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崩壊した迷宮から巨人が姿を現すのをランタンは丘の上から眺めていた。
土煙に噴石、それらを纏う一つ目の巨人。なかなか恐ろしい姿だった。
逃げ惑う人々と、それを追いかける魔物の残党。
探索者たちはどうにか踏みこらえて町の人々の退避を援護している。
巨人の重みに大地が砕ける。大口を開けて灼熱を放った。火炎と言うよりは熱線であり、それを防ぐために生み出された水の壁を瞬く間に沸騰、蒸発させた。
真っ白な水蒸気が魔精の霧であるかのように人々を包み隠した。
ランタンは丘を下った。
しかし向かう先は巨人ではなかった。
巨人はかなりの強敵に違いなかったが向こうには戦力が揃っている。簡単にはいかないだろうが、討伐できない相手ではないはずだ。
ランタンが一人、戦場を離れ丘の上に待機していたのは不測の事態に備えてのことだった。
巨人の出現に人々が目を奪われているとき、ランタンだけが迷宮崩壊の様子を俯瞰で見下ろすことができた。
巨人の圧倒的な気配に隠れて一体の魔物が迷宮から解き放たれ、そしてあらぬ方へと走り去ろうとするのにランタンだけが気が付いた。
魔物ならば本能的にすぐ近くの人に襲いかかる。それをせず、むしろ遠ざかるような、あるいは人目を避けるような行動は奇妙だった。
ランタンは巨人には目もくれず、その魔物を猛追した。
追いつけない速さではなかった。
「どこへ行くつもりだ」
独り言のようにランタンが口にし、戦鎚でもって背後から打ちかかった。それは身を投げ出すように前転して躱すと、くるりと反転して即座に立ち上がった。
行動だけではなく、その姿も奇妙な魔物だった。
それは人間から皮も肉も取り除き骸骨にして、骸骨から肋骨を奪い取り、そして真っ黒に染め上げたような姿をしていた。
まるで子供の落書きだ。
「棒人間だ」
ランタンの呟きが聞こえているのかいないのか、棒人間は中腰になってこちらを窺っている。その顔には耳も目もないが、ランタンは観察されている気になった。
不気味だ。
「なんだ、お前は」
問いかけに答えはなかった。一応、人の形をしているが、そういう能力は有していないようだった。
もっとも話し返されたらこちらが言葉を失ってしまう。
しばらく睨み合いが続き、背後では巨人と戦う音や地揺れがうるさいのに、こちらには静寂が満ちていた。
痺れを切らして先に動いたのはランタンだった。
一歩で距離を詰め、戦鎚を逆袈裟に振り上げる。
棒人間は振り出し始めを中段受けで潰し、ぬるりとした蹴りを放った。
半身を引いて躱すと、棒人間の膝が折れ、先端が鞭のようにしなって翻った。背を蹴られる寸前に蹴り足を腋で挟み、軸足を払って転ばせる。
尻餅をついた地面が陥没した。思いがけず重たいものを手渡されたみたいにランタンの軸がぶれる。
棒人間の足は付け根から先端まで一本の棒のようだった。膝と足首の所は折れ曲がるが、一目で関節とわかるような折り目はない。
引っかかりがなく、するりと蹴り足が引き抜かれる。
棒人間は寝転がったまま、虫のようにランタンに迫った。
足を引っ掛け、絡め取ろうとする。
ランタンはまさに虫にそうするように棒人間を踏み付ける。踏み付けると同時に靴底に爆発が巻き起こった。
棒人間が引き千切れ、ぱっと散った。散って再び一所に集まって、同じ形を作った。
その身体は細かな粒子で作られているようだった。
「不死系の魔物、か……?」
腋に挟んだ脚の感触は硬く、温度はなかった。表面は磨いた鉄のようにつるりとしている。
「鉛か金か、それより重いな」
技による重たさというより、それ自体が持つ重さのようだった。
「なんで防御したんだ? 血も流れないくせに。その身体じゃ内臓もないだろう」
今度は棒人間の方から向かってきた。背筋を立て、前後に腕を振って馬鹿正直に突進してくる。ランタンは躱す素振りも見せず、その場で待ち構えた。
戦鎚を振りかぶり、踏み込みもしない。重心をいつまでも後ろ足に残したまま、独楽のように腰の前後を入れ替え戦鎚を振った。
棒人間と戦鎚が交錯する。
凄まじい鋼の音色が響いた。
ランタンの頬が引きつる。
戦鎚を振り抜けなかった。奥歯を噛み締めた。掌がひりひりと、骨がびりびりと痺れる。押し返されそうになるのを踏ん張り、どうにか拮抗する。
ばちっと火花が散り、黒いものが舞った。
それが戦鎚の欠片か、棒人間の一部かわからぬほどの衝撃だった。
じりじりと足が滑った。爆発を放ったかと思えばランタンはものの見事に体勢を崩してつんのめった。
戦鎚からふいに重みが抜けた。棒人間が煙のように形を失い、ランタンを支えるものがなくなった。
ランタンは黒い粒子の中をすり抜ける。粒子はランタンの背後でまた人の形となって、小さな背中に襲いかかった。
振り返るより先に、まずその肉体に爆炎を纏った。棒人間はまったく躊躇せずその中に飛び込んでくるが、多少動きを鈍らせることはできた。
その間に振り返る。
炎の中、ほとんど足を止めた殴り合いだった。
ランタンの頬に棒人間の手の先が触れる。柔らかな肉をへこませ、骨に届くかというとき首を回して受け流す。
戦鎚を短く使って殴り返す。殴ったところが砕けるが吹き飛ばしたときよりも拡散具合は少なく、すぐに復元される。効いているわけではない。同じ事の繰り返しだ。
隙を見ては関節らしきところ、棒の交差する肩や腰らしきところに継ぎ目はないかと探りを入れる。
「――?」
継ぎ目はない。だがよくよく目を凝らせば、足首の辺りに欠けがあった。
雨あられと襲いかかる拳や蹴りをいくつから食らいながらも捌き、ランタンは再び爆発を使って棒人間を吹き飛ばした。
先程と同じように黒い粒子となり、復元する。
「足首と、手の先。初めからか? いや、ちがうな」
答えはない。
「僕がつけたものじゃない」
深呼吸代わりに呟き、息と思考を整える。
殴りつけられた身体に重い痛みが蓄積している。
「最終目標は巨人だ。じゃあお前は何だ?」
ランタンは言いながら殴りかかった。
「お前も最終目標か」
斜めに斬り上げる戦鎚を、力尽くで方向転換し横殴りに振り抜いた。今度は砕けなかった。戦鎚の先に爆発を起こす。棒人間はこれにも耐えて、殴り返してくる。
ランタンは再び全身に爆炎を纏った。爆風が棒人間を包み込み、それは黒い粒子となった。
「足首、手の先」
また復元する。
「それから膝も」
だが欠けた場所が増えている。
「全体に攻撃を与えると崩れる。でも欠けは何だ?」
背後から猛烈な熱風がランタンを煽った。
巨人との戦いは激しさを極めているようだった。
巨人はただでさえ凄まじい臂力を誇るというのに、それに加えて放たれる灼熱の威力たるやランタンの爆炎にも匹敵するほどだった。
攻撃を与えられる隙は少ないだろう。
巨人との戦いの定石はまず足と潰し膝を突かせるところからだ。手の届くところに急所を降ろさなければならない。
「――それはつまりそういうことか。向こうの傷がこちらに反映されてる。――にしては傷が少ないな。リリオンとハーディがいてそんなに手こずるか」
棒人間の猛攻をランタンは受けに回った。
押し込まれるように後退しながら、こちらから手出しをせずひたすらに受けていき、耐えきれなくなると爆発を起こして仕切り直す。
息が上がり思考がまとまらない。
「つまり、つまり」
口に出さなければ思い浮かんだことを忘れてしまいそうだった。
「つまり、あれだ。そうだ。お前が崩れてる間、巨人へ攻撃が通るんだ」
虚実や群体などで互いに補完し合っている魔物が存在する。巨人とこの棒人間はそういった二つで一つの魔物だった。
巨人の様子がどうであるかをランタンは知ることはできないが、しかしそれ以上の考えは浮かばなかった。
その考えはすべて正しいわけではないが、大きく間違っているわけでもなかった。
だが問題はどうやって棒人間を崩し続けるかだった。それには全体への、一定以上の威力の攻撃が必要だった。
しかしランタンの爆発は瞬間的な破壊の力である。
その僅かな瞬間と巨人への攻撃の瞬間が偶然に重なるのを願うのは、あまりに分の悪い賭けだった。
それも嫌いではないが。
ランタンは無理矢理、口元に笑みを浮かべる。
殴られた唇が切れており、血が垂れている。その血が乾いて黒ずみ、かさぶたのように剥がれる。
ランタンの瞳に炎が宿った。夕焼けに似た深紅はゆらゆらと揺らめいている。
連続して戦鎚に爆発を起こして棒人間を殴りつけた。当たっても、躱されても関係なかった。
どかんどかんと爆音と紅蓮を吹き上げる。
まるで灼熱が吹き荒れ、轟音鳴り響く巨人との戦いに張り合うかのようだった。
巨人の足元へ多くの探索者が入れ替わり立ち替わりに攻撃を加えている。リリオンやハーディのようにいつまでも足元に張りついていられるものは少ない。
一撃を加え、あるいはあと少しまで近付くが攻撃できずに離脱する。
あまりにも密集しすぎると灼熱の餌食となりかねなかった。あえてそれを誘うこともあった。灼熱を放っている間、巨人は無防備だった。
錆びた斧で巨木に切り込むみたいに巨人を傷つけることは難しかったが時々、深く切り込むことができる。彼らはその理由を知らなかった。
知る術がなかった。
その余裕がなかった。
巨人が再び、灼熱を放とうとした。
それは誘ってのものではなかった。
疲労や不運が重なって、人の流れが滞った。
まずい、と覚悟を決めた探索者が何人もいた。その内の半分ぐらいはしかたがないと思った。探索者の命などそんなものだ。迷宮でなく地上で死ねることは幸福であるはずだ。
普通の人の身体に戻れるものなら戻りたかったが、それはきっと欲張りすぎだろう。いや、でもやはり、まだ死にたくはない。
もう少し生きていたいと思う。こんな身体でも。目の前まで死が近付いて、心底その思いがわき上がった。
既に頬を打つ熱量とは裏腹な、大きな一つ目の冷酷さを睨み返す。
まさかそれに恐れをなしたわけでもあるまい、巨人がふいに狙いを変えた。
どこを狙ったのか、てんであらぬ方向に顔を向ける。退避している町の人々でも、町そのものの方でもない。
灼熱が放たれた。
その先にはランタンの存在があった。
ちょうど棒人間を爆砕したところだった。復元しようとするところにもう一発の爆発を放ち、うなじの焦げるぎりぎりまで灼熱を引きつけて横っ飛びにその射線から外れた。
灼熱の中に取り残された棒人間が復元と崩壊を繰り返す。
ランタンがそれを見ていると灼熱は緩やかに仰角を上げて、空を灼くかというところで打ち止めとなった。
凄まじい地響きと震動があった。歓声が聞こえる。
粒子が集まり、棒人間が復元する。
明らかに片足が短くなっている。
ランタンは向こうの戦場を思い浮かべながら棒人間に近付いた。
大地に倒れる巨人の足元から首筋まで、リリオンの長い足ならば五步と半分。
棒人間がそれでもなおランタンに殴りかかった。槍のような直突きを首を傾げてやり過ごす。頬が削れ、血が流れる。
「いま」
爆発が棒人間を粉砕する。
想像の中で白刃が巨人の首を刎ねるところだった。
風が爆炎と黒い粒子を運んでいく。
ランタンは確かめるみたいにゆっくりと視線を左右にやった。
凄まじい歓声が耳に聞こえる。




