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 大蛇(うわばみ)が凄まじい勢いで襲いかかってくる。

 その巨体たるや、滝の化身のようだった。

 ひとたび身をうねらせれば水面が見上げるほど高く波打つ。これほどの巨体でよく水底に身を隠していたと思う。まさか冬眠でもあるまい。

 なぜああも気配を殺し、隠れなければならなかったのか。まったく不思議だった。

 鎌首をもたげ狙いを定め、容赦なく飛び掛かってくる。

 大蛇の体当たりを躱したかと思えば、遅れて大波が襲いかかり危うく水中に引き込まれそうになる。

 身を裂くような冷たさに息が白く、濡れた服が身体に張り付いて動きを鈍らせた。それでも全身を躍動させ、ランタンは大蛇の鼻面を戦鎚で引っぱたいた。

 何とも言い難い、衝撃が分散するような手応えが返ってくる。

 ゼインの打撃も同じようで、果敢に攻めている彼も一撃を加えた後に怪訝な表情を浮かべる。威力は申し分ないはずだが、効いているようには思えない。

「鱗の構造か?」

「魔道障壁に似ているが――」

 二人は短く言葉を交わして、二手に分かれた。その間を破城鎚のように蛇が通り過ぎていき、その先にある大岩に頭をぶつけた。

 破裂するように岩が砕け、それでも蛇は止まることなく木々を薙ぎ倒した。

 辺りに降り注ぐ岩の破片の中をリリオンが向かっていった。抜き打ちの切り払いが、しかし空を斬った。

 蛇は尾を引っ張られたように、即座に頭を引っ込める。リリオンが独楽のように反転し、剣を背後に振ったがそちらも空振りだった。

「もう」

 小さく悪態をつき剣を納める。手頃な大きさになった岩を拾うと、それを蛇に向かって投げつける。

 必殺の速度である。

 いくつかが外れ、いくつかが当たった。当たった岩は砕け、蛇は意に介さない。

 ランタンはその一部始終をじっと、しかし常に動きながら観察していた。

「何かがあるが。単純な障壁じゃないな」

 直撃したと思われた攻撃は、鱗の表面にも届いていないような感じがする。目に見えない鎧を身に纏っているようだった。それは一部の魔物や魔道使いが防御に使う障壁と呼ばれる魔道のようだ。

 魔道障壁は基本的には魔道に対する防御だった。物理的な攻撃を防ごうと思えば、かなり高度な技術を要する。

 ランタンは視線を滝の方へ向けた。

 ガーランドが水中に沈んでから、彼女の姿は一度も見ていなかった。もしかしたら溺れているのかもしれないがそんなことは万に一つもないだろう。

 おそらく滝の裏の人魚たちと合流したはずだ。でなければ姿を見せないはずがない。

「少し乱暴するか。リリ、ゼインっ!」

 ランタンから強烈な熱が放射された。

 名を呼ばれた二人はそれだけですべてを察して、大蛇を牽制しながら後退する。

 大蛇もまた膨れあがったランタンの気配に警戒心を強める。露出していた胴体を半分近く水の中に埋め、鼻先をランタンの方へ向けている。

 瞳はなく、熱で獲物を感知しているのだろう。しきりに舌を出し入れしている。

 ランタンは大蛇に向かって走り出し、水面を踏んで跳躍した。

 戦鎚を蛇へ向け、力を解放した。

 爆炎がある程度の指向性を持って蛇へと襲いかかった。炎はいくつかの瘤の連なりのように膨らんで蛇を飲み込んだ。爆発の持つ衝撃力というよりは、その熱でもっての攻撃だった。

 ランタンは自らの発した光に目を細めながらも、視界に映るすべてに目を凝らした。

 滝は変わらずに流れ落ち、水面は衝撃に押し潰されて一時的にくぼんだ。衝撃ばかりがその理由だろうか。

 大蛇は炎の中で身をくねらせる。熱に悶え苦しんでいるわけではなさそうだった。

 じゅうじゅうと水が蒸発する音が耳に聞こえる。炎が失せるまで、その音が途切れることがない。

「水を汲み上げてるのか」

 大蛇は障壁を身に纏っている。だがそれは魔精によって生み出された見えざる壁ではない。

 例えるならばランタンが纏うことのある炎のように、蛇は水の膜を身に纏っているようだった。

 それは魔道によって生み出された水ではなく川の水を利用しており、それは川の流れと同じように常に流れていた。

 蒸発し失われようとも即座に補充され、また煮えるほどに熱くなろうともそこに留まることなく押し流されて冷却された。

 そして打撃は強靭な水の膜に衝撃を吸収されているようだった。

 そう考えると大蛇の奇妙な動きも納得できた。この大蛇は姿を現してからただの一度もその全貌を現してはいない。尾の方は常に水の中にあり、本当の大きさがどれほどかは未だに見当もつかない。触れている水を操る力があるのだろう。

 打撃が効かないのならば、リリオンを主体に戦いを組み立てるべきだった。

 あるいはこの水の膜をどうにかして、打撃が効くようにするかだ。

 しかし後者はかなりの困難を極めた。水は絶えず循環している。高熱により蒸発させようとも、川に水がある限りは無意味だった。しかし元を絶つのならば滝を塞き止め、川を干上がらせなければならない。それこそ人の成せる技ではない。

 大蛇は爆炎をやり過ごすと、再び襲いかかってくる。

「リリ、僕とゼインは援護に回る! どうにか斬れ!」

「わかったわ!」

 リリオンは大剣を握りなおし、呼吸を整えた。闇雲に斬りかかるのではない。その時を見定めている。

 ランタンとゼインは先に増して果敢に向かっていった。攻撃を効かせるのではなく、リリオンのために細かく攻撃を当てて、大蛇の意識をこちらに誘導する。

「ゼイン、出過ぎるな!」

「おおう!」

 返事だけは返しながらも、ゼインは膝まで水に浸かっている。棍を雄々しく振り回し大蛇を打撃する。

 ああも肉薄すればあちらもこちらも回避はできない。

 大蛇の体当たりを防御し、なかば強引に逸らした。凄まじい膂力であり、また技でもあった。そして変異した肉体の特性だろうか。

 柔らかな皮膚ではなく、変異した金属の上を滑らせている。

 蛇人族や蜥蜴人族などの鱗を持つ亜人族が行うやり方だ。

 昨日今日、思いついてできるやり方ではない。

 あれほど憎み苦しんだ自分の肉体に向かい合ってきた証拠だった。

 それを使ってどのように戦うか。それはつまりその肉体を持ってどうやって生きていくかの自問自答だ。

「なんだよ」

 ランタンは思わず呟く。

 突進が逸らされた先へリリオンが回り込んだ。

 踏み込み、重力に引かれるように素直に上段を斬り落とす。

 大蛇はその剣の危うさを常に警戒していた。全身の筋肉を総動員して頭を引き戻した。縮こまった胴体が一回りも太くなった。

 大剣が空を斬った。追い足。両手に握っていた柄から右手を離し、身体を目一杯に開いて斬り返した。

 しかしそれさえも外れた。

「もういっかいっ」

 リリオンが悔しさに叫んだ。

「次はぜったい斬るわっ」

「まかせろっ!」

 ゼインが吼えるように応える。しかし腕から血が流れていた。蛇とこすれた金属片が肉体から剥がれたのだ。大きな瘡蓋が剥がれるように。

「――どこを見てる?」

 ぎゅうぎゅうに縮んだ蛇がその鼻先の向きを変えた。リリオンではない。ゼインでも、ランタンでもない。川の下流の方へ、鼻先を向けていた。

 逃げ出そうというのか。いや、違う。下流で待機する人魚たちに気付いたか。

 それも違う。

 川面に人魚たちが顔を出していた。

 この大蛇がいることも戦いがあることも知ってこの場に来たのだろうに、予想外の出来事に出会ったみたいにぽかんとしたような表情をしている。

 いざ大蛇と直面することで、押し殺した恐怖が表に出てきてしまったのだろう。

「逃げろっ!」

 ランタンが怒鳴った。怒鳴りながらそちらへ走った。走るのももどかしく、爆発によって自らを押し出した。

 大蛇にとって人魚はよほどの獲物らしい。

 大蛇が、その収縮を一気に解放した。

 轟音を立てて大蛇がランタンを追い抜き、その口が開かれる一瞬が横目に映った。

 耳に耳鳴りに似た小さな呼び声が聞こえる。

 人魚の声だ。

 自分を追い抜いていったはずの大蛇をランタンが再び追い越した。

 蛇と人魚たちの間に身体をねじ込む。ぽかんとしていた人魚たちの表情が少しずつ変化するのがわかったが、その行く末を見ることなくランタンは反転して大蛇に正対した。

 顔は見えなかった。

 大きく開かれた口と舌が見えた。

 開いた口の空気抵抗によって減速したのではないだろう。ともあれランタンは口の中に飛び込むようにして全身から爆発を放射した。

 蛇は爆発の中、それでも突き進んできた。

 ランタンは思いっきり何かにぶち当たった。大蛇の上顎だった。顎門が閉ざされないことは幸運だった。でなければ今頃、丸呑みだった。

 ランタンは弾き飛ばされ、人魚たちの頭上を跳び越えた。下手くそな水切り石のように何度か錐もみしながら川面を跳ねた。

 一瞬だが意識が途切れた。

 はっとして顔をあげる。

 頭を打って混乱しているのだとまず思った。

 滝が逆流しているのが見えた。



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