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森の中にハーディの姿があった。
巨木の切り株の上で座禅などを組んでいて、妙に神妙な雰囲気だった。
「ハーディ」
ランタンはその背中に声をかけた。
張り詰めていたものがふっと失せて、ハーディはのそりと振り返る。
「おう、ランタン。もういいのか?」
「どうにかね」
ハーディの額に包帯が巻かれていた。包帯は左目も覆っている。彼も夢の中で手酷くやられたらしい。よほどのものを相手にしたようだ。
「そっちの方がひどいようだけど」
痛みを感じさせぬ人懐っこい笑みを浮かべる。
「情けない話だな。まさか自分の創造したものにやられるとは」
「やられた? 負けたの?」
ランタンが驚いて声を上げると彼は、いいや、とそれを否定した。
「いくらか傷をもらっただけだ。負けるかよ」
「あ、そう。いったい何を創造したの? 神様とかそういうもの? それとも母親でも出てきて尻でも引っぱたかれたりした?」
彼が手酷くやられる相手などランタンには想像できない。肉体的にと言うよりも、もっと別の要素で上回られている相手ならばあるいは可能性はあるかもしれない。
ハーディはぽかんとして肩を竦める。
「ははは、それは恐ろしい。考えもしなかったな。――虚しいものだな。理想とはいえ結局は自分の想像を超えることはない。それなりに楽しめたが、驚きはなかった」
「それなりにでも楽しんだならよかったよ」
「お前たちが苦労している間にな。困ったものだ。やはり俺は自分勝手な人間なのだろうな」
「それで座禅なんか組んでたの? 似合わない」
ランタンはそれこそ驚いたように言った。
しかしハーディは困ったような顔をする。
「ううむ。むしろ反省のないことが反省だな。あれが見せてくるものは色々混じっていたようだが、本質的には己を映す鏡でもあった。つまり俺という人間はそうだということだ。生き方は変えられないな」
「じゃあこれからも戦いの日々だ」
「そうなるだろう。いつの日か飽きる日が来るかな」
「どうせ飽きたって戦いからは逃れられないよ」
ランタンが言うと、ハーディは視線を後ろへ、リリオンへと向けた。
少し笑い混じりに、慰めるような表情だった。
「俺は独り身だからいいが、ランタン、あまり苦労をかけてやるな」
ランタンは一呼吸黙り、リリオンの方を見ずに呟く。
「かけたくはないよ。本当に」
それは本心だった。だが嘘を吐いたみたいに、後ろめたくリリオンの方を向けなかった。
ハーディと別れ、遠征隊の集まりに向かう。
そこは他の小屋とは違い、もっと大きな建物だった。
中に入るとベッドが整然と並んでおり、そこでは未だに夢を見続ける変異探索者たちが並んでいる。
そしてベッドの脇に椅子を置いて目覚めたものたちが座っていた。彼らは眠るものの手を握ってやり、しかし彼らもまた眠るかのように目を瞑っている。
いったい何をしているんだろう。
そこには探索者たちばかりではなく、観測官たちも集まっていた。ベッドの間をうろうろして、変異者たちの様子を確認して忙しくしている。
ランタンがその中にグノーの姿を見つけると、彼もこちらに気が付き慌てた様子でやって来た。
「ランタンさん、よかった無事で」
そう言うとほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、グノー。心配をかけたようだ。魔精の発生源の話は?」
「もうすでに伺っております。伯爵の信奉者の残党がそのようなことをしていたとは思いませんでしたが」
「ああ、まあ、そうだな。それで状況は?」
「未だに魔精の見せる理想に囚われて目覚めぬものがおりますので、その対処中です」
「これがそう?」
「はい。最後の魔精の放出、あれがかなりの影響を及ぼしたのです。無色透明な魔精ではなかった。ウドゥでしたか、そのものの色のついた魔精であったのだと思います」
グノーの後ろについて、ベッドの間を通り過ぎる。
眠る探索者たちは薄く発光しているように見える。いや、半透明になっているのか。あるいは雪や細かな砂を固めて作ったみたいに、密度の粗い印象があった。
「触れないように。今は状態が不安定で、揺らいでいるのです」
「揺らぎ?」
「蛹の中身のように、形が定まっていないのです。本来の自分の姿を忘れかけている」
ランタンは立ち止まり、再びベッドの上に視線を下ろした。眠る顔は幸福そうに見える。
だがベッドに並んだどの寝顔も同じような幸福そうな顔だった。
「彼らは元の姿を欲している。けれどその元の姿を実際どれほど覚えているものでしょうか」
普通の暮らしであっても毎日、鏡を見るようなことはない。探索の中では自身で体調管理を行わなければならないが、それは内的なことだ。痛みや疲労に対しての敏感さであって、姿にはむしろ無頓着だ。
ランタンは自分の姿を想像する。
黒い髪に焦茶色の瞳、背は小さく、よく鍛えられているが痩せているようにも見える。劣等感のある姿をすっと思い浮かべることができたが、しかしそれが実際の肉体と同様かと言われるとそうではない。
「だから揺らぎか」
「……彼らはもはや戻るべき姿を失っているのかもしれない」
グノーは小さな声で言った。眠りを、むしろ妨げぬように。
ランタンたちが魔精の発生源を探している間、彼はずっとそういったことを考えていたのかもしれない。
「ならばどうすればいいか。それはもう他者の目に頼るしかない」
「ああ、うん。そうかもしれない」
ランタンは自分の姿については自信がないが、例えばリリオンやルーの姿を思い出すことには自信がある。
形だけではない。肌触りや匂い、味や熱さえもありありと思い出すことができる。彼女たち自身が知らない、自分の身体にあるホクロの場所もランタンは知っているのだ。
もうしばらく姿を見ていないレティシアやミシャ、リリララもそうだ。手の中に抱きしめたときの感覚が今も鮮明に蘇ってくる。そしてそれについては実際にそうだと自信が持てる。
「思えばずいぶんと長く共に歩いてきましたね。同じ釜の飯を食べ、同じ夜空の下で眠り、同じ風に吹かれて進んできた。ランタンさんが眠っている間、話し合いが行われました」
「話し合い?」
「はい、目覚めさせるか、このまま眠らせたままにするか」
なぜそんな話し合いが必要なのかと思った。
「そんなことがあったのか」
「あの理想的な夢の記憶はよく覚えているものもいれば、ぼんやりとしか思い出せないものもいました。しかし全員が、幸福であったことはよく憶えていました」
「このひどく苦しい現実を突き付ける必要はないと?」
「ええ、そうです。しかし起こすことにしました。これは総意です」
「なぜ?」
ランタンが問いかけると、グノーは笑った。
「あなたがそれを聞きますか。この旅の先頭にいたのはあなたでしょう」
「だが僕は迷ってばかりだった」
「正解の道など誰も知らなかった。しかし歩みを止めることはなかった。暗闇を手探りで進む不安を、あなたは一手に引き受けた。我々はその背中を見てきたのです。不安も苦しみも、足を止める理由にはならない。彼らは変わりましたよ。もちろんまだ弱い部分はありますが」
観測官は変異者たちの記録をよく取っている。
名前に年齢、性別。変異の形や範囲。食の好みや異性の好み。抱える不安や、変異にともなう不調。なぜそうなったと思うのか。思い出と後悔。
ひとりひとりに対して記録した紙片が重なって厚みを持った。
グノーはそれをぱらぱらと捲った。
「今のこのうすらぼやけた顔であったとしても、これが誰であるかを間違えることはありません。目覚めさせることはできます」
「そうであるなら、いい」
「ええ、それに目覚めたときいくらか姿が違っても、それに気付くことはないでしょうし」
グノーなりの冗談だったが、事実でもあった。
ランタンは笑っていいか迷ったが、グノーが気まずそうな顔をしたので愛想笑いをしてやった。グノーはより気まずそうに首を捻った。
「――しかし、よく考えついたな。約束を守ってくれたんだね」
「はい。それに先人たちがおりましたので」
「先人?」
「ここの世話人たちです。ランタンさんはまだ?」
「会ってない。しかしそうか、ならばよけいに礼を言わなければな」
「彼らはなかなか不思議な存在です。この地は竜脈などと呼ばれるところの上にあるようです。ティルナバン近くの不帰の森、あれと似たような場所だと思っていただければ」
「魔精が濃いのか」
「そうです。研究にはもってこいの、――これは推測でしかないのですが」
グノーは神妙な表情になり、ランタンに顔を寄せた。
「彼らはおそらくは黒い卵の流れを汲むかと」
そう言ってちらとランタンの表情を窺う。
グノーにはランタンの表情は読むことができない。
「知識や技術にそういった手癖が見え隠れして……」
言い訳をするように言葉を足し、それでもランタンは表情を変えない。
急に鼻をむずむずさせた。
「くしゃみ出そう」
鼻を擦り、結局くしゃみは出ず、小さく溜め息を吐く。
「話ができる奴の所に案内して。暴れたりはしない、まずは礼を言うだけだよ」
「――じゃあわたしが案内するわ」
躊躇うグノーの代わりに、リリオンが申し出る。




