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閉じた瞼の裏に光が透ける。それはちらちらと濃淡を変えていた。身体が温もりに包まれていて、柔らかな炎の中にいるようだった。
目を覚ましたランタンはゆっくりと瞼を開いた。
視線の先でローサがまさしく虎のように四肢を投げだして寝転んでおり、縞模様の虎毛がまだ炎となったまま揺らいでいる。
一番近くにはガーランドがおり、周囲にはくたびれた探索者たちが屍のように眠りこけている。
リリオンに背中から抱えられていた。胸の前に回った腕をそっと解き、リリオンに向き直った。
少女の胸に遠慮がちに顔を埋めた。洗っていない服はごわついて、その下にある胸の柔らかさはよくわからない。もう何日も風呂に入っていないから濃い体臭がした。しかしそれを不快には思わなかった。
胸から顔を外して、少女の寝顔を覗き込んだ。寝息は穏やかで、頬と鼻先が赤くなっている。顎の輪郭が少しばかり鋭く見えるのは体重が落ちたからだろう。
ランタンは残りの食糧の計算をぼんやりした頭の中で行い、補給のことを考えた。
ここは放棄された、おそらく肥料の工場だった。今はもう無人で設備も壊れているが、ずっと昔に放棄されたわけではなさそうだった。少なくともサラス伯爵が生きていた頃、死んでからもう少しぐらい工場は稼働していたはずだ。
おそらく近くに村があるはずだった。
伯爵領の現状、そして冬の季節。その村に補給を頼むことは難しいだろう。そもそも村はあっても人は住んでいないかもしれない。
食える魔物でも出てくれたらいいのだが。
ランタンはもぞもぞ身体を動かし、蛇のような身のこなしでリリオンの腕からすり抜け起き上がった。
羽織りっぱなしの外套を脱いでリリオンに被せる。
辺りに視線を巡らせるとルーと目があった。垂れ目のせいで眠たげに見える。ほとんどの探索者が眠っている間ルーは起きていたようだった。
「……ルー、起きていたのか。代わるよ」
「ランタンさま、もう少しお休みになられては」
「いや、いい」
ルーの気遣いに肩を竦め、手招きをする。ルーは横たわる探索者たちを軽やかに避けて、側にやってきた。じっとランタンが見つめると、軽く小首を傾げた。
「どうかされましたか?」
「少し屈んで」
「はい」
なぜ、とも尋ねずルーは両膝に手を置いて腰を屈めた。ランタンが目線の先に降りてきた胸元に顔を埋める。ルーは顔を動かさず瞳だけを下にして黒髪の旋毛を見下ろした。押し当てられた額の小ささを感じる。
「ルーも少し臭うな」
「――いやですわ、ランタンさま」
ランタンの言葉にさしものルーも眉を顰めた。恥じらうようにランタンの鼻先が触れた胸を手で隠した。
しかしランタンは気にもとめず、自分の肩口に顔を寄せて何度か鼻をひくつかせる。
「どうして自分の臭いってわからないんだろう。まあ、どうせ臭くなっているんだろうけど」
外はまだ雪だった。風の音はないので吹雪いてはいないだろう。
「休める内に休んでおいて」
ルーの腕を取り、まだ自分の温もりが残るかもしれないリリオンの側へと導いた。
「ほら寝て」
「はい、わかりましたから。もう、ランタンさま」
「ほらほら」
ルーを寝かしつけ、顔に手をやって瞼を閉ざした。ルーは少し抵抗したが、やがて少しの苦笑とともにそれを受け入れる。
壁際ではハーディが壁に背中を預け、腕を組んで眠っている。傍らに剣が置かれている。そういった用意ができている探索者は少なかった。
大量発生したねずみに噛まれたものの中には熱を出したものもいる。傷病人たちは微かな苦悶の声を出した。ランタンはそちらに近付いて一人一人の顔を覗き込んだ。
眠っているものもいれば、眠れないものもいる。
痙攣するような瞬きから覗く瞳と目があった。
「……おれは死ぬのか」
「そこまで高熱じゃないだろう」
ランタンが呆れて言うと、焦点の合わぬ視線がぴたりと定まる。胸が一度大きく膨らみ、欠伸のような息を吐いた。
「ああ、ランタンか。なんだ、死神に見えたよ」
「水飲むか?」
「たのむ」
額の汗を拭ってやり、水を飲ませてやった。
「至れり尽くせりだ。ありがとう」
男は緩く息を吐くと、そのまま眠りについた。
ランタンは再びぐるりと辺りを見回す。室内の中心にいるローサから光が放たれて、天井近くや角に影が濃い。他にもいくつか魔道光源がおかれているが全ての影が払えるわけではない。
ランタンはそういった影にじっと目を凝らした。
影の揺らめきは、光の揺らめきだけによるものではない。
そこだけ光の屈折率が異なるように光景が滲んで見えた。目を凝らしてみても、近付いても遠ざかっても焦点が合わない。
それが魔物の発生の瞬間の可能性があることをランタンは認識していたし、この遠征においてもっとも気をつけていることだった。
しかし戦鎚を手にすることもなく、視力の悪い老人のように目を細める。
唐突に黒い影の中から白い腕がにゅっと現れた。
それは向こうの影の色が透けており、いかにも幽霊といった感じだった。白い腕が音もなく下がり、壁際で眠る探索者の一人に触れた。
悪さをしなかった。ただ探索者に触れた。あるいは抱きしめたのかもしれない。眠っている探索者は目覚めなかった。それどころか頬を緩めた。
「……!」
足元を何かが通り過ぎていった。
ランタンは驚いて振り返ると、白い腕と同じような、白い小さな生き物が駆けていく姿があった。
ねずみではない。子猫だろうか。それはまた別の探索者の胸に飛び込んで、身体を丸めた。探索者はもぞもぞと動いてそれを抱きしめた。
生身の子猫ならば潰れていただろうがそれは幻のように消え、腕を緩めるとまたその胸に白い姿を現した。
そういった得体の知れないものが眠る探索者たちの側にいくつも現れた。
それは魔精が探索者たちの望みに応え、形作ったもののようだった。
彼らは触れ合いや温もりを欲していた。変異を同じくする仲間たちとの触れ合いではない。同じ苦しみを知るものがいることは、孤独を和らげてくれる。だがそれは傷の舐め合いにも似ていた。
彼らが真に欲しているものは、やはり失った、離れていったかつての温もりだった。
「諦めきれないか」
目の前を横切る火の玉みたいなものに手を伸ばした。それはランタンが触れると音もなく霧散した。そのあまりの呆気なさにランタンは切ない気持ちになった。
不慮の事態を考えれば今すぐにでもみんなを叩き起こして、この現象に対処するべきなのかもしれない。
だがせめて夢の中だけでも安らかでいられるのならば、これを妨げることは難しかった。
「まあ害もなさそうだし」
影が揺らめいている。ローサの毛皮が白いものに撫でられている。ローサは赤ん坊のような寝顔を晒している。食事をする夢を見ているのか、口元が動いていた。
ガーランドの側には白い塊が寄り添っている。それは人ではなく獣に見える。
ハーディの目の前には白い人影がある。それはきっと彼が求める強敵に違いない。
ルーの頭上に白の濃い球が浮かんでいる。一体これはなんだろうか。ゆっくりと自転し、時折その表面を波打たせた。
リリオンの側に寄ったとき、ランタンは躊躇いを覚えた。
なんとなく見てはいけないような気がした。
しばらく立ち止まった挙げ句、ランタンは更にリリオンへ近付いた。
リリオンの側には何もないように思えた。どうしてかほっとしながらその寝顔を覗き込んだ時、ランタンはぎくりと身体をこわばらせる。
リリオンの胸の中に白くぼんやりとしたものが抱かれていた。それは小さく、ランタンよりも、子供よりももっと小さい。
ランタンは唾を飲んだ。
ほとんど無意識に腰を屈め、この上なく丁寧な手つきでその白いものを抱え上げようとした。
まるで赤ん坊を抱きかかえるように。
だがランタンが触れた途端、それは大きさを失い、ふっと消え去ってしまった。
「あ」
微かな声を上げてリリオンが目を覚ました。何かを探すように視線を彷徨わせ、ランタンを見つける。
「……ランタン、どうしたの?」
「どうもしないよ」
ランタンはその場に腰を下ろし、膝を三角にして座り込んだ。
抱くもののいなくなった手を取ってやると、リリオンは眠たげに微笑んだ。握った手を顔に寄せ、頬に擦りつけた。自分が先程まで何か大切なものを抱いていたことをリリオンは知らないのだ。
リリオンはしばらく微睡みの中にいたが、やがて再び眠ってしまった。
ランタンはそのままリリオンの手を握り、朝が来るまで寝顔を見つめている。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。




