071 迷宮
071
装備の幾つかを新しく買い直したのだが、その内の一つである手袋は微妙の一言に尽きた。
手袋は金蛙の雷撃に苦戦を強いられたために購入した装備で、絶縁体であり耐熱仕様のそれは雷雲を鷲掴みにできるという触れ込みである高級品だったが装着して二時間で襤褸屑のように脱ぎ捨てられることとなった。
手袋は薄手のゴム質で肌にぴったりと張り付く装着感は悪いものではなかったのだが、それも装備して三十分ほどで、それほど、と形容詞が付いた。手袋をして探索を開始すると、内部が物凄く蒸れたのである。電気を通さない、熱を通さないというのはつまり空気を通さないことと同意だった。
それほどの形容詞を得て、その二十分後にはもう脱ぎたくなっていた。だがその頃には戦闘に突入してそんな暇はなかった。そこでランタンの苛立ちは頂点に達してしまった。
魔精結晶へと変質する部位ごと魔物の群れを焼き払うことでどうにか落ち着きを取り戻す。
手袋の中で汗を掻くと死ぬほど気持ちが悪かった。
汗で濡れれば濡れるほどに素材は皮膚に張り付き、その癖に皮膚と一体となるわけでもなく内側で滑るのだ。握力は十全でも、ランタンは戦鎚を振り回すたびに違和感を覚えたのも焼き払うに至った一つの理由である。
違和感は不安である。戦力の出し惜しみをせずに早急に戦闘を終わらせる必要があった。
手袋のせいで戦鎚は今にもすっぽ抜けてしまいそうで、必要以上に強く柄を握ることになり、筋肉の余計な緊張は全身の動きを阻害した。
ランタンの戦鎚捌きは繊細さとは無縁であったが、だからといってすべてが闇雲に力任せというわけでもない。
そもそも手袋の存在意義は感電だけに留まらぬ手の保護であったが、ランタンには全く逆の効果を発生させてしまう結果となった。
汗でふやけた皮膚が殴打の衝撃で肉刺となることもなく捲れてしまったのだ。
高重量の戦鎚を振り回すランタンの手は柔らかい。皮膚が肉刺や胼胝にならないほど薄いのだ。風呂好き、と言うのもその一因であったが生まれつきのことでもあった。
「最悪……、あーあ、もう」
苛立ちの篭もった呟きは痛みのせいだけではない。
購入した手袋が役立たずだったからでもない。
手袋を外すと指の付け根の皮膚がべろんと捲れている。捲れた皮膚は中途半端に繋がっていて、剥き出しになった真皮の色との対比で青白くすら見えた。死体の色だ。ランタンはその死んだ皮膚を引き千切って、そして指の股を見つめる。
唇が完全にへの字になっていて、眉間にも深く皺が寄っている。リリオンがおっかなびっくり不機嫌そうなランタンを見つめた。
「どうしたの?」
「……かぶれた」
ランタンの視線の先、それはまるで虫に産み付けられた卵のようにも見える。それはもしかしたらここが虫系迷宮だからかもしれない。
汗疹が一ミリほどの小水疱となって人差し指と中指、中指と薬指の側面にぽつぽつと発疹していた。痒いよう、とランタンは指の腹を使って扱くように汗疹を掻いた。
「水ぶくれって、つぶしたくならない?」
「なる。けど、潰すと広がりそうだからしない」
だからそんな目で見るな、とランタンはリリオンから視線を逸らす。少女は自分のお小遣いで購入した裁縫用具を腰のポーチから取り出そうとしていた。ランタンが冷たい目をすると、冗談よ、と手を広げる。針は隠し持っていない。
ランタンはうんざりしながら苛立ちの赴くままに叩きつけた手袋を拾い上げ、適当に丸めて背嚢の中に放り込んだ。使用二時間で売却が決定する装備というのも珍しい。纏まった金が手に入ったせいで、品定めが雑になっているのかもしれない。
しっかりしなきゃ、とランタンは反省しながら痒み止めを汗疹に塗り込む。
不幸中の幸いと言うべきか汗疹は戦鎚を握る右手にしかできていない。触るたびに痒みが増すようで、爪を立てて掻き毟りたくなる欲求を抑えつけるのは大変だった。ランタンは潰すわけじゃないしと自分に言い訳をして水疱に爪で十字の印を付けた。
リリオンがじっと覗き込んで不思議そうな顔をしている。
「それなに?」
「おまじない。痒くなくなるようにって」
「ふうん、かゆい時は冷やすといいのよ」
「ああ、聞いたことあるかも。でもどうやって冷やすよ」
ランタンは肩を竦めてリリオンに尋ねた。当たり前だが氷は所持していない。水筒の水は冷たいが、痒みを取るためだけに使うのは流石にどうかと思う。せっかく塗り込んだ痒み止めも流れてしまう。
「じゃあわたしが……」
リリオンは言っておもむろに両手を胸の前に翳した。
まるで透明な球体を掴むように。魔道を使おうと念じているのだ。
リリオンは目を瞑り眉根を寄せてうんうん唸っているが、そこには何の変化も現れない。
ランタンがエーリカと話をしている間に、リリオンはケイスから魔道の使い方を教えてもらったようである。
ケイス自身は魔道を扱えないが、ケイスの所属していた探索班には火の魔道を行使する探索者がいたそうだ。その魔道使い曰く、己の内に流れる魔精を認識すること、それが魔道使いのための第一歩であるらしい。
ケイスはその一歩を結局踏み出せず、リリオンはこれから先はどうか判らないが、少なくとも今は全く認識することができていないようである。
そもそも魔精の流れというものを理解できるのはそれを認識した人間だけで、又聞きのケイスの言葉によって魔道使いになれるのなら誰もが魔道使いになっている。
リリオンは砂漠に落とした塩の一粒を探すように、当てもなく己の内部に意識を向けている。かっと目蓋が持ち上がり、淡褐色の瞳がきらきらな笑みを浮かべる。
「あ、冷たい空気出た!」
気のせいでしかない。
そんなものは出ておらず、むしろ少女の熱意に炙られて少し暖かさを増していたかもしれない。
ランタンはリリオンの掴む空気を掻き混ぜて、意地悪っぽくそして優しげに笑った。馬鹿な真似、あるいは無駄な努力と人は言うかもしれないけれどリリオンはそれだけ真剣なのである。
「もうっ、もうちょっとでランタンを冷やしてあげられたのに」
「それはまた今度ね。――第二波来るよ、戦闘準備!」
無数の羽音が迷宮の奥から壁を反響し、鼓膜を揺らした。
三十匹はいないだろうが反響して幾重にも重なる羽音によって、正確な数を把握することができない。鼓膜を劈くような高音が十重二十重に重なり、その中に一つ重低音がある。
ランタンは打剣を引き抜くと流れるように振りかぶった。
爆発による射出は使用しない。それはまだ完全に習得した技術ではないからだ。成功率は一割を超えたり割ったりしてる。土壇場での成功は、その状況下に追い込まれたが故の集中力の賜である。道中の雑魚魔物相手に最終目標戦のような集中力を発揮していては精神があっという間に擦り切れてしまう。
爆発射出に失敗すると、そもそも加速力が付かなかったり、目標をてんで捉えられなかったりする。それだけならまだしも爆発によって武器の破壊もあり得た。塵も積もれば何とやらで、安い打剣であったが失敗のおかげでグラン武具工房は儲かってしかたがないらしい。
いつか在庫過多にしてやる、と余計な恨みを込めてランタンは打剣を投げ打った。
リリオンがひらりと差し出した端布に向かって。
打剣が端布を貫き、その端っこを摘まんでいたリリオンの指先から奪い取る。端布は打剣の膨らんだ鍔元に引っ掛かり、はたはたとはためいている。それは白いポンチョを着た妖精が高速で飛翔していくようだった。
妖精は真っ直ぐ飛んで天井深くに突き刺さった。
「妖精って言うか、てるてる坊主だな」
ランタンは戦鎚を引き抜いて握りしめた。
「ああもう痒いなあ」
「ふふふ、さっさと終わらせましょう」
苛立つランタンをリリオンが宥めた。
苛々を一瞬で表情の奥に引っ込めてランタンは走る。一瞬で過ぎ立った真剣な横顔にリリオンは見惚れて、はっとして意識を切り替える。
リリオンはその背中を見送って、大きく息を吐いた。魔道はまだ使えないけど、使えるようになるか判らないけど、剣は使える。研いで少しだけ短く細くなった大剣はそれでもリリオンの手に良く馴染んだ。柄を何度も握り直し、飛び出すタイミングを計った。
痩せた大剣は力任せに振り回すには少しだけ軽いけれど、その分取り回しが良くなったと思う。リリオンに課せられた命令は、ランタンの打ち漏らした魔物の排除だ。
「がんばるよ」
視線の先にある背中に告げる。
迷宮の奥からそれが現れた。第一波を撃滅し、これは第二波。なので驚きはないけれど、第一波では吃驚してしまった。リリオンはその魔物を知っていたけど、それは知っている姿でなかったからだ。
魔物は名を香蜂と言う。地上でも見ることのある虫系の魔物である。
それは子鼠ほどの大きさの蜂で、淡い赤の体色が美しく警戒色が示すとおりに凶暴だ。
地上で見る香蜂は木々の生い茂る森林に住む。雑食だが特に肉を好む傾向があり、木の幹を食い破りその内側に巣を作るのだが巣に近寄った動物を襲うばかりではなく、日に何十キロも飛行し餌を探すこともある。そして時折農園の家畜や従業員を襲うことも。
それがリリオンの知る香蜂だ。
だが迷宮に現れた香蜂は、小型犬ほどの大きさがあった。地上生の香蜂は群れの長でももっと小さい。通常個体でこの大きさともなると驚いただけですんだことは幸運だった。ランタンが傍に居なかったら、恐怖で動けなくなっていたかもしれない。
香蜂は一際大きな個体を群れの長として集団で狩りをする。斥候役の香蜂が少数いて、それは群れから先行して飛び獲物を探す。それらは針が退化している代わりに尻の先から毒液を噴射する。
その毒液は苺に似た甘い匂いがして、故に香蜂と呼ばれる。
毒液は浴びると付着した箇所に痛痒い炎症を引き起こし、吸い込むと呼吸器に麻痺をきたす。老人や子供が吸うと呼吸不全を引き起こし死に至ることもある。そして毒液を浴びた者は後続の香蜂に集中的に攻撃される。
天井に突き刺さる打剣が身に纏う端布はその毒液を染みこませてある。第一波を先導していた斥候蜂が盾に吹きかけた毒液をあの端布で拭い取ったのだ。盾の付着箇所はランタンが爆発で焼いてくれた。そのため匂いの発生源は打剣一つに限定されている。
地上の香蜂ならば霧状に噴出する毒液も、迷宮香蜂は大きさが大きさなだけにコップ一杯の毒を浴びせられるようだった。ランタンは汗疹が痒いと呻いていたが、あの毒液を浴びることを考えたら汗疹なんてなんて事はない。
ぞわりと迷宮の奥から香蜂が湧き出す。
いかにも甘い香りを吐き出しそうな淡い赤色。縁の波打った独特の翅は二対四枚。それを高速で羽ばたかせることで高音を発生させている。それは香蜂が既に興奮し攻撃体勢に入っていることを示している。
香蜂は羽音を響かせ、互いに追い越し追い越されながら匂いに釣られて打剣に誘引された。だが騙せるのは数秒、とランタンは言った。尾の針が五寸釘のようで、端布が一瞬でズタボロにされた。そしてそれが無生物であると判ると、群れは渦巻くようにしてランタンに狙いを定める。
ざっと尾針がランタンに向いた時、そこにはすでに残影があるばかりだ。
リリオンの類い希なる動体視力を持ってしても、それは幽かな揺らめきのように見える。初動が恐ろしく速い。世界で一人だけ時間の進みが違う。それは孤独さなのかもしれない。
ランタンは一息の間もなく打剣の真下へと到達していた。
そして戦鎚を天井に差し向ける。戦鎚から大輪の花が咲くように紅蓮が広がる。
迷宮を震動させる衝撃。羽音を乱暴に掻き消す轟音がリリオンの耳に心地よかった。香蜂の群れは衝撃と熱波に炙られて次々と吹き飛び地面に落ちた。翅が焼け落ち、表皮が焦げ、狙いを定めた針が虚しく地面を刺した。
そしてまだ燻る余波を引き裂くように戦鎚を振り下ろす。衝撃から体勢を立て直した数匹の香蜂。その一匹を叩き落としランタンはその奥から現れた大型個体、長香蜂と対峙する。
通常個体よりも二回りほど大きく、翅が三対六枚。針は二回りどころではなく太く、群れの死を嘆くように毒液を滴らせていた。
そしてリリオンの役目は、ランタンを長香蜂に集中させること。ランタンの背を追いかけるように生き残りの数匹が高速で羽ばたく。リリオンは既に駆け出しており、ゆったりと回り込むように大剣を振り回した。
ランタンの邪魔はさせない。
大剣はあえて刃を立てる。鎬に空気抵抗があり、扇ぐように振るったそれは香蜂の意識をこちらに向けるための牽制である。巻き起こった剣風に香蜂が煽られて体勢を崩し、しかしすぐに立て直すと風の発生源であるリリオンに振り向く。
もしかしたらリリオンには嗅ぎ取れない程度、まだ盾に匂いが付着しているのかもしれない。
香蜂は一瞬だけ迷うように空中で静止したが、揃いも揃ってリリオンに狙いを定めた。腹部が蠕動して針が前後に動いている。
香蜂の攻撃方法は単純だ。体当たり。ただその一つに尽きる。
大きさは小型犬ほどでも、体重は一キロに満たない。外殻はそれなりに硬いが、石ほどではないので直撃しても問題はない。翅はぶつかりざまに皮膚を切り裂く程度の鋭さを備えているが、戦闘服は切り裂けない。問題は針である。
体当たりは尻から飛び込むようにして行われる。そして針は革製の装備程度ならば容易に貫き、リリオンは未だにランタンとお揃いの薄っぺらな装備しかしていない。針には毒があり、それは斥候が吹き付けるものと同じ物だ。
甘い毒は強い痛みと痙性麻痺を引き起こす。
リリオンは大剣を振りかぶるのに邪魔にならない程度に距離を空け、壁に背を向けた。第一波との戦闘により、集団戦闘で回り込まれることの鬱陶しさを理解した。助けてくれるランタンは背後にいない。
斬ることよりも、まずは針を受けないこと。盾は香蜂の攻撃を完全に遮断するが、同時に死角も多く生み出すので上手く使わないといけない。
大剣を引き戻す。同じように刃を立てて斬り返した大剣が再び空気を掻き回し乱気流を生み出す。渦に飲み込まれるように香蜂が気流に囚われて、それを狙ってリリオンは方盾を足元から振り上げた。
ばちんばちん、と衝撃は二つ。二匹逃がした、と悟った瞬間にリリオンは盾から指を外した。慣性の赴くままに方盾が吹き飛んで天井にぶつかる。その影の中から香蜂が湧き出すように向かってくる。引き打ち。
先端で斬るように横薙ぎした大剣が躱される。脇を締めて、大剣を身元に引き寄せる。後退から一気に踏み出し、二匹の香蜂が重なった瞬間を狙った。一匹を突き刺し、もう一匹は鋒を舐め、刀身をなぞるように飛ぶ。
斥候蜂だったら顔に毒を浴びせられるところだった。
リリオンは突き出した勢いで身体を引き摺る大剣を手放した。剣がすっ飛んでいく。それが生み出す気流に香蜂が乗っかった。その気流の道は死への一本道だとも気づかずに。
リリオンは腰の狩猟刀を逆手に引き抜くと、それを気流の道へと差し出した。香蜂が吸い込まれるようにして狩猟刀に身をぶつける。
眼前に迫った最後の一匹である香蜂をリリオンは抜き打ちに切り払った。
蜂の一刺しは、勝負を決するに至らない。ただ悪あがきとして、服の余り布を掠めただけに終わった。リリオンが大きく息を吐いた。もうちょっと太っていたら刺されていたかもしれない。
そんな風に思いながら、視線を迷宮の奥に向けた。
目を焼くような赤い光。耳鳴りを引き寄せる轟音。派手だ。
群れを統率する大型個体は芋虫に成り果てていた。虹色に透ける三対六枚の翅は尽くが焼け落ちていて、頭部の半分を占める複眼は青い体液で汚れ濁っていた。細い脚はぱきぽきに折れていたり失われたりしている。
ランタンは戦鎚を肩に担いでいて、何気ない動作でそれにとどめを刺した。突き刺さった鶴嘴に香蜂は大きく痙攣し、ランタンが手首を捻るともう動かなくなった。ランタンは鶴嘴を引き抜くことなく、そのままずるずると香蜂を引き摺って歩いてくる。
おいでおいで、と手招きする仕草がちょっと嬉しくてリリオンは子犬のように駆け寄った。
途中にある大剣を拾い、方盾を拾う。
「いっぱい落とし物したね」
「ちゃんと拾ったよっ」
「それなら、あの死体も拾ってきて欲しかったな」
「……いってきます」
「いってらっしゃい」
香蜂の魔精結晶は翅である。翅であるのだが、あまりそれは高価ではない。
波打っているので嵩張るし、薄いので割れやすいし、何より飛んでると香蜂は鬱陶しいから気にせずにぶった切れとランタンは言った。リリオンはぶった切ったし、ランタンは焼き払った。
それでもいくつかの香蜂は偶然にも翅を残しているので、リリオンはそれを切り取って保存袋に放り込んだ。
そして香蜂を解体する。必要とする部位は針と毒袋である。
針は管状になっており毒腺と繋がっている。無理に引き抜くと毒腺が破れてしまい、何もかもが台無しになる。ランタンは狩猟刀の先端で慎重に腹を掻っ捌いた。
針は先端から腹部に埋まる五センチほどが硬質で、それより先は柔らかくいかにも内臓といった様子だ。毒腺は腸のようにうねって腹部に収まっており、その中ほどが腫瘍のように膨らんでいる。そこに毒の原液が溜まっている。原液は体液と混ぜ合わせ、薄めて針へと流し込まれる。
香蜂の毒はきちんと処理をして適量を用いれば止血や強壮効果をもたらす。そして何より香りがいいので毒液を乾燥させ粉末状にしたものを樹液や蜂蜜で練固めて香としたり、煙草に混ぜ込んで使用される。
だが焚きすぎればやはり毒となって麻痺を引き起こすし、煙草は成分の摂取量が飛躍的に上昇するので注意が必要となる。
原液は毒腺に包まれたまま取り出さなければならない。外気に触れさせると匂い成分が揮発してしまうのだとか成分が劣化するとか理由は色々だが、原液に触れると皮膚がただれてしまうのでそもそも望んでそれを破る人間もいない。
ランタンはまず毒腺と針を切り離す。そして切り口を塞ぐように先端をくるくると結ぶ。そして逆側、根元側もさっと切り落とすと同じように結ぶ。そして針と毒腺を地面に並べると次の個体に取り掛かった。
針は鋭いが武器にはならない。武器として加工するには脆すぎるそれは煙管の材料となる。粉末香を塗した刻み煙草と抱き合わせで販売されていて、娼婦が寝台に寝そべりながら客と一つの煙管を交代交代に咥えたりするのだが、当然リリオンはそんなことを知らないしランタンも知らないことだった。
毒腺は五つ揃うと、一纏めにして保存管の中にべちゃりと放り込まれる。
リリオンは毒腺を縒り合わせるランタンの指先に釘付けだった。
青い体液に汚れる、細い指先は何だか背徳的な感じがある。
器用な指先はリリオンの髪を結ってくれる指先だ。リリオンは自分の髪を結ってくれている様子を想像した。髪を結ってもらう時、リリオンはその指先を見ることができない。
「あ、今すごい探索者っぽい」
「ふえ?」
見惚れているリリオンを余所に、ランタンはそんなことを言った。リリオンには正直なところよく判らない。戦っている姿を探索者っぽいと思えど、地面にぺたりと座った内臓を縒っている姿は漬け物でも作っているみたいだからだ。
リリオンはきょとんとして小首を傾げた。それから少し考えてから言う。
「わたしもやってもいい?」
「いいけど絶対これは破らないように。あと針と切り離すとちょっと毒液漏れるから注意ね。薄まってても肌に悪いから。触っちゃっても怒らないから、ちゃんと言うこと。むしろ隠してると怒るよ」
「わかった」
「じゃあ小さい、いや、でかい方が楽か」
言われるがままにリリオンは指差された大きめの個体を鷲掴みにした。そしてくびれた胴体を捻切って、腹を割った。外皮は硬いがどことなく油紙を思わせる柔軟さがある。中身は冷えた豚脂に似た半固体状で、それは毒腺を守る緩衝材のようだ。甘い匂いは毒が漏れているわけではなく、そもそもの体液がそのような香りなのかもしれない。
リリオンは体液で指を汚しながら毒腺を浮かせた。原液を溜める袋を突くとぷよぷよとしていた。
原液自体も粘性があって、袋も見た目よりも頑丈そうだ。
リリオンは思いがけず手際よく香蜂を捌く。それは魚を捌くのと似ていた。
その横でランタンは長香蜂を解体し始める。長香蜂の毒液は一際香り高く売価も高いが、その代わりに針はほぼ無価値である。管の内径が広すぎて煙管にした時に不格好なのだ。希少価値と言い換えられなくもないけれど、それはただ不人気であるだけだった。
長香蜂の原液はそれだけで縛って、保存缶に入れた。最終的に原液は二十一個も手に入った。針は体内で割れてしまったものもあったので十八個。
リリオンは青く染まった指先を見つめて呟く。
「かゆい……」
ランタンが水筒を傾ける。キンキン冷えた水が流れて、リリオンはごしごしと手を擦った。上手くいったことに気分を良くして、作業がいつの間にか雑になってしまったのだ。
「おそろいだね」
「……うれしくない」
「だろうね」
怒られなかったけれど、ランタンの呆れた声が耳に痛い。
「すぐ済みますから! 大丈夫です、遅れないです!」
渋い顔をする探索者ギルド職員を蹴散らすように、ミシャは原動機を空ぶかしした。ぶおん、と唸る排気音に職員が困ったように眉根を寄せる。
吹かしたミシャも吃驚した表情を作った。
わざとではないのだ。焦っているのか、思わずフットペダルを踏み込んでしまった。
「死んでも文句言わないです!」
ミシャがそこまで言うと職員は渋々といった様子だったが道を空けた。
ありがとうございます、とミシャは大声で叫ぶがその頃には既に職員を背後に置き去りにしている。十分近くも押し問答に時間を取られてしまった。
さっさと通してくれればいいものを、と奥歯を噛んでミシャは起重機の速度を上げた。
いや、恨むのならば区画封鎖という状況を生み出す元凶となったどこかの探索者をだ。探索者ギルドに迷宮攻略の失敗を知られるのを恐れて、どうやら攻略進捗率を改竄していたらしい。
迷宮は生まれ、そして崩壊する。
攻略された迷宮は迷宮を維持する魔精の源、迷宮核を奪われることで一月と持たずに崩壊する。その瞬間はなかなかの見物で、迷宮口の奥からどどどっと地面が迫り上がって口を塞ぐ様子は迫力がある。
攻略された迷宮は迫力があるだけで済むのだが、未攻略迷宮が崩壊すると中に蠢くものどもが地上に湧出することがあった。
特区が整備される遥か以前、例えば下街の未だに整備もされていない惨憺たる有様は迷宮崩壊によって生み出されたと言われている。迷宮特区は地脈の流れを人工的に収束させて、迷宮の誕生を意図的に集めて封じているのだ。
それでも封印は完全ではなく都市の外にも迷宮は生まれ、定期的に騎士団が迷宮攻略隊や魔物討伐隊を組んで出撃していたりする。
湧出するものは迷宮路を跋扈する魔物であったり、その最奥で迷宮を鎮護する最終目標と呼ばれる化け物であったり、その両方であったり。未攻略迷宮でも何事もなく崩壊する場合もあるがそんなことは稀だった。
そのため未攻略迷宮が崩壊する場合には安全のためにもその周囲数区画が封鎖されるのだ。
迷宮崩壊に伴う区画封鎖は珍しいものではなく月に何度も封鎖の通達は受け取っている。
それにより引き上げ屋と探索者は探索計画の延期や前倒しをするのだが、今回は探索者ギルドが改竄に気が付いたのが昨日の今日どころの話ではなく、今日の今日であるらしく多くの人間が迷惑を被っている。
ミシャもまさしく迷惑を被った内の一人だった。
担当する探索者の引き上げ日だというのに、いざその場に向かおうとしたらギルド職員に足止めを食らったのだ。安全を期すためだとは言え、探索者を迷宮で待ち惚けさせることはミシャには耐えがたいことだった。
耐えがたいのは 、その探索者がランタンであるからかもしれない。
遅れないです、と職員に啖呵をきれたのは迎えに行くのがランタンであるからだ。勿体ないと言わんばかりに時間いっぱい探索を継続して予約時間に遅れる探索者が多い中で、ランタンが予約時間を破ったことはただの一度もない。
それはランタンが臆病だからではないかとミシャは思う。
遅れでもしたら不安になって泣いているかもしれない。そんなあり得ないことを想像してミシャはほくそ笑む。そしてその隣にあるリリオンのことを思い出し、いやきっと格好付けるな、と更に笑みを深めた。
少年の孤独が癒されるのなら、それに越したことはない。
ランタンの探索者としての始まりを知っているが故にミシャは祈らずにはいられない。
でもリリオンちゃんも結構怖がりだからな、とミシャは速度を落とさないままに角を曲がった。
遠心力に内臓が偏る。危うく探索者ギルド武装職員を轢きそうになって、ごめんなさい、と、大丈夫ですか、と慌てて繰り返した。武装職員は轢かれそうになったことよりも、封鎖区域に起重機があることを訝しむようだった。それも逃げ出すのではなく、内に進んでいくのだから尚更である。
すれ違う武装職員の数が多くなってきた。
探索者は攻略の進捗率によって、迷宮の賃貸契約を強制的に打ち切られることがある。それはつまり探索者ギルドが攻略不可能だと、その探索班を見限ったと言うことに他ならない。
改竄が許されることではないが、それは探索者にとってはひどい屈辱であり、恥であった。
そして未契約となった迷宮は崩壊までの猶予がある場合には、また別の探索者に貸し出されたり、あるいは猶予がない場合は探索者ギルドから高位探索者へ攻略依頼が出されたり、武装職員が直々に迷宮を攻略することがある。
更に時間が足りない場合には攻略依頼ではなく、討伐依頼が掲示板に張り出される。
崩壊した迷宮から地上に溢れた魔物を速やかに全滅させることが依頼内容である。
魔物だけが現れるのか、それとも最終目標が現れるか、それとも両方か。
あるいは出現しないか。
だが魔物が出なくても一定の出撃報酬は支払われるし、討伐した魔物は探索者の好きにすることを許され、またそれを探索者ギルドで換金すると換金額に色が付く。むろん討伐数に応じた報奨金も出る。
そのため討伐依頼は探索者に好まれるのだが、今回は依頼を出す暇もなかったのだろう。崩壊に対応するのは武装職員ばかりだ。
封鎖していた職員はまだ新米だったのかミシャを通してくれたが、封鎖区画の内側にいる武装職員はピリピリしていて下手に口答えをすると叩き斬られそうな雰囲気があった。
ミシャは武装職員に愛想笑いを向け、目的の迷宮口に辿り着くと大急ぎでロープを垂らした。
予約時間の十五分前。
先端のフックが地面に触れる感触。停止と殆ど同時、すぐに反応が返ってくる。
「さすが」
ミシャは呟く。
「引き上げ開始!」
起重機が唸りを上げた。
ランタン、リリオン、ミシャ!




