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 腕がぱんぱんになっている。

 ランタンは回し続けた腕をぶらぶらと揺すったり揉んだりした。

「またねー! ばいばーい!」

 大縄を百回連続で飛びきった友達をローサは見送る。大きく振った手の先から汗が散った。

「あー、たいへんだった!」

 満足気にそう言って振り返る。その言葉は、たのしかった、とも聞こえる。

 ランタンは散っていく子供たちの行方をじっと見送った。それはある一定の距離まで離れると、ふっと揺らいで形を失ったようにも見える。

 人々は建物よりももっと曖昧で儚い存在なのだろう。

 誰かが観測していなければ形を保てないのかもしれない。

 朝からずっと遊びっぱなしのローサはすっかり疲れてしまったらしく、その場にすとんと腰を下ろし、止める間もなく寝転がった。

 汗した肌に触れた土がすぐに泥となった。

「そんなところに寝転がるなよ。汚れちゃったじゃないか」

「つかれちゃった」

「ちゃった、じゃないよ」

 一仕事終えたみたいな顔でにんまり笑い。リリオンが腕を引っ張ってやってもわざと身体の力を抜いて動こうとしない。

「こら、ローサ」

「えーへへー」

 そうやって我が儘をすることを楽しんでいるようだ。

「ルー、やってやって」

「ローサさま、では失礼」

 ルーが魔道でローサを軽くする。

 リリオンが前足を、ランタンが後ろ足を掴んで持ち上げる。

「わあ、わわわ!」

 ローサは風船を呑んだみたいにふわりと軽くなって、バランスを取るみたいに身体を揺らし、更に大きくバランスを崩した。ランタンの眼前で虎の尻尾が懸命に揺れている。

 余裕があれば湯屋まで連れて行ったやるところだが、残念ながらそんな暇はない。家の中にローサを連れ込む。

 ガーランドが休んでいた。

「ガーランド――」

 彼女は穏やかな様子で床に座っている。

 背を預けているのは炎虎と少女の肉体を併せ持つ、ローサに瓜二つの女の子だった。

 毛並みは豊かでうつらうつらとしている。ガーランドと昼寝でもしていたのだろうかと思わせる。

 彼女の手が無意識に虎毛の背中を撫でている。指先は毛に埋まって見えない。

「あれえ?」

 ローサが目を白黒させて、その女の子を見つめた。

 女の子ははっと目覚めてローサを見返す。表情はまったく同じか、少し幼い。

「――ローサか」

 ガーランドの呟き。ローサに向けた視線を、ゆっくりと女の子の方へと移す。身体を起こし、向き直り、たっぷりと身体を撫でてやる。

 女の子は丸くなった目を気持ちよさそうに細め、すっかり安心した顔でガーランドに身体を預けた。

「そうか。お前は違うんだな」

 彼女の見た夢はひどく狭く穏やかなものだった。

 冷たく荒れた海と略奪の中で生きてきたからだろう。ありふれた平穏をこそ望んでいるらしい。

 しかし彼女は現実の厳しさをよく知っている。だからこの理想の世界に、何か違和感を憶えていたようだ。

 そしてローサの姿に、確信を得たようだった。

「――悪かったな」

 どうして、と言うように女の子が首を傾げる。ガーランドは困ったような顔をした。

「答えようもない」

 ガーランドは刀を手繰り寄せ、柄を握った。曲刀の刃元がぬっと鞘から顔を覗かせる。

 なんという苛烈さだろうか。

 彼女は自分の生みだした理想を自らの手で斬ろうというのだ。

 それはきっと解決策の一つだろう。

 白濁した、半透明の触手髪がゆらゆらとうねる。彼女の複雑な内心を現しているようだった。

 ガーランドのその異形は、誰かのある目的のために生み出されたものだ。

 彼女の存在は目的の完成形ではなかったが、理想に至るためのものではあった。

 そしてその姿を彼女は疎んじている。

「ガーランド、やめろ」

「自分の尻ぐらいは自分で拭く」

「やめろと言っている」

 ガーランドは剣呑な視線をランタンに向けた。

「これは魔精が見せた虚像。いや、私が生み出したものだろう。くだらん人形遊びだ」

 自分のしでかしたことが、自分を生みだした人間と同様のことだと思っているのだろう。彼女は吐き捨てるように言った。

「だが今、目の前にいることは事実だ。血が出るぞ」

「痛みなど与えん」

 女の子はガーランドにすっかり心を許しているようだった。

 その毛並みを撫でることと同様に、白刃さえも受け入れるだろう。

 鞘からすっかりと曲刀が抜き放たれた。

 緊張感が部屋の中に満たされた。不用意な身動ぎ一つで彼女は女の子を斬るだろう。

 それは死ではなく、目覚めのきっかけでしかない。

 だが目覚めは悪いはずだ。

「ローサににてるねえ」

 そんな緊張感の中、ローサが暢気な声を上げて女の子に近寄った。

 ガーランドと間合いの内のそのそと踏み込んで、抜き身など目に入らないと言った様子で女の子の顔に触れた。

「はじめまして! あなたはだあれ? ローサはローサだよ。もしかしておしゃべりできないの?」

 ローサに話しかけられても女の子はにこにこしているばかりだ。

 ガーランドの瞳に迷いが生じる。

 ローサは女の子の唇を指で押し広げたり、口の中を覗き込んだりした。

「ローサ、僕らはこれからやることがあるんだがどうする。一緒に来るか?」

「おるすばんしてる。このことおうちのなかであそんでる」

「そうか。仲良くな」

「うん」

 ローサは現状をどれぐらい把握しているのだろうか。

「おにーちゃん、ローサはね、だいじょうぶだよ」

 こちらを振り返って、瞳孔の縦に裂ける金色の澄んだ視線を寄越してきた。

「このこはテンだよ。テンとおんなじ」

 そう言って子供らしく泥に汚れた身体に不釣り合いな、妙に大人びた寂しい笑顔を浮かべる。

 テンは以前、ローサの目の前に現れた男の子だった。それはほんの小さな骨の一欠片を依り代に魔精が生みだした存在であり、父母を求めて彷徨う迷い子だった。

 テンはほんの僅かの間ローサと旅をし、目的を果たすとまた小さな骨の一欠片となって消えてしまった。

 ローサはやがて訪れる別れを知っていた。

「ゆーれーもいっしょにあそんでくれるって。いっしょにおわかれのことば、かんがえなくっちゃ」

「ローサ……」

 リリオンが妹の名を呟き、目を潤ませる。

 ガーランドは曲刀を手放し、こめかみを押さえる。

「難しいことを言ってくれる」

 そして絞り出すように呟く。

「ガーランド、二人を任せた。まずはその泥団子を綺麗にしてやってくれ」

 ランタンが指差すとローサはきょとんとした顔になり、それからむっと頬を膨らませる。

 泥団子呼ばわりされてちょっと拗ねたまま、いってらっしゃい、と手を振った。

 家を出るとリリオンが自分の頬をぱんと叩いた。

「ローサが一番しっかりしてるんじゃないかしら?」

「否定できないな」

 三人はまずより詳しく状況を確認するために村中を探索した。

 探索者たちはもちろん、村人たちとも会話をすることができる。

 ローサと同じように会話でもって目覚めさせることは不可能ではなさそうだったが、しかし困難そうだった。

 彼らは目覚めたいと思っていないからだ。

 この遠征や変異のことを尋ねても、彼らはこれに答えずはぐらかした。否定はしなかったが肯定もしなかった。整合性がとれなくなるからだろう。強く言えば煩わしそうにこちらを遠ざける。

 しかしそれでも野外で活動しているものたちは比較的まともだとも言えた。

 そこには人との結びつきがあるからだ。

 家を一軒一軒訪ね歩くと、三軒に一つぐらいの割合で探索者の箱庭が生み出されていた。

 そこにある理想は欲望の色が濃い。

 尽きることのない酒と料理を貪ることもあれば、金銀財宝に埋もれるものもある。阿片窟に似て香の中で横たわって動かぬものもいる。

 極めつけはいくつもの女の肉体に溺れている姿だ。

 ランタンは二人を残しその中に踏み込んで、問答無用に男を殴りつけた。男は鼻血を拭いて吹き飛び、意識を失った。

 いくつもの女たちの姿が砂像のように崩れる。

 そこにあったリリオンやルーの似姿が跡形もなく消え失せる。

 変異者たちは禁欲的な生活を送らざるをえない。

 旅の中で身近な対象にそういった欲望を膨らませる気持ちは理解できるが、しかしこれを許せるほどランタンは成熟していなかった。

 それが本物ではないにしろ。

 女たちの姿は消えたが、しかし男の肉体はそのままだった。

 引っぱたいて夢から覚める部分と、覚めない部分があるようだった。

「強引なだけじゃダメか」

「そうみたいね」

「ランタンさま、リリオンさま。こちらに!」

 ルーが空き家の裏に二人を呼び寄せる。そこにはひとりの男が隠れ潜んでいる。

 遠征隊の仲間だ。探索者ではなく観測官のひとりだ

 観測官は怯えたような、しかし理性的な目で三人の顔を見比べる。

「……あなた方は正気ですか?」

 ランタンはふっと鼻で笑う。

「それ、探索者にする質問? 正気じゃないに決まってるだろう」

 その答えに観測官はほっとしたような顔になった。


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― 新着の感想 ―
[一言] テンの事を思い出すと、いまだにウルッときますね。
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