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迫り来る騎士たちをリリオンは斬って捨てた。
揺籃の大剣の刃は騎士の鎧に食い込み、粘土を斬るようにぬるりと刃が走った。
生き物を斬った手応えは確かにあり、だが二つ以上に分かれて地面に伏すその骸は泥のように形を失って跡形もない。
「これはわたしが生み出したものかしら?」
霧の中は現実と理想が混沌としている。
村の中では求めた理想がほとんどそのまま現実となった。しかし村から離れるにつれて、現実となるものは理想ばかりではなくなったと思う。
心の中には色んなものが沈んでいる。
「敵を求めたことなんてないわ」
しかし霧の中に影が浮かぶ。
それが明確な形となるよりも早く大剣を振るった。斬った手応えはあるが、先程よりも淡い手応えだ。
「これは本当のこと? それともまた夢を見ているの?」
リリオンはランタンの背中をずっと追いかけてきた。
しかし今はリリオン一人になっている。ランタンも、ルーの姿も見つけることはできない。
いつ見失ったのか。
またひとりの騎士を斬って、小さく息を吐く。
戦いに終わりは来ない。人生のようだ。
また霧の向こう人影が浮かび上がる。その更に奥で、小さな赤い光が灯った。
あまりに異質な光に、リリオンは横っ飛びに身を投げ出した。
一条の赤い閃光が襲いかかった。
リリオンは一回転して立ち上がり、そのまま駆けだした。閃光は追いかけてくる。光は地面を黒く焦げつかせる。
魔道使いだ。
閃光がふっと消えると、入れ替わるように眼前に騎士が現れた。力強い上段斬りをどうにか受ける。
踏ん張るよりも下がった方がましとみるや、リリオンは即座に距離を空ける。
「なぜお前は生きている」
騎士が問いかけてくる。
リリオンは答えない。
「なぜお前だけが生きているのだ」
再びの問いかけに、リリオンは剣でもって答えた。
リリオンよりも頭一つ小さな騎士は、しかし倍ほどの横幅を持つ。両手持ちの剣はリリオンのそれに負けず劣らず大振りなものだ。
「望まれず生まれた娘よ。すべてはお前が生まれ誰がために起こったのだ」
低く落ち着いた声は諭すように告げ、騎士が身体ごとリリオンを押し退ける。
三歩後退り、リリオンは騎士の左に回った。閃光がリリオンの影を焼く。手首を走らせて大剣を鞭のように使う。躱し損ねた兜が火花を散らした。
騎士の目を眩ませると、リリオンは閃光に向かって走った。
先に斬るべきはこちらだ。
言葉はリリオンを揺さぶった。
だがやるべきことは決まっている。動くものを斬る。それさえ決まっていれば充分だった。
騎士が追いかけてくが、追いつかれはしない。
熱の匂いを辿る。魔物使いも移動しているようだが、リリオンの鼻はそれを見失わなかった。
黒い法衣に身を包み、手には捻れた杖を持っている。顔は丸く、細かな鱗で覆われている、蛇か蜥蜴が、鱗は所々に色を持って斑模様をなしていた。
「死すべし!」
中性的な声で叫び、こちらに杖を向けて閃光を放つ。
一つではない。
杖の周囲に五つの赤い光が浮かび、それぞれから閃光が放たれる。
リリオンはそれに向かっていった。
下げた鋒を斜めに跳ね上げる。閃光の一つをまず斬った。それから一筆で星を描くように横に薙ぎ、斬り落とし、また跳ね上げる。
「死ぬわけにはいかないの」
跳ね上げた大剣を斜めに斬り落とし、閃光とまとめて魔道使いを斬った。立ち止まることなく駆け抜け、距離を取ってから振り返る。
倒れた音がしなかった。
騎士が息絶えた魔道使いを片腕に支え抱いている。
「なぜ斬った」
「生きるためよ」
大剣の血を払い、騎士へと視線を向ける。
「お前さえ生まれなければ、このようなことは起こらなかった」
「私は生まれ、今を生きているわ」
「思い出せ。その生がなにを生みだしたのか」
「――たくさん、色んなことを」
言葉を短く返し、リリオンはじりじりと距離を詰める。
足の裏に根が生え始めたみたいに、脚が重たい。
「いや、お前は死を生みだしただけだ。まずは母親を、そしてかかわり合いになった大勢の人々を、やがては愛するものさえお前は死に追いやるだろう。何一つ与えることなく」
閉じた口の中で舌が乾き、粘着くのを感じる。
なんとも嫌なことを言う。
それはリリオンの心の深くに刺さった棘だ。
騎士はそうやって誰も彼もが抱える罪悪感を暴き立て、棘の痛みを思い出させる。意識すればするほど、痛みはずきんずきんと大きくなっていく。
「その苦しみをお前は愛するものに与えたのだ。お前のために、ランタンはどれほど殺してきた。お前が巻き込んだ。お前が救いを求めさえしなければ、よかったのだ」
リリオンは巻き込まれただけだった。
生まれたその時から宿命づけられていた。その身に巨人族の血を宿す稀な娘としての、他者の思惑に翻弄される日々を。
ティルナバンで過ごした穏やかな日々が思い出される。
それはランタンと出会わなければ、決して手にすることのできないものだった。
リリオンがそれを手に入れるためには、多くの戦いに挑まなければならなかった。そしてランタンはリリオンと出会ったことで、必然的にその戦いの螺旋に絡め取られた。
リリオンの平穏と引き替えに、ランタンは多くの苦しみを背負うことになった。
背負わせてしまったとリリオンは思っている。
彼の優しさや繊細さをリリオンはよく知っているつもりだった。
しかたのないことだった、と言ってしまえばそれまでの、救えなかった命に対する責任感。
例えばこの遠征も、自分の出自を知るためだと言ってはいるが、やはりこれは変異者たちのためのものだった。そして伯爵との戦いに散っていった命に対する罪滅ぼしのようなものでもあった。
リリオンが唾を飲み、白い喉が脈動した。
その時、すぐ近くで爆音が響いた。
霧が赤く染まるぐらいの光が膨らんで、リリオンの髪や外套が音を立ててはためいた。
爆風や熱ではない何かが、肌をびりびりと痺れさせる。
リリオンでさえ少し怖いと思った。
「――ランタンが怒ってるわ。きっとわたしのためよ」
リリオンはそちらに視線を向けて、そう言いきった。
「ランタンはね、選んでくれた。苦しいこととか、哀しいこととか、そういったものを全部、全部背負ってくれるって」
一緒に茨の道を歩むと、行く手の棘を一つ一つ取り除いてくれると。
それは凄まじいまでの奉仕と献身だった。
「わたしのために世界とだって戦ってくれるんだって」
リリオンの眼に涙が浮かんだ。
「わたしのことお嫁さんにしてくれるんだって」
その涙がどのような理由かを、リリオンも知らない。ただ感情が高ぶって目頭が熱くなった。
リリオンは引き剥がすようにして足を進めた。
大剣を肩に担ぐ。
騎士は未だに魔道使いを抱えたまま、おざなりな雰囲気で剣をこちらに向けている。
「わたしは迷わない。あなたたちを斬るわ」
また一つ、死を生み出す。
それでまた一つ心に棘が刺さる。
だがそれを恐れることなく、ただその痛みを抱えて生きていく覚悟を既に持っている。
一歩進むごとに歩幅は広がった。
霧の中を駆けるリリオンは、それ自体が一振りの銀の剣のようだった。
剣が騎士を両断する。




