表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
6/518

006

006


 リリオンは跳ねるように歩く。

 ぴょんぴょんと踊る三つ編みが楽しいのか、ふわりとひるがえる裾が嬉しいのか、リリオンは道の先でくるりと回ってみせた。

 何だかんだとずっと部屋の中に閉じ込めていたので、リリオンからしてみれば二日ぶりの外出らしい。跳ねる三つ編みは尻尾のようで、自分の尻尾を追いかける犬のようにリリオンはくるくるとはしゃいでいる。

 一眠りして、そして太陽の光を浴びて、狭い部屋の中から開放されてリリオンはさらに一回り大きくなったような雰囲気があった。植木鉢から地面に植えなおした植物のようだ。

「ねぇランタンはやくはやく」

 すらりとした腕を振って、リリオンはランタンを呼んだ。

 リリオンの足は長く、その分だけランタンとの歩幅に差がある。そんなリリオンが早足になると、ランタンは駆け足にならないといけない。今にも走り出しそうなリリオンを宥めるのは中々に大変だった。

 ランタンはリリオンの隣に並ぶと、彼女が足早になりそうになる度にその服を引っ張って初動を制した。一度、ちょうどいい位置に垂れたリリオンの三つ編みを思わず引っ張ってしまい、リリオンは目尻に涙をためてランタンを睨んだ。

 太陽の下に出ると真っ白かと思っていたリリオンの髪は、深い象牙色(アイボリー)でほんの僅かに桃色が混ざっている。それは夕日によってさらに色を濃く見せていた。

 リリオンの背中には安物の貫頭衣とは不釣り合いの、身長に見合った大型の背嚢が背負われている。その中には下着に始まり、戦闘靴(ブーツ)や探索服といったランタンとお揃いの品々が詰め込まれている。リリオンの細い肩には重たそうだったが、ランタンが大盤振る舞いしたおかげでその背嚢の背負い紐は十分な荷重分散が考慮されており、肩に食い込むことはない。

「ランタン、次はどこに行くのっ?」

 リリオンの笑顔が眩しくて、ランタンは思わず目を細めた。だがそれは微笑ましいものを見たという笑みではなく、疲労からくる苦笑だった。人混みをあっちにこっちにと彷徨(さまよ)い歩くリリオンを連れての買い物は、一人で目抜き通りを歩く三倍は大変だった。

「買い物はほとんどすんだからね、あとは武器のたぐいと、寝具かな」

 ランタンの棲家にはベッドは一つしかない。リリオンには今のところソファで座り寝させていたが、ずっとそれではさすがに可哀想だ。一回り大きくなったリリオンは既に一人用のソファでは窮屈だろうし、身体が資本の探索者をやるにあたってしっかりと体を休める場がないというのは死活問題だった。だが上街の寝具店ではベッドを購入したところで下街までは運んでもらうことが出来ない。ランタンの住む地域は住所も何も指定されていない廃墟だからだ。

 ランタンが眉根を寄せて悩んでいたが、リリオンはそんなランタンを尻目にぽっと頬を赤くしていた。

「武器、いいの!?」

「んぁ?」

 リリオンが抱きつくようにランタンの腕を取り耳元で叫んだ。ランタンは痺れる鼓膜に目をぱちくりとさせて、驚いた声を上げた。

「急に何?」

「だって、運び屋(ポーター)は武器持たないよ」

 正確には軽めの武器しか持たないが正解だったが、ランタンはあえてそれを否定しなかった。運び屋の持つ武器は完全に必要最低限の物だからだ。運び屋がそれを振るうのは、玉砕覚悟か、魔物によって残酷な結末を迎えないための自決の時だけだ。

「探索者になるんでしょ?」

 リリオンはあの夜、探索者になりたいと、そう言っていた。そしてランタンは。

「僕は単独探索者だから運び屋はいらないって。だからリリオンは――っ」

 言葉の途中でリリオンは、ランタンを引き寄せてその胸にぎゅうっと抱きしめた。

 ランタンの顔を、薄く、けれど柔らかな胸の感触の奥からリリオンの興奮がそのまま音になったかのような心臓の音色が叩いた。それはまるで歓喜の歌のように高らかに鳴り響いて、リリオンはランタンの髪に顔をうずめて犬のように頬を擦りつけた。

「ええい、離れろ」

 ランタンは驚いたが、微笑ましく思い頭などを撫でてやったが、その内に本物の犬のように顔面を舐め始めるのではないかと思わせるほどリリオンは興奮していて、ランタンは髪に埋まるその顔を引き剥がした。ランタンの髪がぼさぼさに逆立っていて、リリオンはまるで気分を害したら武器を買ってもらえなくなるとでも言うかのように、慌ててその髪を撫でつけた。

「いいから、ほら行くよ」

 ランタンは頭を撫でる手を邪魔くさそうにどけて、そのまま手をつないでリリオンを引っ張った。この様子では寝具は諦めないといけない。いまから寝具店に行こうなどと言ってもリリオンは聞かないだろう。探索にも使う毛布だけは購入してあるので、今夜はこれに包まって眠ってもらう羽目になりそうだった。

「リリオンは、なにか経験はある?」

 尋ねるとリリオンは少し考える仕草をして、剣、とポツリと呟いてその後に、少しだけど、と声も小さく続けた。それの声には少しだけ恥じているような色を含んでいた。

 踏み込んでいいものだろうか、とランタンは心臓が早くなるのを感じた。自分が他人に過去を語ることを好まないせいか、ランタンは人に踏み込むのが苦手だった。軽く振ったつもりの話題が、なにか急に重たい話に変わったり、あるいは嫌な記憶を呼び起こすのではないか、不快な思いをさせるのではないかと不安になるのだ。

 だがそれを聞かないことには、店を選ぶことさえ出来ない。

「剣、か。どんなのを使ってたの?」

「もっと小さい頃だから、すごく重たい剣だったわ。こう、片手剣だったんだけど両手で持ってね。どうにか振るような」

「じゃあ両手剣を探したほうがいいかな」

 ランタンが尋ねると、リリオンは少し考えて首を振った。

「でも旅に出る頃にはちゃんと片手で扱えるようになったのよ。それは持ち出せなくておいてきちゃったけど」

 これぐらいの大きさだったかしら、とリリオンはランタンの手をつないだまま腕を広げてみせた。通常の片手用(ワンハンド)長剣(ロングソード)よりも随分と長い。刀身は一メートル前後だろうか。これを八歳だか九歳の少女が片手で振るっていたとはにわかに信じがたい。

 だがこの世界では、それがまかり通るのも事実だった。

 元の世界では同年代の平均を下回る運動神経しか持ち合わせていなかったランタンが、今では先頭に重心の寄った重量にして五キロを超える戦鎚を片手でハエ叩きのように振るうことができる。武器屋の陳列窓(ショウウィンドウ)には、竜殺し(ドラゴンキラー)と呼ばれる超大型大剣が飾られ、それを使用する探索者も存在している。リリオンもそんな世界の住人の一人なのだ。

「ねぇ、ランタンのその(ハンマー)はどこで買ったの?」

「これ? これは工房に作らせた特注品だよ」

 ランタンは腰に下げた愛用の戦鎚を柔らかく撫でた。

 装飾も何もないシンプルな戦鎚だが、折れず曲がらずの(しな)やかな()とどんな強固な魔物の外皮をも貫く鶴嘴と、すべてを砕く半球形の鎚頭、ランタンの能力行使にも耐えることのできる堅牢な作りを実現するために随分と出費を重ねたものだ。だがそれは命の値段と言い換えても良かった。単独で迷宮を探索する際、この戦鎚の(つか)を握りしめて、どれほど死地を踏み越えただろうか。

「……まぁこれはちょっとお高いよ」

 いくらリリオンの命を預ける相棒を探しに行くとはいえランタンの戦鎚と同程度のものとなると、はいどうぞ、と差し出すことの出来る金額では購入することが出来ない。ランタンはリリオンにある程度のものを見繕うとは思っていたが、そもそも駆け出し探索者の多くは家にしまい込まれていた剣を研ぎ直したり、武具店に十把一絡げに売られている大量生産品で済ませるものだ。

 あまり甘やかすのも成長を妨げる要因になる。ランタンは自分を納得させるように頷いた。

「だけど、話を聞くにはいいかもしれないね」

「え?」

「これを仕上げた職人にさ。向こうは何だかんだで武具の専門家だし、こいつの整備(メンテナンス)のついでに、助言をもらいにね。どう?」

「うん……ちょっと見てみたい」

「よし、じゃあ通りを抜けるよ」

 ランタンが言うと、リリオンは迷子になるまいと絡めた指先に力を込めた。

 目抜き通りを行き交う往来は、そこを抜けようと思うと濁流のような無秩序さを顕にした。自らもその濁流の一員である時はただ流されるばかりで気にもならないが、いざ抜けようとするとその人の流れは歩みに絡みつき、雑踏に引きずり込もうとする。

「おいで、遠回りになりそうだけど、こっちのほうが早い」

 ランタンが人混みから一歩外れて細い裏通りへと足を向けると、リリオンは繋いでいた手を放し、ランタンの腕にぎゅっとしがみついた。建物と建物の間隔が狭く、本来は縦一列に並んで通るような道だ。だが薄暗く、目抜き通りの喧騒が幻のように静けさが広がる細道をリリオンは怖がったのかランタンから離れようとはしなかった。

 腕にしがみつき身を寄せて、二人の足が絡まり縺れそうになる。だがランタンは、少し開けた道になってもリリオンに離れるようにとは言わなかった。それは腕を圧迫する柔らかな感触や、リリオンの身体の暖かさに(ほだ)されたからではない。

 下街よりは随分と治安の良い上街とはいえ薄暗い裏通りには、目抜き通りの人混みに嫌気が差して道を逸れたり、道に迷ったりした人間を獲物にしている者たちがいる。

 三人の男たちが通路を塞いでいて、ランタンは喉の奥で小さく笑った。先日の男たちも三人組だった、もしかしたら三人一組(スリーマンセル)が最近のチンピラの流行なのかもしれない。

 呑気なランタンとは違いリリオンは少しだけ震えていた。その震えを隠すようにランタンにしがみつく力をいっそう強めたが、それは余計にランタンへ怯えの感情を伝えた。リリオンはこの三人の男たちに、先日の侵入者たちを重ね合わせているようだった。

「……迷宮の魔物たちはもっと怖いよ」

「……」

 視線は男たちに合わせたままランタンはこそりと呟いて、抱きつく腕を離すように促した。リリオンはおずおずと離れると、ランタンの小さい背に隠れた。

 ランタンが男たちを見ているように、男たちもランタンたちを見ていた。値踏みをするその視線もまた先日のことを思い出させる、いいカモを見つけたというものだった。ランタンは小さく嘆息した。

「魔物は急に襲ってくるから、ねっ!」

 男たちのように獲物を前に舌舐めずりをするような魔物は居ない。ランタンは一足飛びに間合いを詰めると、真ん中にいた男の腹に有無を言わさずに前蹴りを叩き込んだ。爪先を立てていれば鳩尾を、文字通り、ぶち抜いたであろうその蹴りは、手加減をして戦闘靴(ブーツ)の底で男の体を押し飛ばした。男はくの字に折れ曲がって吹き飛び、地面を三度転がってようやく動きを止めた。蹴り飛ばされた男はピクリとも動かない。

 残された二人の男たちはニヤついた顔はそのままに、動かない男を見て固まっていた。ランタンが蹴り足を音を立てて地面に戻すと、男たちは弾かれたようにランタンを振り返った。その目には焦りと恐怖が色濃く滲んでいる。

「選択肢は二つ。向かってくるか、道を開けるかだ。五秒以内に選べ」

 ランタンが数えるように人差し指、中指と順に立てると、その指での目潰しを恐れるように二人の男たちはべたりと壁に張り付いた。まるでヤモリだ。

「行くよ」

 ランタンは残りの三本の指も広げた手をリリオンに向けて、そこに指先が絡まるのを確かめるとその手を引いて二人の男の間を進んだ。

「さっきの見てた?」

「うん。ランタンって、やっぱりすごいわ。それに優しい。あんなふうに優しく蹴って」

 その優しく蹴った対象を二人はぴょんと跨いで、その先に歩みを進めた。

「……普通は見えないんだよ」

 ランタンが言うとリリオンは小さく首を傾げた。ランタンが転がった男に目を向けると、リリオンは首を傾げたままその視線の先を追いかけた。

「だからあんな事になってる」

 蹴り飛ばされた男は、二人の男たちによって介抱されていた。乱暴にバチバチと頬を叩かれ耳元で大声で呼びかけられて、肩に背負われて運ばれていく。暫くは呼吸をするだけで腹が引きつるように痛むだろう。だが息の根が止まるよりはずっとましだ。

 幸運なことに裏通りではこれ以外の面倒事には出会わなかった。道幅も広がり裏通りから生活道路に出て、目抜き通りの喧騒がまた近づいてくる。それに合流することなく川沿いを行くように職人街へと足を進めた。

 職人街へ近づくにつれて人々の喧騒は、様々な物を作る音に変わってゆく。低く断続的に響く機械の音や、一定のリズムを刻む機織りの音。金属を加工する高らかなハンマーの音色。荷物を運ぶ荷馬車の足音。怒鳴り声。それらがまるで楽団演奏(オーケストラ)のように奏でられている。

 職人街の通りも目抜き通りほど広く、そこには商品を積んだ荷馬車が行き交っていて、他にも買い付けの商人や、ランタンのような探索者の姿がチラホラと散見する、目抜き通りのような多様な個人客の姿は見られなかった。通りの左右に連なる工房は、この街で売られている何もかもを作っている。

 武具工房の集まる一角では、むわりとする炎の熱気が立ち込めている。頭の中で鳴り響くような金属音がそこかしこで叩き鳴らされていて、まるで原始の音楽のように奇妙な高揚感が熱に煽られて周囲に溶けだしている。呼吸をする度に喉が灼けるようだ。

 リリオンはぶら下げている三つ編みを首から鎖骨を通して胸の前に垂らした。目抜き通りの商店街では気になるものがあれば右へ左へとふらふらしていたが、職人街の熱気には若干引いているようだった。職人たちは誰も彼もが油で汚れ、炉の熱であぶられた皮膚が赤く、金槌を振り下ろす背中の筋肉が見事に盛り上がっている。まるで赤鬼のようだ。

「リリオン、ここだよ」

 金属音がうるさいのでランタンは少し背伸びをしてリリオンの耳もとに口を近づけた。リリオンは大きく頷いてその建物を眺めた。石造りの建物で鎧戸(シャッター)を開け放った室内は煤や熱によって鈍い灰銀に染まって、炉の口から漏れる炎の赤さに照らされていた。

 一人の男がいる。短く切りそろえた赤い髪をした三十過ぎの男だ。無精髭を生やしていて、首に掛けた手拭いで額に珠のように浮いた汗を拭っている。

「今、大丈夫ですか?」

「ん? おぉランタンくんじゃないか、今日はどうした?」

 酒やけにも似た枯れた声はどこか温かみがある。野性味あふれる風貌とは裏腹に、口を開けば牧歌的な雰囲気を男は漂わせている。

「こいつの整備と、あとこの子の装備のことでご相談が」

 ランタンは腰に下げた戦鎚を撫でて、繋がれたままのリリオンの手を振ってみせた。そうすると今ようやくリリオンに気がついたかのように男は目を丸くして、すぐに目尻に三本の笑い皺を作った。

「ようこそグラン武具工房へ。俺はリヒトと言う、ご贔屓にどうぞよろしく」

 リヒトは油で汚れた手をズボンで拭って、それでも汚れが落ちないのを確かめるとその手を胸に当てて慇懃な礼をわざとらしく作ってみせた。するとその後ろから太くしわがれた声が響いた。

「おうリヒト、ずいぶん偉くなったぁな、顔役気取りか」

 そう言って奥から現れたのはリヒトよりも頭一つ背の低い老人だった。

「そんなんじゃないすよ。親方、どうしたんすか」

「どうしたもあるかよ、ガキの声ってのはどうしてこう響くんだろうなぁ、坊主」

 親方、とそう呼ばれたのはこの工房の主であるグラン・グランだった。背が小さく見えるのはひどい蟹股のせいで、脇が閉まらないほど盛り上がった上半身の筋肉が重たそうだった。顔にはもじゃりと髭が生えていて、癖のある斑髪(はんぱつ)を首の後でくるんと縛っている。

「お久しぶりです」

「おう」

 ランタンが小さな声で頭を下げると、グランはのそりと片手を上げた。そして掌をランタンに差し出した。皮の分厚いゴツゴツとした掌だ。グランは再会の握手を求めている訳ではない。ランタンは腰から戦鎚を外すとグランに渡した。

 戦鎚を受け取ると灰色の濃く太い眉の下で、黒目がちの丸い瞳が鋭く細められた。その瞳が柄の歪みを確かめて、太い指先が鎚頭を撫でてその欠けを調べていた。

「まだ整備(メンテ)はいらんだろ」

 そう言ってグランは戦鎚を返し、その瞳をリリオンの方へと向けた。ボテッとした瞼の下で瞳がぎょろりと動いて、品定めでもするかのように上から下までリリオンを見回した。

「……また珍しいもん連れてるな」

 その声には少し疲れたような響きがあった。

 ランタンは背中に隠れるリリオンを前に引っ張りだして、勢いを込めるように軽く腰を叩いた。

「り、リリオン、です。はじめまして」

「ワシぁ、グランだ」

 リリオンは喉に詰まった飴を吐き出すようなたどたどしさで、ほとんど囁くような声で名乗った。グランのくだらない冗談を真に受けているのだ。そんなリリオンの様子にグランは軽く口髭を動かしてみせた。髭の下では口角を釣り上げているのだろう。

「その嬢ちゃんの、武器についてだっけか? まぁ入れや――リヒトは仕事だ。砥ぎに打ち直しにとまだ仕事はあるんだ」

「うぃっす、――じゃあまた後でな」

 リヒトは仕事に戻り、ランタンたちは歩き出すグランの背を仔鴨のように追いかけた。工房の仕事場から居住区へ抜けるといかにも男やもめといったゴミゴミとした木のテーブルが置かれた部屋に通された。すぐ脇には飯場がある。

「まぁ適当に座れ」

 ランタンはテーブルの上に散らばる食器を手早くまとめて流しへ、食べこぼしはここの流儀に習って床へ払い下ろすと、呆れた視線を向けるグランの向かいに座り、リリオンに隣へ座るようにと椅子を引いた。

「そいでよ坊主。その嬢ちゃんはどうしたんだよ?」

 グランは机の上でどかりと腕を組んで、ぎしりと椅子の背を軋ませた。太く吐き出した息が髭を揺らしている。

 ランタンはふと考えてみた。どうしたんだと言われてみると、リリオンとの関係を表すこれといった言葉が思い浮かばなかった。探索者仲間(パーティ)というわけではないし友人でもない。保護した子供というのが最も適当だろうか、だがいまいちしっくりはこなかった。

「嬢ちゃん……あんたぁ巨人族(ジャイアント)だろ」

 頭の中で言葉をこねくり回していたランタンは、グランの言葉に片眉を上げた。隣でリリオンが罅の入った氷のような音を立てた。それは強く握られた拳が軋む音だった。白い顔を青くして、グランの言葉を肯定も否定もせず、小さく顎を引いて固まっていた。

 ランタンはそんなリリオンの顔を見て、視線をグランへと移した。

「坊主、知ってるか?」

 ランタンは首を横に振った。リリオンが何族かも知らなければ、巨人族が何かも知らなかった。だがリリオンは子供にしては大きいが、巨人というには小さすぎる気がした。それもただリリオンが子供だからだろうか。あるいはこの世界の巨人は、それなりの大きさなのかもしれない。

「だろうな……、だからこうして連れてきたんだろう」

「……どういうことですか。なにか巨人に問題でも?」

 グランは顎髭を親指と人差指で揉むように撫でた。黒い瞳がチラリとリリオンを見たが、そこに潜む感情をランタンは読み取ることが出来なかった。珍しい瞳をしている。

「古い種族だ。人も、亜人も、何もかもと争い、自分たち以外の全てと戦争をして、その全てに打ち勝った。その力によって全てを支配していた、迷宮が生まれるよりも前の、神話の話だ。……だが今はその数を減らして北の最果てにある巨人族の国からほとんど出てこない」

「ふぅん」

 ランタンは小さく鼻を鳴らした。グランの言葉はまだ続きそうだったが、その先の言葉は想像がついた。

 被支配側の種族は、自分たちを支配していた巨人族に対して決して好ましい感情は持っていないだろう。そしてその、かつて世界を支配していた巨人族が衰退すれば、その先に待っているのは数に物を言わせた差別だけだ。

 だが起源をこの世界に持たないランタンにとって言えば、人族と巨人族との確執は何の関係もない話だった。だがそんな話をわざわざグランが言う理由はなんだろうか、とランタンは考えた。

 グランが巨人族を差別的に捉えていてリリオンを糾弾するために、というわけでは無さそうだった。もしそうならばグランはこんな風にテーブルを囲むようなことを許さないだろうし、面倒な手段をとるような鬱陶しい性格をしていないことぐらいは知っていた。

「ランタン」

 ゆっくりと紙を裂くような掠れた声でリリオンが名前を呼んだ。

「――黙ってて、ごめんなさい。わたしには巨人の血が、流れています」

 どう言葉を返していいか判らなかった。ランタンはそんな事を聞かなかったし、わざわざ言う義務もないのだ。

「ん、純血統巨人族(ピュアジャイアント)じゃないのか?」

 グランの言葉にリリオンは小さく首を振った。

小半巨人族クウォータージャイアント、です。純血種はもっと大きいです」

 リリオンはその姿を思い浮かべたのか、天井を見上げた。それが巨人族の大きさなのだろう。

 ランタンはイライラと頭を掻いた。四分の一。それはもう巨人族ではなく人族だろう、とそう思った。だがこの世界ではどうやらそうでは無いようだ。ランタンがどれほど無関心であろうとも、それこそこの世界の差別問題とは何の関係もない話だった。

「ランタン……――」

 再び名前を呼ばれてはっとした。なんと切ない声を出すのだろう、とそう思った。

「どうでもいい話だよ」

 リリオンの口を塞ぐように、ランタンは珍しく声を張って言葉を吐き出した。この次に吐き出される言葉はリリオンの口からは絶対に言わせてはいけない気がしたのだ。口に出した瞬間に、それはどんな凶器よりも残酷にリリオンの心に消えない傷をつけるだろうと、そんな予感がした。

 リリオンはまだ顔を青くしていて、表情はぎこちなかった。テーブルの下で指先が落ち着きなく動いていたので、ランタンが手を伸ばしてそれに触れると、やはり氷のように冷たい。ランタンは抱きしめるように強くその手を握った。

 グランが言いたいのは、つまり被差別者を連れて歩くことの意味だった。リリオンは、自分の存在がかける迷惑を、先回りしてランタンに謝ろうとした。

 ランタンから見ればリリオンは身長の高い少女でしかないが、グランは一目見て彼女が巨人族であることを見抜いていた。リヒトはあの雰囲気から見るとおそらくそうとは気がついてはいないが、人族と巨人族はその身長差以外で、見る人が見ればなにか明確な差があるのだろう。そしてそれに気がつく者が、グランと同じだとは限らないのだ。

 グランは優しかった。ランタンが無知だと知っているからこそ、わざわざ忠告をしてくれたのだ。そしてリリオンにその機会を与えた。

 ランタンがグランに視線を向けて瞼を淡く伏せると、グランは空咳を吐き出した。

「あぁどうでもいい、つまんねぇ話だな」

「えぇ、それよりも武器の話をしましょう」

 ね、とランタンはリリオンに顔を向けるとリリオンはランタンの手を握り返して、小さく頷いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ちょっと待って、まさかランタンは「地球から転移してきた」とかマジで寒い設定な訳ないよね.........
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ