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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
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 夕日が窓から差し込んで馬車の内側を赤く染めた。

 ランタンがエーリカに向かって格好を付けてから十時間近くが経過している。思い立ったが吉日とばかりに、ランタンは今まさにエーリカのお手伝いをするべく移送されている。

 お人好しと言うべきか、騙し討ちを食らわせようとした相手のために。そしてグランへの礼としても。

 車内に立ちこめる濃密な金属の臭い。加工されることで、金属はより一層生々しく香る。車内にあるグランの残り香よりも濃く、まさに(かね)の臭いとしてそれは充満している。

 金貨が夕日を反射して輝いている。ちかちかして目に痛いほどに。

 夥しい枚数の金貨を納めた箱が座席に幾つも重ねられている。小切手に記された金額そのものの枚数がここにあった。

 それはエーリカが数時間の内に掻き集めたものだ。必死になって駆けずり回り、時に頭を下げて、怒鳴りつけて、鬼となって言を弄し、ランタンの武威さえも借りて分捕り、集めに集めたそれは商工ギルドが保有する虎の子の金貨(げんきん)である。

 ランタンは硬貨特有の濃い臭いに胸焼けしそうで辟易していた。嵌め殺しの窓を叩き割って換気をしたくなったりもするが、そんなことをすると計画が台無しになってしまうので我慢する。

 それは大急ぎで組み立てた計画とも呼べない代物ではあるが、ないよりはマシなのである。

 割れ窓の馬車では充分な示威を望めない

 人目を引く馬車はこの金貨を更に輝かせるための小道具である。

 金貨で満たした箱をリリオンが崩れぬようにと押さえている。そして箱を挟んで逆隣には探索直後の休暇を満喫していたパティ・ケイスが同じようにそれを押さえていた。

 ケイスはランタンたちのように怪我こそしていないが、牽引によって酷使した肉体は疲労を痛みとして宿している。普通ならば死んだように眠っていても誰にも文句を言われない身分であったが、無遠慮なエーリカの呼び出しにケイスは一も二もなく応えてやって駆けつけた。

 顔つきに疲労はあったが、それよりも緊張が目立っている。膨大な金貨を目の前にしたからではない。これから古巣へと戻るからだ。

「ギルドには久しぶりですか?」

「ええ、まあ。……探索者を辞める時、ギルド証を返しに行ってそれ以来ですね」

 探索を辞めることと、探索者を辞めることは似ているようで少し異なる。

 ギルド証を所持している限り探索者は永遠に探索者だ。迷宮から足が遠のいて久しくとも、酷い犯罪でも犯さぬ限りはギルドからギルド証の返却を求められることはない。

 それを自主的に返すと言うことは、完全に迷宮と決別することに等しい。等しいとランタンは思っていたのだが、ケイスは結局迷宮に戻ることを決意した。

「……本来は私たちがやるべきだったんですけどね」

 ケイスの言う、私たち、は商工ギルド所属の運び屋を指している。運び屋の総数は実動に耐えうる者は十名、研修中の者が十八名いる。少数精鋭と言えば聞こえがいいが育成費の不足と、ここでも足を引っ張るのは周知不足の結果である。

 そして実動に耐えうる者の内、その半数の五名が元探索者であるのは、それだけ元探索者が迷宮に戻るために足掻いたが故であった。迷宮はなかなかに業の深いものである。

 元探索者が昔の伝手を使って営業をかけることができれば、もう少し商工ギルドの状況も変わっていたのかもしれない。だが彼らは再び迷宮に戻ることはできても、昔の仲間に合わせる顔を持たないようだった。負い目から、探索者ギルドには足を向け難いのだろう。

「そのせいでランタンさんにも迷惑を掛けてしまって申し訳ないです」

「特に迷惑というわけでは……」

「エーリカに、私は気づくことができませんでした」

 ケイスはエーリカから何も聞かされていなかった。

 エーリカに連れて来られたケイスはそれを知った時に、驚き慌ててランタンたちに謝った。まるで知らぬ事が罪であるとでも言うように。

 結局エーリカの企みは実行されることなく破棄されたのだから、ランタンは謝られても戸惑うだけだった。気にしないでください、と本心から言ったのだが、気にしていないのはランタンばかりだった。

 ケイスは気づけなかったことを強く悔いていた。そしてそれを見抜いた(グラン)に対して少しばかりの嫉妬心を持っているようでもあった。女性特有の、友人に対する独占欲は幾つになっても失われないのかもしれない。

 あるいは企みがランタンの契約拒否を引き金にしていたことが、ケイスに負い目を感じさせる一因なのかもしれない。自分がもっと上手くやれていればランタンは契約を更新した可能性が僅かでもある、とそのような思いを強く持っているようだった。

 人見知りという己の子供じみた性質が申し訳なくすらあった。

 けれども、とランタンは思う。

 グランが間に入らなかったとして、エーリカは偽りの契約書をランタンの前に出しただろうか。

 今となってはそれを確かめる術はないのだが、エーリカは結局用意したそれを使わなかったのではないか。ケイスが気づかなかったのは、その所為なのではないかと思った。

 それはエーリカとケイスの間にある信頼関係が目に見えたからだ。

「エーリカさんと仲良いんですか? 昨日も思ったんですけど」

 少なくともエーリカはケイスに大きな信頼を抱いていると言うのはわかる。だからこそエーリカはケイスをランタンの随行に選んだんだろうし、だからこそ極度の疲労状態であるとわかっているのにもかかわらずケイスを頼ったのだろう。

 そしてそれに嫌な顔一つ為ず応えたケイスもまた同様にエーリカを。

 二人の立場だけを抜き出せば上司と部下だが、その関係は対等である。友人か、それとも親友か。あるいはその遠慮の無さは家族と言ってもいいぐらいに思えた。

「そうですね。友人か、……んー、なかなか難しい関係ですね。エーリカには拾って貰った恩もありますので」

 ケイスはそう言って懐かしむように笑った。その笑みがケイスの顔の中にあった緊張を打ち消した。

 探索者を辞めたはいいものの、何をするでもなく飲んだくれていたところに現れたのがエーリカだとケイスは言った。

 探索者を辞めても、すぐに身体が鈍るわけではない。魔精による身体強化の影響で悪い酒でも殆ど酔うことのないケイスは、その事への苛立ちもありエーリカに絡んでいったらしい。

「今思うと質悪いですね。酒に酔えればよかったんですが、その時は苛立ちにこそ酔っていたんでしょう」

 そして絡まれたエーリカは怯えるでもなく、ケイスを睨み付けた。その時のエーリカは絡んでいったケイスがどん引きするほどにすでに泥酔していたらしい。その頃既に商工ギルドの運営に困っていてエーリカは酒に逃げていたようだ。

 目が据わって、声が低く、呼気が酒精に濡れていた。

「私が酔っ払いそうなほど酒臭かったですよ。そのくせ口調がはっきりしていて。いやあ、あれは怖かったな」

 そこからは始まったのは理路整然とした愚痴であったらしい。商工ギルドの現状であったり、商人ギルドの守銭奴さにであったり、職人ギルドの頑固さにであったり。己の無力さであったり。心の底の底までをエーリカは初対面のケイスに吐き出し、ケイスはケイスで愚痴を聞くだけだと割に合わないとばかりに同じように心を晒した。

 不幸自慢にならなかったのは、互いが喧嘩腰だからだった。酒を煽る速度はどんどんと加速した。

「話してみないとわからないものですね。一人グラスを傾けるエーリカはちょっとお高くとまってる感じがして私の嫌いなタイプに見えたんですけどね。今よりだいぶ痩せてましたし。あ、これはナイショでお願いしますね」

 ケイスはしまったという顔を作り、結局は笑った。ランタンも釣られるようにして微笑みながら頷く。

 笑っていないのはリリオンばかりだった。しょうのない子、とランタンは手を伸ばす。

 なおざりに箱を押さえるリリオンは夕焼けに目元を赤く染めながら窓の外を眺めてふて腐れている。口角が不満を隠そうともせずに下がって、結んだ唇がたまに震えように息を吐いた。

 リリオンはランタンがエーリカを手伝ってやることを上手に消化できずにいるようだった。ランタンのことを騙そうとしたのに、といじける頬をランタンは両手で挟んで持ち上げた。視線を合わせるとリリオンはさっと眼差しを伏せた。

「ねえ、僕変な臭いしない?」

「……ランタンは良い匂いよ」

 痒み止めの軟膏はその異臭の殆どを揮発させたのか、ほぼ無臭と言ってもいいほどに臭気を薄れさせている。だがそれでもランタンの神経質な嗅覚は僅かに残る雑草を磨り潰したような青臭さを知覚している。

 だがそれでもランタンはそんな素振りは少しも見せずに、リリオンの言葉を受け取って嬉しそうに頷く。それを見て閉ざされたリリオンの口元が僅かに緩む。

「これから格好付けなきゃいけないからね。臭かったら台無しだよ。せっかく身綺麗にしたのに」

 身体を包む戦闘服は商工ギルドが用意したものだ。

 既製品を仕立て直したものだが、それでも互いの身体に合わせてちゃんとした職人が手がけているために、小さいランタンの身体でさえスタイルを良く見せる。もともと手足の長いリリオンに至っては、どのような技術を使ったのかまるでわからないが胸が三割増しで大きく見えた。子供同然の細っこい体付きではなく、まるっきり女のようだ。

 整備に出した装備は残念ながら間に合わなかったので、取り敢えず見栄えの良い装備を借りた。

 戦鎚は竜革を巻いた束に、柄は白鉄。柄頭は獅子の頭部を模してあった。鎚頭は獅子の口に加えられた黒曜石で、反対は鶴嘴ではなく放射状に逆立った(たてがみ)棘星(スパイク)となっている。性能面ではさておき、価格だけで言うとランタンの愛用する戦鎚よりもデザインの分だけ高価である。

 そしてリリオンは白鞘の美しい大刀を借りている。それを肩に立てかけている様子は、まるで三日月を担いでいるようだった。夕焼けに燃える。それは日が落ちる前に輝き出すせっかちな月である。

 ランタンは片手をリリオンの頬に残したまま、夕日に濡れる己の黒髪をくるくると人差し指に巻いた。濡れタオルで拭くだけだった髪も洗った。流石に怪我もあって風呂にはまだ入れなかったが、露出する皮膚は徹底的に清めてある。

 だが青白い頬はそのままだった。

 化粧でもして誤魔化そうかという案もあった。だが盗み聞きしたケイスの言葉が真実ならば、この青白い顔の方が受けが良いのである。ランタンはこれから変態どもと対峙しなければならないのだ。

 ランタンはやけくそ気味に喉を震わせて笑う。せいぜい弄んでやるさ、と強がる。

 その艶然とした笑みに、容易くリリオンが弄ばれて赤面した。ランタンは調子に乗って少女の頬を撫で、唇を(つつ)き擽る。

「ほら、笑って」

 じっと見つめるランタンにリリオンは恥ずかしそうに微笑んだ。可愛いよ、とランタンが甘ったるい声で言う。ケイスが寒気を堪えるように腕を擦った。

「ランタンさんは、いつも通りでも充分でしたでしょうに……」

 ケイスは少し引いていた。呆れるようにランタンを見つめて、リリオンに同情的な視線を寄越した。

「やるのなら徹底的にやらないと勿体ないですからね。せっかく下準備もしてあるようですし、最大戦力をつぎ込まないと。それにケイスさんの凱旋でもありますからね、せいぜい派手に行きましょう」

 お手伝いの内容は単純で、それはひたすらにランタンが目立つことにある。ランタンは己にどれほどの広告的価値があるかは半信半疑であったが、取り敢えずエーリカの言葉を信じてみたのだ。徹底的にやらないと、半信半疑が二信八疑ぐらいになってしまう。

 それにエーリカは、ランタンを引きずり込むための布石を既に幾つか打っているようだった。

 一つは金蛙の脚を積み込み街中を闊歩した大きな荷馬車であり、もう一つが朝に迎えに来た、そして今現在乗車しているこの馬車である。

 荷馬車はこれほどの獲物が揚がったぞと辺りに喧伝することを目的としていた。

 ケイスに支給された肉体活性の魔道薬はそのためのものだ。普段ならば諦めるほどの重量を、ケイスの肉体の限界ぎりぎりの超重量、大容積を持って帰らなければ探索者たちに見せびらかすことはできない。

 そしてその目論見は成功した。最終目標が何であるかは完全に運任せであったのだが、それがランタンの運なのか、それともエーリカの虚仮の一念が実を結んだのかはわからない。

 見栄えの良い魔物。例えば竜種に代表される討伐難易度の高い魔物。物質系ならば一目で逸品とわかる高機動鎧。呆れるほど巨大な人形(ゴーレム)

 そうでなくともどこからともなく良い匂いがするとか、七色に発光しているとか、大音量で鳴り響いているとか。

 何でも良いから目立つ物をと願った末に現れたのは黄金、の偽物だった。

 偽物でもエーリカの目には本物以上の輝きに見えたようだ。ランタンが勘違いしたように多くの探索者はそれを黄金だと認識し、疑いの眼差しを持つような目の良い探索者もなおのことその重さを持ち帰った手練に関心を抱く。

 そして第二の布石は、誰がその獲物を捕らえたのかを知らしめ、同時にランタンと商工ギルドの関係を広めるような意図があった。

 ランタンを荷馬車に乗せての凱旋(パレード)、翻る旗、探索者ギルドに横付けされる馬車。

 ランタンがその探索手法から魔精結晶ばかりを持ち帰ることは多くの探索者に知られていることである。そのランタンが黄金を持ち帰ったとなれば噂は一気に広まる。一体どこの運び屋を雇ったのだ、とエーリカの目論見通りに。とは残念ながらいかなかった。

 ランタンと黄金と商工ギルドをキーワードとして広まるかと思われた噂は、残念ながら最も重要な商工ギルドという言葉が抜け落ちてしまっていた。ただランタンが黄金を揚げたぞと、そればかりであったらしい。

 昨日の今日なら仕方がないだろうと思うのだが、どうにも周知が足りないのは派遣業のことばかりではないようだ。

「……まあ商工ギルドのギルド旗を見てもぴんと来る探索者は、……少ないでしょうね」

 少ないではなく、いないのだろう。

 ケイスは苦笑いをしている。知られていないものを語る者はおらず、よしんば少数知っている者がいたとしても、その言葉はより大きく輝く二つの言葉に掻き消されてしまう。

 それだと困るのが私費で馬車を用意したエーリカで、ランタンだった。

 噂が広まれば破落戸同然の探索者に絡まれ、(たか)られる未来が目に見えていた。それらを無視することは簡単だがあしらうことは難しい。

 奴らときたら意地汚い乞食どもより質が悪いのだ。施しをくれてやる理由などどこを探しても一つも見つからないのにもかかわらず、恵んでもらえることを当然と思っていて、それが貰えないとわかると口汚く罵ってきたりもする。正直殺してやりたいし、人目のない下街辺りで絡んできたら殺している。が奴らは狡猾で、人目のあるところでしかそれをしない。

 己がひもじくて、金が無くて、哀れな生き物であることを周囲に見せつけることに抵抗がないのだ。彼らに同情を抱くものは多くはいないが、けれど少数はいてランタンを責めることもある。

 そして絡まれていると正義漢ぶった探索者がやって来てそいつらを追い払ってくれるのだが、代わりとばかりに正義漢がランタンに絡んでくる。困っているところを追い払ってもらった恩もあるのでランタンは彼らをあまり無碍にできないが、そうなると彼らは彼らで調子に乗り出す。やはり鬱陶しくて、殺してやりたくなったりもする。

 そういった予想される困難の矛先を逸らすためにも、ランタンはエーリカを手伝うのである。

 黄金が衆目に晒された昨日の今日、噂は広まりかけていると言ったところだ。導火線に火がついたこの状況で、爆発を操作することができるのは今しかなかった。

 面倒事は纏めて吹き飛ばすに限る。輪唱のように次から次へと絡んでくる者の相手をするぐらいならば、探索者どもを一網打尽にしてまとめて商工ギルドに押しつけてしまおうと言うのがランタン望みであり、それこそがエーリカの望みでもある。

 それにランタンはちょっと見知らぬ人間と話をしたい気分でもあった。もしかしたら、と思うことを確かめるためにも。

 甘噛みされる指先をランタンは唇からそっと引き抜いた。リリオンに笑いかけ、ケイスに頷きを送る。馬車が停車して、一秒、二秒。時間がゆっくりと流れるようだった。二人が腹を括るようにランタンに頷き返した。

 馬車の扉はまだ開かない。圧力を高めるように閉ざされた扉の外側に、不躾な視線が幾つも突き立っているのがわかった。

 探索者ギルドの目の前で、暇を持て余す探索者たちを引き寄せるためにたっぷりと馬車は停車し、沈黙する。好奇心を煽るように勿体ぶって。

 そしてついに最後まで付き合うこととなった哀れな御者が、やけっぱちも同然に一流の舞台役者もかくやとした堂々とした立ち振る舞いをみせた。王どころか神を出迎えるように恭しく扉を開く。

 ランタンは馬車の中で堪えきれぬように笑い声を漏らした。

「――さあ行くか」

 その声を合図にまずケイスが馬車から降りた。どさりと地面に下ろされた折り畳みの台車が、バネ仕掛けによって自動的に組み上がった。ケイスが台車に足を掛けて、引き手を強く引っ張るとパキンと音を立てて各部が固定される。

 それは台座だ。光り輝く宝石を抱かせるための。

 馬車の周囲には充分な数の探索者がいた。朝に見た馬車のことを知っている者も何人もいるようでざわざわとしている。

 ケイスが馬車の外から手を伸ばし、金貨で満たされた箱を手に取った。ご丁寧にも蓋は取り外してある。せっかくきらきらしている物を隠すのは無粋だとでも言うように、恥知らずの女のように開けっぴろげにしている。

 男どもの視線は釘付けだ。

 まず一つ、箱が台車に積まれる。じゃらん、と乱暴に積まれて箱の中で金貨が身じろぎをするように音を立てた。衣擦れならぬ金擦れの音色に誰かがゴクリと唾を飲んだ。そしてどよめきが広がる。

「あれ全部そうか……?」

 もう少し勿体ぶった方が良かったかな、とてきぱきと働くケイスをランタンは見下ろした。

 ケイスはやはり緊張しているようだった。馬車を取り囲む探索者の方を一度も振り向かず、ただひたすらに積み出し作業をしている。作業に没頭すれば、たとえそれが振りであったとしても平静を装うことぐらいはできる。

「おお……!」

 ただのどよめきが感嘆に変わった。金貨の詰まった箱が一つでは終わらず、二つ、三つと重ねられていくのだ。そのどれもが底が抜けそうなほどに重たく、表面張力でも発生させそうな程に満たされている。

 高額鑑定は週に一つ二つと出ている。だがその場合は小切手を渡されるだけで、現実に目にする金貨は引き出して持ち歩ける分だけだ。祝い酒を飲むために酒場を貸し切ったとしても、革の袋に詰め込んで片手に掲げて重たげにする程度の枚数でしかない。

 それに高額換金は週に一つ二つ出ていても、超高額換金ともなると年にそう何回もない。その何回もない内の一つが、まさに探索者の目の前にあった。

 ふふふ強欲な豚どもめせいぜい集まって目を眩ませるがいいさ、とケイスが緊張するようにランタンもこっそりと混乱しているのだった。

 辺りには黒山の人だかりができている。予想よりも人の集まりが早かった。迷宮に行けよ、と元も子もないことを思う。

 ケイスばかりに視線を集中させてしまっては可哀想であり、どうせ衆目に晒されるならばさっさと飛び出して腹を括りたかった。

 だがそれでも最後の一箱が頂きに積まれるまでランタンは堪えていた。いよいよ、と思って顔を上げたらリリオンの顔面が蒼白になっている。

 いっぱいいる、とまるで不快害虫の大群でも見つけてしまったような怖気のある声で少女は呟いた。その瞬間ランタンは背筋が伸びた。

「留守番でも良いよ」

 混乱を隠し、不敵に笑う。それは本心だった。けれどリリオンは首を横に振った。

「……行く」

「よし上等。蹴散らしてやろう」

「うん、みなごろしね」

 発破を掛けるとリリオンの気合いは空回りをして、だが恐怖も何もかも混乱の中でどろどろに溶けた。ランタンもリリオンも何故だか競い合うように馬車から飛び出した。リリオンは戦意満々と言った様子でさっと周囲を一瞥し、ランタンは跳び出した勢いとは裏腹に堂々とゆったりとした佇まいでいた。

 この程度の光景は当たり前だとでも言うように。

 どよめきが急に凪いで、しんと静まったかと思うと喧しいほどの視線がランタンに突き刺さった。ふ、と息を吐く。頬に貯めた淀みを吐き出すと、丸い頬が顎先にまでほっそりとした線を描いた。

 戦闘時ほど完全に意識を切り替えることはできていない。

 だが意識を集中させて一心不乱になれば、たとえそれが振りであっても平静を装うことはできる。

 リリオンの前で格好を付けること。

 ランタンは金貨の燦めきに手を伸ばした。

 碁石でも摘まむように人差し指と中指に金貨を一枚拾い上げる。ねっとりとした視線がその燦めきを追った。事も無げな動作でそれが置かれる。打ち合わせのない行動だったが、それでも知っていたかのように仰向けにして差し出された御者の、白い手袋に包まれた掌に。

「ありがとうございます」

「――帰りもよろしく」

 掌が拳になり、それが握りしめられると悲鳴が上がった。

 箱一杯の金貨の内、たった一枚。

 けれどもそれで買えるものは様々で、一般市民であったら一家族が一月の間、全く飢えることなく過ごすことができる。探索者的に表現すれば、それなりに効果のある魔道薬が一服購入できる。その一服を用意していたおかげで生き延びる探索者がいたり、その一服を惜しんで死んでしまう探索者がいたりする。

 金貨は一般市民にはあまり縁のない高額貨幣だが、探索者とそれらを相手に商売をする者たちには見慣れた物だ、だが、たった一枚とは言え気軽に渡すような物ではないということに変わりはない。

 不公平がないように後でケイスにも渡さなければ。いや、今渡した方が効果的かな、などとランタンは混乱渦巻く群衆(ギャラリー)の事などお構いなしに、それらを更に混乱の渦に叩き落とすようなことを考えていた。でもちょっと下品だったかな、とも。

 しかし探索者たちにはこれぐらいわかりやすく下品な方が受けが良いようだった。悲鳴がやんやと喝采に変わる。俺にもくれ、とかなんとかそんな下品なヤジが飛び交って、けれどもランタンたちは遠巻きにされている。

 金貨の山に目が眩んで突っ込んでくる者はいない。それを奪ったところで逃げ出すことはできないし、みなごろし、の言葉の通りに周囲へと殺気を撒き散らすリリオンの左手は大刀の柄にそっと添えられている。間合いに入った者を斬る、と無言で叫んでいるようなものだった。

 ランタンは前に出されたリリオンの右の太股を叩いた。落ち着かせるというのもあり、そのままでは抜刀時に自分の足を切りかねないからだ。そして叩いた手を大刀の柄に掛けて、腰に差した刀を寝かせた。

 花が萎むようにリリオンの殺気が霧散していく。

「さ、行くよ。ケイスさんもね」

 ランタンが探索者ギルドを真正面に見据えると、不可視の力が働いたように探索者が道を空けた。引いてくれる彼らに小さな会釈と笑みを。

 予定では先頭はケイスの筈だったが、ランタンが先を歩いた。ケイスとリリオンが並んでその後ろを付いてくる。

 注目を集めて歩く。規模の大小はあれどランタンはそれが初めてのことではなかった。相変わらず気分の良いものではない。いつもと違い今回は自らが望んでそうなっているのだが、まるっきり見世物も同然だった。

 それでもランタンは顔色一つ変えなかった。

 金の匂い、儲け話の匂いを嗅ぎつけた探索者たちがランタンたちの後ろを付いて、同じようにギルドへと足を踏み入れる。開け放たれた扉から夕日が逆光となって群れを照らす。

 先頭に立つランタンは炎の中から生まれたかのようである。

 ぞろぞろと群れを成すそれはなんとも奇妙な光景で、玄関口広間(エントランスホール)にいた探索者たちが何事かと騒ぎ出した。事情を知っているお節介な探索者が、話を伝播していく。

 顔色一つ変えないランタンはけれど内心に混乱の萌芽を感じ取っていた。視線が痛い。

 収拾つかなくなりそうだな、と半ば諦め気味に、そして残りの半分は真面目さからくる責任感に駆られながら思う。

 エーリカの気持ちが少しわかった。

 追い詰められるというのはこういうことだ。真面目さが混乱によって暴走し、馬鹿みたいな思考に走る。いざとなったら本当に全員を蹴散らしてやろう、とランタンは心に決めた。みなごろし、にするかどうかはまだ決めていない。

 けれど。

 やるんなら徹底的に。ランタンは口の中で言葉を呟く。

 お手伝いは始まったばかりだ。


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