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頭巾に切り取られ狭められた視界と、そっと覆われた耳に聞こえるぼわぼわ濁った外音、そして頭巾の内側に篭もった熱を無視できれば、それなりに快適だとランタンは思った。
頭巾のことを雨避け程度にしか考えていなかったが、認識を改めるべきだろうか。
頭巾の中に隠れた顔を覗き込もうとするような無粋な輩は隣を歩く無邪気な少女しかおらず、人目を気にする必要は全くなかった。目深に頭巾を被っていようともそれは珍しいことでは無い。道を歩く人々は帽子を被っている者も、巻き布をしている者も、中には兜を身につけたままの者も居る。
狭い視界を補うように、真っ直ぐ前を向いて歩く。
「気にしすぎだったのかも」
「なにが?」
僅かばかりに照れて呟いたランタンの小さな囁きを、リリオンが耳敏く捉える。
「んー、……まあ、噂話」
クーパーが、みんな話している、などと法螺を吹くものだから道を歩くだけでもうんざりとした気分だったのに、そこにはいつもと変わらない猥雑な日常があるばかりだった。
そもそも行きに話しかけられなかったことを思い出せば、こんなにびくびくする必要などはなかったのだが、ランタンはそんなことを思い出すことすらできなかった。
リリオンは耳を澄ませるように黙り込んだ。猥雑さの中に、ランタン、の四文字が口に出されていないかと探っているのだ。音を聞く事ばかりに意識が集中していて、足元がおろそかになっている。ランタンはしかたなく強めに手を引いた。
「残念……ねえ酒場に行く?」
「行きません」
酩酊の享楽にふけることは多くの労働者の日常的な娯楽であり、そこに探索者が含まれない理由はなかった。魔精の影響か探索者の多くはアルコールへの耐性が強く大うわばみであり、大なり小なり下品で乱暴なところもあったが彼らは酒場の上客だった。
そんな中にランタンが行くと言うことは、兎が虎穴に飛び込むに等しい。そんなことをするぐらいならばキツめの迷宮に放り込まれる方が気が楽だ。
「せっかく褒められてるのに。じゃあ頭巾とる?」
「何がじゃあなのか」
リリオンは何故だかランタンが頭巾をしたまま歩くことを好まずに、隙を見てはそれを脱がそうとしてくる。ランタンはそれを面倒くさそうに振り払った。
リリオンはランタンが噂話で褒められていることを嬉しく思っているようだったが、ランタンはむしろうんざりしていた。ちやほやされることに気分を良くしたことがないと言えば嘘になる。だがちやほやされている時、同時に陰口を叩かれることをランタンは実体験として知っていた。
だからあまり褒められることが好きではない。
陰口に傷つくような繊細な精神をしてはいない、と思っている。だが苛々しないわけではない。
ランタンはふらふらするリリオンの手を引きながらも、ふと思考が沈んで、知らず己の爪先を見てしまった。昔、苛々して物にあたったことを思い出した。爪先が黒鉄に被われていなかったら指先を骨折していたかもしれない。
俯くと頭巾の影がいよいよ濃くなる。視界は狭く、視線は足元。だがそれでも周囲への警戒を怠らないのは、それが癖になってしまっているからだった。
このまま歩くと集団にぶつかる。進行方向から三名が歩いてくる。三角形を作るようなその陣形は、人混みを押し分けて、また自らに避ける意思がないことを如実に顕している。
ランタンは爪先の向きを変えて、リリオンを脇に押しのけるようにゆるりと右へと逸れた。だがその三名がランタンたちに向かってきた。同じタイミングで避けたのではなく、見てから向きを変えた。
「ふむ」
頭巾の効果が切れたと言うことだろうか。いや、顔を隠そうとも背丈は誤魔化せない。リリオンとの対比で余計目立っているのかもしれない。
よくいる手合いだ。ランタンに用があるのではなく、背の小さい小綺麗な少年に用があるようだった。面倒くさいな、とランタンは思った。
立ち止まってやり過ごすことはできない。立ち止まったら囲まれる。大きく避けてもきっと何かしらのいちゃもんを付けてくるだろう。あれらはそう言った理不尽なものだ。
顔を上げて視線を左右に振った。近くに衛士はいない。背後からもガチャガチャとした全身鎧の鉄擦れの音は聞こえない。
「ランタン?」
「手、放すよ。ちょっとの間、他人の振りね」
「え、ランタン? なに? ねえ――」
答えず、ランタンは大きく一歩踏み出してリリオンを置き去りにした。鼻から息を吸って、ゆるりと丹田に力を蓄えた。歩く速度はそのままに、地面を蹴り身体を前に押し進めると、力が血液に乗ったように全身を循環した。足の裏から膝へ、腰を回して背筋を駆けて、肩に伝わる。
接触。
「痛ってえ――!?」
なお前この野郎、と男は尻餅をつきランタンを見上げながら言った。それが用意してあった言葉なのだろう。はじき倒されてなお男の放った言葉は明確に聞き取ることができた。
一対一ならばこのまま無視して歩き去ってしまえばよかったが、残念ながら彼らは三人連れだった。残りの二人は無様に転んだ男を指差して大笑いしている。脇を抜けようとしたら、笑いながら遮られた。
「ぎゃはは、お前何してんだよ」
彼らは転んだことを大げさな演技だとでも思ったようで下品な笑い声で男を囃し立て、転んだ男は照れ隠しか憤慨の表情を貼り付けて立ち上がった。転んだ男もまたランタンに転ばされたとは思っていないようだった。
探索者だ。
男たちは全員これ見よがしに手首にギルド証を嵌めていた。ランタンはそれを嘆かわしく思うと同時に諦めのような虚しい気持ちも抱いた。人目のある往来であっても、このような恥知らずな行為を行う探索者は残念ながら珍しくはないのだ。
探索者の死傷率は高いが、それで失われる数よりも新規参入者の方が多い。多大なる侮蔑を含んだ揶揄として、探索者は掃き溜めから生まれるなどと言われることもある。
男たちの笑い声や怒鳴り声に人混みがざっと割れる。我関せずと無関心に通り過ぎる者も、辺りを囲みランタンに同情する者もそこにあるのは、ああまたか、と言うような慣れた雰囲気だった。
ランタンは頭巾の下から男たちを見上げた。
本当に掃き溜めから生まれたのかもしれない、とそう思わせるような顔つきだった。表情には侮りと優越感のようなものが感じられる。体格は良いが、探索者にしては弛んでいると言わざるを得ない。何をするにも鈍そうな印象がある。
男たちの間合いは近い。最も近くにいる転んだ男に至っては、既にランタンの間合いの中だ。一歩踏み出して手を伸ばせば文字通りに命に届く。
分かりきったことだが、まともに探索などはしていないのだろう。探索者の中でも下の下どころか、評価を与えるにすら値しない連中だった。男たちは探索者ではなく、ただの破落戸だ。
「ふ」
人のことは言えないか、とランタンは自嘲するように唇を歪める。
どこに目を付けて歩いてんだとか、服が汚れたからなんだとか男たちが口々に定型文を喚いている。ぶつかってきたのは男たちで、男たちの身なりはもう一ヶ月は服を洗っていなさそうに汚れている。それは金銭をせびるための建前に過ぎない。
だがランタンが男たちにぶつかったのも、また苛立ちを発散させるための建前のようなものだった。ちょっと近場の店にでも入れば、男たちをやり過ごすことはできたのだから。
どれもこれもゼイン・クーパーのせいだ。彼が変な話などしなければ、ランタンは未だ何も知らず気分よくいられたというのに。
思わず漏れたランタンの笑みに、男の一人が苛ついたように手を伸ばした。
そして頭巾を叩き上げるように剥ぎ取ろうとした。指が短く、爪が長く、先っぽが少し欠けている。それに汚れてもいる。触りたくも、触られたくもない。
ランタンは僅かに顎を傾けるだけで、その指先を空かした。
さてどうしたものか、とぶつかった肩を今更ながら払いながら思案を一つ。
男たちが酷く騒がしくしているために野次馬が増えてしまった。慣れた出来事であっても、あるいは慣れているからこそ、それを娯楽の一つとして楽しんでいる節があった。
野次馬たちを楽しませるために血湧き肉躍る戦場を作り出すのも悪くはなかったし、ランタンも当初は暴力によってこれを解決しようと考えていたのだが、今ではすっかり気分が萎えてしまった。
衝動的に動くものではないな、といつもいつも思っているのだが、いつもいつも衝動的に動いた後にだけ後悔が訪れるのだからたまったものではない。
しかしそんな反省をしているランタンとは裏腹に、男たちは引っ込みが付かなくなってしまったようだ。いい大人が三人がかりで子供にいちゃもんを付けて、なおかつそれを半ば無視するような形であしらわれていることが男たちには我慢ならないようだった。
口々に吐き出される罵詈雑言はそろそろ耳が腐りそうなほどだった。
そもそも子供相手に喝上げをかますような精神を恥じれば、このようなことにはならなかったのに。ランタンは大きく大きく溜め息を吐き出した。
血管の切れる音が聞こえた。
ランタンの態度に男の身体が僅かに沈み、彼の手が腰に差した剣の柄に触れた。そして一気にそれを引き抜こうとして、失敗した。
「んだらぁてめぇ!」
ランタンには聞き取れない罵声だけが虚しく響く。
柄頭をランタンが封じていた。いつの間にか引き抜いた戦槌が、柄頭をそっと押さえているのだ。軽く押し当てているだけのようにも見える戦槌だが、男が腕をぶるぶると震わせても鍔鳴りすら鳴らすことができないでいた。
そして三人が顔を青くした。ランタンに、ではない。
「……何をするの」
痺れを切らしたリリオンが、ランタンの後から大剣を突き出して男の首にびたりと当てていた。その声が僅かに低く、唸るような響きを伴っていた。
突然の闖入者に野次馬は無責任に盛り上がって、拍手をしたり口笛を吹いたりしてリリオンを囃し立てた。だが少女はそれらを完全に無視して、ただ男たちを冷たく見据えている。
喉元に突きつけられた鋒が薄く皮膚を貫いて、浮き出た血が小さな玉となっていた。剣は男の顎を持ち上げて、少しでも震えたら喉を切り裂かんばかりに押し当てられていた。剣を向けた男はもとより、残りの二人も気圧されたようだった。
やっぱり身長があるといいな、とランタンは思った。ランタンも似たようなことをしたことはあったが、その時は鼻で笑われたので実力行使に出るしかなかった。見上げるよりも、見下ろすほうが威圧感が出るのだろう。
ランタンは戦槌を強く押し込んで男を後ろに転ばせて剣から解放してやった。そして顔の横を通る剣の腹を軽く叩いて、それを引っ込ませた。何気ないその仕草に何故だか野次馬が沸いた。そして男たちはランタンとリリオンの姿を見比べた。
男たちを見下ろしたリリオンの、その上にランタンがいることを悟ったようだった。
ランタンは男のギルド証を指差した。
「迷宮で稼ぐ気が無いのなら、さっさと返納すること。次は無いよ、……もう行け」
ランタンは男たちに冷たく言い放って、犬でも追い払うように手を振った。そして男たちが去って行く背中を見つめ、まだ残る野次馬に向かって一礼した。リリオンは何だか分からないようで、慌てて小さく顎を引いた。
「おさがわせしました。――ほら行くよ」
見世物としては上々だったようだ。送り出すような拍手や、野次馬を掻き分ける際に叩かれた肩の痛みは一つも嬉しくなかったが。ランタンはそれらの感覚を振り払うように、リリオンの手を乱暴に引っ張って、足早にその場から離れた。
素早く現場から遠ざかることは面倒事を回避する秘訣である。ただでさえ絡まれているというのに、この期に及んで衛士隊に絡まれたくはないのである。野次馬たちもまたその事を知っているので、振り返ればそこに騒乱の残滓は残っていない。
後を引いているのはリリオンだけだ。
「どうして言われっぱなしにするの」
リリオンがランタンに向けてぷりぷりと怒っていた。
少女はランタンが男たちから好き勝手に罵倒されたことが我慢ならなかったようだ。そして同時にランタンがそれに対して何の反応を見せなかったことも。
「言い返したところで何があるのさ」
そう言ったものの。
「でも!」
でも、言い返さなかったせいで、リリオンに尻ぬぐいをさせてしまった。
暴力以外の解決方法を持っていないのならば、そもそも男たちを是が非でも回避するべきであったし、それを行えなかったからには初志を貫徹するべきであった。今回はランタンの優柔不断さが招いた結果でもある。
「悪い」
吐き出すような謝罪は自己嫌悪が混じり、むしろふてぶてしく響いた。そんなランタンをリリオンは小さく頷いて許した。
格好悪いな、とランタンは顔を歪める。大きく息を吐いて表情を作り直し、リリオンを見上げた。
「でもね、リリオン」
「うん?」
「上街ではあんまり剣を抜いちゃ駄目だよ」
「なんで?」
「……逮捕されるから」
「わたし、悪いことしてないよ」
「衛士からすれば剣を抜くことが悪いことなんだよ。特に大剣は目立つしね」
正当防衛だとしても、とランタンの呟きが苦々しかった。そこにある響きに口答えするように反応を返してきたリリオンが押し黙った。しばらく沈黙があって、リリオンは盗み見るようにランタンを見下ろして、聞き辛そうにしながらも小さな声で尋ねた。
「……逮捕、されたの?」
「ぎりぎりされなかった」
その時は狩猟刀で、ちょっと耳を削いだだけだった。
死ぬような怪我ではない。片方の耳なのだ。二個ある内の一個だけだったので、もしかしたら当時駆け寄ってきた衛士はただ単に、それでお終いにしなさい、鼻は勘弁してあげなさい、などと注意を促そうとしただけだったのかもしれない。
だが当時のランタンにしてみれば、あの衛士は己を組み伏せて後ろ手に縛り上げるために駆け寄ってきたのだと信じて疑わなかった。なので全速力で逃走した。そう言えばその時も頭巾を被っていたことを思い出す。顔を隠すために必死だったのは今も昔も変わらない。
「だから気をつけてね」
「――分かった。次からは素手でやる。だからまた教えてね」
「何言ってるのさ、暴力に訴えたらダメだよ。――まったく、どこで覚えたんだか」
「ランタンはいつもそうしてるじゃない」
「ははは、そんなまさか」
そうこうしている内に探索者ギルドに辿り着いた。
グランからは武器屋に持って行った方がいいと助言を貰った飛刀だが、換金しなくてはならない魔精結晶も残っているので結局いつも通りに探索者ギルドで換金をすることにした。これもまた商工ギルドが後塵を拝している理由の一つなのだろう。ありとあらゆるものを一纏めに換金できることは、多少の低利を許せる利便性である。
飛刀の換金額は魔精結晶換金の誤差程度でしかなかった。迷宮由来の武器としてではなくただ単に金属としての価値しか付かなかったのだ。相変わらず渋い値付けなことだが、そもそもそこに文句を付けるのならばここには持ってこない。
ランタンたちはきょろきょろとして犬頭の兜でもないかと辺りを窺いながら、換金で得た金貨を銀行に預けた。犬頭の兜の姿は見当たらないが、武装職員とよくすれ違っているおかげで探索者に絡まれることはなかった。
「ねえ、ランタン。あれ」
リリオンが指差して一枚の張り紙の前にランタンを引きずった。それは文字ばかり書いてある地味な張り紙でランタンは素知らぬ顔で、これがどうかした、とリリオンに尋ねる。
「これグランさんが言ってたやつじゃないかしら?」
「……うん、そうみたいだね」
周知されていないのも無理はない。その張り紙はランタンが文字を読めないことを抜きにしても、全く人目を引くようには出来ていなかった。それは広告とはとても呼べない、ただの事務的な掲示物でしかなかった。
百戦錬磨の職人と、商人の代表の仕事としてはお粗末極まりない出来だった。
「……やる気ないのかね、実は」
「運び屋、はけん、サービス。探索ちゅうと、けいやく、可。難易度、せきさい量におうじ、価格へんどう有。要相談。知識ほうふ、女性、元探索者、いる」
隣でリリオンが片言で文章を読み上げてくれる。片言なのはリリオンの読解力の問題ではなく、文章が硬く、また箇条書きであるためだと思われた。ランタンはそれを涼しい顔をしながらも、一言一句逃さぬように、必死で音と字面を結びつけて頭の中に叩き込んでいた。一言一聴では二割ぐらいしか覚えられない。
「へえ元探索者ね、それは良いかも」
現場を退きいくらか衰えたとしても、その肉体に宿る力はただの運び屋よりかは優れるだろう。ランタンが不安視する肉体的な能力差から来る探索計画の遅延をいくらかマシなものにしてくれるかもしれない。
張り紙は見つめていても一つも楽しくはなかったので、一通りリリオンが音読し終わるとすぐにそこから離れた。そしてテスが見つからないのならと、司書のいる黒い部屋へと向かった。
「お姉さまいるかな」
「んーどうだろうね。年中無休ってわけでもないだろうし」
黒い部屋は前に訪れた時よりも賑わっていた。濃いインクの臭いと、それに混じって鉄や革の装備の臭い、つまるところの戦う人間の臭いがした。風呂に入れ、とランタンは小さく毒づく。
部屋の中では三々五々の賞金稼ぎたちが品定めでもするかのように手配書を眺めながら話し合いをしている。それは壁の品書きを見て昼食を決める様にどこか似ていた。気楽でありながらも、真剣みもある。
受付では司書が賞金稼ぎから書類を受け取ったり、書類を渡したりしていた。司書は事務的にそれらの人々を捌いていく。
「お姉さま忙しそうね」
ここからでは受付口から覗く一部、それもあの司書服に包まれた、しか見ることができなかったがリリオンはそれがお姉さまであることを確信しているようだった。姉妹の絆だろうか。ランタンには同一人物か全く分からない。
とりあえず司書は忙しそうで、無駄話に付き合わせる暇はなさそうだった。
だが司書の手際は見事で黒い部屋に入っては受付口に向かっていく賞金稼ぎたちを、水の流れのように止めどなく捌いている。手隙になるのにそれほど時間は掛からないだろうと思われた。
ランタンたちは取り敢えず賞金稼ぎたちに倣って壁に貼られた手配書を眺めて時間を潰すこととした。手配書に記される顔は様々だ。見るからに凶悪そうな者もいれば、真面目そうな者もいる。
「いい加減、頭巾脱いだらどう?」
「……それもそうだね」
手配書を見るために顎を持ち上げ、そのたびに頭巾を押さえるランタンにリリオンが言った。
辺りにいる賞金稼ぎの中には兼業探索者もいたが、彼らは罪人たちに夢中でランタンたちのことは気にも止めていないようだった。あるいはやはりランタンの気にしすぎなだけだったのかもしれない。
ランタンはずるりと頭巾を剥いだ。頭を覆っていた熱が脱げるようになくなって、視界が開け音もはっきりと聞こえるようになった。不思議とインクの臭いさえももっとはっきりとかぎ取れるような気がするほど、気持ちのよい解放感があった。
ランタンが髪を揺らすと、リリオンが手櫛でランタンの髪を梳った。爪が少し伸びていて、頭皮を僅かに引っかかれるような感覚があった。住処に戻ったらヤスリで削ってやろう。
そんなことを思いながら手配書を眺めていたら、小さく耳障りな音で口笛を吹かれた。その音に部屋の中にいる賞金稼ぎたちの視線が注がれて、口笛の主はランタンが横目に視線を寄越すとニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「ヘイ、ランタン! こんな所でデートか?」
思春期かよ、と思っても口には出さない。今日はずいぶんとよく絡まれる。全く以て嫌になった。
「ええ、そうです。なので邪魔をしないでください。馬に蹴られますよ」
ランタンはリリオンをそっと背中に隠し、賞金稼ぎ兼探索者であるらしい男の無粋な視線を遮ろうとした。が、如何せん身長差がある。ランタンの頭上を通り越して男の視線がリリオンへと向いた。リリオンがランタンの外套を掴み、けれどその視線に怯みながらも睨み返した。
リリオンに下卑た視線を寄越す男にランタンが淡々と告げる。
「あれ聞こえませんでしたか? 邪魔、ですと言ったのですけど」
「ああ!? 邪魔なのはてめぇだろうが! ちょっと目立つからっていい気になってんじゃねーぞ!」
声を荒げ視線を下げた男をランタンは冷たく見据えた。初志貫徹。分かっている、と自分に言い聞かせる。あとはタイミングを図るだけだ。探索者同士に私闘は禁じられているが、後出しならばきっと情状酌量があるはずだ。
「まあ、僕が目立っていることは否定しませんよ」
さっきの去り際に似たようなことをしたし、クーパー相手に愛想を振りまいた。探索者に囲まれてても大丈夫だ。彼らの視線にランタンは、刷り込まれたように怯えそうになるが、それをどうにか押さえ込む。
ランタンは辺りから向けられた視線に向かって余裕のある笑みを浮かべて、手を振ってさえみせた。いつもならばこんな事はしない。三度も面倒事にあったせいで、ランタンは多少壊れていたのかもしれない。
そんなランタンに周囲はやんやと喜ぶ者も居れば、男と同様に罵声も浴びせる者も居た。怯える者も、心配する者も。だがどちらかと言えば喜んでいる人間の方が多かった。
「そんな大きな声を出すからみんな見てますよ。目立ってますね。貴方も手を振ったらどうですか?」
「てめーこのやろうっ! 馬鹿にしてんのか!!」
「何か馬鹿にされるようなことをしたんですか?」
外套を掴むリリオンはいつの間にか不安から、ランタンを諫めるような形になっていた。
目の前の男は今にもランタンに飛びかからんとするほどに苛々としているが、その感情に呼応するようにランタンも苛つきが高まっていた。
リリオンがいなければ相手の顔面に拳をめり込ませていたかもしれない。ついに男が剣に手を掛けた。その時。
「そこ! 五月蠅いぞ!」
特徴的な二重声は、鼓膜を突き破り背骨を引っ掴むような怖さを響かせていた。カッカとしていたランタンは一瞬で大人しくなり、だが男は鈍感なのか噛み付くように振り返って、すっこんでろ、と声の主に怒鳴り散らした。
ビックリするような怒声にも司書は全く動じなかった。司書服の上からでも冷徹な表情をしていることが感じられた。
「誰に向かってものを言っている。丙種探索者ダリウス・バエサ。忠告は一度だ二度目はないぞ」
「なんで名前を……!」
氏素性を押さえられているバエサが喉を絞るようにして呟いた。これ以上の問題を起こすと探索者ギルド直々に処罰があることを悟ったのだろう。
「怒られてやんの」
「お前もだランタン。いちいち煽るな。次やったら、分かってるな」
「……はい、気をつけます」
すっかり意気消沈したランタンを後ろからリリオンが抱きとめた。
それを見て苦々しく顔を歪めたバエサが、小さく、司書に聞こえないほどので舌打ちをして足をどかどかと踏み鳴らしながら部屋から出て行った。数名、それを追った。
「おさがわせして申し訳ありませんでした」
「いや、ありゃ向こうが悪いよ。気にしなさんな」
「もうちょっと穏便にできるだろ。あいつが怒るのも無理はないぞ」
「そもそもなんでお前ここにいんだよ」
「賞金稼ぎもやんのか。良かったらノウハウ教えても良いぜ」
「マジこんなとこでデートすんの? マジで?」
「……そんなわけねーだろ。だから女できねーんだよ」
頭を下げたランタンを慰める者、文句を言う者、無駄話をする者が近づき囲み、次々に好き勝手に口を開いた。半分以上が聞き取れなくて目を回しているランタンに、小さく冷たい声がやけにはっきりと聞こえた。
「貴様ら、ここは談話室ではない。五月蠅くするのならば出て行け」
怖い、と感じたのはランタンだけではなかったようだ。部屋の中は水を打ったように静かになり賞金稼ぎたちの多くは部屋を出て行き、本当に用があったものもびくびくしながら司書に手続きを頼みそれを済ませると足早に部屋から逃げ出していった。
ランタンたちだけが取り残されるのに時間は掛からなかった。
「リリオン、空いたから、ほら司書さま」
リリオンを嗾けて受付口に突撃させ、ランタンはその後ろをついて行った。だがリリオンはランタンの予想に反して受付口に上体を突っ込んで司書をあたふたさせるようなことはなく、司書と二、三言葉を交わすとランタンに受付口を譲るように脇に避けた。
ランタンはその前に足を進める。先手必勝。
「こんにちは。お久しぶりです。ごめんなさい」
「ああ久しぶり。元気そうだな。謝ることをするぐらいには」
「はい、おかげさまで。その、ご迷惑お掛けしました」
「……売られたケンカを買うことも悪いことだとは言わない。なんだかんだでお前も男だしな」
「はい」
「できることなら時と場所を選ぶべきだが、さっきのはまあしかたがない」
「ですよね」
「調子に乗るなよ」
「……はい」
「問題はやり口だ。わざわざ相手の敵意を煽るような真似をするな」
「ですがギルド法が」
「真面目なんだか陰険なんだか分からん奴だな。しかしあれでは聞いてる方も良い気分ではない。無駄に敵を増やすだけだぞ」
「はい。ご心配をお掛けして申し訳ないです」
一通りの説教が済んだところでランタンは受付口に手を突いて頭を下げた。
司書は溜め息を吐いて、差し出されたランタンの旋毛を手袋をした手でさらさらと撫でて許した。そして何故だかリリオンもランタンの髪を掻き回した。司書が止めても、リリオンが止めなかった。
「そういうのも無駄に敵を作る一因だな」
「そういうのってなんですか?」
リリオンがきょとんとして、ようやく手を止めて司書に尋ねた。だが司書は溜め息を漏らすばかりで答えるような気はないようだった。
「で、お前らは何しにきたんだよ。私の仕事の邪魔か?」
ある意味そうだったが頷いたら叩き出されそうだったのでランタンは、実はですね、と噂話をされていることを邪魔にならないように気を遣って話し出した。
「――回りくどい。簡潔に」
「……はい」




