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本来は最下層にいるはずの最終目標が最下層から出てきて、追い詰められてまた最下層に戻った。
それを追いかけて霧を抜けた先には、森が広がっていた。
もしかしたらここが迷宮最下層なのかもしれないし、あるいは最終目標だと思ったものが最終目標ではなく、最下層だと思ったところがただの迷宮の途中であった可能性もある。
しかしランタンはあの魔物は最終目標であり、ここが迷宮の外であると感じていた。
大きく息を吸い込む。
針葉樹の酸味を帯びた匂いや、そこに含まれる魔精の気配がそうであるとランタンに告げている。
「これも地脈の乱れのせいか? 管理者め」
まだ充血した目を瞬かせ、視線をゼインに向けた。
リリオンはガーランドと一緒に周囲に迷宮口がないか、鼠の魔物がいないか探している。
ランタンはゼインと彼女たちとは反対方向へ来た。
「けどなんであんな無茶なことをしたんだ」
先程の最終目標戦で、鼠は毒を発した。ゼインはむしろその毒に浴びるかのように立ち向かっていった。
その姿はまるで功を焦る新人探索者のようだった。
彼は経験のある探索者で、その実力はランタンだけではなく他の探索者たちも認めるところだ。あのような拙速は珍しい。
ゼインは毒を浴び、変色した己の腕を見た。
眉間に皺の寄った横顔は何か葛藤があるように見える。
理由もなくあのような戦い方をしたわけではないようだ。
ランタンがゼインの表情を窺うように、ゼインもまたランタンを窺っている。
ランタンはもちろんゼインよりも年下で、遠征隊の中ではローサとリリオンに次いで若かった。
しかし遠征隊の指揮者として年上にものにも臆することなく口を聞くし、行動を示してきた。
だが時折、こういった気遣いが顔を覗かせた。
こちらの悩みを知ろうと、寄り添おうとするが、傷口に触れるようなまねはしなかった。
迷宮生まれなどと嘯くが、幼い頃にそう育てられたように見える時がある。
「ランタン、俺は――お前のようになりたかったんだ」
ゼインは自らの傷を開くようにそう告げた。
ランタンは一瞬固まって、助けを求めるみたいに視線を彷徨わせ、気まずげに笑った。そして短く息を吐いた。
「冗談はやめてよ」
「冗談じゃないさ。お前のようになりたがってる奴は沢山いる」
「いないよ」
なおも否定するようにランタンが首を振るので、ゼインは少しばかりむっとした。
謙虚さも過ぎれば嫌味になる。
「自分がどんな探索者かわかってないのか?」
迷宮の単独踏破。その困難さを知らない探索者はいない。それに挑み、帰らなかった探索者は数知れず、ごく僅かの成功者もたった一度きりの挑戦とすることが当たり前の偉業だ。もし成功しても、二度と普通の生活を送れないほどの怪我を負うことも珍しくはない。
ランタンはリリオンと出会う前、一人でいくつもの迷宮を攻略してきた。
それが生業であるがゆえに、単独探索者と呼ばれていた。
それは否定しようもない強さの証明であり、強さはすべての探索者が求めて止まないものだ。
そしてリリオンと出会ってからは更なる活躍を遂げる。
いくつもの迷宮攻略はもちろん、中でも特にネイリング家の令嬢とともに攻略した竜系大迷宮は語り草だ。地上に持ち帰られた多頭竜の首級の巨大さときたら、普通の竜種が蛇に見える。
王権代行官アシュレイからの信頼も厚く、様々な密命を帯びているという噂話もなかば真実として語られている。
探索者ばかりではなく、市井からの名声も博している。
そしてその周りにはいつだって美しい女たちがいる。公のもので言えばリリオンとネイリング家の令嬢であるレティシア、そしてどうやら引き上げ屋の少女ミシャさえも伴侶としたらしい。
そればかりではない。やっかみ半分の怪しい噂をあげれば両手の指でも足りないが、遠征の中で確証を得たのは傭兵探索者のルーもそうだと言うことだ。
そして不思議なのはリリオンと彼女の仲が悪そうに見えないところだ。
例えば男ならそんなものはずるいと言うほかない。
しかしランタンには納得させられてしまうところもある。
それがもっともゼインが、かくありとたいと願うところだ。
「どうしてそれほど強く、優しくなれるんだ」
ランタンはランタンの持つ力を、惜しみなく他者のために使った。見返りも求めず。少なくともゼインの目にはそう見える。それが力を持つものの責任であるように。
「優しくはないよ。別に」
ランタンはぶっきらぼうに答えた。
それはランタンの未成熟な部分だった。
「っていうかゼインだっていい探索者じゃん。強いし、みんなから信頼されてるし、優しいでしょ。僕が優しくないから、みんながゼインに相談事してたの知ってるよ。勇気づけたり宥めすかしたり、みんながばらばらにならないようにしてくれてたでしょ」
ゼインは驚いて息を飲んだ。
たしかに遠征隊の中ではまとめ役のような立場になって、彼らの話はよく聞いていた。
遠征を続けて本当にこの変異は改善されるのかという不安や、もうティルナバンに帰りたいという諦め、塵のように積もっていくいくつもの不満。
ゼインはできるだけランタンにそういったものが伝わらないようにしていた。
ランタンには隊を前進させるという大役があった。あの小さな肩に必要以上の苦労をかけるべきではないと思ったからだ。
「そりゃ、いやでも耳に入ってくる。でもたぶん、僕はどうしていいかわからない。色んなことを腕力で解決してきたからかな。迷宮なんて戦鎚さえあればいいし、特にね。だからゼインには助けられたよ。本当に」
「……俺はいい格好しいなだけだ。頼りになると思われたくて、できないなんて思われたくないんだ」
ゼインが素直に話しているためだろうか。ランタンがつい口を滑らせた。
「僕だってそうだよ」
言ってからしまったというように唇を歪める。
弱みを見せるのが苦手なのだろう。僕だってそうだよ、という言葉の真実味が増した。
ランタンはしかたがないと言うように肩を竦める。
「格好悪いところは見せたくない。特にリリオンなんかにはね」
「それぐらいで彼女の気持ちは揺らがないだろう」
「嫌われないに越したことはないけど、関係ないよ。自分の心の問題だから。だからそういう意味では僕はゼインが羨ましいよ」
ランタンが投げやりな様子で口にする言葉はゼインを更に驚かせた。
「それこそ冗談はやめてくれ。お前に勝っている所なんて一つもない」
「あるよ。まず背が高いだろ」
ランタンはまず指を一つ折った。
「肩幅が広くて、筋肉質。足も長い。手がでかい。顔の彫りが深い。声が低い。――冗談に聞こえる?」
二つ三つと折り曲げた指を見ながらランタンは尋ねる。
「ああ、でも……冗談じゃないんだろう」
「自分でもくだらないと思うけどね。でも僕はそれに囚われているらしい。魔精は何でもかんでも叶えてくれるけど、けど本当に何でもかんでもじゃない。どうしても僕はそれを手に入れられなかった。……ここまで言ったから言うけど、内緒にしてくれる?」
ランタンの真剣な表情に、ゼインは頷いた。
「あの村から始まった理想の夢で僕が見たのは、僕のあそこに毛が生える夢だったよ」
あんまりな告白にゼインはぽかんとした。しかしそれを言うことの羞恥心をゼインはよく理解できた。
本当に自分とランタンに似ているところがあるのなら、そういった弱みを見せることにはかなりの抵抗があっただろう。
なぜそこまで言ってくれたのか。
「僕はきっと大人になりたいんだろう。年齢的にはもう大人なんだけど。もっとこう外っかわが。つまり格好つけだ」
もし自分とランタンが似ていて、ランタンが優しいのであれば、自分も少しは優しいのかもしれない。
ランタンは軽く振り返って唇を歪めた。子供が悪人の真似をするようなはにかみだった。
「ランタン、――俺は本当にお前のようになりたいよ。無茶をしたのは自分の力を確かめたかったからだ。そして誰よりも前に出て、お前がこれまで見てきた光景を少しでも見たかったからだ」
「大げさだ」
「大げさじゃない」
ゼインはいたく感激した様子で首を横に振った。
ランタンは付き合いきれないといった感じで大げさに肩を竦め、戦鎚を近くの木の幹に叩きつけた。
木がみしみしと揺れ、針のごとき葉がざんと音を立てて降り注いだ。枝から鳥が飛び立っていく。
「鼠いないな。一度、戻るか」
ゼインの返事を聞かず、ランタンは踵を返すと風のように林の中を駆け戻った。
そんな中、突如、女の泣き叫ぶ声が聞こえた。
魔物にはそういった声を出し人を騙すものがいることはよく知られている。危険を回避するためには無視をするのが一番だ。
だがランタンは即座にそちらに進路を取り、速度を上げた。




