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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
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060 迷宮


60


 荷車には様々な物が詰め込まれている。

 先ほど取得したばかりの鎧、これは腕部と脚部だけであるが二十キロ弱にも及んだ。それとランタンたちの背嚢に、ランタンが納得して決めたと言うことになっている野営具と先用後利の薬箱に食料と各種探索道具。

 野営具に関しては使用の有無にかかわらずすでに借り料を支払っているのでこれを使わない手はないし、帰路に少しでも積載量を減らす為にも食料に手を付けることにも躊躇いはない。

 場合によってはこれからの食事が最後の晩餐になるとも限らないのだから。

 もっともそんな不吉なことは口には出さず、ただ野営道具についてだけはこれを使わないと金をどぶに捨てたようなものだ、とそのようなことを呟いた。少しばかり嫌味っぽかったかもしれない。

 最下層目前まで荷車を牽いてきたケイスはけろりとしたもので疲労をも見せず、その呟きを聞くと、それでは私が、と言って率先して野営の準備を始めてくれた。これは彼女の職務外のことだったが、ランタンに野営技能はないのでお任せした。

 廃業したとは言えケイスの探索者歴は十年近くにも及び、その経験や知識はランタンを遙かに上回った。それであってもケイスの最終位が丙種探索者止まりであると言うのだからやるせないものである。

 ケイスはせっせと(かまど)を組み始め、リリオンがそれを手伝った。ランタンは竈の組み方などこれっぽっちも知らない役立たずなので、女二人の作業を眺めることしかできなかった。

 リリオンはそんなランタンから戦槌を、借りるね、と有無を言わさず奪っていったかと思うと地面を砕いた。

 当初は狩猟刀で穴を掘ろうと試みていたようだが、地面は掘るには硬く、狩猟刀ではにっちもさっちも行かなかったのだ。リリオンは砕き割った地面を脇にどけて浅い穴を作るとそれを囲むようにコの字形に耐熱材を並べはじめた。

 何をしているのかランタンには意味不明で、何をどう手伝って良いかもわからない。

 その耐熱材は傍目に見ると煉瓦のようにも見えるのだが、まるで軽石のように軽量で、表面がヤスリのようにざらついていてる。重ねることでそのざらつきが互いに噛み合うような性質を持っていた。まだ市販のされていない商工ギルド制作の試作品なのだという。

 ひとの探索で耐用試験か、とランタンは思いながらも、もしかしたらそれも契約の内だったかもしれないと少しばかり弱気になったりもする。ともあれその耐熱材は数度の使用には耐えられる程度の実用性は確証されているらしい。

 取り敢えずその耐熱材を二人の傍に並べる。それは目的もなく積み木遊びをする幼子のようだった。

「……」

 元探索者のケイスは言うに及ばず、思いがけずリリオンの手際も良かった。

 ランタンと出会う以前のリリオンはこのような雑事の一切合切を押しつけられていたのだろう。リリオンからして見ればそれは思い出したくない過去なのだろうが、どのような経験も役に立つことがあるものだ。

 ケイスの邪魔になることなく、てきぱきと働くリリオンを見てランタンは感心した。

 リリオンを見ていると商工ギルドにやり込められたことも良い経験だったのかもしれない、と己を納得させることができる。自分との対比で多少やさぐれもしたのだが。

 手伝うこともできず手持ちぶさたなランタンは二人から離れて一人ぽつんと魔精鏡を覗き込んだ。それはなんだか仲間内から疎外された子供がいじけて、それでも弱みを見せぬようにと一人遊びに興じているような得も言われぬいじらしさがあった。

 小さな背中がいっそう小さく見える。

「あ、けっこう強そう……」

 魔精鏡を通し、白い霧の中に浮かぶ青の濃さを見てランタンは一人呟く。

 最下層に座する最終目標(フラグ)はそれほどの大きさを有してはいない。体高は現状では一メートルと半分、ランタンと同等か、少し大きい。そして何とも形容しがたいのだが、段々になった歪な三角形のような姿が魔精鏡に映った。体高は同程度でも、全体的な大きさはランタンに遥かに勝る。

 人形(ひとがた)ではない。

 歪な形にうずくまっているという可能性もなくはないが、どうにもランタンの勘はその青い塊を機動鎧や動人形(ゴーレム)だとは認識しなかった。

 しかしかといって獣のようでもない。座り込んでいるにしても四肢の形ははっきりせず、どうも(くび)がなく 頭部と胴体が一繋がりになっているような印象を受けた。

 そもそも生物形ではないのかもしれない。

 石球などのように生き物の形を成していないのか。ランタンは目元から魔精鏡を外し、顎に手を当てて一つ思案のため息を漏らした。そしてもう一度魔精鏡を目元に。

 ランタンは咄嗟に半身を引いて、音も無く飛びかかってきたリリオンを避けた。気にしない風をよそおいながらも、こそりと二人を気にしていたランタンには造作もないことである。

 ランタンに避けられたリリオンは尻を突き出すようにつんのめったが、さっと腰を沈めて重心を下げて踏みとどまると、くるりと左右の足を入れ替えて振り返った。無駄に洗練された足運びだ。

「なんで避けるのよ」

「……竈は組めたの?」

「あっ、そうだ。じゃじゃーん!」

 あっさりとランタンに話を逸らされたリリオンは不満そうな顔つきもどこへやら、楽しげにランタンの視線を竈の方へと案内した。

「おー、すごい。本物みたい」

 胸の前で拍手をしたランタンにリリオンは気分を良くしたように口角を吊り上げて、ふふん、と誇らしげに笑った。

「こっちはわたしが全部やったのよ」

「すごい、ちゃんとできてる。へえー、グラグラしないし」

 そこには横並びに二つ竈が組み上げられている。簡単な造りなのだがランタンはそれをさも珍しげに覗き込み、耐震性を確かめるように乱暴に撫で、穴の中に並んだ炭を爪先で均したりした。

 無邪気と言ってもいいその振る舞いにケイスは不思議そうな視線をランタンに向ける。

「ランタンさんは、探索でこのようなことはされないのですか?」

「ええまあ、流石に個人でこれだけの野営道具を持ち込まないですからね」

「ああ……それは」

 ケイスは合点がいったという風に大きく頷いた。ランタンが単独探索者であったと言うことは元探索者のケイスも、あるいは商工ギルドも承知だったのだろうが、それがどういうことかまではなかなか理解できるものではない。探索者にとっての当たり前は、ランタンにとっては当たり前ではなかった。

「食事はだいたい探索食ですからね。料理も小さい火精結晶コンロでちょっと煮炊きするぐらいですし」

「火精結晶コンロですか、はあ」

 携帯用火精結晶コンロは探索道具の中でもあまり人気がない。

 利点と言えば携帯の利便性と着火の手間が少ないと言うことぐらいで、炭なり薪なりの代用品としては絶望的に高価であったし、そもそも探索は通常複数人で行うものなので一人二人分の調理しかできない火種などは、どれほど携帯に便利であってもそもそもが無用の長物なのである。

「ちょっとお茶を沸かしたりには便利なんですけどね」

「お茶ですか。ああ、そう言えば茶葉も積んでおりますよ」

「では食後にでもいただきましょうかね」

 荷車に積まれている食料は無駄に種類が豊富だった。

 塩漬けされた豚の片足が丸ごと転がっていたり、丸鶏が壺の中で油漬けになっていたり、腸詰め肉や干し肉もどっさりと折り重なっている。

 ランタンはその干し肉を一切れつまみ食いした。

「あ、これ羊だ」

 独特の脂の濃さと獣の臭いに顔を顰める。嫌いだというわけではないが牛肉だと思っていたせいで驚いたのだ。思わず口から離して唾液に濡れた肉を睨むと、横合いからリリオンがそれをひょいと取り上げた。

「わたしが食べたげる」

「どうぞ」

 ランタンはリリオンが食べかけの干し肉を口に運ぼうとも平然としたものであり、またリリオンも全く抵抗なくそれを口に含んだ。硬い干し肉をほぐすようにリリオンがもごもごと肉を噛みしめている。美味しいのに、と誰にとも無く呟く。

「普通の牛肉もある。……(ぎゅう)だよな、これ」

 食料は他にも、野菜などは見るからに保存の利きそうな根菜類は言うに及ばず葉菜類も積み込まれていた。余程気温が高くなければそう簡単にしおれることもないらしく、またしおれたとしてもそれは外葉ばかりのことであるらしい。

 果物も数種類、焼き固めたパンや乾麺、生米も。

 香辛料に油、それに酒さえ。

「何食べようかな」

 そう呟いたもののランタンの料理技術はそれほど高いものではなく、また料理のレパートリーもたかが知れている。これほど多種雑多な素材を前にして途方に暮れるばかりだった。

「わたし作ろうか」

「――リリオンが?」

 顎に手を当てて考え込むランタンに、リリオンが口から干し肉を離したかと思うとそんなことを言った。ランタンが驚いた様子でリリオンの顔を見つめると、リリオンはむっとしたような顔つきになって唇を突き出した。

「わたし料理できるよ、でしょ?」

 突き出した唇が開き言葉を紡ぎ出すのに先んじて、ランタンはリリオンの口から何度か聞かされた言葉を(そら)んじて見せた。

 当然覚えていますよ、とはにかんでいるのだがそれは当然ごまかしの笑みである。

「じゃあお願いしようかな」

「……ランタンは何が食べたいの?」

「ん、リリオンが作ってくれるものなら僕は何だってお腹いっぱい食べたいよ」

 幼気(いたいけ)な少女を(たぶら)かす魔性の笑みをたっぷり湛えてそう言ったランタンに、リリオンは悔しげにしながらも頬を染めて、がんばる、と拳を握って意気込んだ。

「ケイスさんは何か食べられないものとかありますか?」

「私ですか……? え、いえ、あの、そんな」

 何を言われたのかわからないとでも言うように表情に疑問を浮かべたケイスは、しかしそれが食事の誘いであると理解すると大いに驚いた。

 どうやら探索者と運び屋は食事を共にしないようである。と言うのもそれは契約内容に含まれていないからだ。

 運び屋が探索者の荷物の世話をする対価として、探索者は運び屋に賃金を支払う。それは雇い賃とは別に降下引き上げの代金も肩代わりをするのだが、それ以外の食事なり怪我の治療費なりは運び屋の自己負担である。

 故に運び屋は自前で食料を持ち込むのだが、それが重荷になってはいけないので運び屋はランタンもかくやと言うように携帯探索食ばかりを食べることとなる。

「遠慮はいりませんよ。ケイスさんには明日からもっと頑張って貰うことになりますから、ちゃんと食べないと。――味の保証はいたしませんが」

「もうっ、ランタンったらひどいわ」

 そう言って悪戯っぽく笑ったランタンに、ケイスは(ほう)けたように頷くことしかできなかった。そして頷いた自分に気が付くと驚いて、ではリリオンさんのお手伝いを、とどぎまぎと口に出す。

「じゃあ僕は出来上がりまで最終目標の観察を続けるよ」

「あ、そうだ! ランタン、どんな相手だったの?」

「……それがわかんないからもう一度観察するんだよ。じゃあよろしくね。お二人とも」

「まかせて!」

「はい、ランタンさん。双眼の魔精鏡が用意してありますので、どうぞそちらをお使いください」

 二人がいそいそと料理に取りかかったのでランタンは借り受けた魔精鏡を使って最終目標を観察し続けた。まるで石像である。最終目標は歩き回るどころか、身じろぎの一つもすることがない。

 相手が動きもしないものだからランタンはしょうがなく自らが動き回った。白い霧の前を右から左に横断してみたり、地面に伏せたり、あるいは握力にものを言わせて壁から天井を登ってみたりとして観察をする角度を変えた。

 そうこうしている内に炭の燃える臭いに混じって、何とも香ばしい匂いが漂ってきてランタンの腹が小さく鳴った。実のところランタンはリリオンの料理にそれほどの期待を抱いていなかったのだが、これはなんとも、と口内に沸いた唾液を飲み込んだ。

 そして天井を鷲掴みにしていた指先から力を抜いて、ふわりと地面に降り立った。

「できたよー!」

 良い香りが立ってから、それは三十分も後のことだった。

 その時間をランタンは一時間にも二時間にも感じていた。試行錯誤を繰り返したものの観察が不調に終わったランタンはけれど清々とした面持ちで、大きく手を振って自分を呼ぶリリオンに小走りに駆け寄った。

 竈の中で炭が赤く燃えている。その炭の上に寸胴鍋が熱せられている。

「美味しそう! おー、すごいじゃん」

 炭火に炙って焦げ目が付いたパンに、同じく炭火で炙って柔らかく蕩けたチーズ。カリカリに焼いたベーコンが混ぜ込まれたマッシュポテト。そのベーコンから出た油で焼いた目玉焼きと食いでがありそうな分厚いハムステーキ。

 鍋の中にはたっぷりと濃い褐色のシチューが作られていて、まさにランタンの鼻腔を擽り腹を鳴らせた香りが立ち上っていた。

「リリオンはどれを作ったの?」

「そのシチューは私が作ったのよ。牛のお肉を赤ワインで煮込むのよ」

 なんと洒落たものを、とランタンが驚くとリリオンは得意満面な顔つきになって笑みを浮かべた。そして急かすようにランタンを座らせると、リリオンは手ずから給仕をしてくれる。椀にたっぷりとよそわれたシチューはずっしりと重たい。目に見える具材は人参にジャガイモ、それに大きく切った牛肉。

「ケイスさんもありがとうございました」

「いえいえ、私もご相伴にはあずかれるとは思っていませんで。それにリリオンさんの指示に従っただけですので」

 そのような会話もせっかくの食事を冷ますだけなので会話を早々に切り上げたランタンは、いただきます、と手を合わせるとまず一口シチューを掬って口に運んだ。

 これを食べないことにはどうにもリリオンが食事を始められぬようで、少女はきつくスプーンを握りしめながらランタンの全てを見逃さぬようにとじっと見つめていた。

「あ……」

 口いっぱいに広がった濃くのある芳醇な香りにランタンはうっとりと思わず呟きを零した。

 それはほっとするような味だった。仄かに甘みがあって味が濃く、人参やジャガイモはほくほくとして、流石にとろとろになるまで肉を煮込むことはできなかったようだが、むしろしっかりと肉を噛みしめている感じがなおのこと良かった。

「美味い」

 これは()の味だ、とランタンは思った。

「リリオン」

「なあに?」

「美味しい」

「んふー、言ったでしょ? わたし料理できるのよ」

 二口三口とスプーンを口に運ぶランタンにリリオンはほっと胸を撫で下ろした。そしてランタンにおかわりをよそってやって、それから自らの食事を始めた。

 ランタンはパンを千切ってシチューに浸したりもする。これがまた堪らない。

「いやあ確かに美味いですね」

「マッシュポテトも美味しいですよ」

 しっとりとしたジャガイモの舌触りにカリカリとしたベーコンの食感が良いアクセントになっている。少し塩味が強いが、半熟の目玉焼き、そのとろりとした黄身を一緒に口に運ぶとまた美味いのである。

「いえいえ私はただ芋を蒸かしただけですので」

 リリオンはメインディッシュを作り、ケイスはその手伝いをした。

 しかしランタンは。

「それでランタン、最終目標はどうだったの?」

 煮込まれた牛肉を口いっぱいに頬張っていたランタンは、リリオンのその言葉にぴたりと固まった。

 ランタンは身体能力を存分に生かしてありとあらゆる角度から最終目標を確認したのだが、結局それがなんであるか当たりを付けることはできなかった。途中から夕食が何であるかの当たりを付けることに囚われてしまったせいでもある。

「よくわからなかった。原生形の魔物っぽいのかな?」

 結局はあの歪な三角形であるという以上の情報を得ることはできなかったのだ。もしかしたら本当に動物や植物などの形を成してないのかもしれない。

「原生形ですか。水鉄(みずかね)や砂鉄の集合体だったりすると厄介ですね」

 それらは物理攻撃をほぼ完全に無効化する。

「砂金の集まりだったら嬉しいですけどね。そういえば実は魚形の――」

 ランタンが言うと、ケイスも黄金鯨伝説を知っていたようで懐かしげに頬を緩めた。

「有名な話ですね。それで物質系の迷宮ばかりに潜っている探索者も少なくありませんし」

 スプーンを口に咥えたままリリオンが魔精鏡を構えた。そしてしばらく見つめはしたものの結局は小首を傾げて魔精鏡をケイスに渡した。そしてごく自然にケイスも白い霧の奥へと目を向けた。それは身に染みついた動作である。

 そして厚い唇が、あ、と間の抜けた声を漏らした。

「これは蛙ですね」

 魔精鏡を外したケイスがさらりとそう言った。

「蛙、ですか」

「ええ、こう半身になって上を向いているのでしょう。ふうむ、目がでかいですね」

 そう言われてリリオンがもう一度霧の奥に目を向けた。ランタンはその青い影を思い返すがどうにも蛙の姿と重なることはなかった。

「いやあ田舎によく出ましたからね。子供の頃はよく遊んだものですよ。釣り餌にしたり、空気(いき)を入れて膨らませたり――」

「膨ら……」

「おやランタンさんはされませんでしたか」

「あまり蛙は出なかったので……」

 食事を終え、それからしばらくその蛙を観察し続けたのだが、結局それが動くことは一度たりともなかった。ランタンが無駄と思いつつも蛙を観察している間に、リリオンが食器を洗ったり、翌朝まで火を残すために炭を灰の中に埋めたり、また寝るための準備をしてくれた。

 迷宮内で眠る時、いつもは毛布を身体に巻き付けて地面の固さを感じながら眠るのだが、今回は敷物がある。

 当たり前だがそれは二人分しか用意していないので、ケイスは二人から離れて荷車に背を預けるようにして腰を下ろしている。

 流石にランタンも、肩を並べて眠りましょう、などと提案をする気にはならなかった。

 リリオンと並んで毛布にくるまりながら、しばらく最終目標についての考察を少女に言い聞かせていたが、それは寝物語のように少女を眠りに誘った。リリオンの穏やかな寝息は、いつもならばランタンを眠りに誘うのだが、ランタンは目蓋を閉じてその音に耳を澄ませても眠りにつくことはできなかった。

 神経が昂ぶっていると言うほどではないが、緊張が少しあった。最終目標戦についてではない。おそらくケイスがいるためだろう。他人がいるという違和感が神経に(さわ)っているのだ。

 ケイスの運び屋としての働きぶりはしっかりしたもので文句の付けようはなかったし、探索当初は少なかった口数も次第に増えて、ぎょろりとした瞳に湛えられていた緊張も食事の際には見つけることができなくなっていた。

 ケイスは悪い人間ではない、と思う。

 だがランタンはケイスを同空間に置いて、眠りにつく、無防備を晒すことができなかった。

 それはもしかしたら探索の行きがけに尻の辺りに感じた視線を不意に思い出したためかもしれない。あれは果たして気のせいだったのだろうか、なんて。

 目蓋の裏の暗闇を見つめていると音が聞こえた。荷車の方から、今まで物音一つ立てなかったケイスが身じろぎしたのだろう。ケイスが眠っていない事をランタンは何となく察知していた。そしてケイスが身を起こし、毛布から抜け出す様子をはっきりと知覚できた。

 ランタンはまだ暗闇を見つめたまま、耳を澄ませている。

 ケイスはゆっくりと立ち上がり、何秒間かそのまま立ち尽くしている。そして歩き出し、その先にはランタンがいる。気を遣った歩き方だ。足音を殺し、起こさぬようにと。

 ランタンは静かに目蓋を持ち上げた。眠っているところに近寄られるのは気分の良いものではない。だが、どうにもケイスから悪意のようなものを感じることができなかった。接近を許しても無害でありそうな気はする。

 とは言えそのまま寝顔を見られることを良しとするランタンではない。

 両の太股にランタンの足を挟み込むリリオンからするりと抜け出すと、ランタンはゆったりと、見せつけるように身体を起こした。

「眠れませんか、ケイスさん」

 身体を震わせて立ち止まったケイスは言葉を失っていた。恐れ(おのの)くように目を見開いてランタンを見下ろすばかりだった。

 ランタンはそんなケイスから視線を外して、さてどうしたものかと髪を掻き上げる。

 リリオンが隣で身じろぎをしたのであやすようにそっとその頬を撫でてやり、ランタンは毛布から抜け出した。大人しく寝ている少女を目覚めさせるような無粋をランタンは好まなかった。ケイスに向かって唇に人差し指を立てて静かにするように伝える。

「あ、……あの、申し訳ありません」

「……――まあ、元々寝付けませんでしたからね。構いませんよ。それと声は小さくお願いします。せっかくよく眠っているんだ。起こしてしまっては可哀想なので」

 そう言ってランタンはケイスに近寄った。それからふと苦笑を漏らす。

 こういうときは竈ではなく焚き火でもあった方が雰囲気が出るな、と。

 ほの明るく発光する迷宮の壁もまた少しばかり野暮である。硬くなったケイスの表情が辺り構わず降り注ぐ壁光に白々と晒されてた。

 この硬さは羞恥だろうか。まさか夜這いでもしようとしたのか。そうだとするとランタンは困る。ただただ困る。

「それで何かご用ですか?」

「いえ、その――、……ランタンさんのお顔を」

「……僕の顔なんて見ても面白いものではないでしょうに」

「そんなことはありませんっ!」

 苦し紛れの言い訳を呟くようにそう言ったケイスは、しかしランタンの言葉を強く否定した。それは言い訳ではなく本心からランタンの顔を見ようとしたのかもしれない。

 この目に見られていたのか、とランタンはぎょろりとしたケイスの目を真正面から見つめた。三十一歳の女の顔は元探索者と言うこともあってまだまだ若々しかったが、それでも目尻に消えぬ苦労の皺が見えた。

 だがその皺に縁取られた瞳には、ランタンが探索者ギルドを訪れるたびに寄ってきては蹴散らされる若い見習探索者の瞳によく似た光が湛えられている。

 ランタンがあまり好きではない、気恥ずかしく、重たい、憧憬の光である。

「私はランタンさんの姿に感動したんです。(メイル)と戦うあの勇ましさに。噂は本当だったんだって」

 言われてランタンは舌打ちを堪えながら左の耳に触れた。無様な左耳の怪我は血はすっかり止まったものの、今では少しの熱と痒みを帯びていた。

「あれで頑張ったのはリリオンですよ。僕はこの(ざま)だ」

「そんなことはありません。あの一撃を避けられる探索者は他にはいません!」

「……いないって事はないでしょうよ」

「いないのです。ランタンさんは他の探索者を知らないだけです。あんな恐ろしい攻撃を、……私はあの姿を見て――」

 ケイスの言葉は次第に熱を帯びて、ランタンはうんざりとその言葉を聞いた。

 ああ何とも陳腐な、と皮肉気に歪ませた頬が欠伸を噛み殺した。その陳腐さはランタンの眠気を誘うのにちょうどよかった。眠れぬ夜に羊を数えるよりも余程に効果がある。

「僕の姿を見て、また探索者に戻りたくなりましたか?」

 ランタンが水を差すように尋ねる。

 しかし返ってくるのは沈黙ばかりだった。


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