053
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吟遊詩人喰らいと言う名前の蜘蛛の魔物がいる。
そうグランが教えてくれた。熟練の武具職人である老人はまるで怪談話の語り部のように、深く、重く、冷たい語り口でランタンの背筋に触れた。
ランタンはその自らの意思に合致する存在にわくわくとしながら、そしてごくりと唾を飲んで話の続きを急かした。そんなランタンをじらすように、グランはたっぷりと間を開けて髭の下から蜘蛛の生態をランタンに語る。
蜘蛛は瓢箪型の胴体部が二十センチほどもあり、そこから生える四対八本の脚は男の指のように太く先端にびっしりと産毛のような糸針が生えている。その針は無痛であり即効性の麻痺毒を有している。大型のその蜘蛛が身体を這い回っていても、獲物は麻痺毒によりそれを感知できないと言うのだ。
何とも恐ろしく、期待の持てる話である。
吟遊詩人喰らいは気づかれぬうちに獲物の肉を喰らう。
細く鋭い一対の牙は管状になっており、タンパク質溶解毒を獲物に注入することができる。夜行性のこの蜘蛛はぐっすり寝入った獲物の喉にこの牙を突き刺して、液状になった肉を夜な夜な啜るのである。
獲物となった生き物は気が付いた時には身体が動かず、叫び声を上げることもできない。そして生き延びたとしても永続的に声を失うこととなる。故に吟遊詩人喰らいと言う。
げに恐ろしき魔物である。残酷である。
そして吟遊詩人喰らいに着眼点を得て、それを元にして作られた武器が。
「ないぞ」
「ないですか」
「ああ、ない」
「……そうですか」
冷や水を掛けられたように冷静になったランタンは、ぽかんとしてがりがりと頭を掻いた。グランはそんなランタンを見つめている。
してやられた。
長々とした蜘蛛の説明も、その背筋が冷えるような語り口調も全てはランタンを冷静にさせるための時間稼ぎに過ぎなかったのだ。そう気が付いたランタンは不承不承、吟遊詩人根絶計画を諦めることとして、件の噂が早期に風化することを祈った。
吟遊詩人をぶち殺したところでもう広まってしまった噂を止めることはできないだろう。
人の噂も七十五日と言う格言を信じるか、別の話題によって掻き消されることを願って大人しくすることしか、今はできない。そう言うことだ。
「大人しくねえ、坊主が」
「なんですか」
「いいや、なにも」
グランが皮肉気に呟いて、それに噛み付いたランタンを面倒くさそうに一蹴した。
残念ながら吟遊詩人殺しに特化した武器は投擲武器に限らず存在しない。
そもそも探索者が投げつければ生卵だって脳しんとう程度なら引き起こせる凶器に成り得る、とグランは言った。
だから吟遊詩人などと言う一般人と何ら変わらない肉体しか持たない生き物を死に至らしめるのには特殊な武器を求める必要など無い。道端で小石の一つでも拾い、それを投げつければ充分に殺傷できる。
必要なのは殺意と、それを実行する行動力だけだ。
「しませんよ。計画は中止になりました。再開日時は未定です」
グランは大いに呆れた。髭が揺れるほどにため息を漏らす。
「するとは思ってねえよ。第一お前らの相手は人じゃなくて魔物だろうが」
「……そう言えばそうですね」
ランタンは冗談ともつかない呟きを零すとついに完全な冷静さを取り戻したのか、身体を投げ出すように椅子に腰を下ろした。肉の薄い尻が座面にこすれて尾てい骨が痛んだ。ランタンは自分の尻を撫でるついでに、外套を尻の下に織り込んで座り直した。
「冗談はさておいてよ。なんだってまた投擲武器なんか欲しがるんだ?」
グランは受付台に肘を付いてランタンに尋ねた。
「坊主は今あれだろ。物質系の迷宮に潜ってんだろ」
グランは飛刀を指差す。
「やつら相手じゃ、投擲武器はほとんど使い物にならんだろ」
物質系魔物の多くは硬質な外皮を持ち、またそれを貫いたとしても出血も、臓器や神経へのダメージも、あるいは衝突による衝撃での昏倒も期待することはない。それらが全くの無意味とは言わないが、余程武器の扱いに習熟していない限りは活用できる場面は少ないだろう。
「まあそうなんですが、強いて言えば何となくでしょうか」
ちょっと小技を増やそうか、と思ったりもしたがそれが積極的な理由ではない。リリオンよりも投げるのが下手だったのが癪に障ったというのも少しはあるが、それも口に出すに足る理由にはならない。手斧を手に取ったのも気まぐれでしかない。
決定的な理由は薄暗闇の中にぼんやりとして、ランタン自身でさえ定かではない。
「そうか、なんとなくか。ま、そんなこともあるよな」
それでもグランは納得したように一つ頷いた。そして顎をしゃくって飛刀を示し、あれを持ってきたのもなんとなくか、と続けた。
「今まであんなもん滅多に持ってこなかったじゃねえか」
ランタンは迷宮から魔精結晶以外を持ち帰るような事はほとんどない。
最終目標や余程の強敵と相まみえた時に持ち帰りやすそうであり、なおかつ価値のありそうな部位をほんのちょっと試しに持って帰るぐらいのものだった。
そう言えばなんでだろうか、とランタンが黙っているとグランは小さく笑った。ランタンの自らでさえ意識できない心境の変化を眺めて楽しむように。
「俺らにしたらありがたい事なんだけどよ」
グラン武具工房は仕事をする際に必要とあらば木を削り、革を鞣し、布を織る事だってあるが、やはり主立って使用する素材は金属である。武具の素材の少なからずは迷宮から運ばれる。
物質系の迷宮からは未知の鉱物が思いの外よく採れる。
それは未知の比率で作られた既知の合金である場合もあるが、本当に名前すらない謎の物質である事もある。その全てが素晴らしい特性を持っているとは限らないが、だがそれでもグランとしては、あるいは職人全ては、そのような未知の素材は職人魂をかき鳴らすのだという。
「で、どうよ。今回の迷宮は、何か面白そうなもんは出そうか?」
「んーいつも通り――、でもないですね。そう言えば」
未知の鉱物はなかったが、未知の石獣はいた。見た事もない魚形の石獣。
「ほう魚形の石獣か。そりゃあ瑞祥かもな」
「……ずいしょう?」
「良い事が起こる前触れってことだ」
「前触れって、そんな」
魚形の石獣は幸運をもたらすにしてはずいぶんと不格好で、むしろ不運に押し潰されているようにすら見えた。
「僕はそんな形の石獣を初めて見たんですけど、よくある事なんですか?」
「よくって事はないだろうが、まあ話は聞くな」
グランは髭を揉んだ。
奇形の石獣はそれなりに出現する事があるらしい。
魚形に限らず、やれ鳥形の石獣が自らの重みに羽根を折って藻掻いていただとか、虫型の石獣が細い脚で自重を支えられず足掻いていただとか、蛇型の石獣がとぐろを巻こうとしてばらばらに折れ砕けただとか目撃証言は様々だ。
「坊主はあれ知ってるか? キリンって動物」
「知ってますよ。脚と首の長い馬ですよね」
「ああ、そうだ。そのキリン形の石獣ってのが出た事もあるんだよ」
なんでもその石獣は天井の高さが足りずに、足を折り曲げ、首を折り曲げ、迷宮にぎっちりと詰まっていたらしい。その奇妙なオブジェクトに出会った探索者の心情を想像してランタンは思わず小さく吹き出した。
「笑っていられるのも今のうちだぜ」
「何がですか」
「坊主が出会った魚形の石獣ってのは、どんな大きさだった?」
試すように渋く笑ったグランにランタンは、これくらいです、と手を広げて答えた。抱え上げられそうな程の大きさは、五十センチかそれぐらいだろう。本物の魚ならばそれなりに食いでがありそうだが、その石獣はランタンの腹を満たすには足りなかった。
「昔出たんだよ。最下層に。最終目標として魚形の石獣が。――鯨の石獣がな」
それはグランが生まれるよりももっともっと昔の、いわゆる伝説という奴である。
正確な記録は残されていないが全長三十メートル以上、体重はちょっと想像もしたくないほどの鯨の石獣は水も無い最下層にあってただただ横たわっていたらしい。
魔精の霧越しに観察するとその巨大さ故に輪郭を捉えることができずに、魔精鏡はただぼんやりとした青を全面に映しただけだった。
そして恐る恐る踏み行った探索者たち待っていたのは、この世の地獄の阿鼻叫喚だった。
人の魔精を察知した鯨の石獣は、数百トンでは到底足りもしないその巨体を地面の上で跳ねさせたのだ。
飛び跳ね、転がり、身悶え、戦慄き、震え、のたうっただけでそこに発生した衝撃は屈強な探索者を吹き飛ばした。そこにある、戦意そのものも。
轟音と地揺れは迷宮内を駆け抜けて地上まで到達して、最下層の地面は一瞬にして全てが砕け、捲れ上がり、陥没し、天井からはつきる事なく瓦礫が降り注いだ。探索者は一瞬にして討伐を諦めて追われるようにして地上へと帰還した。
「僕でもそうする……、それでどうしたんですか」
はっきり言ってどうする事もできない。
迷宮核の魔精によってその石獣は自重で潰れず、暴力的な自重を飛び上がらせるほどの力を得ていた。これはもう迷宮が自壊するまで待って、最終目標が迷宮に再吸収されるのを願うか、あるいは地上に押し出された場合には最終目標が魔精不足でくたばるのを待つしかない。
「それも考えたらしい。だが物質系とは言え地上に出たからと言ってすぐにくたばるわけでもなし、それまでに街が破壊、……壊滅する可能性の方が大いにあった。その石獣は最下層の檻の中で仕留めにゃらならなかった」
これはもう契約した探索者や、探索者ギルドだけの問題ではなかった。二分の一の賭けなどしている場合ではなかった。
「どうやってやっつけたんですか?」
尋ねるランタンに、グランは胸を張った。
「――焼いたのよ。探索者ギルドと、魔道ギルドと、職人ギルドが総出で」
だが最下層を炉や窯と見立てたのはよかったが、如何せん火力が足らなかった。
ありったけの火系の魔道使いを投入したが温度を高温に保つ事ができなかったのだ。なので職人たちで迷宮内に線路を張り、コークスや石炭等を最下層まで運んでぶち込み、さらに最下層からの熱力で動く送風機までもを組み立てたのだという。風の魔道使いを使わなかったのは、魔道使用による魔精の減少を補う魔精薬の量が足りなかったからだ。
三日三晩、炎を放ち、石炭を放り込み、風を送った。そしてついに鯨は氷のように溶けたのだ。
それでも跳ねる度に溶け出した表面が飛び散り、幾人かの魔道使いを道連れにした。だが次第、小さくなった鯨はついに活動を停止した。溶け出してから更に三日後の事だ。
討伐された鯨から抉り取った迷宮核はぐずぐずに焼け焦げていたらしい。
かくして街に平和が訪れた。
のだが、それをめでたしめでたしで終わらせることはランタンにはできなかった。
「……いっこもいいところ無いじゃないですか。超強敵に、魔精薬の大量使用、迷宮核もダメじゃ赤字どころか破産ですよ」
魚形の石獣は瑞祥どころか凶兆ではないか。
「ところがどっこい、各ギルドは大いに潤った。何せその石獣は黄金でできていたらからな」
「……黄金?」
凄い、と言う前に大暴落しそうと思ってしまい黙ったランタンに、グランは肩透かしを食らったような顔つきになった。その顔を見ると申し訳なくなるが、今更驚く振りをするのも間抜けっぽいのでやらなかった。
この世界でもやはり黄金の価値は貴金属の中で頂点に位置し、今でもそれは変わらないのでそれなりに上手くやったのだろう。三ギルドの話しか聞かなかったが、もしかしたら商人ギルドも関わっているのかもしれない。
「なかなか興味深い話でした。面白かったです」
「……まあ、いいけどよ」
グランは不意に真顔になって喉の詰まりを取るように髭から喉までを一揉みした。
「あー坊主は、まだ運び屋を使ってないんだよな」
話の転換が急だった。ランタンはその言葉の意味を噛み砕くように呟いて、それが迷宮での荷物持ちのことだと理解すると素直に頷いた。
「……本気で結晶以外に手を出すんなら、そろそろ運び屋も試してみたらどうだ? 特に物質系なんざ価値のある奴は大抵重いぞ」
物質系の身体は一部例外もあるが大抵は鉱物である。今回持ってきて飛刀の重量は一キロないほど軽い部類だったが、例えばもしこれが黄金の刀であった場合には重量は七倍近くになるとグランは言った。
「そんなに違うもんなんですか?」
「ああ、違う。お前の戦槌の先っぽが、まあ金と同じぐらいの重さだな」
ランタンの小さな握り拳ほどの鎚頭はそれでも三キロは下るまい。だがそれでも、これで三キロならば、とも思うランタンにグランは見透かしたように畳みかけた。
「それを一回り大きくしたらな、それでもう十キロぐらいになる。お前の小っちゃな頭をそれで作ったら百キロを超えるぞ」
人頭大で百キロ超と聞くとうんざりしてくる。黄金の身体を持つ魔物の噂も聞かないわけではないのだ。石獣や石人形などの構成物質が黄金だったと言うような話は虚実入り交じえさらに期待も混ぜ込まれているが、それなりに聞く。
「もし金を目の前にした時、重いからって諦められるか?」
抱えきれぬほどの黄金を目の前にしたことは無いし、ランタンは惜しいと思っても今の今までそれを割とあっさりと諦めて探索を続けていた。だがそれでもグランの問いかけに答えることができなかったのは、少し欲が出たからだろうか。
いや。
「……何か企んでますか」
グランから妙な気配がするからだ。子供が拗ねて口を噤むように、ランタンは無意識的に回答を避けたのだ。グランは苦々しく舌打ちをして、まあな、と開き直った。
「商工ギルドでも運び屋の派遣をしてるんだが知ってるか?」
「……知りません」
そもそも商工ギルドというものを知らない。そう言うと、グランは頭を掻いた。
商工ギルドは職人ギルドと商人ギルドの両ギルドからの代表で運営される組合であり、ゆくゆくは職人ギルドと商人ギルドを統合するために用意された器のようなものらしいのだが、ギルド内で様々な思惑が入り乱れているせいか今はまだ両ギルドの調整役でしかない。
グランはどうやら職人ギルドだけではなく、商工ギルドにも関わっているらしかった。
説明する口調がだんだんと愚痴っぽくなっているあたり望んでのことではないようだ。グランは舌打ち一つ吐き出して商工ギルドについての説明を切り上げた。
「そうか、知らんか。探索者ギルド内にも掲示物とかしてあるんだが……見たことないか?」
やや落ち込んでいるグランには申し訳なかったが、ランタンは黙って頷いた。掲示物を見たところでランタンはその内容を知る術はないのだから、そもそも掲示板にも伝言板にも立ち寄ることはない。そういう意味での頷きだが、口には出さないのでグランは勘違いしたままだ。
「……まあ、あるんだそういうのが」
迷宮からしか得ることのできない、あるいは希少な素材の多くは探索者ギルドが押さえているのだとグランは続けた。
探索者からの持ち込みもあることにはあるが、それは少数かつ不安定な供給に過ぎない。商工ギルドは探索者ギルドからの素材の購入を余儀なくされており、それはそのままギルド間の力関係に影響を及ぼす。商工ギルドは現状があまり面白くないようだ。
それを打開する為に運び屋を商工ギルドで育成している。
運び屋の多くは見習いの探索者で、見習いの探索者は輓獣と大差ない。ただ荷を牽くだけの存在である。
その為商工ギルドは差別化を図る為に運び屋でありながら目利きもする、そういった運び屋を育成し、用意している。
探索者が持ち帰る魔物の部位を選定する場合、無論知識や経験を元にしてはいるが、そこに勘や運の要素が介在する事は多くある。探索者と言う職業は複合的な要素を持っているが、こと戦闘がその割合の多くを占めていることは疑いの余地がない。
目利きが重要でないわけではないが、命に関わらぬ部分がないがしろにされるのは無理からぬことだった。そしてそう言った運試しを楽しんでいる節さえある。
確かに目利きができる運び屋がいれば、効率的に利益を上げることができる。そしてその対価として探索者は換金を商工ギルドないし、その関係店で行わなければならないというわけだ。
探索者にも商工ギルドにも利がある。
なかなか良さそうな試みだが、グランの反応を見ているとあまり上手くいっていないらしい。
「探索者ギルドでの査定に響くんじゃないかって思ってる奴らも多いみたいだが、……まあそもそも周知が徹底できてないみたいだからなあ」
商工ギルドと仲良くしたらマイナスの査定が付く。
さすがの探索者ギルドもそこまで阿漕ではないだろうと思うのだが、もしかしたらと思うと二の足を踏んでしまうのかもしれない。あるいは今まで探索者ギルドで換金することで得られていた査定が加算されないことを、減算されたと勘違いしている可能性もある。
それについて探索者ギルドは、査定には響かない、と宣言をしているらしいがそもそもその宣言を聞いたことのある探索者の絶対数が少なく、聞いた探索者でさえそれをはいそうですかと信じることはしなかったようだ。
「いくつかの有名な探索班に使ってくれるように頼んでるんだがな。そういう奴らはもうお抱えの運び屋がいるからよ」
「……お手頃なところにちょっかいをかけてみよう、と。そう言うことですか?」
「お手頃なら俺がこんなに苦労はしねえよ」
ランタンの軽口にグランは重々しく返した。
すでにお抱えの運び屋がいる探索者を懐柔するのも、頑なに運び屋を頼らない天邪鬼な探索者を懐柔するのも手間に大した違いはないのだろう。
「ご苦労お掛けして申し訳ありません」
「――おう、まったくだ」
「気が向いたら商工ギルドを訪ねてみますよ」
「ああ、すまんな。紹介状書くから持ってってくれ。まあ嫌なら行かなくても良いからな」
グランはこれでようやく肩の荷が下りたとでも言うように溜め息を吐いて、既に用意されていた紹介状をランタンに渡した。
ランタンは商工ギルドを訪ねると確約したわけではなかったが、グランはそれでも良かったようだ。ランタンにそれを伝えることは商工ギルドと人間としての責任であって、グラン本人としてはあまり言いたくないことだったのかもしれない。
何だかんだと義理堅く、それでいて人見知りをする少年が追い詰められるように商工ギルドの扉を叩くことを厭ったのかもしれない。
そんな生温いことを考えてランタンがニコニコしていると、グランは胡散臭そうにランタンを一瞥して、背後に控えている小僧に幾つか投擲武器を見繕ってくるように命令した。小僧はまるで逃げ出すように大急ぎで店の裏に引っ込んでいった。
「なぜ……?」
ランタンの呟きは誰にも聞こえなかった。
グラン武具工房はほとんど武具の在庫を持ってはいない。グラン武具工房に限らず多くの工房は基本的には提携している小売店への納入分と、探索者個人からの注文、そしていくつかの補修が主な業務であり、店頭販売はほとんどしていないのだ。
そんな中で工房に在庫としてあるものは、例えばリリオンの大剣と方盾もそうであるが、職人の試作品がほとんどだ。しかし試作品と侮るなかれ、グラン武具工房などの老舗の工房においては試作品と言ってもそれなりの品質を保っている。それが試作品と言う冠が付くことで割合安く手に入るのだから金の無い新人のみならず、多くの探索者がそれを活用している。
小僧が持ってきた何種類かの投擲武器の良し悪しをランタンは判別できない。ただグランにダメ出しされた手斧よりは上等であると言うことは確かだった。ランタンはものの試しに投げナイフに打剣、礫を購入した。
運動量を攻撃力として見るのならば、それは速度と質量から求めることができる。
手斧はそう言った意味では質量があるので良い物と言えたが、投擲武器はあくまでも牽制である。それを必殺の手段とするには、相応の技術かあるいは魔道による補助が必要となる。
投擲術を修める探索者の中には風の魔道を行使する者が多くいるらしい。それは風除けや、あるいは追い風の加護というような魔道が使用できるためだ。魔道を使えぬ者がそれをするために武器に魔道を刻むと、ちょっと使い捨てにできないほどの金が掛かる。
「色々試してみりゃいいさ。そんな気分なんだろ?」
「はい。まあ、運び屋は今のところいらないですけど」
「さて坊主はもう良いとして、嬢ちゃんはどうだ。なんか持ってくか?」
ランタンを無視して、すっかりと大人しくしているリリオンにグランが視線を向けたが、リリオンは何も言わなかった。
ランタンが不思議に思って振り返ると、リリオンは息を止めるように口を結んで、どうしていいか分からないとでも言うように眼をぱちぱちと瞬かせた。
少女はランタンが頭を撫で、押さえつけた時と同じ様子のままそこにあった。
顔も動かさず、ただ眼だけがランタンの顔色を窺う。リリオンは従順に沈黙を保っている。ランタンは少女を押さえつける自らの手の残影を払うように、少女の頭を一撫でした。
「もういいよ」
リリオンは鼻で大きく息を吸って、喉に詰まった沈黙を吐き出すようにゆるゆると息を吐いた。ランタンに対して何か言いたげな視線を向けたが、結局何も言わなかった。
「グランさん。どうしたら石とか鉄とか斬れるようになりますか?」
「腕を磨く」
沈黙から解放されたリリオンは意を決したようにグランに尋ねたが、身も蓋もない言葉に一刀両断された。職人のグランでさえも結局の所そのような結論に至ったのは何となく不思議な感じがした。
「そりゃ良い武器を持つことに越したことはないさ。未熟な腕もそれでいくらか底上げはできるからな。だがどんなに良い剣を持ってたって、腕が悪けりゃそこいらの石ころを斬りつけただけで欠けたり折れたりしちまうよ」
しょんぼりとしたリリオンにグランは慰めるように伝えた。
「日々精進あるのみだ。なあにそんなに苦のあることじゃない。成長するってのは楽しいもんさ」
顔の下半分を髭が覆い、気がつけはそれが白むほどに。
ランタンはそんなものなのだろうかとありがたさ半分、疑い半分に言葉を飲み込んだ。リリオンはまだ納得しかねるのか唇を突き出して難しい顔をしていた。言葉の重みを実感するには、まだまだ人生経験が足りていない。
「若えうちはひたすらにやるだけだ。嬢ちゃんの場合は斬って斬って斬りまくる。ありとあらゆるものをな」
グランは髭を撫でながら若者の苦悩を楽しむように眼を細めた。年輪にも似た目元の笑い皺が楽しさを物語るように深かった。
「まあ俺が剣を打って、相応の魔道を刻めば鉄だろうが何だろうがすぱすぱ切れるもんも造れるけど」
例えば熱を発する魔道剣であれば鉄を融断するようなものもある。が、そもそも鉄を溶かすほどの熱量を発する魔道ともなると消費される魔精の量も計り知れず、使い捨て、補充式問わず魔精交換式のものであれば運用費用は膨大となり、自前の魔精を消費する吸精式であるならば下手を打つと一度の使用で魔精欠乏症を引き起こし昏倒しかねない。
一番現実的なものは増幅式と呼ばれるものなのだろうが、それを使用できるのは魔道使いだけだ。リリオンに魔道使いの素養はまだ見られない。
そしてその熱に耐えうる剣を親方職人グランが打つとなると、その価格はちょっと考えたくもない。
リリオンはそれは良いことを知ったと言わんばかりに、お小遣いで買えるかしら、とランタンの袖を引いたがランタンは何も言うことができなかった。リリオンに渡している小遣いでは、頭金にもなりはしない。リリオンの口座の貯金を下ろしても足りない。
「さて俺は工房でも見てこようかね。坊主、迷宮で良いもん拾ったら持ってきてくれや」
グランはそう言って悩める若者を置き去りにしてさっさと姿を消してしまった。
小僧を含む若者たちは何となく居住まいの悪さを感じて、ランタンは取り敢えず投擲武器の代金を小僧に支払い飛刀を掴むとそのままグラン武具工房を後にした。
「商工ギルドか……」
「行くの?」
「行かない」
グランへの義理を果たそうと思わないわけではないが、取り敢えず今のところ運び屋を必要とはしていない。それに運び屋を探索に加えるとなると探索計画を見直さなければならなくなる。それはつまりミシャへのさらなる負担となる。
ランタンの探索の予定の立て方は、未踏破の道を魔物を倒しながら進む速度と、怪我や疲労を持って来た道を引き返す速度を同じとして考えている。他の探索者に比べてそれはあまりにも単純かつ軽薄であったがアーニェやミシャは、計算しやすくて良い、と言ってくれる。何だかんだと破綻を起こさないランタンだからこその評価である。
しかしここに運び屋を加えると言うことは、考慮すべき点が怪我と疲労に加えて、文字通り荷物の重量も加わることとなる。進むにつれてその重量は次第に増加していくのだ。
そしてもう一つ、運び屋自身の肉体能力の低さも考えなければならない。
リリオンと探索することとなって探索の進行度は、その実やや低下している。だがそれは気にするほどのことでもなく、探索計画に支障が出るほどの低下ではない。慎重に進むようになった、と言い換えることもできる。
だが運び屋が加わると、もし運び屋がその存在意義である荷物を捨てたとしても、進行速度の大幅な低下は避けられないだろうと思う。運び屋は探索者見習いがする、と言う刷り込みからくる色眼鏡かもしれなかったが。
もし連れて行くならば最終目標討伐の最終探索ぐらいだろうか。それならば道中の魔物のことは考えずに済む。
「リリオンは運び屋にいて欲しい?」
「んー……いらない、かな」
リリオンは急にランタンの手を掴んで、くっついて隣に並んだ。腰にぶら下げた飛刀がリリオンの脚にがしがし当たって邪魔そうだ。
「まずこれを売りに行こうか」
「終わったらランタンの噂を聞きに行きましょう」
「……その前にどっかで石を拾ってからね」
ランタンは冷たい口調で言って、思い出したように頭巾を被った。自意識過剰かもしれないが用心に越したことはない。そう思ったのだが、あっという間に頭巾をリリオンに捲られてしまった。
「そんな風にしなくてもいいじゃない。凄いことなんだから。そんなに嫌がらなくったって」
ゼイン・クーパーをどうにかあしらえたのは様々な要素がランタンに味方したからに過ぎない。
馴染みのグラン武具工房で、周りは知り合いばかりで、敵は一人。それでもあの有様だった。
「……他人事だと思って」
ランタンは顔を歪めて苦々しく呟いた。
それはまさしく内弁慶な子供のそれで、ランタンはその顔をリリオンに見られないようにもう一度深く頭巾を被り直した。




