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 一夜を明かし、まず目覚めたのはずっと眠り続けていたルーだった。

 極度の魔精酔いの中、彼女はずっと夢を見ていた。

 だがその夢の内容は目覚めると同時に頭の中から消え去ってしまい、ただ夢を見ていたということだけを憶えていた。

 なにか胸に迫るような夢を見ていた気がする。

 思い出せないことに不安を覚えるほどだった。

 これまでの探索者生活の中でもこれほどの魔精酔いは初めてだった。

 彼女が意識を失ったのは納屋の中だった。埃っぽい、農機具のしまわれた薄暗い空間を思い出す。

 その奥に男がいた。サラス伯爵の小姓だった男だ。男は魔精結晶を体内に有しており、これを解放させた。

 溢れ出した魔精は男の肉体を消し去った。

 そしてその魔精はその場にいたランタンやリリオン、ルーの三人に襲いかかった。

 これを防ぐためにルーはランタンの前に飛び出した。

 冷気とも灼熱ともつかぬ、痺れるような感覚が全身を貫いたのを憶えている。一つ間違えば、あの男のように消滅していたかもしれない。

 身体を起こそうとしたが、肉体は重たかった。関節が強張り、十年も寝たきりだったように思う。

 ランタンの姿は探すまでもなくすぐ側にあった。床に座り、壁にもたれかかるようにして眠っている。すぐ側にはリリオンもいた。

 寝息が聞こえる。

 初めは互いに寄り掛かって眠っていたのだろう。だがリリオンはランタンの太股を枕にするみたいに倒れ込んでいる。大きな身体をくの字に折り曲げて、窮屈そうだった。

 その姿を見るだけで、安心感が広がり胸が温かくなるのを感じた。

 それからようやくあたりを見回す余裕が生まれた。

 あの納屋ではない。

 どれぐらい眠っていたのか。

 自分が寝かせられているのは長椅子のようで、周りにはずいぶんとものが多い。それはどれも本であるらしい。机にも床にも積んであって、もとはこの長椅子の上にもあったのだろう、すぐ脇で本が雪崩を起こしている。

 知らない場所だった。遠征の道中で寝泊まりにつかったような廃屋とは違う。これほど本があると言うことは、それなりに裕福でなければならない。

 どこかの大きな町に入れたのだろうか。それとも伯爵領の中央にまで辿りついたのだろうか。

 気になることは多くあったが、ルーは二人が目覚めるまで声をかけなかった。

 眠りを妨げたくはなかったし、二人の寝姿は飽きることがない。

 ルーはうっとりした気持ちで、二人の目覚めを待った。

 まず目を覚ましたのはランタンだった。音もなくゆっくりと瞼を開けると、まだ眠たそうな目でリリオンを探しだす。自分の太股の上で眠っていることに気が付くと、微かに頬を緩め、ひどく優しい手つきで髪に指を通した。

 そしてルーの方を見た。

 視線が合うとランタンは驚いた様子で大きく目を開き、咄嗟に立ち上がろうとした。

「あ」

 ルーが声を上げた。百年ぶりみたいに小さな声だ。

 ランタンは思いとどまって、そっとリリオンの頭の下から太股を抜いた。

「ルー、調子はどう?」

「もう、すっかり。ご心配を――」

「起きる? ほら」

「――申し訳ありません」

「いいから」

 ランタンは身体を起こそうとしてぐらついたルーの腋の下に手を差し込み抱き起こした。

 小さく温かな身体に抱かれるだけでルーは得も言われぬ幸福を感じる。

「よかった。憶えてる? 魔精の放出を喰らって、ずっと魔精酔いの症状で寝てたんだよ」

「はい、それは憶えております」

 ランタンはルーをしばらく抱きしめていた。ルーもランタンを抱きしめ返した。ようやく身体の動かし方を思い出したみたいに。

 ランタンはルーが眠っている間、何が起こったのかを簡単に語った。

 療養所と呼ばれる所へ運び込まれたこと。変異者たちは眠り続け、理想の夢を見ていたこと。夢を見続けると、やがて肉体を失ってしまうということ。管理者という存在と、実際に肉体を失った人たちの末路を見たこと。

「大蛇と人魚、それから竜種ですか……。わたくしは肝心なときに」

「あの時ルーが守ってくれなかったら僕も夢の中だよ。ルーは魔精酔いだったけど、夢は見た?」

「見た、と思います。ですけど、どんな夢を見たかは思い出せません」

「そう。それならその方がいいよ」

「わたくしの理想は今、目の前におりますもの」

「そういう意味で言ったんじゃないけど」

 ランタンは照れくさそうに視線を落とした。

「それでここはその療養所の中でしょうか」

「ううん、違う。療養所は閉じて、僕らは用済みになったから閉め出された」

「なんてひどい。騙したのですね」

「よくよく思い返せば、地脈の乱れを正したらよくしてくれるとは言われてないんだ」

 もう済んだことだというようにランタンは肩を竦める。本人は気にしていないようだったが、ルーは腹立たしかった。

 むしろランタンがルーを宥めるみたいに、怒りに震える肩を叩いた。

「もう彼らに会うことはないだろう。それがよかったとは言えないが」

 少し苦い顔をしてランタンは言った。

 それからすぐに表情を切り換える。

「ここは、何というかな。たぶんローサが来たがっていたところだ」

「ローサさまが? と言うと」

「あの子は、本当の姉のことを知りたがっていただろう」

「騎士ロザリアのことですわね」

「うん。だから魔精に導かれた。たぶんこの家でローサはずっと眠っていたんだと思う。向こうの部屋にこんな大っきい硝子の容器があった。今は空だけど、僕はそこにローサが浮かんでるのを見たことがある。ここは彼女と、彼女が一緒にいた魔道使い。鏡面の兜を被っていた、名前は――」

「たしかシーリアと」

「ああ、そうだ。そんな名前だった。ここでロザリアとシーリアがローサを目覚めさせるために、色々と研究していたようだ」

 それを知ってこの本の山を見ると、それらが突如、途轍もないもののように感じた。

「と言っても主に研究をしていたのはシーリアだが。彼女は視力を持たなかったから、ロザリアが読み上げをしていたみたいだ。そういう書き込みがたくさん残ってる」

 しかし疑問もある。

「彼女たちの立場なら、もっと大規模な施設を持っていてもおかしくはなさそうですが。人だっていくらでも使えたでしょう」

 ルーの見立てでは研究施設と言うには手狭だった。この長椅子も、机も家庭の気配がした。

「僕はロザリアにローサを託された。彼女はずいぶんとローサを大切にしていた。自分の内臓を、命ごとくれてやるぐらい。宝物だったんだ。できる限り自分の手元に置いておきたかったんだろう。伯爵には頼らざるをえなかったんだろうけど、それでも」

 ランタンはやるせなさそうに言った。

 ローサを助けるためには黒い卵の技術を使わなければならない。だがその技術は血に濡れている。自分の命よりも大切にしているものを助けるには、その呪わしい技術に頼るほかない。それは宝物を穢すことにはならないだろうか。

 そういう葛藤がこの場所にはあった。

 ルーはロザリアの最期を知らない。

 だが最期にローサを託されたランタンの責任をずっと見てきた。まさしく兄としてローサを守ってきた。

「ここでローサさまは過ごされていたのですね」

「たぶんね」

「ローサさまはどちらに?」

「奥の部屋。硝子容器とベッドがある。そこにローサは昨夜からご執心だ」

「……大丈夫なのですか?」

「少し戸惑っているみたいだ。あの子は寝ていただけだから本当は知らないはずなのに、でもなぜか憶えてるらしい。今はガーランドが一緒にいる。僕やリリオンだと、あれこれ話しかけすぎてな」

 ランタンは奥の部屋へと顔を向けて、自嘲気味に笑った。

 その横顔に悩ましさが透けて見え、ルーは眠っていた己を悔やんだ。



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