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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
61/518

061 迷宮

061


 寝付きはおそらく良かったように思う。

 睡眠時間は三時間と少しであったがランタンは気持ちよく目を覚ました。

 何だかんだと言っても最終目標(フラグ)戦の朝である。

 身に染みついた体調調整機能は余程の悪環境でない限り、ランタンの体調を万全に引き上げる。

 昨晩は満腹になるまで食事をしたのに不思議と空腹だった。

 寝起きであったが食欲があった。なので余ったシチューにトマトを加えてトマトソースに作りかえることにした。無論リリオンと相談してのことである。

 沸かした熱湯にトマトをさっと潜らせて冷水に取り皮を剥き、適当に切ったそれを潰して、医療用ガーゼで裏ごしをする。皮や種の入ったトマトソースなんて食べたくない、と探索中、それも最終目標との戦闘を間近に控えているのにもかかわらず言い放ったランタンには、さすがにリリオンもケイスも呆れるばかりだった。

 ケイスは、少しばかり熱に浮かされたようにも見えた。もしかしたら優しくされるよりも冷たくされる方が好きなのかもしれない、なんて思いながらランタンはその視線を冷たく見返した。昨晩を思い出したのか、ケイスは少しだけ恥じらいを浮かべる。

 そうこうしてリリオン特製のシチューにトマトピューレを混ぜ、大蒜と唐辛子、塩胡椒で味を調える。そうしたらリリオンが、トマトソースは砂糖をちょっと入れた方がいいのよ、なんて言うものだから砂糖も足して、味見をすると少女のしてやったりとした顔にも納得がいった。

 トマトを潜らせた熱湯を再利用して、乾燥した筒状のショートパスタを茹で戻し、貴重な水分を惜しげもなく捨てて軽く水気を切ると、シチューからトマトソースへと変貌を遂げたそれと和える。

 そして仕上げにチーズを薄く削り、乾燥したバジルを振りかけて、朝っぱらからそれを食べるのだった。唐辛子が身体に残る眠気を完全に蹴り出して、身体がかっと熱くなった。

 熱はそのままやる気に繋がった。リリオンの額に浮いた汗を拭いてやる。そして最下層に踏み込んだ。

 美味しかったな、と思考の上でそれを反芻することはあっても。

 ――朝食が胃から迫り上がってくるようだった。

 ランタンには牛のように食事を反芻する趣味はない。ランタンは迫り上がったトマトソースを飲み込んで、喉奥に残るトマトの酸味とは別物の不快な酸っぱさを地面に吐き捨てた。

 魔精の霧を抜けて最下層に一歩踏み込んだその瞬間に、痛みは全身を駆け巡った。

 引っ叩かれたような痛みと熱。

 何をされたのか、と考えるよりも先にランタンは転がるように横っ跳ぶ。(ふく)(はぎ)が痙攣している。

 霧を抜けたというのに白む視界の中で敵影が浮かぶ。それは霧を透かして観察した時よりも遥かに巨大に思えた。肌に感じる質量が、そう錯覚させるのだろう。

 大質量が横を高速で通り抜ける。体積の分だけ大気が押しのけられて、吹いた風は身体を打った。風音が鼓膜に重い。金臭(かなくさ)い。

 爆発で起こった熱の臭いとはまた違う独特の臭気だ。嫌な臭いを辿るように戦槌を振り回す。

 最終目標の後端部を避け際にぶっ叩いた。おまけのように爆発させたが、手応えはあまりない。握力は七割。反動で柄が手の中で暴れ、打った衝撃で戦槌が零れそうになった。最終目標は僅かに勢いを減じた。

 背後には霧を抜けたばかりのリリオンがいるが、下手に動かなければ腕を掠めるだけで済むだろう。

 がリリオンは動いた。

「わあっ!?」

 驚きの声は、つまりそれを認識したと言うこと。獣の如き防衛本能はリリオンの身体に防御の姿勢を取らせ、そればかりか直撃と同時に衝撃を強引に逸らした。逃しきれぬ力の奔流にリリオンの足がずるりと地面を削った。

 勢い余って最終目標が壁に突っ込む。鼓膜を押し込むような酷い破砕音が響き、最終目標は濛々と立つ砂煙の中にその姿を隠した。

 謎の攻撃を直撃されたのはランタンだけで、リリオンはまったくの無事だった。それはランタンの身体そのものがリリオンを守る盾となったというのもあり、またランタンが攻撃されたその時にはリリオンはまだ霧の中に居たというのもある、

 直撃した攻撃は質量を持つ物理攻撃ではなく、魔道による遠距離攻撃だった。魔精をどのように変容させたのかはわからないが、ランタンに直撃し、皮膚表面を通り背へと抜けた魔道は霧全体に吸収されるように散ったのだろう。

 白い霧は多くの攻撃を減衰、無力化する。

 痛みの質は衝撃と熱。それと筋肉への僅かな痺れ。多少の気持ちの悪さもあるか。

 貰ったダメージの一つ一つを拾い上げてランタンはそれを認識していく。命に届くダメージではない。足止めや牽制用の攻撃手段だろうか。まだ確信は持てない。

 リリオンから見たランタンは全くの無傷に見えることだろう。

「ダメージ貰った! 遠距離、魔道攻撃注意!」

「はい!」

 砂埃が晴れる。

 魔精鏡で見た時は一つも動かなかったその姿がいよいよ露わになった。

 鬼が出るか蛇が出るか、それともケイスの言った通りに蛙の姿がそこにあるのか。

「……マジか」

 思わずランタンが呟いた。信じられないものを見るように、まん丸く目が見開かれた。その斜め後ろでリリオンも同じように目を開いて、さらには口もまん丸に開いていた。

 ケイスの言葉通りに、それは蛙だった。

 冬眠から醒め穴蔵からようやく這い出たような、のそりとした動き。壁を砕いた瓦礫を押しのけて振り返る。

 飛び出した左右の瞳が大玉西瓜ほどもある。それは中心から外側に向かって色を薄くする鮮やかな黄緑色をしていた。その目元まで大きく裂ける口を開くと、そこに蛙の象徴たるべろんとした舌はなく、胴体のその奥まで空洞になっている。

 その空洞は漆黒だった。蛙の外側の輝きがそう思わせるのかもしれない。

 ランタンはグランの言葉を思い出した。瑞祥。まさしくそうだ。ケイスを雇ったことは間違いではなかった。

 最終目標(フラグ)

 それは眩いばかりの黄金の蛙だった。

「……マジか」

「ランタン!」

 再び繰り返したランタンに被せるようにリリオンが興奮して叫んだ。

「わわわ、どうするのランタン!」

「どうもこうもないよ。やっつけるんだよ!」

「でもでもでも黄金だよ。やっつけて良いの!?」

「ぶった切ったって値段は変わんないよ!」

「あ、そうよね! そうだわ!!」

 何だかんだとランタンも大質量の黄金を目の前にして、驚きが興奮に変わったように声も大きくリリオンに答えた。そして再び更に舌先で押し出すようにもう一度、マジか、と呟く。

「マジよ!」

 黄金の輝きはそこにある。未知の魔道攻撃はランタンの視界を捏造するものでも、認識を誤らせるものでもないらしい。ついでに言えば寝ぼけて見ている夢幻の類いでもないらしい。

 金蛙をぶっ叩いた重い感触が手の中に蘇った。大きく息を吸って深呼吸をすると、リリオンも全く同じタイミングで胸を膨らませ、萎ませた。つい笑ってしまう。

 だが気を引き締める。黄金に興奮する心を押さえつけ、戦意を安定させる。

 最終目標である金蛙は脚が一本足りなかった。後肢が一本しかないのだ。切り落とされたという風ではなく、元々そのように作られているだけのようだ。そして無い右足を補うように、その左足は凶悪に発達していた。

 ランタンが叩いてもびくともしないはずである。

 数トンはありそうなその巨体を高速で跳躍させる力を秘めている。その脚は決して見た目ばかりの飾りではない。

 黄金の後肢が引き絞られた。

 弾丸、いや砲弾のような跳躍。

「はあっ!」

 銅鑼を力任せに叩いたような酷く乱暴な金音が響き渡り、びりびりとした振動となって身体を打った。リリオンは身体を仰け反らせ、二歩三歩と後退ったもののまるで盾の内側に頭突きでもかますように身体を戻した。

 そしてそのまま勢いを付けて金蛙を押し返そうと更に力を込めた。ランタンは攻防直後を狙うために足を進める。

 その時、ぱん、と破裂音が響いた。そのあまりに軽い音は、しかしリリオンが身体を一瞬硬直させ、ぐらりと崩れた、

「なっ!?」

 膝が折れて押し潰さんと金蛙がリリオンにのし掛かる。なまじ金蛙の造形が生々しく生物的で、少女にのし掛かる両生類の図は嫌悪感をかき立てて止まなかった。

 リリオンはぐったりとしている。意識が飛んでいるのかもしれない。

 盾の影になって金蛙が何をしたのかわからなかった。盾を透かしてリリオンにダメージが与えられている。まさか浸透勁でも(つか)うのか、と意識をさらに引き締めながら戦槌の柄を握る力を強めた。

 握力充分。

 リリオンと金蛙の隙間に戦槌を滑り込ませると、ランタンは力の限り逆袈裟に振り上げた。硬い。いわゆる黄金の硬さではない。物質に魔精が隅々まで流れ込んでいるのだろう。

 そして金蛙の中身は空洞なのだが、そんなものはなんの慰めにもならないほどに重たい。

 掌に伝わる黄金の重さに歯を食いしばり、軋む骨もそのままに、脚を踏ん張り腰を回す。途方もない重量に肩の付け根から腕は千切れそうだった。

「うがっ!」

 鋭く肺の中の空気を全部吐き出しながら無理矢理に金蛙を持ち上げると、リリオンの襟首を引っ掴んで引きずり出し、その細腰に腕を回して拾い上げる。そして金蛙から視線を切らぬまま、大きく跳んで距離を取った。

 リリオンが蛙のように呻いた。

「平気か?」

「うん、――わたしは何を」

 リリオンは瞬きをすると、縋るような視線をランタンに向けた。理解できない攻撃は恐ろしいものだ。

「わからん。でも魔道だろう」

「痛い、叩かれたみたい。ひりひりする」

 症状はランタンと同じ。同種類の攻撃を遠距離近距離関わらず使用したということか。

 リリオンは身体の動きを確かめるように、盾を握る方の手を何度も動かした。ひりひりする、と言ったのはその手のことのようだった。

「見せて」

 その掌に赤い炎症があった。ランタンはその炎症の跡をさっと指で撫でた。リリオンが一瞬眉を顰める。

「ランタン……?」

「雷精魔道だ。あいつ雷を操る」

 リリオンの掌に一筋入った炎症はケイスの手にある胼胝を思い出させたが、それは軽度の火傷のようだった。盾を通電した雷が取っ手を伝ってリリオンを感電させたのだろう。火傷は手汗のせいだろうか。

「雷を吐く。もしかしたら雷を纏う、帯電もする可能性もある。前面には立つな。帯電の方はどうにもならないけど、常にビリビリしてるわけじゃない」

 流石に雷撃は見てから避けることはできない。

 遠距離攻撃は少なくとも前面に立たなければ回避できると思う。だが帯電状態はなかなかに難しい。雷を操る予動作を見極めるまでは、攻撃の際に幾ばくかの雷を引き替えに貰うことを覚悟しなければならないだろう。

 ランタンはリリオンへ手短に作戦を伝えると、のそりのそりと動く蛙を最下層の真ん中へと誘導するように動いた。

 金蛙の動き自体は速くはなく、どちらかと言えば鈍重と言って間違いなかった。発達した後肢は通常移動にはむしろ重荷のようで金蛙は前肢で這うように、後肢を尾のように引き摺って歩いた。

 ランタンは絶えず金蛙の周囲を円を描くようにして動き、決して前面に立つことなく波状攻撃を繰り返した。

 しかしさすがは物質系迷宮の最終目標。その防御力は並大抵のものではなく相当な力を込めて戦槌を打ち付けても黄金の身体はびくともしなかった。リリオンの大剣は表面を滑り、ランタンの戦槌は表面を浅くヘコませもするがそれだけだった。

 帯電状態が恐ろしくて腰が引けているのかもしれない。

 そして大きな瞳が絶えず二人の姿を平然として追い続けているのがまた不気味だ。

 ランタンは小さく悪態を吐くと、腹を括って戦槌を返した。鶴嘴が金蛙に向いた。そしてランタンは金蛙の左側面から近付くとぐりんと振り向いた蛙の頭上を飛び越えて、黄金の左腕、その付け根に鶴嘴を叩きつけた。鋭く尖った先端が黄金に穴を穿つ。いや、貫通はしていないか。金蛙の厚みは五センチ以上もある。

 舌打ちも、爆発もさせる間もなく金蛙は跳躍した。鶴嘴を身体に捕らえたまま。

「ら――」

 名を呼ぶ声が聞こえる。

 リリオンの細く可憐な素声は、無様にも引き延ばされたように耳に届く。それは金蛙に引き摺られるランタンの身体が音にほど近い速度で移動しているためだろう。声ばかりではなく、ランタンの意識もまた引き延ばされた。

 速度は暴力そのもので、どうにか柄を握ったままのランタンを空気に叩きつけ、乱暴な方向転換はその小躯を襤褸雑巾のように振り回した。目が回るどころではなく、頭蓋の中で脳みそが錐もみ回転しているようだった。

 リリオンも金蛙を止める手立てがない。剣で斬るにも盾で受けるにも下手をするとランタンを挟み込みそうだったのだ。金蛙は地面から壁へ、壁から天井へ、天地無用とばかりに縦横無尽に跳ね回った。

「うぐっ」

 ランタンは喉の奥で呻き、柄を引っ張って金蛙に身を寄せた。幸運にも帯電はこない。おそらく移動と発電は同時にできないのだろう。ランタンは金蛙の胴に左の掌に当てる。冷たくすべすべとした肌触り。それをずたずたにするように、ランタンは爆発を押し当てた。

 爆風はランタンの身体を押し出して、ぴん、と鶴嘴の引っかかりが抜けた。

 金蛙はほとんど無傷だった。爆発は金蛙の表面を滑り、その熱は黄金を炙り金色を濃く、虹色の焼け付きを広げただけだった。

 破壊力。それを収束させることばかりに意識が行って威力が弱くなっている。上手くやろうという意識が破壊を阻害しているのか。舌打ち。

 金蛙の目がぐるりと回った。ランタンから興味を失ったようにリリオンへとその瞳が向いた。リリオンは左から金蛙に接近するとランタンの穿ったヘコみへと向けて平突きを放った。

 蛙は避けようともしない。大きな目は飾り、では無論ない。

 その大きな瞳が色を変えた。元の黄緑色は内から放射するように黄色が広がり、緑を塗りつぶしていく。身体と同じ。

 それは黄金の色。

 雷の色。

 金蛙の身体が痙攣するように震えた。細かく。音を広げる楽器のように。

 開いた口から音が聞こえた。どろどろと雷鳴が響いた。気が付いたリリオンはしかし止まることができない。黄金の身体に纏わり付いた雷が、へこみをついに突き破り奥深くに差し込まれた大剣を通してリリオンの身体を感電させた。

「きゃあ!」

 逃げ出すことができない。

 筋肉の収縮でリリオンは大剣を強く握り込み、つま先立ちになるように身体を緊張させた。金蛙の瞳から次第に雷色が抜けていく。作り出した雷を瞳に溜め込み、そこから次第に吐き出していくのか。観察は続けながらも、ランタンは破裂するように駆けると靴底でリリオンを蹴りつけた。そして腰から抜いた打剣を金蛙の瞳に投げつけながら離脱する。

 ばくん、と。

 大きく開いた口に打剣が飲み込まれた。

 金蛙の腹中を跳ねた打剣がきんこんと間の抜けた音を奏でる。それを聞きながらランタンは転がるリリオンに駆け寄って、止まらずに少女を抱き上げると狙いを付けた金蛙の口から逃れるように走り続けた。

 金蛙が裂けるように口を開き、その瞳が一際輝いたかと思うと漆黒を湛える口内から闇を切り裂いて光が迸った。放電。それはまるで黄金の舌だ。

 鋭角に波打つ一条の燦めきは背を向けたランタンの外套(マント)を撃ち、その表面を紫電が走った。さすがは高級品。縫い付けられた耐魔性能は遺憾なく発揮された。がランタンは細い針で突かれたような鋭い痛みを感じた。

 あくまでも耐性。無効化することはできない。だが無視できるほどには軽減できる。

「ふぅ」

 発電は停止状態でのみ行われる。ほぼ一瞬、隙と呼べるほど発電に時間は掛からない。瞳が雷色に染まる。それは発電量を表す。

 帯電と放電。瞳外に雷を放出すると瞳の色が元に戻る。

 最大電力での雷撃の攻撃力は不明。だが小出しにした場合、ランタンは耐えられる。リリオンは少しばかり致命的だ。

 ランタンはリリオンをそっと転がし、金蛙に駆け寄りながら外套をはためかせた。その端を左手に掴まえて、ぐるりと手首に回して拳に巻き付ける。そして小帯電状態の金蛙を殴りつけた。

 痛みは金属を殴ったが故のもので、それだけだ。金蛙の瞳が元の色に戻った。

 だがほっとしている暇はない。戦槌で殴ってもびくともしないのだから、拳で殴ってどうにかなるわけではない。

 ずるりと尻を向けた金蛙が、後肢で強烈に蹴り込んでいた。

 戦槌で辛うじて受け止めるがあっけなくランタンは吹き飛ばされる。

 数百キロの身体を跳躍させる脚力は、背嚢の存在に関係なくランタンの小躯を吹き飛ばすことなど造作もなかった。蹴り脚が異様に長い。折り畳んだ際の見た目からは、少し想像もできないほどに。

 胴体の倍以上。三メートル以上も伸びた後肢、その爪先は水掻きのある扇状の三つ叉槍のようだった。ランタンは受けた戦槌を回し、どうにかその爪を絡め折ろうと試みるが失敗に終わった。

 吹っ飛ぶランタンの下を回復したリリオンが地面を舐めるように低く駆け抜けた。

 蹴りの引き足に合わせるように金蛙に飛び込むと、脚の付け根を鋭く切り上げた。一撃に刃が浅く噛み付いた。リリオンはまるで鋸を大きく引くように、力任せにそのまま切り上げる。

 空洞は胴体ばかりで丸太のような脚は生木のように中までみしりと黄金が詰まっていた。

 そして間を置かずに再び放たれた二撃目の突き蹴りを盾に受けてリリオンが吹き飛ばされる。金蛙の脚に大剣を残したまま。

 持ち主を失った大剣がずり落ちて、金蛙は蹴りつけた盾を足場に高く跳躍した。

 その背にランタンは不吉を感じた。

 金蛙は空中で蜻蛉を切り、ランタンを向いた瞳が再び雷を湛えている。自由落下。

「げ」

 制空権を押さえられた。逃げ場はない。

 ランタンは礫の入った革袋を丸ごと手の中に握ると、口紐を解くのももどかしいとばかりに爆発を用いて袋を焼き払った。熱を帯びた礫が掌を焼いて、ランタンはそれを広範囲に散布するように天へと投げ払った。

 口腔の漆黒は、まるで雷雲のように。

 落雷。その光の道筋が目に焼き付いた。

 礫の一つを直撃した雷撃はその間近の礫に次ぎ次ぎと再放電を生じて、まるで蜘蛛の巣のように広がり脇へと駆けていった。大気に散った雷精に産毛がぞわっと逆立って、どうにか危機を脱したが安堵する暇はない。

 天井を蹴った金蛙がランタンに向かって突っ込んでくる。帯電状態は解消されているが、受け止めるには重すぎる。ランタンは靴底に爆発を起こして慌ててその場を飛び退いた。

 大口を開いて地面に突っ込む金蛙は、ランタンの足場にできた爆炎諸共地面をごっそりと食らっていた。そしてそれを飲み込みながら鋭くランタンを振り返り再び地面を蹴った。

 こいつ。

「速くなってる!」

 見たままを口に出し、ランタンは躱せぬと悟るやいなやその場に踏ん張った。天井から地面では逃げ場はないが、前から後ろならば背後が壁でない限りはどうとでもなる。もし逸らせたならば御の字だ。

 戦槌を振り上げた瞬間に、風を切ってランタンの身体が地面に沈む。閉じてろ、とランタンはその平べったい顎を()ち上げた。直撃に合わせて爆炎が走る。ただ威力を求めて放出した爆発は、金蛙の大きな顔を炎が包み込み、剥離した金箔の燦めきを蒸発させる。

 べっこりと顎がヘコんで金蛙はランタンを飛び越えるように軌道を変え、無様にも背中から地面に落ちて酷い音を立てた。腹の中に溜め込んだ瓦礫ががらがらと耳障りな音を立てて、その中にある一つ高く鳴る金属音は食われた打剣の音だろうか。

 音の鳴る方に視線を向けると、そこには既に金蛙の姿はない。

 まるで雷速の如し、と言うのは多少大げさか。金の尾を引く残像を追いかけると目が回りそうだった。しこたま背中を打ち付けても生物ではないのだから行動不能にはならない。どれだけ顎を揺らそうと、攪拌される脳は無い。その身体に綻びはできても、それはいわゆる()()()()ではない。

 狙いは。

 立ち上がったばかりのリリオンは方盾を杖のようにして子鹿のように脚が震えている。雷撃のダメージもさることながら、まともに受けた蹴りの衝撃が残っているのだろう。方盾の中心に深い傷が見える。

 どうにか立ち上がったというような有様だった。回避行動も、防御態勢を取ることも間に合わない。寝てた方がマシだった。

「させん!」

 自らの身体を爆風によって押し出し、リリオンを抱きかかえてそのまま横倒しにした。十センチ上を金蛙がぞっとするような速度で通り過ぎ、ランタンはリリオンの胸の中から顔を起こすと、目を回す少女の頬を平手で軽く叩いた。

 そして素早く立ち上がる。リリオンに意思を伝える暇もない。

 ランタンは戻ってきた金蛙を迎え撃った。爪先でリリオンの取り落とした大盾を蹴り上げて拾い、ランタンの手には大振りな取っ手を握りしめるとその内側に肩を当てて身構えた。

 衝撃。逸らすにはランタンは体重が少し足りない。

 リリオンは良くこれを持ち堪えたな、と吹き飛びながら思う。だがどうにか突撃は停止させた。金蛙はぼんやりと立ち上がったリリオンと向かい合い、まるでお見合いのようだ。

 リリオンが大剣を横に薙ぎ払った。

 余計な力の抜けた綺麗な太刀筋だ。大剣の柄にそっと手を添えるように軽く握り、羽虫でも追い払うように軽く腕が振れた。ずるり、と金蛙の鼻頭を斬って通った。

 そう見えたのはランタンの錯覚だった。

 鋒は少女の指の如く金蛙の鼻頭を甘く撫でただけで通り過ぎた。

 しかし次の瞬間に舞い戻った、目の覚めるような斬り返しは少女ではなく()の平手のように強烈だった。金蛙の顔面がねじ切れたかと思うほどに横を向いた。

 いや、身体全体、金蛙は後ろを向いたのだ。

 蹴り。

 柳のようにリリオンは半身になってそれを躱し、伸びきった膝に両手持ちの袈裟懸けを振り下ろした。

「斬れないっ!」

 駄々をこねるようなリリオンの叫びの横をランタンが投げつけた大盾が通り過ぎる。丸鋸のように回転する大盾が金蛙の背を打ち付けて、引き足の反動に加算し衝撃は金蛙を前転させ仰向けに転がした。

 その腹上にいつの間にかランタンが足を掛けている。

 戦槌を肩に担ぎ、両の手に握りしめている。

「死ねっ!」

 剥き出しの殺意を金蛙は意にも介さない。

 金蛙に感情などと言う高尚なものはなく、あるのは最下層に踏み込んだ人間への攻撃性だけだ。それは敵愾心ですらないのかしれない。

 爆発を伴う打ち下ろしは、しかし突如纏った帯電雷撃によって相打ちに持ち込まれた。

 目の前が瞬間的に白く染まる。リリオンの意識を吹き飛ばした雷撃はランタンの意識を奪うには至らない。それはランタンのその身に纏う魔精の濃さが、ランタンの体内深くに雷撃を通すことを許さないからだ。

 雷撃はランタンの皮膚表面を走り抜け、内部をそっと触りこそすれ突き刺さるようなことはない。ぱちっ、と左耳のテープが焼け焦げ、血と血止めの軟膏の混じった体液を沸騰させて火傷を作った。傷口が焼き固まった。吐き捨てた唾に混じった赤さは、トマトの色素に過ぎない。

 痺れを嫌ってランタンは金蛙の腹から飛び退き、わざと乱暴に着地することで筋肉の痙攣を踏み潰した。水分の蒸発した唇を潤すように舌舐めずりをする。

 黄金も焼ければ黒ずむのか、金蛙の腹部が黒く煤けていた。蛙はそれを隠すようにごろんと転がり体勢を立て直したが、喉元にまで掛かる黒ずみは隠せない。

 目は雷色だった。

 ばちん、と破裂音はなんだったのか。攻撃ではない。

 金蛙の身体がぶるぶると震えると、はらりと黒ずみが剥離した。気が付けばいつだか鶴嘴を打ちリリオンが貫いた穴は塞がれ、もしかしたら後肢付け根の斬り込みも消えているのかもしれない。

 帯電することで生まれる熱によって身体を溶かして塞いだのか。それとも再生能力でもあるのか。ランタンの片頬が痙攣するように引きつって、獣のような笑みを浮かべた。

 リリオンには少しばかり荷が重い。

 ランタンは外套を外してリリオンに放り投げる。

「巻いとけ。いくらか雷は防げる。あと目の色に注意、――雷色(きいろ)は注意だ」

「ランタンはっ!?」

「いらん」

 息を吐く。身が軽い。

「霧を背に下がれ、防御に徹しろ。あとは僕がやる」

 戦槌を手の中でくるりと回す。

 頬が獰猛な笑みに引きつるのは、その昔恐怖に笑ってからの癖だった。

 今ではそれは自然に、感情のままに零れる。

 溢れる。

 ランタンは疾走(はし)る。

 リリオンへと放った言葉の酷薄さにも気づかずに。


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