064 迷宮
064
リリオンとケイスの頑張りにより早々に迷宮口直下に戻ってくることができた。
帰路道中、魔道薬の影響で精神が高揚しているのかケイスはランタンが休憩を提言するまで休むことを知らず、先にへばったのはリリオンだった。
リリオンは歯を食いしばり、息が上がろうとも弱音の一つも零さなかった。だが体力が空になる前にランタンが休むように言い聞かせた。体力零で休憩するのと、多少なりとも余っている状態で休憩するのでは回復の度合いが大きく変わってくる。
迷宮の総延長八十キロ超。
何度かの小休憩を挟み、リリオンの助力もあったもののケイスはそれを十二時間と少しで踏破した。約一トンの荷を牽引しながら。
それは下手な探索者よりも余程に上等な身体能力であり、こと持久力だけを抜き出せば魔道薬による底上げがあるとしてもランタンに比肩するか、あるいは上回っているようにすら思えた。
鬼神じみた戦闘能力を保有するランタンの最大瞬間出力は他の追随を許さなかったがその実、基礎的な筋持久力や心肺機能は平均的な探索者に毛の生えた程度の能力でしかない。もしかしたらそのような不安を本能的に感じ取っているからこそ、戦闘において短期決戦を好むのかも知れない。
何で探索者を辞めたのだろう、と滝のように汗を流すケイスをランタンは見つめた。
迷宮内部の気温は暖かくもなければ寒くもない。だがケイスの身体からはほかほかと湯気が立ち上っていた。汗で濡れた髪をケイスが掻き上げると、毛先から絞ったように汗の粒が散った。
最後まで投げ出すことなく荷車を押し続けていたリリオンも相当に疲労しているようで、肩を大きく上下させ荒い息を整えようとして、それに失敗していた。
犬のように舌が出ていて、乾燥した唇に一筋の赤い亀裂がある。頬から首がぽっと赤く、汗の粒が浮いている。襟元を広げて空気を送り込むと、鎖骨に溜まった汗が溢れて身体を流れた。
「お疲れ様」
一人涼しい顔のランタンは口中で痛み止めを飴のように舐め溶かしながら荷台を降りた。
自分で歩くよ、と言ってもそれを許可されなかったランタンはずっと荷台に押し込まれたままだった。半日ぶりの地面の感触に足元がふらつく。そんなランタンをリリオンが顎から滴る汗もそのままにさっと肩を抱いて支えた。
体温がはっきりと感じられる。雨に降られたように服がぐっしょりと湿っており、体臭が強く匂う。風呂に入れていないせいでちょっと臭い。
「平気だよ。脚は怪我してないんだから」
ぽんとリリオンの背中を叩いて、その腕の中から抜け出す。リリオンは声も出ないようで無言のままに頷いた。ランタンを支えているのか、それともランタンに寄りかかっているのかわからないような状態だった。
そんなリリオンに水を飲ませてやりタオルを渡してやった。そしてケイスにも。
「お疲れ様です。おかげさまでたっぷり時間がありますから充分に休んでおいてください」
「あ、ありがとうございます」
ケイスも輓具を外して汗を拭いた。
顔から首へ、そして服の裾から手を入れる。ランタンの存在や視線などには無頓着な、それは何とも男っぽい粗野な仕草だった。重たげな胸を持ち上げてその下を拭くのは女性にしかみられない仕草であったが。
ランタンは一瞬それが何をしているのかわからず、それに輓具から解放されたケイスの胸が金蛙の目玉よりも大きくて、幽霊を見たかのように吃驚してしまった。
そしてランタンはどぎまぎと目を逸らした。
視界の端に、引き上げられた裾から覗く引き締まったケイスの腹筋が映った。無駄のない鍛え上げられた肉体がそこにある。日焼けした肌との対比で色が幾らも白く見えた。
運び屋業が見習い探索者の下積みとされる理由のよく理解できる筋肉だった。基礎体力の向上にこれほど効果的な訓練もないだろう。探索の雰囲気を知ることができ、探索者と顔を結べて、身体も根性も鍛えられ、その上に給料も得られる。
至れり尽くせりだな、とランタンは行きとは全く正反対のことを思った。
行きには悪い面ばかりを考えてしまったが、良い面があるからこそその風習が根強く残っているのだろう。そしてその良し悪しは雇い主の匙加減一つで決まる。
「それでランタンさん、どうしますか?」
目を逸らすランタンにケイスが尋ねた。
ランタンの逸らした視線の先には服を脱いだリリオンがいた。身体を丁寧にタオルで拭いており、上半身は何も身に付けていなかった。
濡れた服を着ていると風邪を引く。そう教えたのはランタンだった。
白く細い裸身はオウトツがなだらかで目に優しい。何となくランタンはほっとしてそれを見つめる。ドキドキしていた心臓が落ち着いてくる。
「このまま待ちますよ」
どうする、と言われても引き上げ屋が来るまで探索者は待機することしかできない。と言うわけでもなかった。
予約時間まで待機してはいられない切羽詰まった状況はままある。
生命の危機に瀕し、のんびりと引き上げ屋を待っていられない時に探索者は救援の信号弾を迷宮口に向かって打ち上げる。それは火薬仕込みの発射薬の場合もあるし、手榴弾のように投擲する場合もある。どちらにしろ運が悪いと魔精の霧に阻まれ、飲み込まれて地上に届かないこともあった。
ともあれ信号弾が打ち上げられると助けが来るのである。
それは近隣で手隙になっている引き上げ屋であったり、救援信号を観測した迷宮特区を巡回しているギルド職員から契約している引き上げ屋に連絡が行ってそれから出動準備、と言うようなこともある。
前者ならば五分もかからないが、後者であると早くても救助が来るのは三十分後で、最悪の場合は無視されて永遠に助けが来ないこともある。その程度のものである。
そうして助けられた探索者は問答無用でギルド医務局に連れて行かれる。
それにかかった費用は治療を受けた当人ではなく、信号弾を打ち上げた探索班に請求される。緊急引き上げの費用から医務局までの運搬、そして治療費に至るまでを全てひっくるめて探索者ギルドへと支払うことになり、それは基本的に探索者ギルド銀行口座から問答無用で強制徴収される。
そのため貧乏探索班には助けが来ないと噂されたり、そもそも口座を持っていない探索者は信号弾を打ち上げる権利が無いと職員が宣っていただとか、まことしやかに囁かれている。
そのため救援を呼ぶ際に探索班内で人命と金銭が秤にかけられたり、その強制徴収の精算をどうするかで軋轢や葛藤等々も生まれたりする。命あっての物種と言うが、その種が不和を芽吹かせることも珍しくない。
ランタンにはあまり関係ないが。
「しかしそのお怪我は……」
「こんなもの何でもないですよ」
ランタンは信号弾を所持していなかった。単独探索者であった頃、それを打ち上げる必要があるほど酷い場合にはそもそも迷宮口直下に辿り着けないからだ。
今はリリオンも居ることだし用意しなければ、と脳内の買い物のリストに一つ付け加える。
荷車には信号弾が積み込まれているようだったが、やはりランタンはそれを使う気が無かった。戦闘の被害はリリオンやケイスがどれほど心配しようともランタンにしてみれば何時もの怪我に過ぎない。
「この程度で助けを求めたら他の探索者に笑われますよ」
笑われるぐらいならばよいが、ミシャに余計な心配をかけることは嫌だった。小言を聞くのは面倒だし、それを言わせるのはとても申し訳ない。
平気平気、と言い放ったランタンにケイスは微妙な表情となったが、結局は黙って納得したように頷いた。怪我をしている本人が言うなら、といった感じだった。
「ランターンっ、わたしの着替えがないよう!」
「そんなわけないでしょー、――失礼」
リリオンに呼ばれてランタンは少女に歩み寄り、素っ裸の上半身をマジマジと眺めた。
雷撃による熱傷、電紋は浮かび上がってない。白くて綺麗だ。ランタンは安心して視線を外し、背嚢の底から着替えを取り出してリリオンに着せてやった。
そのついでに髪を解いてやりきつく絞ったタオルでしっかりと拭き洗いをし、更に梳いてやった。汗に濡れたまま長いこと縛っていたせいで髪には強く癖が浮かんでいる。髪が炎のように波打っていて少しだけ高飛車な印象をリリオンに付け加えた。
「お二人はまるでご兄妹のようですね」
「僕がお兄さん?」
「ええ、勿論」
ランタンが少し笑う。
それから食事をして、その時にふとランタンは気が付いた。
リリオンとケイスが何やら仲良くなっていることに。
二人は協力し合いランタンを運んだことで打ち解けたのか、それともランタンが寝こけている間に何か他の切っ掛けがあったのかはわからないが、リリオンはよくケイスに話しかけてケイスも快くそれに応えた。
世間話ではなく、それは運び屋についてのことであったり、探索者の、あるいは探索そのものについての質問だった。ランタンはほとんど二人の会話に口は挟まず、ただ聞いているだけだった。それらは思いかけず興味い話である。
基本的な探索のイロハから、灰色の裏技まで。どちらもランタンは知らなかった。
「――迷宮に入ってすぐに大物を仕留めた時なんかはですね」
運び屋を雇っていようとも何でもかんでも荷台に積み込めるわけではないし、荷物が増えると言うことは探索速度が遅くなると言うことで、出鼻を挫かれるのは誰だって面白くない。
例えばその仕留めた魔物が是が非でも持ち帰りたい貴種であった場合には即座に帰還を選べるが、帰還するほどではないが捨て置くのは惜しい、だがそれを牽引して迷宮を進むには重すぎるというようなことの方が圧倒的に多い。
運び屋を鞭打ったってその重さが軽くなるわけではないことは、流石の探索者も承知している。それを知った上で横暴に振る舞う者も多いらしいのだが。
迷宮内にそれを放置して先に進むと、余程の幸運に恵まれない限りそれは迷宮に取り込まれてしまう。それは物質系魔物の残骸も探索者の手を離れた装備も、討ち果たした魔物の死体も討ち果てた探索者の死体も、分け隔て無く。
それを防ぐには人間を側に置いておくしかないとされている。それを所有している状態にしておくのだ。
だがそのために探索者を一人残していくのは探索資源の戦力的な喪失となり、運び屋を残していくとなると探索資源の物質的な喪失となる。それは探索計画の破綻を意味する。
進むか戻るかの二者択一は、その実抜け道があるのだとケイスは言った。
「迷宮は生き物を取り込まないんです。ですから大抵は――」
鼠ですね、とケイスは続ける。
ランタンとリリオンが揃って首を傾げて、側頭部がこつんと衝突した。痛くはなかったがリリオンが甘えるように側頭部を擦りつけてくるので、ランタンは頭を撫でてやった。
そして話の続きを促した。
「ふふ、袋詰めした生きた鼠をそれに縛り付けたり、上に乗せたりしておくんです。どうやら迷宮は生命に反応しているらしくて。……まあ探索者たちが勝手に言っていることなのですが」
過去様々な探索者が昆虫爬虫類両生類等々、種類を問わず小さな生き物を迷宮に持ち込み試みたようだが、哺乳類の保ちが一番良いと言う結論に達したらしい。
口を挟まなかったランタンだが、そこだけは思わず口を挟んだ。
それは灰色の裏技ではなく、明確な黒色だからだ。
迷宮内には基本的に人間だけしか侵入を許されてはいない。運び屋の仕事を輓獣が取って代わらないのは迷宮内の空気や魔物を輓獣が恐れるからで、それを克服させるためには膨大な時間と費用と労力が必要で、更に言えば恐怖を克服した獣は輓獣にしておくには勿体ないからだったが、そればかりが理由でもなかった。
迷宮は様々なものを取り込み、再利用する。
迷宮に捨てた剣が飛刀となることもあれば、魔剣となって機動鎧の装備となっていることもある。在野の迷宮に迷い込んだ獣が魔物化し新種となることもあれば、最下層を鎮護する最終目標となることもある。
未帰還者が探索者の前に立ち塞がることも。
魔物の全てがそういった素材を再利用したものではなかったが、それでも人間以外の生物を迷宮内に持ち込むことを探索者ギルドは許可していなかった。不用意に魔物を増やすべからず、というもっともらしい理由は迷宮内に限った話ではない。
生き物のを迷宮に持ち込み、それを地上に戻した時、魔精に汚染された獣が魔物化していた。そこまでいかずとも凶暴化していた例がある。血が紫に染まった魔精中毒者のように。
「怒られないですか?」
「まあ、それは……」
聞いたランタンにケイスは言葉を濁した。見つからなければ怒らない、とそう言うことなのだろう。ランタンは少しばかり呆れたように肩を竦めた。
たかだか小鼠の数匹を恐れる探索者はいないし、そもそも規則は破るために存在した。そして迷宮に持ち込んだ鼠は帰還の際に殺傷して持ち帰るという暗黙の規則も存在するようであったが、それもどれほど守られているのかは怪しいものである。
「ねえランタン?」
「なに?」
「大鼠ってもしかして」
「あー……」
「ケイスさん?」
「あー……ごほん、ええっとまあそれの成功率は七、八割ぐらいですかね」
「ケイスさんもやったことがあるんですか?」
「やったことのない探索者の方が少ないですよ。……私も初めてやった時はドキドキしたものです。その、捕まえやすかったので蛙をですね。まあげこげこ鳴かれて失敗したのですが」
話を逸らされたことも忘れてリリオンが遠慮なく笑い、ランタンも少し微笑んだ。
そしてリリオンはまた別の話をせがんだ。
ケイスはずいぶんとよく喋った。相変わらず話し方は木訥としていたが、ぼそぼそとはしていなかった。
だが何となくランタンはケイスの言葉やその雰囲気に、己を気にしているような素振りを感じ取り、程なく中座して毛布に包まった。
怪我を理由にすればそれを引き止めるものはなく、付いてこようとしたリリオンをその場に押しとどめる。
探索者歴の長いケイスの言葉はリリオンの為になると考えたからで、無邪気なリリオンはランタンとは違って質問が上手だった。ランタンが偽の寝息を立てると、ケイスの言葉尻が柔らかくなったような気がする。
ランタンは二人の会話を盗み聞きするような形になった。
リリオンの声はよく通る。幼く高く響くからだろう。少し眠そうな感じもある。
「ケイスさんはどうして探索者を辞めたんですか?」
何とも遠慮のない質問だな、とランタンは思った。
探索者という職業を終える時はそれが生命の終わりであるとこが多い。あるいは死ななかったとしても不可逆的な肉体の欠損により、探索を行うことが肉体的に不可能になった時だ。五体満足のケイスのような元探索者はそれなりに珍しい。
五体満足で、再び迷宮に戻ってくる元探索者は特に。
「……どうして、ですか」
一瞬の沈黙。
「理由は――色々です。ちょっとずつ色んな問題が重なって、怪我とか、仲間内でもめ事があったり、先がわからなくなったり。九年間探索者をして私も仲間の誰一人として乙種探索者にすらなれなくて……」
その言葉はぽんと目の前に投げ出すようで、ケイスは眼前に転がる言葉を覗き込み、再確認しているように長く間を空けた。
「いや、……私は九年間探索者をやって、それなりに怪我もしましたが幸運にも大きな怪我とは無縁でした。今思えば、臆病で防御を固めていたからだったんでしょうね。それが少し大きな怪我をして、上位を目指したい仲間達が攻略難易度の高い迷宮へ潜ろうと意気込んでいる時、私は」
そしてそんな己が耐えられなかったのかも知れない。
成長を拒み、停滞することを望んでいる自分が許せなくなって、しかし恐怖には打ち勝つことができなかった。探索者としての矜恃と恐怖の狭間に取り残されたケイスは探索者であることを辞めて、その二つを手放し身軽になった。
ケイスは迷宮から逃げ出したのだ。
「なのに、また迷宮へ?」
はっきりとケイスの苦笑が聞こえた。
明け透けな質問は嫌みったらしさがなく清々しさすらあったが、いくら何でもデリカシーに欠ける。ランタンは盗み聞きをしている自分のことを棚に上げて、リリオンの頭を引っ叩いてやりたくなった。
「ははは、探索者の再就職はなかなか難しいんですよ。探索者ギルドに雇用してもらえる人間は少数ですし、力ばかりあっても不作法なので騎士団や衛士隊には入れません。運良く入団できても馴染めないことも多いですしね。まあ私は引っかかりすらしなかったんですが」
「じゃあ、どうやって」
「大抵はどこかで用心棒だとか、まあ傭兵の真似事ですとか、日雇いの力仕事をしたり、その……悪さをしたり、――貯金を食いつぶして朝っぱらから酒に溺れたり」
世知辛い話だな、と思う。
迷宮という無限の広がりを見せる空間は、けれど狭い狭い、閉ざされた世界でしかない。
数名の気の知れた仲間と、対峙するのは言を介さぬ魔物であり、駆け引きは鉄と血を以て行われる。社交性を養うには血生臭すぎるのだろう。身体は資本と言えども、なかなかどうしてつぶしの利かない職業である。
自己の探索者適性に早々に見切りをつけるか挫折でもすればまだ救いはあれど、そこにどっぷりとはまり込んだ探索者が別の職に就くには相応の苦労がある。元の人間性に問題があるのか、それとも武力を持って切り開いてきた生き様がそうさせるのか。再就職の苦労を厭い犯罪に走るものが多いことは身に染みていた。
商工ギルドの派遣業はそういった者たちへの受け皿となるかもしれない。
「まあようは金が無かったんですよ。他に選べる仕事もなかったので、結局は戻ってくるしかなかったんです。ちょうど商工ギルドが募集してましたし、運び屋は戦わなくてもいいですから」
未練もあったのだろう、と何となく想像できる。ケイスはそれを口には出さなかったが。
「ふへえー……」
聞いておいてリリオンは気のない返事を返す。
まだ幼いリリオンも何だかんだと社会の厳しさを知っていたが、これはそれとは別の話だった。ランタンでさえも、なるほど、とは思ってもそれを実感することはできないのだから、ぴんとこないのも無理はない。
でも欠伸混じりなのは駄目だ、とランタンは毛布の下で拳を握った。
「もう探索者には戻らないんですか?」
沈黙。
あの夜と同じように。
ランタンは視線が自分に向けられているような気がして、自然な素振りで寝返りを打って二人に背を向けた。そして閉じていた目蓋をそっと持ち上げた。
沈黙は蜘蛛の巣のようだった。細くぴんと張られていて、暢気なリリオンがそれにぺたりと引っ掛かった。
リリオンが欠伸をして気の抜けた息を吐く。ケイスが声を発する。
「戻らないですよ。私にはとても無理だというのがよくわかりました」
その独白はむしろ清々としている。
リリオンが眠たげにしていているので、だからこそケイスは本音を口にしたのかも知れない。それは口に出すことで自分の気持ちを整理しているのかのようだった。
聞くべきではない、と思った。だが今更耳を塞ぐこともできなかった。
「……実はですね。私はこのお仕事の話を貰った時、恥ずかしながら少し期待したんですよ。もしかしたらあのランタンに認められて、一緒に探索をしましょう、なんて誘われるんじゃないかって。もしそうなったらどうしようって」
ケイスは少し笑っている。それは自分に向けた苦笑だったが卑屈さはなかった。
「彼は不思議な人ですね。地上ではかわいらしいのに、迷宮に降りるとあの小さな背中が途端に頼もしく見えると言いますか」
耳は張り直したガーゼで隠されている。急な賞賛に恥ずかしく、耳が赤くなったとしてもそれに気づかれることはないだろう。だがランタンは身じろぎ一つできなくなった。ただ呼吸が不自然にならないように、それだけ気を付けるのに精一杯だった。
ランタンは眠れないことを悟り、開き直って聞き耳を立てていた。バレなければいいのだ。どうやらそれが探索者の流儀なのだと、先ほど得たばかりの情報を盾にする。
「迷宮も魔物も怖くなかった。ただ――」
「でも、なんで……」
「ただ、私は少しランタンさんが恐ろしい」
声は明るい。はっきりとそう言った。
「あの機動鎧との戦闘を見た時は心が躍りました。噂に聞いたランタンの逸話は本当だったんだって。状況判断、身の熟し、立ち振る舞い。いくつかの探索者の戦いを見てきましたが、やはり彼は群を抜いています。上に行く探索者はこういう人間なんだって、彼となら私もそうなれるような気がした……」
「ランタンが、怖い……?」
「ええ、あの金蛙との戦闘を見て私はふるえました。……ランタンさんが恐ろしくて」
眠気も混ざりぽかんとしたリリオンの声が、調子に乗っていたランタンの心を代弁した。
普通に戦っていただけで何も怖いところはないだろう、と自分では思う。格好良いならまだしも、と自惚れたりもする。ランタンも少し眠たくなっているのかも知れない。
「どうしてあんな風に戦えるのか私には理解できない。私はあんな風に戦えない。――どっちが魔物なんだか……」
ケイスははっとして言葉を切った。
「リリオンさんは――」
「ない」
ぱんと一つ開手を打ったように、ケイスの言葉をリリオンが掻き消した。残響もなくはっきりと一つの否定を吐き出したリリオンにケイスが黙った。
「ランタンは怖くないです。戦っているランタンは格好良いもの」
「格好……、まあ確かに、それは」
「でも怪我はして欲しくないから、……わたしはもっと強くなりたいな。わたしがランタンぐらい強くなれれば、きっと怪我も半分に減るもの。もっともっと強くなれば、ランタンは傷つかずにすむもの」
同意するようなしないような曖昧に呟いたケイスが、リリオンの言葉に何かを思い出したように少しばかりの苦笑を漏らした。
「でもそれが良いって言う探索者もちらほらいるんですよ。……その怪我をしているランタンさんが良いって」
「どういうことですか?」
少しだけ怒気のような気配があり、ケイスが慌てて取り繕った。
「いやいや害意があるわけじゃないんですよ。ただその、彼は堂々としているじゃないですか、怪我をしてても。今も、迷宮から帰る道も。その姿が、その……なんともいじらくて評判が良いんです。リリオンさんみたいに庇護欲そそられるという人も、……まあ、ええっと、……その、ちょっかいをかけたくなると言う人も」
悪趣味なことだ。変態しかいないのか、探索者の中には。
「ランタンの怪我を喜ぶなんてひどい」
「たしかにその過程を見てしまうとちょっと……」
「やっぱりわたしは強くならなきゃ」
「――リリオンさんは、……どうして」
ケイスは言葉を切って言葉を飲み込んだ。ケイスの喉を落ちていった言葉は、吐き出されることはなかった。
「頑張ってください、ランタンさんの背中はかなり遠そうですけど」
眩しさを感じるような声は、嫉妬の音色が微かに響いていている。そして自分の夢を託すような、寂しげな期待も。
それから程なくリリオンの欠伸が止まらなくなり、少女はもぞもぞとランタンの毛布の中に入り込んできてその背中にひっしとしがみついた。
リリオンはランタンが眠っているのを良いことに、すんすんと鼻を鳴らしてランタンの体臭を嗅いで、無意識なのか裾から手を入れて腹を撫でたり、腰骨を触ったりする。蛇のように脚も絡める。項に息が当たってくすぐったい。
探索者には変態しかない。
そしてリリオンは探索者である。
ランタンは内股に忍び寄った手を太股に挟んで捕らえ、それ以上悪さをしないように握りしめたまま眠ることにした。




