052
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陳列窓の中に大型の杭状地雷があったので、ランタンはリリオンの手を引いてふらりと寄り道をした。
その杭状地雷の全長はランタンの身長ほどもあり、この中に炸薬を詰めるとなるとその威力たるや迷宮そのものを震わせるだろうと思われた。これはおそらく客寄せ用の飾りで炸薬は抜いてある。とは言え外観からではその事は分からないが。
ぼけっと口を開けてそれを見つめるリリオンに通常サイズのものを見せたら、少女はあからさまにほっとしていた。大型杭状地雷を必要とする石球にはランタンもできることならば出会いたくはない。
通常使用の杭状地雷は全長四十センチほどだ。それでも中身に炸薬を詰めれば十数キロにもなる。正直なところそれを迷宮に持ち込み、えっちらおっちらと石球のある場所まで持って行くのはなかなか大変なことらしい。重量もそうだが、取り扱いを間違えると誤爆の可能性だってある。
しかしそんな大変な思いをして石球を倒したとしても、杭状地雷の費用を回収できるかというとそんなことはない。火薬はそれなりに普及しているらしいのだが一般市民にはほとんど需要がない。そのために何だかんだと高価なのである。
それに杭状地雷を使用すると下手をすれば石球の精核自体さえもが破壊される。地雷はただ爆発するだけで手加減などと言う機能は付いていない。
だが石球を止める術を持たない探索者にとっては必要不可欠な兵器である。
足止め用に火薬入りの撒菱というものもある。痛覚を持たない物質系の魔物などには普通の撒菱では足止めができないからで、それは飛行や浮遊、透過などの特殊な特性を持った魔物以外ならば非常に効果的だ。だがそれは小金をばらまくに等しい。魔道仕込みの撒菱よりは安いが、気軽に使えないことには変わりないのだから本末転倒である。
もっともランタンには誘爆の危険性があるので無用の長物であったが。
リリオンは大きな金平糖のようなその撒き菱を物珍しそうに見つめていた。
買ってあげようか、とランタンはリリオンの横顔に声を掛けた。リリオンは、いらない、と素っ気なく返し横目にランタンを捉える。
「わたしは逃げないわ」
「それは何とも勇ましいことで」
胸を張ったリリオンにランタンは恐れるように、大げさに驚いて見せた。
探索者は二種類いる。
逃げる奴と逃げない奴だ、と言うのは探索者全般に広く知られる事実である。けれどその意味合いは様々だ。勇敢さと臆病さを指すこともあれば、利口さと愚かさを指すこともある。どちらが正しいと言うものではなく、立ち位置によって見方は変わる。
ランタンは自分のことを逃げる奴だと思っている。今のところ逃げ出したことはほとんどなかったが、それは運良くそう言った場面に出くわさなかっただけで、もし敗色濃い難敵に出会ったら逃げ出してしまうのではないかと、そう思っていた。
だが今はどうだろうか。己はリリオンを置いて逃げ出すだろうか。そんなことは無いようにしたいところだが、土壇場になってみなければ人間の本性は分からない。
土壇場に追い詰められないように精進しなければ、とランタンは殊勝な思いを抱いたりもする。
「あ、そうだ。リリオンに水筒買ってあげるよ。今まで共用だったし」
「……わたし、ランタンと一緒のでいいよ」
探索用品店に折角立ち寄ったのだからとランタンが提案してみたが、リリオンは意外なことにそれを喜ばなかった。少し驚いたランタンが思わずリリオンの顔を見上げると、少女は下唇を巻き込むように噛んで上唇を嘴のように尖らせていた。
ちょっとだけ恨めしそうな視線がランタンの顔を突き刺した。
「ランタンはわたしと一緒に使うのは嫌なの?」
「そんなことはないよ」
「じゃあ、……なんで急に。今までそんなこと言わなかったのに」
面倒くさい子だな、と思わなくもない。あるいは繊細さと呼び変えてもいいのかもしれないが。何だかんだでリリオンは年頃の女の子なのだ。なかなか難しいものである。
ランタンは大人びた表情で、ふうむ、と顎を撫でた。髭がないので全く様にはならず指が上滑りしている。
「水飲む時、いちいち受け渡しするの面倒でしょ?」
「そんなことないよ。面倒くさくないよ」
「自分用の水筒欲しくないの?」
「欲しくない」
「ああそう。でも水筒が二個あるに越したことはないでしょ? もし一個が壊れても予備があるって事だもん」
「もん?」
「……うるさいよ。どっちにしろ水筒はもう一個買うから。これは決定事項です」
最初は優しく言い含めていたのだが結局ランタンは強権を発動させた。リリオンは文句こそを言わなかったがまだ少しだけ不満気だ。少女からしてみれば自分用の水筒を得られると言うよりも、今まで許可されていたものを取り上げられるような感覚なのかもしれない。
「一個は飲料用。もう一個は料理用。これでどう?」
「それなら、いい」
ランタンの譲歩にリリオンはようやく頷いた。
今までは飲料水も料理も、それどころかちょっと手を洗ったり口を濯いだりするのも同じ水を使っていた。使い分けをすることで、金銭的にも美味しい水的にもずいぶんと節約できることになる。
「じゃあなんで今までそうしなかったの?」
「一人で二つも水筒持つなんて変だから」
「……それもそうね」
その後、ちょっと店内を見て回った。大型の探索用品店は近代的な造りだ。商品の全てが店主の目に見える位置にあって店主と客が受付台越しにあれやこれやと会話をしながら買い物をするような店ではなく、大量に並べられた陳列棚に商品が並べられて客は自由にそれを手に取ることができる。
それなりに客層が良いからこそできる芸当だろう。落ち着いて品定めができる代わりに、価格設定が客を選んでいる。
「荷車か」
戦利品を持って帰る為の荷車の前でランタンが少しばかり考えていた。それは折りたたみ式で車輪が小径の最小サイズの荷車だ。それでも最大積載量は二百キロにもなる。背嚢に詰め込んだり、両手で抱えたりするよりもずっと多い。
探索用品だが、探索者が使うものではなく運び屋が使うものだ。迷宮からの戦利品として魔精結晶以外にも手を出そうかと思っていたが、最小サイズでもかなり邪魔になりそうだ。二百キロの積載量は余裕というよりは過剰であった。
「わたしが運ぼうか?」
「ご冗談を探索者さま」
「もう、ランタンったら」
結局見切りを付けて探索用品店を後にした。武具工房への行くまでのちょっとした寄り道をしただけであって、まだ必要に迫られているというわけではないのだ。
グラン武具工房からは今日も今日とて気持ちの良い金属音が鳴り響いている。
こっそりと扉を開ければ足音が掻き消されてしまいそうなほどだったが、受付にいる見習い小僧はだらけることなく真面目に受付をしていて入店と同時に声を掛けられた。
グランは別の客を接客中で、リヒトも当たり前だが仕事中らしかった。
ランタンが取り敢えず受付の見習い小僧に腰の飛刀を見せてみると、見習い小僧は偉そうな感じでふんと鼻を鳴らして眉根を寄せた。
飛刀は柄を取り払ってあって刀身のみにしてある。剥き出しになった中子に銘は刻まれていない。迷宮が創り出したのか、それとも文字通りの無名の鍛冶屋の作なのか。
見習い小僧は飛刀を検品している。それなりに様になっているようにも見えたが、ごっこ遊びをしているようにもランタンには見えた。信用度の問題か、それとも本人の経験の問題か。
「迷宮由来品なんだけど」
「……うちは武具工房であって武器屋じゃねーぞ」
どういう意味か分からずにランタンとリリオンが二人揃って小首を傾げると、見習い小僧はやれやれと溜め息を吐き出した。何とも小憎たらしい。ランタンはちょっとだけの苛立ちを指先に乗せて、かちんと爪で受付台を叩いた。
曰くグラン武具工房は、余所様の武器の研ぎや修理などは請け負っているが、余所様で造られた武器に柄や鞘を拵えて転売などはしない、と言うことらしい。見習い小僧は、よりにも寄って迷宮由来品なんか持ってきやがって、と苛立ちを露わにした。
見習いのくせに職人意識だけは一人前だ。ランタンは薄く笑う。リリオンがその表情を咎めるようにランタンの脇腹を突いた。
「別に溶かしてくれても構わないんだけど」
「あ、そうなん? でも、これ……たぶん地金代にもなんねーぞ」
「そうなの?」
「ああ、これ何の金属か分かんねーけど多分な。うちにも炉はあるけど、少量だとコストがな。ほら、通りの一番端にある製鉄所、あっこ持ってった方がたぶん高いぞ」
「ふうん、そんなものか。でもそんなこと言ってもいいの?」
正直なことは美徳だが、商売人としては甘いと言わざるを得ない。水晶洞のように店主がそれを言うのならば何の問題もないが、見習い小僧はグラン工房において完全なる下っ端で何の権限も有していない。
「あー、大丈夫なはず。……たぶん」
その言葉には何の根拠もないらしく、見習い小僧はちょっと扉が鳴っただけで大げさに椅子から飛び退いた。その無様をランタンは笑うことはせず反応の良さにむしろ感心していた。そして同時に注意深く扉へ視線を走らせた。
扉の奥から現れたのはグランと背の高い男だった。二人は和やかな様子で何か話しながら扉をくぐった。けれど男の視線が油断無く、小僧を素通りして一直線にランタンに注がれた。
鋭い眼だ。
雰囲気、足運び、体格、目付き。そう言ったものの全てが男が探索者、それも上等な探索者であることを告げていた。
まだ年若く二十代前半ぐらいだろうか。顔つきは栗毛の髪がよく似合う優男っぽい感じの二枚目だったが、首が顔よりも太かった。また筋肉の隆起によって作られた撫で肩が、そのなだらかさとは裏腹に物騒な気配を湛えている。
男は白い布に包まれた棒状のものを肩で支えていた。武器の新調でもしたのだろう。リリオンの大剣よりも間合いのある武器だ。男の白布を握りしめる手つきは優しげだったが、その中身は優しさとは無縁のものだ。槍、いやあの太さは棍か、とランタンは白布の中身を想像した。
「グランさん。彼もここの?」
男はグランに尋ねるや否や滑らかな足取りでランタンに歩み寄ってきた。上背があり、身体の厚みも相当だ。だが重さを感じさせない歩き方だった。
男の間合いに入る瞬間に強張りそうになる身体をランタンはどうにか押さえつける。近付くと男の鎧に不思議な柄があることに気が付いた。木目にも似たその縞模様は特徴的だ。これもグラン工房作だろうか。
男はさも親しげに手を上げてランタンに話しかけようとしてきたが、ランタンは男のことを知らない。
よくあることだ。
「こんにちは、初めまして」
機を制し、口を開き掛けた男よりも先にランタンが声を掛けた。すると男は少しだけ驚いたような素振りを見せる。ランタンはそのまま畳み込むように、男のぼんやりと上げた掌に向かって自分の掌をパチンと叩きつけた。まるで旧来の友人に会ったかのように。
やり過ぎかもしれないが、初撃は肝心だ。たとえそれがはったりだとしても。
男の掌は皮が厚く胼胝のように硬くなっていて、冷や汗が出ていた。ランタンはごく自然に掌をズボンで拭った。
友好的な笑みを浮かべて声音さえもが余所行きになったランタンに店内にいる全ての人間が、リリオンさえも、気味悪がるような視線を向けていた。
「お、おう、初めまして。俺はゼイン・クーパーだ。君の活躍はよく聞いているよ、ランタン」
対面にして視線を交えているクーパーだけはどうにかその違和感を笑みの中に隠しているようだったが唇の端が引き攣り、声が僅かにうわずった。
多くの探索者たちは友好的なランタンというものを見たことがなかった。勧誘でなくとも話しかけても取り付く島もなく頑なで、ハリネズミのようにつんつんしているのがランタンだった。それが急に友好的になったものだからクーパーはひどく混乱している。
ランタンは迷宮で出会うどんな魔物よりも奇妙な生き物だったのかもしれない。
その奇妙な生き物であるランタンは、迷宮の魔物と同じく探索者の隙に付けいった。そして会話の主導権を握ったのである。
だが相手も手練れの探索者ですぐに体勢を立て直して、会話の主導権を奪い返そうとする。先制を取ったランタンが有利であったが、しかしクーパーは余裕を見せてにっと笑った。口が大きく、歯並びが良い。
一進一退の攻防は、けれどある一撃でクーパーの側に大きく傾いた。
「いやあ、そんな謙遜することはないさ。噂になっているよ。君がギルドに助力を請われて麻薬密売組織を壊滅させたって」
「そっ、……それはどこで?」
クーパーの一言に頬を殴られたように表情を歪めたランタンは、だがどうにか奥歯を食いしばった。知らぬ素振りをしていた方がよかったかもしれない、と思っても後の祭りだ。
ランタンの動揺はそのまま言葉になって吐き出されてしまった。
「どこでって俺が聞いたのは、すぐそこの酒場さ。はっはっは、照れることはないさ。――俺は感動したんだ。探索者に付け入る密売人に憤り、そして迷宮病に掛かった探索者を助ける為に戦ったんだってな。俺は君のことを誤解していたのかもしれない――」
ランタンは混乱でクーパーの話を半分ほど理解できなかったが、それでもずいぶんと話が脚色されていると言うことだけは分かった。
男の口から語られた事件の顛末は、背中がぞわぞわとするような美談である。その怖気が僅かにランタンの頭を冷やした。
男の話は尾びれ背びれが付いてその上に話が捻じ曲がって伝わっているが、ずいぶんと仔細は詳しく、その元になったものがランタンとテスが共同で作り上げた真実であることが窺える。
情報が漏洩していると言うことだろうか。すでに把握しているかもしれないが今度会うことがあったらテスか司書に伝えておこう。混乱の中に残る冷静さがランタンに思考をさせる。
ランタンは衝撃を受けてまだ混乱していたが、探索者らしくその一定以上の混乱はむしろ平静を取り戻すための呼び水となった。
ランタンは表情に微笑みを貼り付けて、当然のことをしたまでですよ、と強制的に混乱の元である話題を終了させた。
謙遜し、多くを語らぬランタンにクーパーはなにやら感銘を受けたように深く頷いた。
「さすが吟遊詩人に歌われるだけのことはある。俺も斯くありたいものだ」
「ぶ――」
噂話じゃなかったのか、と怒鳴り散らしたいのをどうにか飲み込む。こめかみが震える。
吟遊詩人と言っても、壮大な叙事詩に仕立て上げられているわけではないのがせめてもの救いだった。吟遊詩人はただちょっとおもしろおかしく、噂話に節を付けて話を伝聞しているだけのようだ。
その言葉に思わず吹き出したランタンは軋むほどに奥歯を噛み、自らの太股を抓った。ランタンは喉の奥底で極小さく、スピーカー野郎が、と悪態を吐いて気持ちを静める。
今はこの男をあしらうことが先決だ。男を問い詰めたところで、どうにもなるものではない。
「どうか君と一緒に探索させて貰えないだろうか」
「ありがたいお誘いですけど、今は探索途中の迷宮がありますので。探索者たる者、探索を途中で投げ出すなんて事はしませんよ」
「うむ、それもそうだな。ならその探索が――」
「それに探索中に他の迷宮の事なんて考えてたら未帰還になってしまいますよ。まず目の前にあることを一つ一つちゃんと仕留めないといけませんからね」
「ああ、そうだな。うん、それもそうだ」
「でも、こんな風に会ったのも何かの縁かもしれないですね」
「そうだろう! そうだろう!」
「ええ、またその縁によってご一緒することもあるでしょう。その時が楽しみですね。はい、じゃあ、いずれ。はい、はあい。機会があれば、また。はい、さようならあ」
完璧な笑みを浮かべランタンは手を振ってクーパーを送り出した。クーパーは満足気に笑みを浮かべて、それでいてそわそわとした浮かれた様子で店を出て行った。ランタンはクーパーが軒先で一度振り返り、そして完全に背中を向けたのを確かめて表情を洗い流した。
微笑みからの落差たるやランタンの表情は冷たさを通り過ぎて、冷酷と言ってもいいほどになっていた。
「……どういうことだ?」
ランタンは辺りに漂う何とも言えない空気を敏感に感じ取っていたが、知ったことではないので無視をした。腕を組んで、眉間に深く皺を寄せて嘆息する。しばらく店内の中にある沈黙に身を委ねて、それを切り裂くようにがりがりと髪を掻いた。
解凍されたリリオンがランタンの外套を引っ張る。
何か色々聞きたいことがあるようなこんがらがった表情をしている。
「ランタン、……あの人と探索するの?」
「しないよ」
「でも、さっき……」
「一言も探索するなんて約束してないし。勘違いするのは向こうの理解力の問題で僕の知ったこっちゃ無いし」
ランタンは冷たい口ぶりでそう言った。リリオンは煙に巻かれたように小首を傾げていたが、ランタンがクーパーと探索をしないと言うことに安心したように頬を緩めた。それを合図にするように工房で硬く強張っていた空気も緩み、グランがどっと疲れを滲ませながら呟く。
「おう、ランタン。お前何しに来たんだよ。客を勝手に帰すんじゃねえよ」
「――グランさんとお話をしに来たんですよ。それに僕がいたら他のお客はいらないでしょう?」
ランタンが再びにっこりと花咲くような笑顔を浮かべるとグランはさも嫌そうな顔をして、やめろやめろ、と髭に埋もれた唇を歪ませた。見習いの小僧もしきりに同意している。
笑顔を安売りしすぎたな、とランタンは二人の反応をつまらなく思った。
ランタンは無理をして引きつった顔の筋肉を揉みほぐす。
「ったく与太飛ばしてんじゃねえよ。で、本題は何だよ」
グランはそう言って受付台の奥の、先ほどまで見習いの小僧が座っていた椅子にどかりと腰を下ろした。見習いの小僧は立っていることが当たり前であるようにグランの脇に控えている。
「取り敢えずは、まずこれを引き取って頂きたくて」
受付台の上に転がる二振りの飛刀をグランは一瞥した。見た目はただの片刃の剣であったがグランは一瞥しただけで、それが飛刀であることを見抜いた。
「物質系の迷宮に行ってんのか。ふうん、だがこれじゃあ地金代にも――」
見習い小僧と同じ事を言っている。ランタンが思わず笑い、その事実を告げるとおやと眉を上げて小僧の頭をむんずと掴んだ。見習い小僧は一瞬握り潰されるのではないかと言うような、怯えた表情を見せたが、グランは意にも介せずにぐしゃりと頭を撫でた。
「ちゃんと勉強してるな」
「う、うす!」
「製鉄所に持って行った方が高値だって、アドバイスも貰いましたよ」
「ば――おま――」
素知らぬ顔で告げ口をしたランタンを見習い小僧は信じられないものを見るような物凄い形相で睨み付けた。目と鼻と口が全部丸く開かれている。グランは頭を撫でていた手を持ち上げると、そのまま見習い小僧の背中をばんと叩いた。見習い小僧はその勢いにつんのめって大げさに受付台に手をついた。まだ鍛冶仕事をあまりしていないのだろう、小僧の身体付きは職人たちに比べてずいぶんと細身なのだ。
「まったく勿体ねえ事すんなよ。小僧はカモなんだからぼったくってやれよ」
「丸聞えですが」
「おっといけねえ」
グランはわざとらしく、ぐはは、と髭を振るわせて笑った。そして不意に真剣な顔つきになって飛刀の一振りを手に取った。眼を細めて、視線が刀身を滑る。見習い小僧と同じように、だがそこにある雰囲気は隔絶している。
「アルミニウムの合金だな。軽い割りに強度も撓りもまあまあだ。造りもそんなに悪くない。まあ軽すぎるっちゃ軽すぎるか」
グランはいっそ楽しげである。
鍛冶職人としての矜恃か迷宮によって生み出された武器防具を快く思わない鍛冶職人は多く、見習い小僧のように持ち込んだ傍から嫌な顔をされることもある。だがグランにはそれが全く見られない。
熟練の職人として、その世界の頂きに至るような経験や知識、技術を持っているのにもかかわらず、この老人の好奇心というものは赤子のように無邪気で貪欲だ。何とも頼もしいことである。
グランは飛刀を片手に指差して、見習いの小僧に銅の比率がうんたら、鋒の造りがなんたらと講釈を垂れている。
職場のどころか、鍛冶職人としての最下層に位置する小僧からして見ればグランの存在は神に等しいのだろう。その知識の一端に触れると言うことは、小僧にとって震えるほどの喜びなのだ。が、ランタンには関係のない話なのでするりと水を差した。
「ちょっと待っててあげればいいのに」
リリオンに小言をもらったが気にしない。小僧は噛み付きそうな顔をしているが、魔物の唸り顔に比べれば可愛いものだ。生温い視線をランタンが送ると、見習い小僧はさも嫌そうに、そして悔しそうに顔を背けた。
「おう悪いな。こいつの買い取りなら製鉄所より、武器屋に持って行った方がいいぜ。柄も鞘も作り直さなきゃなんねえから足元見られるかもしれんが、迷宮由来品を有り難がる奴は多いからな」
この師匠にしてこの弟子ありだな、とランタンは目を伏せて笑いを堪えた。
「これは手土産みたいなものなので、買い叩いてくださっても構いませんよ」
「やだよ、坊主に借りを作ったら後が怖え。ちゃんと然るべき所で売れよ。安売りしたって良いこたあねえ」
グランはそう言って小僧に飛刀を纏めさせた。どうせ剥き出しで持ち歩いているのだろうと、二振りを一纏めにして布で包み紐で固定する。そしてさらに受付の奥から丸椅子を二脚寄越してきた。至れり尽くせりだ。椅子の脚が多少ぐらつき、尻をおいた座面が硬かったが。
「申し訳ありません。ありがとうございます」
「気にすんな。どうせ商売っ気のある話もあるんだろ」
「商売っ気があるかは分かりませんが、少しばかりご相談が」
それは投擲武器についての相談である。積極的に欲しいとは言わずちょっと気になっているんですけどと言う程度だが、グランは腕を組んで深く唸った。
「それでそんな不細工なもんぶら下げてるのか」
腕組みを解いたグランはまるで喝上げでもするかのように分厚い手を突き出して、ランタンの腰に下げた手斧を差し出すように言った。ランタンは何か妙な気恥ずかしさを感じながら、おずおずとそれを差し出す。
「坊主の手にはちょっとでかいな」
感想はそれだけで、グランはすぐに興味を失ったように受付台の上に置いた。
「あんまりみっともねえもん腰に下げてるなよ。ランタンの名が泣くぜ。さっきの男ずいぶんと感動してたじゃねえか」
「……薬物でもキメてラリってたんじゃないですか」
「酷えこと言ってやるなよ。褒めてくれたんだからよ」
身に覚えのないことを褒められたくなんかない。ランタンは唇をへの字に曲げた。
「いやあ、まあしかしなんだ。坊主も成長したなあ」
「何ですか? 藪から棒に」
不意にグランは遠くを見つめるように、腫れぼったい瞼の下に穏やかさを湛えた。
「さっきの探索者とのやり取りを見てよ。あのべそべそしたガキが一丁前に探索者を手玉に取れるようになったんだなあってよ」
「べそべそって何ですか」
ランタンが嫌そうな顔つきになると、途端にリリオンは目をきらきらと輝かせた。
そんなリリオンの期待の視線に気を良くしたグランは、ああそれはな、と髭を捩りながらしたり顔で語り出した。見習いの小僧さえも興味津々にしている。
「昔な、店先でさっきの男みたいに坊主にしつこく絡んでる探索者がいたんだよ。そん時の坊主はこんなに生意気じゃなくて、そりゃあまあ大人しくってなあ。泣きそうな顔して黙っちまっててよ」
「泣きそうになっていません。ただ無視していただけです」
「間に入ってやったら、ありがとうございますう、つって震えてたのはどこの小僧だったかなあ?」
そんな甘ったれた言い方はしなかったし、震えてもいないはずだ。グランはどうやら年寄る波に勝てずに耄碌しているようだった。そうに決まっている。ランタンは不機嫌そうに唇を結んだ。
「信じられない! へえーランタンもそんな風だったのね! ねえランタンランタン! 耳赤いよ、なんで?」
「知らん」
グランは目尻に深い笑い皺を寄せて、困っている少年とじゃれつく少女をのやり取りを眺めていた。しかしランタンがきっと睨むと、途端にその笑みを髭の中に引っ込めてしまう。そしてにやりと太く笑った。
「成長を実感できるってのは良いもんだと思うがなあ。誰だって最初っから達人って訳にはいかんのだから、そんなに恥ずかしがることもねえだろう。俺にだって見習いの時分はあったんだからよ」
グランだって最初から老人だったわけではない。だが何となくこの場にいる年若い三人は驚いたようにグランを見つめた。グランならば生まれたその時から髭が生えていて、鍛冶金槌を携えていても不思議な気はしなかった。
「まあ俺はべそべそなんてしなかったけどな。しかしなあ、そんなべそべそしてた坊主が――」
「しつこいですよ」
「――叙事詩になるなんてなあ」
「なってません! ただの噂話です!」
ランタンが珍しくも思わず怒鳴った。
クーパーと話していた時はどうにか持ち堪えていたのだが、気持ちを隠す必要も無くなったランタンは苦虫を噛み潰したような表情を作った。
「いいじゃねえか。滅多にあることじゃないぜ。それに詩の出来が良かったみたいじゃねえか?」
無責任なことを言うグランに文句の一つでも言ってやろうとしたランタンは、けれど背後からの嬌声に背中を強く叩かれた。
「ランタン、わたし――!」
リリオンが思い出したとでも言うように椅子を蹴っ飛ばして立ち上がり、ランタンにしがみつくように抱きついた。ランタンは椅子から転げ落ちそうになりながらもどうにか持ちこたえて、リリオンを押し返した。少女は餌を目の前にした犬のように興奮している。
「――わたしも聞きに行きたいですけど!」
何かほざいている。
ランタンはその言葉を冷たく無視して、無言で少女を椅子に座らせた。
人形にそうするように肩を押さえ、襟元を正してやり、頬に触れ、髪を一撫でした。その間ランタンはじっとリリオンの目を見続けた。撫で、押さえつけた前髪と同じように、リリオンを大人しくさせる。
無言の圧力にリリオンはすっかり沈静化して黙りこくった。
ランタンは無駄に優美に振り返り、演説でもするように受付台に手を突いた。そして恐ろしく真顔になって平坦な声で告げる。
「グランさん、取り敢えず吟遊詩人にぶち込むのに一番適した奴を見繕って欲しいのですけど、どれがいいですかね? 街中の吟遊詩人の数と同じ数だけ欲しいんですけど」
金に糸目は付けませんと告げたランタンに、グランはいよいよ呆れたように溜め息を吐き出した。
その背後で見習い小僧が、だらだらと冷や汗を掻いていた。
ランタンの眼はこの上なく本気だった。




