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積もった雪が薄くなり、もはや足を取られることもなくなった頃にテンの暮らす村が見えてきた。日は暮れかけている。
「テン、ついたよ。よかったねえ」
ローサが自分のことのように嬉しがって告げる。荷車に寝かされていたテンは支えられて起き上がり、短い首をうんと伸ばした。
何人かの探索者たちは既に気が付いていた。ランタンもその一人だったし、その事にハーディさえも何とも言えぬ表情になっている。
「おい、ランタン気が付いているか?」
「うん。これは違う村についたのかな」
「いや、それはどうか。あの顔を見ろ」
ハーディが苦い顔をしてテンへと視線を向けた。いくら五歳児だろうと自分の暮らした村を見間違えることはないだろう。その表情は安心に緩んでいる。
「ランタン、どう言うこと? なにを言っているの?」
リリオンが心配そうに尋ねる。
「気が付かない? あの村、人の気配がないよ」
「え」
驚きに背筋を伸ばし、リリオンがこわばった表情を村の方へと向けた。
もしかしたら遠征隊の姿を野盗団か何かと勘違いをして、息を殺して隠れているのかもしれない。あるいは別の村へと逃げ出しているのかもしれない。それは淡い希望だった。
万に一つの可能性を考えて遠征隊は村に入った。
ローサがテンのことをぎゅっと抱きしめてやった。
村には人っ子ひとりいなかった。
戦いの跡が残されているがそれは新しいものではない。積もった薄雪は廃虚の埃のようで、そこを訪れたものがいないことを告げている。
「人の姿はないな」
「……死体も」
「家財は残されてるな。金目の物もそのままだ」
小さな村をくまなく探索するのに時間は掛からなかった。探索者たちから次々と報告が上がるが、望ましい物は一つもない。
「――ここぼくん家」
テンの案内で村を進むと、こぢんまりとした造りの家に辿り着いた。戸が蹴破られており、がらんとした室内に雪が吹き込んでいた。
「お父ちゃん、お母ちゃん」
隠れる場所のないそこに向かってテンが呼びかけるが、もちろん返ってくる返事はない。
テンはどうしていいかわからないようにその場に立ち竦んで、ぼんやりとした視線を宙に投げ出した。それから防寒具のフードを被って俯き、一頭の獣のように小さく呻く。
この村の、この状態の理由をテンに尋ねることは酷に思えた。
たまたま危険から逃れてその理由をそもそも自体を知らないのか、それとも記憶を失っているのか。そういった可能性さえあった。
しかし戦災によって村を失ったのならば、この子はこれまでどうやって過ごしてきたのか。
「ランタン、――いいかい?」
探索者の女が一人、訪れた。テンを一瞥して、ランタンを外に呼び出した。テンには聞かせられない話なのだろう。
「頼む」
リリオンの背に触れてひと言告げ、ランタンは外に出た。
「何か見つかった?」
「雪の下に足跡があった。人の足跡と、それ以外のものが。こっちよ」
案内されてついて行くと破れた柵があり、乱雑に踏み固められた足跡が向こうの方へと連なっていた。
雨風に晒されてなお形を残している。集団性は軍列のようでもあるが、その乱雑さは獣の群のようでもある。
調査官たちが辺りの雪を丁寧に払い、また索敵を得意とする探索者たちも手伝って足跡を調べている。
「ランタン、来たか」
「これは?」
「人は男と女、老人と子供。村人だな。歩幅は狭く、引きずられた後もある。無理矢理に連れ出されたんだろう。足跡の方向は基本的に一方的だ」
人の足跡は村から外へと向いている。
「もう一つはこれ。二足歩行でがちゃがちゃ歩き。魔物の足跡だろう」
足の大きさは人の半分ほど。指は三本で踵が小さい。鳥に似た足跡が無数にある。
「外から村に入ってきて、散開。人の足を囲むようにして出て行っている。――あの子には可哀想だ、……望みは薄いぜ」
ある程度の知性ある魔物が村を襲い、人を連れ去った。
「かなり珍しい行動ですね」
調査官はあくまでも冷静に告げる。
「獣系の魔物が巣穴に獲物を持ち帰ることはありますが、こうやって生け捕りにするなんてそれこそ数えるほどしか事例はないと思います。それも大勢の人をとなると僕は初めて聞きますね」
「理由は、――いや。やっぱりいい」
「人質と言うことはないでしょう。殺すためか食うためか、それとも繁殖の」
「いいって言ってる」
「――失礼」
硬い声で遮ったランタンから逃げるように調査官は離れていく。
「あの子にはどうやって伝える?」
「――わからない」
「だよなあ。とは言え、悲惨な別れなんて別に珍しい話じゃないぜ」
うんざりした様子の探索者の男は腕を組み溜め息混じりに呟いた。
溜め息がひゅると鋭い音になった。面頬をつけたように顔の半分に鱗が生えており、それが唇にまで及んでいる。
「そんなこと慰めにもならない」
「ランタンはいちいち自分のせいみたいな顔をするよな。それ疲れないか?」
「嫌味?」
「そう言うなよ。心配してるんだ。――そうか、そうだよな」
「何の納得なんだ」
「そもそも変異者たちがお前を心配させてるんだってことにあらためて気付いただけだ。――俺からあの子、テンに伝えようか」
「そんな顔の奴が近付いたら泣き出すよ。――この魔物が周囲にいないか、警戒するように伝えてくれ。あと足跡を追えるか調査を進めて。テンには僕が伝える」
ランタンはそう言って踵を返した。
しかしどうやって伝えるべきだろうか。
お前の両親はもういないと率直に告げるか。しかし、なぜ、と尋ねられたらどうしようか。まさか魔物にさらわれたとは伝えられない。あるいはどうにか誤魔化して、はぐらかすべきか。
テンの家へ戻ると、戸が直されていた。微かな隙間から暖かな空気が漏れ出して、食事の支度がされているようだった。団欒に似た気配がある。
穏やかなその気配に、ランタンはむしろ立ち竦んだ。
「おお、そうなのか」
ハーディの声が聞こえた。
「お母ちゃんのお腹大きくなった。弟か妹が入ってるんだって。お父ちゃんが教えてくれた」
「それはしっかりしないとな。どれ、あとで剣を教えてやろう。座り技もなかなか奥が深いぞ」
「それはよいお考えですね」
ルーが相槌を打った。
「よかったねえ、テン。ゆーれーもすごいんだよ。ね、ゆーれーにもおしえてもらお」
ガーランドの声は聞こえないが、きっと頷いたのだろう。
「ほら、もうすぐご飯ができるわ。沢山食べてまずは怪我を治さなくちゃ――、ルーさん後をお願いしてもいいかしら?」
「はい、どうぞ」
「どうしたの?」
「ちょっと暑くなっちゃって」
リリオンがそんな風に言って、そっと家の外へと出てきた。
ランタンの顔を一目見て察したのだろう。何も言わず肩を抱き寄せて、いつもよりも小さい背中に手を回した。
「聞かないの?」
「ええ」
「僕は、言えない。もういないんだって。その勇気がない」
「そうね。――困ったわね」
そうやってランタンの苦悩に寄り添い、冷たい風を遮った。
「今は伝えないであげて。ようやく落ち着いたの」
そして言い訳を与える。
「おねーちゃん、もうだいじょうぶ?」
ランタンがしばらくリリオンにもたれていると、ローサが痺れを切らして呼びに来た。食事が出来上がったらしい。ランタンを一目見て目を丸くする。
ランタンはすぐにリリオンから身を離し、口元に曖昧な笑みを浮かべた。テンを安心させる練習みたいにローサに笑いかける。
「呼ばれたのはおねーちゃんだけか。さみしいものだな」
「しらなかっただけだよ! おにーちゃんもはいって!」
ローサは二人の腕を掴んで家の中に引きずり込んだ。
ランタンは曖昧な笑みを口元に張り付けたままリリオンの隣、テンの斜め前に腰を下ろした。
少しの肉を浮かべた麦粥が鍋いっぱいに作られて、いい香りを漂わせている。
テンはよほど腹を空かしていたのか、目をきらきらさせてまだかまだかと皿を抱えて待っており、こちらをちらりとも見なかった。
ランタンはほっとして、またやるせなく息を吐いた。
麦粥の白い湯気が僅かに揺れる。
探索者を走らせて調べさせたが、北西にある村もまた滅んでいた。そちらにも同じ足跡があったようだ。
足跡は風雨に掻き消され、途中で消えている。しかしこの村と北西の村に残されたものの向きから、進んだ方角を割り出すことは難しいことではない。
そちらに向かうのは明日にしてもう村の家屋を借りて夜を明かすことにした。
ひどく静かな夜に、突如ローサが叫び声を上げた。
「テンがいない!」
その声にランタンたちは目を覚ました。ローサは狼狽した様子で戸を開けて外に飛び出している。
「テン、どこ? どこにいったの?」
「ローサ、落ち着いて」
「だってけがしてるのに」
リリオンが靴も履かずローサを追いかけ、落ち着かせる。
ランタンはルーやハーディと目配せをした。
「小便に起きたわけでもあるまいな」
「気が付いたか?」
ルーがかぶりを振った。
「そもそもあの足で歩くことは」
ガーランドがテンが眠っていたところに手を触れている。
「私も気が付かなかった。体温は残っていない」
ランタンは手の中に炎を起こし、外の足元を照らした。雪に湿った地面にテンの足跡は見つからない。あの足だから入るときは抱えられていたから当然だが、出ていった足跡もない。そもそも一人では痛みで歩けないだろう。
ならば第三者、あの三本指の魔物に連れ去られ出もしたのだろうか。だがこれだけの手練れに感知されず家に侵入して、ローサの腕の中で眠っているテンをさらうなどと言う芸当ができる存在がいるとは思えない。
さらう理由もない。
しかしいなくなったことは事実だったし、心配だった。
チョコレートを握らせてやった小さな手を思い出した。ティルナバンで孤児院の子たちに菓子をやったときと同じ手だった。作り物みたいに小さくて、汚れていて、生命の熱を持つ手を。
「ルー、動ける奴、全員叩き起こして。探す。ローサ、いい子だ。上着を着ろ、その格好では探しに行けない」
「かしこまりました」
駆けていくルーの背を視線で追いながらハーディが尋ねる。
「あては?」
「向こうだ。足跡の方角」
「子供の怪我をした足で向かえると思うか」
「可能性はある。リリオンは歩いてきた。僕の所まで」
「闇雲に探すよりはましか。――ここでは妙なことも起こるしな」
ハーディも剣を取りに家の中へ戻った。
起こされた探索者がぞろぞろと集まってきた。誰も文句を言わずにテンの捜索に当たってくれた。村の中では見つからない。見張りに立っていたものは村から出たものはいないと言う。
だがそれでもランタンたちは魔物の足跡を追って、村を出た。
「テン、テンちゃん!」
「おおーい、テンよーい。どこだー!」
横に広がり、手に手に松明を持って声を上げる様子は狩りのようで、とても子供を探しているとは思えない。そのほとんどが変異者である。その姿はむしろ子供を喰らう鬼の群に見える。
しかしそんな目立つことをしているので、光に誘われる蛾のように魔物が集まってきた。多くはない。ぽつりぽつりといった程度で、その度に容赦なく討伐される。
そしてその一頭一頭が腹を割かれ、子供を食っていないかを確認された。
ほっとすると同時に、この辺りには魔物が普通に生息している事実に不安も増す。
「テン、へんじして!」
ローサがほとんど鳴くような声を上げた。ウーリィが上空を旋回しているが反応を見せない。
狼の遠吠えが聞こえた。遠いようにも近いようにも感じる。洞窟の内にいるように不思議と反響している。
「あっち!」
一番早く反応したのはローサだった。炎に全身を輝かせながら走って行く。地上を這う流星のようだった。
ランタンはその尾を引っ掴み、どうにか背中に飛び乗った。
その光を目印に探索者たちがついてくる。
目を凝らすと、夜の闇が形を成すところだった。
魔物の出現、その瞬間だった。
闇が色を増し、濡れ紙に落とした墨のように滲んだ。その輪郭がはっきりとし、それから毛の一筋一筋までもが闇から削り出された。光沢の黒い狼。咆える声が、今度は明確な位置を持って鳴り響いた。
ここではないどこからか来たものたち。
「テン!」
魔物の出現に気を取られていたから、気付くことができなかったのだろうか。出現した狼たちのすぐ側にテンの姿があった。
ローサが少しも速度を落とさずに、狼に体当たりを食らわせた。巨大な狼が吹き飛ばされる。
「テン、お前どうしてこんな所に」
怪我のせいもあるだろう、へたり込むテンに声をかける。テンは最初に出会った時のようにぼんやりしていた。
「おにーちゃん、まわりにたくさんいる!」
出現した狼は一頭ではなかった。
取り囲むように何頭もの狼が低い唸り声を上げている。ローサは腹の下にテンを押し隠した。
ランタンは戦鎚を手の中で回し、それから肩に担ぐ。
「怖がるな。周りに沢山いるのは狼だけじゃないだろう」
狼よりもよほど獰猛な声を上げて、追いついてきた探索者たちが襲いかかった。ランタンは頭上に炎を打ち上げる。光が四方へ放たれて、辺りを照らしだした。
探索者たちは縁もゆかりもない、ほんのついさっき拾ったばかりの子供のために必死になって戦った。
狼の群は、それよりも大きな探索者の群にあっという間に殲滅された。
テンがローサの腹の下から這い出てくる。
足の怪我は治っていない。だが酷くもなっていない。
「しんぱいしたんだから! だめでしょ、かってにどこかにいったら!」
ローサが母親かのように叱った。それを探索者総出でまあまあと宥める。テンはまだぼんやりとした顔をしていた。
「よくよく狼に襲われる奴だな。テンは」
ランタンは視線を合わせ、ゆっくりと尋ねた。
「無事でよかった。テン、お前はどうやってここまで来た?」
「わかんない」
「わからない? ずっと一人だったか?」
「……わかんない」
「泣くな。咎めてるわけじゃないんだ」
ランタンはできるだけ優しく言い、そっと額を撫でてやった。ローサの腹の下にいたからだろうか、その額は熱を持っている。
「どうやって来たかはわからないんだな」
「うん」
「じゃあ、どうして、はわかるか? どうしてここに来た?」
テンには魔物の足跡のことすら教えていない。
「……」
テンは視線を外し、ランタンに背中を向けた。やはり、それもわからないか、とランタンが思った時、テンはおもむろに指を差した。
「お城。お父ちゃんとお母ちゃんがいるんだ。行かなきゃ」
ほとんど反射的にテンは一歩踏み出し、しかし力の入らぬ膝が折れ曲がり無防備に転んだ。一人で立ちがかろうとして上手く行かず、しかし這ってでも進もうとする。
ローサが抱き起こし、その腕を解いて行こうとするテンを胸に引き寄せた。
「城? ――あれは」
行こうとする方へと誰もが視線を向けて、目を細める。夜の闇にごつごつとした建物の輪郭が浮かび上がった。
「砦か」
それほど大きくはないが軍用の砦だ。何故このようなところにあるのかと思うが、かつては要所だったのかもしれない。
それが子供の目に城に見えることは不思議ではなかった。
「あそこにお前の両親がいるのか?」
「行かなきゃ」
テンはそう繰り返した。




