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カボチャ頭のランタン  作者: mm
23.Sharpen One's Fangs
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 炎と鋼の匂いが満ちているが、ここは戦場ではない。

 あらゆる武器や防具が生み出される工房は煤に汚れて、耳に痛いほどの鉄を叩く音で満ちているが心地のよい空間だった。

「おう、出来上がってるぞ。――問題はないか?」

 調整に出していた武具をグランから受け取って、ランタンはあらためることもなく頷いた。

 グランの仕事ぶりはいつもと変わらない。もう老人であるが身に付けた技術が老いることはないのだろうと思う。

 ランタンが戦鎚を腰に結ぼうとするとそれを制し、グランは確かめるように促した。

 グランから距離を取って、見えざる敵を打つように素振りをした。握り拳ほどの鎚頭に風が纏わりつき、グランの長い髭が巻き上がった。

 振り抜けの良さ、指の掛かり具合、硬さとしなやかさ。どれを取ってもばっちりだった。

 戦鎚は肉体の延長として機能し、力を込めるとその先端が赤熱化した。

 グランの白い髭がぼやっと赤く照らされ、ちりちりと焦げるようだった。グランは厳めしい顔をしかめ、火を消すように髭を揉みしだいた。

「完璧です」

「ならいい。しばらくは向こうにいるんだろう? 壊れちまったって行って見てやることはできんからな」

「壊さないですよ」

「道具ってのは使ってりゃいつか壊れるもんだ。――いや、形あるもの、ないもの全てがそうだ」

「確かに」

 ランタンは冷ますように戦鎚に息を吹きかけ、火傷しないようにちょんちょんと鎚頭に触れた。

「どれくらい向こうにいるんだ?」

「少なくともこの冬の間は。あ、そうだ。エーリカさんにお礼言っておいてください。色々と、物資調達に奔走していただいたので」

「ああ、なんだか忙しくしてたな。あいつ」

 商工ギルドのエーリカはグランの娘で、大遠征に必要な物資の調達を行ってくれた。例えば今現在、竜場に待機させている竜種たちの餌だけでも市場に影響が出るほどの量になった。

「暇を持て余すよりはましだな。忙しい方がいい。お前だって、もう探索をしてる暇もないだろう」

「僕はもう暇ですよ。荷造りはリリオンがしてくれますし」

「できた嫁さんをもらったな。嫌われたらつまらんぞ。さっさと帰って手伝ってやれ」

 グランはしみじみと呟き、追い払うように手を振った。

「嬢ちゃんたちにもよろしくな。ちゃんと大事にするんだぞ」

 それは戦鎚のことか、それともリリオンのことか。

 ランタンは頭を下げる。

「はい。じゃあ、しばらくお暇します。グランさんもお元気で。もうお年なんですから休むときはちゃんと休まないとだめですよ」

「うるせい」

 ランタンの減らず口に、グランは髭の中の口を歪めて笑った。

 腰に戦鎚を結び、それから大剣とそれに負けず劣らずの武器だろう、白布に包まれたものを陶馬ガランに積んで帰路についた。

 街の賑わいの中に、変異者たちの姿を見つけることができる。彼らはランタンを見つけると親しげに声をかけてくる。ランタンはそれによく応えた。

 彼らの全てが大遠征に参加するわけではない。

 大遠征は概ね好意的に捉えられているが、それが自分たちを街から追放するための口実だと言うものもいる。もちろんそんな意図はないが、それもしかたのないことだ。

 形あるものも、ないものも、壊れるときは呆気ないものだ。

 そして壊れたものは戻らない。

 その壊れた後の形を、受け入れることしかできない。

 もう冷たくなった風が頬を打つ。

 館に着く頃にはランタンの頬はすっかりと赤くなっている。ガランを馬小屋につなぎ、武器を担いでリリオンの所へ向かった。

「ただいま。もらってきたよ」

 部屋ではリリオンとローサが床に座りながら荷造りをしており、同じ部屋にいるのにガーランドは椅子に座って足を組み、その様子を見下ろしている。まるで監視しているようだった。

「おかえりなさい、ランタン」

 リリオンが立ち上がってランタンを迎え、大剣を受け取るより先にその両手に赤い頬を挟み込んだ。

「冷たくなってるわ。うーん、向こうはもっと寒いのよね。防寒具をもっと持っていきましょうか」

「それより、これ。重いんだから」

 ランタンが言うとリリオンは大剣を受け取る。

 ローサは鞄の中に何を入れるかを真剣に迷っていた。お気に入りの人形を持っていくか、それともみんなで遊べるようにすごろくを持っていくか。二つとも持っていったら、お気に入りのお菓子を入れる場所がなくなってしまう。

 ランタンはそんな背中に声をかける。

「ローサ、――ローサ」

 二度呼んで、ローサはようやく振り返った。

「おかえりなさい、おにーちゃん」

「ただいま。ローサ、お前に渡すものがある」

「おみやげ?」

 へらへら微笑みながら首を傾げたローサは、ランタンから妙な気配を感じ取ったのか姿勢をあらためて背筋を伸ばした。

「この前の探索でお前の槍は壊れちゃっただろう?」

「うん」

「だから、お前にはこれをやろう」

 ランタンは白布を解き、包まれていた長柄の武器を露わにした。

「あ!」

 ローサが悲鳴みたいに叫んだ。

 それは斧槍(ハルバート)である。黒々として無骨だが、どことなくあやしげな雰囲気を纏っている。

 それはかつてリリオンが単独探索に挑戦した迷宮の最終目標(フラグ)である人馬が所有していた武器だった。人馬はローサと同じように上半身を人として、下半身を獣とした魔物だった。

 しばらく武器保管庫に飾られているばかりだったが、ローサがそれを見つけて以来、勝手に持ち出してはランタンやリリオンに取り上げられるということを繰り返している。

「ローサ、手を」

 ローサは少し臆病な感じで、ゆっくり両手を差し出した。

 ランタンは担いでいた斧槍を勢いよく立てる。風が唸った。

 ランタンの小躯にはあまりにも大きく、不釣り合いだ。

 羽を閉じた蝶に似た形の斧とその反対には大振りな鉤を備え、先端の槍は厚く鋭い。獰猛な武器だった。

「これはもうローサのものだ。この斧槍がお前を守るものであるように」

 ローサの掌に斧槍を渡した。ローサはそれをしっかりと握り締める。かつては手にあまるほど太かったその柄が完璧に手の中に握り込まれた。

 ローサはその重みを確かめ、鼻をぷくりと膨らませて頬を赤らめた。

「――!」

 言葉もなく、目を丸く見開いて斧槍を頭上に突き上げた。

「ローサは最終目標(フラグ)二体に止めを刺した。一体だけなら偶然かもしれないが、二体も倒せば実力だ。だからそれを渡してもいいと思った。だから渡したんだ。部屋の中で振り回すためじゃないぞ」

「うん、うん!」

「振り回すなら庭へ行け」

「うん!」

 ローサは大きく頷いたが、はっとしてリリオンを振り返った。荷造りを手伝うと言いだしたのはローサだった。リリオンは苦笑する。

「いいわ。お庭へ行っても。でも暗くなったら戻ってくるのよ」

「わかった! いってきます!!」

 ローサは勢いよく部屋を飛びだした。

 ランタンはガーランドに声をかける。

「付き合ってやってくれ」

「わかった。せいぜい殺されんように気を付けよう」

 もう姿の見えぬローサの勢いに、ガーランドが珍しく冗談を言う。

「本当ね。ガーランドさん気をつけて」

 リリオンは苦笑を強めてガーランドを送り出した。

「おもちゃを貰ったみたいだったな」

「喜んでくれてよかったわ。でも自分で手に入れた槍じゃなくてよかったのかしら」

「この間の? だってあれ格好悪いだろう。木の棒に石の穂先がついてるなんて」

 つい先日、攻略したばかりの迷宮の最終目標が所有していた槍は保管庫にしまわれている。原始的な見た目に反して強力な武器だが、ローサの好みではないようだった。

「さて、荷造りの続きをやるか――」

 二人はそれぞれの武器を壁に立て掛け、荷造りを再開する。ランタンはその場に放り出された荷物を左右に持ってリリオンに尋ねる。

「――人形とすごろく、どっちが必要だと思う?」




 夜。

 ランタンは額に汗をしていた。

「あん――」

 組み敷いたミシャが身を捩った。肉づきの良い身体に骨の硬さが浮かび上がった。肋骨の陰影が鳩尾に向かって滑り落ちる。

 波打つような呼吸に豊かな胸が上下している。

 ランタンはそれを乱暴に掴んだ。指の間から柔らかさが溢れ、人指し指と中指の間には硬くなった先端が覗いている。それを挟んでやるとミシャはびくりと身体を震わせる。

「痛い?」

 尋ねるとミシャは拗ねたみたいに口を結んだ。ランタンはそれだけで満足そうにした。

 ミシャは潤んだ瞳を隠すように瞼を閉じた。

 空いた手で腰を掴み、自らを深くミシャに打ち込んだ。そのまま横になったミシャを抱え起こし、向かい合って抱き合う。ミシャは自分の身体の重さによって、自分の更に深くにランタンを到達させた。

 柔らかな胸に顔を埋め、ランタンは大きく身体を動かした。たちまち呼吸が荒くなり、口の中に熱いものを含んだみたいな、余裕のない息遣いになった。

 それはミシャを喜ばせる。

 だがミシャもまた余裕を無くしていた。激しいランタンの動きに合わせて、献身的に自らも動く。

 探索者と引き上げ屋だったし、愛し合う男女だったから、よく息はあった。だが身体能力の違いはあからさまだった。

 ランタンの背中に腕を回し、落っこちないようにしがみつくのに必死だった。

「ランタンくん、――私」

「僕、もうダメかも」

 ミシャの言葉を遮るみたいにランタンが絞り出すように言う。胸の中から顔を見上げる。

 焦茶色の瞳の奥に、炎の色が透けて見える。それは血の色に似て赤く、この世のものとは思えないほど深く、吸い込まれそうだった。

 見つめられたミシャは、たまらずランタンの背中に爪を立てた。身体は自分の自由にならなかった。雷に打たれたみたいに痙攣し、強烈な快楽がミシャを貫いた。

「くっ――、ああ」

 同時にランタンの喉から情けない声が絞り出された。悩ましげな声でもある。弱音を吐いたが、もう少しぐらいは持つと算段していたのだろう。ランタンにとっても不意打ちに熱が放たれた。

 ミシャはふいの(ぬく)まりに、乱暴なほどの快楽が別なものに置き換わっていくのを感じた。

 それは幾度となく味わった、この上ない幸福だった。

 背骨を取り囲む筋肉がぴくぴくと痙攣しているが、身体のどこにも力が入らなかった。眠りに落ちる寸前みたいに全身が温かくなって、身体の全てをランタンに預ける。

 ランタンはあんなに情けない声を出したのに、逞しくミシャを抱き支える。

 身体の中で、ランタンの一部が熱いまま硬さを失い、大きさや形が変わっていくのをミシャは感じた。

 ミシャはランタンに頬ずりをし、そのまま擦りつけるみたいな口付けをした。それが今のミシャにできる精一杯の愛情表現だった。

「独り占めはよくないぞ。ほら、私にもしておくれ」

 入り込む隙の無いよう二人に声をかけたのはレティシアだった。

 二人が睦むのを見ていたレティシアももうすっかり火照った瞳をしており、半ば強引にランタンの唇をミシャから奪った。ミシャは負けじと重なり合う二人の唇にまた自らの唇を触れさせる。

 驚くような大胆さだった。

 一人の男を分かち合うことで、彼女たちはひどく親密になった。

 当初あった戸惑いや恥じらいは、もうほとんど見られない。それは不慣れや気まずさから来るものだった。見るのも恥ずかしいし、見られるのも恥ずかしい。それは当たり前の感覚だった。

 衣服を脱ぎ捨てて晒した肌の色はそれぞれ異なる。ミシャは白い肌をして、その表面に斑に蛇の鱗が輝いている。レティシアの肌は黒曜石のように濃い色をして、その皮下に竜の鱗の気配を感じさせた。

 姿ばかりではなく育ちも立場も違った。片やただの引き上げ屋で、片や貴族であり探索者でもあった。

 だがこの場において二人は一人の男を愛するただの女だった。

 いや、もう一人。

 いつの間にかミシャから解放されたランタンのそれを慰める指先があった。細い指と小さな掌が敏感な先端を刺激した。ランタンが、あ、と声を上げた。

「はは、いい反応だな。もう硬くなった」

 這うような姿勢のリリララが笑った。顔を近付けて蝋燭の火を揺らすみたいに息を吹きかけるとランタンはびくびくと震えた。

「リリ、ララ……っ!」

可愛(かぁい)いんだから」

 更にリリララが笑った。ミシャは首を捻って振り返り、レティシアは身を乗り出して覗き込む。

「あ、おい。リリララ、次は私の」

 レティシアはリリララに向かって文句を言うが、リリララは鼻で笑って顔を背けた。顔どころか背を向けて、尻で押し退けるようにしてミシャから場所を奪った。

「あぁ、いい」

 リリララは噛み締めるように言った。ランタンの顔のすぐ側でレティシアがぎりと歯を鳴らした。

 レティシアとリリララは主従の関係だったが、この場においてはそれも関係がないようだった。夜の営みの刺激としてそう言った関係を持ち出すことはあったが、やはりこの場においては最早、リリララも同じ立場のただの女だった。遠慮はなかった。

「リリララ、順番抜かしなんて、いけないんだ。本当は」

 彼女の同じ音を繰り返す名前は口にすると鈴が転がるように愛らしい。

 ランタンがそのまま腰を浮かせて膝立ちになると、リリララは獣のように四つん這いになった。ベッドに顔を沈め、尻を浮かすような姿勢になると肩甲骨の形がよくわかった。

 骨張った背中から無防備な腹を撫でてやり、ランタンは指先を腰骨に引っ掛ける。

 肉づきは薄く、絞り込まれた身体は華奢に見えるほどが、兎人族らしく発達した太ももに連なる尻が大きく丸い。ちょこんとついた兎の尻尾の付け根をくすぐってやるとリリララは嬌声を上げた。

 男の狩猟本能を擽るような声だった。

 後回しにされたレティシアがランタンの首筋に甘く歯を立てた。舌先が頸動脈を舐める。この獲物は自分のものだと主張するようだった。

 拗ねてはいたが、怒ってはいなかった。

 レティシアは向こうを向いたリリララの顔が想像できた。そしてそれはきっと自分の顔でもあると思った。

 それは不思議な感覚だった。

 レティシアもこれまで数知れず迷宮を探索してきた。その中で幾度か経験したことのある、魔精を媒介とした他者との意識の共有に似ていた。

 リリララの感じる快楽をレティシアは感じていた。あるいはミシャもそうだったし、もっと不思議なことはリリララばかりではなく、ランタンの快楽さえ自分のもののように思えることだった。

 ランタンは平等に愛情を注いでくれるが、それぞれに対しての配慮もあった。

 例えばリリララは少し乱暴にされるのを好んだ。だからランタンはリリララをそういう風に歓ばせようとしていた。

 レティシアは呼吸を荒らげた。ランタンもまた息を荒らげている。

「レティ、もう、すぐだよ」

 ランタンはむしろリリララにこそ聞こえるように言った。

 リリララは伏せた体勢のまま、窮屈そうに振り返った。背骨が捻れるように曲がった。赤錆の瞳はもうほとんど泣いているようだった。

 ランタンはそんな背中にのし掛かった。腰を掴んでいた手を前に回して、リリララをすっかり抱きすくめ、押さえ込んだ。

 リリララは身動きもできず、一方的に与えられた。

 ランタンはしばらく余韻を味わうようにしていたが、のっそりと身体を起こした。身体からは湯気が立っていた。

 黒髪が汗に濡れて、金属的な光沢を帯びていた。それを鷹揚に掻き上げる。

 露わになった額にレティシアは唇を押し当てた。そのまま瞼や、鼻先や、頬に、それから唇を強く重ねた。

「待ちくたびれたぞ」

「だって()()だったら格好悪いじゃないか」

 それが男の美意識なのか、ランタンの美意識なのかはレティシアにはわからなかったが、ひどく愛らしく思えた。

 唇に今度は軽く、しかし何度もキスをする。

 これからすることに思えば初心な触れ合いは心地よく、またランタンを元気づけた。

「本当に元気だな、ランタンは」

「レティがキスしてくれたら、死んでても目が覚めるよ」

 レティシアはランタンを押し倒して、馬乗りになった。鮮やかな緑色の瞳で見下ろし、少年の手を自らの胸へ導いた。ランタンはすぐに夢中になった。

 レティシアは自らの肉体を与え、ランタンはそれを遠慮することなく楽しんだ。

 満足そうに頬を緩める、無防備な笑みが顔に浮かぶ。

「ランタン――」

 油断したところでレティシアはランタンを自らに招き入れた。レティシアは恍惚の声を漏らした。うっとりと瞳を細め、最初はゆっくりと大きく、次第に速く小刻みに身体を動かした。ランタンの身体がこわばるとまた動きを緩める。

 じっくりと長い時間をかけてランタンを味わう。獲物を横取りされる心配のない、竜種の食事のようだった。

「レティ、ああ、うう」

 ランタンが言葉にならず呻く。もどかしそうに腰を揺すった。レティシアはそんな時、どっしりと腰を落としてランタンを押さえ込んだ。

「すぐ、は格好、悪いんだろう? ほら、頑張れ、がんばれ」

 上から物を言ってみせるがレティシアも最早、限界が近かった。言葉は途切れ途切れで余裕はなかった。

 それでも緑の視線をちらりとミシャとリリララに向けた。軽く顎をしゃくってみせる。そこには貴族らしい傲慢さが滲んでいたが、それが嫌らしく見えないのはレティシアの美徳だった。

 二人がランタンの隣にならんで身を寄せた。投げ出された左右の足をそれぞれぞれの内ももに挟み、もはやレティシアの胸から離れた両手をそれぞれの胸に抱いた。

「ああ、はあ、ランタン、ランタン」

 レティシアは身を倒して、額をくっつけた。背中に腕を回し、唇を重ねる。瞬きもせず、視線だけはせめて独り占めにして、レティシアはランタンを果てに導いた。

 左右の二人もまた感覚を同じくしていたかもしれない。




 快楽の余韻が長く残り、気怠さに身体を横たえたままのランタンがふいにぽつりと言った。

「行きたくなくなっちゃった」

 ミシャが眉を顰めて言った。

「なにを言うのよ。ランタンくんが行かなくっちゃみんなが困るでしょ」

「困らないよ別に。それぞれに目的はあるんだもん」

「いいえ、困るわ。みんな怖いのよ。でもランタンくんが行くから、勇気を出してみんなが行くのよ」

「だって、――じゃあミシャも来てよ」

 拗ねるような口調のランタンに思わず苦笑する。

 大遠征にミシャはついていかない。こちらに仕事があるからだ。モーラに教えることはまだ沢山あるし、ミシャを待つ探索者も少なからず居る。

「行かないわよ。リリオンちゃんもルーさんもいるじゃない。ローサちゃんも。さみしくはないでしょう」

「さみしい」

 まったく甘えた口調だったのでリリララがぷっと噴き出して笑った。ランタンは背後を振り返った。

「レティもリリララも来てよ」

「行くさ。後から遅れてな」

 レティシアが言った。声は笑っている。

 彼女もまた貴族としての務めがこちらにあって、大遠征には参加してくれない。

「同じく」

 リリララも主であるレティシアについてこちらに残ることになっている。

 だからこそこの夜を三人と一緒に過ごしたのだった。

 しばらく離ればなれになるから、せめてその姿や声や匂い、柔らかさや温かさを忘れないように。忘れられないように。

「行かない。さみしいから」

「うそつきね、ランタンくんは」

 本当のことのようにランタンは言ったが、ミシャは笑いながらそれを否定した。

「ランタンくんは行っちゃうのよ。私が止めても聞いてくれたことなんてないじゃない」

 ミシャは懐かしげに目を細める。

 どれだけランタンが迷宮へ行くのを止めたことか。貧相な子供にしか見えなかったランタンを、怪我のまだ治らぬランタンを、仲間を持たぬランタンを、ミシャは何度だって迷宮へ行くのをやめるように言ってきた。

 しかしそれが聞き入れられたことは一度もない。

 その自覚があるからだろう、ランタンは唇を結んだまま黙り込んだ。

「それに私まで付いていったら、ランタンくんはどこに帰ってくるつもり?」

 ミシャは誇らしげだった。

 待つことの苦しみをミシャは幾度となく味わっているが、それと同じだけの迎えることの喜びを噛み締めている。

「どこに帰っていいかわからなくなって困っちゃうわよ」

「う。――でも、ミシャたちもさみしいでしょ?」

「ええ」

「心配もするでしょ?」

「ええ、そうね。でもそれは迷宮へ行くのも同じ。ううん、地続きな分だけこの遠征の方が安心かもしれないわね」

 しかしそれは強がりだった。行く先が迷宮だろうと、旧サラス伯爵領だろうと安心なんか少しもしないだろう。

 毎夜、無事を祈るに違いない。

「ランタンくんは行ってしまうのよ。あなたはそういう人だもの」

 ミシャはランタンの頭を胸に掻き抱いて、汗に濡れた髪に頬を押しつける。

「でも、ちゃんと帰ってきてくれる。そうでしょ?」

 ランタンは胸の中で頷く。

 ミシャがランタンの頭を撫でると、レティシアやリリララも手を伸ばし、まるで磨くように身体を撫でる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 冒険の前の下準備とか、ローサに武器を渡すところとか緻密な描写でランタンたちの姿が鮮明に想像できます。作者様の文章めっちゃ好きです。 [一言] 大遠征編の始まりですね、今からわくわくが止まり…
[一言] 普段バチバチに身も心も鎧っている彼らが一糸纏わず警戒もせず身を委ねられる時間っていいですね
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