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「派手にやり過ぎたな。一度、退くか」
ハーディが顎に手をやって呟いた。それからの行動は速かった。
誘われるように砦に向かおうとするテンの首根っこを引っ掴み、問答無用にローサの背中へと放り投げる。
犬の吠える声が聞こえた。どうやら砦から番犬が放たれたようだった。
つまりあの砦には兵が詰めているということだ。
「わかった。全員、退却。声は出すな」
頭の中には色々な疑問があった。それはテンの存在そのものへの疑問でもあったが、それを問うことはせず、全員に指示を出した。
駆け寄る犬の足音を振りきるために、速やかに退却をする。しかし村までは戻らなかった。
砦の警戒を解くには長い時間が必要だろうし、それならば夜の闇に包まれている内に攻め入った方がいいという判断だった。
「砦攻めか。わくわくするな」
ハーディはすっかりやる気で、彼のその雰囲気は探索者たちをその気にさせる力がある。
「テン、すぐにお父ちゃんやお母ちゃんに会わせてやるからな」
柄にもなく優しい声で語りかけながらテンの頭を撫でてやる、変異してごつごつとした手があった。
テンはローサの背からそちらを見上げる。遠くを見るようにぼんやりとした瞳で、小さく頷いた。変異探索者が微笑んだ。
彼らが伯爵領で起こった戦いに身を投じたのは、伯爵の暴挙に虐げられる人々を救うためだった。そして変異を得ることになってしまった。
すっかり変わってしまった外見に随うように歪となったかに思えた性格も、その根っこの部分までは変わっていないのだろう。
「人か魔物か、どれほどの数が砦に詰めているだろう。ランタン、砦攻めの経験は?」
「僕は探索者だよ、騎士さま」
「そう言えばそうだったな。他のものは?」
探索者たちを見回すとぱらぱらと手を上げるものがいた。どうやら従軍経験者もいるらしい。こんな所まで一緒に来たのに知らないことは多くある。
「なるほど十分だ。そもそもが一騎当千の兵だろうしな」
「ならどうする? こちらには七十近くがいる。一騎当千なら七万の兵と対等だ。正面突撃でもするのか?」
「はっはっはっ、それもいい。死を恐れるものなどいないからな。だがラッパ吹きがおらん。正面突撃にはラッパがなければ格好がつかんよ。口笛で突撃では馬鹿みたいだろう」
「たしかに散歩みたいだ」
ランタンは冗談をいちいち想像して納得した。
「表と裏の二方向から攻めよう。ランタンは表、俺は裏へ行く。二十ほど人数をもらおうか」
「それぐらいでいいのか?」
「数を多くして気付かれたら元も子もない。そちらは無理に攻めなくていい。そちらに注意が向いている間に裏手から攻め入る。そしたら合図を出す。正面突撃はそれからだ。これならラッパはいらん。注意すべきは弓矢や火砲、魔道だ。砦に取り付いてからも頭上には気をつけろ。焼けた油など落とされたらひとたまりもない」
それからもう少しだけ詳しく役割を決め、それに合わせて裏攻めの探索者たちを選抜した。
多くは身体に獣の変異を持つ探索者だった。肉食動物のような四肢を有することになった彼らの足捌きはまさに音もなく近寄る狩猟者のそれだった。
それからルーやガーランドもそちらにつくことになった。
すっかり姿を透明化させることができるガーランドは奇襲にはもってこいだった。もっともそのためには裸身にならなければならず、今回はその力を発揮することはない。しかしそれがなくとも彼女の隠行術は頭一つ抜けている。
そして隠しようもない偉丈夫であるハーディもいざ行動を開始すると、悪目立ちするその気配をすっかり隠してしまうのだから恐ろしい。鎧を身に着けていながら、鉄のこすれる音さえ微かに大回りに砦の裏手へと探索者たちを率いていった。
ランタンは残された探索者たちへと振り返った。
「さて僕らの役割は陽動らしい。せいぜい相手の注意を引こうじゃないか。上手くできる? ずっと顔を隠してこそこそ生活してたみたいだけど」
ランタンが挑発的に笑いかけると、探索者たちは慣れた手つきで自らの変異を晒した。フードを被ったり手袋をしたりは、今この時は寒さから身を守るためであって姿を隠すためではなかった、
ほとんどすれ違うもののいない伯爵領では身を隠す必要がなかった。
「よろしい。素敵な姿だ」
「ええ、ほんと」
リリオンがすっくと背筋を伸ばした。この中で誰よりも背が高い。それ以外の肉体におかしな所がないからそれが余計に不思議だった。
「――ローサはテンの側にいてやれ。子守できるな」
「うん、そーする」
ローサは一緒に戦いたい気持ちも持っていたが、乗っかる重さを確かめるように背を伸ばし頷いた。
ランタンは背が伸びた勢いにぐらりと体勢を崩したテンを支えてやった。そしてランタンの片手で掴めてしまう小さな頭にぽんと手を置いた。
「テン、お前は――なんと言ったらいいかな」
言葉を探すランタンを真っ直ぐ見上げる。ランタンは口元に曖昧な笑みを浮かべる。
「親に会いたいか?」
「うん」
「そりゃそうか。馬鹿な質問だったな。お前の父は、母は、あの砦にいるんだな」
「うん、いるよ」
「ならばあの門を開けて、砦の中に連れて行ってやる。だからもう一人では行くなよ。急にいなくなったらローサや、僕らが少し慌てる」
「――ごめんなさい」
テンの細く柔らかな髪をくしゃりとして、ローサを後ろに下がらせた。
「さあ隊列を組め。砦攻めとか言うのをしようじゃないか」
探索者たちが行動を始める。
その肉体に金属片を宿したゼインを筆頭に鱗などの硬質を変異によって得た探索者たちを前衛に並べる。
ほとんどが自前の防具だが、後列のものたちから盾やら兜やらを貸し与えられて身に付けている。
「無理はするなよ」
探索の度ミシャに言われては、その度に無理をしなければ生き残れないと思ったり口に出したりした、その言葉を彼らの背中に告げる。
彼らもまたそんなことは言われ慣れているのだろう。笑った拍子に肩が揺れ、がちゃがちゃと防具が鳴った。
「無理、無茶、無謀は俺らの仕事道具だろ」
それがまるで鳴子であるかのように一度砦に戻った番犬が再び放たれた。十数頭の犬は既にこちらの姿を捉え、猛然と駆け寄ってくる。
魔物であるがやはり狼ではない。頭が大きく、鼻が低く、ぶよぶよと皮が厚い。四肢のたくましい闘犬といった風情の犬が唸りを上げてやってくる。
前衛の探索者たちの構えた武器が少ない星光を反射して鈍く光った。犬たちを足元に噛みつかせるほど深く引きつけて、その身体に容赦なく武器を叩きつけた。
断末魔が響いた。そしてそれに紛れて風切り音がいくつも迫ってくる。
「構えっ!」
ゼインがよく通る声で指示を発した。前衛たちが盾なり腕なりを掲げる。
砦から無数の矢が放たれる。大きく弧を描く曲射だった。矢が盾とぶつかって火花を散らした。あるいは男の鱗の一枚を砕き、血を流させた。
しかし倒れるものはいない。
前衛を通り越して、ランタンたちの近くにも矢は降ってきた。
地面に深く突き刺さるそれを抜き取ってみると、相手が使っているものが短弓であるとわかる。矢は短く、胴の部分は木製で、矢羽根は野鳥のものらしいが素人細工に見える。先端は金属だったり石だったりと様々だ。
「ローサ、もう少し後ろに下がれ! 前衛に全てを任せるな! 自分の命は自分で守れ!」
ランタンは言いながら自分の前に出ようとするリリオンを後ろへ引っ張った。
リリオンは前を向いたまま素直に後ろへ下がり、しかし、かと思えばランタンの隣へと並んだ。大剣が足元からランタンの正面を撫でるように斬り上げられた。
ぶうんと鈍い剣風が飛来する矢を吹き飛ばした。
「前進!」
ゆっくりとにじり寄るように砦と距離を詰めていく。
「ランタン、灯りを!」
「丸見えになるぞ」
「狙われたら対処できる。見えないものは受けがたい!」
ゼインに言われて、ランタンは掌に炎を生み出した。揺らめくようなものではない。燃える鉄のような、確かたる炎だ。それを空へと放り投げた。
流星が空に帰るように炎は高く上がり、ある高度まで上がると強い光によって辺りを照らした。背後に影が長く伸びる。硬く門の閉ざされた砦、その塁壁にずらりと人影が並んでいるのが見える。
大きさは子供ぐらいで、緑や茶色の肌をした二足歩行の魔物だった。鬼だ。邪悪な猿の様な醜い顔を突然の光に覆い隠したり、抱えたりしながら、ぎゃあぎゃあと鳥のように騒いでいる。
「かなりの数がいるな」
こちらが相手の姿を見たように、向こうもこちらの姿を確認したようだった。
まさか塁壁に並んでいるのが全てではないだろう。あれを一部と考えたとき、ハーディに二十名ほどをつけているので、数での戦力差は倍以上も向こうが有利であることは間違いなかった。
猿鬼どもは光に目がなれると、更に激しく矢を射かけてきた。前衛たちはより硬く防御を固め、ランタンたちも降りかかる火の粉を払うように武器を振り回した。
距離が縮まると矢だけではなく投石や大砲による攻撃も加わった。どおん、どおんと砲音が響く。
それはもともと砦に備えられていたものらしい。砲を使うだけの知性も持ち合わせているようだった。
しかしずいぶんと手前に着弾したり、後ろに通り過ぎたりする。砲撃の間隔も長く、使えるだけで使いこなせるわけではなさそうだった。
「散開! 狙いを散らせ。精度は低いが運が悪けりゃあたるぞ!」
並んでいた前衛たちが横に広がった。
後ろのランタンたちは既に散兵と化している。
「リリオン、何してる?」
「投げ返すのよ」
リリオンが地面を抉った砲弾を拾い上げた。子供の頭ほどの大きさでいかにも重たげだ。
それを両手で頭上に掲げると思いっきり背筋を反らし、たった一歩の踏み込みによって砦の方へ投げ返した。
ぐおう、と重く風が引き裂きながら砲弾は低い弾道でもって砦へと進み、塁壁の一部を粉砕した。
それを見てリリオンは不満気に唇を尖らせる。
「当たらなかったわ」
「……当たり前だ。あんなもん狙い通りに当てたら相手に同情するよ」
砲台自体は潰せなかったがしかし効果はあった。大砲を撃てば、またあの一投が来るかもしれないと恐れたのだろう。砲による攻撃はほとんど止んだといってよかった。たまに思い出したように撃たれてもリリオンの近くにはやってこない。
「くそ、投石が邪魔くさいな。ハーディはまだか」
やや膠着状態となった戦いは、向こうの動きによって変化が生じた。矢や石がつき始めたのか、痺れを切らしたのか砦の門が開いた。
わっと猿鬼の大群が湧き出てきた。
手に手に身体の大きさに不釣り合いな剣や槍を、あるいは農具を構えて突っ込んでくる。ともなった番犬が先行し、こちらに飛び掛かってきた。
「一人になるな。数には数で当たれ。一騎当千はハーディの世辞だ、鵜呑みにするなよ!」
十分に引きつけてこれを迎撃する。
猿鬼たちは味方の背に矢を撃つのを恐れなかった。あるいはそれらを味方だとは思っていないのかもしれない。鬼も矢も一緒になって襲いかかってくる。
相手は槍を上下に振り回し、前進してくる。技もへったくれもないが数がいるのでそれが荒れ狂う波のように見える。
先陣を切ったのはゼインだった。長大な八角棍は鬼の槍を細枝に見せる。槍の振り下ろしを受けるだけで折り、回した棍が鬼に触れるとそこが頭だろうが胴体だろうが区別なく粉砕した。
これは大活躍だったが、他の探索者も似たようなことはできた。
猿鬼は武器を得たことで弱くなっていた。
それらがまさしく猿の大群のごとく、その獰猛で俊敏な肉体によって無秩序に襲いかかってきた方がよほどやりづらかっただろう。
それらは使い慣れぬ剣の間合いで、槍の間合いで戦おうとしている。
リリオンが腰だめに構えた大剣を斜めに振り抜いた。枯れ藁を切るように鬼たちが切断される。
後に引けなくなった番犬が側面からリリオンに襲いかかった。ランタンがそれを殴り飛ばす。
一騎当千は世辞だとしても、当十ぐらいの実力は誰もが備えている。
うっとするような血の臭いが辺りに立ちこめると、鬼たちは魔物のくせにそれに恐れをなしたように武器を放り出して背中を見せた。砦から出てきたときの数の半分以下になっている。
探索者たちの一部が戦いに酔ってその背中を追いかけた。
「深追いするな。ハーディの合図がまだだ!」
ランタンやゼインがそんなことを叫んだが聞こえていない。鬼を後ろから斬りつけて、砦の中に飛び込むかのように追いかける。
嫌な予感がした。しかしそれはもう遅かった。
銃声が響き、追いかけた探索者の何人かがもんどり打って倒れた。大砲を使うのだから、銃だって使うだろう。伯爵領は農薬と火薬の両方を製造していた。
門のところに銃を構えた猿鬼が何頭もいた。誘い込まれたのか、それとも突出した探索者を見ての咄嗟の行動か。ともあれやられたのは確かだった。
「盾を貸せ!」
ランタンは最も近いところにいた盾持ちから盾を奪い、倒れた探索者の所へ駆け寄った。
一人は足を、二人は腹を撃たれている。意識はあるが苦しそうだ。
「退け退け退けっ!」
再びの銃声。
盾に当たったのは一発、そして倒れた仲間に手を貸した一人にも一発当たった。思いがけず精度がいい。そして二発目が早かった。使っているのは単発銃だ。一頭の銃兵に対して二丁以上の銃を与えて、交換しながら使っているのだろう。
「ランタン、下がれ」
ゼインがランタンたちの前に出て射線を遮った。
「だけど」
「頭以外なら打撲で済む」
「頼んだ」
まだ撃たれていないものと目配せをして、怪我人の手なり足なりを引っ掴むと砦に背を向けて一目散に後退した。背後に銃声が何度も響き、また近くを銃弾が通過していったような気がする。
「ゼイン、無事か!」
十分に距離を取って振り返ると、すぐにゼインは追いついてしかし膝から崩れ落ちた。
「無事じゃない。――この身体じゃなきゃな」
金属片を埋めたような腕にいくつも弾痕が残っていた。貫通痕ではない。それはへこみであったり、へばりついた鉛玉の破片だったりした。
「つまりは無事だな。よかった。――おおい、死んだ奴はいるか?」
「腹を撃たれた奴は死にかけだ。怪我人もそれなりだが、動けないほどひどいのは少し」
「後ろに下げて治療を受けさせろ。一人も殺すなって伝えて。ゼインも下がって」
砦からの攻撃が止んだ。開かれた門がまた閉ざされた。
「ハーディめ、遅い。何をしてるんだ。ルーもガーランドもつけたのに」
「ランタン、焦っちゃだめよ」
鼻から大きく息を吸い、ゆっくりと吐きだした。
「わかってる。――こちらの役目は陽動だったな。数は減ったがそれは向こうも同じ。また前へ出る。恐れるものはいるか?」
「いない!」
探索者たちは声を張り上げた。最後の銃兵には驚かされたが、死者は一人も出ていない。
再び砦の前に姿を晒した。しかし矢も石も飛んでこなかった。
だが殺意だけは間違いなくこちらに向いており、それを辿った先に銃口があることは間違いがなかった。
威嚇の射撃がとんでくるが、距離のせいもあってそれほど恐れる必要はない。銃兵の腕というよりも、銃そのものの精度のせいだろう。
「ランタン、ハーディの合図があったら先陣を切らせてくれないか?」
一人の男がランタンに申し出た。なかなかの大男で、肌の色は灰色だった。鱗でも金属でもないが皮膚は硬そうで、さっきも前衛に立っていた戦士だった。
「なぜ?」
「さっき足が竦んだ。ゼインの背中を見るしかなかった自分が許せない。この身体の意味をあいつに見せてもらった」
「誇りか」
「それを取り戻したい」
「命と交換にしないなら、いいよ」
「――約束しよう」
しばらくしてようやく砦の裏手から光が上がった。ハーディの合図だった。
砦の中に混乱が広がったのが手に取るようにわかった。
「突撃! 後ろに続け!」
「おおう」
探索者たちは灰色の戦士を先頭に一気に砦へと駆け寄った。
銃兵は混乱する砦の中でもまだ冷静さを保っていた。どうやら銃は精鋭の証のようだった。
先程、前衛を務めてくれた変異者たちが三角に隊列を組み柔らかな肉体の盾となり、射線にその身をさらした。
銃の必中距離で何発かの銃弾が彼らに当たった。だが一人も倒れなかった。
そして灰色の戦士がその硬い肉体を固く閉ざされた門へと叩きつけて粉砕すると、ランタンたちはそのまま一気に砦内へと流れ込んだ。




