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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
59/518

059 迷宮

059


 ケイスは探索が始まるといよいよ無口さを増したが、そもそも場の賑やかしは彼女の仕事ではないし、運び屋としての働きぶりは堅実だった。

 彼女は商工ギルドの売り文句の通り不平不満の一つも漏らさずに、それどころか息を上げることもなくランタンの探索速度に付いてきた。背嚢の重みから解き放たれたランタンの歩みは何時もよりも何割増しも速かったが、ケイスはそれを苦にするような素振りは見せない。

 ケイスはランタンとリリオンが並んで歩く、その七歩ほど後ろを付いてきた。

 行きの、何も拾い上げていないことを加味してもランタンの歩く速度はややオーバーペース気味であったのだが。

 ランタンたちの背嚢と先用後利の持ち込み分を含めて二十キロ超の荷物を載せた荷車は、迷宮の悪路であっても載せた荷物の重みに軋みを上げるようなことはない。

 荷車は組み立て式で容易に分解できるようになっている。

 それは迷宮路が例えば崩落や石球の残骸により狭まった時に、あるいは落とし穴などでそのままでは対岸に渡れない時に分解して運ぶためだ。

 それ故に探索用の荷車の造りはいまいち甘く、ものによっては空の荷車を牽いたとて耳障りに軋むこともあるのだが、さすがは商工ギルドと言うべきかこの荷車は堅牢な造りをしているようだった。

 そしてその荷車を牽くケイスも堅牢な身体のつくりをしている。

 ケイスはロープによって荷車と結びつけられていて、そのロープはぴいんと張っている。ケイスは身体をやや前傾に、肩を突き出すようにして、そして更に分厚い手袋を嵌めた手で引き手(ハンドル)を胸の前で握って車体を操作している。

 迷宮は奥に傾くように傾斜しているので、進むことと止めることを同時にこなさなければならない。

 荷車の重量により革鎧に似た輓具がケイスの身体に押しつけられていて、締め付けは苦しそうにも見えるがケイスの足取りはしっかりとして淀みない。ケイスの視線はじっとランタンに注がれていて、ほんの僅かな進行速度の変化にも対応してきっちり七歩の距離を保ち続けた。

「……うーん」

「どうかしたの?」

 歩きながらランタンが唸ると、リリオンがそっと顔を覗き込んだ。リリオンの足の長さにはこの進行速度はちょうどよかったようだ。

「うん、……ちょっとね」

「ケイスさんのこと?」

 声を潜めたランタンにリリオンが察しを利かせて声を落とした。

 ランタンは探索始めには後ろを振り返りケイスを気にしていたのだが、今ではすっかりそのようなこともなくなっていた。

 遅れてはいないだろうか、進行速度は速すぎないだろうか、などと言う指揮者としてのランタンの気遣いはむしろケイスには余計なものだったようで、お気になさらず、と思いかけず強い口調で言われてしまった。

 探索に集中してください、と。

 それからランタンは真っ直ぐ前を向いて歩いているのだが、神経のいくらかを後ろに割くことは止められなかった。それはつまりケイスを信用してないと言うことなのかもしれない。

 ケイスはそれ以来何も言わぬが、後ろを気にしていることをリリオンにも気づかれたと言うことは、ケイスも気が付いているのだろう。それがまた彼女を職務に没頭させる一因になっている。

 探索者の邪魔にならないことは商工ギルドの売り文句の一つなのだから。

「初めてのことだからさ。よくわからないんだ。運び屋ってこんな感じなのかなって」

 探索者と運び屋の間には、七歩という距離とはまた別に明確な壁があるようだった。それはまるでランタンとリリオン、それとケイス、二つの独立した班が探索しているようである。

「こんな感じで良いと思うけど。……わたしがしてた時は、うるさくするな、ってよく言われたもの」

「あー、……そっか。うん」

 リリオンはほんの少し前まで、運び屋見習い、というよくわからない職業に身を(やつ)していた。

 リリオンは平気な口調だったが、思わず重たい経験談を持ち出されたランタンは中途半端な返事を返すことしかできなかった。リリオンの言うその経験はもっと正確に言えば、囮兼前衛兼の運び屋見習い、という混沌とした経験なのであまり参考にはならないような気もする。

 それはつまり奴隷だった。

「ん?」

 それは今のケイスの状況もそう言えるのではないか、と不意に気づいた。

 雇い主の不興を買わぬように奴隷は己を殺し職務に励んでいる。

 探索者にとって運び屋は探索を助ける重要な存在であるが、しかし雇用者と被雇用者の関係性から抜け出せることはあまりない。同じ迷宮を探索する仲間ではなく、あくまでも一時的な荷物持ちでしかないのだろう。

 それに運び屋の多くは新人探索者であり、つまり雇用関係以外にも、探索者としての先輩後輩、教える側と教えられる側という絶対的な上下関係さえも付随してくる。

 そして探索者の人間性が反吐が出るようなものであると言うことを加味すると、運び屋の境遇たるや涙を禁じ得ない。今になってアーニェの苦々とした顔がはっきりと思い出された。

「結構リスキーな仕事だね」

「だからみんなランタンと探索したいのよ、きっと。ランタンは優しいもの、きっとそうだわ」

「みんな僕のどれほども知らないよ」

 見知らぬ探索者の中に一人雇われる。それは恐ろしく心細いことだろう。

 複数の中で孤立することは、ただ一人真に孤独であることよりも身に染みる。

 ケイスがじっとランタンに視線を注いでいるのは進行速度の変化を観察しているのではなく、もしかしたらランタンそのものが変貌を遂げ牙を剥くことを警戒しているのかもしれない。

 だが何となくではあるのだが、ケイスの視線は全身やあるいはその足取りにではなく、ランタンの尻に集中しているような気がしなくもないのである。

 ケイスが前を気にするように、ランタンが後ろを気にするのはそのためでもある。

 最近ではめっきりと少なくなったが、ランタンはじろじろと顔貌(かおかたち)や、ほっそりとした腰や尻を舐めるように見られ、時に触られた経験には枚挙に暇が無いほどだった。その汚らわしい経験に由来する被害者意識もあって、ランタンは背後からの視線に敏感だった。

 ランタンの小さな尻は外套に覆い隠されて、その形も見えないのでおそらくは気のせいなのだろが。

 そんな微妙な雰囲気のまま魔物の再出現(リポップ)もなく、程なくして第二休憩地点である機動鎧(ムービングメイル)との戦闘跡地に到達した。時計を確認する。探索を始めて六時間と少しほど経過している。平均速度は時速八キロ前後。なかなか順調である。

 戦闘跡地に捨て置いた鎧や蛇の残骸は既に失われて久しいようだったが、戦いの痕跡ははっきりと残っていた。

 特に目に付くのは右の壁から天井に掛けての焦げ付きだった。ランタンの爆発によって刻み込まれた黒々とした跡は収束という言葉とは無縁な、無駄になった破壊の放射だった。その焦げ付きの直下には、鎧が腕を飛ばした際の反動を受け止めた跡が地面に押しつけられている。

 その反動の強さを表すように、深く、くっきりと。

「ここまでが探索済みです」

 立ち止まったランタンが振り返ると、ケイスはその戦いの跡に目を向けていた。元探索者の血が騒ぎでもしたのだろうか、天井一杯に広がる宗教画を眺めるように真剣な目付きでじっと見つめ、重く、熱っぽい息を吐きだした。

「――ここでは何と戦われたんですか?」

「え、ああ。機動鎧ですよ。ケイスさんは元探索者でしたね。戦ったことはありますか?」

 ケイスは自分から尋ねたのにもかかわらず、ランタンの返答にはっとして、それからぎこちなく頷いた。

「昔、一度だけ。物質系迷宮はどうにも苦手でして。私たちの探索班は全員が丙種止まりでしたから」

「ああ、まあ向き不向きはありますよね。鈍器がないと物質系は――」

「いえ」

 ランタンの言葉を、その途中でケイスが遮った。

 木訥な声音の中に暗い響きが混じり、表情はあまり変わらないが、それでもランタンが気がつける程度に眉を歪めた。泣き笑いに少し似ている。

「単純に攻撃力が足らなかったんです。道中の魔物でさえ、物質系は私たちには硬くて」

 ランタンは返す言葉が見つけられなくて、小さく頷くだけだった。

 その言葉に同意を示すにはランタンは強すぎたし、軽く受け流すにはケイスの表情は重たいように思えた。そして言葉を選んで会話を続けるにはランタンの語彙は、そして対人(コミュニケーション)能力は絶対的に不足していた。

 ランタンは無言で曖昧に微笑む。

「ちょっと硬すぎるのよ。物質系って」

 言葉に詰まったランタンとケイスの間に生まれた沈黙の産声は、リリオンの声によって掻き消された。

 脇腹に食らったダメージを思い出したのかリリオンは歯を軋ませるように苦く呟いた。殴られた脇腹を撫でさすりながら、頬を膨らませて無邪気に憤るリリオンの姿を見てランタンもケイスも表情を緩めた。

「やられましたか?」

「急にびゅんって腕が飛んだんです。ずるいと思いませんか?」

 リリオンの表情に、懐かしむような雰囲気を湛えながらケイスが尋ねる。リリオンが答えるとケイスは過去の自分を思い出したのか納得したように頷いた。

「なまじ人と同じ形をしていますから、つい忘れてしまうんですよね」

 人間形の魔物は外見がそうなだけであって、人間と同じように動くなどと考えてはいけない。その事を承知してはいてもいざ戦いの中に身を投じると、外見に意識が引き摺られがちである。

 まさに戦士然とした鎧そのものが剣を構えていようとも、純戦士のように近接戦闘に特化していると決まっているわけではない。

 ありがちだが、なかなか克服できないミスである。ランタンやリリオンばかりの問題だけではなく古今東西、多くの探索者がそうなのだという。

 思いがけず共通の話題を交えながら栄養補給と休憩を済ませ、戦闘跡地を後にする。

 最下層まで一気に降りてしまおうと気合いを入れなおし歩き始めると、その出鼻を挫くようにすぐさま魔物と遭遇した。

「これは」

 その気配を感じ取りハンドサインでケイスを停止させると、武器を構えて二人だけゆるりと足を進める。

 そして()()を見た瞬間にリリオンは牙を剥くように好戦的な笑みを作った。臨戦態勢の猫のように肩をいからせて、歯の隙間から鋭い呼気を漏らした。

「落ち着け」

「うん……!」

 ランタンが声をかけて宥めるが、どうにも効果の程は薄いようだ。

 現れたそれは甲殻類じみた印象を与える異形の鎧。

 機動鎧(ムービングメイル)である。

(つが)いだったのか」

 機動鎧に生物学的な雌雄の区別は無論ないが、鎧という形状故に男性用女性用の区別が存在することがあった。

 現れた機動鎧は以前戦ったものによく似ていたが、僅かに細身で曲線的。兜も無骨な樽型ではなく(くちばし)の短い鳥のような形をしている。そして全身がうっすらと赤みを帯びている。

 茹で海老、とランタンが小さく呟く。

 それは女性用鎧、あるいは雌個体と称していいのかもしれない。

 身体は細身でも、雌個体は雄個体よりも上等な武器を所有していた。それは大きな剣で、リリオンのものよりかは僅かに短かったが幅広で三角帆に似ている。

 剣の構え方は雄個体のものと瓜二つで、鋒を地面に擦るようにしながら無造作な足運びでじりじりと間合いを狭めてくる。剣の印象そのものの重圧があり、一度距離を離して仕切り直しをしたくなった。

 だがそれはできない。

 後ろには運び屋がいて、距離は七歩どころではなく五十メートル程も離れていたが、万に一つのことを考えると下がるべきではなかった。また再び腕が飛ばないとも限らないのだ。

 それに意気込むリリオンを下がらせるのは酷く手間であることは疑いようがなかった。

 ランタンはちろりと唇を舐める。

 リリオンの意識は先の戦いと同様に前傾であるが、自らは冷静であるという自覚があった。それならばこの機会はちょうどよい。

 苦汁をなめさせられた魔物と同種の魔物がこんなにも速く現れるとなると、それはもうリリオンの苦手意識や後悔を綺麗さっぱり洗い流すチャンスであると言うほかない。リリオンもやる気十分で、鼻息を荒くしている。

「サポートする。後ろは気にしなくて良いから、好きにおやり」

「うん!」

「でもこいつの腕も飛ぶかもしれないし、他の隠し球があるかもしれない。気を抜かないように――」

 などと暢気にアドバイスをしていることこそが、気を抜いているということに他ならなかった。

 不意に機動鎧の周囲に砂埃が舞い上がって、低音の風鳴りが響いた。鎧の関節の隙間から勢いよく風が吹いて、鎧が浮揚したのである。鎧は地面より一センチほど浮かび上がり安定し、まさに空に立っているようだった。

 なるほど飛ぶのは腕ばかりではない。

 足首より吹く風が勢いを増したかと思うと、鎧はまるで飛燕のように高速で接近した。地面を踏んで走るのとはまるで違う異様な軌道を描く。そしてなにより速い。

「しっ!」

 だがリリオンの対応も早かった。

 リリオンにしてみれば歩いてこようが走ってこようが、それとも空を飛ぼうが接近という帰結に違いはないようである。鎧の接近に合わせて大剣を鋭く横に薙いだ。

 しかし機動鎧は膝をほぼ九十度に折り曲げて、仰向けにその横薙ぎをかいくぐる。そして勢いそのままに跳ね起きてランタンに斬りかかってきた。どうにも魔物に好かれていけない。

「くっ」

 リリオンのサポートどころではない。ランタンはそれを受け止めたが、剣は風を纏ってランタンの前髪を巻き上げた。その風に人を殺傷せしめる威力は含まれていなかったが、幾筋もの風の触手がランタンの眼球を無遠慮に触れた。

 非常に鬱陶しくて涙が出る。

 鎧は浮いたままでランタンを鍔迫りに押し込んだ。足首から吹く風は鎧の身体を前に押し進め、肩口から吹く風はランタンを地面に押し潰そうとしている。風は鎧を中心に乱気流を生じさせているかのようで、しかし肌に感じる風の流れを読み取ると、それが循環していることがわかる。

 例えば膝から吸気して、足首から排気する。肩から排気して、肘から吸気するというように。風を生み出しているのではなく、既にある風を操作しているようだ。

 ごっ、と鈍い音を立てて足首から吹き抜ける風の勢いが強くなった。じりじりとランタンは押し込まれる。ランタンの腕が微細に震えて、細腕が細腕なりに筋肉の(おこ)りを見せた。かと思うと、ふっと(しぼ)んだ。

 鎧の後ろでリリオンが独楽のように旋転した。

 躱された横薙ぎの勢いにそのまま身を委ねて、遠心力によって更に勢いを増した大剣が鎧の背中を叩きつけるように薙いだ。斬るには至らず刃で叩いただけだったが、その衝撃は受け流そうと身体を軟らかくしたランタンの腕を伝い手の中にまで痺れをもたらした。

 鎧が押されて、ランタンの膝が折れる。その重心移動に逆らわず、ランタンは身体を沈める。鍔迫りを潜り込むようにいなして、風を吹くその足首を目がけて水面蹴りを放った。硬いが、軽い。風による踏ん張りには摩擦力が生まれない。

 足元を崩された鎧は不安定にぐらついたが、全身から爆風のような風を放出して、天井に身体を打ち付けるようにその場から脱出すると、波に立つ海月のようにゆらりと体勢を立て直した。

 仕切り直しだ。

「嵐熊みたいに風を飛ばすかもしれない。気を付けて」

 この期に及んでそう口走ったランタンを置き去りにして、リリオンが盾を前に構えて走り出した。鎧は剣を突撃槍のように腰だめに構えて突っ込んでくる。剣は中々の品のようだが、流石に力任せに盾を貫くことができない。

 平に構えられた剣が盾の表面を滑る。だが鎧はそのまま盾に体当たりをかまし、リリオンを背後から切り裂くように剣を振るった。

 反応良し。

 リリオンは体当たりをされても踏み留まると、盾を払ってその衝撃を受け流し、さらに大剣で横薙ぎを受け止めた。剣を巻く風が爆ぜてリリオンの外套を巻き上げる。

 二合、三合とその場で何度も打ち合い、懐に入り込んだリリオンの前蹴りが鎧を吹き飛ばした。

 風を吹かして体勢を立て直す鎧を追うようにランタンが三本の打剣を次々に放った。爆発を用いた投擲はまだまだ実用に耐えない。打剣は回転して飛ぶ。狙いは関節。

 肩。肘。膝。

 膝を狙った一本は狙いを僅かに逸れて太股に弾かれたが、だが肩肘を狙った二本は剣を持った右の関節にするりと飛び込んで、まるで(かんぬき)をかけたようにその動きを阻害した。

 機動鎧に利き手はない、筈である。リリオンは機動鎧に剣を持ち変えさせる暇も与えずに踏み込んだ。間に合わぬと悟った機動鎧は曲がらぬ右腕を剣を持ったままに突き出して再び走った。

 先ほどの突撃よりに三割速い。まるで捨て身だ。

 剣が盾の表面を薄く削り、悲鳴のような音を立てた。そして再び滑った鋒がずるりとランタンに向いた。鎧の左手で盾にしがみついてリリオンの動きを止めた。

 その攻撃は知っている。

 似たもの夫婦め、と回避の姿勢を取ったランタンの首筋側だった。

 空気の流れが目に見えた。その流れがおかしかった。

 鎧の肩や肘関節から空気が抜けていた。そしてどこからも吸い込まれていなかった。鎧は体内の空気を抜いているようだ。

 内圧が低下し、ぱきぱきと鎧の軋みが聞こえ、そして排気は終わり、ついに真空となった。

 その瞬間。

 右手首以外の全ての隙間から空気が流れ込み、鉄砲水のように唯一の出口である右手首を目指し腕内を駆け巡った。その突風は刺さった打剣を粉砕して勢いよく溢れ出した。

 それは握り込んだ右手ごと巨大な剣を射出した。

 真空砲。

 あの時の腕と同じように剣が飛ぶ。だが速度は桁違いだった。

 避ける準備をしていても、背嚢を降ろして身軽になっても、それを上回る速度だった。

 鋒がランタンに向き、真空を作り出すまでの約一秒が今では永遠のように長く思える。一秒を寸刻みにしてようやく目視できるほどの速度。そしてその運動エネルギーを抱えて飛来する剣。

 爆発で吹き飛ばすことはできない。その爆風が切り裂かれることは目に見えている。

 ランタンは咄嗟に身体を沈めて顔を傾げた。それでも胸骨から喉を貫くのが、喉から顔面を貫くのに変わっただけだ。

 足らない。

 ランタンは手首を回し戦槌を剣の進行方向に合わせて立てた。どうにか剣を防ぎ、逸らした。舞った火花が頬に落ち、左の耳を鍔元の刃がぺろりと舐めて切り裂いた。腕がびりびりと痺れる。

 すぐ傍を通った風切り音が鼓膜を破りかけて、その剣は壁深くに突き刺さった。音が一秒空けてようやく聞こえるようになり、左の耳に届いたのは血の溢れる音だった。

 だらだらと流れ出た血が耳の中を満たした。

 危うく顔面を真っ二つにされるところだった。それを思えば左の耳が上下の二つに切り裂かれることなど大した問題ではない。

 機動鎧はランタンを仕留め損なったことにはなんの感情も抱かずに、戦闘思考を徒手格闘に切り替えて、地に足を付けてリリオンの大剣と打ち合っている。

 鎧の、金属の身体を生かした強引な格闘攻撃と、風を撃ち出すのみとなったがそれでも無視できぬほどの大威力の真空砲。真空砲を使用する際にだけ鎧は浮揚し、発射の反動で距離を取った。

 必殺の真空砲を移動手段とする辺り、なかなかに賢しげな戦闘思考を持っているようだ。

 だが戦闘を有利に進めているのはリリオンだった。

 剣で打ち、盾で殴り、真空砲を放つ瞬間には盾を前に踏み込んだ。風を強引に押し散らすこともあれば、角度を付けて流すこともある。そして引き足を追って、その脚を蹴り払った。

 集中している。

 ランタンのことなどこれっぽっちも心配していないのはそもそも後ろを振り向いていないからで、後ろを振り向かないのはランタンがどうにかなるとは思っていないからだった。

「かっこわるー……」

 どうにかなっているランタンは耳の中の血を掻き出して、摘まみ取るように指先で乱暴に拭った。流石にこの長さの傷だと血は止まらず、耳ほども薄いと爆発で焼き固めることは難しい。

 短く息を吐いてランタンは走った。

 リリオンが真空砲を躱し、その射線上にいたランタンに空気の塊が迫る。それをするりとやり過ごし、ランタンは壁を蹴って機動鎧の頭上を飛び越えた。そして真空砲の反動で後ろに下がり、尚且つリリオンに蹴っ飛ばされて体勢を崩した鎧の後頭部を靴底で思いっきり蹴りとばした。

 鎧は断頭台に首を差し出すように。

 半秒遅れてリリオンの一撃が真上から降り注ぎ、兜の首を切断した。関節をつなぎ止める不可視の力が切断されて、兜がぽんと跳ねてランタンがそれを受け止める。

 兜の中には精核があり、そこに集められる魔精は未だ染み出すように鎧の方へと流れていた。

 機動鎧はまだ動いている。首を刎ねて一瞬気を抜いたリリオンを殴りつけて距離を取り、兜を取り戻そうとランタンに向かっている。

 兜。それは少し雀に似ているような気もするが、雀のように可愛くはない。それに重たい。

 ランタンはその中身に手を伸ばした。兜の中には重く粘つく気配が篭もっていて、精核はその暗黒羊水に浮かぶ胎児のようだった。それを取り出す時に、臍の緒を引き千切るような感覚がある。

 それは物凄く不愉快な感覚で、暗黒羊水が手に絡みつき、それが霧散すると手の中に青く光る魔精結晶が生まれる。

 暗黒羊水は霧のように晴れ、力を失った機動鎧が糸のように崩れ落ち、関節の接続は断ち切られてばらばらと地面に転がった。空洞に音が響きぐわんぐわんと酷くやかましい。

 その音を掻き分けてケイスが荷車を走らせて近付く音が聞こえた。

「ランタンさん、リリオンさん大丈夫ですか!?」

「ええ、耳がちょっと千切れかけただけなので。それよりも回収と鑑定お願いして良いですか?」

 日焼けした顔を上気させて何やら興奮気味に、それでいて心配そうにしたケイスにランタンは軽く答える。耳の出血は未だに治まらなかったが、痛そうな素振りは欠片も見せなかった。そんなランタンにケイスは目を丸くした。

「は、――はい。すぐに。あの、薬が必要なら言ってください。用意がありますので」

 ケイスは輓具からロープを外して鎧を回収しに向かった。

 探索者にとってこの程度の傷は日常茶飯事だ。生死に関わらない傷はいちいち大げさに心配するようなことではないのに、ケイスはなんとも大げさなものである。元探索者ならばこれぐらいで取り乱してもらっては困る。

 そして現役探索者が取り乱してはもっと困る。

 出血が派手なのでリリオンが驚いている。

 ランタンは驚いたままのリリオンに命令して水筒を傾けさせると、流れ出た水で患部を洗い流し、ギルド医に怒られそうな程にべたべたと血止めの軟膏を塗りつけた。そしてその軟膏を糊に見立てて患部を貼り合わせると、その上からテープを巻いて固定する。

「……それでくっつくの?」

「くっつくよ、たぶんね」

 テープが剥がれないように、糊付けが剥がれないようにランタンは縦横斜めにテープを貼り付ける。

 耳なんて無くなっても戦闘に大した支障はないが、戦闘中にぶらぶらしては気になってしょうがない。ランタンはしっかりとくっついている耳に納得したように頷いた。

 しっかりくっつかなかったら引き千切っているところだ。ランタンが冗談めかして言うと、リリオンがぎょっとして目を剥いた。

「……ランタンって変」

「変じゃないよ、普通だよ。次はたぶん最終目標なんだし、万全の状態にしなきゃね」

「じゃあ、じゃあ。指が千切れかけたらどうするの?」

「指はなくなったら困るから繋げるよ。何言ってんの」

「うー……」

 納得いきかねるように唸るリリオンだが、少女は健気にも濡らした布でランタンの身体を清めている。

 血は髪に染みこみ、頬から顎にまで垂れ、首から鎖骨に滴っていた。リリオンはランタンの襟元からそっと手を差し込んで、その身体を汚す血を布で吸った。そしてまだ綺麗な布の端を指に巻くとランタンの耳の穴にその指を這わせもする。

「うん綺麗になったわよ」

「ありがと。じゃあ、あれ手伝ってあげて」

 鎧を一纏めにしたケイスだが、壁深くに突き刺さった剣を抜くのに苦労しているようだった。ランタンが指差すとリリオンは頷いて小走りにケイスに駆け寄る。ケイスはリリオンの手伝いを遠慮しているようだったが、リリオンがランタンを指差して何やら言うとそれを受け入れた。

 雇い主の意向は絶対のようだ。

「僕も手伝いましょうか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 ケイスは剣をそのままにランタンの方へ、ではなく荷車に駆け寄るとロープを一本取り出して剣の方へと戻っていった。ケイスはそのロープを鍔から柄にかけてしっかりと巻き付け、リリオンに手袋を貸すと二人息を合わせてロープを引いた。

 剣は根元まで壁に埋まり、伝説の剣もかくやと言うほどしっかりと食い込んでいる。ロープを引くケイスの目がぎんぎんに怖くなり、リリオンの口元がへの字に曲がり鼻の穴が膨らんだ。

 ランタンは彼女たちの名誉のために目を逸らした。

 なかなか手間取ったようだが程なくして剣は抜き取られて戦利品一式がランタンの前に並べられた。鎧には切り合いの傷が幾つも刻まれていて、背中に横一文字に入ったものはなかなか深くリリオンの膂力を思い知らされた。

 剣はあれほどに手ひどい扱いを受けたことを思えば美品と言えたが、流石に先端が僅かに欠けていた。とは言え壁に当たって拉げ、砕けていないだけでもなかなかの一品と言える。

 ふうん、と素人目に覗き込んでいるとケイスは、鎧は半分置いていきましょう、と提案した。

「何故ですか? 全部揃っていた方が値は上がりませんか?」

「ええそうですね。完品ならば付加価値は付きます。ですがこの鎧の場合は持ち帰ることのメリットの方が少ないです。鎧ですが全身で六十キロほどもあります。細く見える分、内側が厚いのです。女性でも相当細身の方しか装備は無理でしょうし、そもそも重すぎます。これは買い手が付きづらいです。それに――」

 ケイスは今一度、その鎧をランタンたちに見るように促した。右から兜、胴、腕、腰 脚と几帳面に並べられている。

「デザインが悪いです。女性用でこれは大きなマイナス査定になります」

「あー、たしかに」

「さすがにランタンでも似合わないわね」

「女性用だっての」

「――ですがこれの腕部、下肢部には風の魔道が刻まれていますのでそこだけ持ち帰るのがよろしいかと。魔道の内容はきちんと鑑定しませんといけませんので明言はできかねますが、これだけで相当な値段になるでしょう。他の部分は下手をするとその査定の足を引っ張りかねません」

 確かに機動鎧は完全装備をするには悪趣味が過ぎたが、例えば腕だけ、脚だけならば装備のアクセントとしてよいかもしれない。ランタンの趣味ではないが。

 全てが揃っていることも良し悪しなのか、とランタンは唸った、戦利品の取捨選択は様々な要因を加味しなければならないが、デザイン性などと言うものはランタンの思考の埒外である。

 視点が一つ増えるだけでも、知ることは多くある。

「それと剣は良品ですね。こちらも風の魔道が刻まれています。おそらく太刀筋を安定させる類いのものですね。そのためサイズも重量もありますが、こちらはそれがマイナスには働きません。先端が欠けていますが、魔道部分を残したまま少しサイズダウンすれば良いだけですし、サイズは下げた方が買い手も付きやすいでしょうし、これも問題は無しですね。――以上のことから私は鎧の腕部、下肢部、それと剣のみを持ち帰ることを提案させていただきます」

 どうでしょうか、とケイスの目が尋ねてきてランタンは一も二もなく頷いた。

「それで構いません、積み込んでください」

 ほっと胸を撫で下ろしたケイスがてきぱきと荷車に鎧を積み込み始めた。

 その脇で剣に魔道が刻まれていることを知ったリリオンが、興味深げに剣を持ち上げて振り回している。三角帆の剣はその横腹に蛇がのたうったようなうねうねとした文様が刻み込まれていた。

 太刀筋は安定している。だがそれは魔道とは関係なく、ただリリオンの膂力によるもののようだった。それは機動鎧の剣撃と遜色ないように思える。

 魔道の補助無しでこれか、とランタンは半ば呆れた。

「……魔道ってどうしたら発動させられるの?」

「さあ?」

 ランタンは肩を竦めて、さっさと荷車に剣を放り込むように伝えた。

 知らないのはランタンも同じだった。


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