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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
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048 迷宮

048


 石獣(ストーンアニマル)、いや石魚ストーンフィッシュと呼ぶべきか、その魔物は地面の上をびちびちと跳ね回っている。もしかしたらランタンたちに襲いかかろうとしているのかもしれないが、海に帰りたいと身悶えているようにしか見えない。

 哀れである。

「魔物って不思議ね」

 石魚を鋒で突きながらリリオンがぽつりと呟いた。

 迷宮は魔物を生み出すが、生み出した魔物の形状がその母体である迷宮の環境と適合しないというのは何とも奇妙な事である。魔物は迷宮の守護者であるはずなのだが、この石魚はその(てい)を成していない。一体何の為に生み出されたのか。

「ねえランタン、これどうするの?」

「え、そりゃあ倒すよ」

 放っておいても無害のように思える石魚だが、もし万が一に四肢が生えて走り出すとも限らないし、あるいはこれは幼虫で、今まさに繭を破らんとしているところだという可能性だってある。もしかしたら放っておいても本当に無害かもしれないが、倒してしまえばその無害さは確実なものとなり、魔精結晶だって一つ手に入る。

「持って帰らないの?」

「持って帰ってどうすんの」

 石魚を持って帰ったとしても食べられるわけでもないし、非生物系の魔物は魔精の濃い迷宮内でしか存在できないのでペットにもならない。それに何より重たくて荷物になる。石魚は先ほどの石獣よりも一回り以上小振りだが、それも百キロぐらいはありそうだ。

「だって珍しいんでしょ」

「……僕が知らないだけで、ありがちな事なのかもしれないよ」

 ランタンだってまだ探索者としては一年ほどしか実動期間がない。知らない魔物だって多いし、迷宮で新たな発見をする事だって少なからずある。この石魚だって、そう言ったものの内の一つである可能性は高い。

「ふうん、ランタンにも知らない事ってあるのね」

「知らない事の方が多いよ、……よし、砕くよ」

 前にも同じようなことを言ったような気もする。

 リリオンが鋒を引いて、ランタンへと石魚を譲った。ランタンは石魚の腹に戦槌を押し当てて、そのまま押しつけた。石魚はその拘束から抜け出そうと、大きく身体をくねらせて震える。

 こうやって動いている魔物を至近距離でまじまじと観察できるのも珍しい事だ。がちがちに硬い石魚の身体は、けれど不思議としなやかである。蛇腹状になっているわけでもなく、戦槌から伝わる感触は石のそれなのだがぐねぐねと動いている。

「ランタン?」

 思わず見入ってしまい、リリオンに呼びかけられてようやくランタンは戦槌を押しつけた状態から更に力を込めた。戦槌を押しつけた部位に圧力が掛かり、石魚はやがて軋んだかと思うとばきんと割れた。石魚の身体はぐねりとうねった形のまま固まっている。

 ランタンは魔精結晶よりも、その身体の不思議さに気を取られていた。

「そんなに気になるなら、持って帰ればいいのに」

「いや、だからいらないって」

 呆れたように言うリリオンの言葉に急かされるようにランタンは魔精結晶を拾い上げた。魔精結晶は特に変わったところはない。ビー玉大で色は薄い青色だ。強いて言えば三級品だろうと思われる魔精の薄さが気になるぐらいだろうか。だが他の魔精結晶も似たり寄ったりである。

 ランタンはそれを指でぴんと弾いて乱暴に扱い、結局収納袋に放り込んだ。こうしてしまうともう他の石獣の魔精結晶と区別はつかない。その程度の差に過ぎない。

「さ、意識を切り替えて探索しようか」

「ええ、そうね」

 ランタンが両手を叩いて呟くと、どの口がそんな事を、とでも言いたげにリリオンが同意した。ランタンは誤魔化すような笑みを頬に湛えながら、迷宮の先へと進んだ。

 迷宮の壁は灰色の石で構成されている。石獣の構成物質とほぼ同じ物だろう。

 風雨に削られたようなごつごつとした造りで、きらきらとした細かな銀の粒が練り込まれたように発光し迷宮内を明るく照らしている。

 横幅は五メートル近く、膨らんだ場所だと十メートル以上はあった。だがその割りには天井が低い。リリオンが大剣を上段から振り下ろすと鋒が天井に引っかかると思われた。

 リリオンの大剣は強力だが、少しばかり地形を選ぶ。迷宮が一回り狭かったら、もしかしたらリリオンは手も足も出なくなってしまうかもしれない。小剣(ショートソード)とは言わずとも、もう一つ小回りの利く副武装を用意することを考える必要がありそうだ。

 つい先日に犯罪組織カルレロ・ファミリーの所有する大量の武器を値踏みし、実際にそれを所有する機会があったのだが、その中にランタンの目に止まったものは少なかった。首領であるカルレロや、幹部である者たちが所有していた武器は中々の業物であったがあまりにも癖が強く、またちょっとばかり縁起が悪そうなので売り払ってしまった。

 リリオンも幾つか武器を手に取ってみていたようだが気に入ったものはなかったようだ。

 結局ランタンは小さめの手斧(ハチェット)を三つばかり手元に残しただけである。使い捨ての投擲武器として使う為だ。あるいは投擲武器の練習用として。その手斧は二振りがランタンの腰にぶら下がって揺れていて、もう一振りはリリオンの盾の内側に固定してある。

 この初回探索から帰ったら、また武具職人であるグランと相談でもしようか。そんな事をリリオンと話しながら、更に二時間ほど歩いた。魔物も出ずに順調であるが、迷宮に出る魔物の個体数が少なければ少ないほどに、魔物一個体の強さが上昇する傾向があるのでこれも良し悪しである。

「あ、リリオン。あれ見て」

「魔物?」

 ランタンが立ち止まって壁を指差した。リリオンが目を凝らして尋ねるが、ランタンは首を横に振った。ランタンの指差した壁に魔物が隠れていると言うわけではない。壁に、うっすらと亀裂が入っているのだ。

 壁の発する銀の光に紛れているが、亀裂からは(ほの)青い燐光が薄ぼんやりと漏れている。

「知らずにあの傍を通ると、壁とか天井が崩れるようになってる」

 落とし穴と並んで迷宮で最も良く見る種類の崩落壁と呼ばれる罠である。ずいぶんと分かりやすく設置されているのは何よりだ。稀に全く察知できない物もある。

 罠の作動条件は様々だ。衝撃や動体に反応する物もあれば、魔精に反応する物もある。その二つの種類ならば場合によっては魔物を罠に嵌めるというような使い方ができるのだが、人間にしか反応しない種類の罠であるとその解除には命をかけなければならない。

 つまり罠の作動する範囲内に近付くのだ。もっとも遠距離から罠を破壊できる手段がある場合にはその限りではなかったが。

「どうするの?」

「取り敢えずもっと近付く」

 亀裂は右手の壁側、足元から天井にまでを縦断している。木の根を逆さまにしたように地表に近付くにつれて一纏めに収束して、上に伸びてゆくにつれて亀裂は広範囲に扇状に広がっていた。作動すれば周囲五、六メートルほど巻き込んで崩壊しそうだ。

 左側の壁に背中を押しつけるように進めば、もしかしたら罠を回避できるかもしれないが、それを試すには少しばかりリスクが高い。まずは作動条件を確かめるべきだろう。ランタンは早速、手斧を一本取り外して取り扱いを確かめるように手の中で弄んだ。造りが雑だ。

「ランタン大丈夫?」

「まあ大丈夫でしょ、この距離なら」

 ランタンが手斧を手元に残した理由は遠距離攻撃能力が欲しかったと言う事もあるが、己の投擲技術がもしかしたらリリオンよりも低いかもしれないと思ったからでもある。接近戦闘ばかりにかまけていたせいで、ここ最近の投擲攻撃の命中率は目を覆わんばかりの数字をたたき出している。

 左手で投げてもせめて牽制になるぐらいの精度が欲しい。

 万が一を考えて罠までは十メートルほど距離を取っている。充分な衝撃力を出す為にランタンは更に三歩後ろに下がり、三歩分の助走を付けて手斧を投擲した。

 ごう、と空気を巻いて手斧はぐるぐると縦に回転して罠にへと突き刺さった。罠自体が当たって当然の大きさをしているのだから、驚くべきでも喜ぶべき事でもない。それに投げたのは利き腕の右だ。

 手斧は斧頭を壁にめり込ませて、壁から柄がにょきりと生えている様は新種の茸に見えた。

「崩れないね」

「衝撃でも動体でもない。じゃあ次はなんでしょう?」

 ランタンが尋ねると、リリオンはちょっとだけ思案顔になってすぐにはっとして目を見開いた。

「魔物を投げ込む!」

 やっぱり石魚を持ってこればよかったね、とリリオンはそう言って笑った。ランタンは笑うべきか呆れるべきか迷った挙げ句に、取り敢えず表情は作らずに、そうだね、と同意しておいた。リリオンの言っている事は正解しているとは言いがたいが、間違っているとも言えない。

「正しくは魔精結晶を投げ込む、だね」

「もったいない」

 魔精結晶を一個投げるのも、魔物を一匹投げ込むのも失われる魔精結晶の数は変わらないのにリリオンはそう呟いた。リリオンの気持ちも判らない話ではないので、ランタンは軽く肩を竦めた。

 探索道具の中には罠を動作させるための屑魔精結晶も販売されている。折角入手した魔精結晶を使うよりは安上がりだが、あまり費用対効果が高いとも思えないのでランタンはそれを購入した事はなかった。もっとも需要があるから販売されているのだろうが。

 またもっと確実に罠を作動させる為に囚人を使う事もあるが、個人主宰の探索班でそれを導入している探索班は皆無なのでランタンには縁遠い手段だ。

「魔精結晶出すのもめんどいし、ちょっと作動させてくるよ」

 ランタンが軽い感じでそう言うが、けれどリリオンははっしとランタンの腕を取った。

「……わたし、やろうか?」

「いやいや。こういうのは(ちい)、……あー、ちょこまか動く奴の仕事だって相場が決まってるんだから」

 人が罠を作動させる方法も様々だが、探索班の中で最も敏捷性の高い人物がその任を負う事が多い。全力疾走で罠の向こう側まで駆ける事もあるし、罠が作動した瞬間に全力で後退する事もある。

 前者は充分な速度を付ける事で安全に罠を避ける事ができるが、下手をしたら罠の向こう側とこちら側で分断される可能性もある。罠に連動して魔物が襲いかかってきたら一人で対処をしなければならない。後者の場合は分断の危険性はなくなるが、反転が遅れた場合にはそもそも作動した罠に巻き込まれてしまう。

 稀に探索班の中で最も頑強な人物が罠を作動させる事もあるが、それは余程防御力に自信があるのか、あるいはただの被虐趣味でしかないのでランタンには関係のない話である。ランタンは良く怪我をするが、望んでそうしているわけではない。

「腰に紐を巻いて、罠が作動した瞬間に他の仲間が全力で引っ張る、なんて事もあるらしいよ」

「紐あるの?」

「あるわけないじゃん」

 今まで単独で探索していたランタンにはその紐は無縁の物である。そもそもそんな事をしたらきっとむち打ちになってしまうのでこれからも購入するつもりはなかった。

 ランタンは、じゃあ行ってくる、と気軽に言って何の気負いも無く罠に向かって歩き出した。亀裂の端が頭上に掛かったが、まだ壁が崩れる気配はない。罠の成功率を上げる為に中心部まで行かないと作動しないようになっているのだろうか。

 その中心。

「あれ?」

 作動しなかった。となるともう一歩、二歩。

 三歩目が地面を踏む事はなかった。

 かっと青白い閃光がランタンの視界を灼いた。薄青い燐光を漏らしていた亀裂から発せられたその光は、まるで質量を持っているかのように亀裂を大きく深く切り裂いた。罠が作動し、天井と壁が同時に崩壊する。

 それは外側から巨大な手に握りつぶされたような崩れ方だった。

 天井の亀裂が鮫の口内を思わせる無数の鋭利さを作りだし、ぎざぎざの天井が丸ごと落下する。破裂した横壁はさながら散弾のようだった。

 暢気に歩いて立ち入った愚かな探索者などぐずぐずの挽肉にされてしまうような威力だ。

 だがランタンは暢気に歩いていたわけではない。地面を踏む事がなかった三歩目の靴底で空気が急速に膨張して破裂し、ランタンの小躯を一瞬で罠の範囲外へと押し出した。急激な加速に内臓が押し潰されてランタンの口から、げ、と呻き声が零れた。

 紐で引っ張って貰った方がマシかもしれない、とランタンは濛々と立ち上る粉塵を睨みながら思った。あるいは後ろに戻るのではなく、前に進むべきだったか。

 ランタンが立ち上がり外套(マント)の汚れをぱんぱんと払っていると、後ろから猪のようにリリオンが突っ込んできた。ランタンは外套を翻してひらりとそれを躱した。罠の作動を見極めようと使っていた神経がまだ高ぶっていて、リリオンの接近など容易に察知できるのだ。

 振り返ったリリオンは不満顔である。

「これぐらい何でもないんだから、いちいち大げさだよ」

 ランタンの生還を喜ぼうとしていたのを軽くあしらわれたリリオンは不満を隠そうともせずにランタンの外套を叩いた。汚れを払っているように見せかけて腕や背中を叩くのはやめて欲しい。

「あんな風に崩れるなら、先に言って」

 リリオンとしてはゆっくりと亀裂が広がって、天井からぱらぱらと欠片が零れて、がらがらと壁が崩れるのだと思っていたのだという。確かに罠の崩れ方は崩落と言うよりは爆発と言った方が近い。

 外套がすっかり綺麗になって、リリオンが少し満足げになった。

 ランタンが歩き出すとリリオンは外套の端を摘まんだままついてくる。崩落した岩盤で塞き止められて進めない、と言うようなことにはなっていない。大きく抉られた右側の壁に人の通れる余裕が出来ていてランタンはほっとした。

 崩落壁は時折、完全に通路を塞いでしまう事がある。

 幾ら力自慢の探索者だと言っても、戦闘で発揮される力と瓦礫の除去作業で発揮される力は別物のようで、戦闘中にはぶっ飛ばす事のできる重量が不思議と持ち上げられない事もある。道を作るのは思いの外一苦労なのである。

「探索って大変ね」

「リリオンもその探索中なんだからね」

 他人事のように言ったリリオンにランタンが呆れてながら釘を刺した。

 リリオンは、わかってるわ、とランタンの外套を引っ張った。右側の壁に出来た通路はそれほど広くはなく、並んで歩く事は出来ない。罠の残骸も下手に触ると二次崩壊をおこしそうなので、そろそろと歩く。投擲した手斧の回収は諦めなければならない。

 もし罠が二段構えだったら一網打尽だな、と思いながらもそんな事はなく罠の脇を通り抜けた。罠の残骸は予想通りに五メートル程の範囲に及んでいた。本当に通路が塞き止められなくて良かった、と思う。この範囲の瓦礫を除去するとなるとリリオンと二人でも一日仕事は避けられない。

「もし退かせなかったらどうするの?」

「んー、いったん探索から帰って、瓦礫が迷宮に還るのを待つ」

 魔物の死体がいつの間にか消え去るように、探索者の落とし物が掻き消えるように、崩壊した迷宮の一部もいつの間にか除去される。魔物とは違い罠が再出現(リポップ)する事はない。

 だが除去には早くても三日ほど、遅ければ一週間以上掛かる事があり、それはそのまま探索計画の遅延を意味する。遅延は探索費用の増加と同意である。引き上げ屋との探索計画の見直しや、迷宮の賃貸期間の継続は意外と懐に響く物である。

「時間が惜しいなら爆薬を買ってきて発破してもいいしね」

 僕にはそんなもの必要はないけど、と言いたいところだがランタンは口を噤んだ。

 ランタンの爆発をもってしてもあの量の瓦礫を破壊することは難しい。瓦礫の表面を爆発させたところで発生する破壊は大した物ではないし、瓦礫が細かくはなっても失われはしない。かといって瓦礫の隙間に手を突っ込んで爆発を起こせば飛び散った破片が自らの身体を襲う事となる。

 何度もランタンの死地を救ってくれた爆発能力だが、しかし万能というわけではない。出力を上げるのは簡単だが手加減をするのは難しいし、爆発を起こせるのは肉体と、その延長だけだ。

 例えば手の延長のように扱える戦槌の先に爆発を起こす事は可能だが、これを別の武器に持ち替えるとそのような爆発は不可能になるのだ。

 過去に爆発を起こして服が弾け飛び全裸を晒したことは誰にも言えないランタンの秘密だ。

 新たに手にした手斧は勿論、狩猟刀(ナイフ)に爆発を起こす事もまだできないだろう。とは言えこの迷宮で狩猟刀を使う機会もないだろうし、扱いを習熟するにはまだ時間が掛かりそうである。

 罠を抜けて、その後もう一度石獣の群れと遭遇し、それを容易に撃破した。リリオンは後ろに退きながら戦う事を覚えて、戦闘が終了した時にはランタンからずいぶんと遠く離れてしまっていた。

 お菓子の屑を道標に置いたように転々と転がる魔精結晶を一個一個拾いながら戻ってくる。その様子に妙な健気さがあった。一個一個、屈伸するようにしゃがんで拾ったせいだろう。体力を無駄に消耗していたが、ランタンは何も言えなかった。

 その戦闘からは罠も魔物もなくひたすらに歩きづめ、しばらくすると通路の先が塞がっているように見えた。

「行き止まりだわ」

 魔精の霧が現れたのではなく、そこには巨大な石の塊があった。駆け寄ろうとするリリオンの腕をランタンが掴んで止める。

 ランタンは嫌そうに顔を歪めて立ち止まった。

「あれも罠?」

「……あれは魔物」

 それは最も原始的な魔物の一種である。

 見た目は丸く巨大な石の塊であり、実際にもただの丸く巨大な石の塊である。だが問題はこの石の塊が自転するという所にある。石の塊は直径三メートルはあり、石獣よりも比べるべくもなく重い。近付くと探索者に向かって転がってきて、それを押し潰す性質を持っている。

 名をそのままに石球と言う。

 発見した探索者の名前を取ってインディアナの石球と呼ばれたり、一度転がり出すと止まらない事から暴走石球(ストンビート)と呼ばれたりもする。これの亜種には表面に棘が生えていたり、溶岩状に燃えている種もいるのだが幸運な事にランタンはそれらに出会った事がない。

 石球に遭遇したはこれで二度目だ。

 前回は不用意に近付いて全力逃走を余儀なくされたので、そんな事態はなんとしてでも避けたい。全速力での長距離走など地獄以外の何ものでもなかったし、石球は転がれば転がるほどに速度を増した。結局は迷宮口直下まで押し返されてしまったのだ。

 迫り上がってくる胃液の酸っぱさを思い出させるような、苦い思い出である。

 ランタンは無意識に自らの脇腹をさすった。

 単純な故に、なかなかどうして止める手立ての無い厄介な魔物なのである。

「手段は二つ。動き出す前にどうにかするか、逃げ帰って対石球用の兵器を持ってくるか」

 転がり出したらほぼ無敵に近い石球は、探索者に石球を打倒する為の一つの兵器を生み出させた。

 それは杭状をした地雷である。

 転がる石球に突き刺さるよう角度を研究し、石球に押し負けぬように素材や形状を研究し、そしてきちんと突き刺さって内部から爆発を巻き起こすように仕組みを研究し、確実に殺せるように火薬量を調節し、と多くの探索者の屍の上に生み出されたその杭状地雷は石球に絶大な威力を発揮する。

 だが巨大で、重たく、そして高価である。

 出るかもしれない、でしかない石球相手にあらかじめ用意しておく兵器ではない。

「初回探索的には帰ってもいい相手なんだよね」

 ランタンはリリオンの手を取ってそこにぶら下がる深度計を見つめた。色は極僅かに濃くなっているだけだが、石球の撃破は次回に持ち越しても特に問題はない。

「リリオンはどうしたい?」

「え、わたしは……わたしは、うーん」

 リリオンは腕を組んで首を傾げた。考えていると言うよりは困っていると言った感じだ。

 少し意地悪だったかな、とそんなリリオンを見ながらランタンは思った。リリオンにはランタンの問いかけに答えるだけの知識も経験も無い。勢いに任せて答えないのは、少しばかりの成長だろうか。ランタンは小さく笑った。

「逃げ帰る事のメリットは、安全に石球を打倒できると言うところにある。デメリットは探索がここでお終いになる事と、杭状地雷の値段が高い事」

「うん」

「ここで打倒する事のメリットは迷宮の更に奥に進める事と、余計な出費がない事。デメリットは少し危険ってとこかな」

 ランタンが一つ指を立てて説明するのをリリオンがふんふんと聞いている。そして最後の言葉に再び首を傾げた。

「少し、なの?」

「たぶんね。石球も一転がりで最高速になるわけじゃないし、戦槌(これ)を突き刺す余裕は充分にある。それにさ、下がれば罠の残骸があるでしょ? ミスったとしてもあそこまで下がっちゃえば、たぶん石球はあそこで止まると思う」

 上手くいけば残骸との衝突の衝撃で自壊する可能性もある。とは言え徒歩三時間以上掛かった道のりを全力で後退する事は出来る事ならば回避したい。

「じゃあ、わたしはやっつけたい。わたしには何ができる?」

 斬撃では下手をしたら剣が負けるだろうし、盾の叩きつけも効果は薄いだろう。リリオンにできる事と言えば転がり出す前に石球を支えて、少しでも転がり始まりを遅らせる事ぐらいだろうか。

 だが如何に体格に優れるリリオンと言えども石球の質量を押しとどめる事は不可能で、少しでもランタンが遅れればリリオンはぺちゃんこにされてしまうだろう。

 だが、それをさせないのがランタンだった。

 リリオンが盾を構えて石球に突っ込む。転がり始めた石球の勢いが減じたのは極一瞬、リリオンの靴底が地面を滑って押し返される。しかしその一瞬の減速を逃さず、ランタンはリリオンの頭上を飛び越えて石球に戦槌を叩きつけた。鶴嘴が石球に触れた瞬間に鎚頭に爆発が起こり、鶴嘴を石球の内部にめり込ませた。

 ぞっとするような密度だ。量は十数トンか、それとも数十トンか。

 ゆっくりと動き出す石球に戦槌を持って行かれるような、引きずり込まれるような感触があったが、ランタンは柄から手を離さなかった。

 轟音。

 鶴嘴の先、石球の内部で起こった爆発により高まった圧力は引き千切るように石球を割り開いた。それはまるで巨大な卵から炎の精霊が生まれるようで、石球に入った大きな亀裂から炎を伴う爆風が吹き上がりランタンの表情を焼いた。

 爆発の反動で戦槌が押し返されて、ランタンはその反動を利用して石球から飛び退いた。そしてリリオンの盾の後ろに滑り込む。爆発の衝撃で弾け飛んだ石球の破片が盾を打ちすえた。破片の一欠片がランタンの頭ほどもあるのだ。盾が鈍い音を発する度に、リリオンの肩が衝撃を受けて震えた。

 その音が止まった。

「そのまま」

 だがランタンが気を抜きそうになったリリオンの腰を叩いた。ここからが本番だとでも言うように、そのままリリオンの腰を掴んで押し支えた。

 真ん中から二つに割れた石球がぐらりと倒れた。酷く緩慢に見える転倒も、だがいざ倒れると辺りの壁は破砕され、地面は陥没して捲れ上がるほどの衝撃力を有している。

 第二波の破片は先ほどよりも小振りだが、鋭利な破片となったそれは人の肉など容易に切り裂く威力を秘めている。ばらまかれた銃弾のようにそれらは盾の表面を叩き、弾け、滑る。ちょっとでも顔を出そう物ならば顔面を削ぎ取られてしまう。

 盾の後ろでどうにかそれをやり過ごし、ようやく静寂が訪れる。轟音の後の静寂は耳に痛い。辺りを白く霞ませる砂煙を吸わぬようにランタンは外套(マント)で口を覆った。

「よし、良くやった」

 盾があるとやはり楽だ。ランタン一人では砕いた後、即座に離脱しなければならない。

 ランタンがくぐもる声で労うと、リリオンは大きく肩で息を吐いて盾に身体を預けるようにふらついたのだった。

 まるで石球の重さを、ようやく実感したかのように。

 ランタンは砂埃の中で深呼吸しようとするリリオンを、そっとマントの内側に招き入れた。


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