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 何もない目の前の空間を殴りつけるとはっきりとした手応えが手の中に返ってきた。

 ぐしゃっと金属が拉げる音が叩き鳴らされる。

 それは透明な魔物で、薄く積もった雪に足跡が浮かび上がっている。

 それだけが魔物を認識するための手がかりだった。

 殴り倒された魔物は雪上に倒れ込み、鎧を身に着けた人の形が浮かび上がった。

 ランタンは即座に距離を詰める。

 魔物が起き上がろうとする。

 今はおそらく俯せで、鎧は全身を覆っている。手には剣を持っており、おそらく兜もしているだろう。

 物質系か、それとも不死系か。

 ランタンは魔物の背中を撫で上げるように戦鎚を振り、その延長線上にある兜を鶴嘴に引っかけ、剥がした。

「ここだっ」

 うなじらしきところを踏み抜いた。ごり、と嫌な感覚が靴底から伝わってくる。物質系ではない。

 踏んだ首はそれほど太くなく、骨があり、肉に包まれ、長い髪がかかっていた。

 もしかしたら女の首だったかもしれないが、透明なのでそれを確かめる術はない。

「あまり雪を踏み荒らすな。敵の位置が掴めなくなる!」

 そう叫んだが既に乱戦の様相を呈していた。

 いくら相手が透明とはいえ、致命的な位置まで接近され強襲されたのだからしかたがない。

 完璧な冷静さを保っているのは半数ほどで、残りの半分は敵の把握を諦めてもはや目を瞑って剣を振り回しているも同然だった。

「あ、当たった」

 そんな偶然を喜んだり、空振りして悪態を吐いたり、攻撃されて叫んだりしている。

 倒された魔物は雪に伏し、透明な障害物となっている。

 迂闊に動き回ると躓いて、転んでしまっているものもいる。そうやって転んでできた雪の窪みが、そこに魔物の死体が転がっているように錯覚させる。

「しゃがんで!」

 リリオンが叫んだ。

 周囲にいる探索者たちが一斉に身を伏せる。リリオンは自分を一回転させるほど大剣を大振りした。何体かをまとめて斬った。それだけがわかった。

 魔物は血さえも透明で、ただむっとする臭いが辺りに広がる。

 汚れているように見えない大剣を血振りし、当たろうと空振りしようと構わずまた剣を振り回す。

 ほどなく、おそらく魔物を殲滅したようだった。

 どれだけの数が襲ってきて、どれだけの数を倒したのか目には見えない。

 もしかしたらまだ何体か生き残っていて反撃の隙を窺っているかもしれない。

 雪は踏み荒らされて泥となり、魔物の足跡はすでにない。

 探索者たちはしばらく警戒したまま、暗闇を手探りに歩くように剣や槍で辺りを突きながらその場を離れる。

 まだ踏み荒らされぬ雪の残るところへ、前の足跡を踏むように進んでいく。

 最後尾はしきりに振り返り、新雪の上に追いかけてくる足跡がないことを確認する。

 一先ずの休憩となった。

 怪我を治療し、透明な返り血を拭う。

 透明というのはそれだけで厄介だった。気付かずそのままにしておくと血は腐り、臭いを発するばかりではなく、時に病気を呼び寄せた。

「見て、カラスだ」

 戦闘現場に、どこからともなく現れたカラスが集っている。

 さっそく魔物の死体を啄んでいるのだろう。ぎゃあぎゃあと悲鳴のような鳴き声がこちらまでよく聞こえる。

「死臭につられたのかな。それともカラスにはあいつらが見えているんだろうか」

「やっぱり臭いじゃないかしら。動物ってそうでしょ」

「ふうん、そんなものか」

「ウーちゃん、ウーちゃんはあのひとたちのことみえた?」

 ローサがウーリィに語りかける。

 羽毛に包まれているウーリィは鳥のように見えなくもないが、れっきとした竜種である。

 たかが獣と同一視されたことに誇りを傷つけられたのか、ウーリィはローサの鼻にぱくっと噛みついた。

「わっ!」

 ローサはびっくりして跳び上がり、ウーリィは投げ出される。かと思えばぱっと羽ばたき、踏み付けるようにローサの頭に着地した。

「カラスと一緒にするなってさ」

「うー、ひどい」

「ローサ、顔こっち。血は出てないわね」

 ちょっと赤くなった鼻頭を撫でて、頭上で丸まるウーリィを上目遣いに()めつける。仲良くしな、とローサにひと言掛けてランタンは怪我人の所に顔を出した。

「怪我の様子はどう?」

「ひどくはない。でも戦闘はしばらく休み」

「それぐらいならよかった」

「でも今みたいな様子で戦いが続くと、どこかで取り返しがつかなくなるかも。やっぱり疲れがたまっているのよ。いくら探索者といっても」

「――いや、大丈夫だ」

 怪我人がわざと包帯を巻いたところをどんと叩いてみせる。そしてぐえと呻く。

「ばか」

「平気、平気。先を急ごう。死ぬんなら、そこが俺の死に場所だってことさ」

 誇らしげな顔で宣言する。ランタンは唇を曲げる。

「そんな堂々と言わないでよ」

「意地を張るのは無料(ただ)さ。けど安く死ぬつもりはないから安心しな」

「だといいけど」

 治療を終えると、隊はまた歩き出した。

 大変異に襲われたサラス伯爵領は中央に近付くほど変異の度合いが大きくなり、時には迷宮よりも酷い光景が目の前に広がることもある。

 魔物と遭遇することも多くなった。

 日に一度は何かしらも魔物と戦うことになった。

 単体であればいいが、数が多いとどうしても怪我人が増える。今や遠征隊で傷を負っていないものは、観測官を含めて一人もいない。

 ランタンやハーディといった強者でさえ例外ではない。

最終目標(フラグ)級の魔物につけられたのではなく、それなりの魔物の攻撃を躱しきれずについた傷だ。

「……なんか、このへん見たことある気がするぜ」

「景色なんて代わり映えしねえよ」

「そうかな。このへんじゃなかったか」

 隊の中からそんな声が聞こえる。

 彼らがこの地を踏むのは二度目のことだ。

 大変異のきっかけとなったサラス伯爵の狂気の集大成。大量の魔精を集めた領民の変異、いや魔物化実験にともなう戦争に参加している。

 彼らはそのような目にあった領民を助けるための義勇軍に身を投じたひとりひとりだった。

 結果として助けたかった領民たちは既に魔物と化し、そしてそれらと戦う羽目になり、その中で自らもまた魔物のような変異に侵されてしまった。

 そこに救いはない。

 彼らの行き場のない感情は未だに戦場を彷徨っているのかも知れず、そして彼らは彼らにとっての変異の地を再び踏むことを望んでいる。

 そこにはもしかしたら肩を並べて戦い、そして死んでいった仲間がどういう形であれまだいるかもしれないからだ。

 彼らは変異した肉体が元に戻ることや、あるいはそれを受け入れるきっかけのようなものを探し続けている。

 彼らがかつてこの道を通ったかは最早わからず、また変異によって風景は様変わりしている可能性だってあった。

 救いを求めるがゆえに、ここがそうであるように思えるのかもしれない。

「村が見える。今日はあそこで休もう」

 行く先にいくつかも建物が見えた。遠目からでもそれが廃村であるとすぐにわかった。

 これまで幾度もそういった村や街を通り過ぎている。

 そこに魔物が住みついていることもあったが、この村はもぬけの空だ。建物はよく残っており、戦火は逃れたようだった。

 人の死体がないのはありがたかった。早々に避難したのかもしれない。そうであってほしかった。

「住人は一人もいない。蛇やねずみが住んでるぐらいだ。充分、使える」

「ありがとう。じゃあ家は好きに使っていいよ。あと変な物を食べて腹を壊さないように注意を」

「ああ、さすがにもうしないだろう」

 斥候役をした探索者がくつくつ笑った。

 こういった村を見つけたときはこれをよく利用するようにしている。屋内というだけで人は安心感を覚えるものらしく、食事にしろ睡眠にしろ回復度合いが野宿とは段違いだ。

 しかしその安心感のせいで、家中に残された食べ物を不用意に口にしてひどく下痢をするものが出たことがあった。

 今は笑い話だが、具合がよくなるまで足止めを食らうことになった。

 それぞれが仲間ごとに、あるいは単独で家の中に入っていった。

 使われていない家は傷んでおり、隙間風が入ってくるが野宿よりはかなりましだった。

 さっそく湯を沸かし、垢じみた探索装束を脱ぎ捨てて身体を清める。

「ああ、風呂に入りたい。足が伸ばせなくてもいいから、お湯に身体を浸けたい」

 いくらランタンが小さくとも鍋に身体を収めることはできない。

「リリララがいたら風呂を作ってもらえるんだけどな」

「土の魔道使いの人にお願いしてみたら?」

「個人的な快楽のために力は使わせられないよ」

 ランタンが身体を拭いていると、リリオンがその手から手拭いを奪った。強い力で背中をこすってくれる。少し痛いぐらいだったが、それはそれで気持ちいい。

「リリララさんはいいんだ」

「いいでしょ。得意だし、せっかくだから洗濯もさせてやろう、飯も作らせて、扱き使ってやる」

 ランタンは脱ぎ捨てた装束に目をやった。

 着ていたときは我慢できたが、またそれに袖を通す気にはならない。かなり臭う。

 伯爵領はもう冬になった。

 ティルナバンにも冬は来ているだろうか。こちらよりは遅れてやってくるが、寒さは同じぐらいだ。

「みんなどうしてるかな。元気かな」

「きっと大丈夫よ。さみしい思いはしていると思うけど」

 ローサがとことこやって来て、胡座を組んだ脚の上に顎を乗せて寝転んだ。上目遣いにじっとこちらを窺ってくる。もの言いたげな視線だった。

「なに?」

「ローサ、さみしくなっちゃった。フーちゃんやクーちゃんとあそびたい。モーラ、ローサのことわすれちゃったかもしれない」

「ローサのことはなかなか忘れられないと思うけど、まあ、そうか。寂しいよな」

「うん」

 ウーリィに踏まれてぺたんと潰れた髪を撫でてやる。ローサは目を細める。

「寂しいなら帰るか。ここで帰るって言ったらあいつら怒るかな」

「意外と怒らないかもしれないわ」

「じゃあ、そんなことは口が裂けても言えないな」

「ローサはかえらないよ」

 ローサは目を閉じたまま、はっきりとそう言った。

「帰らないにしても何日かはここで休むか。洗濯して、身体も休めてさ。怪我人もそれなりに出たし。――リリオン、代わるよ。ローサどいて」

 ローサはリリオンの太ももに顎を載せ替え、また目を瞑った。もしかしたら眠たいのかもしれない。

 ランタンは比較的綺麗な着替えに袖を通し、手拭いを受け取った。ざっと洗うが汚れが落ちない。新しいものに代えようとするとリリオンが、いいわ、と言う。

「それでいいわ」

「でも、あんまり綺麗じゃないよ」

「いいの」

 リリオンは諸肌を脱いで、背中に垂れる髪を掻き上げてうなじや背中を晒した。

 眩しいぐらいに真っ白な背中を腰から撫で上げる。背骨を包むように発達した筋肉が柔らかく、それでいて肋骨のおうとつが出会った頃を思い出させるぐらいはっきりと感じられた。

 胸の始まりやつるりとした腋を拭いてやるとリリオンはくすぐったそうにする。しかしあまり動くとローサを起こしてしまうので控えめに身を捩った。

「リリオンは辛くない?」

「うーん、大変だとは思うけど、あまり辛くは感じないかしら」

「そう? すごいね」

「うん、だってランタンがいるもの」

「ふうん、照れるな。ちょっと急に、――顎あげて」

 ランタンが言うとリリオンは素直に喉を晒した。顎下から頸動脈を横切ってうなじ方へひと拭いする。

 湯で絞った手拭いで肌を拭うとその瞬間は熱を感じるが、濡れた肌はすぐにひんやりとして粟立った。

 うなじで産毛が逆立っている。猫の毛のようだ。

「ははは、ずいぶんと汚れたな。僕といい勝負だ」

 ランタンが汚れた手拭いを広げると、リリオンのうなじにさっと朱が差した。それはすぐに耳まで達した。

 ランタンは妙に気まずくなり、自分の不明を恥じる。

 ごめん、と言えず汚れを内に隠すように手拭いをたたみ、またリリオンを磨いてやった。

 リリオンは目を伏せて、ひどく優しい手つきでローサの髪を梳いている。


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[一言] みんな成長していきますね。
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