表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
76/518

076

76


「だ、か、ら、お前はあんな怪我ばっかりするんだよ!」

 灰色の短い毛の密集する、長い指の先に黒く鋭い爪がある。ジャックがランタンの鼻先に指を突きつけて、一つ一つ区切るようにして言い放った。ぐるぐると喉を鳴らして、ランタンから視線を逸らさぬままに肉を口に放り込み咀嚼もそれなりに酒で喉奥に流し込む。

「でも、ああいう薬はいざって時の――」

最終目標(フラグ)戦以上のいざって何時だよ。おい、目ぇ逸らすな。言ってみろ」

 もっともな話である。ランタンは口元が苦笑に歪みそうになるが、ジャックの目が怖いのでどうにか唇を噛んで誤魔化した。ええっと、と唸るように呟く。

「……いざって時はそりゃあ、ね。――僕の口から何を言わせたいんですか。えっちですね」

 うふふ、と場を茶化そうとランタンは胡散臭く恥じらってみせた。ジャックの耳がぴくりと。

 砕かんばかりの勢いでジョッキがテーブルに叩きつけられて、半分ほど残る麦酒が跳ねて泡立ち炭酸が抜ける。鼻先に突きつけられた指が獲物に飛びかかる蛸の如く開かれ、目隠しをされたのかと思った瞬間には頭蓋が軋んでいた。

 ジャックがランタンの顔面を鷲掴みにしてこめかみを締め上げる。尖った爪が皮膚に食い込む。

「俺は、真面目な話をしている」

 ジャックの手の平に目隠しをされたランタンは、ジャックの顔を見ることはできない。だがそこには怒気があって、ランタンは戸惑っていた。怒りの質が違う。ランタンに向けられる怒気の多くは敵意と一体であり、ジャックのものはむしろそれとは真逆の暖かみがある。

 名も知らぬ武装職員の死がジャックにもたらした落ち込みは昇華されて、今では死にに行くかのような探索を行うランタンへの手荒い心配へと変容を遂げた。

 ジャックはランタンを締め上げたままに酒を飲み説教を始める。面倒くさい酔い方をしている。いや、そうランタンがさせているのか。

 迷宮へと、迷宮最下層へと、最終目標へと戦いを挑む探索者は事前準備を欠かさない。

 無理にでも食事を取り、警戒しつつ睡眠を取り、道中に溜まった疲労を少しでも減らそうと、己の体調を少しでも最高に持っていこうと努力を怠ってはならない。

 平行して使用して鈍った武器の手入れをして、最終目標を観察して戦略を練る。最終目標戦中に暢気に背嚢を漁る暇などないので、必要な薬を何時でも使えるように用意する。

 余分な荷物は運び屋に押しつけ、瞑想し、準備運動をし、戦意を高める。

 そして戦いの最中、追い詰められてからの使用では遅きに失すること受け合いの肉体活性を服用することは当たり前の常識である。

「それをお前は、まったく馬鹿なのか。カボチャみたいに頭の中が空洞(エアヘッド)なのか?」

「……もう悪口じゃん」

 口答えは許されなかった。鷲掴まれたままジャックに頭を揺らされた。

 ジャックは、種の音はしないなやっぱり空だ、とか馬鹿みたいなことを言って、フリオが横から、乾燥させればいいじゃん、と阿呆みたいなことを言っている。

 ランタンが呻きながら怨嗟を漏らすといよいよ我慢できなくなったリリオンがジャックの手をばちんと叩いた。そして開放されたランタンを抱き寄せて、はっきりとした瞳でジャックを睨む。

「いじめないで」

「苛めてねえよ。って言うかお前にも関係あるんだからな。こいつが主導して探索してるのかもしれんけど、ちゃんと駄目なところは駄目って言えよ」

 リリオンを睨み返しジャックが言うと、少女は勝ち誇ったかのように笑った。

「ふふん、ジャックさんは知らないかもしれないけど――」

 自尊心たっぷりなリリオンの含み笑いにジャックは、なんだよ、と身構える。ランタンは何か嫌な予感を感じたが、振り回された三半規管と圧迫されたこめかみの鈍痛によりリリオンを制することができなかった。

「――ランタンは言っても聞いてくれないのよ! わたしだって心配してるのに!」

 どうだ、と言わんばかりに放たれた台詞に誰も彼もが呆気にとられた。

 ランタンをちやほやしてくれた獣耳の女たちも苦笑いを堪えきれずに、それどころか呆れも失望もある。居心地の悪い生温い視線がランタンを射竦める。

 そして一転、その視線がリリオンに注がれると、それは憐憫や同情などの理解へと色を変えた。

 あなたも苦労してるのね、なんて言って少女の肩に手を置くと、うちの男衆も、とグチグチ始まり男性陣は恐怖に顔を歪めて慌てて距離を取った。

 ただ一人、リリオンに捕らわれるランタンを残して。

 女たちの議題は、いかに男が単細胞で無計画な向こう見ずの死にたがりの夢想家の助平でそれによって女がどれほどの苦労を被っているか、である。ランタンならまだ間に合うからあいつらみたいになったらダメよ、とランタンは取り囲まれて言い聞かされる。

 口答えが死を招くことを悟ったランタンは曖昧な微笑みと頷きに終始することに努めた。女たちの言葉に耳を傾けながらも、よく判っていない感じのリリオンが唯一の救いであった。

 ランタンは男たちによって女たちへの供物とされた。誰一人として、ジャックすらもランタンを遠巻き見ているだけで助けようなどと無謀なことはしない。

 それどころか男たちは、いやあ危ないところだった、と危険を脱したことに安堵して乾杯している。ランタンがいなけりゃ即死だったな、とか意味不明な冗談を飛ばしご機嫌で酒を呷っているので本当に即死させてやろうかとランタンは思う。

 女たちの隙を突いてちらりと視線を向けるが誰とも目が合わなかった。男たちは薄情だ。

「そんなに酷いんですか?」

 ランタンは誤魔化しの微笑みを止めて、無垢な顔つきで女たちに問い掛けた。

「酷いってもんじゃないわよ」

「へえ大変だったんですね。例えば、誰がどんなことをしたんですか? 本当に反省してるんですかね? 反省してたらあんな風にお酒を飲めないですよね」

 それはあからさまな嫌がらせである。男たちが過去にどうにかして(なだ)(すか)した失態を蒸し返して、場を荒らしてやろうという魂胆である。ランタンは男たちに悪意ある笑みを向けて、男たちは絶望的な表情になった。

 きっとその男は過去に物凄く酷いことをして、物凄く苦労をして挽回したのだと思う。

「――ランタン!」

 胡散臭いほどのはっきりした声で男はランタンに呼びかける。大きな声で、明るい声で、ランタンの無垢をよそおった邪悪な質問を打ち消すかのように。

「よかったら一緒に探索しねえ?」

 精一杯の質問は、どうにか場の雰囲気を一変させた。

 だがランタンは、しません、と告げて二の句はない。手段はさておき助けを求めたのはランタンであったはずなのに、あまりにもあんまりな反応に男は引き攣り乾いた笑いを漏らす。悲壮感たっぷりに健気にも続ける。

「いやさあ、俺らと一緒に探索すればもうちっと()()がわかると思うんだよね。自己流も良いけど、やっぱり基本を知ってこそだと思うんだ……け、ど」

「しないです」

「拗ねてんじゃねえよ」

 溜め息と共に言ったのはジャックだった。一歩だけランタンに近付き、それに合わせてこそこそと男たちも前進した。

「拗ねてないです。今迷宮の攻略中なので」

「そうなのか?」

 ジャックは何故だかランタンの頭を飛び越えてリリオンに言葉の真偽を確かめる。リリオンはこくりと頷き、少女の顎がランタンの旋毛に刺さった。

「きのう戻ってきたばっかりです」

 そしてそのまま喋るものだから、ランタンの表情がみるみる歪んでいく。

「ふうん、それにしちゃ元気だな」

「殆ど攻略は終わってますから、ねっ」

 くっついてくるリリオンの顔面を力尽くで引き剥がす。リリオンはランタンの頭から顔を退かしたものの、未練がましくその背中に引っ付いていた。吐息に酒精が混じる。

 リリオンは薄い麦酒から、今は度数の高い蒸留酒へと飲料を変えていた。果実水で加水しているものの、ランタンが一舐めするだけで顔を顰めるほどの度数を誇る。リリオンはそれを水のように飲んでいる。

「あとは最終目標だけなんですけど、面倒で帰ってきちゃったんです」

「めんどくせえってお前な……」

「だって(はね)があったから」

 その一言でランタンへの呆れが納得へと転じ、女たちの愚痴もいつの間にか有耶無耶になった。その事に気が付いた人間は少ない。

 翼を持たない人間にとって飛行能力は憧れの対象であり、それ故に敵がそれを有している場合の鬱陶しさは著しい。探索者ならばその面倒くささを誰も彼もが知っている。

「ランタンは今どの迷宮に行ってんの? 最終目標はどんなんだった?」

 虫系迷宮の最奥にある影は、蟷螂(かまきり)だった。

 体高は二メートル半。先端に鎌を有する腕は二対四本。魔精の濃さはそれなりだったが、観察時間の内の六割ほどは羽ばたいて、二割は壁や天井を歩行し、地面を歩くことは少なかった。

死神蟷螂(ヘルマンティス)か」

 たったそれだけの情報で探索者たちは魔物の種類に当たりを付けて、ああだこうだと議論が始まった。ランタンは吃驚して目を瞬かせて、リリオンも呆気にとられている。誰もが当たり前のように魔物について一家言を持っていて、気が付けば遠巻きにしているものは誰もいない。

 それを可能にするのは知識の共有。

 例えばランタンの迷宮攻略数は一年少しの探索歴を思えば異常に多く、同年数の探索者では倍にしても敵わない。あるいは二、三年目の探索者でも肩を並べることは難しいかもしれない。

 けれどこの酒場にいる探索者の有する知識はランタンを寄せ付けることすらなかった。知見の集積と共有を目の当たりにしてランタンは圧倒された。

「三メートル以下ならまず間違いなく雄だな」

「オスメスで何か違うんですか?」

 リリオンは無邪気に尋ねる。

「雌は基本的に三メートル以上ある。古い個体ほどデカくて、体色の黒がどんどん濃く、外皮が硬く鉄みたいになる。鎌も二対四本から六対十二本まで確認されてるな」

「書物の中なら体高十メートル、鎌が二十四で竜種を捕食するって奴がいるね。絶対会いたくないわ」

「そりゃおとぎ話だろ。んで雌は体重が重いから飛びもしないし、基本的に物理攻撃一辺倒。なんだけど、まあ、あれだ。繁殖期が秋頃なんだけど、その頃には凶暴性が増して雄を引き寄せるための臭いを発するんだが」

「屁の臭いがすんだよ」

 げっへっへと下品に笑いながら一人が言ってランタンもリリオンも顔を顰めた。硫黄臭か、とランタンは独り言のように小さく呟く。

「臭えだけならいいんだけど」

 よくねえよ、と犬人族が大合唱した。うるせえうるせえ、と男は取り合わない。

「長時間臭いに曝されると意識を害するし、最悪中毒死だ。ま、これは雌だけだし、攻撃的になる分防御が疎かになるから短期決戦を狙うなら良いかもな」

「雄は基本色は緑なんだけど、虫系は変異種が多いから色々ある。色だけにあっはっは」

「体色は宿してる魔道に連動してることが多いね。たぶんランタンが見たのは白、飛んでるんならまず間違いなく風の魔道を使うね」

「虫系は翅があってもそんなに飛行能力は高くないんだけど、風の魔道だとねえ。ご愁傷様、がんばって」

「降ろす手段がないなら待ち一辺倒でいいんじゃね? 遠距離攻撃は真空刃ぐらいだろ。躱し続けて消耗させようぜ!」

「そんな消極的なのはいかんよ。降りてこなかったらどうすんだよ。それなら捕縛系の武器持ってけばいいじゃん。鎖分銅とか」

「一朝一夕じゃ扱うのは無理だべ。天井に刺激性の煙幕張って行動制限すりゃいいよ」

「ばっかでー、風魔道相手にそれはどうよ。それよりも金持ってんだから使い捨ての魔道具持っていこうぜ!」

 酒を飲みながら喧々囂々(けんけんごうごう)と好き勝手に自分の意見を言い合っている。肩を組んで同盟を組む者もいれば口論をしている者もいる。けれど口元から牙を溢れさせるほどに笑いあっていて、みんな仲よさそうだな、とランタンは思う。

 それはランタンの知らぬ探索者の日常だった。

 リリオンは人見知りを酒の力でねじ伏せて、持ち前の無邪気さで疑問を振りまき女たちに可愛がられている。ランタンは一人素面で上手く会話に混ざれずにいた。借りてきた猫のように大人しくして、ただ集積された知識を一つでも多く持ち帰ろうと聞き役に徹していた。

 それぐらいしかできなかった。

 そんな静かなランタンにふとジャックが目を向ける。灰青の瞳が妙に怖くてランタンは目を伏せる。

「そういやさ、虫系ならあれの可能性もあるな。あんまないけど、喰脳蟲(イドイーター)って知ってるか?」

 議論をしている探索者の中にはその名前を聞いて露骨に顔を歪める者がいる。ランタンは首を横に振って、勿体ぶるように間を空けるジャックに話の先を促した。おずおずとした視線を睫毛の隙間から覗かせる。

「寄生虫の魔物で、稀に最終目標にも寄生している。倒したと思って死体に近付くと死体を食い破って飛びかかってくる。体内に侵入を許すと酷いことになる。気を付けろよ」

「……どうやって?」

 ランタンが聞くとリリオンも無言で頷く。ジャックは喉奥で笑った。それは姉であるテスの含み笑いを思い起こさせる。

「気合い」

「……ふうん、勉強になります」

「ちっ、冗談だよ。侵入を許したのが鳩尾から下なら水を大量に一気飲みすれば排出できる。それより上なら喉に指を突っ込んで上がってきたとこを掻き出せ。首から上なら速やかに自害しろ。蟲は脳を喰って身体を操る。仲間に身内殺しはさせるなよ」

 ランタンはジャックの顔をじっと見つめる。その表情はどちらも真剣で、背後からリリオンがランタンにしがみつき、ジャックがウェンダに引っぱたかれた。リリオンはそれに驚いて強くランタンを締め付けた。

()ったい!」

 と言ったのはどちらだったか。

 ウェンダはジャックを叩き、そのまま耳を捻り上げた。ジャックは首つりに抵抗するように椅子から腰を浮かせて中腰になった。ウェンダはそのまま二人を安心させるように笑いかけた。

「魔物が寄生されてるかどうかは見ればわかるわよ。寄生された魔物は挙動がぎこちなくなるし、こっちの攻撃に対して無防備になるの。蟲は新しい宿主を欲していて、移行するためには今の宿主の死が必要なのよ。だから怪しいと思ったら蟲の寄生する脳を破壊する事ね。寄生されていなかった場合は反撃が怖いけど。ま、倒した後に結晶化が起こらなければ寄生されてると思っていいわ。――それに蟲が身体に頭を突っ込んでも、尻が入るまでに引き抜けばいいのよ。死ぬほど痛いらしいけど、本当に死ぬよりはマシでしょ?」

 しょ、の言葉と共にウェンダはジャックの耳を引き抜くようにして開放した。ジャックは耳を押さえてテーブルに顔を伏せていて、その痛みをもたらしたウェンダが両耳の間を指先で掻いてやっている。その指先が少し色っぽくて、ランタンはぼんやりと女の顔を見上げた。

「わあ、よかった! ありがとうございます。よかったね、ランタン!」

 リリオンは心底ほっとしたようで、ランタンを抱きしめる力を緩めるとべったりと背中にもたれ掛かった。顔を耳元に寄せたのは無意識で、酒と安堵のせいで声が大きい。ランタンはキンキンと震える鼓膜に顔を歪めるが、少女は気が付かずジョッキに残った水割りを喉奥に放り込む。

「蟷螂はどうすんだよ」

 議論は結局の所、案を出すだけであって答えなどはなく、何でもかんでも大鍋で煮たような混沌と化したそれは既に手の付けようがない。

 議論は酒の席での娯楽であって、明日の天気の話や最近あった面白い話よりは多少の実りがあるがそれ以上の意味を持たない。探索者たちは他人の探索に口出しをするが、他人であるが故に責任の伴わない議論などはこの程度のものである。

 それをどう役立てるかは探索者(ランタン)次第であった。

「なんなら俺がついて行ってやろうか? うっぷ」

「いらないです」

 牛人族の男が酒に飲まれながらそんなことを言ってきて、ランタンは素っ気なくあしらう。リリオンはいよいよ酔いが回ったのかランタンの背中に頭をぐりぐりと擦りつけて笑った。

「だってわたしがいるもんね」




 それがあんまりにもないちゃもんなので、ランタンは思わず言葉を失ってしまった。

 ああなんだと俺より強えってか、と牛人族の酔っ払いが言って、リリオンはそれを否定したけれど酔っ払いの耳には届かなかった。周囲は酔っ払いを静止しようと試みたが、酔っ払いは羽交い締めにされながらもリリオンのことを面罵にした。

 ランタンの目が据わった瞬間にジャックが軽く肩を叩いて短慮を諫める。

 男が罵倒したのはリリオンの装備だった。

 探索者に重装戦士は少ない。探索において重いと言うことはそれだけで悪であり、全身鎧は一部の探索者以外には不人気だったし、身の丈に迫るほどの大盾はそれを更に上回った。重い盾を持つぐらいならば、その分だけ武器の厚みを増してそれ一本で攻守を賄うと言うのが現在の主流であるようだ。

 小型、中型の魔物、ある程度のまでの大型の魔物の物理攻撃ならば探索者の体格にもよるが盾による対処が可能である。だが大型魔物の物理攻撃は正面切って受けきれる探索者は、魔物の大きさと重量が増大するにつれて加速度的に減少していく。

 酒を潤滑油としてのねちっこい言い回しをランタンは生理的に受け付けなかったが、どうにか理解したところそれはつまり大盾を強大な魔物を忌避する臆病さや、卑怯さの象徴として揶揄したのである。

 酔っ払いなんか相手にしなくていい、とランタンは言ったがリリオンはその言いがかりを許さなかった。

「何だよそのちぐはぐな装備は! みっともねえったらありゃしねえ!」

「――みっともなくなんかないわ! これはランタンがわたしに買ってくれたのよ!」

「はっ、そりゃよかったな! お前が頼りないからそのガキも心配になったんだろうよ。そんなやせっぽちがそいつを使えるかだって怪しいもだけどな!」

「……ママがわたしに教えてくれたのよ。あなたにそんなことを言われる筋合いはないわっ!」

 ランタンはリリオンの顔を見ることはできなかった。自分に言い聞かせるような小さな囁きから、炸裂するような大声に。少女のその声に混ざる湿っぽさを聞いた瞬間にランタンはリリオンを背後に置き去りにした。

 ランタンの小さな手が酔っぱらいの口を塞ぎ、少女を汚す言葉を喉の奥へと送り返した。黙れ、と底冷えした声に酔っ払いの目が酔いから醒める 。

 酔っ払い、――牛人族が震え、取り押さえる男たちが振り解かれた。

 牛人族が左手でランタンの手首を圧迫し、行く先を塞がれた血の流れにより指先がじんじんと痺れた。骨が軋むがランタンの腕は力を完全に伝えるには細すぎる。それを察してランタンの腕を砕こうと牛人族は右肘を振り下ろし、左膝が跳ね上がる。

 ランタンとしては手荒だが忠告のつもりだった。しかし返答は明確な害意で、ランタンの身体は自動的に動く。

 瞬間、ランタンは牛人族の軸足を払った。体格に比べて軽い。牛人族は脚を払われるままに跳んだ。

 掴まれた腕が引かれ、地面から離れた軸足がランタンの腰に絡みつく。牛人族はランタンを地面に引き込もうとしていた。その意識にランタンは相乗りした。

 重力に傾く男の勢いにランタンは自重を預ける。指は目に。掌は顎に。肘を胸骨。膝は金的。空いた片手が蹴り上がる膝を止め、内に捻る。牛人族の右手が挙動を変えて目を狙い、ランタンは額で受けようと顎を引いた。

「――そこまでにしておけ」

 ランタンに連動するように動き出していたリリオンを止めたのはウェンダを筆頭にした女性陣であり、牛人族を止めたのは振り解かれて苛立った男性陣だ。牛人族はきつめに捕縛されている。

 そしてランタンを止めたのはジャックとフリオ。

 ランタンは鼻から吸った息を咳き込むように吐き出した。反応早いな、と喉に回されたジャックの腕を叩いて、戦意を落ち着けたことを伝える。

 ジャックは先に動き出したランタンに追いついて、その首に腕を巻き付けて引き倒した。フリオは牛人族を掴むランタンの腕を、そしてランタンを掴む牛人族の腕を解いて、今はランタンの足を椅子に絡めるようにして捕らえている。背もたれを前にして椅子に座り、じっとランタンを見つめる。

「こんな事になって悪かったね」

「いいえ」

「酔っ払いの戯れ言だ。気にするな」

「それは、内容によります」

「――ああ、……そうだな」

 ジャックは巻き付けていた腕を首から解いてランタンを立ち上がらせると、悪かった、と一言言った。ジャックはランタンを止めに入っただけであったが、亜人族共同体の一員としてかリリオンにも謝罪の言葉を渡している。

 その姿を見ていたら、戦意がみるみる萎んだ。ランタンは男の口を塞いだ掌をテーブルに拭い付けて、ジョッキの底に残った蒸留酒で殺菌消毒をする。

 その姿を見たリリオンが怒りに染めた頬の色づきもそのままに小さく微笑んだ。

 女たちに慰められたり、力の強さを褒められたりしながら、こっそりと唇が感謝を呟いてランタンは何も言えない。

 牛人族は年長の探索者にどやされていて、事の発端が何であったかなどは既に忘れランタンに凄まじい視線を向けていた。ランタンが舌を出して挑発すると、額に血管を浮かせてこめかみから生える牛角が震える。そして吠えるように罵倒を繰り返した。

「だってあのガキが俺を侮辱しやがったから――」

 投げかけられる罵声をランタンは屁とも思わないが、宥められてなお怒りの燻っていたリリオンが言い返した。

 そこからは売り言葉に買い言葉だったのだと思う。話が蒸し返されて、けれど既に身柄を押さえられているので取っ組み合いにはならない。ランタンの横にはジャックが控えて、一挙手一投足に目を光らせている。そんな心配性のジャックにランタンは肩を竦めてみせた。

「酔っ払いの相手をするだけ無駄だよ。お騒がせしました、お料理美味しかったです。ほら帰るよリリオン」

 ランタンはぺこりと頭を下げて、リリオンの手を掴む。その背中に、逃げるのかよ、と声が浴びせられランタンとは違ってリリオンはやはりそれを無視できない。

 溜め息を吐いたのは誰だったのか。

 それは言い争う二人以外の全てである。




 探索者の面子は腕力であり、文字通りの腕の力を競い合うにもってこいの方法が一つある。

 それは争いだが命の危険はなく、勝ち負けは一目瞭然であり勝敗に文句の付けようはない。勝っても負けても恨みっこ無しの一発勝負。

 その名を腕相撲という。

 店内のテーブルが一つを残して退かされて、周りがそれを取り囲む様はどう見ても違法賭博場のそれであり、酒場の店主から胴元へと早変わりした豚猪男が、さらには兼任して審判を務めることになった。

「わけわかんない」

 目まぐるしく変化する状況に目を回すランタンを余所に店内はいよいよ白熱度合いを増していく。

 おらああんな毛無の小娘なんて敵じゃねえんだよおらあ、と牛人族側が挑発を繰り返せば、あいつの酒癖の悪さには前からむかついてたんだよくそが、とリリオン側が罵声を交換する。

 まるで亜人族共同体を真っ二つに割った内紛のような有様だった。だったのだがどうにもそれを楽しんでいる雰囲気がある。

「ぶっ殺してやんかんな! (メス)だからって容赦しねえぞテメエおらあテメエ! 何でランタンじゃねーんだだよ! ああん、逃げてんじゃねえぞ!」

「そんなこと言ってランタンの手にまた触ろうとしてるんだわ! そんなことわたしが許さない! ランタンの手はわたしのものよ!」

「……僕の手は僕のもんだよ」

「さあ張った張った! 若きアル中にして牛人族の乙種探索者赤角(ブラッドホーン)タズ対突如ランタンの隣に収まった謎の女! 丙種探索者ランタン大好き(ラバー)リリオン!」

 指を差して唾を飛ばすタズに、リリオンはべえと舌を出した。ランタンと同じように挑発されたことでタズは顔を憤怒に赤く染め上げて、服を引き千切って上半身を裸になった。まるで蒸気を噴くように身体も赤い。

 発達した僧帽筋。絡み合う上肢帯筋が荒縄のようにうねっている。豊かな胸毛が臍どころかズボンの中まで繋がっていて、それらを見せつけるようなポージングにリリオンが苛立った。リリオンは対抗するように外套を脱ぎ捨てて肩の近くまで袖を捲った。

「おおお……おぉ?」

 舞い上がった外套に歓声が上がり、晒された白腕にそれが萎んだ。タズの腕毛に飾られた腕を苔生した丸太と表現するならば、リリオンの腕は百合の茎である。

 リリオンは萎んだ歓声など全く眼中に無く、タズに向かって殴りつけるような仕草を見せつける。タズの方はと言うとあからさまに馬鹿にしたように鼻で笑った。

「薄情者め……」

「金勘定と人情は両立しないからね」

 身体付きを見比べることで、賭ける対象を変更する探索者が続出した。口でリリオンを応援しても、掛け金の行く先はタズの側である。胴元兼審判の店主が悲鳴を上げた。

「おいおいおーい、これじゃあ賭けが成立しねえぜ! そんな! 貧相な! 身体で! 一緒に探索する奴はさぞ迷惑しているんだろうなあ!?」

 リリオンが歯噛みするように悔しげに唸っている。ランタンはそんなリリオンの尻を引っぱたく。自信を持てと口には出さないが、少女の身体付きが決して貧相では無いことをランタンは知っている。

 ランタンはポーチから金貨袋を取り出すと袋の口も開けぬままに店主へと放り投げた。その重さと、袋口から僅かに覗く色に店主が奇声を発した。

「足りない分は僕が持つ。リリオン、あいつの腕を捻切ってやれ」

 爆発するような歓声。震えるほどの少女の歓喜。

「――まかせて!」

 拳を握ると、百合の茎に血が流入して色味を増した。

 これはただの百合ではない。輝く黄金の百合である。

「勝負よ!」

 リリオンは牙を剥くように笑う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ