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「ランタンは今、こんな感じね」
リリオンは苦笑を滲ませながら、爪の伸びた白い指で宙に大きく波を描いた。
「元気になったり落ち込んだり、信じたり疑ったり。もう、そんな顔しないで。わかりやすくたっていいじゃない」
「よくないよ」
「いいの。もっとひどくなる前に気付けるもの。それに隠したって霧の前では無駄なんだもの」
波を描いた手をぱっと広げて、もうここにはない霧を払うように大きく動かす。
ランタンはうんざりして溜め息を吐いた。
リリオンはそれを見てただ笑って、ランタンを慰める。
なるようにしかならないものがある。この遠征で突き付けられたものはそれだった。そしてそれを受け入れることは大変なことだ。ほとんど自分の無力さを突き付けられるようなもので、それは受け入れがたい事実だった。
リリオンだって辛く苦しいはずなのに、どうしてそんな風にいられるんだろうと思う。
ローサの耳鳴りがようやく治まる頃に、見回りに出ていたルーが戻ってきた。
森の中から小走りにやってくるルーの動きはてきぱきとしているが、その姿はやはりくたびれている。
「ランタンさま、こちらをご覧くださいませ」
ルーは赤茶けた石塊を手にしている。わざわざランタンの目の高さに持ち上げて、それが煉瓦であることを告げた。
「煉瓦の欠片か」
「はい。あたり一面に散らばっておりました。四方八方に区別なく、煉瓦の他にもいくつか家具や道具の残骸らしきものも。おそらく、ここには建物が建っていたのでしょう。それが何かによって吹き飛んだのだと考えられますわ」
「何か、か」
受け取った煉瓦は半ば砕け、焦げついていた。遠征道中の戦火によって破壊された建物のそれによく似ている。
「爆発によって吹き飛んだんだろう。でもこんな森の中で戦いが?」
ランタンが臭いを嗅ぐと、リリオンもそれを真似した。焦げた臭いはもううしなわれていて、湿った土の臭いだけがした。
霧が流れ込み溜まったこの窪地も、その爆発によって生まれたものらしい。
窪地は苔や地衣類に覆われていて、その厚みからかなりの年月が経過していることがわかった。
窪地をその縁から見下ろし、よく目を凝らすと規則的な線状の盛り上がりを見つけることができる。それはかつて建った建物の基礎らしかった。
窪地の最も深いところを掘り返してみると、そこが爆発の中心だったのだろう地面が溶けて、再び固まった痕跡が露わになる。
「爆発の中心は建物の中心じゃないな。居住区と倉庫かな。肥料か火薬か、そういったものを保管していたのかもしれない」
その場合、かなりの量の爆発物を保管していたのだろう。もはやどんな建物があったのか、想像もできないほど上物は綺麗さっぱりなくなっている。
だがかつて建物が存在したという事実だけが今は重要だった。
「爆発物を保管していたってことは、人里からは離れている。でも輸送の都合からも遠すぎるということはないはずだ」
そう言ったランタンの表情を見て、リリオンは頬を緩めた。
道なき道を先導するランタンの重責といったら計り知れない。
変異者たちと離ればなれになったことや、あるいはそもそも彼らを遠征に連れて来たことにさえランタンは責任を感じていた。
確かにランタンは彼らをそそのかした。しかし決断をしたのは彼らだし、彼らはその事を理解していたように思う。誰もランタンを責めないだろう。
「でも一旦、落ち着こう」
ランタンはむしろ自分に言い聞かせるように言った。
早く森を抜けたい。
焦りはあったが、焦りのまま森を進んでも、逆にまた奥深くへ進むことになるかも知れない。
いざという時のためにも、またこの場所に戻ってやり直せるようにしなければならないし、もっとも確率が高い方向へ踏み出さなければならない。
ローサとガーランドも集めて、作戦を伝える。
「ウーちゃん、おねがいね」
ローサがウーリィを空に放り投げる。ウーリィはぱっと翼を広げ、あっという間に高度を上げた。
空であっても魔精の影響からは逃れられないが、それでも地上よりはましだったし、遠くを見通すことができる。
言葉を話せるわけではないが、ウーリィは竜種らしく賢かった。
人の気配に気が付けば報せてくれるだろう。
また地上ではもっと丁寧に周辺の探索を行った。
例えば残された基礎を調べていくと、出入り口らしき場所が特定できる。しかしそこから森に向かう動線を推測しようとしても、自然の力によって痕跡は掻き消されている。踏み固められたはずの地面は風雨に耕され、今や均一な下草に覆われている。
今度は森の中を調べていく。
爆発は四方へ均等に建物を吹き飛ばしたはずだった。しかし瓦礫の散らばり方には偏りがあった。
それは木々の密度の偏りに影響を受けているようだった。
かつて建物があったときは、人の出入りのために森が切り開かれて道になっていた。瓦礫がその道なりにだけ遠くまで飛散している。
またそこに生えている木々に傷はないが、他の木々には瓦礫がぶつかってできたのだろう傷を見つけることもできた。
ランタンは木を一本一本見上げたり、地面に這いつくばって瓦礫を探したりした。
ひどく地味で、迷宮でもしたことがないような作業だった。
誰かがこのランタンを見たら笑うかもしれない。ただ森を抜けるためだけに獣のように這いつくばっている。
日も暮れる頃、ランタンはようやく立ち上がって大きく腰を反らした。高いところにある木の傷はリリオンに任せて、あるときからずっと地面ばかり見ていたせいで頭に血が昇っている。
顔が浮腫み、頬が赤くなっている。手は土で汚れ、爪の中まで黒い。膝は踏み潰した下草の汁で湿り緑色になっている。
「みんな、ありがとう。これぐらいにしよう」
ランタンは額の汗をぐいと拭った。冷たい風が心地良かった。
「水くさい言い方をしないでよ」
労いの言葉に、リリオンが間違いを指摘するみたいに言った。苦労はみんなで分かち合ったものだった。
「でも大変だっただろ」
リリオンもルーも手で首を揉んでいる。
「ランタンも同じでしょ。手、洗いましょ。ガーランドさんがお水を用意してくれてるわ」
全員で焚き火を囲み、集めた情報を地図に書き込んでいくと自然と進むべき方向が浮かび上がってくる。
瓦礫の分布と無傷の木の分布の重なり具合を確かめ、また傷のある木と無傷の木の幹の太さの違いや、道があっただろう場所とそうでない場所に生える木の本数の違いを比較していく。
ランタンは地面にがつがつと計算式を書いていく。
「これはなに?」
「ある範囲内に生えてる木の数の平均。こっちは木の種類別の太さの最大と最小、平均」
「どうしてこれは消してあるの?」
「値が大きく違うから除外した。例えば僕らの身長の平均を出すとこれぐらいだけど、ここにトールズが加わるとこれぐらいになるだろ。これで平均を出しても基準にならない」
「ふうん、ぜんぜんわかんない」
財布を全てランタンに預けているリリオンや、ローサやガーランドは言うに及ばず、傭兵探索者としてそれなりに金の計算をしているはずのルーでさえ、ランタンがからしてみると単純なその計算を未知の魔道を見るような目で見ている。
「ローサ、ウーリィはなんだって」
ある程度の計算を終えたランタンは、ウーリィを抱くローサに尋ねる。
「たぶんあってるって」
「たぶん、なんて曖昧な概念を知ってるのか」
「ここだけきがひくいって」
ローサは地図上の道をなぞりながら言う。
「うん、それから」
「とおくをみようとすると、きりがじゃまするんだって。ひとりでいくのはふあんだって」
ウーリィは甘えるように首を伸ばし、ローサに頬ずりをする。ランタンも手を伸ばし、羽毛と鱗に包まれた身体を撫でてやった。
「人の気配は?」
「……うん、うん。――あるって」
ローサは内緒話のように何度か頷いたと思ったら、はっきりとそう言った。
ランタンばかりではなくみんな面食らって、つい顔を見合わせる。
「ある? 人の気配があるのか。それは近くに? 変異者たちのことか? それとも地元の人か?」
「ウーちゃん? うん、……わかんないって。でもいろんなひとがいるんだって」
色んな人というものをランタンは想像した。
それは別れた仲間かもしれない。あるいは森を根城にする盗賊めいたものかもしれない。思ったよりも近くに人里があり、そこに暮らす猟師かもしれない。人魚たちのようなまだ見ぬ人々かもしれない。サラス伯爵をまだ慕う、敗残騎士かもしれない。
敵かもしれない。
背中にリリオンとルーの手が触れ、支えた。
「大きな声で呼びかけてみる? もしかしたら助けてくれるかもしれないわ」
リリオンが悪戯っぽく言った。
「あるいは同じように迷子の方かもしれませんわ」
ルーは困ったように言う。
「どうせ管理者のようなものだろう。いちいちかかわり合いになるべきじゃない」
ガーランドは腹立たしげに言う。
「たぶんってウーちゃんがいってる。たぶん」
ローサは自信無さそうに言った。
「なるようにしかならんか。結局」
ランタンは地面に書き込んでいた枝を火の中に投げ込む。




