で擦ったのだろうか、薄っすらと墨色の汚れが浮かんでいた。

「今日はどんな――? そちらはどなたっすか?」

 ミシャの登場でいつの間にか書類から顔を上げたリリオンが、そっとランタンの裾を掴んで引き、ミシャはミシャでようやくリリオンに気がついたようで、声の音調(トーン)が一つ下がった。

「ん、アーニェさんから聞いてないの?」

 ランタンがアーニェへ視線をやると彼女はいたずらっぽく微笑むだけだった。ミシャは一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに少しだけだが面白くなさそうな表情を作って口を開いた。

店主(オーナー)からは、残念ながら何も聞いていないっす。紹介してもらってもいいっすか」

「うん、そうだね。ほらリリオンおいで」

 特区での探索業をするにあたって引き上げ屋との関係は切り離せないものだ。引き上げ屋がいなければ迷宮に安全に潜ることも、脱出することも出来ない。優良な引き上げ屋との友好的な関係は是非にとも結んでおくべきだった。そのためには挨拶は大切なことだ。

 ランタンは袖を掴んだままのリリオンの腕をそのまま引いて、ミシャと向かい合わせた。対面させると身長差がかなり目立ち、ミシャのほうが年上のはずだが逆転してみえた。

 だがそれも口を開くまでの事だった。

「はじめまして、引き上げ屋のミシャっす。よろしく」

「……あの、リリオンです。……よろしく、おねがいします」

 見上げる立場のミシャは顎を持ち上げて、いっそ胸を張るようにしているので堂々と意思の強さを感じさせた。その反面リリオンは俯いて、視線を合わせようとせず声も小さい。グラン工房でも思ったが、リリオンはずいぶんと人見知りのようだ。

 ランタンは同じ人見知り仲間として、リリオンを安心させるように背中を叩いた。だがリリオンはそれが合図かのようにランタンの袖を掴んで一歩後ろに引いてしまった。

「次の、明後日の探索にこの子も連れて行くことになったんだ」

「えっ!? え、あ、いや。そうなん、すか。急にまた、どうして?」

「ほんと急でね、自分でもよく判らないよ」

 もう何度もランタンを単独で迷宮に送り出してきた経験もあってかミシャはひどく驚いていた。ほんの先日、彼女に引き上げてもらった時にはそんな気配すらなかったのだから当然の反応なのかもしれない。

「……あぁそうだ。あの襲撃者(レイダー)崩れの話」

「ん、ああアレっすか」

「うん、聞かせてもらって役に立ったよ。ありがとう」

「それは幸いっす」

 リリオンは自分に関係した話をしているとは気がついていないようで、ミシャもまたリリオンがその関係者だとは気がついていなかった。役に立った襲撃者の話、その結末には基本的に死体しか残らないのだからミシャが気づかないのも無理はない。

 だがリリオンとの縁は、もしかしたらミシャとのあの会話から始まっているのかもしれない。ランタンは少しおかしくなって唇に拳を当てて笑いを噛み殺した。

「どうかしたっすか?」

「どうかしたの?」

 そんなランタンに二人が同時に尋ねて声が混ざり合い、また視線も絡まりあった。声をかけるタイミングが重なりあっただけだというのに、まるで肩がぶつかったかのような妙な空気が流れている。

「どうもしないよ。それじゃああんまり長居しても良くないし、今日はもう帰りますね」

 ランタンは二人の視線の間で絡まっている糸をばちんと切って、アーニェに声を掛けた。

「あらそう? じゃあまたねランタンくん、リリオンちゃん」

 アーニェは右半身の三つの腕を小さく振った。

「ミシャ」

「はい、何っすか」

「明後日はよろしく。リリオンは起重機初めてだから、たぶん。……乗ったこと、ないよね?」

 お節介を焼こうとしたが、なんだか失敗してしまった。

ランタンはそろりとリリオンの顔を覗きこむとリリオンは、うん初めて、と小さく唇に笑みを作った。慣れないお節介はいまいち締まらなかったが、けれどリリオンの答えになんとか面目を保つことは出来た。

「そうなんっすか。じゃあ腕によりをかけないといけないっすね」

 ミシャは力こぶを作るように腕を折り曲げて笑った。女の細腕だがランタンはミシャの起重機の操作に信頼を寄せていた。

「リリオンも期待してていいよ。ミシャの腕は確かだから」

 ランタンが褒めるとミシャは嬉しそうに笑い、リリオンも興味深く感嘆を漏らした。ランタンはその感嘆の終わり際に、軽くリリオンの尻を叩いた。するとリリオンは鞭を入れられた馬のように前に出て、ぎこちなく深く頭を下げた。

「あ、明後日は、よろしくお願いします!」

 ミシャはリリオンの後頭部を見て、驚いた表情でランタンの顔を伺い、また後頭部を見た。そして、はい、と一つ返事を返した。

「こちらこそ、よろしくお願いします。無事に迷宮へ送り届けるので、安心してくださいっす」

 顔を上げたリリオンにミシャは優しく笑いかけた。ランタンからはリリオンの表情は見えないが、リリオンはすぐにランタンの後ろの定位置に戻ってきた。ランタンはそんなリリオンを褒めるように腕を(さす)った。

「じゃあもう行くね。また明後日に」

「はい、また明後日っす」

 二人に見送られなら扉を潜ると、その扉が閉まるほんの隙間にリリオンは恥ずかしそうに小さく手を振っていた。


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