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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
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 大鼠という害獣がいる。

 頭部は鼻先が突き出すような流線型をしているが、胴は洋梨型でややだらしない印象を見たものに与える。毛革はくすんだ灰色や茶色をしており油っぽく臭いがあったが、水を弾きそこそこ丈夫なので、最低位の探索者の装備に使われたり汚物処理に従事する人間が身に付けたりする。

 だが肉はどれほど下処理をしようとも臭いが抜けないので食用には向かない。けれど下街ではそこかしこで繁殖して姿を見られるので貧者に常食されているのも事実だ。ランタンは一口囓ってそれを吐き出して以来口にはしていない。

 齧歯類らしい上下の顎に生える門歯はそれほど巨大ではないが、それは永遠に伸び続け恐ろしく強固である。門歯がそのまま伸び続けるとやがて顎が閉じられなくなり、遂には歯が顎を突き破り、下の歯などは鼻を削いで、その先には頭蓋を貫通して脳を破壊し自らを死に至らしめることもある。

 物を囓ることで門歯は適切な長さに保たれるのだが、強固な歯を削る為に石や金属などの硬い物を囓る習性がある。それはつまり家具や調理道具、あるいは家そのもの、時には武具に至るまでに及び、その為多くの人々から嫌われている。

 成体では一メートル近く、鼻先から尻尾の先までを計れば二メートル半に及ぶ大きな個体も存在する。多産であり四季を問わぬ繁殖力は旺盛で、時折衛士隊が大規模な駆除作戦を決行しているほどだ。その際に探索者ギルド経由で駆除の手伝い依頼が暇な探索者に舞い込んだりもする。

 大鼠は有機物無機物、それに汚物まで食べる超雑食で、食べる物に困らないので生きている人間自体を襲うことは稀であったが、文字通り牙を剥けばそれなりに獰猛だ。大鼠を追い払おうとして手痛いしっぺ返しを喰らう人々は後を絶たない。

 一説では溝鼠(どぶねずみ)と鼠の魔物との交雑種だと言われているが既に一つの種として確立してしまっているので真実は定かではない。

 その大鼠が一匹歩いていた。三十センチほどの個体は的としては手頃である。

 しゅるしゅると空気をかき混ぜながら手斧(ハチェット)が飛んでいく。利き腕とは逆の左手でそれを投げたのは、戦槌を右手で持っている時に使用することを前提としているからだ。手斧はやや左上がりに傾いて、刃も少し寝ているので空気の抵抗を受けていた。回転は乱気流を生み出すように揺れている。刃は鈍く曇り、陽光を微かに反射させるばかりだった。

「あっ」

 リリオンがその軌跡を目で追い、小さく声を上げた。

 回転の影響か手斧が途中でシュートして狙いを逸れた。ぎゃんと地面を削り、その音で狙われていることに気づきもしていなかった大鼠が飛び跳ねた。一度ランタンを睨み付けるように振り返ったが、野生の勘が冴え渡ったのかでっぷりとした身体の大鼠が思いがけない速度で逃げ出した。

 壁に空いた小さな穴に頭から突っ込んで、尻をふりふりとしながら胴をねじ込んで隠れてしまった。

「あったんないなぁ」

 ランタンが情けない声を出して空を仰いだ。この精度では奇襲にも使えない。

 大雑把に一定の範囲内に当てることはできるのだが一点を狙うことが難しい。利き腕ではない為だ、と思いたいところだが戦闘に関する不得手を誤魔化すと生死を分けることになりかねないので現実を直視する。

 投擲攻撃の経験も技術もなければ、それを補う才能もない。そう言うことだろう。

 横たわる手斧が妙に哀愁を誘った。リリオンが犬のように駆け出して手斧を拾い、走って戻ってくる。それを受け取ってランタンは少女の頭、身長差のせいでほとんど額だったが、を撫でる。

「何がいけないと思う?」

「……動きがぎこちない、ような気がする」

 聞いたランタンにリリオンは少しばかり躊躇っておずおずと口を開く。そしてランタンの真似をしているのか手斧を振りかぶって投げる振りをしてみせた。

 中途半端に上がった右足。弓引くようにと思っていたが、実際は重たげに下がる肩。肘から手首に掛けての捻れは、それはつまり先ほどのシュート回転を生み出した元凶だろう。なるほど、とランタンは唸った。

「ちょっと格好悪いなあ」

「ランタンは、かっこ悪くないよ!」

「……どうもありがとう」

 慰めがむしろ虚しい。ランタンは受け取った手斧を適当にくるくると回した。手元で扱う分にはランタンは両利きと言っていいほどなのだが、投擲となると手元の僅かな狂いが距離が伸びるにつれて拡大していく。それを補おうとして余計姿勢を崩しているのだろう。

「きっとアレだね」

「どれ?」

「これの重心が狂ってるせいだ」

 ランタンはぶぶぶと唇を震わせた。

 手斧は鋳造なのか握りから斧頭までが一体化している。刃は研いで作ってあるが、刃物と言うよりは鈍器である。

「うん、きっとそうよ」

 冗談で言ったのだが、返事を返してくれるリリオンの表情が眩しかった。

「こっちで試してみる?」

 リリオンは真面目な様子で予備として持たせた別の手斧をランタンに差し出した。こちらの握りは木製で、斧頭はおそらく鍛造である。だが粗雑な造りであることは変わらない。

「あれなんてどう?」

 視力()が良い。地面とほとんど同化しているが、リリオンが指差した先には蛙が一匹。

 牙大蛙というこれまた害獣である。大きな口に糸鋸を嵌めたような細かな牙が生えていて、顎の力は強く人の指ぐらいなら容易に切断する。

「こんな場所で珍しい」

 雨期になると活性化し、その時期にはぐえぐえと絞め殺されるような鳴き声で大合唱し近隣一帯に不眠症患者を量産するのでその時期には大鼠と害獣の覇権を争っている。

 だが完全害獣の鼠とは違い、肉食性だが大人しく、大鼠などの小型生物を襲うこともあるがとりわけ昆虫食を好んでいるので病気を媒介するような様々な害虫を捕食してくれる益獣の一面も持ち合わせる。

 そのため虫をあまり好まないランタンはそれほどこの蛙を嫌ってはいない。

 それに大牙蛙の肉は安い割りに中々の美味で、見た目のグロテスクさにさえ目を瞑れば鳥肉とほとんど味は変わらず、肉質に至っては鳥よりもしっとりしている程だ。ランタンもひもじかった時期にはよくこの肉で飢えを凌いだ物である。

「んー、やめとく。たぶん当たらないし」

 牙大蛙は建物の影で鳴きもせずにじっとしている。その横を通り過ぎても身じろぎ一つせずに、ただ喉を膨らませたりヘコませたりしていた。ふてぶてしい顔をしている。

 それを通り過ぎて以後、手頃な獲物もおらず次第に人通りも増えてくる。さすがそこいらに屯する破落戸を狙うような真似はせず、また人気(ひとけ)のあるこんな所で投擲の練習をするほどランタンは常識知らずではない。

 ランタンは手斧を二振りとも腰にぶら下げて、そのまま上街に入った。煮込み料理の旨いと噂の店でたらふくの昼食を済ませると、目的の一つである魔精結晶の換金を行う為に足を進めた。

 魔精結晶は高価であるが故に売買ができる店が限られている。取り扱ってくれるのは探索者ギルド、魔道ギルド、職人、商人ギルドを筆頭に大店の換金屋とそして魔道関係の店ぐらいのものだ。それは法によって取り決められている制限ではなく、ただ単に需要と資金的な問題である。

 例えば今日ランタンが持ち込もうとしている程度の魔精結晶ならばさしたる問題はないが、高品質の魔精結晶を換金できるような資金力のある店はそうそうないし、そもそも無加工の魔精結晶を取り扱える技術を持つ者も限られている。

 ランタンはいつも探索者ギルドで換金をしていたが、何となく別の店を試そうと考えていた。リリオンの手を引きながら商店街を行く。目抜き通り(メインストリート)は毎日がお祭りのように賑やかで猥雑だ。

 けれどリリオンのように巨大な武器を背負っていると、一目で探索者だと分かる為か一般人がちょっとだけ避けるようにしてくれるのでありがたかった。ランタン一人では人々の視線に入らないのかよくぶつかったり、押されたりする。掏摸にも遭うし、尻を撫でられることもある。そう言った場合は容赦なく手を砕いたが、煩わしいことに変わりはない。

 ランタンはそう言った雑事を嫌って枝道に入ることがある。枝道では枝道で(やから)に絡まれることもあったが、彼らは真正面から来るので痴漢よりはまだマシだ。痴漢には尻を触られてからでないと対処できない。

 そんなこんなで逃げ出した枝道を当てもなく歩いている時に、一つの店に行き当たったのはずいぶんと昔の事だ。

 水晶洞(クリスタルケイブ)と言う大層な店名の魔道用品店だ。

 とても美しい店名とは裏腹に、看板の一つも出ていないし、言葉を選ばずに率直な感想を言えば店構えはしみったれている。風雨にさらされて罅の入った壁はクリーム色がくすんでやや茶色がかって、朽ちた木枠の窓は日焼けしたレースのカーテンに閉ざされている。

 ふとした違和感を感じたのは、それなりにここへ通っている為だろう。窓に一枚のメモが外向きに貼り付けられていた。右肩下がりの文字は途中で二重線を引き訂正され、そのまま文字が続けられている。

 看板の代わりだろうか、とランタンはそれを一瞥した。看板ならばもうちょっと綺麗に書き直せば良いだろうに。

「ほら、リリオン入るよ」

「……ぼう、……探索者、ごようた、し?」

 メモを睨み付けているリリオンを呼んで、ランタンは押すんだか引くんだか分からない扉を開いた。蝶番が耳障りに軋む。

 ランタンは自分が何故この扉を開こうと思ったのか、今では初来店時の精神状態を思い出すことはできない。きっと何か焦っていたのだろう。

「こんにちはー」

 店内はやや薄暗くまさしく洞窟(ケイブ)であり、そして壁一面に収納された様々な結晶は店名に偽り無しのまさしく水晶(クリスタル)である。店構えと店内の落差はいい意味で大きく、扉に人体を転送させるような魔道が仕掛けられているのかと思わせる幻想的な風景が広がっている。

「ふああ」

 リリオンが色とりどりに乱反射する結晶の(きら)めきにぽかんと口を開けて、魂が抜けたみたいな溜め息を吐いた。人工物も天然物も。三級品から特級品まで。様々な元素の魔精結晶が棚の上からランタンたちを照らし覗き込んでいる。

 なんとなしに入ってみたらば驚いて然るべき品揃えだった。あの時の感動をリリオンも感じているのかと思うと感慨深い。

 リリオンは小走りに壁際へ近付いて、棚を埋め尽くす結晶に鼻を擦りつけるようにしてそれらを覗き込んでいた。

「いらっしゃい。水晶洞へようこそ」

 店主の声が虚しく響いた。リリオンはまるっきり気づいていない。

 店主はしみったれた店構えにふさわしい、もさっと中年の男である。

 僅かに白髪の混じる細かくうねる髪がカリフラワーのように膨らんでいて、それでいて後退した額が脂でテカっている。鼻の下に()の字を描いた髭がこの上なく胡散臭い。だが目尻に消えない笑い皺があり、丸眼鏡の下にある目が柔和で優しそうな雰囲気が胡散臭さを辛うじて中和しているとも言えなくはない。いや、やはりまだ少し胡散臭さが勝っている。

 ランタンは店主の名を知らないが、店主はランタンの名を知っている。

「いやあランタン君、ようこそようこそ。聞いたよお、単独(ソロ)やめたんだってねえ。そっちの子がそうかい?」

「……ええ、まあ」

 いつも訪れる時よりも何だか酷く馴れ馴れしかった。

 たまに世間話をする程度にはこの店を利用しているのだが、何だか知らない間に距離が縮まったような雰囲気がある。ランタンはその雰囲気に戸惑い、いつもは気丈に振る舞っていたが反射的に人見知りが顔を出した。

 完全に引いているランタンの気配を敏く感じ取ったのか店主は不器用に咳払いをして、それで今日の用は何かな、とうだつの上がらない気弱げで不器用な笑みを取り繕った。

「ここって魔精結晶の買い取りもしてますよね?」

「魔精結晶? うん、ああ、まあしてなくもないよ」

 店主は中途半端に返事を濁した。ランタンが怪訝そうな顔つきになると慌てて、すまんね、と言葉を付け足した。

「少量なら買い取れるけど、あまり数が多いとちょっと。物々交換もできるから、それでもいいなら構わないけど。どうする?」

 店主はそう言って羅紗(ラシャ)張りの盆を受付台(カウンター)の上に用意した。ランタンは背嚢をがさごそと漁り、盆の上に結晶を転がした。数ばかりあるが質はそれほどでもない魔精結晶である。

「ずいぶん多いね、ちょっと現金買い取りは無理だよ。ちゃんと見ないと分からないけど、現金なら十個かそこらだね」

「水精結晶も欲しいので、鑑定お願いします」

「わかった。数は、ああ、ええっと十……二十、……三十と一個で間違いないね」

「はい、そうですね。鑑定している間、ちょっと店内を見てていいですか?」

「ん、ああ、――別に構わないよ」

 店主は驚きを隠せない表情でランタンの顔を見つめた。口の中で言葉を噛んでいるのか髭が上下に動いて面白い。ランタンはそれを見て小さく微笑み。お願いしますね、と受付台を離れた。

 鑑定中に鑑定品から目を離すと言うことはつまり、どうぞ詐欺行為を働いてください、と言っているに他ならない。

 鑑定品を偽物や下級品にすり替えたり、それ自体に傷を付けて価値を下げ買いたたこうとすることは珍しい手段ではない。生き馬の目を抜く商売人の世界には、持ち込んだ人間の目の前で平然としかし見つからずにそれを遂行する職人がいるという。なんとも恐ろしい話だ。

 しかし目を離すと言うことは、同時に信用の証明でもある。信用していますよ、と言外であろうとそう告げられると、それを裏切る事はなかなか難しいとランタンは思うのだ。

 もっともランタンはそのようなまどろっこしい駆け引きを行っているわけではなかったが。

 今日の目的は魔精結晶を探索者ギルド以外で換金、交換することにある。欲している物は経験で、例え店主がしみったれた店構えと同様のしみったれた性根の持ち主で、魔精結晶を二束三文で買い叩かれたとしてもそれはそれでいい経験なのだ。それに損益も優良な店を見極める為の必要経費だと思えば安い物だ。

 もっとも店主が水晶の如き美しい性根の持ち主であることに越したことはないが。

「きれい……」

 リリオンがうっとりと呟き、近付いたランタンの存在に気が付いて振り返った。

「ランタン。すごい綺麗よ」

 リリオンが眺めていたのは様々な形の魔道光源(ランプ)だった。

 一般に多く普及している裸電球にも似た安物ではなく、複雑なカットや繊細な彫刻、精巧な細工を施された美術品の一面を持つ魔道光源の放つ色取り取りの光は幻想的だった。

 どれも美しく見事な出来映えだったが、リリオンが特に好んだのは女の子らしい花のモチーフの魔道光源だった。

 薄紫の柔らかな光を放つ薔薇の花束、冷たく白い光りを灯す一輪の鈴蘭、白から薄桃にグラデーションを作る蓮の花、燃えるような色合いに咲く大輪の牡丹。花々から放たれる光を受けてリリオンの頬が色づいた。

 買えない額ではないが、持て余すことはリリオンも分かっているようだった。もしこの魔道光源を購入するならちゃんとした住処を探すところから始めなければならない。

 そしてランタンはリリオンが通り過ぎた獣のモチーフをこっそりと気に入っていた。獰猛そうな獣や魔物の姿形に心を引かれるのは、少しばかり子供っぽいような気がして気のない振りをしていたが。

「気に入った物はあったかい?」

 こっそりと虎の頭を突いていたランタンはびっくりして店主を振り返った。それを追いかけるようにリリオンも振り向く。魔道光源に気を取られていたリリオンは、今更ながら店主に気が付いたようで咄嗟にランタンの背中に隠れた。

 店主は密かに傷ついていたようだが、慣れた物なのか僅かに苦笑して溜め息を吐いただけだった。

「それは炎虎と言う魔物を象っているんだよ。戦ったことはあるかい?」

 背後でリリオンの髪がさらさらと鳴った。隠れているくせに律儀に首を横に振ったのだろう。ランタンもそのような魔物と戦ったことはない。そう伝えると店主は、出会わないに越したことはないよ、と深く頷いた。

 それは燃える毛皮を纏った獰猛な虎で、戦おうにも熱くて近寄ることができないのだという。

 やはり投擲技術を高めるべきだな、とランタンは改めて思った。

「鑑定は終わりましたか」

「ああ、うん、お待たせ。やっぱりねえ十二、三個が限界だね。それも相場よりもいくらか低いよ」

 そう言って店主が伝えた額は割と渋い値段を付けると評判の探索者ギルドの換金率よりも二割減と言ったところだった。店舗規模からしてみれば理解できなくもない額である。もっとも理解と納得は別で、普通ならばここから店主が客を納得させる為にご託を並べるはずなのだが。

 ここの店主はそんなことは全くしなかった。

「やっぱり嫌だよね……折角命をかけて持ち帰った獲物に安値が付くのはいい気分じゃないよね」

 いかにも人の良さそうな情けなさすらある乾いた笑みは、思わずこの値段で頷いてしまいそうな哀れっぽさがあった。

 リリオンはさっそく(ほだ)されて、ねえどうするの、とランタンの腕を引いたりもした。

 この顔も駆け引きの一つなのか、とランタンは店主を観察したが本気なのか演技なのかは判断がつかない。取り敢えずリリオンは無視する。この少女に取引を任せたら、あまり金額に頓着しないランタンよりも酷いことになりそうだからだ。

「そうですね、その値段ではちょっと。なので物と交換で」

「そうだよね。ああ、うん、水精結晶だったね。いつものをいつも通り――」

 いつもの、とはランタンが好んで常飲している人工水精結晶のことだ。時折、行きがけの店舗で購入することもあるが、ランタンは基本的にはこの店で水精結晶をまとめて半ダースずつ定期的に購入するようにしている。

 ランタンは店主の言葉を遮って首を横に振った。そして自分を指差して、リリオンも指差す。水精結晶の消費量はリリオンと共に過ごすようになってから倍以上になっている。

「十八個ほど用意していただきたいのですが」

「そうか、ああっと、どうだったかな。在庫は幾つあったかな」

 ランタンの言葉に店主は困った顔になって、いそいそと席を外すと水精結晶の在庫を持ってすぐに帰ってきた。

「マルリー・ハローヴァの水精結晶は今は十個しか在庫がないんだ。残りの八個は、どうしようか?」

「……そうですか」

 困った店主と顔を見合わせて、ランタンは残念そうに呟く。そんなランタンの袖をリリオンを引っ張った。

「どういうこと?」

 魔精結晶に等級があるように水精結晶にも等級がある。

 等級が上がるごとに基本的には水量が増加し、また温度や風味にも違いがあることは知られているが、同等級の水精結晶でも味に差があることはあまり知られていない。と言うかそもそもあまり水の味に頓着する探索者はいない。

 ランタンは等級により味に変化があるのではない、と考えていてこの店主も同じような考えの持ち主だ。人工の水精結晶は特殊加工した空の魔精結晶に水の魔道を封じた物だ。おそらく水の味は魔道を込めた人物の魔精の味とも呼べるモノなのだろう、と思う。

「幾つか新しい人の物も入れたから、試飲してみるかい?」

 店主はそう言ってどこから取り出したのか手品のように試飲用の小さなコップを受付台に並べた。

 本来は衝撃を与えてどばっと水を放出する水精結晶。そして水筒用のものは更に加工されて、水筒に装着し、底に衝撃を加えることで一定量の水を放出するように作られている。筈なのだが店主がそれを傾けると結晶の先端からそよそよとコップに水が注がれた。妙技である。

 よくよく見ていると店主の指が綺麗だ。指毛の一本もなく、節の穏やかですらっとした指をしている。ピアノの一つでも奏でれば、胡散臭さも味に見えてくるかもしれない。

 小さい試飲コップに溢れぬように水が満たされた。結晶からの水切れも見事だ。

 ランタンにとって基準点になるのは、ハローヴァの水である。

「うん、おいしい」

 ハローヴァの水は一言で表現するのならば雪解け水だ。

 きんきんに冷たくて喉越しも柔らかく癖がない。後にこめかみに痛みを伴うと分かっていても、ごくごくと飲みたくなる。風呂上がりなんかにはちょっと飲み過ぎてしまうぐらいに。

 それから幾つか試飲をさせてもらった。硬水も軟水もあるが、硬水の方が多かった。口当たりが硬い硬水をランタンはあまり好まないのだが、リリオンは平気なようだった。

「変な味……」

 水の中には塩素臭のような風味があるものもあった。洗濯にでも使えば汚れが落ちるかもしれないが、飲料用として売られているので洗濯に使うにはさすがに躊躇われる金額である。これは見送りだな、とランタンは不快な後味に評価を口に出すことを避けた。

「水ってこんなに味が違うのね」

 不思議だわ、とリリオンは水精結晶を指で突いた。

「どうして味が違うの?」

「水は透明だけど、実は目に見えないぐらい小さい色々な物質が溶けてるんだよ。それの量が違うから味もそれぞれ違う、んだと思う……」

「ふうん、何が溶けてるの?」

「さあ、知らない。見えないし」

 水の硬軟を決めるものがミネラルだとかそういった物質の多寡による事は知っていても、その次に来るだろう、ミネラルって何、と言う質問には答えられないのでランタンは早々に質問攻撃に白旗を揚げておいた。

「それもそうね」

 リリオンは水の入ったコップを目の前までつまみ上げて目を凝らし、何も見えないことに納得したように頷いた。

「なかなか興味深い話だねえ、ふうむ……それで気に入った水はあったかい?」

 数少ない軟水の水精結晶の中に気に入ったものはない。ハローヴァの水に比べると、どうしても片手落ちであるというのが正直な印象だ。柔らかさやまろやかさは充分でも、圧倒的に冷たさが足りないのだ。

 ランタンは冷たい水を温める術は知っているが、(ぬる)い水をきんきんに冷やすことはできない。

 ランタンはリリオンにも意見を求めたが、少女は慌てて首を横に振った。ランタンの背中をちょこんと押して、選んで、と囁く。魔精結晶は二人での戦果なのでリリオンにも選択権があるのだが、少女はその権利をあっさりと手放した。

「……実はもう一種、変わり種があるんだけど飲んでみるかい?」

 店主は迷っているランタンを見かねて、けれどどこか躊躇うような素振りを見せながら水精結晶を一つ取りだした。ほとんど透明に見える淡い色をした水精結晶だ。水を注がれたコップに鼻を近づけてなんとなしに臭いを嗅いだ。無臭である。

「フレデリカ・コールラウシュと言う魔道使いの水だよ。……曰く純水(ピュアウォーター)って言っていたけど、そう言うことなのかねえ?」

「純水、ね」

 ミネラルの含有量が少ない軟水の口当たりが柔らかいのならば、魔道使いの言を信じ不純物の含まれていないこの純水の喉越しはとてもとても柔らかいはずである。手から伝わる冷たさは残念ながら常温だったが、ランタンは期待に胸を膨らませて純水を一気に呷った。

「……、何これ」

 ランタンは辛うじて呟いて、リリオンが顔をくしゃりと歪めた。

 苦いのか、渋いのか。舌の表面が一気に収斂(しゅうれん)して厚みを増したような感覚があった。はっきり言って美味しくない。

「そうなんだよねえ。全然美味しくないの、これ。まったく何が純水なんだか、あははは、はは、は、は……」

 じろりと睨んだランタンに店主の笑い声が引きつり、掠れて消えた。

「……ごめんなさい」

 店主は極小さな声で呟くとしゅんと肩を小さくして居心地が悪そうにする。他に何かあったかな、と態とらしく呟きながら棚を漁ったりもした。

 結局ランタンはハローヴァの水精結晶を十個と、適当な軟水の水精結晶を二個、そして()水精結晶を一個もらうことにして、余った魔精結晶は換金せずに持ち帰ることにした。

 これもまた経験である。何時ものランタンならばわざわざ不味い水精結晶を選んで購入はしない。これが意味のある行動かはランタンにも分からなかったが、取り敢えずそんな気分なのである。

 店主にも、リリオンにも変な目で見られたが。

「来月までにはハローヴァの水精結晶、また入れておくから」

「はい、お願いします」

「……ランタン君!」

「はい?」

「あ……ああ、いや、うん。また、来店をお待ちしてます……」

 店主はランタンを呼び止めて何故だか壁際の棚や窓に視線を彷徨わせて、引きつるような顔でそう言った。ランタンは気味悪がりながらも、ええ、と頷いて水晶洞を出た。

「ねえランタン。あれ飲むの?」

「んー、飲みたいの?」

 ランタンが意地悪く聞き返すとリリオンは慌てて首を横に振った。しかし顔にはっきりとした決意を浮かべて続ける。

「でもランタンが飲めって言うんなら、飲む」

「……これはお守り用だよ」

 ランタンは物凄い罪悪感に襲われながら慌てて取り繕った。リリオンの決意には悲壮感すら感じさせた。

「これほら、不味いから。これを飲むような機会はありませんようにって」

「なるほど!」

 あっさりとリリオンが納得してくれて、ランタンはこっそりと胸を撫で下ろした。

 純水精結晶はランタンの親指より一回り程度大きい。水筒のソケットに収まるようになっている。極淡い青の結晶はなかなか綺麗なのでペンダントにでもしてリリオンにくれてやろう。

 武具工房はそういった細工もしているだろうか、とランタンは職人街へと足を進めるのだった。


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